試験も終わり〜大切なモノは、何かしら?〜
「あ〜! もう、ほんっっとに、疲れたぁ!」
草に腰をおろし、背中を木に預け、ラウンは伸びをする。
カナンとスピアを見送った後もなお、ヒザから顔を離さないマーシャ。
「……なによ、なによ。私、間違った事、言ってないじゃない……」
聞こえよがしの言葉に、ラウンが溜息を吐いてから、声をかけた。
「もう、いい加減にしなよ」
「大体、あんな痛い物を平気で投げるなんて、
酷いじゃないのよ! なによアレ!」
マーシャは勢いよく顔を上げ、体操座りのままラウンをにらみつける。
山なりに、茶色のつぶてを放ってやると、マーシャの肩にこつんと当たった。
「ちょっと! またやったわね!」
「……あのさ、少しは受け止める素振りくらい見せなよ」
かたくなにヒザから手を離さなかったマーシャには、柔らかく放ったどんぐりが、
またしても攻撃となったらしい。
ラウンは、呆れる事もあきらめた。
「まあ、マーシャだしね……」
「え? 私は私でしょ? 言ってる意味が分からないわ」
渋々、近くに転がった茶色の物体に、手を伸ばすマーシャ。
「今の時期、こんな親指の頭くらいのどんぐり、初めてみたわ」
「そりゃそーだよ。去年の秋から貯め込んでるんだから。
でも、探せばまだ今の時期なら、見つかると思うけどね?」
探す気はさらさらない為、アゴで森の方を指す。
「えいっ!」
「いたっ!
……マーシャ。いい加減にしないと、酷い事するから」
油断したラウンに、マーシャが力任せにどんぐりを投げつけた。
肩を押さえて、ラウンは怒りを露にする。
「そんな目したって……怖かったりするんだから。やめてよ」
「言葉がおかしくてよ。マーシャ」
今まで傍観していたリシュレが、呆れた声を出す。
マーシャは口を尖らせて、文句を口の中だけでごまかした。
「マーシャは勝ち負けにこだわりたいんだよね?」
唐突に、ラウンがたずねる。
「うん、当たり前じゃない。ラウンに勝てる機会だもん」
「……それだけの為に? 皆を犠牲にしてもいいんだ?」
堂々と胸を張り頷くマーシャに、
さすがに呆れたラウンは、言葉をつまらせた。
「他に何があるって言うのよ」
体操座りのまま、ふんぞり返るマーシャ。身体が柔らかい事が証明された。
……あまり意味はないが。
「じゃあ今、頑張ってるカナン達を裏切って、
あたし達がその門くぐってもいいんだよ?」
「その前に、私が奪い取るもん」
「……やってみる?」
軋む体でゆらりと立ち上がるラウン。
「言っとくけど、カナン達が戻って来た時に、あたし達が門をくぐってたら
全部マーシャのせいにするからね?」
低い、低い声で本気度を示す。
リシュレも仕方なく立ち上がり、修道着をはたき草を落とした。
「ず、ずるくない? 私だって、カナンに言うから!
勝手に門をくぐったって。二対一じゃ勝てなかったって言うからね!」
慌てたマーシャは、必死に自分の正当化を主張した。
ラウンもリシュレも、そんな言葉など無視して、門へと足を向ける。
ちらりとも見ず、リシュレが呟く。
「カナンは、どちらの言い分を信用するのかしらね」
「日頃の行いって、大事だよね」
ラウンも痛む足を止めない。
「う、うう。じゃあ入り口を氷で固めれば……」
無駄に能力を使おうとしかけたマーシャに、ラウンは鋭く口笛を吹く。
白い獣が滑空し、マーシャの目の前を塞ぐように、羽ばたいた。
集中力を乱され、マーシャに取り巻き始めていた氷のかけらが霧散する。
大きく美しい羽を持つ白いフクロウが、ラウンの肩にとまった。
羽を膨らませ、鋭い鳴声をあげてマーシャを威嚇する。
「な、なによなによ!」
「謝らないの? 本気で終わりにしてあげてもいいけど?」
ラウンは振り返って腕を組み、冷たい目でマーシャを見た。
フクロウも、器用に肩の上で方向転換する。
「……その門くぐったら、皆が試験失敗になるんじゃなかったの?」
苦し紛れに、マーシャが言葉を搾り出す。
「うん、そうだけど? マーシャ、納得出来ないんでしょ?
だから、実践してあげようって思ったんだ。
もし、マーシャの考えが当たってても、結局あたし達の勝ち。
残念だね」
ラウンもフクロウも威嚇しまくっている。
リシュレは、くだらないものに付き合った。とばかりに溜息を吐き、
元いた場所に腰をおろした。
「結局、悪巧みでは勝てないのですから。早々にあきらめたらいかが?
悪あがきは、みっともなくてよ」
「だって、悔しいじゃない!」
リシュレに向かって叫ぶマーシャ。
それでも、事態は変わらない。
「何度も説明したと思うけど」
と前置きをしつつ、めんどくさそうにラウンは右手の指を一本ずつ立ててやる。
「あたし達の『箱』は、アデレさん以外が触ったら、あたし達の失敗。
あたし達が、そのままファーカスに辿り着いちゃうと、カナン達の失敗」
フクロウを肩に乗せたまま、ラウンは先程の木によさりかかる。
意外とフクロウが重かった。
「ファーカスに入らないようにして、カナン達がここまでアデレさん連れてくる。
そうすると、ファーカスに『着く前に』アデレさんに物を渡せるでしょ?」
重い、重い。
ずるずると座り込みながらも、マーシャに指を突きつけるように
するのはやめない。
「渡してから、カナン達の箱と、アデレさんの『中身を抜いた箱』を交換。
こうすれば、ファーカスに着く前に箱の交換が出来る。
どう? 理にかなってるでしょ?
さて、マーシャに質問です。
これのどこに穴があるのかな?」
悩むマーシャ。認めてしまえば、自分だけが負けた気がする。
それでもなお言い募れば、今度こそラウンは容赦しない気もする。
「でもでもでも……」
「考えて? 時間はたくさんあるんだから」
頭を抱えてしまったマーシャに、ラウンは言葉を軽く投げておく。
そう。カナン達が戻ってくるまで、時間はいくらでもある。
余計な考えを持たせない為には、絶好の袋小路だ。
これで、ゆっくりと身体を休められる。
見知らぬおばちゃんと、ズボンに穴が開いたと嘆いているおじさん。
その二人の後を追うように歩いてくるカナン達が来るまでには、
十分に疲れも癒されていた。
「仲間って、このお嬢ちゃん達かい?」
おばちゃんがカナンとスピアに大声で問う。
ラウンは――ラウンだけ、といった方が正しいが――立ち上がり、
「ワタクシ、ラウンと申します。
あの、アデレさんですか? ここまで来ていただいて、申し訳ありません」
「いやだ、やめとくれよ! アデレはこっち! わたしはジュディだよ」
後ろをダラダラ歩いていた男の襟首を掴み、ラウンの前に突き出した。
……犯罪者を役所に突き出すみたいだな。
酷い考えも浮かぶが、もちろん口になんて出せない。
これで試験が終わるのだ。
「スピア、カナン。ありがとう。あと、マーシャをお願い出来る?」
柔らかな笑みを浮かべたまま、さりげなくマーシャをけん制しておく。
いまだ頭を抱えているマーシャを、即座に察したカナンが頷き、
ラウンとの間に入る。
人の気配を察知して、フクロウはすでにこの場にはいない。
万が一、強行突破に出ないとも限らないマーシャを、押さえる者が必要なのだ。
「あなたが、アデレさんですか?」
「そうだ。さささっそく『ブツ』を渡してもらおうか」
ヒゲ面のアデレが、ラウンに詰め寄る。
少しだけ後ずさりながらも、アデレに嘘が見られなかった為、
ラウンは荷物の中から箱を取り出した。
「これで、よろしいかと思いますが」
そっと差し出すラウンから、箱を引ったくり、アデレは隠しながら箱の中を覗く。
少し顔をゆがめ、怪訝な顔でラウンを振り返った。
「おい、二つと言っておいたはずだが……」
立ち上がる素振りを見せないリシュレ。
ラウンが小さく溜息を吐き、リシュレに近付く。
「ちょっと、早くアレ渡しちゃってよ」
「イヤですわ」
リシュレの言葉に、ラウンは開いた口が塞がらない。
なんとか気を取り直し、聞きなおす。
「な、なに言ってんのさ。何の為にここまで来たの!」
「あんな不潔極まりない人間に、どうしてこの私が歩み寄らなければ
ならないのです?」
ミもフタもない。
見ればたしかに、整えられているとは言えないヒゲ。
何故だか埃まみれ、土まみれの服。
こちらからは見えないが、ズボンの尻側には穴が開いてしまっているのだろう。
ここでリシュレが挫けてしまえば、終わりである。
ラウンは焦りを抑えて、荒げたくなる声も極力抑えて、言葉を返す。
「国を治めていく立場にある人間なら、泰然と構えなきゃダメなんじゃないの?
あーゆー人間相手にも、堂々と王族らしく振舞う為の勉強だよ。
どんだけ蔑んでいても、それをオクビにも出さず、奥ゆかしい態度で事を成すって、
すごい格好良いよね!
こればかりは、真に気高い人間にしか出来ないと思うなぁ」
リシュレの痛い所を突く。
しかし、王族が直々に庶民へと手を差し伸べる姿など、見た試しはない。
庶民からしてみれば、天上の者なのだ。
プライドと品格を揺さぶり、リシュレを煽る。
ラウンをにらみつけ、それでも苦々しい口調で、リシュレは言葉を吐き出した。
「……仕方ありませんわね。今回ばかりは我慢してさしあげますわ」
リシュレは立ち上がり、丁寧に土と草を払い落とす。
箱を取り出すと、姿勢を正してアデレに差し出した。
「なんだ! 持ってるなら、早く出さんか!」
一大決心すら踏みにじるように、アデレは奪い取る。
怒りに顔を赤く染めたが、リシュレは王族としての気品を忘れなかった。
ラウンへと振り返り、横に並ぶ。
「リシュレ、頑張ったよ!」
「下々の者がする事ですもの、レベルが低くて当たり前と思えば、
何でもありませんわ」
物凄い怒りの感情を見て取った事は、黙っておいた。
言ってもどうにもならない事だ。
彼女は『暴走』を堪えられたのである。ちょっと成長?
またしても中身を確認する際、自分の身体を盾にして隠す。
その様子に、ジュディは呆れて、両手を腰に当てる。
「アデレ。このお嬢ちゃん達に、失礼じゃないか!
礼くらい言ったらどうなんだい!」
「ああ? まだいたのか。どうも。もう帰っていいぞ」
一瞥をくれて、アデレは丁寧にフタを閉じた。
失礼だ。失礼極まりない。
それは、五人のみならず、ジュディのつり上がった眉毛を見ても
確かなもの。
「あんたがこんなにもサイテーな男だったとは、思いもよらなかったよ!」
ジュディが怒りを込めて、声を出した。
スピアですら、アデレの態度に目を伏せて、カナンの後ろに隠れる。
冷ややかな視線と、重く緊迫した雰囲気に、アデレはさすがに気がついた。
「な、なんだ、オレがなんかしたか?
お前らだって、もう用はないだろ? 何が悪いってんだ」
「あんたね。はるばる届けてもらっといて『もう帰れ』だなんて、
よく言えたもんだね!」
さらに食ってかかるジュディに、
カナンは愁いを帯びた表情でやんわりと声をかける。
「ありがとうございます、ジュディさん。
いいの。そう、いいんです!
教会の仕事で、こういう言われ方をされるのは、日常ですので」
仕方ないんです。と、そっと目を伏せた。
少しばかり、トゲは残しておく。
頑張って辿り着いたのに、この仕置きはいただけない。
しかし今は、自分の中にストックしてある悪口雑言を並べ立て、
三日くらいは立ち直れないほどの、精神的苦痛を与えるよりも、
やらなければならない事が、残っている。
ふう。と、一息つき気持ちを整えて、カナンはもう一度、伏せた目を上げた。
ジュディが、カナンのセリフを聞き、アデレの首を絞めていたが、
とりあえず無視をして、言葉を投げかける。
「実は、上の者からの指示で、箱だけこちらの箱と交換して欲しいのです」
「いやだ」
アデレは即答した。
ジュディは絞めた上に、持ち上げる。
「あ・ん・た・ね! 箱くらい、いいじゃないのさ!」
さすがに、アデレがジュディの腕にペチペチとタップする。
呼吸器系が限界らしい。
少し力を弱めてやると、アデレは咳き込んだ。
「お前、加減って言葉知らんのか!」
「……もっかい、絞め直してやってもいいんだよ」
ジュディの本気の眼差しに、アデレは歯噛みする。
「しかし……これは、記念なんだ」
「ええ、ええ。そうでしょうとも。
こんなカワイイ娘達からのプレゼントだものねぇ」
ジュディの凍りつきそうな視線は、更に度を越した。
「ち、違う! 違うんだ! これは、お前に……」
アデレが、しまったとばかりに言葉を飲み込む。
六人とも先を促すように、沈黙する。
「違う、違うんだ」
しばらくの沈黙の後、アデレは耐え切れなくなって呟いた。
「箱だけでいいんです。交換して下さい。
こちらの箱の中身も見ていないのですが」
カナンとスピアは、同じような箱を取り出す。
それでも、かたくなに持っている箱を握りしめるアデレ。
カナンが自分の持つ箱を見つめ、ゆっくりアデレに視線を移す。
「箱自体は、同じ材質。同じ大きさですし。
それに、上の者からなんです。箱の交換を指示したのは。
だから絶対に何かあるはずなんです」
「……アデレさん、お願いします。これと、交換して?」
スピアがアデレに近付き、上目遣いで、そっと箱を差し出す。
言い返そうと口を開けたまま、スピアのそれはそれは純粋な瞳を見下ろし、
敗北した。
深い溜息を吐くアデレ。
状況を見守っていた四人は、同時に心の中でスピアに賞賛を送る。
ジュディはそれを見て、小さく吹き出した。
その場の雰囲気を、全部持ってかれたアデレは苦笑する。
「分かった。分かったって!
ただし、中身にもよるからな。
いいか? 換えるのは、それからだ」
「ケチくさいねえ!
外箱なんて、邪魔になるだけじゃないか。
それくらい、くれてやりなさいよ」
苦し紛れに言うアデレに、ジュディが呆れた声を出した。
そんなジュディに、口の中で文句を言い、スピアから箱を受け取る。
またしても、皆に見られないようになのか、後ろを向く。
箱を開け――
「これ、これも付けてくれるのか!」
嬉々として声を上げた後、アデレはしゃがみこんだ。
そんな態度に、その場にいる女性陣は、もちろん興味をそそられる。
後ろから、そっと近付いたのだが、いかんせん床の上を歩くよう
にはいかない。
「来るなっ!」
案の定、土を踏みしめる音を聞かれ、アデレに威嚇される。
そんなに気の長いタイプではないジュディが、さすがに声を張り上げた。
「あんたね! 見て下さいと言わんばかりの態度で、
その言い方はどうなんだい!
しかも、お嬢ちゃん達に礼もない。
図体ばかりおっさんで、わたしの家族に迷惑ばかりかけて……」
ジュディの剣幕に、さすがにアデレは目を丸くして振り返る。
我慢していた感情が一気に溢れ出し、ジュディの文句は
アデレの子供時代にまで遡り始めた。
もはや、本人も何に対して怒っていたのか分からないほど、
うっぷんをまき散らしている。
アデレが、つまらなそうに目を細め、
「また始まった」
そんな一言が、ジュディの怒りという炎に油を注ぐ。
「また!? そんな事言える立場なのかい!」
「ま、まあまあ! ジュディさん、落ち着いて……」
アデレの服を破りかねない勢いで、ジュディが掴みかかったのを見て、
さすがにカナンが止めに入った。
アデレは掴みかかられた状態で、憤怒の形相をしているジュディを間近で
見つめ、小さく溜息を吐く。
「この状況で、溜息吐くなんて、いい度胸……」
カナンの止めも聞かず、さらにアデレに詰め寄る。
ジュディの目の前に、青いベルベットの生地を使って丁寧に作られた箱が
差し出された。
襟元を解放する事なく、ジュディが表情はそのままに、うなり声をあげる。
「なんだい、いまさら見せびらかそうって言うのかい!」
「ジュディにだ」
「物で釣ろうったって、そうはいかないよ!」
ジュディの言葉に、アデレは呆れ顔で箱を開けた。
二人の動きが停止する。
ハラハラと状況を見守っていたラウン達。
その著しい変化に、ゆっくりと近付き見てみると、
アデレのごつい手で開けられた箱には、小さく輝く金色の指輪。
「これはっ!」
「いわゆる、アレ?」
一番に静寂を壊したのは、空気を読まないマーシャだった。
我に返ったラウンが、震える声で誰ともなしに呟く。
「間違いないて、アレだわ」
「この様な状況で、ですの? 庶民の考えは分かりませんわ」
「……カナン、アレって、なぁに?」
頷くカナンの服を、控えめに引っ張るスピア。
リシュレの呆れた声に、反論がありすぎて、ラウンは返す言葉が選べない。
「スピア、よく見とくだに?
参考にしちゃかんけど、これもプロポーズの一種なんだわ」
「……プロポーズ。たくさん種類があるの?」
真剣に聞いてくるスピアに、カナンはにっこりと笑う。
「そうよ。それこそ、人の数ほどね」
その言葉に、ジュディが重い口を開けた。
「な、なんのつもりだい」
「なんのつもりも、コレが出来たら渡そうと思ったんだよ」
まだ怒ったような顔をしているのは、照れ隠しなのだろう。
一言だけ絞り出せたジュディは、この出来事に対応出来ない。
アデレもそれ以上、何も話そうとしない。
(渡そうとって! そんな言い方ないんじゃない!?)
ラウン、リシュレ、カナン、マーシャの乙女心は一致した。
即座に、ラウンがアデレを。
カナンが放心状態のジュディを、一時的に引き離す。
余計な事だとは、よ〜く分かっている。
分かっているのだが……これは、あまりにも酷すぎる!
「アデレさん、あの言い方はないです!」
「お前らにゃ関係ないだろ。あいつとの付き合い上、これで通じるんだ」
ラウンは、アデレの言葉に絶句した。
あからさまに冷たい声で、リシュレが罵る。
「これはただの贈り物ですの? プロポーズですの?
プロポーズの言葉を省略する男なんて、お話になりませんわ」
「何が分かるってんだ!」
アデレの大きな怒鳴り声に、ラウンが覚醒する。
「分かるよ! 女だもん。分かってても、通じてても、言葉にしてほしいよ!
一生に一度のプロポーズだもん。
アデレさんが、外箱すら記念だと言ったように、
その言葉は、ジュディさんの一生の宝物になるんだから」
「宝は指輪だろう」
憮然と言い放つアデレに、ラウンが歯噛みする。
「……じゃあ言うけど『コレが出来たら渡そうと思った』って言ったよね」
「そうだったか?」
「そうだよ。
この言葉だけを聞いたら、ただの贈り物で終わっちゃいますよ?」
「なんでだ」
本気で分からないのだろう。
業を煮やしたリシュレが、アデレに噛み付いた。
「分からない男ですわね!
言わなくても分かるような事でも、言って欲しい時があるのが、
今ですわ! 少しは周りに聞くなりして、勉強したらいかが?」
「言わないで分かる事を、なんであえて言わなきゃいかんのだ!」
怒鳴り返したアデレに、違う方向から震える声がかかる。
「私は、言ってほしい」
「だから――」
アデレは声がした方に顔を向け、言葉を飲み込んだ。
カナンに諭され、自分を取り戻したジュディが、
顔を赤くして白いエプロンを握っている。
「分かってても、言っておくれよ。
それとも、やっぱりただの贈り物かい?」
まっすぐ見つめてくるジュディに、アデレは苦虫を噛み潰したような顔で
押し黙った。
陽も暮れかけ、重苦しい雰囲気に拍車をかける。
五人は寄り添うように、ジュディの後ろに移動した。
アデレは、ベルベットの箱を見つめるようにうつむく。
「どうなんだい!」
痺れをきらしたジュディが、一喝。
静寂に慣れ始めていたアデレは、飛び上がり、
「オレと夫婦になってくれ!」
思わずといった感じではあったが、大事な言葉を引き出せた。
眉をつり上げたまま、ジュディがアデレに近付く。
腕組みをしたまま、アデレをにらんでいたが、ふと表情を緩める。
「仕方ないね。あんたを放っておけないし。
受けてやるよ」
アデレから指輪を受け取り――というよりは、奪い取り――左手の薬指に
はめた。
ジュディは少しうつむき、口の中で何事か呟いてから、ラウン達へと向き直る。
「お嬢ちゃん達、あんなに必死になってくれて、ありがとうね。
ファーカスに泊まってくんだろ? 今日は私の家に泊まっていきな」
「ありがとうございます!
でも、持ち合わせが少なくて……」
ラウンの言葉に、おばちゃんは豪快に笑う。
「しっかりしてるね。いいよ、今日は特別だよ!
夕食と、明日の朝も付けるから安心おし」
ラウンの背中を力強く叩き、嬉しそうに笑った。
「あ! その前に、箱を交換して欲しいんですけど!」
カナンが気がついて、アデレを振り返る。
「う。やっぱり記念に……」
「記念は指輪だけで十分だよ! まあでも、カナン達の箱は残るんだろ?
前のは返しておやり」
ジュディの言葉に、文句をつけながらもラウンとリシュレに箱を返した。
ラウンが受け取りながらも、疑問をぶつける。
「あの。両方同じ箱なのに、
どうしてコレが、あたし達が渡した方って分かるんですか?」
アデレは目を丸くして、
「何を言っとるんだ。コレクターなら、見分けられて当然だろう」
すごい事だ。到底、真似は出来ない。
しかしラウンは、そんな物か。と頷いた。
「どうして納得出来るのです! ラウン、あなたおかしくてよ?」
「ああ、友達でそーゆー人がいたからさ。
納得せざるを得ないんだよ。説明は出来ないけど、正しいんだから」
ワケの分からないリシュレが、ラウンに注意を促す。
でもラウンにとっては、こう言うしかない。
説明は出来ないが、過去の経験上、間違いはないだろう。
ラウンの目で見ても、箱は自分達が持っていた物なのかは、
カナン達の箱と比べなければ分からない。
とにかく、ラウンとリシュレの箱は戻ってきた。
「じゃあ、後はよろしくね。カナン、スピア」
二人に、渡してやる。
これでとりあえずは、試験の結果待ちという事になるだろう。
「もういいかい? そろそろ戻るよ」
ジュディが皆に声をかけ、さっさと門をくぐる。
「はい、お世話になります!」
五人は追いかけ、皆が門をくぐり抜けると、ジュディが立ち止まった。
「どうだい? アデレ。私の生徒達は、意外と優秀だろう?」
振り向きもせず、声をかける。
五人とも不思議そうな顔で、ゆっくりと振り返ると、
そこには苦笑いを浮かべているドリュウが立っていた。
「そうですね。少し驚きましたが、合格点は固いんじゃないですか?」
「……ドリュウ様?」
なんとか声を絞り出すラウン。
ドリュウは、仕方なさそうに肩をすくめる。
ぽかんと口を開けたまま、五人は慌ててジュディへと向き直った。
そこにいたのは、いつもの優しい眼差しで微笑している、ディリアズ。
「これは、どういう事ですの?」
毅然とディリアズを見据え、リシュレが声を固くする。
気付けば、周囲は木に囲まれ、馬車が通れそうな道が左右にのびている。
先程まであった建物や、住人の姿はなく、ただうっそうとした森が広がっていた。
「試験ですよ。
どうです? 私の演技力も捨てたものではないでしょう」
楽しげに笑うディリアズに、ドリュウが頭を振り、口を開く。
「今まで見ていた物は、全て幻だ。
君達は知らないだろうが、僕の能力で創り上げた物だよ」
その言葉に、カナンが反論する。
「そんな……おかしいわ! だって、喋ってる人間だっておったがね!」
「カナン、それは私の能力ですよ」
ディリアズが声をかけたが、カナンはなおも食い下がった。
「いいえ! ディリアズ様。
ゴーレムが作れても、話をさせるなんておかしいわ。
近くを通ったけど、あんなに人間の雰囲気させてるなんて」
「君達は、まだ僕の能力を過小評価しているようだね。
僕は第一級先導士の資格も持っているんだよ?
……まあ、なんの因果か。ディリアズの補佐なんてしてるけどね」
一本の木がグニャリとゆがんだかと思えば、ジュディが姿を現す。
その場から動く事はないが、微笑んだ。
「さっきは仲を取り持ってくれて、ありがとうね」
声も同じ。
試しにラウンが、ジュディの腕に触れてみると、肉感があり、柔らかい。
「……こわっ!」
即座に手を引っ込めたラウンを見計らって、ジュディは木に戻る。
改めて触るが、木である事に違いない。
ドリュウは苦笑した。
第一級先導士。それ以上の地位にあるとは、間違っても言えないが、
これくらいは簡単な部類に入る。
物体を創り出せる能力。
それはドリュウが解除しなければ、例えドリュウがこの世から
いなくなっても有効なのだ。
生物も創り出せるが、それは幻のみにとどめている。
命を創り出すのは、禁忌であるから。
その部分はゴーレムを使い、自分達を使い、彼女達の目に幻を見せただけ。
「大々的に、詐欺にあった気分だわ」
「違うよカナン!
ディリアズ様が、あたし達に詐欺なんてするはずないじゃない!」
カナンの溜息に、ラウンが食ってかかった。
ラウンの目には、揺らぎがない。
「分かったって。じゃあ、上司への報告はなしでいいですか?」
「ええ、構いませんよ」
ジュディと約束したカナンは、少し呆れた声でディリアズに確認する。
その後ろから、可哀想なくらい真っ青になったスピアが、進み出た。
尋常でないその表情に、ディリアズはスピアの目線に合わせるように
膝をつく。
「スピアさん、顔色が悪いですよ。
やはり無理をさせてしまったようですね」
ディリアズの言葉に、スピアは声を震わせる。
「……ごめんなさい。ごめんなさい。ディリアズ様」
スピアのおかっぱを撫でてやりながら、ディリアズは先の言葉を待つ。
「……背中、叩いてしまいました。スピアは、悪い子供です」
スピアの顔から表情が消え、蒼白なまま、
小さな両手の甲を上にして、差し出した。
マーシャが息をのむ。
初めてディリアズに紹介された時の、スピア。
表情はなく、ミスにもならないミスで謝り、甲を差し出す。
悪い子供には、罰が与えられる。
といわんばかりに。
当時その両手には、痛々しい傷が残っていた。
今では、その傷も完治して綺麗になっているのだが。
ディリアズは両手で、そっとスピアの手を包んだ。
「……ディリアズ様は、親代わりです。手を出してしまいました」
涙はなく、声に抑揚もない。
震える声をしぼりだすように、スピアは言葉を続ける。
その時、狭い袋の中が限界だったのだろう。
口を軽く閉じておいた袋から、白カエルが飛び出した。
「体がかわくよ〜いじめないで〜いじめないでよ〜」
重ねたディリアズ手の上に飛び乗り、カエルはスピアに催促する。
「命の水でいいで〜水が〜たりないんだわ〜」
「スピアさん、質問します。
話の途中で割り込むのは、礼儀に反します。
では、このカエルにあなたは罰を与えられますか?」
ディリアズの言葉に息をのみ、それでもスピアは首を横に振った。
あんなに痛くて怖い思いを、小さな――標準よりかは大きめだが――
カエルにさせてはいけない。
「……スピアには、できません」
「それは、何故ですか?」
「……痛いし、怖いし……カエルさんは、スピアと同じだから。
カエルさんだけは、あんな思い、させたくないから」
ディリアズがうなずき、自分の手に乗っているカエルを、スピアに返す。
「私達も同じなんですよ。痛くて怖い思いをさせたくありません。
それは、スピアさんが大切だからです。
傷を残すほどの体罰よりも、何が悪かったのか自分で考えて、
直せる人間になれるよう、私は教えているつもりです」
ほほえんで、ディリアズは立ち上がった。
「スピアさんは、自分で悪かったと反省しています。
これ以上、罰を与える必要などないでしょう?
大丈夫です。よく考えなさい、顔を上げて周りを見なさい。
スピアさんには、いつだって支えてくれる人がいるのですから」
やっと、スピアの表情がゆがみ、涙が零れ落ちた。
声を張り上げる事もなく、はらはらと大粒の涙が頬を伝う。
「……スピアも、みんなの支えになりたいです」
「何言ってるのよ、もうすでになってるんだからね!」
マーシャが、ディリアズの横にしゃがみ込んで笑い、頭を撫でる。
「あー。感動的な所、悪いんだけど。
馬車が来たから、館に戻るよー」
「……ドリュウ様」
空気を読まないドリュウに、さすがに半眼で見やるカナン。
意に介さず、ドリュウは馬車を呼び止め、スピアを抱き上げた。
あっさりと雰囲気を崩されて、少女達は愚痴まじりに馬車へと乗り込む。
馬車の代金をドリュウが支払っているのを確認し、ラウンが最後に乗り込んだ。
ゆっくりと動き出した馬車の中、対面式の座席のため、正面に座っている
ディリアズに、ラウンはためらいながらも声をかける。
「あの、ディリアズ様。報告したい事があるんです」
「なんですか?」
「館の下にある町での事なんですけど……」
どこかで監視されていたかもしれないが、マリルの酒場での一幕を話す。
話を聞き終わったディリアズは、思案しながら、
「分かりました。誤解のないよう説明の徹底を呼びかけましょう。
あとでマリルさんに、相応の報酬を渡しておきます」
「あの、それは試験外の事ですよね?」
ラウンが控えめに確認すると、ディリアズはうなずく。
「それで、その。
先程の白いカエルなんですけど、私達で保護したいんです」
ラウンは、スピアを気にかけつつ、懇願する。
自分勝手だが、あの白いカエルを、スピアが守る事で、強くなれるかもしれない。
「ダメ、ですか?」
「そんな事ないですよ。帰ったら申請書を提出しましょう」
「ありがとうございます! ディリアズ様!」
馬車の揺れのせいにして、ディリアズに抱きつきたかったが、
さすがに皆の目の前では、恥の方へ天秤が傾いてしまった。
「ふふ、ラウンさんも大きくなりましたね。
昔なんか嬉しい時は、よく飛びついてきたもんですが」
「あたしも、きっと大人になったんです」
そんなディリアズの言葉に、ラウンは果てしない後悔の念に襲われる。
恥ずかしいなんて、いつ覚えたんだ! あたし!
心の叫びは、わざと胸を張り答えたセリフに掻き消えた。
館に戻り、陽も暮れて――
男ばかりの5人部屋を覗く、ラウン。と廊下で疲労の色を隠さず、溜息を吐くリシュレ。
「よくも男性の私室を覗けますわね。ラウンでないと出来ない芸当ですわ」
「やかましっ!
あ、ちょっと、ジョイル呼んでよ」
リシュレに悪態つきながらも、こちらに気付いた男子に声をかける。
「ああ? またかよ。
ジョイル! お前ディリアズ組の連中にまで、コナかけてんじゃねーよ!」
ったく、女なら本気で誰でもいいのかよ。との、男子生徒の舌打ちに、
ラウンが靴を脱いで背中にぶつける。
「ちょっと? ジョイルごときに、関わりを持ちたいとも思ってないよ。
ジョイルの婚約者に会ったからさ。報告しとこうと思ったんだ」
靴を拾いに、ずかずかと私室関係なく入り込み、胸ぐらを掴む。
「訂、正、して!」
「ぅ、ぐぐぅ……ごべんだざい」
そんなに広くない私室で、呆れたようにジョイルがベッドに座り、声をかけてきた。
「ラウン、どうしたんだい?
元気の良い女の子は、見ていてすがすがしいけどさ。
ラウン可愛いんだから、やりすぎないようにしなよ」
鳥肌の立つラウン。
廊下に立ち、覗きもしないリシュレは、思わず吹き出しつつも、
『淑女』は我慢。と自分に言い聞かせている。
「私が直々に出向く意味など、ありませんでしたわね」
これ以上聞いていると、リシュレは凍えてしまいそうだった為、
ラウンに言葉をかける事なく、自室へと帰ってしまう。
「そーゆーの、やめてくれる?」
「なにがだい?」
小首をかしげて、歩み寄ってくるジョイル。
ラウンは、一歩退きつつ、大きく息を吸い込んだ。
『ジョイル! 婚約者のマリルさんにー! 手紙くらい出さんかーい!』
声のでかさには、自信がある。
女子の私室も遠くない為、聞こえないはずはない。
これでチヤホヤ度は低下するだろう。
ふーっと息を整え、ジョイルを見れば、みるみるうちに蒼白となっていく。
「ラウン、ど、どこでそれを?」
「下町の酒場で、泣いてる彼女。
こんなに近くにいるのに。あんた、サイテーだよ!
あたし、誰かに詳しく聞かれたら、ちゃんと答えるから」
ラウンの言葉に、うろたえながらジョイルは詰め寄る。
「そ、それはどうだろう! 妙な噂立てないでくれないか?」
「本人が噂だと思うなら、否定してれば?
でもね、あたしは体験してきた事を、事細かく話すから。
町へは申請出せば、誰もが行けるよね。皆、すぐに真実だと確信するよ」
ジョイルは、今までに見たこともないほど、表情がゆがんでいる。
同室の男子達は、ジョイルの人気が落とせるのでは? と期待満面だ。
「ラウン。ボクを脅そうとしても、無駄だよ」
「脅してないよ、真実を話してるだけ。
あんたみたいのとは、別れた方が、マリルも幸せになれると思うけどね。
でも、あたしはそこまで関与したくないし」
にらみつけてくるジョイルを、真正面からにらみ返し、ラウンは怒りの声をあげる。
「どっちにせよ、婚約者なら、手紙くらい出してやれ!」
ラウンの最初の叫びを聞きつけて、
いつの間にか廊下に人だかりが出来ていた。
同室の男子に、声をかけ、机にレターセットを用意させる。
ジョイルを座らせて、衆人環視の中で手紙を書かせ、封をしたのを見届けてから
手紙を取り上げた。
「お、おい! 自分で出すから」
慌てた様子で、ラウンから手紙を奪い返そうとするジョイル。
ラウンは取られないようにしながら、皆に質問する。
「ジョイルに渡したら、婚約者のマリルさんに出さずに終わると思う人〜!」
今の様子を見て、満場一致で手があがった。
口の端を持ち上げて、ラウンは不敵に笑う。
「ジョイル。あんたの負けだね」
手紙は明日の朝、町へ行く先導士に直接手渡せば問題ないだろう。
集まっていた人だかりは、ラウンを目の前にすると、
身をひいて道を作ってくれる。
そんな中、ラウンは一通りの任務が達成した事に安堵し、廊下に出て、
リシュレがいない事に舌打ちをした。
疲れたがやっと終わったのだ。
私室に戻れば、チョコレートの山が待っている。
ラウンは足早になる。
自分がこうしている間にも、どれだけの量が消費されているのだろう。
信頼? ええ、してますとも。
でも、ソレとコレとは話が違うじゃない?
その後、ジョイルとマリルさんが、どうなったかは知らない。
あんな逃げ方しておいて、マリルさんに会えるわけもないし。
ましてやジョイルは、この件を境に、目すら合わせなくなった。
でも反省はしてないみたい。
リシュレから、パフェ代ゲット!
今度は一人で食べに行こう。スピアなら連れてってあげてもいいか。
残ったお金は、ディリアズ様に返却。『最初からの約束』だったから。
だったら、も少しチョコ買っておけばよかったな。
〜ラウンの日記より〜
紅人の根城。最終話です。
結局、反省をしたのはカナンとスピアだけという……
たくさんの方が読みに来てくださってて、とてもとても感謝しきれません。
本当にありがとうございます! 読んでくださるだけでも嬉しい限りです。
感想いただければ、もっともっと感涙むせびないてしまうかと思いますが。。よろしければ、ぜひ♪(><)