〜嘘をつくのは誰が為?
「ちょっと! 聞いて聞いて!」
勢い良く教室に飛び込んで来た少女マーシャ。
しかし、五人クラスの教室には二人しかおらず、
疑問を投げかけられるどころか、誰も振り向かない。
それはまるで、
「見ちゃいけませんよ!」
と親が子の手を引っ張って行くくらいの冷たさだ。
いや、これよりも酷いかもしれない。
なにしろ、まったくの反応すら示さないのだから。
「ちょっと? あからさまな無視って、どうなのよ?」
相変わらず本を読みふけっているカナンには、
近づいて声をかけたら、空返事くらいは返ってきた。
スピアも同様だ。
能力別にある物体操術の授業で出た、宿題の砂ゴーレムが出来ずに、集中している。
「あれ、あの二人がいないじゃない。
イヤ〜ね〜! せっかく聞き耳情報ゲットしてきたのに」
大袈裟に溜息を吐いて、二人にもアピールする。
スピアの集中が途切れ、左右に揺れていた砂山が動かなくなった。
「……マーシャ。うるさい」
「あ! スピア〜。イ・イ・コ・ト、知りたくない?」
声をかけた瞬間に、スピアの近くに来て、猫撫で声を出す。
スピアは何かを言いかけたが、諦めた。
袋に砂を丁寧に詰め、ポケットにしまう。
どんな状態であれ、声をかけたのは失敗だった。
スピアは、一つ学習した!
などと、カナンが心の中で何かしらの音楽を奏でながら、
心の中でガッツポーズを取った事など、分かりもしないだろうが。
ともかくも、スピアは小さく息を吐き、仕方なくマーシャを見る。
マーシャは、その様子に満足したように満面の笑みを浮かべた。
彼女が口を開く前に、スピアが疑問をぶつける。
「……マーシャ。『聞き耳』って言い方、間違ってない?」
「何言ってるのよ! 先導士室の扉越しに聞いたんだから、間違ってないわよ」
ちゃんと耳を凝らして立ち聞きしたのだ。
間違ってるわけがない!
そう、間違ってはないだろう。
話を持ってきたのが、マーシャである以上、
おそらく聞く値打ちのある内容であるはずがない。
けっして『耳寄りな話』ではないのなら、『聞き耳情報』で十分だ。
という見解のもと。カナンは無言を貫く。
「……そっか」
あっさり頷いてしまったスピア。
さらにマーシャが近づく。
「でね? でね? なんと……」
「お〜い! ディリアズ様からの伝言だよ!
明日は氷結祭だって。
参加しない人は、あたしに言ってね」
ラウンがリシュレと教室に入って来ながら、集まっていた皆に声をかけた。
マーシャの動きが固まる。
ゆっくりと。
ことさらゆっくりと振り返るマーシャを、スピアは肩を竦めて見送った。
「ラ〜ウ〜ン〜!?」
「なによ」
恨みがましい声で非難される意味が分からないラウン。
とりあえず、また何かしでかそうとしたのを、
自分が『邪魔』したのだろう事は、間違いなさそうなので、無視して続ける。
「不参加は講堂に集まって『礼法』の授業だって。
なんとなんと、ディリアズ様が担当! だから、あたしは『不参加』決定ね」
「……ラウン、不参加なの?」
スピアが目を丸くして、心細く呟く。
その声に、幾分申し訳なさそうな顔をしてスピアの傍に寄った。
頭を撫でてやりながらも、決意は変わらない。
「ごめんね? ディリアズ様の婚約者として、ここは参加しとかないと」
しおれた様に、うつむいてしまったスピア。
リシュレは呆れた声で、訂正を入れておく。
「婚約者って? 相手にもされてませんのに、言えば言うほど悲しいですわね」
「言霊っていう言葉を知らないの!?
言えば本当になるんだよね〜カナン」
結局、本に集中出来なくなったカナンは、諦めて本を置いた。
「あ〜、故郷の古い言い伝えではそうだわ。
言葉通りの結果を現す力があるってヤツ」
「あからさまに、胡散臭い話ですわね」
可哀想な者を見る目を、ラウンに向ける。
カナンも、困ったように首をかしげながら同意した。
「まぁ仕方ないわ。病は気からとも言うで、自分を明るく保てるならいいら」
多少突き放した言い方だが、ラウンは聞き流す。
持っていたチェック用紙で、マーシャとスピアの名前に丸を付けた。
「じゃあ参加は、マーシャ。スピアという事でいいね?」
「……ラウン。スピアも不参加がいい」
その言葉に、皆――特にマーシャが激しく動揺した。
自分の作った氷の彫像を、スピアの力で動かそうと思っていたのだ。
「は、反対! 反対! 『氷』と『物体操術』の人は強制参加でしょう!?」
「スピア? どうしただん、スピアらしくないに」
幼くとも自分の力を試せる場面で、断る事をした事がない。
そんなスピアは、小さい声で続ける。
「……だって。ずっと宿題やってるのに、出来ないもん」
たしかに、ここの所『砂』と格闘していた。
その事で悩んでいる事も、周知の事実。
「そんなの期限が決まってないんだから。放っといてもいいじゃない!」
マーシャの言葉に、うつむいてしまうスピア。
ラウンは、とりあえずチェック用紙をカナンに預け、
二人のコートを取り、教室からスピアを連れ出した。
声も出さず、涙をボロボロ流すスピアに、ラウンが空を仰ぐ。
廊下ですれ違う人皆に、
「ラウンが、ちっさいのを泣かせた」
と、言われまくったが、今回は無視を貫く。
右耳の裏に痣を持つスピアは、館に来た当初まったく話す事もなく、
今でも話し出すまでにタイムラグがあるくらいだ。
育った環境もあるのだろうが、その件に関して言わないから聞かない。
聞かれたくない事なんて、この館に住む者には山ほどあるから。
そして彼女は、館に来た時から一度も泣いたことがない。
それなのに大粒の涙を零しているのだ。
ここまで我慢していたのには理由があるはず。
ラウンは、こんなになるまで聞かなかった自分に毒づいていた。
いくら聞かれたくない事柄だったろうが、聞き出すべきだった。
二人で裏の畑に着く頃には、だいぶ落ち着いてきたスピア。
手袋を忘れたラウンは、腕組みしながら尋ねる。
「宿題。そんなに悔しい?」
本題を切り出されて、スピアはうろたえたが、
やがてポツリポツリと喋り出す。
「……。分からないの。
宿題発表の集まりで、水を足して成功させたロニーも合格じゃなかったの」
でも、砂だけじゃ出来ないの。
と、また目を潤ませる。
才能がある分、今までトントン拍子に事が進んでいたばかりに、
壁の大きさに戸惑っているのだろう。
ラウンも、少し考えてから、
「それだけじゃないんじゃない?」
頭の片隅に何か引っかかった気がして、その言葉を選んだのだが……
スピアの表情が強ばったのを見て確信する。
「……ラウン。何で分かるの?」
硬い声に、ラウンはバツが悪そうに頬を掻いた。
「いや、いつも動物と付き合ってるからかな?
なんとなく『いつもと違う部分』があると分かっちゃうんだよね」
「……そうだったね」
別にラウンが、人の心を読めるわけではない。
彼女の能力は『動物と会話』が出来る事だ。
動物達は、口だけで喋るわけではなく全身を使う。
細かい動きを見極められる能力が、本当の能力なのだろう。
なので、畑での鳥・モグラの説得などを頼まれるのは日常だ。
しかし操る事が出来るわけではないので、交渉失敗もままある。
虫は嫌いだから、言葉が分かっても決して話さない。
害虫駆除は人力でお願いしている。
「……あのね。ロニーがスピアの砂を机から落とすの」
少し考えながら、話始めた。
その内容として、
いつも一番だったスピアが苦戦しているのをいい事に、
不合格ではあったが、先に出来たロニーが調子に乗った。
という所だろうか。
少しばかり、ラウンの脚色もあるが遠くはない。
それからというもの、何かにつけ、
スピアの髪の毛を引っ張る。砂を落とす。
座ろうとした椅子を下げられて、お尻を強く打った。
手が滑ったと水をかけられる。
などなど、話を聞いたラウンは心の中のブラックリストに、
ロニーの名を刻んだ。
「許すまじ! ロニー。ご飯にドブネズミをダイブさせてやる!」
気になる人間へのちょっかいだって限度がある。
ここは分からせてやらなければならない。
怒りの炎を吹き上げているラウンに、スピアが冷や汗を流す。
「……ラウン。いいの。言ったら気が楽になったから」
「いいや。ここはおねーさんに任せなさい」
言っても聞かないラウンに、スピアはポツリと呟いた。
「……じゃあ、今度から誰にも、何も言わない」
少し気まずい空気が流れ、ラウンは失敗したと感じる。
「分かったよ。冗談! 冗談だから、一人で抱え込まないで?」
「……ううん。やっぱり、こういう話は心配かけちゃうから。
もう、しない」
頑なに、まっすぐラウンを見つめる。
ラウンは、少し力を込めてスピアの両肩を掴み、顔を近づける。
「ホントごめん。でも、聞いて?
普通にしてるつもりでも、分かるもんなんだよ?
あたしだから〜じゃなくて、本当は皆も気付いてる。
きっと聞いてもスピアは絶対喋らないし、無理に笑顔を作っちゃうから。
その方が心配なんだよ。こっちも辛くなるんだよ。
愚痴でもなんでも喋ってくれた方が、実は嬉しいんだよ。
皆で解決出来るかもしれないじゃん?」
閉じかけている心の扉を、なんとかこじ開けようとする。
スピアは話を聞きながら、笑顔を作ろうとしていた。
あたし達が、信用されてないみたいじゃん。
という言葉は言わなかった。そんな事はどうだっていい事だ。
なにより自分はスピアを信じている。
スピアは、ただ心配をかけたくなかっただけなのだ。
確かに、自分がされた事を話せば、一緒に怒ってくれるだろう。
でも、自分のせいで他人を憎む皆を見たくなかった。
皆に悲しい思いをさせたくはなかった。
いつだって笑っていて欲しかったから。
いつものように皆で大騒ぎしてて欲しかったから。
またポロポロと大粒の涙が零れ落ちた。
ラウンは、抱きしめてやりながら、頭を撫でてやる。
「頑張ったね。我慢してたんだもんね。
一人じゃ寂しいよ。あたしでも寂しいよ。
皆がいるよ? 誰がなんと言っても、私だけは絶対に味方だからね。
忘れないでね」
「……ぜったい?」
泣きじゃくりながら、口を開く。
「絶対だよ! おねーさんが『嘘』言ったことなんてあった?」
ニヤッといたずらっぽく笑って見せると、
涙でベショベショになりながらも、スピアはクスリと笑う。
「……いつだって、適当な事ばっかりだよ」
「え〜! ラウンショ〜ック! いつだって大真面目なのにぃ」
大袈裟に驚いて見せたその劇調の態度に、スピアは声を出して笑った。
「お〜、やっと普通に笑えたね」
「……ラウン、ありがとう」
コートの裾で涙を拭ってやり、ハンカチがない事を詫びた。
「ありがとうついでに、思いついた事があるから。
ちょっと待ってて?」
と、半分雪に埋もれているスコップを手に取り、
辺りを見回してから雪をどけていく。
スピアは、不思議そうな顔でその様子を眺めた。
掘り当てた地面には、なにやらこんもりしている。
丁寧に地面を掘ると、小さな空洞が現れた。
そこに口を近付け、
「お〜い! ちょっと〜?」
と人間の言葉で普通に呼びかけると、しばらくしてモグラが顔を出す。
「……意外と、カワイイんだね」
ラウンの後ろから覗いて、息を呑むスピア。
恐る恐るな態度のスピアに、少し笑って手を差し出す。
「スピア、宿題の砂、持ってない?」
「……? あるけど、どうするの?」
「いいからいいから」
少量を手に取り、モグラの前に持っていく。
モグラは鼻を細かく動かして、砂に触れた。
ラウンがなにやら頷いたり、首をかしげたりしている。
そして砂は袋に戻され、ラウンは振り返った。
「スピア。一つ聞かせて? ロニーが不合格だった理由って何?」
「……え、と。これだけじゃ足りないって」
「水をかけるだけじゃ足りない。って事だよね?」
スピアは上を向き、先導士の言葉を反芻し、
ラウンの言葉が正しい事を確信して頷いた。
「モグラがね? この砂は西の方にある砂に似てて、吸水性が高いんだって。
水を含むと固まる性質がある」
ラウンの言葉に、スピアは目を丸くする。
気付いたのだ。
ロニーの答えには、理由が足らなかった。
この砂に関する知識も必要だったに違いない。
「……西の方。調べなきゃ! 本当にありがとう、ラウン」
目を輝かせて、館内へと走っていくスピア。
ラウンは見えなくなるまで見送り、一息ついた。
モグラに持っていた木の実をあげ、礼を言う。
「ラウン!」
カナンの声に振り返る。
隠れて見てたのだろう、皆心配だったのだ。
「やっぱり来たんだ」
ラウンは笑いながら、館内に駆け込むと真っ赤になった手をリシュレに当てる。
誰よりも温かい。
「やめてくださらない!? 苦手と知った上での行動は罪悪ですわよ!」
リシュレは悲鳴をあげるように叫び、ラウンの手が素早く振り払われる。
心地よい時間は長続きしないものだ。
「スピアがさっき私達に『ありがとう』って言ったわよ?
という事は、もちろんうまくいったんでしょうね?」
マーシャが詰め寄り、ラウンは一歩後ずさる。
「大丈夫だよ。それよりも、ロニーって知らない?」
「ああ、オーレリア様のクラスでスピアと同じ物体操術の……」
三人とも、目の色が変わる。
悩みの原因に気付いたのだ。
「でも聞いて。スピアは報復を望んでない。
バレたらスピアに嫌われる」
ラウンが指を一本ずつ立てていく。
二本の指を掴んで、カナンが微笑んだ。
「バレなきゃいいんだわ」
マーシャも、大きく頷きながら、
「当然よ! やられたらやり返す。基本よね」
「一人の罪は、教室の罪でしたわよね?連帯責任が基本ですもの」
皆が指に止まった。
力強すぎて、痛いんですけど。ってのは黙っておいたが。
「連帯〜責任〜!」
『どんとこ〜い!』
わけの分からない掛け声とともに、結束は固まった。
計画は秘密裏に進んでいく。
スピアの宿題は、西の地域を調べ上げたおかげで、大成功を遂げた。
やはり、扱う物質の知識が必要だったらしい。
そのお祝いに、氷結祭には全員で参加する事に決めた。
「いいわね。明日は計画通り、あっちの邪魔しまくるわよ」
『どんとこ〜い!』
四人は小さい声で再チェックを行い、万全の体制を整えた。
ラウンから受け取ったチェック用紙を見て、ディリアズは不審に思う。
火のリシュレが参加など、どんな理由があってもあり得ないからだ。
思い当たる節はある。
「スピアさんの件か」
物体操術は、ディリアズが担当している。
ロニーのあからさまな嫌がらせに、直接指導したのだ。
この件に関しては終わっている。
「いや、あの子達にとって終わってはいないのか」
ディリアズは席を立ち、廊下を伺う。
そそくさと出て行ったラウンとカナンの背中は、まだ見えている。
「ラウンさん、カナンさん。こちらへ」
まさか声をかけられるとは思わなかった二人は瞬間、目で合図しあった。
そんな事が分からないディリアズでもなかったが、
とりあえずディリアズに与えられている先導士室へと促す。
扉を閉め、ディリアズが椅子に座った。
居心地の悪そうにしている二人を見つめ、口を開く。
「何を隠しているのですか?」
直球で来た質問に、ラウンは普通にする事を努めたのだが、挙動不審は否めない。
「何の事ですか?」
すぐさま疑問に疑問で返すカナン。
一応先導士の前では、標準語を使っているのは礼儀を考えたのだろう。
ポーカーフェイスは最高の出来映えだ。
ディリアズは、しばらく二人を見つめて待つ。
沈黙という重圧に、二人は持ちこたえる。
答える気はなさそうだ。と、ディリアズは目を閉じた。
目を閉じたまま、もう一度問う。
「答える気は、ありませんか?」
優しい声の調子は変わらない。
それなのに、背筋が凍る思いだ。
「あの、何の事だか……」
カナンが冷や汗をかきながらも、首をかしげる。
「そうですか」
ディリアズの言葉に、乗り切った!と二人は心の中でハイタッチをした。
目を閉じたまま、ディリアズは眼鏡を外し、ゆっくりと目を開ける。
二人を、綺麗な紫の瞳で捕らえると、同じ質問を繰り返す。
「何を隠しているのか。答えなさい」
ディリアズの言葉に二人は、直立不動になり、目の焦点が怪しくなる。
「カナン」
呪縛に囚われた。
心の制御が根こそぎ奪われる。
カナンはためらいもなく口を開き、今までの出来事を全て話さざるを得なかった。
隣に立っているラウンでさえ、カナンが話している事も分からない状態だった。
気がつくと廊下に出ており、眼鏡をかけたディリアズが微笑んでいる。
何が起こったかは、覚えていない。
たしかディリアズは椅子に座っていたはずなのに、
今はいつの間にか自分達は廊下にいて、見送られている。
「ディリアズ様?」
何が何だか分からないラウン。
意識が完全に戻った事を確認し、ディリアズは告げた。
「用紙を提出してもらっておいて申し訳ないのですが、
私の教室は皆、礼法の授業に出てもらいます。
今、この時から授業まで、宿舎から出る事も禁止します」
二人はポカンと口を開く。
自分達は、何も話さなかったはずだ。
廊下に出るまでの記憶はないにしても、それだけは断言出来る。
なのに、バレている。確実に、バレている。
ラウンは、嫌な汗が背中を伝うのを感じた。
もし今後『彼らに何かあれば』確実に疑われるだろう。
しかし、何故?
おそらくスピアなら、この状況が理解出来ただろう。
『物体操術』だ。
そうとしか発表されていない彼の本当の能力は極秘とされ、
一部の先導士しか知らされていない。
彼は紅人の中でも、危うい存在として監視されていた。
複雑な思考を持つ人間をも操る能力など、禁忌であり、
そして、現在。彼に対抗しうる人間はいないのだ。
もちろん、彼女達が『人を操れる』など知る由もない。
しかし失敗に終わったとはいえ、計画の事は話せない。
不服ではあったが反論出来なかった。
「質問はありますか?」
その柔らかい言葉に、カナンが必死に抵抗する。
「あります! 折角の氷結祭なんです。
スピアに皆が揃ってするお祭りを、頑張ったご褒美にしたいんです!」
……そうきましたか。
うまい切り替えしをしてきたカナンに、ディリアズは心の中で苦笑する。
計画の目的の一つとしては、間違っていないのだ。
根底はスピアの為。
しかし、それに伴う悲劇はとてつもないシロモノだった。
教室ぐるみの闘争となりかねない。
微笑を崩す事なく静かに答える。
「皆で揃って行うのであれば、礼法でも構わないでしょう。
壁を壊す。教室の備品及び窓の破損など、
一週間の内にどれだけの事をしてきたか、忘れてはいないでしょう」
「でも、その度に罰則はしてきました」
カナンは、なおも食い下がる。
ディリアズを目の前にして、カナンに『バレてるから!』とは言えず、
ラウンはカナンの袖を引っ張って、何とか気付かせようとするが、うまくいかない。
それに気付かないふりをして、ディリアズは残念そうに首を横に振る。
「他の先導士からは、『宿舎での謹慎』案が多く出ているのですよ?」
宿舎からは、氷結祭の為に皆が腕を奮った彫刻など、何も見えない位置にあり、
ただ、響いてくる楽しげな笑い声を空しく聞いているだけになる。
講堂にいれば、授業とはいえ祭の雰囲気は味わえるのだ。
ディリアズは言う。
「それを曲げていただいて、特別授業の礼法に出させるという方向にしたのです」
二人は顔を見合わせた。
身に覚えがありすぎる分、それ以上の反論が出来ない。
「いいですね。皆さんにも伝えなさい。今から宿舎へ戻り、
くれぐれも礼法の授業まで部屋から出ない事。食事は部屋まで運ばせます」
二人はうなだれて、教室へと戻る。
その途中、ふとカナンが気がついた。
「あれ? 私、関係ないじゃん」
「え? 何が?」
急に声を上げたカナンに、首をかしげる。
ラウンの方を見て、悔しそうに声を出す。
「だって、私が壁を壊したわけでもなきゃ、備品を壊したわけじゃなし。
理不尽だわ!」
その点については、返す言葉もないラウンだが、慎重に先程の違和感を話す。
「でも、あの様子だとなんかバレてたよ?って事は、しばらく自重した方がいいね」
「なんで!? そんな……でも、未遂だわ。結局は私は、関係ないがね」
その言葉に言い返そうとしたが、ラウンは代わりにポツリと呟く。
「……連帯責任〜。どんとこ〜い……」
カナンはその場に崩れ落ちた。敗北した気分だ。
帰りが遅いのを心配したスピアが、二人を見つける。
廊下にうずくまっているカナンを見て、困った様に声をかけた。
「……カナン、どうしたの? 大丈夫?」
「大丈夫。ちょっと泣きたくなっただけだと思う」
実際、泣いていたかもしれない。
歩くのを放棄したカナンを引きずって、教室に戻ると、ディリアズの言葉を告げる。
スピアのみ、小さく溜息を吐いた。
「そ、そんなの! 横暴よ!」
一番の根源が、悲鳴をあげる。
綺麗に色を付けている爪を噛み、さらに言葉を荒げた。
「そんな、そんな事になったら、計画がパァじゃない!!」
言うんじゃないか。と思った。
でも、そこは我慢して言葉を飲み込むだろう。とも思った。
「……計画って?」
小首をかしげ、スピアのみ疑問を投げかける。
「何言ってるの! それは! ……………その」
他三人からの恐ろしいほどの眼光に気付き、マーシャは言葉を濁した。
まずい。まずい事になった!
マーシャは蒼白となる。
仕方なくカナンが立ち上がり、助け舟を出した。
「実はスピアに内緒で、宿題出来たお祝いに、
いつも二人じゃ寂しいだろうで、皆で氷結祭に出よまいって言ってたんだわ」
「……ホント? ホントに!?」
スピアの純粋な瞳は輝き、大きく目をみはった。
「でも結局こんな事になっちゃって……ごめんね?スピア」
ラウンもここぞと便乗。
リシュレとマーシャは、話についていけず目をシロクロさせる。
「……ううん。礼法でも、皆が一緒だから。嬉しい」
本当に嬉しそうにはしゃぐスピア。
『嘘』など、オクビにもださず、二人ともとても爽やかに笑った。
「プロだわ」
マーシャが、やっと声を絞り出す。
少し呆れた様子で、リシュレもうなずいた。
すべては闇の中。
大切な誰かを傷つけるよりかは、優しい嘘をつくのもいいかもしれない。
クラス替えを行わない理由が、分かった気がする。
誰もウチのクラスなんて、担当したくないわね。
少しだけ、ディリアズ様に同情。
私には誰が同情をくれる?
〜カナンの日記より 一部抜粋〜
嘘だって、徹底すれば役に立つかも?
でも使い過ぎには、ご用心!人を傷つける嘘は、やめましょう。
必ずしっぺ返しが来ることでしょう。




