11話:俺の名前
落ち着け俺。
まず、俺の作ったアプリケーションソフトであるミユキは、話しかければ、決められた言葉を返すだけのソフトだ。
例えば、俺が「おはよう」と言えば夕方でも「おはよう」と返してくるだけである。
自分が作ったソフトなので、起動のしかたは当然だがわかっている。デスクトップ画面にあるアイコンをタッチすれば良いだけだ。
何も考えずにこのアイコンをタッチすれば、返事をするソフトであるミユキは起動するだろう。
でも今、俺が求めているのは、決められた言葉だけしか返事しないミユキではない。俺が「おはよう」と言ったのに「お兄ちゃん。ちょっと待った」と返事してきたソフトである。
この世界に来て初めてタブレットの電源を入れた時に、俺の作ったミユキどころか、他のソフトも、まだ起動させていなかったはずだ。それにも関わらず、ミユキはすでに起動していた。
なぜなら、俺が現在位置を確かめようと、慌てて地図ソフトを起動させるために画面を過剰に押してしまった時に「お兄ちゃん。やめて。さわるならもっと優しくさわって。そんなに荒々しくされると壊れちゃうかも」とか言い始めていたから間違いない。
タブレットの電源を入れても、何も言い出してこないということは。
「私が居なくなっても。これからは自力で目を覚ましてね。お兄ちゃん」
本人が言っていた通り、あのミユキは消えたって事なのか。
「ウソだろ。いや、あれだろ。喋ったり考えたり出来るソフトなんだから、起動に時間が掛かっているだけだよな」
そうタブレットに話し掛けながら、システム画面を開いて確認する。
CPU(中央演算装置)稼働率1%
……そうだよな。
そんなことないよな。起動に時間が掛かるなら、すぐに文句を言ったりしないよな。
まてよ。ミユキは俺の声や姿を認識していた。ということは。カメラとかマイクとか、条件が必要なのかもしれない。
俺は、片っ端から各種内蔵ソフトを起動していく。こんなに起動させたら、せっかく交換したバッテリーの減りが激しくなるのはわかっているが、元々1時間の会話をしたいために始めたことだ。そんな些細なことは気にならない。そして。
起動していない内蔵ソフトは、一つだけになった。
本心では、真っ先に起動させたいソフトであったが、覚悟を決められずに、後回しにしていた。
そう。俺の作ったソフトのミユキだ。
もし、起動させてから話しかけても、決まった返事を返すだけであったら、立ち直れなくなるかもしれないからだ。
でも、これが最後のソフトだ。もう後回しにしたり逃げたりする場所はない。
これでダメなら、もうあのミユキとは話すことは出来ない。たった一人で、言っている意味がわからない魔王と戦い続けるしかなくなる。
こんな時、俺は自分自身の心を守るために、最悪の展開を考えることにしている。ミユキを起動させようと、アイコンにタッチしたら、タブレットからメッセージが現れてウイルスによりデータが全て消えました。とか、タッチしたらプシュとか音がして二度と電源が入らないようになる。とか、爆発する。燃え上がる。光の粒子となって消える。
あはは。そんなことになったらミユキどころの騒ぎじゃないよな。
そんなことになるくらいなら、普通に決められた言葉を返してくるミユキが起動する方が、よっぽどましだ。今は考えられないけど、リトライのチャンスが残るからな。
よし。これで大丈夫。
覚悟を決めて、俺はミユキのアイコンをタッチした。
だが、何も起こらなかった。
俺の作ったソフトであるミユキさえも起動しない。これはどういうことなんだ。アイコンの関連付けが外れているのかと思い。直接ファイルから起動させようとしたが、それでも起動しない。
それこそ、起動に時間が掛かっているのかと思い、システム画面を見ても、CPU稼働率は50%程だ。自作のタブレットの性能をみるために、何度も耐久試験をしていたが、その時よりも少し高いくらいだ。
だからといって起動に時間が掛かっているとは考えられない。
想定していた状況と、今の状況が違いすぎて、頭が真っ白になっている、放心していたようだ。
そのせいか、手が勝手に動いて、システム画面からハードウェアの状態を開いていた。試験の時には必ずセットで見ていたから、その時の名残だろう。
しかし、これは何かに誘導されていたのかもしれない。なぜなら。
俺の自作のタブレットのCPUパーツは5個付いている、このCPUはクワッドコアと呼ばれていて、1つのCPUで4つの作業が同時に出来る。それが5個あるから20の作業を同時に出来る筈なのだ。あくまで筈なのは、自作のタブレットだから、そんな検証なんて出来ないし、出来ると良いなくらいのレベルである。
そんな5つあるCPUの内、3つが停止していた。
ミユキが起動しないのは、これが原因なのか。
何らかの原因で、必要な演算装置が停止してしまったからミユキが起動できなくなってしまったみたいだ。
原因かと思われることが特定できて、ホッとした反面、ミユキと話すことは二度と出来ないことに絶望を感じてしまった。
元の世界であれば、部品を交換すれば、きっと直すことが出来る。そしてミユキと話すことも出来る。でも。
ここは、異世界。
部品の入手は、不可能な世界。
今度こそ、俺は放心してしまっていたようだ。何も考えていなかったらしい。その証拠に、魔法の明かりが、いつの間にか消えていたからだ。タブレットもスリーブモードになっているようで、画面は真っ黒だ。
何分。何時間。何日。何ヵ月。俺は、犬小屋の様な作業小屋で座っていたのだろう。
常に万全な身体になる能力のせいで、飲まなくても、食べなくても、なんの問題もないから、わからなくなっていた。
でも、それほど長い間、放心していたわけでは無さそうだ。頬を撫でる風を感じたので俺は意識を取り戻していた。
タブレットを解体している間に、塵や砂が入らないように作った作業小屋だが、これは生木を組み合わせただけの小屋だ。
切ったばかりの木は、水分が大量に残っている。しっかり乾燥させなければ建材として用を満たさない。なぜなら、木の板は乾燥すると曲がるからだ。
ただ木の板を組み合わせただけの小屋なのだから、木が乾燥しはじめれば好き勝手に曲がり歪みが生じる。その結果、隙間が出来て風が入ってきたのだ。
おかげで、気を取り戻すことが出来たのは良いが、ミユキが起動しなければ、何の解決にもなっていない。
気がつくと、俺は、手元のタブレットを見つめていた。何も写し出していない真っ黒な画面だ。そこに白い光が射した。
歪んだ壁や屋根の隙間から朝日が入ってきたのだろう。
朝日が白い光となる事自体は、普通にあることだ、特別なことは何もない。
隙間から光線の様に白い光が射してきていると言うことだ。
そんな光の線が見えると言うことは、頑張って小屋を作ったが、考えていたよりも塵やホコリがたくさんあったのだと思うだけだ。
でも、少しずつ動いていく白い光は幻想的に見える。その光を目で追っていたときに、何処かの隙間から射した光が目に入った。
突然、視界が真っ白になって驚いてしまったが、この時、タブレットを直す方法を思い付いた。
瞬殺魔王を倒せば、あの真っ白な場所で、この世界の神から報酬として、一つ願いを叶えて貰える。
そう、あの時、神は元の世界に送ってやると言っていたが、別の願いを叶えて貰ってもいいはずだ。
だったらその願いで、タブレットを直してもらえば良いんだ。そして後は異世界ライフをミユキと楽しめば良いんだ。
そうだ。そうしよう。
俺は、作業小屋から這い出して、朝日に向かって宣言することにした。
「俺は、もう逃げない。これから魔王を積極的に狩る事を誓う。そして瞬殺魔王は、俺が倒す」
「小煮石 千梁汰の名に懸けて!」
わざわざ宣言するなんて、中ニ病炸裂だと笑うなら笑え。
これくらいやらなければ、逃げグセのある俺が戦える訳がない。
って違う? 俺って変な名前じゃないかって。
そうさ、変な名前だ。父親が麻雀好きで、麻雀の役の名前をつけたそうだ。
だったら国士無双の無双を取って、小煮石 無双とでも名付けてくれれば、まだ格好良かったのに。
でも、この名前のおかげで、魅力的なあだ名が付いたから、俺的には問題ない。
そう。
【おにいしちゃんた】
俺のあだ名は【お兄ちゃん】だ。