詐欺人(さぎびと)勇者
「――すみません。新しい規則で前金はお支払いできません」
ディナは耳を疑った。
町役場の一室で町長が申し訳なさそうに笑っている。
「……は? なんですって!?」
「ですから、新しい決まりで勇者様に前金をお支払いすることはできなくなりました」
「なぜ……」
「そのように決まりましたもので……。魔物を倒された場合の報酬ですが、それは従来通り二千マルゴをお支払いします」
「それは聞いていた話と違います」
ディナは抗議した。
勇者とは町々を旅しながら魔物を退治するハンターのことだ。魔物は町の外で旅人を狙っている。その魔物を退治して旅人の往来を助けるのがディナのような勇者の仕事だった。ディナは金髪の髪をかき上げて不満そうに瞳を持ち上げた。
「この町では魔物を一体退治したら二千マルゴを頂けるのですよね? その半分の一千マルゴを前金として頂くのが今までの習慣ではないですか」
「しかし……」
町長は苦しそうに顔をゆがめて額の汗を拭うような動作をした。汗をかいているわけではないが、ディナのような立派な勇者を疑うのが心苦しいようだ。
「なんといいますか……。その前金を持って逃げてしまう偽物といいますか、そういう勇者様を語る詐欺師のような者が横行しておりまして……」
「詐欺師?」
ディナは切れ長の目で町長を睨んだ。
「い、いいえ、あなた様が女性だからと侮っている訳ではありません。鎧や剣も立派なものを装備されているようですし、このようなお若く美人な方がまさか金を持ち逃げするなど……。ですが、それが決まりなのです」
「そんな、美人などと……。まあブスというわけではないですが」
ディナは溜息をして、
「私はこの町が魔物に襲われて困っている。そう聞いて人助けのために来たのですよ?」
「それはありがとうございます……」
ディナは憤慨しながら町長に訴えた。勇者というのは実態は傭兵で、前金を貰って高い酒を飲んでご馳走を喰らう。ディナは女だからそういうことがないが、男の勇者は女と羽目を外して一晩騒ぎ、翌日には恐ろしい魔物と戦う。魔物に殺されたらこの世を旅立たなければならない。そういう恐怖と打ち勝つためにも前金を貰って騒ぐのは重要なことだった。
「私は剣に覚えがありますが、田舎でひっそりと畑仕事をしてまいりました。この町を救うために来たのです。明日から魔物退治を行います。明日、私は死ぬかもしれません。そんな私に野宿をしろというのですね」
「それは……」
少年のようなまっすぐなディナの潤んだ目を、町長は申し訳なくて見ることができなくなった。
「……それでは、私が個人的に百マルゴを出します。少ないですがこれだけあれば十日は町に滞在できます。食事の美味しい宿も紹介します。それでいかかでしょう。もちろん、魔物退治の暁には一体あたり二千マルゴをお支払いします」
人の良い笑顔で町長は笑った。
「無理を言って申し訳ありません」
ディナは恐縮して町長と握手をかわした。
「――それで、その女勇者は百マルゴを持って逃げたのか」
町長はしばらく笑い者になった。
「あの娘さんがなあ……」
町長は苦笑いをするしかなかった。そういえば町に出回っている詐欺師の人相書きにあの女は似ていた。どうして気付かなかったのか……。しかし後の祭りだった。
「しけてんなあ……」
ディナは町を出て街道を歩きながら百マルゴ金貨を空に放っては空中で掴み、また空に放った。気になるのは、自分の人相書きが町の至る所に貼られていたことだ。それほど似ていなかったが女の勇者は珍しいからこれからは警戒されるかもしれない。
「次はもっと小さな町にするか」
ディナは空から落ちて来た金貨を掴んだ。
街道の外れに『コーサス』という聞きなれない町があった。その町にディナが到着すると、そのみすぼらしさに呆れた。
(町というよりは村だな……)
自分が育った村に雰囲気が似ている。
(すぐに滅びそうだ)
自分の村も魔物に襲われて滅んだ。ディナには何の特技もなかったから詐欺師になるしかなかった。夢は金持ちの青年商人でも見つけて結婚することで、それまではよく回る舌で穀塩を得るしか道がない。
(お嫁さんになるまで、女一人で生きるにはこれしかないではないか)
ディナはそう開き直っていた。
前回、お人好しの町長から百マルゴを巻き上げたが、あの町は人口五千人の大きな町だった。ああいう都会は旅塵にまみれた姿で売り込んだ方が効果がある。使い古した具足に身を包んでいれば、いかにも一騎当千の勇者という感じがする。
(ここでは逆だな)
ディナは町で最初に見かけた宿に入った。風呂に入って鎧を磨き、煌びやかに飾れば田舎者には効果的だ。汚れた鎧でディナが登場したら返って侮られる。
ディナが磨いた鎧で外に出ると人々の視線が彼女に集中した。
――おお……!
という感じで通り過ぎた人が振り返ってディナを見る。兜を小脇に抱え、洗いざらしの金髪を光るように風になびかせて歩く姿に、町の人たちは息をするのを忘れたように見入った。
(目立ちすぎか……)
とディナは思ったが、機嫌よく肩で風を切って歩く。
ディナは町役場を探した。魔物を退治するためにはその町で勇者登録をしなければならない。勇者登録を済ませると町の中で武器の所持が許される。それまでは町の中では武器を荷物として何かに包んで持たなければならないため、ディナは鎧と兜のほかは持たずに外に出ていた。
「勇者様!」
と、靴磨きの少年がディナに声をかけた。十二歳くらいの素直そうな少年で、くりっとした可愛い瞳でディナを見つめてくる。
「うん。お願いしようかな」
少しブーツが汚れていたので、ディナは少年のところへ行った。
ディナが自分の前に座ると少年は張り切ってブーツを磨き出した。油を使ってブーツを磨くと牛皮の茶色が鮮やかな光沢で輝きだす。
「勇者様、終わりました!」
「ありがとう。私が勇者だと君にはわかるの?」
「それはわかりますよ、だってかっこいいですもん」
ディナはチップを弾んだ。ディナは詐欺師だから装備にはお金を掛けている。剣を持たずとも鎧だけでこんな少年にも「勇者様!」と可憐に言われるのなら、一千マルゴくらい取れるかもしれない……。などと皮算用した。
「ねえ君、役所はどこだかわかる?」
「僕はピーターって言います。勇者様のお名前は?」
「うん。ディナ」
(……しまった)
ディナは思わず本名を名乗ってしまった。詐欺師としてはソフィアとかアナルシアといつも名乗っている。しかし、どうせこんな小さな町はすぐに出て二度と戻らない。まあ大丈夫だろうとディナは思った。
「こっちだよ!」
ピーターは手招きしてディナを町の外壁に連れていった。その低い外壁を見て、
(やっぱりこの町は長くないな……)
とディナは思った。自分が幼い頃に暮らしていた村と同じだ。こういう備えの甘い町は魔物に目を付けられ、やがて集団の魔物に襲われる。
「私は役所に行きたかったんだけど……」
「この外壁に穴が開いてるんだよ。だから僕が見張ってるんだ」
「ピーター、あのね……」
ピーターは外壁の近くに隠してあった木の棒をディナに見せた。その棒を大上段にかざして振り下ろす。
「魔物が来たら、これでやっつけてやるんだ」
ディナはピーターに木の棒を渡されて握ってみた。よほど素振りをしたのか握りが飴色に変色している。それを片手で、びゅっ! と振ってみせてピーターに返した。自分も小さい頃はピーターのように勇者に憧れたものだ。
「魔物が来たら、大人に知らせるんだよ」
「うん! 勇者様に教えにくるね」
「勇者が私のほかにもいるの?」
ピーターは輝く瞳でディナを見つめて首を横に振った。
(いないのか……)
ピーターは他にも壊れている外壁の箇所があると言い、そこへディナを案内しようとした。しかしディナは、魔物退治は町役場に届け出なければ出来ない。武器もまだ携帯していない。そうピーターに言って町役場の場所を聞いた。ピーターには、「あなたには靴磨きの仕事があるでしょう」と帰らせた。ピーターに憧れの目で見つめられるたびに、ディナのまだ少し残っている良心が痛み、彼から逃げたかった。
町役場に行くと、気前よく前金で一千マルゴを払ってくれた。
「たしかに」
ディナは顔の半分が白鬚で覆われてる小柄な町長から一千マルゴを受け取って懐に入れた。町長はいかにも人の好さそうな笑顔で微笑んでいる。勇者が魔物退治に来てくれたのは数年ぶりとのことで、ディナの来訪を心から感謝しているようだった。
「魔物狩りは町の自警団の健児が定期的に行っておるのですが、素人なので上手くいかんのです」
町長は溜息まじりに言った。
健児という力強い響きに、すがすがしい清潔さをディナは感じた。
(出会いなんかあったりして……)
と、一瞬だけ妄想してみた。
「自警団の方が魔物狩りを……。年間にどれほどの魔物を倒されるのですか?」
ディナが思ったよりずっと安全な町のようだ。
「お恥ずかしい話ですが、この一年はさっぱりで……。しかし、だからこそ勇者様の活躍の場があります。たくさん稼いでください」
「はあ……」
(この町は危ない)
ディナはまた思った。自警団がいるというのは本当だろうか……。魔物退治の能力がなく、外壁の内側で震えているだけではないのか。その外壁もあの有り様では早々に逃げなければ自分が巻き添えになるかもしれない。
町役場で勇者登録を済ませてディナは剣を携えて宿を出た。
宿を出ると見物人の町人が集まっていて、剣を携えたディナが登場すると歓声が上がった。逃げるのは夜でいい。
その見物人の中にピーターがいて、
「勇者様! 勇者様!」
と、手を振ってディナにまとわりついてきた。
「勇者様、お願いがあります。こっちにきてください」
(また外壁を見せられるのか……)
ディナはうんざりした。前金を手に入れたから本当はすぐにでも逃げたい。しかし、初日の昼間くらいは比較的安全な外壁の内側などを見回る演技が必要だった。
ピーターは自分の家にディナを連れて行った。ピーターの家は小屋のようなみすぼらしい場所で、ピーターの老婆と妹が暮らしていた。
「勇者様だよ!」
ピーターが扉を開けるなり言うと、老婆はほとんど平伏するようにディナの前で跪いた。
「お婆さん、そんな」
ディナが老婆に手を貸して起き上がらせようとすると老婆は恐縮して後ずさりした。
「勇者様、もったいない……」
老婆の目には輝くものがある。世を救う古の勇者と現在の賞金稼ぎにすぎない勇者を混同しているようだ。ピーターの両親は商人だったが、町の近くで魔物に襲われて亡くなったのだという。貧しくて栄養が悪かったせいか妹の目は見えなくなっていた。
(いやなものを見た……)
ディナはピーターの家族を正視できなかった。古の勇者ならば、こういう町人たちの生活を一変させる活躍で世に光をもたらすのだろうが、今の勇者は単なる傭兵で、しょぼい魔物を倒して細々と生活しているだけだ。まして自分のような勇者詐欺を行う者に彼らの生活を改善させる手立てなどあるはずがない。
「ミーヤを抱いてください」
「妹さんを?」
ピーターにうながされてディナはピーターの幼い妹を抱きしめた。勇者様に力を貰う……。そんな意味があるようだ。
(とんだ勘違いだ……)
そう思いながらもディナはミーヤを抱きしめた。ぎゅっとミーヤが抱きしめ返してくる。甘酸っぱいミーヤの体臭がして、ディナはなつかしい気持ちになった。自分の幼い頃の匂いに似ているのだろうか……。
いつまでもミーヤはディナにしがみついていたが、それを剥がすようにしてディナはピーターに視線を送った。
「ピーター、魔物の見回りに行きたいから案内してくれる?」
「うん、いいよ!」
ピーターに案内されて外壁の内側を見回っていると、同じ目的の町の自警団の「健児」二人とすれ違った。しかし健児とはとても呼べない腰の曲がった老人で、二人とも剣を杖替わりにしている。
(この人たちでは魔物を倒せない……)
この一年で魔物を倒していない理由がわかった。そして、ロマンスをそこまで期待していたわけではないが、ちょっぴりガッカリもした。
健児とは
剣を持たねば転ぶたち
ディナは即興で一句浮かんだが、さすがに失礼なので口には出さない。
(誰か腕のいい勇者を手配してやろう)
大きな町で誠実な勇者がいたら、ここに来るようにお願いしようと思った。腕のいい勇者はこんな田舎の町に来なくても引く手あまただが、そこは自分が言葉巧みにそそのかしてみればいい。本当の勇者が来るまでこの町が魔物の襲撃に耐えられるかわからないが、ディナがしてやれるのはそれくらいだった。
(貰ったお金は紹介料ということで)
そう思えばディナも救われる。
外壁は低くてどう考えても危ない。また古い外壁のために自然崩壊しそうな場所もあった。
「外壁の外の森の木を伐り、その木で新しい外壁を作るんだ。そうすれば森の木々を伝って外壁から魔物が侵入できなくなるし、外壁も強いものになって一石二鳥だ。手の空いている者がやれば費用もかからない」
そんな素人みたいな意見をピーターに言うと、ピーターは熱心にメモをした。
「君は字が書けるのか」
「うん。ちゃんと町長に伝えるね」
ディナは驚いた。しかし商人の子だからそれも当然かもしれない。ディナも商人の子だったから父親に文字を教わったものだ。幼い頃、ディナは勇者になりたくて藁で魔物の人形を作り、それを木刀で朝から晩まで撃ち続けるような変わった娘だったので、ろくに父親の言うことなど聞かなかったが……。
翌朝、まだ薄暗いうちに宿の外に出ると町は寝静まっていた。
「だれもいませんかぁ? 私、町を出ていきますよぉ……」
宿の扉の外に白いポスターのようなものが貼られている。
「これは……」
ディナの手配書だった。人相書きはディナの特徴をよく捉えており、ディナの装備品の種類も正確に書いてある。ただ、手配書の名前は前に名乗っていたソフィアという偽名で、居所を訴え出た者には二千マルゴ。捕らえた者には五千マルゴ。そう書いてある。
(だれがこんなものを……)
昨日は無かった。
「ソフィア、お前はもう終わりだな」
そう背後から声を掛けられて振り返ると、商人風の男が立っていた。手に手配書の束を持っている。この男がこれを貼ったようだ。
「私、ソフィアなんて知らないけど」
「この町では『ディナ』と名乗っているらしいな」
「私と、このお尋ね者のソフィアとどう関係があるっていうの。とんだ誤解だわ」
「女詐欺師も運の尽きか」
(……こいつ、斬るか)
一瞬、ディナはそう思ったが、商人は一人で旅をするので意外と強い。返り討ちになりそうだったのでそれはやめた。よく見ると若い男で、膂力も強そうだ。
「変な噂を広めないでよね。私は真面目に働いてるんだから」
「真面目に詐欺をねえ……。おっと!」
ディナが剣に手を掛けると軽い動作で商人は飛び下がった。
「まあ、待ちな。お前の出方次第だ。俺はお前の後を付けてこの町に来たから、お前のことはなんだって知ってる。どうだ? これから、お前の稼ぎの半分を俺に渡せ。そうすれば黙っておいてやるよ。黙るとなったら俺は口が堅いからな」
薄い皮膚をした顔を歪めて商人は軽薄そうに笑う。
「失礼する。勘違いもほどほどにされるように。私は見回りに出掛けるので」
ディナは商人を置き去りにして外壁の見回りに行った。
ピーターが早朝でも外にいるかもしれないと思い背嚢を持っていなかったのが幸いした。軽装だから逃げるようには見えない。貴重品はいつも持ち歩いている。毛布などの大きな荷物は宿に置き去りにすればいい。毛布などはまた買えばいいのだ。
このまま逃げ去りたかったが商人が影のように後をつけているかもしれない。ディナは外壁を見回るふりをした。
(やっぱりここが一番危ないな……)
そこはピーターに最初に案内された外壁に穴の開いた場所だった。ディナは外壁の修理を始めた。
(どうして私がこんなことを……)
と思いながらも懸命に身体を動かす。そこへ、外壁の穴を通って魔物が侵入してきた。魔物は、昔は人に捕食されていた動物だが、古の時代、魔王に魔法をかけられて巨大化して凶暴になった末裔だ。魔物の中には人のように二本足で歩き、人間から奪った鎧で身体を覆い剣を使う者までいる。しかしディナの前に現れた魔物はウサギほどの大きさの一体だった。鋭い牙を持ち、口を大きく開けてディナに飛びかかってきたが、これくらいの魔物は旅の途中でもたまに襲われることがある。ディナは剣を抜いて魔物の身体を切り裂いた。
ディナは勇者詐欺を働いているから、こけおどしで装備だけは立派だ。一番弱いこれくらいの魔物クラスならディナでも退治できた。
ところが、魔物はパーティーを組んでいた。次々に外壁の穴から同種のウサギクラスの魔物が飛びかかってきた。外壁の穴は小さいから一度には入ってこられない。そのため、飛びかかって来た魔物を一体ずつ切り裂く動作をディナは続けた。ディナは魔物の撃退に成功した。
無我夢中だった。
気付くと、ディナの周りに魔物の死骸が八体も転がっていた。今までの人生で倒した魔物の数くらいだった。
(運が良かった……)
そうディナは胸をなでおろした。やはり、この町は魔物に狙われている。早々に立ち去らなければ自分の命が危ない。
申し訳程度に魔物が入ってきた穴を石で塞いだとき、背後でピーターの驚嘆の声がした。
「これは勇者様が倒したんですか!?」
「まあね……。こういうやつが町の中にくることがあるの?」
日頃は誰が倒しているのかディナは気になった。あの老人の見回りでもこれくらいの魔物は倒せるのだろうか。
「ううん。僕、魔物を町の中で見たのは初めてだよ」
「初めて?」
「勇者様がいてよかった。早く町長に報告しにいかなきゃ」
ディナとピーターが町長のところに行くと、すぐに外壁の周りに自警団が出動した。町の人もディナが倒した魔物を確認してディナの手柄を褒めてくれた。
(どこにこんなにお爺さんたちが)
自警団が集まってきたが、老人たちばかりでディナは呆れた。若者のほとんどが大きな町に出ていってしまったようだ。
小型とはいえ魔物八体を倒すことができた。その報酬でディナは五千マルゴを貰った。これだけあれば一年は暮らせるだろう。どこかの温泉へでも行って美味しい物でも食べようとディナは思った。
町の外壁の外にディナは見回りに出た。
(このまま消えてしまおう)
そう思った。
しかし、森の中でイノシシクラスの魔物と出合い頭にぶつかりそうになり、ディナは咄嗟に剣を抜いた。ディナの外見に騙されるのは人間ばかりではない。勇者の剣を見て逃げる魔物もいるが、この魔物は微動だにしない。二本足で立ちあがった魔物は身長が二メートル以上あり、ディナは絶望して足が竦んだ。
「笑わせるな。俺たちに勝てると思っているのか」
驚いたことに魔物は喋った。
「いくら抵抗したところで、お前たちはもう終わりだ」
そう魔物は言って森の闇に消えた。
偶然、魔物はディナを強請った商人と同じことを言った。ディナは本当に終わりのような気がして目まいでよろめいた。
ディナはあやうく命拾いをした。魔物が力を増すのは夜だ。まだ昼間だから戦いを避けたようで、ディナは町の中に逃げ帰った。
「この町は魔物の集団に狙われています!」
町役場に行って町長にそう告げると、町長は苦悩の表情を浮かべ、
「やるべし」
と言った。
「は……? なにをです」
「町の連中に武器を持たせて魔物と戦う。それしか道はないでしょう」
「そうだけど、その前に町の外壁を補修するべきです。そして、もっと勇者を集めることが肝心です。私が他の町に行って募集してもかまいません。たくさん勇者がいれば、魔物は諦めて襲ってきませんよ」
「頼りにしてます」
町長はディナの手を両手で握った。
(ますます逃げられない……)
悪いことに町長はディナの助手にディナの手配書を貼っていた商人をつけた。商人は多少の武器の扱いが出来なければ長い旅はできない。街の中は老人ばかりで、腕を見込めばこの商人が一番頼りになりそうだったようだ。
「お前が詐欺師とはこの町の者には言わない。だから、とりあえず五千マルゴ」
商人はディナに口止め料を要求した。
「二千なら……」
「五千マルゴだ」
(なんてずうずうしい……)
しかし、ばれるよりはましだ。ディナはしぶしぶ頷いた。
「お金を払う必要はないよ!」
商人に五千マルゴを渡そうとしたら、ピーターが物陰からその様子を見ていて声をかけた。このお姉ちゃんは勇者なんだ、詐欺師なんかじゃない! そう言って商人を非難する。
「ガキになにがわかる。こいつはなあ、有名なお尋ね者なんだよ。その金を手に入れてから逃げることばかり考えていたんだぜ」
ぎくり……。とディナの胸が痛む。
ピーターは商人の前で通せんぼするように両手を広げ、
「違うよ! ちゃんと魔物を八体も倒してくれたじゃないか。そのお金はお姉ちゃんの物だ! お前なんかに渡さない」
「ピーター……」
ディナはもう顔をくしゃくしゃにして泣きたい気分になった。今までこんなに自分の味方をしてくれた人なんて一人もいない。
こみ上げるものを頑張って耐えていたが、ついに耐えきれなくなってディナは泣いてしまった。耐えに耐えた分、洪水のように感情が溢れだす。
「ピーター、ありがとう。でもね、でもね、私は本当に悪いやつなんだよ~!」
いい大人の女が座りこんで両手で顔を覆い、足をばたつかせて泣き喚く。
「お、おいおい、それも詐欺師の手口かよ」
商人は困惑した。
しかしディナの演技ではなかった。
涙には感情の甘さが伴う。ディナがこの町で魔物を倒したのは事実で、ディナが詐欺師であることを証明しても、町の人は泣いているディナの味方をするのではないかと商人は思った。実際、このピーターはディナを守るようにその前に立ちはだかり、自分を射るように見つめてくる。
「やれやれ、これで終わりじゃねーぞ。今度会ったら許さねーからな」
商人はそう言って姿を消した。
「お姉ちゃん……」
泣きすぎて横隔膜の痙攣が止まらなくなったディナをピーターは心配した。
「ヒック……。私なんてね、意地悪で詐欺師で性悪で、美人じゃないし、……ブスってわけでもないけど、とにかくなんのとりえもない取るにたらない奴なんだよ。嘘つきでごめんね……ヒック……。すぐに私は消えるから、私のことは忘れてね。こんな私に関わったら君が汚れちゃう……」
「そんなことないよ。僕はお姉ちゃんが大好きだ」
「うえぇぇん。ヒック……。ありがとう。でも、私は消えなきゃだめなのよ……。足を洗って、どこかでひっそりお嫁さんでもやるよ。貰ってくれる人がいたらだけど」
「ねえ、僕のお姉ちゃんになってくれない?」
「ヒック……。お姉ちゃん?」
「悪いことをして反省してるんでしょ? 僕に謝ってくれたみたいに他の人にも謝れるよね? それならもういいよ。これからは、お姉ちゃんのものだよ」
「これから? なにが?」
意味がわからなかったが、「未来は明るい」というふうにディナは受け取った。
「ねえ、僕とミーヤのお姉ちゃんになってくれる?」
「……いいけど、良いお姉ちゃんにはなれないよ」
ディナは町長に今までの自分の悪事を全て話した。と言っても勇者を語り、魔物退治の前金詐欺をしていたくらいだが……。
「反省をしているのなら私は罪に問いません。町の者も、あなたが魔物を退治してくださったことを感謝しています」
町長は白鬚を撫でながら神妙にうなずいた。
ディナが町長に貰った前金の一千マルゴと魔物退治の報酬の五千マルゴの計六千マルゴを返そうとすると町長は受け取りを辞退した。
「そんな……。受け取ってください!」
ディナは鎧を脱いで白い服を着ている。木綿だが純白で折り目も正しく付いているから清げに見える。反省の態度を表そうと思って着た服で、そういう服装にもコロッと町長は騙されたようだ。ディナは結果的にまた町長を騙した自分が嫌になった。
「ちょ、ちょっと、なにをするんですか!」
いきなり白木綿の服を脱ごうとしたディナを町長は驚いて止めた。
「しまった……。下に何も着てなかった」
ディナは慌てて服の裾を戻した。
ディナが他の町で数人の勇者の募集に成功してピーターのいるコーサスの町に帰ってくると、町長はディナを自分の助手に抜擢した。
(私が役人か。まったくお人好しだなあ……)
ディナは呆れた。こんなに信頼されてしまっては裏切れない。
ディナも微力ながら勇者の手伝いをして、剣の稽古にも励んでいる。この町が安全になれば、本当の勇者を目指して旅に出てみたい。
ディナはピーターの家で暮らしていた。ピーターの前で泣きじゃくってから、ピーターに甘えることが多い。
「ただいま!」
とディナが帰ると、
「きょうは泣かなかった?」
とピーターが心配そうに首を傾げて聞いてくれる。それだけでディナは泣きそうになった。
「私があと八年お嫁に行きそびれたら、ピーターが貰ってくれる? そうすれば、ぎりぎり二十代でお嫁に行けるから」
「いいよ」
ピーターは意味がわかっているのかいないのか、爽やかに頷いた。