3・ピリオドショーテニング
――把持静菜、通称『恥知らずな女』は、納豆が絡まない時などは普通に話してて気が楽な相手だということは良く分かった。
昼休みの教室にて。静菜はわざわざ隣のクラスから移動して俺の席の隣に座り、一緒に昼食を食べる前にこんな会話を繰り広げた。
「――走汰さんって朝食はパン派ですか? ご飯派ですか?」
「パン派だな」
「そうですか~わたしはご飯派なんですよ~」
「ああそう。逆だな」
「でもたまにパンにするとまた違ったおいしさを味わえるんですよね~」
「ああ、たまにご飯にすると長らく忘れていた味を思い出すかのようなおいしさがあるよな」
「いやその意味はよく分かりませんけど~」
「そこは分かれよ! お互いの嗜好が真逆でも何とか共通点を見つけようとしたんだからノリを合わせろよ!」
「いや~わたし良くも良くも嘘つくのって苦手でして~」
「そこは『良くも悪くも』って言え! 短所が全くないかのように言うな!」
「ちなみにご飯派なのは勿論納豆を食べるためですよ~」
「聞けよ!」
そして聞いてないから!
――裏表のない性格なのか、突っ込みには疲れるが言ってることの殆どが本心だと分かるので、こちらも全力でそれに応えようという気にさせる、不思議な存在だった。
そんな感じで静菜の話に付き合っていると、
「……ん?」
ふと視線を感じて教室内を見渡すと、教壇付近の席を陣取っていた数人の女子と目が合った。俺と目が合うと彼女らはすぐに視線を逸らしたが、代わりに何やらヒソヒソ話を始めた。
当然声を潜めながらの話なのでその内容はよく聞こえないが、「あの恥知らずな女」とか「最悪な納豆ね」とか、そして「また誰かさんの好物を」などと、一部の単語は聞こえてきた。
……なるほどな。訳の分からないものもあったが、要するに『恥知らずな女』の異名は伊達ではないってことだ。
しかし、何も本人に聞こえるように言わなくてもいいだろうにと、俺はやや心配しながら静菜に視線を戻すが、
「走汰さんって彼女いるんですか~?」
まるで意に介していない様子で、そしてまた答えにくい質問を平気でしてくるものだから、何だか心配して損した気分だ。全く変な奴である。もはや以前出会った時からも明白だったが、かなり天然気味な奴なのは間違いない。
どう答えようか迷ったが、できるだけ曖昧にしつつ、かといって『いない』という事実に悲観しないよう軽いノリで言った。
「そ、そりゃいるに決まってんだろ? 男なら大抵の奴は彼女がいるもんなんだよ……」
心の中にな……
やや頬が引きつったのは御愛嬌。
「――なるほど、いないんですね!」
「――なんで分かんだよ!」
静菜は俺が言ってもいないことまで勝手に納得し、逆にやや言いづらそうに説明してくれた。
「物凄く不憫な哀愁が漂っていたんで分かります。走汰さん、可哀想です……」
「お前にだけは憐れまれたくねえ! その同情するかのようにわざとらしくハンカチで口元を抑えるのを止めろ!」
いや、違うんだよ。世の男性諸氏なら大抵そうだろ? 心の中に自分の完璧な理想のタイプを思い描くもんだろ? 俺だけじゃないだろ!?
俺のやや暴走気味な心の言い訳をよそに、静菜はあさっての方向を向き、何やら嫌な感じにニヤけながら不気味に呟いた。
「なるほど……じゃあわたしにもチャンスがあるんですね……『暗殺』の」
「――おい! お前今なんつった!? 何か物騒な単語が出た気がするぞ!」
静菜はキョトンとしながら瞬きを数回後、
「え……だってその……『アタック』って、そういうことなんですよね? 他のライバルより早く相手を殺した方が勝ち、みたいな」
「いやいやいや! 何のことか分からんが絶対違えよ! さらにはもう意味が分からんし突っ込みどころも分かんねえよ!」
「ふふふ~期待しててくださいね? 夜道の背後に気をつけろっ!」
「――殺されるようなことを期待できるか! そして何で満面の笑みで人殺し宣言!?」
俺は『死』に関しては敏感だから、例え冗談でも非常に怖いんだけど……
そんな話をしながら俺が一方的に疲弊していると、もう一人の親友、田口がやってきた。
「ようお二人さん。な~に相変わらずすっかり仲良くなってコントみたいな会話で夫婦漫才とか言われたりして、でも絶対オレは認めねえぞこら! 的な不快なやり取りをしてんだあ?」
「よう田口。相変わらず登場するなり不愉快かつ説明臭い長い挨拶をありがとう。お前が心配するようなことはカケラもねえから安心しろ」
会うなり憎まれ口を叩き合うのは相変わらずだが、静菜とこうして昼を一緒するようになって以来、こいつとはお互いに彼女の話題になることが増えた。
「ふ、だが覚えておけよ後前自? 先に把持と出会ったのはオレだということをな!」
「ガキかお前は」
いつ何時会ったかなんてどうでもいいし、気にするにしても僅かに俺より数時間早かっただけじゃねえか。
「あ、田口君こんにちは~」
静菜もその話題に食いつきたそうにクスクス笑っていたが、挨拶が先だと思ったのだろう。軽く手を上げて子供っぽく微笑む。
「おうこんにちは~。今日も把持は可愛いな~」
――キモッ! 会ってすぐに吐く言葉が『可愛い』て、どういう神経してんだ? あと言う奴を色々間違ってないか?
「え~やだなあ田口君、そんなことありますよ~」
「けんそ――おお!?」
多分、田口は静菜が『そんなことないですよ~』と言ったと思い、『謙遜するなって』とか言おうとしたのだろう。しかし予想外に彼女が自分で自分を褒めたため、俺の時とは違って自ら台詞を切ってしまったのだ。
田口の言葉を奴自身で邪魔させるとは、中々斬新なアイデアだ。俺も今後こいつのくそ長い台詞を邪魔するのに十分参考にさせてもらおう。
「わたしが可愛いだなんて、紀元前二千年前から分かり切ってることを改めて言われても困りますよ~」
……こいつはこいつでウザいくらいに超喜んでるし。どんだけ浮かれてんだよ。
「ま、まあいいや。じゃあ今日も、オレもご一緒させてもらってもいいかな?」
予想外の事態にやや顔が引きつっているが、田口は精一杯イケメンスマイルを作って俺の前の席を指差す。
「はい、どうぞどうぞ~。むしろ田口君を待ってたのでまだわたしたちも食べ始めてないんですよ~。それに元々お二人で食べていたのにわたしがお邪魔してるんですから、遠慮しないでください~」
こういう律義なところもあるから決して悪い奴ではなく、むしろ良い奴なのは分かっているのだが、いかんせん思い込みの激しいところとかこだわりが強烈すぎるのが困りものだ。納豆とか納豆とか納豆とかな。
田口が俺と向かい合わせで座るのを確認した後、俺たちは手を合わせる。
「では、いただきます~」
「いただきます」
「いっただっきまーす!」
この言葉を言う習慣は俺と田口にはなかったが、静菜が『食べられることの喜びと感謝を伝えるためにも言いましょう。特に納豆に!』とか口走ったので渋々従った結果である。
それぞれ静菜は弁当、俺と田口はパンの袋を開ける。
「ぐ…………っ!」
静菜が弁当箱を開けた瞬間、俺は相変わらずの異臭に顔をしかめる。
彼女の弁当には、納豆しかなかった。いや正確にはその下にはご飯が隠れていたことが箸を付けた瞬間に分かったが、そのご飯の白色が全て覆い隠されるほどに納豆を山盛りで上に乗せていた。
「はは、相変わらず把持の弁当は面白いな~」
田口、お前これが面白いで済むのか? 納豆が好きってのはもう嫌という程分かったが、だからといって学校に持ってくるまでするか普通?
「でもそれじゃ納豆の真の美味しさを味わえないだろ? やっぱりパックに入ってるのをおもっくそかき混ぜてから食うのがいいんじゃないのか?」
田口が素朴な疑問(俺にとっては超どうでもいい疑問)を投げかけるが、静菜はその言葉を待ってましたというように、隣に置いてあった袋を開けた。
「もちろん、パックも持ってきてます! さっきコンビニで買ってきました!」
――ダブルかよ!
「お~把持は流石に抜かりないなあ」
「もちろん田口君の分まで持ってきてますから遠慮なくどうぞ~」
――トリプルかよ!
「そして走汰さんの分――」
――カルテットかよ! ……あ、これはちょっと意味が違うか。
「――は、ないですよ?」
――そしてないのかよ! フェイントかよ! いやその方がありがたいけども!
……というかさっきから俺は突っ込みしかしてないな……しかも心の中限定で。
「へ~また持ってきてくれたのか。ありがとな。やっぱ把持は良い奴だし可愛いよなあ。とても気がきくっていうかさ~きっとオレたちが並んだらそりゃあ美男美女のカップルに――」
「――はいっ。どうぞ田口君。遠慮なく食べてくださいね~」
「――え……あ、ああ…………あれ……なんか既視感が……」
……気のせいじゃないぞ田口。どうやら静菜もお前のくそ長い台詞は好きじゃないみたいだぞ? 前半の言葉は嬉しそうだったけど、後半の台詞に移行した途端に嘘臭い笑顔を保ったまま全力で邪魔したからな。
グッジョブ静菜! ちょっと見直したぞ。お前も既に田口の扱い方を心得てるようだな。
俺が心の中で静菜に称賛を送るのをよそに、田口は気にしないように改めて納豆に向き直る。
「ま、まあいいや。遠慮なく頂くぜ! この開けた瞬間のにおいが最高だよな。そして思いきり混ぜながらその美味しさと納豆菌を堪能するとか、ご飯やパスタにぶっかけるのもいいよな~」
――おい、静菜! 今の台詞は途中で切るべきだろ? こいつの面倒くさい長い台詞をさっきと同じように言葉を挟んで止めてくれよ。
「そうですよね~やっぱり納豆は最強ですよね~。あ、田口君、練って混ぜるのは数百回以上じゃないとダメですよ~?」
こ、こいつ……大好きな納豆の話題だと田口の台詞でもまともに聞くのか?
「え、そんなにか? オレ今まで数十回ぐらいしか混ぜてなかったよ。やっぱり納豆のことはかなわないなあ。はははっ」
「納豆は混ぜれば混ぜるほどいいんですよ~その分粘り気が出て美味しいですし、納豆菌もより味わえて健康にも良いんですよ~」
どうやら無差別に田口の台詞を強制停止させる俺との違いは、ここにあるようだった。自分の好きな話題は例外ということか。
「そっか。じゃあどんどん混ぜちゃうぜ! いやあ、やっぱり納豆に詳しい人がいるといいよなあ。あ、そうだ、ここまで気が合うんだし、いっそオレと把持のハートも混――」
「――田口君! 納豆を混ぜる手が止まってますよ! 美味しい納豆を食べるためには妥協は一切許されません!」
「あ、ああ。すみません……」
なるほど、自分的に不快な話題だと俺と同様らしい。まあ田口の納豆に対する手抜きを怒ったのも本心だろうけど……
しかし、そんなことより何よりも……
「おい、そこの納豆バカ共。いつまで俺をほっぽって納豆談義に浸るつもりだ。死ぬほどどうでもいい話題を延々と続けるんじゃねえ」
正直、納豆の話をされると凄まじくつまらない。なに? 新手のハブリですかこれ?
すると、静菜と田口はそろって唇を嫌な感じに歪めながら、
「あ、すみません~走汰さんは『アレ(隠れ納豆大好き少年)』だから堂々と話題にハイレナイんですよね~うっかりシテマシタ~」
「そうだよな~後前自は『アレ(納豆大嫌い少年)』だからこんな話題ツマンナイよな~ごめんごめん、うっかりシテタゼッ!」
「…………」
……俺にはこいつらの台詞の『()』の中身が丸分かりである。そしてお前ら棒読みにも程があるからな?
そう、先日静菜に出会った際の俺の気遣い的な嘘のせいで、彼女には未だに俺が『隠れ納豆大好き少年』だと思われている。ついつい彼女を悲しませたくなかったために自分でそんな設定にしてしまったのだ。
以降、『隠れ納豆大好き少年』として認識されているわけだが、それを踏まえて彼女に必死の説明をした甲斐あってか、『隠れているのだから、堂々と納豆の話もしないし、食べもしない』という設定を上手いこと教え込み、俺に無遠慮に納豆を勧める行為を戒めさせている。
……そんな嘘はすぐにバレると思っていたのだが、俺の前ではあからさまに納豆の話をしなくなったため、未だにその嘘は健在である。おかげ様で騙し続けることへの罪悪感が発生する程にまでなったので近いうちにそれを打ち明けなければならないのだが、かつて親友と似たようなことで疎遠になった経験から、中々言いだせないでいるのが現状だ。
一方で、田口には静菜と出会う前に俺が納豆嫌いという事実を打ち明けているが、こいつはこいつで俺の前でわざわざ俺の嫌いな納豆の話題を提供するほど悪い奴ではない。故に静菜と田口の俺に対する認識は違うのだが、それでもそのことをお互いに言わないため、暗黙の了解のせいで一見話が噛みあっているのだ。
「ごめんなさい走汰さん~もう二度とこんな話題は出しませんから~」
「悪かったな後前自~お前がアレだってことをすっかり忘れててさ~」
……が、俺をこうしてからかう目的でその話題になることがある。二人の俺への認識は違うものの、俺がその話題に入ってこれないということだけは共通で知っているから、わざと納豆の話をして俺を困らせようという魂胆だ。
「……じゃあ、一刻も早くその話題を終わらせてくれるか?」
もう十分俺を困らせたから満足だろう? そしてその納豆をかき混ぜる手を一刻も早く止めて、速攻で食って俺の視界からその不快な物体を消し去ってくれたら尚嬉しいんですけど……
「え~? せっかくなんですからもっと語り合いましょう~? 納豆の歴史からでもいいですし~ちなみに平安時代には既に存在していたらしいですよ?」
「そうだぞ後前自? たまには一日納豆を語り合うのもいいだろ? ちなみに関西人はあまり納豆を食べないらしいぞ?」
「それは違いますよ田口君。確かにそういうお声も聞きますけど、納豆好きな関西人の友達もわたしにはいますし、一概にはそうとは言い切れません。何より『関西人=納豆が嫌い』というレッテルを貼ってはいけませんよ~。そうじゃない人だってたくさんいるんですから偏見でモノを見ちゃだめです。関西人に謝ってください!」
「――え……ご、ごめんなさい」
……お前の怒る基準がよく分からん。
しかし、田口はめげずに切り返す。
「じゃあ、何で納豆が健康に良いかって話はどうだ?」
「あ、いいですね~色々ありますけど、まずはタンパク質が豊富ですし、血液凝固因子に必須なビタミンKが入っていたりナットウキナーゼという酵素が含まれていたり食物繊維としても有用だったり、あ、ポリグルタミン酸というのもあってですね……」
こ……こいつら……特に静菜! 死ぬほど興味ないことをベラベラと……! しかもその恐らく横文字で書くであろう物質が何なのかがさっぱりだ!
「――て、てめえら……いい加減に……!」
そうして俺はいつかと同様に恐らく凄まじい形相をしてみせる。目と口をがぱっと最大級まで開き、「ごはぁ~」と従来のものよりさらに怨念を込めた呼吸音を発生させた。
「――うお! こ、後前自! またお前はそんな顔を! というか把持の前でよくそんな顔が出来るな!」
そう、いつか田口には『般若』、父には『金剛力士像(つまり仁王か)』と言われたあの恐ろしい表情だ。これならいかに静菜といえどもその不愉快極まりない話題を中断せざるを得まい。ざまあみろ。
「わ~可愛いですね~。猿みたいですっ!」
「………………」
撃沈。
……お、俺の魂がこもった今のところ生涯最大の威嚇顔が猿だと!? まさか田口や父にやった時とは微妙に顔が違っているのか? いやそんなバカな、現にさっきだって田口は凄まじくビビってたじゃねえか。ならやはりその表情を見た者の感性とでもいうのか?
……だとしたら、般若に見えて仁王に見えて猿にも見える顔ってどんなだよ、想像もつかねえよ。
……今度鏡で見てみよう。あるいはアイマイフューチャー内での『俺』に頼むのも一興か。まあ不可能な上にまず行きたくないけど……
「でもでも走汰さん、あまり主人公がそんな顔してちゃ駄目ですよ?」
「そうそう、たいして格好良くもない顔がさらに……――って主人公って何――」
「――そうだ! 田口君に走汰さん! 今日学校終わったらスーパーに行きませんか?」
また最高のタイミングで田口の台詞を邪魔した静菜は、突然そんな提案をし出した。
「また唐突に何言ってやがる……そして何故にスーパー?」
何だかあまり良い予感がしないので不安げに訊くと、静菜は少々言いよどみながら、
「いえ……特に理由はないんですが……強いて挙げるなら、納豆を買うためです」
「――強いてというかそれが目的だよね!?」
――もう分かってたよ! 俺突っ込みの準備万端だったよ!
なのに、俺の万全態勢の突っ込みも空しく、
「……ああ、じゃあ、デパートに行きませんか? わたし的には食品売り場があるならどこでもいいんですよ~。デパートならその後で家電売り場とかゲーム売り場とかも見られますし、どうでしょうか~?」
「へえ……それならいいじゃん。色々見て回れるわけだし、ついでにゲームセンターにでもよったりしてさあ、どうだ後前自?」
最後の決断は俺に委ねるべくこちらを振り返る。珍しく二枚目半くらいのマシなツラで。
いつも俺はこういう誘いには付き合いが悪いから、田口はこの時ばかりは嫌なくらいに空気を読んで、そして俺の心情を話してもいないのにある程度察してくれている。
全く、普段はどっかのエロ親父みたいに間抜けな顔をするくせに、こういう時だけは本当にウザいな。いつもの三倍くらい。
……これじゃ、断れない雰囲気満載じゃねえか。
「……分かったよ。んじゃまあ、放課後に行くか」
「ほ、ほんとですか!? ありがとうございます!」
とんでもなく嬉しそうだった。
「はは、よかったなあ。把持」
「――はいっ!」
子供さながらに大げさな喜びようと、頭の癖毛をぶんぶん揺らしながらの最大の頷き具合だった。
……悪くはない。ああ、本当に悪くないよ。最近のゲームやら電荷製品がどこまで進化したのか見るのも一興だ。まあ我が家は見ての通りの変な家であまり裕福でもないので現時点の俺の小遣い百パーセントな所持金は雀の涙ほどしかないわけだが(また明日のパン代を親父に要求せねばならん)、こういうのは見るだけでも楽しいものだ。ウインドウショッピングというやつだ。それだけだ……他意はねえよ。
――でも……こいつらにもいつかは……俺と一緒に居たら迷惑を……
……ならば、その前に……――
そんな愚か極まりないことを思い耽っていると、
「――本当に嬉しいですっ! じゃあ、納豆を二十パックくらい買っていいですか!? あ、でも三個セットなら二十一パックですけど~」
…………………………全く、悪くねえよ。
*
――でも、結論から言うと、悪かった。それ以上の何ものでもなかった。いや、確かにそれ『以上』に『最悪』ではあったが……
放課後、学校からそのまま大手デパートに俺たちは向かったが、その途中、学校方面とは反対側の大通りの歩道を歩いていると、非常に大きな交差点に差し掛かった。
「あ、まずここで一個だけ納豆買っていいですか~?」
交差点に視線が集中していた俺と田口を呼び止め、そのすぐ脇の建物を指差す。
「え? このコンビニ?」
田口がやや拍子抜けしたようにそのコンビニエンスストアを指差す。
「はいっ! デパートの納豆もおいしいですが、このコンビニの納豆だって負けてないんです。今日はとにかく出来るだけ色んな種類の納豆を買って帰りたいので、先にここに寄っていいですか~?」
「ああ、いいけど、ホント、お前どんだけ納豆好きなんだよ……」
「宇宙一好きです!」
いや真正直に答えなくていいから。ていうか宇宙一て……突っ込みどころに困るが、大きく出たなおい。
「じゃあちょっと買ってきますね~」
そう言って静菜は出入り口の自動ドアから店内へ入っていく。
「変わった娘だよな。ホント」
俺の隣で、店に入っていく静菜を見送る田口がふと呟いた。
「そうだな。あそこまで変な奴もそうはいないな」
何が、とは言わないが激しく同意できる内容だったのでそう答えた。
「そう言えば知ってるか? あの娘って妹がいるらしいぜ! しかもあの納豆好きは妹さんの影響なんだってさ! 本人があんなに可愛いんだからきっとその妹さんも絶対に可愛いに決まってるぜぐへ――――」
「――あれ?」
何やら田口が一瞬気になる話題をふりつつ不快な笑い声をあげていたが、静菜が目的の納豆が置いてある売り場まで移動するのを外から見ていた俺は、どうしてか、急に違和感のようなものを覚えた。
「どした後前自?」
田口が一瞬前までしていたセクハラ親父のような顔を止めてこちらを振り向くが、自分でもその違和感の正体が分からないので『どうした』もこうしたも答えられない。
「いや……別に……」
曖昧に答えるが、それでも俺のこの違和感は……いや、これは違和感というよりも――
「――既視感……か?」
そうだ。このコンビニ――まずは、入ってすぐのレジ横を通り過ぎて、その最奥にある売り場へ。そこには乳製品、漬物、豆腐などのいわゆる日配食品が置いてあり、その近くの売り場にはパックジュースなどのチルド飲料が置いてある。
そして、日配食品売り場には納豆も置いてあり、店内の静菜は迷わずその発泡スチロールのパックを一つだけ取り、レジまで持っていく。
買い終わった静菜は俺たちの元へ戻り、
「お待たせしました! あ、走汰さん、これ持っててください~」
今買ったばかりの納豆が入った袋を俺に押し付けてくる。
「……何故に?」
当然俺はそう問う。嫌いな品なんだから、持つのも嫌というのは必定だろう?
すると静菜は笑いながら、田口に聞こえないよう耳打ちした。
「堂々と食べられない走汰さんの為に、『せめて持たせてあげよう』というわたしの気遣いですっ」
……超嫌がらせな気遣いをありがとう。
「では行きましょうか~」
改めて前方のでかい交差点を示し、向かい側へ渡ろうとする。
「あいよ」
田口もその後ろに続いたが――ちょっと待てよと、俺は内心警告する。さっきのコンビニといい、引っ掛かっていたこと。
――そこは……お前ら、何か忘れてないか?
――思い出せよ。俺も思い出してくれよ。頼むから。思い出さないと、多分絶対後悔するぞ? だから、頼むよ……!
――ここは、何かがあったんだよ!
――ズッ……
「――――――――なっ!」
前方の空間が――俺を置いて歩き出していた前の二人が歪んだ。そいつらはもはや人間とは思えないぐらいにグニャグニャと揺らいでいき、そして――辺りは全てを飲み込む暗闇へと変貌する。
「アイマイ……フューチャー」
俺が持つ特殊な予知のような現象。いつだって俺の意志とは無関係に、俺の意思とも無関係に、俺の都合なんてさらに無関係に現われる、この事象。
「――なん……で」
思わず呆けたように呟くが、そんな俺を置き去りに、アイマイフューチャーは進行する。
「……っ」
……そうだよな。俺がどんなに困惑しようが絶望しようが、これは勝手に進むんだよな。なら、今だけは冷静にならないと……!
やがてこの空間上の主役である『俺』が姿を見せた。
今日の『俺』は前回とは比較的にマシな面である。目の下の隈はなくなっているし、癖毛のツンツンはどうしようもないが髪型の寝癖は完璧に直っているし、いつもの制服の乱れはほぼ皆無である。
……それはそうだよな。
納得しつつも、いつものように『俺』の行動を眺めた。
――そして、戦慄した。恐れおののいた。
「―――うっ……!」
凄惨な映像に吐き気がした。
でも、ここで打ちひしがれるわけにはいかない。俺の選択は、これを回避できるのだから……!
――ズズッ……
アイマイフューチャーの世界が明ける。周囲の景色や音が蘇る。やがて前方の二人の背中も完全に見えるようになってくる。
――落ち着け……まずは全力で走って……
まだ現実世界の時間は止まったままなので、それが動き出した時に備えて身構える。もうあの四択の中でどうするか、どれにするかは決めていた。
迷うまでもなかった。
――ついに元の世界が完全に復元され、俺の前に居た二人、静菜と田口が再び歩き出した。
「――ばかやろう!」
俺はすかさず全力疾走でその背を追いかけて、その両名の首根っこに腕を回す。田口は無駄に身長が高いのでやや腕を伸ばさねばならない。めんどくさい!
「――えっ! なに――」
「おわあっ! おまえ――」
二人が何かを言いかけたが無視する。そのまま回した腕で、渾身の力でこちらに引き寄せて俺ごと手前に倒れこんだ。
「――ほわっ!」
「――ぐはあっ!」
それぞれ、両者が『らしい』悲鳴をあげた。今の状態は三人で『川』の字になって仰向けに倒れている形だ。
そして――さっきまでの二人が居た空間、交差点の車道には猛スピードで走行する車が行き交っていた。
丁度二人をその場から引き寄せた直後に相当なスピード違反車が俺たちの目の前を勢いよく通り過ぎた。あのまま二人がこの交差点を渡っていたらきっとタダでは済まなかっただろう。その具体的な内容はさっき見たから思い出したくもない。
「――え……これって……走汰さん?」
「どういう……こった?」
未だに三人で川の字で寝そべりながら、俺の両隣の二人はさっきまで自分たちが居た場所を眺めながら呆然と呟いた。
――そらそうだよ。何故ならここには、歩行者側の信号も横断歩道もないのだから。
片側三車線のこの車道は非常に広く、眼前に展開されている交差点はあらゆる道が合流する地点でもあるため、歩道側には信号も横断歩道もないのだ。
その為、歩行者はすぐ脇に架かっている歩道橋を上り、上伝いに向かい側へと渡らなければならない。
そのことをうっかり失念していたのか、それとも単に歩行者が自由に行き交える交差点と勘違いしたのか知らないが、二人は――さらにその時はたまたま運悪く交差点に車の影が一台も見えなかったので、普通に渡り始めてしまった。
しかし、スピード違反車の速度を舐めてはいけない。この道路は法定速度が六十キロだが、今通り過ぎた車は軽く九十キロは超えていた。それ程の速度なら渡ろうとした際に車が見えなくても、離れたところからだって直ぐに目の前には辿り着けるのだ。その割には渡ろうとした二人に対してブレーキを踏む様子すら見せなかったことに憤りも感じたが、今の俺はそれどころではなかった。
――ここは……いつか俺が…………事故に遭った……場所だ。
そうだ、家や学校がある地域からは正反対の場所の為、俺は滅多なことではこちらの道は訪れない。あとはそれ以上に――過去に最大級の嫌な思い出があったこの場所を無意識の内に避けていた、というのも多分にある。そして記憶の奥底に封じ込めて、忘れていた。忘れようとしていた。
そのため、静菜がコンビニに入った直後から妙な既視感を覚えていたものの、直ぐには思い出せずにいた。
……でも、思い出せた。直前でアイマイフューチャー現象を見てしまったため、何とか最悪の事態は避けられた。また危機を脱することが出来たのだ。
しかし……
「走汰さん? だ、大丈夫ですか? お顔が真っ青ですよ!?」
「どっかぶつけたのか? 頭か?」
――――巻き込んだ……!
心配そうに話しかけてくるこいつらを……俺は……危険にさらしてしまった。
先日静菜に会った時にも……巻き込まないと約束したばかりなのに……! 大事な友達を――巻き込んだ!
「ごめん……今日はもう……デパート……行けねえわ」
申し訳ない気持ちで一杯になりながら、ようやく俺は立ち上がる。
「――え……! ど、どうしてですか!?」
静菜も田口と共に立ち上がり、慌てた様子で俺の顔を覗き込む。
「悪いな……急に体調が……な。さっきから眩暈と吐き気と頭痛がひどいんだ……」
俺はその視線から顔を背けながら、内心歯噛みしつつ答える。すると田口が妙に納得したように頷いた。
「――ああ、そうか。そうだよな……さっきから顔色も酷いしな。分かったぜ」
「――えっ……でで、でも……そんな……!」
「落ち着けよ把持。後前自が体調悪いって言ってんだ。どう見てもあいつの顔色悪すぎだろ。そんな時に無理強いはできねえ。そうだろ……?」
「あ……」
静菜は田口のなだめでようやく『無理』ということに気付いたらしい。今の俺に匹敵するくらいの申し訳なさそうな顔をして、
「――ご、ごめんなさい……走汰さんの体調が悪いのに……わたし……自分のことばっかりで……ごめんなさい……」
今にも泣きそうな表情で体を震わせた。どうやら、今日という時間を本当に楽しみにしてくれていたらしい。その顔と涙声で痛いほどよく分かった。
「………………っ」
ずるいな。女の武器出しやがって……! これじゃ、俺が最低最悪の奴みたいじゃねえか。まあ、あながち間違いでもないけどさ……
「…………じゃあ、俺……もう帰るな」
「おい後前自!」
「……なんだよ」
逃げるようにその場を去ろうとした俺に、田口が『待った』をかける。
「――また明日……な」
「――――――っ!」
こいつは――――本当にこんな時だけ…………殺意を抱くほどに…………察しがいいな。
「そ、そうですよね……また明日……」
静菜も顔を強張らせながらではあるが、再び笑顔をみせた。一筋の希望でも見つけたのだろうか。
――ならば、俺はこう答える。
「ああ、じゃあな」
踵を返し、二人に背を向けた。
――しばらく歩きながら、振り返る。あいつらの背中が遠くなり、やがて見えなくなる。遠近感のせいだとは思うが、その背中は非常に小さく見えた。
そして、奴らが見えなくなってからは、全力で走った。
「ちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうこのくそったれが……なんでだよちくしょうなんでこうなんだよちくしょう……この……くそが…………」
ぶつぶつと、走りながらまるで呪詛のように絶えず俺の口から漏れだす言葉。
ああ、止めようがねえよ。どうしようもねえよ。こんなにも打ちひしがれている状態なんだからいいだろ? 人間年中元気でいられるわけじゃないんだからさ、いいだろ? たまにはこんな暴言吐いたっていいだろ? ストレス発散ってやつだよ。なあ、いいだろ? 頼むよ。今だけは許してくれよ。なあ? はは、誰に言ってんだかな。ついにおかしくなったのかな、俺。
「……ちくしょう」
――さて、非常に不本意ではあるが、ここらで俺が先程アイマイフューチャーの空間で見たモノをお知らせしておこう。『俺』が現われた直後の行動とその一部始終を。ちなみにあの二人が交差点を渡ろうとした直前の『俺』の行動である。
1.『俺』は何かを思い出そうとしていたようだが、結局気付かずに前の二人を追いかけて一緒に歩いていると、恐らく交差点に差し掛かったところで突然車が突っ込んできて『俺』を含む三人が重傷を負う。特に右端を歩いていた静菜が一番の重体だった。
2.1と同じ展開になるが、途中で静菜があの交差点のカラクリに気付いたのか、『俺』と田口を元に居た道まで突き飛ばす。おかげで『俺』と田口は無事だったが、静菜は逃げ遅れて1以上の衝撃を受け、もはや虫の息だった。
3.またもや1と同じ展開だが、今度は田口が交差点の異変に気付いたのか、2の静菜と同じ行動をする。そして、重傷度も今にもその生涯を終えそうなところまでもが同様だった。
4.『俺』自身がようやくあの交差点での最悪な出来事を思い出したのか、二人を全力で追いかけてこちらに引き寄せ、三人が交差点の手前で共に倒れ込む。直後、渡ろうとしていた交差点には時速八十~九十キロにも及ぶスピード違反車が勢いよく通過していた。
――もはや明白のことだろうが、実際の俺の未来は4になった。
4以外、認められなかった。どうしてこんな悲しい未来を見なければならないのか、訳が分からなかった。
例え疑似体験とはいえ、親友があんな目に遭うのを見るのは最悪な気分だった。思わず吐きそうになった。
だから、もう迷う余地はなかった。俺はアイマイフューチャーの世界が明けると共に、全力で4の未来を勝ち取った。
――でも……さ、それ以上にさ……
俺はようやく走るのを止め、嗚咽を堪えるように俯く。
「あいつら……どんだけ良い奴らなんだよ…………」
2と3の未来を思い出す。
自分を省みずに、命をかけてまで『俺』たちを助けた静菜と田口の行動を見ると、あいつらがどれだけ良い奴か、そしてどれだけ俺たちを想ってくれているかがよく分かった。
――だから……そんな良い奴らを、巻き込めない……
もう、あんな辛い映像は見たくない。そして、それが現実に起こるところなんて死んでも見たくない! だから……!
もうあいつらとは、一緒に居られない。今回のことでそれがよく分かった。
いつまた今回のようなことが起こるかが分からない今、あいつらにとって俺と一緒に居ることは危険以外の何ものでもなかった。
「……これから、どうなんのかな」
先行きの見えない不安。それはもう一つの問題点からも言えること。
――今日は……まだ五日目ということだ。
前回のあの静菜との遭遇から、今日でまだ五日しか経っていないのだ。
そう思うと、静菜とはたった五日で――正確には土日を挟み、学校で会えたのは実質三日だというのに――あそこまで仲良くなれたのが信じられなかった。
もう、あいつはずっと前からの付き合いのような錯覚さえ起こさせる。俺と、田口と、静菜。この三人でつるむのが当たり前のように思えた。たった五日でそれ程の仲になっていたことに、ただただ驚くしかなかった。過去の自分が見たら、卒倒していたかもな。
だが、問題はそこではない。あの静菜との遭遇からまだ五日しか経っていないのに今回の災難が起きたということ。
それは今までの最短だった一週間をついに下回ったことを意味する。こんなことは一度もなかったのに、こんな記録の更新なんて有り得て欲しくなかったのに……
これで、本当の意味で俺に安息は無くなったと言える。
確かに今までどおりの理屈でいうなら、この不幸期間が単に七日から五日に短縮しただけだ。その場合、以降次の五日目までは安泰ということになるが、事はそう単純ではない。
今回のようにまた『期間短縮』がないとは言い切れないから。
ひょっとしたら、次の災難は五日後ではなく三日後かもしれない。最悪明日や今日この後かもしれない。
そう思うと、もはや二重の意味で静菜と田口とはもう一緒に居られないということを意味していた。
……ああ、もう認めてしまうが、今日の俺は浮かれていた。油断した。まだ五日しか経っていないから、静菜と田口の誘いを受けても大丈夫だと確信してしまったんだ。
俺みたいな厄介者でも、誰かと一緒に出かけられると思って嬉しくて仕方がなかったんだ。今日のさっきまでの時間を楽しみにしていたのは、あの二人だけじゃなかった。他ならぬ俺も同じだ。実は一番楽しみにしていたのも俺だったのかもしれない。
だから、それによって今回の俺に与えるダメージは心身共に大きかった。
――今回の期間短縮は、これまで俺が築き上げてきたこの不幸との付き合い方を、粉々に打ち砕くものとなった。
後に残るのは、絶望、虚無など、きっとそんなよろしくない感情ばかりだろう。
もう、どうしようもないから。
後は静かに呼吸だけして生き永らえるか、それとも…………
いや、今はまだ考えるのはよそう。
考える時間は、残念ながらいくらでもあるのだから……
「はは……は」
乾いた笑いが漏れた。
――もう、どうにでもなれよ。