第2章 月の森の真実 ~その3~
「こんな魔法があるのか!」
面白い魔法が頭の中に流れ込んできたワタルは、意味はわからないもののマビノギオンに記してある通りに、拾った小枝で地面に魔法陣を描き始めた。
得られる効果はしっかりと把握している。
魔法が発動したときのことを想像し、ワタルはニヤニヤと頬が緩んでしまう。
ほどなくして、その幸せな作業を中断させる闖入者が現れた。
「こちらにおられましたか、ユーフェミア様」
馬に跨り、颯爽と登場した騎士然とした男の名は……、
「モードレッド! 無事だったのですね!?」
先ほど話題になっていたユーフェミアの婚約者である。
見知った顔で安心したユーフェミアは、モードレッドのもとへ駆け寄った。
一方的に決められたとはいえ、仮にも婚約者だ。
憎からず思っているのだろうし、こういう状況でもある。
ユーフェミアの目には、さぞかし頼もしく映っているに違いない。
「ユーフェミア王女の婚約者ってことは、かなりの地位にいる人なんだよね?」
地面に魔法陣を描く作業を再開させ、ワタルはイゾルデにしか聞こえないよう小さな声で話しかけた。
「モードレッド卿はアルビオン王国でも1,2を争う有力諸侯の1人だ。国王の信頼も厚く、よく政においても相談に乗られていた」
「まあ、王女の婚約者に選ばれるくらいだしな」
ワタルは手を休めるどころか、むしろ魔法陣を完成させることを急いだ。
半ば逃避しているように見えなくもない。
ここで休息を取るという判断が誤りだったと悟ったからだ。
「失敗したな……」
ワタルは溜め息と苦笑を同時に吐き出した。
事情を知らない第三者が見たら、魔法陣を描く事に失敗したのかと勘違いしただろう。
「すまない、ワタル殿。本来ならば、私が気付かないといけなかったのだが」
沈痛な面持ちのイゾルデの声には、苦い翳りがあった。
ローエングリンに対するワタルの質問の真意に辿り着いたイゾルデには、何が失敗だったのかすぐにピンときたのである。
「感動の再会の最中に悪いんだけど、いいかな?」
ようやく魔法陣を描き終えたワタルは、どっこいしょと年寄り臭く立ち上がった。
これこそ、
「しんどいわ、タルイし」
とのたまう場面だが、そうはしなかった。
何かにつけて噛みついてきたクラスメイトの女子生徒とは違う、本気になれる女性がすぐ傍にいるからだ。
声が届いたユーフェミアとモードレッドが、訝しげな顔をこちらに向けている。
それを了解と受け取ったワタルは先を続けた。
「ユーフェミア王女。婚約者のモードレッドと、命を賭してあなたを助け出した俺達と、どっちを信じる?」
ワタルの口調は何気ないものだったので、最初ユーフェミアは世間話でも始めたのかと勘違いしてしまう。
何を問われているのか理解したとき、ユーフェミアはワタルの方に向き直った。
「それはどういう……」
「どちらか選べと言っているんだ!」
困惑の色を浮かべるユーフェミアの言葉を遮り、ワタルは鋭い声を重ねた。
あまりの豹変ぶりにユーフェミアは体が竦んでしまう。
「どこの誰かは知らぬが、王女に対してその態度は無礼であろう?」
騎士らしく、モードレッドは肩を震わせているユーフェミアを庇った。
その様子にワタルは失笑を禁じ得ない。
「国を裏切った奴がよく言うぜ。ちゃんちゃらおかしい」
ワタルの発したその言葉が、ひんやりとした感触をもって胸に落ち、ユーフェミアの目を覚まさせた。
「私が裏切り者だと? 冗談も休み休みに言うのだな」
処置なし、という表情でモードレッドは取り合おうともしない。
「ティンタジェル城には多くの守備兵が残されていました。それこそ籠城さえすれば数か月は持ちこたえられるほどに。なのに何故です、モードレッド卿。何故、城から出陣しての野戦を国王に勧めたです?」
国王に翻意させようとして、そのときはまだ恋人であったトリスタンが懸命に諌めていたのを、イゾルデは王宮の片隅から指をくわえて眺めていたのを覚えている。
「その結果、我がアルビオン王国軍はベイドン平原の戦いに惨敗を喫した挙句、国王は討死し、王都も占領されてしまった……」
あまりに無力であった己の不甲斐なさに、イゾルデはわなわなと握りしめた拳を震わせた。
多くの将兵がティンタジェル城に帰還することも叶わず、非業の死を遂げたのだ。
その中にはイゾルデの恋人だったトリスタンも含まれている。
過去形で言わなければならないのが辛いところだった。
「まさか王女の婚約者が裏切るとは、噂のローエングリンさんも予想できなかったわけだ」
あっけらかんとワタルは言い放つ。
モードレッドの裏切りというのは、あまりにも酷というものだ。
誰だって夢にも思わないだろう。
「アルビオン王国を裏切って、私に何の得がある?」
勝手に裏切り者に祭り上げられ、さすがに不快に感じたのかモードレッドが剣を宿した瞳で睨めつけてくる。
だが今しがたの台詞が出た時点で、フラグが立ったようなものだった。
ワタルは受けて立つ。
「国王は死に王弟ローエングリンが不在の今、ユーフェミア王女と結婚すれば、あんたがアルビオンの王様さ。傀儡とはいえね。そのうえでローエングリンを排除したのち、北海帝国を追い返せば盤石さ。ま、あのジークフリートが好きさせるとは思えないけどね」
長広舌をふるい喉と唇が乾いたワタルは、リュックサックからペットボトルを取り出し水で潤した。
「というか不在時を狙って勝負に出たというのが真相か? 国王が死んだら、国民は次の王にローエングリンを押すはずだ。そうしたら王弟の血筋が正当になり、王女の婚約者のあんたに順番が回ってくることはない」
煎じ詰めればローエングリンが生きている限り、モードレッドに国王の目はないのである。
ならば実力で王位を奪い取ることを考えても不思議ではない。
そしてモードレッドはそれを実行した。
「感謝してくれよ? ジークフリートが殺そうとしていたところを、無事に助け出したんだからな」
ワタルは痛烈な皮肉を浴びせる。
あのとき少し遅れていたら、ユーフェミアはこの場にいなかったはずだ。
そうしたらモードレッドの野望も潰えていた。
ただの裏切り者として後世に名を遺したに違いない。
その可能性は今も残っているわけだが。
「モードレッド卿。確かあなたの領地はティンタジェル城の北部、ちょうと北海帝国への経路上にあったはずですが、この状況下に領主不在で大丈夫なのですか?」
イゾルデの指摘はもっともなものだった。
北海帝国へ向かう経路上ということは、逆に言えばティンタジェル城への侵攻路にあたるのだ。
これまで大人しく会話に耳を傾けていたユーフェミアも、モードレッドに疑惑の眼差しを向けるようになった。
「何を置いても王家の窮地にはせ参じるのが騎士たる者の、貴族たる者の当然の務めだ。私はそれを果たしているに過ぎない!」
モードレッドは事前に用意してあったであろう、非常に立派な演説をぶつ。
その鉄面皮はいささかも崩れた様子を見せず、大した役者ぶりといえた。
「確かに全部、状況証拠だしなあ。そもそも決めるのは俺でも、イゾルデさんでも、あんたでもない」
真摯な面持ちでワタルは、じっとユーフェミアを見据える。
どちらを信用するかのか、下駄を預けたのだ。