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第2章 月の森の真実 ~その2~

「なんだ、そういうことだったのか」

 騎士として育てられたイゾルデは、恋人だったトリスタン以外の異性に目など気にしたことがなかった。

 体に触れてきた不埒な輩に、しっぺ返しを喰らわせたことなら枚挙に暇はないが。

「19と行き遅れた私で興奮できるのなら、別に裸を見られても構わないがな」

 大人の余裕からか、イゾルデは嫣然と微笑む。

 ワタルは肩をすぼめ、ますます縮こまってしまう。

「イゾルデ! あなたはもう少し慎みなさい!!」

 潔癖症のユーフェミアから鋭い叱責が飛んだ。

「これは失礼を。将来を約束されたユーフェミア王女とは違い、私はいまだ結婚もできず、男に餓えております故、ひらにご容赦下さい」

 イゾルデの口調は丁寧だが、その内容は辛辣なものだった。

 王女に対して、そのような態度をとって大丈夫なのだろうか?

 はたから見ているワタルの方がハラハラしてしまうほど、2人の間に険悪な空気が流れていた。

「モードレッドとの婚約は王である父が決めたのであって、私の一存ではありません」

 意外なことに折れたのはユーフェミアの方だった。

 一国の王女ともなれば恋愛もままならない事情は理解できるが、2人の力関係は全く窺い知ることが出来ない。

「ですが、その父は死に王都も陥落した今となっては、それも解消されるでしょう……」

 ユーフェミアは儚げな色に染まったまなこをそっと閉じた。

 父親と、その父親が決めたとはいえ婚約者を同時に失った悲しみがどれほどのものか、ワタルには想像もつかない。

 同じ事をイゾルデも思い至ったのだろう。

「私も少々口が過ぎました。お許しください」

 すっかり鎧に包んだ身で片膝をついて、イゾルデは頭を垂れる。

「今の私には頼れる人がイゾルデと、そしてワタル様しかいません。どうかよろしくお願いします」

 ユーフェミアは静かにお辞儀をした。

 これが教室での出来事なら、

「しんどいわ、タルイし」

 ワタルはいつもの口癖を吐き棄てて立ち去ってしまえばいいのだが、ブリストル島ではそうもいかない。

 逃げ場などない。

 今いる場所で踏ん張り続けないといけないのである。

「ここで、こんなにゆっくりしていて大丈夫なんですか? まあ、いきなり気を失った俺が言えた義理じゃないですけど」

 沈黙を忌んだワタルは話の接ぎ穂を探し出した。

 北海帝国の追手が迫っているのではないか?

 だとしたら、いつまでものんびりしていられないはずだ。

「その心配は無用だ、ワタル殿」

 真顔で応じたのはイゾルデである。

「この月の森はティンタジェル城から馬で飛ばして、3日はかかる距離だ。王都を占領したばかりの北海帝国に、ここまで兵を送る余裕があるとも思えない。それに……」

 ここから先を言ってよいものか逡巡したイゾルデは、窺うようにユーフェミアに視線を向けた。

 ユーフェミアは静かに頷いて語を継いだ。

「恐らくローエングリンにとって、私は人質にならないのです」

 その言葉の意味がわからず、ワタルは目を瞬く。

「そのローエングリンという人は王弟なんだろう? ということはユーフェミア王女にとって叔父じゃないか。それなのに人質にならないって、おかしいじゃないか?」

 誰もが当たり前に思い浮かべるであろう、ワタルの疑問を氷塊させたのはイゾルデだった。

「ローエングリン王弟殿下は目的を果たすためなら、犠牲を厭わない方だ。だから戦においては、いつも最小限の被害で済んでいる。それは騎士として正しいし立派だと思う。だが……」

 どこか釈然しない、というのがイゾルデのローエングリンに対する人物評である。

 確かに小を助けるために、大を犠牲にするというのは間違いだ。

 頭では理解できた。

 しかし、だからといって躊躇なく小を切り捨てても良いのだろうか?

 ローエングリンの差配を見ていると、どうしてもイゾルデはその疑問が頭をもたげてしまう。

「相当、胆の据わった人物のようだな。つまりユーフェミア王女には人質としての価値は無いから、わざわざ貴重な人員を割くような無駄な事を、北海帝国はしないということか」

 あるいは、あのジークフリートなら人質を取るような真似をせず、堂々と決戦を挑むだろう。

 それくらいワタルでも手に取るようにわかった。

 事実、ジークフリートはユーフェミアを亡き者にしようとしていた、まさにその瞬間を目撃したのだから。

 バギンズがワタルにユーフェミアを託したのも、なんとなく合点のいく話だった。

 王弟で叔父であるローエングリンでさえ、全面的に信頼できないのだ。

「ワタル殿は、なかなか理解が早くて助かる」

 イゾルデは素直に褒めた。

 日本の教育水準の高さを舐めてもらっては困る。

 それくらいの読解力は、大抵の日本人なら有しているはずだ。

 なにもワタルだけが特別なのではない。

「まあね。ところで、そのローエングリンという人は、戦は『上手い』の?」

 ワタルは少々おかしな訊き方をした。

 ローエングリンは非情ともいえる決断を下せる人間だ。

 戦が『強い』のは、まず間違いない。

「ローエングリン王弟殿下とアルビオン王国の宮廷魔術師であらせられるカーディス殿は戦略家でもある。

物資の確保、兵站の確立、兵力の分配、軍の編成。戦場における采配だけでなく、それら全てにおいて2人は二人三脚で優れた手腕を発揮されていた……?」

 どうやらイゾルデは言葉の意味を正確に汲みとってくれたらしい。

 ワタルの質問の、さらに奥にある不審な点にも気が付いたようだ。

「まあいいか。ゆっくり出来るのなら、もう少し休んでおこう」

 ワタルは思案するのを止め、楽しみにしていたマビノギオンの続きを読み進めることにした。

 読むといっても、勝手に頭に入ってくるのだが。

 この世界の人に言葉が通じるのも、右手の甲に刻まれた紋章の力なのだろうとワタルは睨んでいた。

 そして、それは正解である。

 会話を交わす際に唇、特にイゾルデの唇をワタルは観察していたのだが、洋画の吹き替えのように発せられた言葉と口パクが微妙にズレているのだ。

 マビノギオンの文字の意味は理解できても読めないことを鑑みても、この世界の住人が日本語を喋っていないことは明白だった。

 右手に刻まれた紋章が、互いの言葉を翻訳してくれているのだ。

 なんともご都合主義……、もとい便利な紋章だった。

 ユーフェミアは人質にならないので、北海帝国はティンタジェル城下の統治を安定させることを優先するため、兵を動かさない。

 もしかしたらローエングリン率いるアルビオン王国軍を、ティンタジェル城に籠って迎え撃つ可能性さえ、ワタルは検討している。

 というよりも自分なら間違いなく、その戦術を採用するだろう。

 ローエングリンを討ち取ったあとで、アルビオン王国全土を制圧すればいいのだから。

 何はともあれ、ゆっくりと羽が伸ばせる。

 大好きな魔法に没頭できると、ワタルは心の中で喜びを爆発させた。

 だが、それはすぐにぬか喜びへと変貌することになる。

 北海帝国にとってユーフェミアは人質にならなくとも、王女としての価値を必要としている人物がいることまで頭が回らなかったからだ。

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