第9章 平民宰相 ~その3~
「マリウスさんと、クレア」
「遅くなりました、ワタルさん」
「2人が一緒に居るという事は、この先どうするのか決まったのか?」
何の展望もなくアルバート港湾都市へ戻ることをクレアが決心したとは、ワタルは思わない。
「はい。王都を奪還します」
クレアの発した言葉の衝撃の波紋が大き過ぎたために誰もが、すでに話を聞いているであろうマリウスでさえ口を閉ざした。
「兵はマリウス総督のおかげで500揃いました。あとは状況次第です」
他人が考えているほど、クレアは自信に満ちているわけではなかった。
だからといって指をくわえて傍観するなど、有り得ない話だ。
出来ることをやる。
ただ、それだけだ。
「王都を目指すのはいい。しかし、マリウスさん。どういった心境の変化ですか?」
何故、今になって惜しみなく兵を供出する気になったのか、ワタルとしては気になるところだった。
「エディントン平野での敗北により、北海帝国軍はティンタジェル城に退き籠城の構えを見せています。ならばアルバート港湾都市の兵を割いても、問題無いと判断しました」
マリウスは誰もが納得できる返答を寄越した。
ローエングリン率いるアルビオン王国軍が健在な限り、北海帝国はアルバート港湾都市に手を出す余裕はないと見切ったのである。
「城攻めになるな。マリウスさん、魔導鉱石はお言葉に甘えていいですか?」
「ええ、お安い御用です。後ほど届けさせますよ」
「頼みます。王都奪還のときに、大きな魔法が必要になるはずですから」
過酷な戦いの予感が、ワタルの胸を騒がせた。
その重苦しい雰囲気が周囲に伝播する。
「出撃は3日後とします。それまで皆さんはゆっくりと休んでください」
どうしてクレアが3日の猶予を与えたのかは知らない。
もちろん戦士にも休息は必要だし、準備にも時間がかかるだろう。
「クレアも少しは休んでおけよ」
その準備に忙殺されることが、ワタルには容易に想像できた。
「はい。ワタルさんがそう言うのでしたら」
弾んだ声でクレアは返事をする。
各人は短い時間ではあったが、久し振りに羽を伸ばしたのだった。
出撃前夜。
月明かりに照らされた海岸を、あてどなくワタルは歩いていた。
適度な潮騒の音が、心地良く耳に響く。
ブリストル島にやってきて、ほぼ2カ月が経つ。
王都奪還ともなれば、これまでとは比べ物にならないほどの凄惨な戦いとなるはずだ。
それを前にして、どうしたことかワタルの心はとても穏やかだった。
「ずいぶん遠くにきたな」
右手の甲に刻まれた紋章に目を落とし、ワタルは郷愁に浸る。
日本での生活が、ひどく昔のことのように思えた。
クリスマスイヴの約束を守れず、叶恋は怒っているだろうか?
結局、叶恋に本当の気持ちを聞いていないし、伝えていない。
「ワタル殿か? こんな所で何をしている?」
月夜の姫君はイゾルデだった。
ブリストル島にやってきて、最初にこの人に出会っていなければ、ワタルはケツをまくって逃げ出していただろう。
なんとか挫けずに踏みとどまっていられるのは、イゾルデがいたからである。
「イゾルデさんこそ、何をしているんですか?」
気負うことなくワタルは微笑んだ。
「さあ、何をしているのだろうな?」
イゾルデはワタルの目を見返し、笑った。
2人とも特に用事があって海岸にいるのではない。
ただ何となく、足が向いたのだ。
ワタルとイゾルデは肩を並べて砂浜に足跡を残す。
ブリストル島の過酷な生活に時折り日本が懐かしくなるものの、今では後悔していない。
憧れだった魔法使いとして内容の濃い、充実した日々を送っていると、美しいイゾルデの横顔を眺めながら、ワタルは心の底からそう思う。
「ちゃんと約束は覚えているぞ?」
「忘れたなんて思っていませんよ」
ワタルは嘆息しながら応じた。
どうやらワタルの視線の意味を勘違いしたようだ。
「見蕩れていただけですよ」
自分でも驚くほど素直に、ワタルの口からその言葉が出た。
それだけブリストル島の生活に慣れてきた、ということだろうか?
「そうか。ならば仕方ないな」
イゾルデは相変わらずの大人のあしらい方だった。
いささか落胆するが、ここで甘えた仕草でもされたら、ワタルはむしろ苦々しい失望を覚えたかもしれない。
凛としたイゾルデが好きなのだから。
「さて、そろそろ寝ないとマズイか」
名残惜しいがワタルは宿へ戻ることにした。
「イゾルデさん、また明日」
「ああ。お休み、ワタル殿」
遠ざかるワタルの背中を見送りながら、イゾルデはぽつりと呟く。
「ワタル殿、私はまだ、トリスタンの事が……」
その声は風の音にかき消されて、ワタルの耳に届くことはなかった。
ローエングリンはユーフェミアたちがエディントン平野を去ったあと、すぐさま各地の領主に使いを送り、休息を取り兵士の英気を養ってから北上を開始した。
北海帝国軍を野戦で打ち破ったのが功を奏し、続々と地方領主の諸侯たちが集結してきたのである。
ユーフェミアの率いる小さな部隊が、その名称とは裏腹にアルビオン王国軍の勝利に大きな貢献を果たした。
あそこで敵右翼を木端微塵にしたからこそ、完勝を収めることができたのだ。
だからこそ、
「戦いが始まる前にこんか!」
とローエングリンは手厳しくもなる。
いよいよ王都を視界に捉えたとき、アルビオン王国軍の兵力は2000を超えていた。
対する北海帝国軍はエディントン平野で敗北して以来、脱走兵が相次いだが兵力は2000を維持している。
両軍の兵力はほぼ拮抗していた。
ただし北海帝国軍は遠征による疲労や、慣れない土地での生活で兵の間に厭戦気分が蔓延しており、士気の低下が著しい。
運べるだけの宝物や食料と共に撤退すべきとの声まであがっているほどだ。
それでも王都の堅固な城壁によれば、まだまだ抗戦することは十分に可能だった。
そしてユーフェミアを核として構成された500の軍勢も王都に迫る。
王都という極上の料理にありつけるのは、ただ1人。
はたして何者が平らげることになうのだろうか?
ブリストル島は風雲急を告げていた。




