第9章 平民宰相 ~その1~
「これは撤退の合図だ。どうするワタル? 追うか?」
もともと弓騎士であるローズマリーは、角笛の音の意味を正しく理解している。
アルビオン王国と北海帝国は幾度となく戦火を交えていた間柄だ。
「いや、こちらも相手に合わせて退こう。勝利が確定したのなら、無理をする必要はない」
ワタルが慎重論を唱えるのは、少しでも兵を失いたくないせいでもあった。
もっと多くの兵が手元にあれば、ワタルも考えを変えたかもしれない。
エディントン平野における戦いは、北海帝国軍の撤退によりアルビオン王国軍の勝利に終わった。
それでもなお、ティンタジェル城に残してきた兵を合わせれば北海帝国軍は2000を超える兵力を有し、王都も押さえている。
まだまだブリストル島の情勢は予断を許さないが、この勝利で王都奪還に向け一段と弾みがついたのは間違いなかった。
アルビオン王国軍の本陣幕舎にワタルたちは招かれた。
「あれが白鳥の騎士、ローエングリンか……」
自分とほぼ同等の巨漢にアイギスの目は釘付けとなる。
白い魔法使い同様の、いや最近現れたばかりの白い魔法使い以上に、その異名は南の大陸に轟いているのだ。
「この島には英雄が集う、何かがあるのか?」
すぐ近くに世に聞こえし英雄が2人もいる。
そして竜殺しもブリストル島に来ているという話だ。
自然、アイギスの胸は昂ぶった。
もっとも、ワタルは白い魔法使いといえど貫禄は皆無なわけだが。
「よくぞご無事でした、ユーフェミア王女」
応対したのはカーディスである。
「お久しぶりです、カーディス」
アルビオン王国の宮廷魔術師とは、さすがにユーフェミアも面識はあった。
内容は覚えていないが、何度か会話も交わしたことがある。
「ところで、そちらの方々は? ああ、イゾルデはわかりますよ?」
カーディスはワタルたちに不審の目を向けていた。
「私の大事な臣下たちです」
ユーフェミアは断言する。
そこに嘘偽りは一片もない。
今のユーフェミアにとって全財産でもある。
「そうですか」
戸惑った面持ちでカーディスはユーフェミアの言う臣下一同を見回した。
若い。
大柄な男でもまだ20代前半、イゾルデでも10代後半である。
あの少年少女に至っては10代半ばくらいか?
どうやら時代が変わりつつあるようだ。
「カーディス殿、いかがされた?」
急に黙り込んでしまったカーディスに、イゾルデは声をかけた。
「いえ。ずいぶんと若い臣下ばかりと思い、驚いたのですよ」
このカーディスの意見には、他の諸侯連中も頷けるものだった。
ローエングリンだけは何が面白いのか知らないが、上機嫌で腕を組んでにやにやしている。
どうにもワタルは幕舎内の雰囲気に馴染めそうになかった。
カーディスにしても諸侯にしても最初からユーフェミア一派を軽んじているのだ。
これは教師が生徒を見る態度と、非常に似通っていた。
アルバート港湾都市の総督マリウスは、そういった感情を一切表に出さない凄い男だったのである。
気分を害しているワタルの肩に、イゾルデがぽんと手を置いた。
「年は若いが実力は確かだ。こちらのワタル殿は、白い魔法使いなのだからな」
王女の世話係であるイゾルデは、誰が相手であっても横柄な口調で話す。
相手が宮廷魔術師でも王弟殿下でも、それは変わらない。
「その少年が白い魔法使いというのは、本当ですか?」
つい聞き返したカーディスだけでなく、他の諸侯もワタルのことを注視した。
特にローエングリンは人一倍、目に好奇の色を湛えている。
当の本人は引きつった笑顔を浮かべていた。
「間違いありません。私が保証します」
疑問を持つ全ての者に対して答えたのはユーフェミアである。
「ワタル様は、ジークフリートに殺される寸前の私を救って下さったのです。異論を挟む余地はないと思いますが?」
鋭い口調でユーフェミアは根拠となる事例を挙げて、ワタルが白い魔法使いである事実を強調した。
「なんと! あの竜殺しとやりあって五体満足とは、白い魔法使いかどうかは知らんが大したものだ」
鼻息を荒くしたローエングリンの瞳が、興味深げにワタルを真っ直ぐ睨み据える。
寿命が縮んだ気がしたが、ワタルは意地でも目を合わせ続けた。
実際には、わずかな時間しか目を合わせていなかったはずだ。
だが、ワタルには途轍もなく長い時間に感じられた。
圧迫感が尋常ではない。
カーディスが今後の方針を口にし始め、ようやくワタルは解放された。
「我が軍はこの地で兵たちに休息を与えたあと、ティンタジェル城へ向け出発します」
いまだ合流しない各地の諸侯にカーディスは使いを寄越し、兵を吸収しながら北上する腹積もりだった。
エディントン平野の勝利が喧伝され、北海帝国軍がティンタジェル城に籠りアルビオン王国軍が王都奪還を目指せば、模様眺めをしている諸侯は、こぞってローエングリンもとへ参集するだろう。
「今回もそうでしたが、このあと、さらに戦いは激化するでしょう。危険ですので、ユーフェミア王女には安全な場所に身を隠していただきます」
一方的なカーディスの通達に対し、直ちに反論したのはクレアだった。
「王位継承権の優先順位は、ユーフェミア王女のが上です。それを差し置いてローエングリン王弟殿下が王都を奪還したら、いらぬ二心を抱いていると疑われかべませんが?」
クレアの正論に、この場にいる諸侯たちの顔色が一変する。
「ユーフェミア王女のもとに戦力を結集し、ユーフェミア王女の軍として王都を奪還するのでなければ、筋が通りません」
例え形式上の事とはいえ、ユーフェミア配下の武将としてローエングリンは戦うべきだとクレアは示唆しているのだ。
もちろん軍の実権はローエングリンが握るだろうが、それでもどちらが王位継承権が上位なのか衆目にはっきりと示すのが重要だった。
パルツィヴァル亡き後、王権はユーフェミアに移ったはずなのだから。
「あなたは、何者なのですか?」
予想だにしなかった方向から痛打を浴び、カーディスは渋面を浮かべる。
年端もいかない少女を、ユーフェミアが大事な臣下と言い切ったおときは、内心侮っていたがそれが過ちだと考えを改めた。
この見識の確かさには驚きを禁じ得ない。
さらに、この少女はカーディスの個人的な思惑も見抜いているようだ。
「クレアはうちの宰相だ。小勢とはいえ軍を組織し、それを維持するだけの金や食料も手配した。さらに付け加えれば、先ほどの戦いの指揮を執っていたのもクレアだ」
白い魔法使いと目される少年が、クレアの援護射撃を行った。
ますますカーディスは泡を食う。
「ですが、これまでアルビオン王国のために戦ってきたのはローエングリン王弟殿下であって、ユーフェミア王女ではありません」
しかしカーディスはさらっとクレアの意見を撥ねつけた。
驚いたのは彼女の才能であって、その主張の内容ではないのだ。
年季も違う。
これまで宮廷魔術師として、どれだけアルビオン王国を支えてきたと思っているのだ?
100人かそこらの兵員運用で、得意気になられては困る。
「ユーフェミア王女には、アルビオン王国を統治する能力がないとでも?」
すぐに鋭い口調でクレアは反駁する。
「話が飛躍し過ぎでしょう? まずは王都を取り戻す。王位継承の話は、それからだと思いますが?」
「王都を奪還したときにいなかったら、誰もユーフェミア王女を次の王と認めるはずがありません!」
こういう部分はまだ若い。
ついクレアは頭に頭に血が上ってしまった。
まさしくクレアは、それを危惧していたのだである。
王都を奪還した者を国民が支持するのは、自明の理だった。
だからこそ、お飾りとはいえユーフェミアを旗頭にしたかったのだ。




