第8章 白鳥の騎士 ~その2~
「どうして今になって動き出したんですか?」
「本国から増援が到着したようです。残念ながら、その数は掴めていません。ですが北海帝国軍はベイドンの戦いで勝利を収めたものの、多くの兵を失いました。それを補い且つ、進軍できるほどの大規模なものと見て間違いないでしょう」
凍結した空気に、さらに冷気を加えるようなマリウスの語り口だった。
ますます場の雰囲気がくらいものとなる。
ティンタジェル城からの距離を考慮すれば、北海帝国軍がアルバート港湾都市を目指しても、なんら不思議ではない。
だから、みな不安に怯えているのだ。
「しかし、朗報もあります。つい先日、ローエングリン王弟殿下がザクセン族を退け、軍を北上させました」
「「「おおっ!」」」
応接室のあちらこちらから歓声があがる。
白鳥の騎士はアルビオン王国の人間にとって、現実的に頼れる存在なのだろう。
「斥候からの報告によれば、北海帝国軍はローエングリン王弟殿下の軍勢目指して進撃中とのことです」
マリウスが淡々と告げる事実に、この場にいる大半の人間が無意識のうちに安堵の溜め息を漏らしていた。
とりあえず目前に差し迫った危機は回避されたのだ。
もっともワタルからすれば、それを先に言うべきだろうと不平を述べたくなるが。
「それでアルバート港湾都市の立場としては、どうするのですか?」
口を出したのは、またしてもクレアだった。
応接室にいる者の全ての耳目がマリウスに集中する。
「……現状、兵を出す余裕は、我がアルバート港湾都市にはありません」
マリウスの鉄面皮に微かな翳りが窺えた。
ティンタジェル城に残った北海帝国軍の兵力が判明しない以上、迂闊にアルバート港湾都市を空にするわけにはいかないのだ。
諸々の事情は納得できるものだったので、誰もが、質問をしたクレアでさえ不平を唱えることはなかった。
そんな中、
「私はローエングリンのもとへ赴くつもりです」
静かに自分の意思を表明したのはユーフェミアだった。
これに慌てたのはマリウスである。
「先ほど申し上げた通り、兵をお出しすることは出来ません。ここに留まり下さい」
咄嗟にユーフェミアを引き留める。
マリウスは王女が、それも王位継承権第1位の王族が滞在する利点を失いたくないのだ。
ローエングリンが北海帝国軍をハドリアヌスの長城の向こうへ追い払ったら、ユーフェミアと共に王都入りする。
反対に北海帝国がアルビオン全土を支配したら、生贄として差し出すという使い途があった。
いずれにせよ重要な手札として、マリウスは手元に伏せておきたかったのだ。
「兵に関しては問題ありません。一緒にアルバート港湾都市まで非難した村人や、都市の住民から義勇兵を募りました」
したり顔でクレアはマリウスを見据える。
「およそ100名ほどが集結する予定です。そこでマリウス総督には軍資金と兵糧を用立てて欲しいのですが?」
この言い草にマリウスは肝を潰した。
勝手に兵を集めておいて金と食料を無心するとは、ずいぶんと勝手な話だ。
舐められたものである。
「これは将来、それも近いうちの投資と思っていただいて構いません」
「投資、ですか?」
マリウスは口の端に苦笑を閃かせた。
このクレアという少女に図書館の出入りを許可したのは、失敗だったかもしれない。
「はい。ユーフェミア王女が玉座に着かれた際の。あるいはローエングリン王弟殿下に対する口利き料として」
アルバート港湾都市が兵を出したことにしてやると、クレアは婉曲的に言っているのだ。
ユーフェミアとローエングリンのどちらが権力を奪取しても、アルバート港湾都市は特別な権利を手に入れる、少なくとも立場を悪くすることはない。
「手をこまねいて座視していたら、ローエングリン王弟殿下のアルバート港湾都市に対する印象が悪くなると思いますが?」
やや脅迫じみたクレアの口ぶりである。
駆け引きの抽斗は多いに越したことはなかった。
「確かに、クレアさんの仰る通りです」
兵を出さなかったばかりに、領地を召し上げられた貴族のいかに多い事か。
これまで数多くの没落していった貴族たちを、マリウスは直に見てきた。
「それにローエングリン王弟殿下が一敗地にまみれるような事にでもなれば、次はユーフェミア王女を狙うはずです。アルバート港湾都市に迷惑をかけるわけにはいきません」
言葉は明晰で姿勢もまっすぐなクレアの演説に、マリウスは一本取られたことを認めた。
表向きは迷惑になるから出ていくと言いながら、その実ユーフェミアの身を守るためにアルバート港湾都市を脱出しようとしているのだ。
ユーフェミアの命を政治取引の材料として扱うことを、クレアは見破っていた。
「非の打ちどころのない論法ですね。感服いたしました。いくらでも申し付けて下さい」
それでも何食わぬ顔で切り返すところが、マリウスという男の凄味である。
交渉の場数を踏んできた自分に取って、腹芸はお手の物だ。
マリウスは総督としての地位と、アルバート港湾都市の発展のために何度、辛酸を舐めてきたことか。
それを思えば、これくらい朝飯前だった。
「マリウス、ありがとうございます」
感謝の言葉を継げたのはユーフェミアだった。
「いえ、臣下として当然の務めです。このマリウスとアルバート港湾都市は、アルビオン王家のために存在するのですから」
不機嫌さなど、おくびにも出さずマリウスは忠誠の言葉を口に出して、恭しく礼をする。
せいぜい高い値で恩を売りつける方向に切り替えたのだ。
それに武力一辺倒のローエングリンや北海帝国よりは、ユーフェミアの方が御しやすい。
クレアにしても協力することの利を解いて、マリウスを説得した。
何をするにしても、交渉に応じるという意志表示だろう。
となれば、マリウスの腕の見せ所だった。
「恐らくエディントン平野が戦場となるでしょう」
大軍同士が自由に戦える広い場所となると、自ずと限られてくるものだ。
地図を眺め、無理に南進する必要が無い北海帝国軍は、ややティンタジェル城よりのエディントン平野に布陣すると、クレアは見切っていた。
ティンタジェル城に籠城しないのは解せないが、グイスガルドの心情やアルビオンの貴族の動きまで知る由もない。
「じゃあ俺達もエディントン平野に向かうんだな、クレア?」
問いかけではなく、確認の意味でワタルは訊ねた。
「はい、ワタルさん。私たちは100名と少数ですが、そのぶん移動は速く戦いに間に合うはずです」
「そこまで考えていたのか。よし、すぐに出発の準備にとりかかろう」
白い魔法使いの一声で、この場は解散となる。
戦支度ともなれば、やることはいくらでもあった。
「マリウスさん、少しよろしいですか?」
だがクレアは応接室に留まりマリウスを呼び止め、真剣な面持ちで何やら話しかけている。
マリウスも真摯に耳を傾けていた。
どうも悪巧みの臭いがぷんぷん漂うが、クレアが不利になるような真似をするはずがないと考え、ワタルは応接室を後にした。
「敵を前にすると、血沸き肉躍るわ!」
太く逞しい丸太のような両腕を組んで、ローエングリンは相好を崩した。
アルビオン王国軍がエディントン平野に到着うると、すでに北海帝国軍は布陣を敷き終えていたのだ。
「ローエングリン。我々は連戦続きで兵が疲弊しています。考えなしに突撃しては駄目ですよ?」
新たな敵の出現に我慢できず、うずうずして今にも飛び出してしまいそうなローエングリンを制止する声があった。
アルビオン王国の宮廷魔術師カーディスである。




