第7章 海の怪獣 ~その2~
「そういうところは手厳しいよな、ワタル殿は」
間に入ったのはイゾルデである。
「なんなら私が教えても構わないし、ローズマリーだって武器は一通りこなせる」
「イゾルデさんは一緒に来てもらいたいし、ローズマリーさんにはユーフェミア王女の護衛があります」
この辺りの配置は、多分に私情を挟んでいるが、ワタルとて思春期の男の子だ。
意中の女性と一緒にいたいという素直な欲求を抱いたとしても、誰が責められよう?
「昨日知り合った人間よりは、私との方がやりやすいか」
ワタルとはティンタジェル城から、ずっと一緒に戦ってきた間柄である。
イゾルデは安心して背中を預けられる相手だった。
それはワタルも同様で、命を預けるに足る存在はイゾルデだけだ。
「仕方ない。マリウスさんに腕の立つ者を寄越してもらうか」
ワタルとしては、あまり貸しを作りたくない相手だったが、それぐらいは怪獣退治の駄賃に含めても構わないはずだった。
「わかった! 俺が子供たちに槍を、集団戦を教えておく。それでいいんだな?」
自分の存在がまるで無いものとして話が進んでいることに、アイギスは危機感を覚えたのだ。
先ほど王女に誓いを立てたばかりだというのに、本当にブリストル島を追放されかねない。
それだけは、絶対に避けなければならなかった。
「クレアの邪魔だけはするなよ?」
素っ気ない態度でそう忠告すると、ワタルは乗船するための準備を整え始める。
クレアは見送りに来ていないが、今ごろ図書館で書物と格闘中なのだろう。
特に心配などしていない。
今回の怪獣退治には5日を目途に計画を立てた。
目的の海域に到着するまでに丸1日かかるとのことだった。
行って帰ってくるだけで、2日も消費するのだ。
そして現場で怪獣処理に3日かかると、ワタルは睨んでいた。
とにかく、それぐらいの期間でどうにかしないと、引き連れてきた村人たちの生活が困窮してしまう。
全ての準備を終えると、ワタルはイゾルデと共に船に乗り込んだ。
木造の帆船である。
文明のはるかに進んだ世界にいたワタルからすれば、心許ないことこの上ない。
ちょっとした嵐で、簡単にひっくり返ってしまいそうだった。
「じゃあ、出港しやすぜ!」
これぞ海の男といった風情のいかつい船長の合図で、3本のマストに一斉に帆が張られる。
なかなか壮観な眺めだった。
風に帆が煽られ、ブリガンディーンという名の船が動き出す。
幸いにも好天に恵まれ、空模様は穏やかな青空が広がっていた。
「綺麗な海だな」
甲板の手摺りに寄りかかってワタルは、澄んだ青色をしている海に思わず息を呑む。
開発もされておらず、産業革命も起きていないから環境汚染もない、手つかずなままの自然な海だ。
こういうのは、正直羨ましかった。
「ワタル殿は海を見るのは始めてか? 先ほどから、ずっとそうしているが」
イゾルデがワタルの横に並ぶ。
これがフェリーや豪華客船なら良い雰囲気になるのかもしれないが、それらと比較にならないくらい小さな帆船である。
忙しく動いている船員たちが、すぐ傍を通ったりして情緒もへったくれもなかった。
「船に乗るのは、始めてですよ」
さすがにワタルでも海水浴に行ったことはある。
もっとも強引に連行されたと表現した方が、正しいのかもしれない。
「では、どうやってブリストル島までやって来たのだ? まさか泳いで海を渡ったわけではあるまい?」
「魔法の力で、瞬間移動してやってきました」
得意気にワタルは鼻をうごめかす。
条件が揃わないと発動しないのが残念なところである。
「なるほどな。その手があったか」
妙にイゾルデは得心がいった。
思い返せばティンタジェル城から脱出したときもそうだ。
つい1ヵ月ほど前のことなのに、イゾルデは記憶が頭から抜けていた。
「このまま……」
時が止まってしまえばいい。
切実にワタルはそう願った。
だが時を止める魔法はマビノギオンに記載されていない。
ならば怪獣退治など放り出して、南の大陸へ渡ってしまえ!
いや、そこまでしなくても船旅を続ければいいのだ。
種々の誘惑が泡のように浮かんでは消えていく。
穏やかに凪いだ海をイゾルデと見ていると、ずっとこうしていたいという欲望にかられてしまう。
しかし、様々なしがらみがワタルから自由を奪い阻害する。
イゾルデの近くに少しでも長くいたいという、ささやかな願いさえ許されなかった。
強大な魔法の力を持つ白い魔法使いであってもだ。
「イゾルデさん。全て片付いたら、また一緒に来てくれますか?」
このとき、何故か知らないが、この台詞がワタルの口からすっと出た。
「ああ、いいだろう」
イゾルデも微笑んで色よい返事を送る。
「やった。じゃあ、頑張りますか!」
ワタルは舞い上がった。
かなり先のことではあるが、約束を取り付けたのだ。
しかし悲しいことに、この約束が果たされることはなかった……。
揺れまくる船の中ではあまり睡眠がとれず、今一つ調子の上がらないワタルであっても目的の海域に到達したことは、ひと目でわかった。
怪獣が、向こうの方から姿を現したのである。
「めっちゃデカイ烏賊だなあ……」
怪獣を目の当たりにしたワタルの第一声が、これだった。
仮にクラ―ケンと名付けよう。
クラ―ケン(仮)の白い頭と足が数本、海面から覗いている。
ただし、好戦的ではなさそうだ。
足をゆらゆらと動かし、クラ―ケン(仮)は何かを訴えているようにワタルには伺えた。
「ワタル殿!」
愛用の細剣を抜き放ち、イゾルデは目顔で支援魔法を促す。
しばし、ワタルは渋い顔で逡巡した。
クラ―ケン(仮)に襲う気があるのなら、この距離で姿を見せず、もっと接近してから不意を突けばいいのだ。
この時代のブリストル島にはレーダーなど存在しないのだから、深海から一気に浮上すれば、ちゃちな帆船など一発でひっくり返って、それで終わりである。
クラ―ケン(仮)は規格外の大きさだった。
「どうしたのだ、ワタル殿!?」
いっこうに次の行動に移ろうとしないワタルに、焦れた様子のイゾルデの鋭利な声が声が飛ぶ。
「もっと接近する必要があるか……」
もう少しだけワタルとしては様子を見たかったが、その間にクラ―ケン(仮)が襲ってこないとも限らない。
それに、このままでは事態が進展しないのも事実だ。
ペットボトルの蓋を開け、海中でも呼吸可能にするように指示を出した。
「俺とイゾルデさんに」
「了解した。ついでに水中でも、ある程度は自由に動けるようにしておいてやろう」
「さすがは水の精霊だな。心強いよ」
今となってはウンディーネも、ワタルにとって欠かせない存在である。
全身が水の膜で覆われると、ワタルは躊躇なく海へと飛び込んだ。
ウンディーネの言う通り呼吸も出来るし、陸地ほどではないが水圧の影響を受けることなく体が動いた。
「魔法とは便利なものだな」
いつの間にか追いついていたイゾルデが、不思議な体験に慣れないのか微かに苦笑を浮かべている。
「ええ」
ワタルは嬉しそうに、はにかんだ。
頭の中で妄想していたことが、現実に形となって顕現するのは感動的だった。
水中でも、こうして会話さえ交わせる。
これぞワタルが望んだ魔法なのだ。
2人は器用に手足をばたつかせて、クラ―ケン(仮)を目指した。




