第6章 アルバート港湾都市 ~その3~
「ああ、もう!」
人の壁に阻まれ、クレアはローズマリーに近付く事さえ叶わない。
確かにローズマリーは強いが、弓の射程で戦ってこその話である。
人の輪の中という閉じられた狭い空間では、ローズマリーの長所が死んでしまう。
近接戦闘が得意と思われるアイギスのが、クレアには有利に見えた。
「クレア、どうしたんだ?」
ふいに、クレアは背後から耳朶にこびりついた声が聞こえた。
「ワタルさんにイゾルデさん! ローズマリーさんが!!」
慌てふためいているため、クレアは肝心な事を伝えられなかったが、ワタルとイゾルデは場の雰囲気でどんな状況か察したようだ。
「騒ぎの中心にローズマリーがいるのだな?」
冷静なイゾルデの問いかけに、こくこくとクレアはしきりに頷く。
すでにワタルは印を結んでいた。
「飛翔!」
風を操り、ワタルは一足飛びに人だかりを飛び越え、ローズマリーの隣へと着地する。
……着地は失敗して尻もちを着いてしまったが。
「ワタル! 何しに来た?」
「いてて……。何って、助太刀だよ」
腰をさすりながら、ワタルは立ち上がる。
目の前の男は、なかなかに強そうだった。
「なんだ、てめえは?」
突然の乱入者を、アイギスはぎらついた目で睨めつける
今まで手合わせしてきた相手は、これで大抵戦意を喪失したものだった。
「大の男が、か弱い女性に乱暴を働くのを見ていられなくてね。一緒に戦わせてもらう」
だがワタルは全く怯むことなく、そよとも揺らがない声で応じる。
「か、か弱い……?」
ワタルの言葉に過剰な反応を示したのは、しかしローズマリーだった。
どこへ行ってもハーフエルフとして忌み嫌われてきた自分に、そのような事を言う男に出会ったことは1度もない。
こんな年下の子供に自分でもどうかしていると自覚しているが、ローズマリーは胸がどきりと撥ねる。
持て余し気味の感情を必死に抑えつけ、顔に出さないようにするのが大変だった。
「子供が1人くらい増えようが、俺は別に構わないぜ?」
こんなひょろひょろのガキなぞ、いてもいなくても結果は変わらない。
完全にアイギスはワタルの事を侮っていた、否、眼中になかった。
「ワタル殿も相変わらずだな」
やや呆れ気味にイゾルデは微笑を浮かべる。
自分の周りにいる人間の事を放っておけない性質は、このぶんだと直らないだろう。
そんなお人好しのワタルを、イゾルデは利用することにした。
「親父、まだ賭けは受け付けているか?」
近くにいた賭けの胴元を捕まえ、イゾルデは訊ねる。
「ええ、まだ受け付けていますよ。賭け率はアイギスが1,1倍で、ハーフエルフと子供の2人が10倍となっております」
「その賭け率、間違いないな?」
後になって、いちゃもんをつけられないようにイゾルデは念を押す。
「間違いないですよ。ま、アイギスに賭けている人ばかりですから、あっしの手元には全然残りませんがね」
どちらが勝っても儲けが出るように賭け率を決めるのだが、今回は本当に利益が出そうになく、どうしたものかと胴元は頭を悩ませていた。
「そうか。ならば、私は逆張りをしよう。ハーフエルフと子供の方に金貨50枚だ」
イゾルデは金貨50枚を皮袋ごと、ごっそりと胴元に手渡した。
これはイゾルデの持ち金の全てである。
全財産を賭けたのだ。
「いやあ、なかなか気前がいいですなあ」
その額に最初はびっくりしたものの、胴元は内心しめたと思った。
これでアイギスが勝っても、かなり懐が温かくなる。
「では、これで締め切るか」
今日は大盤振る舞いをして、いつも自分のことを嘲っている妻の驚く顔が見られそうだった。
そのように胴元が今夜のことを考えて、浮き浮きしていたときだ。
「私の賭けは成立したのだな?」
しれっとイゾルデは言質を取ろうとする。
「はいはい。もちろんでございます」
応じる胴元の態度は、とても愛想が良い。
ちなみに、この時代のブリストル島の貨幣価値を日本円に換算すると、概ね以下の通りになる。
銅貨1枚=100円。
銀貨1枚=1000円。
金貨1枚=10000円。
貨幣が流通しているといっても、まだまだ物々交換も盛んである。
あとの細かいところは、交渉次第といったところだった。
ざっとイゾルデは50万円を賭けたことになる。
投資ならともかく、競馬の1レースでこれほどの大金をぶっこむ人間はまずいない。
賭けの胴元が機嫌を良くするわけだ。
しかし、胴元は失念していることが1つだけあった。
「それは何より。ハーフエルフはアルビオン王国騎士団の元『弓騎士』で、子供の方は『白い魔法使い』だからな。最初に賭け率を聞いたときは、逆ではないのかと、耳を疑ったよ」
何気ない口調でイゾルデが告げるので、始め胴元は天気の話でもしだしたのかと思った。
その内容を胴元は正確に吟味すると、みるみるうちに顔が青ざめていく。
アイギスが負けてしまう可能性を、全く考慮していなかったのだ。
「そりゃないですよ!」
胴元の視線が宙を泳ぎ定まらない。
しかし今さら恨み節を言っても、もう遅い。
イゾルデはしつこく胴元に確認をとっていた。
後の祭りとは、こういう事を言う。
「お客さん、嘘でしょ?」
「竜殺しと戦って生き延びたり、ティンタジェル城からユーフェミア王女を連れて脱出した張本人だ。その場に私もいたしな」
「あの少年が……」
「大盾が、竜殺しより強いといいな」
イゾルデはぽんと胴元の肩を叩き、嬉しそうに囁いた。
だらだらと胴元の全身から、脂汗が吹き出す。
「まあ、ゆっくりと観戦しようじゃないか」
会心の笑顔でイゾルデは戦いに視線を移す。
そろそろ始まりそうだった。
「ローズマリーさん、弓を構えて」
ワタルの鋭い声が、場の空気を引き締めたものへと変える。
「しかし、この距離では……」
「何とかする」
ローズマリーの懸念をよそに、ワタルは印を結び始めた。
アイギスとの間合いは、弓や魔法のような遠隔攻撃を得意とする者にとって、圧倒的に不利である。
そんなことは百も承知で、ひっくり返すとワタルは言ったのだ。
「させるかよ!」
まるで巨大な岩石が動いたのかと錯覚するような、アイギスの突進だった。
前傾姿勢で遮二無二突き進む姿は、常人なら卒倒しかねない重圧を発している。
その圧力をひしひしと受けながらも、ワタルは魔法を完成させた。
いやに短い時間しかかかっていない。
「軽い魔法で、俺を止められるものか!」
アイギスは自分の防御力に絶対の自信を持っていた。
中途半端な攻撃魔法など、軽く撫でられる程度に過ぎない。
だからこそ、大盾のアイギスという異名がついたのだ。
巨大な盾を所持しているからだけではないのである。
魔法など視野には入れず、アイギスはさらに加速した。
「がっ……!?」
いつの間にか、アイギスの目前に忽然と壁が出現する。
壁だと思っていたが、それは地面だった。
『何か』に蹴躓いて、アイギスは盛大にすっ転んだのだ。
顔面に驚愕の色を湛えアイギスは首を回し、後方を確認すると地面が隆起していた。
「馬鹿な……」
見逃すはずがない。
あんな隆起のあるところを進路に選ばない。
そう思いアイギスははっとなる。
あの隆起こそが、ワタルの魔法の効果なのだ。
前傾姿勢の突進で足もとが疎かになるのを、ワタルは見越していた。
ドスっ!
俯せに倒れたままであるアイギスの眼前に矢が突き立つ。
すんなりと勝負がついてしまい、誰もが肩すかしを喰らった気分だった。




