第6章 アルバート港湾都市 ~その2~
一通り食事を終えた後、そのマリウスが慎重な手つきでテーブルの上に地図を広げた。
もちろん現代の我々が日常的に目にしている地図とは、比較にならないほど雑なものだ。
この時代のブリストル島の情報収集能力では、これが限界なのだろう。
だからこそ貴重な物といえるし、ワタルの冒険心は掻き立てられた。
アルバート港湾都市はブリストル島西部に位置している。
港湾都市というくらいだから海に面しており、ここから船で交易を行っているのが地図から窺えた。
「現在、このアルバート港湾都市の生命線ともいえる海路は封鎖されています」
その割に、マリウスは軽い遭難事故にあった程度の顔で泰然としている。
海上貿易によって巨万の富を築いてきたのなら、海路が封鎖されるのは致命傷のはずだ。
「北海帝国の海軍が、この海域に現れたのか?」
イゾルデの目に明らかな動揺が走った。
月の森からアルバート港湾都市まで、1ヵ月もの時間がかかったしまったのだ。
とっくの昔に北海帝国の侵略の魔の手が伸びていても、何らおかしくはない。
ましてや北海帝国は、あちこちの陸地に領土を持つ海洋国家である。
その強大な海軍が動いたら、今のアルビオン王国では苦戦どころか、立ち向かうのでさえ至難の業だった。
ブリストル島の海岸線にある町や村は、甚大な被害を受けるだろう。
「いえ、違います。むしろ軍隊相手なら、いくらでも対処のしようがあるというものですが……」
籠城しても、金で手懐けても、はたまた偽りの降伏をしてもいい。
それらの事ができるように、マリウスはこの都市に心血を注いできたのだ。
「となると、怪獣の類だな」
尻すぼみとなったマリウスの言を、的確に補足したのはワタルだった。
テンプレ通りの展開といえる。
それ故にマリウスが次に何を言い出すのか、ワタルには容易に見当が付く。
「仰る通り、巨大な怪獣が現れたのです。そこで白い魔法使い殿に、折り入って頼みがあるのですが?」
「いいだろう、引き受けよう」
間を置かずワタルは即、返事をする。
これには、この場にいた全員が、頼み込んだマリウスでさえ耳を疑った。
「なんと! よろしいのですか?」
「その代わり、貿易が再開したら村の人や盗賊たち仕事を斡旋してやって欲しい」
二つ返事でワタルが快諾したのは、こうした事情があったのだ。
いつまでもタダ飯を食べさせておくわけにはいかないし、村人の命を盾にされたら、どの道断れない。
この時代のブリストル島の人間にしては、やたらと頭が柔軟なマリウスのことである。
白い魔法使い、つまり自分に怪獣を排除させるところまで勘定に入れて、一行を受け入れたのだとワタルは睨んでいた。
「もちろんですとも。貿易が再開されれば、人の手はいくらでも欲しいですから」
揉み手でマリウスはワタルの条件のを了承する。
ただ1人、ユーフェミアだけは不満だった。
今回も結局、ワタルに全てを押し付けてしまったのだ。
王女であるはずなのに、何も出来ない無力な自分が歯痒くて堪らない。
ずっとティンタジェル城に籠っていたユーフェミアには、組織の頂点としての経験が不足、いや皆無だった。
王女としての地位にありながら、それを上手く使えないのだ。
「明日、早速その怪獣が現れたところへ向かう」
一難去って、また一難。
息つく暇もないとはこのことだ。
全くワタルを飽きさせない。
「船も含めて必要な物は全て、こちらで手配しておきます。今日はゆっくりお休みください」
そのくらいの労力を厭うマリウスではなかった。
「そうさせてもらう」
ワタルは2度ほど瞬きをすると、背筋を伸ばした。
応接室を辞し、イゾルデと共に別の屋敷へと移動する。
ユーフェミアだけは、この総督府庁舎に残ることになっていた。
一番警備が厚いであろう場所に、王女を留めるのは極めて妥当な判断だ。
2人を見送るユーフェミアの瞳に儚げな色が浮かんでいたが、ワタルにはどうしようもない。
そもそもアルバート港湾都市を訪れたのは、ユーフェミアの安全を確保するためなのだから……。
「ワタルさん達、遅いですね」
新鮮な魚料理に舌鼓を打ちつつ、クレアは不安を口にした。
こうして待つことしかできないのが、もどかしい。
「大丈夫だろう? 私たちに寝床と食費を提供するくらいだし、ワタルやイゾルデに何かするとは思えないがな」
気楽にローズマリーは返事をした。
ハーフエルフとして人間よりも長い人生経験を積んでいるのと、弓騎士であったことからくる経験が、そのように断言させる。
クレアとローズマリーは、昼は大衆食堂として開いている酒場で、のんびりと昼食をとっていた。
ユーフェミアの安全は間違いないが、ワタルやイゾルデに危害を加える気なら、自分達も魚料理を食べている暇はないはずだ。
「何らかの取引を持ちかけられている可能性は否定できないが」
「取り引きですか?」
「まあ、ワタルやイゾルデが下手を打つとは思えない。それはクレアの方が私よりもずっと理解しているんじゃないのか?」
実際に敵として手合わせをしたことがあるローズマリーは、ワタルの手強さが身に染みていた。
駆け引きにおいても、それは変わらないだろう。
「ローズマリーさんの言う通りですね。ワタルさんが、ヘマをするはずがありません」
自分たちのために必死になってくれたことを思い出し、不安で塞ぎがちだったのが嘘のように、クレアは晴れ晴れとした気持ちになった。
ぐいっと果実を絞った飲み物をあおる。
そしてクレアは本格的に昼食に手を付けた。
港湾都市というだけのことはあり、魚料理が非常に豊富で頬が落ちそうになる食べ物が出てくるのだ。
村にいたままなら、一生味わうことはなかっただろう。
この料理を味わえただけで、ワタルを信じた甲斐があったというものだ。
「昼間から、ハーフエルフが堂々としてやがるなあ!」
酒場の端のテーブルから罵声が飛ぶ。
ローズマリーの尖った耳が、ぴくりと動いた。
「人間の社会からも、エルフの社会からも邪魔者扱いだよなあ?」
先ほどから汚い言葉をローズマリーに浴びせているのは、たくましい骨格を、引き締まった力強い筋肉が包んでいる巨漢の人物だった。
近くの壁に巨大な凧盾が立てかけてある。
「おい! それは私に喧嘩を売っているのか?」
その首がぐりと動き、ローズマリーは殺気を帯びた視線を巨漢の人物へ向ける。
盗賊の頭をしていただけあって、ローズマリーの気性は荒い。
頭ごなしに侮辱されて、黙っていられるはずがなかった。
「だとしたら?」
「買ってやるから、今すぐ表へ出ろ!」
アルビオン王国騎士団に在籍しているときから、ローズマリーはこういった手合いが許せなかったのだ。
「は! この『大盾』のアイギスに勝つ気でいやがる」
ニタニタといやらしい笑みを顔に貼りつけて、アイギスは席を立った。
重厚なカイトシールドを片手で軽々と持ち上げ、己の膂力を誇示する。
「ただの怪力自慢か。『大盾』なんて名も、掃いて捨てるほどいるしねえ?」
つまらない威嚇など、ローズマリーには全く通用しない。
むしろ底が知れるといものだ。
「ローズマリーにさん、怒って当然の相手ですが、ここはワタルさんやイゾルデさんを待った方が……」
「必要ない。私1人で十分だ!」
クレアの制止も聞かず、ローズマリーはいきり立って酒場から飛び出した。
アイギスも、その巨躯からは想像できない俊敏な動作で表へ出る。
たちまち対峙する2人の周りを囲むように人々が集まりだし、黒山のような人だかりが出来てしまう。
挙句の果てに、どちらが勝つのかという賭けまで行われる始末だった。




