第5章 白い魔法使い ~その3~
槍術を子供たちに教えることを承諾したのも、少しでもワタルの負担を軽くしたかった故のことだ。
「うん。1人でやれることには、限界があるからね」
台詞の内容とは裏腹に、ワタルの顔色は相変わらず冴えない。
沈殿した心の澱は、そうそう払拭できるものではなかった。
見かねたイゾルデは、そっとワタルを抱き締め、耳元で囁く。
「何もかも1人で抱え込もうとするな。ワタル殿の苦しみを、私も一緒に背負わせてくれ」
「イゾルデさん……」
「うん……」
イゾルデはワタルの唇に、そっと自分の唇を重ねた。
もちろんワタルは抵抗せずに、その行為を受け入れる。
長いようで短い時が過ぎ、イゾルデは唇を離した。
「私も元恋人も騎士だ。こういうのは慣れておらず、上手くできない。許してくれ」
さっと踵を返し、イゾルデは背を向ける。
これでもかなり恥ずかしい。
「いえ、そんなこと、ないです」
何がそんなことないのか、ワタル自身わかっていなかった。
気が動転していて、そう返すだけで精一杯だ。
「明日の村を過ぎれば、いよいよアルバート港湾都市だ。あと少しだが、しっかり寝ておくんだぞ?」
そう忠告して、イゾルデは夜の闇に溶け込みワタルの前から姿を消した。
きっとユーフェミアの傍で睡眠を取るのだろう。
右手の人差し指と中指でワタルは唇をさすり、イゾルデとのキスの感触を思い出して悦に浸る。
野宿とはいえ、久方ぶりに今夜は熟睡できそうだった。
「ワタルさん、起きて下さい!」
「ん、んん……、あと5分」
つい、日本にいるような感覚でワタルは起きない言い訳をする。
「何もかも1人で抱え込もうとするな。ワタル殿の苦しみを、私も一緒に背負わせてくれ。だったかしら?」
「はっ!? クレア、どうしてそれを!?」
いっぺんで目が覚め、ワタルは浮気がバレた亭主のような事を口走ってしまう。
「お熱い夜でございましたこと」
白い目をしたクレアが、そっぽを向いてしまう。
ワタルは気持ちを落ち着かせるために、ペットボトルの水を飲み干した。
「別に俺がイゾルデさんと何をしようが、クレアには関係ないだろ?」
よく考えたら、どうしてワタルが怒られなくてはならないのだろうか?
イゾルデとの間で何があろうが、クレアには無関係のはずだ。
「イゾルデさんは、ワタルさんの恋人なんですか?」
クレアは質問に質問で返した。
先ほどまでとは違い、物憂げな面持ちだ。
「残念ながら、違う」
何かを悟ったようにワタルは息を吐き、表情を曇らせる。
昨夜のアレは、落ち込んだワタルを元気づけるためにしたというのは明々白々だった。
ワタルの知らない誰かが、今もイゾルデの心を独占しているのだ。
それが、わかってしまう。
対照的にクレアの表情が、ぱあっと輝く。
「じゃあ、私とワタルさんの間に何があっても問題無いですね?」
満面の笑みを浮かべてクレアはワタルににじり寄った。
「え? あの? クレアさん?」
不穏な空気を察知したワタルは後ずさる。
「えいっ!」
なけなしの勇気を振り絞って、クレアはワタルの胸に飛び込んだ。
受け止める格好とワタルは倒れないように踏ん張る。
間を置かず、クレアは自分の唇をワタルの唇に押し付けた。
「………………っ!」
ワタルは眩暈がした。
世の中変われば、こんなに違うものなのだろうか?
日本とブリストル島の生活は隔たりが大き過ぎた。
目まぐるしく、無理難題が自分の身に降りかかってくる。
ワタルの手に負えないことばかりだ。
「助けていただいて、ありがとうございます」
キスを終えたクレアは、ワタルの胸に顔をうずめた。
戦乱の世に生を受けた者は、今を大事に生きる。
明日にも死んでしまうかもしれず、そのときに後悔したくないからだ。
平和な日本でのほほんと暮らしていた現在のワタルでは、絶対に辿り着けない境地である。
「こほん! お楽しみのところを申し訳ないのだが、ワタル殿にクレア。そろそろ出発するぞ?」
わざとらしく咳払いをしながら、イゾルデは眉をそびやかした。
昨夜の今朝で、もう次か。
「意外と、手がお早いようで……」
「イゾルデさん、誤解です!」
「別に構わないぞ? 強い男が何人もの女を囲うのは、当然だからな」
「いや、俺は、そんなつもりは……」
ない!
と断言できないところが、男の駄目なところである。
ワタルも色んな女の子と付き合ってみたいという、人並みな欲を持っていた。
「冗談はさておき、本当に出発するぞ!」
瞬時に峻険な顔つきに戻ったイゾルデに睨まれたワタルとクレアは、それぞれに決められた役割を思い出す。
「ゆっくりするのは、アルバート港湾都市に着いてからにするか」
ワタルの中で、何かが切り替わった。
アルバート港湾都市まで、あと少し……。
「あれが噂の白い魔法使いかい? ワタルとかいう? まだ子供じゃないか」
ハーフエルフのローズマリーは、弓で狙いをつけながら嘆息する。
あんな子供に、手下どもは散々やられたというのか。
だからこそ、わざわざ盗賊の頭目である自分が出馬してきたのであるが、ローズマリーは軽く失望してしまった。
狙われていることに、全く気付いていない。
「白い魔法使いの名を語った、偽物か!」
弓の弦を思い切り引き絞った必殺の矢を、ローズマリーは絶対の自信を持って放った。
ワタルの心臓に吸い込まれるように、矢は狙った場所へ真っ直ぐに飛ぶ。
「……! どこから攻撃された?」
命中する直前、突如ワタルを中心とした小さな竜巻が発生した。
風の鎧の魔法が発動したのだ。
矢は突風に巻き上げられる。
本質的に小市民なワタルが、無防備に自分の命をさらけ出すはずがない。
あらかじめ防御魔法を展開しておくのは、当然の措置といえた。
アルバート港湾都市の前に立ち寄る、最後の村にワタル達が到着するや否や、まるで待ち構えていたかのように盗賊たちが襲ってきたのである。
いつものようにイゾルデに支援魔法をかけ、ワタルは襲われている村の人々を助けるべく、村を散策していた。
そこを矢で攻撃されたのだ。
「なかなか慎重な男のようだ」
ローズマリーは2射、3射と立て続けに矢を放つ。
唸りを上げて飛来する矢は、高速で突き出された槍のような圧倒的な力感を備えていた。
「まずい……!」
竜巻では防ぎきれないと判断したワタルは、矢を弾くのではなく軌道を逸らすことに腐心する。
矢の進路を阻まず、むしろ風を操って道を作り、行き先を誘導してやるのだ。
二の腕を掠めたものの、どうにか射殺されずに済む。
だが不利を悟ったワタルは、小屋の影に転がり込んでローズマリーの視界から消えた。
残りの矢が何本あるか知らないが、あの勢いで連発されたらいずれ削り殺されてしまうのは目に見えていた。
とにかく、弓を封じる必要があった。
あまり同じ魔法ばかりを使用するのは、ナントカの一つ覚えみたいで気が引けるが、裏を返せばそれだけ信用の置ける魔法といえる。
他に手の打ちようがない、というのが事実だった。
「大地の震動!」
足元が揺れていては、精密な狙撃は不可能なはずだ。
ただし、これも勝負を先延ばしにしたに過ぎない。
魔法の効果が続いている間に、ワタルは次の行動を決めなければならなかった。




