第5章 白い魔法使い ~その2~
「嘘ではありません。ワタル様は懸命に私を説得しようとしました。しかし、信用しなかった私は危うく連れ去られそうになったのです」
ユーフェミアの胸を苦い思いが占めた。
あのときモードレッドを選んでいたら、どうなっていたことか。
ワタルとイゾルデには感謝してもしきれない。
ユーフェミアの告白に村人たちは近くにいる者と顔を見合わせ、
「どうする?」
と目で囁き始める。
アルビオン王国の王女でさえワタルの判断を支持しているという事実は、村人たちの心を動かすほどの衝撃があった。
現状を維持したまま守ってもらうというのは、少し図々しいのかもしれない。
「特に強制はしない。もっと別の良い方法があるのかもしれないけど思いつかなかった。やっぱり俺は、白い魔法使いじゃないんだよ」
疲れ気味の笑顔を浮かべ、ワタルは肩を竦める。
やはり全ての命を助けようとするのは、自分にはおこがましい行為なのだ。
「ワタル様……」
気落ちしているワタルを見て、ユーフェミアはいたたまれなくなった。
助けると言っているのに、どうして反対するのだ?
「アルビオン王国の王女として命令します! 今すぐ村を出発するための準備をしなさい!!」
怒気を孕んだ声音だったが、自然とユーフェミアは王女としての振る舞いをしていた。
どうしても村人を見殺しに出来ない、かといって強制もせず身動きの取れないワタルに代わって命令できるのは、ユーフェミアはしかいない。
これで少しはワタルの胸のつかえも取れるだろう。
それにユーフェミアは村人たちに苛立ちを募らせてもいた。
すでに一度ワタルに救済してもらっているのである。
それなのに、
「まだ足りない!」
と、さらに要求しているのだ。
ユーフェミアからすれば許しがたい行為といえた。
お人好しのワタルは、それでも手を差し伸べようとする。
すぐにその手を取れば、まだ可愛げがあるものの、躊躇するとは言語道断だった。
これでは際限なく要求されてしまうではないか!
村人を助けても、ワタルが得るものは何もないというのに……。
これ以上、ユーフェミアはワタルが苦しむところを見たくなかった。
そこで強権を発動した次第だ。
曲がりなりにもユーフェミアはアルビオン王国の王女である。
庶民が言うことを聞かなければ大問題だった。
さすがに村人たちは縮み上がり、大慌てで自分達の住居に戻り荷造りを始め出す。
これがきっかけで、後に訪れるユーフェミアの治世の際に、農民に対して厳しい政策がとられる……、という事にはならなかった。
あくまでワタルのためであったし、ティンタジェル城を離れ農民の劣悪な暮らしぶりが胸を突き、むしろ寛容な政が行われる。
それにユーフェミアの傍らには、常に適切な助言を与える優秀な平民宰相が付き従うせいもあるのだが、それはずっと後の話で今の状況に影響を与えるものではなかった。
「ありがとうございます、ユーフェミア王女」
素直にワタルは礼を述べた。
こうでもしなければ、貴重な時間をふいにしていただろう。
「ワタル様のお役に立てて良かったです」
ほんのりと紅く頬を染めながら、ユーフェミアははにかんだような笑みを浮かべる。
少しでもワタルの力になれて、内心はしゃいでいた。
「ワタル殿。私とユーフェミア王女だけでアルバート港湾都市に向かっても、構わないと思うが?」
すぐ傍で問うたイゾルデに、
「それだと俺や村の人たちは、アルバート港湾都市に入れてもらえませんよ。ユーフェミア王女が村人を率いている。その事実が重要なんです」
ワタルは目も合わせずに答える。
リュックサックの中身を確認している最中だ。
「そういうことか」
腕を組んでイゾルデはしきりに頷く。
「アルビオン王国の王女が率いる民だからこそ、信用して門を開けてくれる。もちろん交渉する必要がありますが、それもユーフェミア王女がいてこそです。王女がいなければ、交渉のテーブルに着くことさえできない」
王族、この場合はユーフェミア王女という担保があるからこそ、ワタルは村人たちを連れていくという無茶な提案をしたのだ。
考えなしにアルバート港湾都市に赴いても、門前払いを喰らうのがオチである。
アルビオン王国は今や、戦時下なのだから。
「これらの事情からユーフェミア王女は道中、自分の身の安全を第一にお考えください。ユーフェミア王女の出番は、アルバート港湾都市に到着してからです」
珍しくワタルは熱弁を振るった。
その熱意が伝わったのか、
「はい!」
勢いよく返事をし、ユーフェミアは目を輝かせる。
自分がワタルに必要とされていることが、とても嬉しかったのだ。
ところが、である。
この行軍は2歩目くらいから座礁、いや陸だから躓いてしまった。
馬に荷車を引かせて、年寄りや子供たちを入れ替わりで乗せて順番に休憩を取らせている。
他の者は全員、ユーフェミア王女でさえ徒歩なので、一団の歩みが異常に遅くなるところまでは、ワタルも織り込み済みだった。
計算違いだったのは立ち寄った村の住民が一緒についてきてしまうことだった。
飲料水や食料を確保する必要性から、真っ直ぐアルバート港湾都市に向かうのではなく、村から村へと渡り歩いていたのだ。
それで村に到着する都度、
「金は払うから水と食料を譲って欲しい」
「金はいいから、我々も一緒に連れて行ってくれ!」
というやりとりが行われたのである。
この辺りの治安を守る領主は兵を率いて戦へ出たまま、いまだに帰ってこない。
そのせいか盗賊や怪物が跳梁跋扈する一方なのだ。
怖くて仕方がない。
そんなときにユーフェミア王女が率いる一団が現れたら、これ幸いにとすがりつくのは当然と言えよう。
しかも聞けばアルバート港湾都市に行くという。
まさに溺れる者は藁をも掴む思いだった。
もちろん国民が頼っているのだから、ユーフェミア王女としては断ることは出来ないし、ワタルは断らない。
「イゾルデさん。明日から子供たちに、これを教えてやって欲しい」
ある日の夜、ワタルは全身から憔悴の色を湛えていた。
イゾルデに渡したのは物干し竿である。
現在、野営といえば聞こえがいいだ、要は野宿をしているところだった。
「槍術、それも集団戦闘の仕方だな」
「ええ。そろそろ俺とイゾルデさんだけでは、防ぎきれない」
すでにワタルの手が届かないほどの大所帯となっていた。
「子供たち、といっても槍術を叩き込むのは、ワタル殿と同じ年頃の少年少女たちなのだがな」
イゾルデは皮肉っぽく微笑んだ。
その指摘にワタルは虚を突かれた。
まだ自分も十分に子供と言ってよい年齢なのだということが、頭から完全に抜けていたのである。
さすがに一桁の年齢の子供に物干し竿は振り回せない。
「引き受けたからには最善を尽くすが、ワタル殿」
「はい」
ワタルが視線を向けると、普段の険しい顔付きとは違うイゾルデの柔和な表情が、月明かりに浮かんでいた。
一目でワタルは魅了される。
「どうしても助けられない命というものはある。戦乱の世に犠牲は付き物だ。例え守ることが出来なくても、誰もワタル殿を恨んだりはしない。だから、あまり自分を責めるな」
脱落者が出る度にワタルが深く傷ついているのを、イゾルデはとても危うく感じていた。
だから釘を刺したのである。
他人の痛みがわかるのは、その反対よりもずっと美徳であるが、これではワタルの身がもたない。
割り切れ、とイゾルデは言っているのだ。
それに村人たちがワタルに頼り切り、というのも問題だった。




