第3章 ベイドンの戦い ~その3~
馬で戦場を疾駆するジークフリートの宝剣バルムンクが閃く度に、アルビオン王国の兵士はその命を散らしていく。
無人の野を行くが如くジークフリートは突き進み、その行く手を遮るのは何人たりとも不可能だった。
「あれだな」
ジークフリートの薄氷色の瞳が、獅子奮迅の働きをしている1人の騎士を捉えた。
言うまでもなく、その騎士とはトリスタンのことである。
トリスタンも尋常ならざる闘気が肌を突き刺すのを覚え、何者かが接近していることを勘付いていた。
馬首を返し、迎え撃つため前に出る。
「このジークフリートに進んで挑むとは、いい度胸だ、名を何という?」
侮っているのではなく敬意を払ってるからこそ、ジークフリートは名を訪ねたのだ。
「我が名はトリスタン。貴公があの有名な竜殺しのジークフリートか」
敵を知り、トリスタンは戦慄した。
「トリスタンか。覚えておこう」
そのトリスタンはすでに馬を降り、武器を構えている。
ジークフリートも地面に降り立ち、バルムンクを両手で握りしめた。
「その首、もらい受ける」
仕掛けたのはトリスタンだ。
とにかく機先を制し、受けに回ってはいけない。
ジークフリートに主導権を握られたら勝機はなくなってしまう。
「出来るかな?」
トリスタンの斬撃を受け流しつつ、ジークフリートは薄氷色の瞳に冷笑を湛えた。
「……やるしかない!」
もはや後がないトリスタンの表情が、より一層険しいものへと変わっていく。
アルビオン随一と謳われる剣技も、手にしている愛用の剣も、これまで培ってきた経験も、何もかもが叶わないことは承知の上だった。
だから気迫で押し、常に先手を取り、攻め続けるしかない。
それにこれは逆転できる最後の機会だった。
ここでジークフリートを討ち取ることができれば、一気に戦いの形勢はアルビオン王国軍に傾くだろう。
竜殺しのジークフリートの名は、それぐらい周囲に与える影響力の大きいものだった。
すでに伝説の域に達している。
反対にトリスタンが破れれば、アルビオン王国は北海帝国に蹂躙されるだろう。
あらゆるものが略奪の対象となり、多くの民が殺され、そして最愛の恋人でさえも……。
それだけは、それだけは絶対に許すわけにはいかない。
ベイドンの戦いの行方は、アルビオン王国の命運は、2人の一騎打ちに収束された。
トリスタンは繰り出す一撃一撃に己の命を削るように上乗せし、ジークフリートに挑んだ。
剣を振りおろし、剣を跳ね上げ、剣を横に薙ぎ払い、剣を突く。
このとき、トリスタンの集中力は天井知らずの高まりを見せていた。
ジークフリートと数合も剣を交えることが出来たのは、限界以上の力を発揮していた故である。
しかし、それでも尚、ジークフリートに刃は届かない。
全ての剣筋がバルムンクにいなされてしまうのが、トリスタンの現実だった。
常人であれば、とうに心が絶望に支配されていてもおかしくない。
それにも関わらずトリスタンは剣を振るい続けた。
ジークフリートの神業ともいえる剣技に、いつか綻びが生じると信じて……。
「北海帝国に、降らぬか?」
火花散る激しい戦いの最中だというのに、顔色一つ変えずジークフリートは降伏を促した。
「裏切れというのか? モードレッドのように!」
トリスタンは烈火のごとく猛り狂う。
敵に情けをかけられ、これ以上ない屈辱を感じたのだ。
「その才を惜しむのだ」
ジークフリートの薄氷色の瞳に射竦められ、ほんの一瞬ではあるがトリスタンの体がびくっと震えた。
死の恐怖がちらついたのだ。
だが、すぐに己を鼓舞し頭を振る。
「いや、駄目だ。モードレッドと同じ卑劣漢になるなど、俺には耐えられぬ!」
腹の底からトリスタンは声を出し叫んだ。
自分のことを評価した上でのジークフリートの発言だと察したが、トリスタンはハッキリと拒絶した。
祖国を裏切るなど、騎士として度し難い行いだ。
それを受け入れるくらいなら、ここで死を選ぶ。
どうせ死ぬのなら正々堂々戦い、トリスタンは胸を張って騎士として死にたかった。
「そうか」
端正な顔に寂寥感を漂わせ、ジークフリートは短く言った。
力任せに左下から右上に向かってバルムンクを振り上げる。
トリスタンの剣は簡単に弾かれ、態勢も大きく崩れてしまう。
高まる一方の精神に対し、肉体の方はとっくに限界を超えていたのである。
攻撃を受けられる力は、もはや残っていなかった。
ジークフリートは手首を返し今度はバルムンクを振り下ろす。
トリスタンに逃れる術は、ない。
「イゾルデ……」
左肩から右の胴を袈裟がけに切り裂かれる直前に、トリスタンは愛する女性の名を呼ぶ。
そして、これまでの粘り強い奮戦ぶりが嘘だったかのようにあっさりと絶命した。
「誰しも想い人というのが、いるものなのだな」
戦というのはこういうものなのだと理解していても、ジークフリートの胸中に寒々しい風が吹き抜ける。
いつかブリュンヒルトを残して、自分も死んでしまうかもしれないのだ。
今回はそうはならなかっただけである。
トリスタンのことは、決して他人事ではなかった。
こうしてベイドンの戦いの帰趨は決した。
唯一、奮闘していたトリスタンが討ち取られたことによりアルビオン王国軍は士気が著しく低下し、戦線を維持できず瓦解を余儀なくされたのである。
生き残った将兵たちは雪崩を打ったように逃亡を始めた。
せめて国王がティンタジェル城に健在なら、将兵は王都帰還を目指しただろう。
国王を中心として再戦を挑めるからだ。
しかしパルツィヴァルは消息不明となり、それも不可能だった。
多くの諸侯はティンタジェル城へは戻らず北海帝国と勝手に交渉を始め、自分の領地へと引き籠ってしまう。
モードレッドに騙されたと知り、今さら怨嗟の声を上げても後の祭りだった。
「トリスタンの言う通りにしておけば……」
誰もがそう思ったが、どうしようもない。
出来る事といえば少しでも交渉を長引かせるか、良い条件を引き出すかしてローエングリンが帰還する時間を稼ぐしかなかった。
わずか半日でベイドンの戦いは終わり、ティンタジェル城は空となった。
1週間後に北海帝国軍はティンタジェル城を陥落させ、アルビオン王国の王都を占領せしめる。
そのとき魔法騎士を名乗る少年が、王女と1人の女騎士を連れティンタジェル城から脱出したのは周知の通りだ。
ただしベイドンの戦いにおけるトリスタンの力闘ぶりが北海帝国軍に多くの兵を損なわせ、王女の追跡に回す余裕を失わせたのは、後の結果から逆算すれば大きな功績といえた。




