第3章 ベイドンの戦い ~その2~
アルビオン王国軍と北海帝国軍が、ティンタジェル城とハドリアヌスの長城の中間地点に位置するベイドン平原に布陣したのは、一週間後のことだった。
アルビオン王国軍は初動が遅かったが、兵力が北海帝国軍の半数だったため行軍速度は上回り、同じだけの距離を進軍できたのである。
「モードレッド卿は100名も兵を出したのか……」
トリスタンの脳裏に何か小さな棘が引っかかった。
出し惜しみしたのではないのだけは確かである。
だが、それは本当に忠誠の証だろうか?
全軍の1割に相当する兵を、モードレッドに委ねることにトリスタン懸念を感じているのだ。
裏切って襲ってきたり、そこまでいかなくとも戦わずして退いたりでもされたら、兵の数が多いだけに、アルビオン王国軍が被る影響も大きい。
モードレッドの戦いぶりが、かなり戦局を左右しそうだった。
守りを重視するのが基本方針のアルビオン王国軍は凸陣形を敷く。
対して北海帝国軍は兵力の多さを活かし、半包囲の凹陣形で戦いに臨んだ。
この時点ではどちらの陣営も予想通りの展開といえる。
トリスタンは軍勢の中央最前列の部隊に、モードレッドは左翼の部隊に、それそれ配備された。
互いに睨み合ったまま時が過ぎれば、アルビオン側の思惑通りだったのだが、予想を裏切り北海帝国軍が雄叫びを上げて突撃を開始する。
たったそれだけで、アルビオン王国軍は浮き足立ってしまった。
――守りを固めれば、北海帝国軍は攻めてこないはずではなかったか?
軍組織の上位にいる者ほど、狼狽ぶりが酷い。
「弓を持っている者は、急ぎ矢をつがえ構えよ! それ以外の者は槍を持て!!」
矢継ぎ早にトリスタンは大声で指示を飛ばす。
上からの命令が届けば、おたおたしていた者もやることが明確になり、落ち着きを取り戻していく。
戦わずして破れるという事態だけは避けられた。
それほどトリスタンの声がもたらした物は大きい。
「合図を出すまで矢は放つな。決して防柵の前に出ないように!」
トリスタンの冷静に対応する姿が兵たちには頼もしく映り、部隊は整然と行動するようになった。
防柵のすぐ後ろに槍を手にした兵が並び、その背後に弓を構えた兵が控える。
迫りくる敵兵をじっと観察し、トリスタンは矢を放つタイミングを計った。
この時点で上空から鳥の視点で戦場を俯瞰すれば、北海帝国軍の右翼、アルビオン王国軍から見て左翼の陣容が一番厚い。
北海帝国軍のがそこから切り崩そうとしているのが一目瞭然だったが、目の前の敵に対処するので手一杯のトリスタンが見抜くのは不可能だった。
「放てえっ!」
敵兵が弓矢の射程に入ったと見做すと、トリスタンは大音声で合図を発する。
ついにベイドンの戦いの火蓋が切って落とされたのだ。
敵兵が次々に倒れたことから、放たれた矢は命中していることが見て取れた。
「第2射用意……、放てえ~!」
空気を切り裂くような小気味よい音を立てて、射手の手を離れた矢は虚空から敵兵に降りかかる。
しかし弓矢による攻撃はここまでだった。
北海帝国軍は弓矢が使えない距離まで迫っていたのだ。
「これからは白兵戦となる。弓を持っている者は、武器を替えよ!」
すでに敵兵は防柵に取りつき、押し倒そうとしていた。
そうはさせまいと槍で突いたり叩いたりして、トリスタンのいる中央正面の部隊は必死の応戦を試みる。
防柵をすり抜けてきた敵兵は、数人で囲んで戦う。
トリスタン自身は1対1で戦ったが、兵たちには多対1で相対するように厳命してあった。
アルビオン王国軍にとって一番重要な正面中央に配した前衛部隊は、トリスタンの指示の下、押し寄せる敵の波を防ぎ敵に無視できない出血を強いている。
そのトリスタンの雄姿が他の部隊に伝わったのかはわからない。
しかしアルビオン王国軍は倍の数の敵に対して将兵は奮闘し、劣勢を跳ね返し善戦していた。
防御を固めているだけとはいえ、戦いの流れは完全にアルビオン王国軍のものだ。
このままいけば、北海帝国軍をハドリアヌスの長城の向こうに撤退させることも不可能ではない――。
慎重なトリスタンでさえ、そのような楽観的な推測を抱いてしまうほどである。
だが次に起きた2つの出来事が、戦況を決定的に変えてしまう。
その2つの出来事とはモードレッドの裏切りと、ジークフリートの参戦であった。
モードレッド率いる100名の兵は、アルビオン王国軍の左翼部隊における中心ともいえる存在だ。
それが戦わずして後退したとき、他の将兵に与えた衝撃は計り知れないものがあった。
まず思考停止に陥り、次に恐慌が頭を支配する。
少ない兵士から全軍に伝播するのに、さほど時間はかからなかった。
アルビオン王国軍の左翼は、為す術なく壊滅に追い込まれる結果を生んだ。
このとき異変を察したトリスタンの行動は味方のみならず、敵をも唸らせるものだった。
これまで死守してきた陣地を迷わず放棄し、部隊を本陣まで一気に後退させ、本陣の兵を吸収したトリスタンは即座に軍を再編したのち、秩序だった反撃をしてみせたのである。
アルビオン王国軍の壊滅を疑わなかった北海帝国軍は不用意に飛び込み、思わぬ痛撃を受ける羽目になった。
モードレッドの裏切りによる左翼部隊の壊走により、誰の目にもアルビオン王国軍の全軍崩壊は間違いなと見えたのを、トリスタンは間一髪で食い止めたのだ。
これは賞賛されてしかるべき行いだった。
いまだアルビオン王国軍の首脳部は健在で、組織的な戦いが可能なのである。
「敵にも、なかなか優れた人材がいるではないか」
ジークフリートの薄氷色の瞳が妖しく輝く。
アルビオン王国軍にとって出陣したことが失敗なのだが、それを戦場でよく挽回している。
「グイスガルド! 俺があの将とパルツィヴァルの首を取る! そのあとで敵に降伏か逃亡を促せ。これ以上、ここで兵を失うわけにはいかん!」
もっともらしい口上をのべているが、ジークフリートの頬が緩んでいた。
強敵に出会い我慢できずに戦場へ駆け出して行った、というのが正解だろう。
「ふん。勝手な真似をしおって」
独断で出撃したことを口では責めるが、グイスガルドの顔は笑っていた。
ジークフリートの気性を熟知しているため、正論を述べるのがおかしかったのだ。
止めるような無粋なことはしない。
あくまで一剣士であろうとする竜殺しの男に、自由な振る舞いを許す度量がグイスガルドにはあった。
そうでなければ一軍の将にあのような物言いで、あのような命令をする輩と行動を、それも戦場を共にできるわけがない。
好きにやらせる見返りとして、ジークフリートは勝利を約束してくれる傑物だった。
その絶対的な強さに、グイスガルドは絶対的な信頼を置いているのである。
ジークフリートもまた、グイスガルドのような男と知己を得たことを好ましく思っていた。
祖国が北海帝国に併呑された際、忠誠を捧げた王女ブリュンヒルトを死なせずに済んだのは、グイスガルドの力添えが大きい。
もしブリュンヒルトが処刑されていたら、今ごろジークフリートは北海帝国と敵対する勢力に身を寄せていたはずだ。
竜殺しの強大な力を振るうのは北海帝国のためではなく、ひとえにブリュンヒルトやグイスガルドのためといっても過言ではなかった。




