第三神殿の惨劇
「こ、これはいったい……」
大司教グレイザムは聖王都の第三神殿の扉を見て、背筋に冷たいものを感じた。
その扉には赤い塗料か何かで、巨大な×の字が書かれているのだ。さらに×の文字に被らない形で、黒い文字による文章も書かれていた。
どうやら魔力によって浮かび上がらせた文字らしい。
「罪を重ねし者どもよ、次に堕ちるのは貴様らだ。震えて待て。堕天使ノア・エルグレイス……か」
第三神殿で受神の儀式が行われていた最中、とんでもないことが起きた。そしてそれを実行したのが、肉体を燃やして処刑したはずのノア・エルグレイスだったらしい。
神殿から逃げ帰ったという民もまた、その名を口にしたという。
そんな報告を受け、扉に書かれた文字を見てもなお、大司教グレイザムはノアの生存を信じてはいなかった。
「だ……大司教。いかがなさいましょう」
直属の部下である司祭が、声を震わせながら言った。
いかがするも何も、まずは神殿の中を確認せねばならないであろう。
グレイザムは左右の扉の取っ手を掴み、そのまま押して開こうとした。瞬間、嫌な予感がして、額から汗が浮き出てきた。
扉の向こうに、おぞましい何かがいる。ヤバイ気配がひしひしと感じられ、開けるのを体が拒否しているようだった。
しかしそれは、首謀者に屈するも同然。そんなことを認めはしない、と自らを奮い立たせて、勢いよく扉を開く。
「な、なんだこれは! いったい何が起きたというのだ!」
大量の人間が、まるで人形のように重なり合ってそこら中に転がっている。傷もないし、血も流れていない。死んでいるのか、それともただ気絶しているだけなのか、判断に悩むほど無傷の人間ばかりだ。
扉のすぐそばには、光輝教団が支給している鎧を身に着けた者も転がっていた。鎧の色と形状から、下級兵だと分かる。
「お……お気を付けください、大司教! 神殿に一歩でも入ると……」
司祭が声を震わせて、忠告してくる。
この司祭は異変を聞きつけ、下級兵士たちと共にこの第三神殿に足を踏み入れた者だ。
そのときの報告によると、神殿内は今と同様、大量の人間が転がっていただけだったらしい。しかし神殿内に足を踏み入れた瞬間、恐ろしいことが起きた。そして逃げ遅れた下級兵士たちは死に、司祭だけが命からがら逃げ帰ってきた。
それが最後の報告だ。
「フン……舐めくさりおって! ワタシを誰だと思っておる!」
怯える司祭の言葉を無視し、大司教は神殿内へと足を踏み入れた。
その瞬間、今まで見えていなかったはずのものが、姿を現した。
あまりのことに、素早く神殿から外へと足を引っ込める。
「バ、バカな……。今のは、魔界のモンスターども?」
神殿に踏み込んだ瞬間、確かに見えたのだ。大量の魔界のモンスターどもが、民たちの死体を食い散らかしている光景を。
しかし外へ出た今は先ほどと同様、無傷の人間が床に転がっているのみだった。
「なるほど。これは精神に訴えてくる幻術系の魔法に違いない」
「し、しかし大司教……。これほどの数の人間に効力を発揮する幻術魔法なんて、聞いたこともありません」
「首謀者はそれだけ、高い魔力を持っておるということだ。しかも、この巨大な神殿まるごと、幻術魔法の影響下にしてしまっている」
グレイザムの説明を聞いても、司祭は信じられないといった顔をしている。
確かに、普通ならありえないと考える所業だ。こんなことができるほどの魔力の持ち主など、この世に存在しないだろう。しかしグレイザムは、そういった常識を超える力が実在することを知っていた。すなわち、神々や魔王といった、人知を超える力だ。
「もしこれが幻術魔法の仕業であるなら、倒れている者たちも生きているのでしょうか」
「確かめてみんと、何とも言えん。幻術は本来、人体に直接的なダメージを与えはしない。しかし魔界のモンスターに喰われた痛みまでリアルに感じられるほど、強力な魔法ということもあり得る。もしそうであれば幻術と言えども、そのショックに肉体が耐えられまい」
グレイザムはそう言ったあと、大きく息を吐いた。そして目を閉じて集中し、魔力を高めて体全体に纏わせた。
目を見開き、勢いよく神殿の中へと突入していく。
「だ、大司教!」
後方から聞こえてくる司祭の声が、壁か何かに遮られているように籠っていた。魔力で出来た膜のようなものが、神殿の外と中を隔てているな。魔法によって放たれた幻覚物質が、神殿から漏れ出ないようにするための結界、と言ったところか。
それにしても、おぞましいな。
第三神殿の収容人数は、優に三千人を超える。それほどに広い殿内を魔界のモンスターどもがうごめき、大量の人間を食い荒らしていた。
何匹かの魔界のモンスターが、グレイザムのほうへと顔を向けた。まるで巨大化した昆虫に睨まれた気分だ。そいつらが一斉に飛びかかってくる。
グレイザムは右手に込めた魔力の塊を、雑にぶん投げた。光弾となった魔力の塊がモンスターにぶつかり、殿内全体を照らすほどの強い光を放つ。
「「「「ブギャァアアアアアアアア!」」」」
光の中心にいた数体のモンスターが、雄叫びを上げながら消滅していく。
幻覚でも、こちらの魔法はしっかり効くようだな。それはつまり幻覚が見えている者にとって、実体化しているのと変わらないということでもある。
誰かは知らんが、これがノアを名乗る者の仕業というなら、こいつも神々に匹敵する力の持ち主と認めざるをえまい。
飛びかかるモンスターどもを消滅させながら道を作り、倒れている人間の脈を取る。
「やはり、死んでいるようだな」
それよりも、この神殿内にいた司祭たちはどうしたのだ。
グレイザムがそのようなことを考えながら、台座がある神殿の奥へと目を向けたときだった。
ズガァァァアアアアアアン!
激しい爆音と共に、穴の開いた天井から稲妻が落ちてきた。
台座の破片をまき散らし、もうもうと煙が舞い上がる。
その煙が晴れていき、やがて青年と小さい子供の影が姿を現した。
何を思ったのか、青年がパチパチパチと手を叩く。
「さすが光輝教団の大司教グレイザム様。他の司祭とは全然レベルが違う」
そう言いながら煙の中から出てきたのは、間違いなくノア・エルグレイスの顔をした男だった。




