第九話 森の異変
「可愛い子どもさんでしたね」
「ほんとうに。私も、早く孫が見たくなりましたわい」
馬車で相席になった冒険者……グレンさんと、その子どもさんのチルちゃんを見送りつつ、私たちは野草探しの準備を始める。
チルちゃんは変わった耳と尻尾を着けていたので、まさか獣人ではないかと話してみたが、あれはアクセサリーだそうな。最近のアクセサリーはなんとも、昔と違って趣が違うもんだと関心するばかりだ。まぁ、それもそうだろう。獣人という種族はこの辺りには……いや、おそらくこの国には居ないとされている。昔、あんな事があったのなら当然の事じゃがのう。
「ヴィクター博士! 準備が整いましたよ!」
「おぉ、おぉ、ありがとう。
こほん。では、王立動植物研究所の臨時探索を開始します。皆さんもご存じの通り、今年は異常気象により我が国ならず、他国でも野草を始めあらゆる生態の変化が報告されております。先だって、領都よりBランクの冒険者の方々が奥地の方の探索に向かってくれておりますが、そちらも併せて今季の研究を進めていきたいと考えております。
また、各地で魔物の発生数が微増しているとの報告もあります。我々は入り口周辺の野草探索となりますが、万が一のことも考えられます。常に、複数人で行動し、異常があれば直ぐに知らせること。また、避難が迅速に行えるよう、頭に入れての行動をお願いします」
私の挨拶に拍手を送ってくれている面々の表情は、期待半分の不安半分といったところですな。結構、結構。
研究対象を前に尻込みをされても困りますが、危機感がないのはもっと困りますからな。我々研究畑の人間は、どうしてもこういった実地での研究が不足気味です。なので、たまに野外に出ると後先考えずに飛び出してしまう人もいるのですが、今年は大丈夫そうですね。
今年入ってきたばかりの学院上がりの子達も、いい表情をしています。このまま、なにもなければいいのですが……。
そう、誰に言うわけでもなく呟いた私の言葉は、その数刻後裏切られることとなりました。
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「やはり、妙な空気だな」
「うん……暑さもそうだけど、これ見て」
馬車でグレン達と別れたBランク冒険者のパーティーの三人は、ボルティモア大森林の奥地へと足を進めていた。調査にあたり、どの区域にどんな動植物が生息しているかを頭に入れていたが、割りと早い段階で資料との食い違いを感じていた。資料では入り口付近からもう少し奥側にしか生えない、ニッポリダケが奥地の方でも生えているのだ。
ニッポリダケはあまり用途がまだ確立されておらず、生態があまりわかっていないキノコの一種だ。ただ、現在わかっているのは、高温多湿を好み、またこのキノコの胞子をなんらかの目的で採取する、『森の妖精』とよばれる生物がいることくらいだ。
奥地へと足を進めていくなかで、本来奥地では見られない森の妖精とニッポリダケを確認した三人は、報告の為の記録に記入しつつ、他にも異変がないかを探っていた。
そして、いくつかある樹木の中に、とある痕跡をみつけたポールはしゃがみこんで発見したものをウェルとアスターに見せた。
「これは、恐らくスケイルグリズリーの縄張りを主張する痕だね。しかも、かなり新しい。まずいね……ここはもう、縄張りの中だ」
スケイルグリズリーはククル王国ではそう珍しい生き物ではないが、基本的に山奥などの静かな場所に生息している。体長は地球の尺度換算で1mから1m50cmが成体の平均サイズの小型の熊で、雑食性。最大の特徴は体に鱗に似た体毛を持つことである。暑さに弱いスケイルグリズリーは、鱗状の毛を動かして体表の温度を調整し、暑さをしのぐ習性がある。
夏期はその気温の高さから気性が荒くなっている事が多く、夏に遭遇することは大変危険である。
「スケイルグリズリーはもっと奥にいるって話だったがなぁ……こりゃあやべぇな」
ポールの考察を聞いたウェルは、背負っていた弓を構え矢をつがえる。周囲にまだ独特の獣臭さは感じないが、それでも自分達はもうスケイルグリズリーの玄関に足を踏み入れているのだ。自宅の玄関に誰かがやってくれば、家主は顔が見えなくてもなんとなく気がつくもの。
既に自分達はスケイルグリズリーの意識の中に入っているのだと、三人の顔には緊張の色が浮かぶ。
「……一匹であればどうにかなるが、どうなんだ?」
「希望的観測だとそうであって欲しいけど、巣持ちは番であることがほとんどだ。更に言えば、この時期だと……」
その時、奥の方の藪がガサガサと激しく揺れた。三人は各々武器を構え、いつでも戦闘に入れるよう意識と体を切り替える。だが、そんな三人の前に現れたのは、くりくりっと真ん丸な目をした、小さな二匹の子熊だった。
三人の緊張はピークを迎える。
子熊がいる。つまり、親もすぐ近くにいる。そして、子を守ろうとする親は、この暑さの為に気が立っているのだ。
「逃げろっ! 親が来るぞッ!!」
ウェルの掛け声で他の二人は直ぐ様駆け出す。三人の中で一番体力が少ないのは魔術使いのポールであるが、非前衛職であってもBランクの冒険者。身体強化の魔術も行使し、驚異の速度で森を駆け抜ける。そして、それを追うようにウェル、アスターの順に隊列を組み、森の入り口を目指す。
だが、その背後から荒い息づかいと、小枝や細い木々を踏み荒らしながら迫る影があった。二頭のスケイルグリズリーである。片方が青を基調とした鱗を持ち、もう片方が黄色を基調とした鱗である。青が雄で黄色が雌。先程の子熊の親たちであった。
スケイルグリズリー自体は、そこまで脅威であるかと言えばそこまでではない。一般的なCランクの冒険者であれば、3~4人ほどで上手く立ち回れば、多少手こずりはするだろうが狩ることができる。Bランクの者であれば多少の余裕が出るほどだ。しかし、いまは夏期であり、親熊であり、二頭いる。こうなると狩猟難易度はぐんっと跳ね上がるのだ。
スキルや異能力が存在するこの世界では、体の作りであったり、力などは見た目と比例しない。魔術使いのポールであっても、身体強化の魔術を使えば、同じ身体強化が使えるグレンと腕相撲をやっても、体格の良いグレンが負ける。
さて、この世のには魔物というものが存在する。
普通の生物と魔物の違い。それは、体内に魔力器官と呼ばれる、魔力を蓄積、行使することが可能な内臓器官があるかどうかだ。魔物は魔力器官を用いて、爪や牙に強化を施す。程度で言えば『若干切れ味がよくなったかな?』程度のものであるが、恐ろしいのは魔力を纏った爪や牙は魔力での防御を貫通する。
スケイルグリズリーは、本来であれば魔物ではない。荒ぶっている時の危険度は確かに低くはないが、それでも所詮はただの獣。魔力を行使する冒険者たちの方が優位にたてる。
しかし、三人を追いかけるスケイルグリズリーの爪には、確かに魔力があった。
通常であれば、木々をなぎ倒すことしかできないその爪が、障害となるそれらを切り裂いているのだ。
「くっ、ありゃあどういうことだよ!?」
「……いいから足を動かせ。あの爪は……そんなに防げんぞ」
そんな恐ろしい魔物が二頭迫ってきたならば、いくら才能のあるBランクといえど死線を越えなければいけなくなる。まだ奥地でも浅いところであったのは不幸中の幸いであろう。
それと、暑さで気が立っているとはいえ、スケイルグリズリーの弱点はその暑さともいえる。バテ気味のスケイルグリズリーはスタミナが尽きるのも早い。いかに森を駆ける速度が速かろうと、走り続けることが出来なければ追いつけないのだ。
数分の鬼ごっこであったが、軍配は冒険者にあがった。しかし、この僅か数分とはいえ、スケイルグリズリーが奥地から出てきた距離は、決して無視しても良い距離ではなかった。
特に、奥地と入り口の間……そこで呑気にキノコ狩りをしていた、Cランクの冒険者と子どもにとっては。