第五十九話 Cランクのおっさん、子どもの為に
観劇が終わり、俺とクリフとチルはそのまま劇場をあとに……。
「出来ませんでしたとさ」
いま、俺たちは絶賛馬車での移動中である。向かう場所は、オクレイマン男爵様が構える、サースフライの迎賓館である。が、その前に一度宿に戻るんだがな。
本来であれば、街の視察に来たモンクレール伯爵様を迎え、旅の疲れをゆるりと癒してもらうという予定だったそうだが、急遽俺たちも交えての会食となった。何でこうなった? まじで。
なんでも、ここ最近の俺の活躍(?)を聞いた伯爵様が、是非に直接話を聞きたいと、会食をセッティングしてきたそうな。
とりあえず何とか断れんもんかと、灰色の脳細胞を働かせてみたが、まぁどう考えても避けることはできません。本当にありがとうございました。
と、言うわけで。せめてもの情けと言わんが、賓客の前に出てもおかしくない格好をさせてくれと頼み、いまは宿の方へと向かってもらっている。
一応、劇場に行くとあって俺もチルもよそ行きの格好ではあったが、流石にフォーマルな装いというものではないので、着替えは必須だ。こればかりは、いくらモンクレール伯爵様が良いと言っても、周りの人間の目が許しちゃくれねえ。品位を問われちまう。いくら冒険者だろうと、その辺りは蔑ろにしちゃあいけねぇやな。おっさんとしては。
「いいか、チル。さっき会った御方は、モンクレール伯爵様といってな。とっても偉い御方なんだ。失礼の無いようにしなきゃならねえ」
「失礼のないように、でしゅか……?」
「そうだ。例えば、これから一緒に飯を食う事になるだろが、まず溢しても手で掴んで食べてはいけない。つうか、出来るだけ溢してはいけない。食べづらいと思ったときには、俺かクリフに言え。助けてやる」
「なんでしゅって……? おててがダメなんでしゅね……」
サースフライに来て数ヵ月。チルもだいぶ社会というか、常識的な習慣に慣れてきてくれているが、やはりまだ難しい部分も多い。スプーンやフォークの使い方は教えているが、時々掬い損ねたものを手で摘まんで食べることもある。普段であればそれくらいなんとも言わんが、お貴族様の前でその仕草はちっとばかりまずい。
他にも、手が汚れても服で拭いてはいけないだとか、ところ構わず屁を出してはいけないだとか、思い付く注意点をあげていった。その度に、チルの表情が段々と曇っていくのがわかる。
「……おとうしゃん、チル、ちょっとお腹がいたくなってきたでしゅ」
「気持ちはわかるぜ。俺も行きたくねえよ、本当ならな。だけど、俺たち平民にとっちゃあ伯爵様との会食なんて、望んだって出来ることじゃねえ名誉なことなんだ。それに、いつもなら食えない様なごちそうもたっくさんあってな……」
「……チル、たくしゃんのごちそうより、おとうしゃんの作るチャーハンの方がいいでしゅよ……」
「…………そうか」
俺は再びチルの顔を見る。小さな眉を八の字に下げ、なんとも悲しげな瞳のチル。
その瞳が物語ってくるチルの気持ちに、俺はガツンと頭を殴られたような衝撃を受けた。
馬鹿か、俺は。
何が名誉だ。
我が子が、こんな顔をしているのに……こんな顔をさせて、いったい何をしているんだ!!
「……はは、わかったよ。やっぱり、断ろうぜ。伯爵様には悪いけど、俺たちはお貴族様と飯を食うよりも、食堂で炒飯でも食ってる方がよっぽど良いわ。すんませーん、俺たち馬車降ります!!」
「あんだってー? 困るよ、兄ちゃん。男爵様からくれぐれも丁重にお送りしてくれって頼まれてんだ!」
「ちょっと子どもが腹痛くなっちまったみてえでな! このまま漏らしてもいいが……良いのかい?」
「だぁああ!? ちょっと待ってくれ! いま止めるから!!」
大きな衝撃が起きないよう、ゆっくりと馬車を止めてくれた御者に何度も頭を下げ、俺はチルを連れて馬車を飛び降りる。そして、一応殴り書きではあるが、男爵様と伯爵様への謝罪の手紙を近くの文具店で小一時間ほどで急遽用意し、それを御者に手間賃の銀貨と共に渡して頼んだ。
まぁ、こんなことすれば最悪俺はこの街にいられなくなるかもしれんが、そうならない気もしている。なんだかんだ言って、男爵様は心の広いお方だし、伯爵様も少し話して道理のわからん傲慢な貴族って訳でもなさそうだった。
まぁ、最悪クリフがなんとかしてくれるだろう。あいつには悪いが、後は頼んだぞ!!
「なんでてめえもここにいるんだよ!?」
「そりゃあ、こっちの台詞だぁ!!」
『もみの木の小枝』に戻った俺とチルは、普段着へと着替えてそのまま食堂の方へと向かった。だが、そこで待っていたのは、すでに二杯ほどエールのグラスを空にしていたクリフだった。
「お前まで伯爵様のお誘い断っちまったら、誰が頭下げにいくんだよ!」
「うるせぇ! ばーかばーか! 俺はお貴族様と酒なんて飲みたかぁねえんだ! おーい、ソアラ! もう一杯!!」
「はーい……」
「どうすんだよ、これ……やっぱり、今から俺だけでも向かう、か……? ……んん? おい、クリフよ。ここ、最初からこんな感じだったか?」
「あぁん? どういうこった? いつもの食堂じゃ……ねーな? つうか、さっき俺の注文に答えた声って……?」
俺とクリフは食堂内を見渡して、その異様さに首を傾げる。おかしいのだ。この時期の、この時間に。
俺たち以外の人間が、誰もいないなんてことが。
「エール、お待たせいたしましたー!」
「……なにやってんだてめぇら!?」
店の奥から、エールのジョッキをいくつも手にして現れたのは、今ごろ迎賓館で伯爵様の護衛をしているはずのウェル達三人組であった。
そして、驚くべき事にその後ろからは、同じくここにいるはずのないオクレイマン男爵様と、モンクレール伯爵様の姿もあった。
「驚かせたみたいで、すまなかったねグレン氏。だが、そう怒らずに許して欲しいんだ」
「い、いや……むしろ土壇場でキャンセルしようとしたのは俺たちの方で、怒るのは伯爵様の方のような……」
「いや、私も自分の気持ちが先走って、君の子どもの事を考えていなかった。君たちと別れたあと、弟にその点を諌められてしまってね。まったく、この歳でも反省の毎日だ」
はっはっはっと、豪快な笑い声をあげるモンクレール伯爵様。そんな皆の様子をぽかーんと眺めるしかできない俺たちに、オクレイマン男爵様は説明をしてくれた。
「迎賓館の堅苦しい雰囲気では、私も兄も望んだような、君たちとの交友など叶わないと思ったんですよ。そこで、急いでマーサに相談をして、今日は特別に貸しきりにして貰ったというわけだ。あぁ、すまんが警備の兵士は置かせて貰っているよ。最低限、兄を守る程度にはしないといけないからね」
「えぇ……? ん? あれ? マーサさんとお知り合いなんですか、男爵様は」
「ん? あぁ……なんと言えば良いんだろうなぁ。まぁ、遠い昔の話だよ」
「はは、隠すことはないじゃないか、オースティア。この宿の店主のマーサはね、この街の男連中であれば、誰しもが淡い想いを持つほどに、美人で聡明で、まさにサースフライの花だったんだ。弟はそんなマーサに振り向いてほしくてね。彼女の実家の花屋に、毎日要りもしない花を買いにいっていたもんだよ」
「兄さん!?」
人に歴史ありとはいうが、まさかそんな繋がりがあったなんてな。確かに、俺が初めてサースフライに来た頃のマーサさんは、まぁいまでも美人ではあるが、そう……いまのソアラの様に皆が振り向くほどに美人さんだった記憶がある。
そういえば、あの頃はまだ代官がいまの伯爵様で、男爵様はその補佐だったな。ちょっとして先代伯爵様が引退して、領都の方に現伯爵様が戻って行ってしまったから、一目見る機会もなかったが。
「はいはい、どいたどいた! そこに立たれたら料理が運べないじゃないか。オースティアの旦那も、今日は無礼講なんだろう? なら、皿を運ぶのを手伝っておくれよ」
「マ、マーサさん? それは俺が運びますから!」
「いいんだよ、グレンさん。この方はね、これくらいの扱いにしてらないと、『そんな遠慮しないでくれ……』なんて拗ねちまうんだ。まぁ、流石に人前だとやらないけどね! あ、それよりグレンさんは炒飯をチルちゃんに作っておやりよ。さっきから、お腹がぺこぺこだって顔してるよ!」
くぅ~。
ちょうどマーサさんがそう言ったとき、チルの腹の虫が小さな鳴き声をあげた。
その音に一斉に目を向けられたチルは、なんとも気恥ずかしそうに笑みを浮かべている。それを合図に、皆一様に笑い声をあげた。
……仕方ねえなぁ。いっちょ、我が子の為に腕を振るってやるとしますか。
そう思って厨房へと向かう俺の心には、さっきまでの陰鬱とした気持ちは一切なくなっていた。
な? やっぱり、伯爵様はいい人だったろ。自慢じゃねえが俺は腕も才能もねえけど、人の見る目だけはあるんだぜ。




