第五十七話 Cランクのおっさんと、歌劇
「モンクレール!?」
「伯爵様ぁ!?」
まさかの大物の名前に、俺とクリフは直ぐに席を立って片膝を床に着き、頭を下げる。っと、チルの事を忘れてた!
きょとんとしたまま座っているチルを抱っこし、再び頭を下げようとしていると、モンクレール伯爵様が手を振ってそれを制止してきた。
「面をあげてくれないかな? 今日は確かにモンクレール領の当主の立場でこの劇場に訪れてはいるが、私個人としては君たちと是非交友の輪を広げたいと思っている。この席での事は外には一切漏らすことはない。そうだろう? 副支配人」
伯爵様がそう言いながら視線をクルールさんへと向けると、クルールさんは黙したまま恭しく頭を下げる。言葉を返さないのは、あくまでも自分は世話係の黒子であるという示唆だろうか。
「い、いやですが、さすがに私たち一介の冒険者ごときが、伯爵様のお耳を汚す様な真似は……」
「気にしないでくれと、そう言っている」
「ッ!? は、はいぃ……」
にこやかだが、断ることを許さないという態度に、俺は正直ビビって声が震えているのを自覚する。クリフなんてまだ酔っていないのに、既に顔色が吐きそうになっている。そんな俺たちの姿を見て、ウェルは苦笑いを浮かべた。
「グレンさん、本当に大丈夫ですよ。この場にグレンさん達を誘ったのは、何を隠そうモンクレール伯爵様ですから」
「おや、もう種明かしをしてしまうのかい? ウェル。まぁ、そういうことだ。支配人に声をかけ、この場に君たちがくるよう取り次いだのは、ちょっとした私のわがままでね。急に呼びつけるような事をして、悪かったね」
「あ~……やはり、そういうことでしたか」
俺は伯爵様の種明かしで、先程抱いた違和感の正体知った。
確かに、こういった場のゲストの中には子どもがいることもあるだろう。しかし、そんな時は普通は席を大人用から子ども用へと入れ換える必要がある。そんな作業、ちょっとやそっとの時間で出来るものではない。事前にどんなゲストが来るかわかっていなければ、こんな短時間で椅子の取り付け作業が出来るなんてことはない。
前世の映画館や劇場の様に、アタッチメントの交換で済むのなら時間はかからんだろうが、そんな物はこの世界にはない。ボルトやナットの様な規格品が存在しない以上、こういった設置物の交換はどうしても時間がかかるものなのだ。
だが、まるでこの場に一人子どもがやって来ることがわかっていた、とばかりに、都合よく椅子が……それも、チルの背丈にあっている大きさの椅子があるのだ。観劇に来る子どもってのも少ないだろうし、常時ついてるもんでもなかろう。
恐らく、俺たちがここに来ること前提で、あらかじめセッティングされていたのだ。
「本当に、肩肘を張る必要はありませんよ、グレン氏。兄は貴方達と縁を持ちたいと、そう考えているだけです」
「貴方は……オクレイマン男爵様! お久しぶりです。しかし、縁……ですか? 私たちの様な低級の冒険者などと」
「そう謙遜なされるな。確かに、貴殿方の冒険者としてのランクは一般のそれを出ないでしょう。だが、不思議と何かを感じさせるものがある。そう、司教の一件も、神の目の一件もね。
常人であれば、何度死んでいてもおかしくはない。そんな中で生き残った運というか、そういったモノを持つ者は、誠に代えがたい人物である」
「あぁ、そう言えば以前弟とは会ったことがあったんだったね。羨ましいなぁ……あのボルティモアの司教を倒した英雄と、顔見知りだなんて」
「え、あ、違いますよ!? 俺とクリフはウェル達を司教の攻撃から守るための肉盾になったに過ぎず……」
「グレンさん、さすがに伯爵様や男爵様には真実を告げていますよ。事後報告になってしまい申し訳ないですが、そういう契約の元に俺たちは活動していますので……」
「まじか……」
ここで言う真実とは、恐らく『俺が司教にトドメを差した、ギルドマスター達用の物語』の方だろう。熊と戦った方ではない。でなければ、さすがに熊の意識を乗っ取って戦ったやつなど、色々と危険すぎて今ごろ俺は檻のなかだろう。多分。あとでそれとなく確認しとこう。
「さて、英雄の皆様方との会話も楽しみたいところだが、そろそろ劇が始まりそうだ。また後程、時間を設けよう」
伯爵様が舞台へと向き直し、そんな事を言ってくる。
ふぇぇ……そんな緊張の時間なんて、設けたくないですぅ……なんてことは、言えないんだろうなぁ。俺たちみたいなCランク冒険者の命なんて、その気になれば伯爵様が吹く口笛よりも軽く吹き飛んでしまう。というか、この御方はいまでこそジャ○ザハットみたいなでっぷり体型だが、元々はバリバリの超武闘派である。いまでも戦って勝てるかわからんくらいだ。さすがに多分勝てる……よな? 自信はない。
まぁ後の事は未来の俺に任せよう。いまは、この特等席で劇を楽しむだけだ。よーし、人生で一度あるかないかのVIP席だ! たーのしーむぞー!!
そんな事を考えながら舞台へと視線を戻すと、照明が一気に暗くなり、幕の降りている舞台の上に一人の男性が現れた。あれは……さっき支配人と一緒に来ていた、派手な衣装のおっさんじゃないか。
『本日はこれだけの皆様にお集まりいただき、我々スクエア王国歌劇団も感無量でございます! 私は歌劇団団長のスクエア・リビルンドでございます。
そして、舞台に控えておりますのは、我が歌劇団から選りすぐられた精鋭劇団員でございます。是非、最後までお楽しみいただければと思います』
ほぉー、あの人が団長だったのか。支配人と一緒にいたし、偉い人かなとは思ったけど……っと、いまは劇だ、劇。
『そして、ここで少しばかり、演目についてのご説明をさせていただきます。本日我々が演じるのは、ここサースフライに接する森……ボルティモア大森林が舞台でございます、ボルティモアの三英傑です。このお話では、三人の若き凄腕冒険者達が、苦難を乗り越えて強敵を討つ。そういったお話であることは、既に皆様もご存じの通りでしょう。
この物語は既に王都でも何度も演じられ、多くの方に楽しんでいただけたと、我々も自負しておりました……。
しかーし! 先日、この街で劇を演じることが決まった時のことです。脚本を手掛けていた人物から、これは真なる英雄の物語ではないと……サースフライでこれを演じさせるわけにはいかないと、脚本の修正を打診されました!!』
暑く拳を握り、そう声高々に宣言するスクエア団長。劇場内はざわざわと、困惑の声が広がっていく。
『皆様、静粛に。どういった訳でそんな事を言い出したのか。私はそれを確認するために、脚本家と膝を突き合わせて話し合いを持ちました。
すると、脚本家はあくまでもこの物語は、仮初のものであり、真なる物語は別にあると、ある人たちからそう言われたそうです。
ならば、その真なる物語はどんなものか。それを知るべく、我々はこの街に何度も足を運び、そして、新たに脚本を書いていく中で、様々な人たちへの取材を行いました。
そこで、ある事実を知ることになったのです!
そう、あの演目において、若き冒険者の盾となって散った二人の中年冒険者。その知られざる真実の活躍と、彼らを待っていた者達の愛の物語……それを無くして、この物語は完成しないと、私も判断を致しました!!』
…………?
何を、言っているんだあのおっさんは?
理解が出来ないと、隣にいるクリフに視線を送ってみるが、どうやらクリフも同じこと考えていたようで、お互い眉間にシワを寄せて目が点になる。
「クリフ……俺はすごく嫌な予感がするんだが」
「そうか……偶然だな。俺もだ」
隣で俺と同様に動揺を隠せないクリフが、プルプルと震える手でエールを掴もうとして、隣の席のクルールさんの腕を掴んでしまっている。流石に黒子に徹しているとはいえ、驚きの表情を浮かべるクルールさん。だが、クリフよ。それを口に咥えると多分捕まるぞ? やめとけやめとけ。
なんとかクリフの手を剥がし、再び視線を舞台へと向けると……んん? なんかいま一瞬、スクエア団長と目があったような? いや、きのせいか。
その団長は説明は以上だと、満足げな顔で舞台の上から観客席をぐるりと見渡すと、口許を綻ばせて演目を告げる。
『そして、今回新たな脚本で演じる中で……タイトルを変更することとなりました。それでは、お楽しみください』
『ボルティモア英雄譚』




