第五話 Cランクのおっさん、途方に暮れる
「どうすんだよ、これ……」
教会を追い出された俺は、街を南北に流れるヘリオ川の川原に座り、ぼーっと景色を眺めていた。チルはその辺りを走り回り、時々草むらから飛び出してくるバッタを追いかけて転げ回っている。犬のうんこだけは踏むなよ。即置いてくぞ。
「呑気なもんだよ、ガキってやつは……はぁ」
今日何度目の溜め息か、俺ももうわからん。が、出るもんは仕方ねえ。仕方ねえのは、いまの状況でグダグダ考えているのも、まぁ仕方ねえ。はぁ、どうしたもんか。
そんな風にしていると、砂利を踏む音が段々と近づいてくるのが聞こえた。またぞろ知り合いがチルを見に来たのかと、顔をあげてそちらを見てみれば、いま一番会いたくない人物だった。
「グレンさん、聞いたわよ」
「げぇっ!? そ、ソアラか……よ、よよよよぉ、元気か?」
「あたしは元気だけど……どうせグレンさんは元気じゃないんでしょ? その子が噂のチルちゃん?」
「ち、違えーよ! げぇ、元気百倍グレンさんだぞ! ……こいつがチルなのは正解だが、あのだな、こいつは違うんだ。その……」
「グレンさんの子どもじゃない、でしょ? それくらい判るわよ」
一つにまとめたブロンドの髪を敷いてしまわないよう注意しながら、ソアラは俺の隣に腰かける。夏も終わりに近づいているとはいえ、陽射しはまだまだ強い。時おり吹く風に飛ばされないよう、日除けの麦わら帽子を押さえながら微笑んでくる。
「……その『私は判ってますよ』って感じ、止めてくれよ。むず痒くて仕方ねぇ」
「あら、いいじゃない。少しくらい、グレンさんの味方がいたって。どうせ皆に『お前の子だー』とか、『拐って来たんだろうー』とか言われたんでしょ?」
「ぐっ、まぁ……それはそうなんだがよぅ」
ソアラは俺が定宿にしている『もみの木の小枝』の一人娘だ。街でも評判の看板娘で、美人で気立てもよく……。
「おぉ~! おっきいおっぱいでしゅ!」
「そう、おっぱいが大きい……って、おい! ち、チル!!」
「ふふ、こんにちはチルちゃん。はじめまして、ソアラって呼んでね」
「ショアラ? こんちわ!! チルっていいましゅ!!」
俺の失言をスルーしてくれたのはありがたい……いや、余裕の表情を見せているが耳が赤くなってやがるな。すまねえ、ソアラ……そんなつもりはなかったんだ。
まぁこんな感じの出来た娘さんだから、当然街の男たちは放っていないのだが……ソアラはそれらを全部やんわりと退けている。そして……まぁ、これは多分、いや……俺の自惚れではないだろうが、何故か俺を慕ってくれている。良き隣人だとか、男友達って意味ではない。それくらいわかる程度には歳もくったし、ソアラの態度もあからさまだ。
だが、だからといって俺は、『うひょ~! 可愛くておっぱいのでっかい若い娘に好かれてる~! ひゃっほ~!!』などと浮かれる気はない。ソアラの気持ちは、恐らく幼い頃からの刷り込みっつうか、気の迷いってやつだろう。
ソアラとの出会いは俺がサースフライに来た十五年前まで遡る。定宿を探していた俺は、ギルドの紹介で『もみの木の小枝』に客として訪れた。その時ソアラはまだ5歳くらいで、見た目こそ人目を引くくらいに整っていたが、引っ込み思案というか……ソアラは失声症を患っていた。
ソアラとソアラの親父さんが隣街まで出掛けたその帰り、不運にも馬車が強盗にあい、巡回の兵士が駆けつけるも間に合わず、親父さんは亡くなってしまった。幸いにもソアラは無事だったようだが、目の前で親父さんが殺されたんだ。声がでなくなるくらいのショックだったんだろう。
声の出ないソアラは、周りの子どもたちとも馴染めず、一人で遊んでいる事が多かった。基本的にガキが嫌いな俺でも……流石にちょっと可哀想だなと、まだ若かったってのもあるが、少しばかり遊び相手になってやることもあった。色々あって、時が経つにつれ声も取り戻すことができた。
それでだろうな。ソアラは俺に懐いてしまったんだ。しかも、子どもの時に言っていた『グレンさんのお嫁さんになる!』ってのを、いまでも引きずっているらしい。
正直、好かれて嫌な気持ちにはならない。が、それはそれ、これはこれ。チルくらいがきんちょの頃から知ってる奴にいまさらどうしろとって気持ちがある。ガキの頃の寝しょんべんの跡を隠す手伝いもしたくらいだぞ。
それに、年齢差もそうだが、着の身着のまま風任せに生きている冒険者なんて、くっつくだけ苦労するのが見えてんだ。やめとけやめとけ。
「はい、チルちゃん。お花の冠よ」
「うわぁあ! しゅごいでしゅ! ショアラ、なんでも作れるんでしゅねぇ!!」
「ふふ、なんでもは無理よ。あ、でもこれなんてどう? ほら、風船」
ソアラは近くに生えていた植物の花を千切ると、くるくるっと巻き上げて裏返し、萼の部分から息を吹き込む。すると伸縮性の高い花弁は空気で膨らんで、まるで風船のように真ん丸になった。
チルはその様子が不思議に思ったんだろう。目を輝かせて風船とソアラを交互に見てはしゃいでいる。
「風船……か」
「これの作り方教えてくれたの、グレンさんなのよ」
「えぇー!? しゅごいでしゅねぇ……チルにも教えて教えてー!」
「だぁあ! こっちに絡んでくんな! ソアラに聞け、ソアラに!」
膝に飛び込んできたチルを草っぱらに転がして立ち上がる。すっかり日は傾いてきて、街の方からは夕食の匂いが漂ってきた。
「なぁ、ソアラ……おかみさん、なんか言ってたか? その、こいつのこと……」
「んー? 別に怒ってたとかじゃないけど、『なんでもっと早く言ってくれなかったんだい!』って言ってたから、帰ったら少しお小言はあるかもね。あ、でも、昔あたしが使ってた子ども用のベッド引っ張り出してきてたから、チルちゃんも泊まれるはずよ」
「……そうか。まぁ、なんだ。俺も疲れた……色々とな。とりあえず宿に行くぞ、ほら」
「はーい!!」
元気よく飛び起きたチルは、俺の右手を掴んだと思ったらそのまま強引にソアラの左手を掴む。ぶらんぶらんとぶら下がって楽しげに笑っているが、ソアラは少し困り顔になる。
「おい、チル。ソアラが迷惑そうにしてるじゃねえか。俺の足にでも掴まってろ」
「い、いえ、別に迷惑じゃないの! 本当よ? でも……なんていうか、その……親子みたいで」
ごにょごにょと言い淀むソアラの様子に俺はなんのこった?と思っていたが、辺りを見渡すと通りがかる人たちの視線が妙~に生暖かい。
「あらぁ、仲のいいご家族ねぇ。羨ましいわぁ」
「可愛い子だねえ。ありゃあ奥さんの血が濃いね。よかったよかった」
「おんやぁ? あれはグレンとソアラちゃんじゃないかい。ほうほう、いつの間にか良い仲になってたんだねえ。これでマーサも安心できるねぇ」
「……チル。お前、荷物の中に入ってろ」
周囲の好奇の視線と、好き勝手言ってるのを聞いて、俺はチルを荷物に詰め込む。すっぽりと体だけ入り、首から上だけ出したチルはそれはそれで気に入ったのか、嬉しそうに満面の笑みを浮かべている。対して、ソアラは少しだけ寂しげな表情を見せたが、すぐに気を取り直して柔らかく微笑む。
「そういえば、今日の食堂のご飯、グレンさんの好物のもつ煮込みですよ。是非食べていってくださいね」
「おっ! まじか。それなら帰らないわけにはいかないな。喜べ、チル。この街で一番うまい飯を今日は食べられるぞ」
「えー! 本当でしゅか!? わぁい!!」
背中の荷物の中で喜ぶチルを見て、ソアラもまた笑顔を見せる。
なんだかんだで、結局俺がチルを引き取るって流れになっちまったが……まぁその辺りは風任せの運任せ。明日の俺が頑張るだろう。
頼んだぞ、明日の俺。今日の俺はもつ煮込みで優勝して寝る。以上。