第四十一話 Cランクのおっさん、守る
俺の前方で剣を構える二人がまず駆け出した。
迫り来る触手を払い、往なし、避けながら、後へと続く道を作り出す。それと同時に、後方から俺と左右の二人に魔力が飛んでくる。
支援魔術。身体強化が自身の体へと魔力を巡らし、その能力を向上させるものであるのに対し、支援魔術はそれを自分以外へと行う魔術だ。自分自身にもかけることは出来るが、魔力の消費量的に無駄でしかないので、そんな事をする人間はいないが。
支援魔術はかなり高等な技術を要する。身体強化はあくまでも自分の体へのものであるので、その対象となる自分のことは自分自身が一番理解しており、魔力を巡らせるのもスムーズに行える。だが、支援魔術は他人に行うがゆえに、その対象となる者の魔力を理解する力が必要になるのだ。
こればかりは誰でも習得できるものではない。冒険者にも一応支援魔術の使い手はいるが、ほんの一握りである。俺も直接は見たことがない。
そんな支援魔術を受けた自分の体は、まるで十五年前にこの街に初めて訪れたときのような、若い頃の軽やかな動きを可能としている。
羽の様に軽いとはよく言ったものだ。俺は左右の二人と同時に走りだし、先に道を作ってくれた二人を追い越して『神の目』へと迫る。
その途中で再び触手による激しい攻撃が襲ってきたが、俺と一緒に走っていた衛兵がそれらを受け止めてくれた。しかし、あまりの手数の多さに、全てを防ぎきれておらず、衛兵たちはその体に傷を作る。
これ以上、若い者を死なせてはなるものか。俺がそう考え、触手を切り裂こうとしたとき、後方からイズマの怒鳴り声が聞こえてきた。
「足を止めるなグレン殿ッ! 皆も、ここが死地だッ!! 気合いを入れろッ!!!」
『ハッ!!』
イズマの一喝により、押され気味だった衛兵達は気合いの声をあげ、踏ん張り返す。一瞬立ち止まってしまった俺も
直ぐ様に再び『神の目』に向かって走り出す。
皆の作ってくれた道のお陰で、目標はもう直ぐそこだ。俺は拳に……爪に気合いを込めて肉薄する。だが……。
俺を見ていた『神の目』が、ニヤリと笑った様な気がした。
「きゃああぁあああ!!」
「ぬわああああぁぁあ!?」
思わぬところから叫び声が上がる。見れば、モンドとソアラの周囲の地面から、触手が取り囲む様に生えていたのだ。
「くそっ! 間に合わない!?」
モンド達の危機に気がついたイズマが、焦り声をあげながらそちらへと向かおうとする。しかし、距離的に間に合わない事は明確だ。
こうなれば一か八か、俺が『神の目』を砕く方が早いかと迷いが過る。と、その時。頭の中で、あの時に聞こえた少女の方の声が聞こえてきた。
『皆を守る、力を……』
その名を、言霊を叫べ。
「穴熊囲いっ!!」
無意識の内に発した言葉は、魔力となってモンドとソアラの周囲に集まる。そして、それらはいくつもの、モフモフとしたちんちくりんの熊のような姿を形を作り、触手から守ってくれた。触手に打たれた熊達は消えてなくなるが、それでもまだ数体は残って、モンド達をガードするように睨みを利かせる。
「召喚術、だと……!?」
イズマが驚愕に目を見開いてこちらを見ているが、すまん。俺も説明が出来ん。いまは、とりあえず『神の目』にトドメをささせてくれ。
『神の目』は俺の弱点だと考えたソアラ達を狙い、それを防がれた事に驚きと苦汁を飲まされた様な様子を見せる。
そうだよな。お前達『悪意』は、人の負の念を糧にするんだよな。それを防がれたら、そりゃあ悔しいよなぁ!!
「ざまぁみさらせ!! これで、終わりだぁぁぁ!!」
無防備となった『神の目』に、俺の拳と爪が突き刺さる。爪を構成していた魔力がはぜて、その内側から破壊の渦を巻き起こす。
衝撃でバラバラに砕け散る『神の目』。それが形を保てなくなった、その時。
『今回は、ぼくの負けだ。だが、次は勝つ』
小さく、本当に小さく。風に吹き消されるかの様に、その声は俺だけに聞こえてきた。
それは、男か女かよくわからない、子どもの声。どこか、悔しげにも楽しげにも聞こえる、不思議な声だった。
「……次も、負けてやらねえよ」
俺の呟きはもう、届かないだろう。だが、それは俺にとっての誓いのようなもので、どうしても言葉にしておきたかった。
『神の目』を砕かれたことで、あれだけ暴れまわっていた触手も、フールの遺体もすべてが灰となって崩れた。
今回の事件の首謀者であるフールが消えてしまったので、捜査やらなんやらが面倒な事になったと、治療院に見舞いにきてくれたモンドがぼやいていた。
俺はあの後、完全に魔力が尽きたというより、治療院に入院させられた間一切の魔力が使えなくなっていた。
もしかすれば、あの強力で無理やりな力を使った代償に、二度と魔力が使えなくなったのかと思った。まぁ、それならそれで、仕方がない。いよいよ冒険者もおしまいか、と思っていたら、一週間でまた使えるようになった。
また冒険者がやれると嬉しく思う反面、少しだけ……ほんの少しだけ、引退する機会を逃したなと思ってしまうのは、複雑なおっさん心だ。
その後、しばらくの間朝市は一部区画を閉鎖し、再開されるまでしばしの時間を要したが、いまでは元の賑わいを取り戻している。
「おっ! 朝市の救世主じゃねえの。ほら、これ持っていってくれよ!」
「おやぁ、グレンさんじゃない! 今日は良いモンキーパプリカの酢漬けがあるよ! 奥さんと一緒に食べてちょうだいよ」
「おはようございます! グレン殿! 今日も朝市は平和であります!!」
治療院から退院し、今日はチルとソアラを連れて朝市にやって来ていた。ここしばらく、俺が治療院に入院していることから、チルの世話をしてくれていたマーサさんは、宿の仕事のみをこなし、食堂を休業していた。
俺が帰ってきた事で営業を再開したのだが……食材がまた足りなくなったのだと、買い出しに来たわけだ。どうせ俺もまだ冒険者の仕事は出来んし、リハビリに歩くのはちょうど良い。
だが、あの一件以来、どうにも朝市の人たちから妙に慕われてしまった。確かに俺も戦ったし、『神の目』にトドメもさした。だが、一番体を張って頑張ってくれたのは、モンドやイズマ達衛兵だ。なので、俺が褒められるのは……少しばかりむず痒い。嫌ってわけでもないが。
朝市を巡回している衛兵も、俺の事をキラキラとした目で見ながら挨拶してくる。いやぁ、俺よりも君たちの上司の方が数十倍偉いよ、マジで。
「っと、行きすぎる所だったな」
俺は朝市の途中……あの戦いがあった場所で足を止めた。既に壊れた建物や石畳はある程度復旧されているが、後回しとなった街路樹や看板等はまだ壊れたままだ。
そして、そんな中で小さいながら、花が沢山供えられた台があった。あの戦いで命を散らした、三名の衛兵への献花台だ。
衛兵達は、街の住人の平和と安全のために、その命を捧げている。その対価として、住人の払う税が給金となっている。なので、命を落としたとて、それも仕事の内だ……などと、人の心とかないんか?という様な意見も、まったく無いわけではない。
だが、サースフライの人間の大半は、そこまでドライに生きてきたわけじゃない。古くは、ボルティモア大森林という脅威を、兵も農も商も貴も。皆が一丸となって、この街を作り上げてきた歴史があるのだ。
自分達の命を守ってくれようとして亡くなった若い命。それを共に哀しみ、嘆き、慰霊する気持ちくらいは、皆あるのだ。
「ほら、チル。手をあわせるんだ」
「あい」
朝市で買った花束を献花台に置いて、俺は手をあわせて祈りを捧げる。それに続いてソアラもチルも手をあわせる。
暫しの黙祷のあと、サアっと吹いた風に、俺は空を見上げた。すっかり秋の色を見せる空に、舞い上がった献花台の花びらが散っていく。その様子がどこか物寂しげに見えた。




