第四十話 Cランクのおっさん、クマー
気がつけば俺は、何もない場所に立っていた。
壁や天井、自分が立っているはずの床まで見えない、ただ『無』だけが広がる世界。
俺はこの景色に既視感を覚える……何処かで、見た気がする。もう随分と昔の話だ。そうだ……! 『あすなろ園』の火災で力尽き、気がつけばこの場所に立っていた……俺はここに来ていたんだ。
ただ、どうしてこの世界に来たのか、誰かと話した様な気もするが……そこの部分の記憶がすっぽりとない。まるで消しゴムでその部分だけ消されたかのように、思い出そうとしても空白なのだ。そもそも、いままでここの記憶すら忘れていた。これほどに印象深い場所を。
三十八年ぶりにやって来たこの『無』の世界には……俺の他に少年と少女が一人づつ、俺と対峙するように並んで立っていた。
顔や姿はぼんやりとしていてわからない。ただ、なんとなくシルエットというか、それが少年と少女のものだと感じさせる。
その二人は俺に何かを伝えようと、必死に言葉を発しているのがわかる。だが、磨りガラス越しに見ているというか、その表情や口の様子が見えないし、発している言葉も聞こえない。
ただ、ひとつだけ分かることがある。それは、二人が俺に協力してくれようとしているということだ。言葉でわからなくとも、心に染み込んでくるというか、伝わってくる。
はて……しかし、いったい何に協力を?
そう疑問に思った俺に、これが答えだとばかりに少年は何もない空中を指差す。すると、そこに映像が浮き上がってきて、人間よりも大きな触手の塊が、一人の女性に向かって迫る姿が見えた。
「そ、あら……? ソアラっ!!」
俺は映像の中で、意識のない俺を守るように仁王立つソアラの姿に、大声をあげる。
そうだ、ソアラは俺を庇おうとして無茶をしていたんだ!
今すぐに意識を取り戻さねば。映像に手を伸ばすが、それはただすり抜けるばかりだ。元の場所に戻らなければ……だがしかし、元に戻っても、魔力欠乏症の俺に出来る事はなにもない。
くそッ! また俺は、見ているだけしか出来ないのかッ! 大切な者を助けることも、守ることも叶わずにッッ!!
と、その時。頭の中に急に声が響く。
『やっと繋がった……! 大丈夫だよ、貴史おじさん。僕たちが、戦う力を』
『私たちが、守る力を』
『『おじさんに、託すから』』
聞こえてきたその声に驚く間もなく、強烈な光となった二人は、俺の中にスッと入ってきた。
その瞬間、失われていた魔力を取り戻す感覚と、意識の覚醒を感じた。
でも、それよりも……いまの声は?
どこかで、確かに聞いたことのあるような……。
その声を思い出そうとして、だけど上手くいかない俺の意識は、再びプツリと途切れた。
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「おわあぁぁぁ!? へやぁぁッ!!」
俺は意識を取り戻すが先か、飛び起きるが先か。目を覚ますと同時に体を跳ねあげ、そのままの勢いでソアラの腰に飛びつき、そのまま持ち上げて跳躍する。
その僅か数秒後に、ソアラの立っていた場所に伸びてきた触手が刺さり、本当に危機一髪といったところだった。
「グレンさん!」
「この、馬鹿野郎! 命をなんだと思ってるんだ!!」
俺を守ろうとして命を投げ捨てる? 本当に馬鹿かこいつは! 帰ったらお説教だお説教!
「とりあえず、今はあっちに行ってろ……モンド、ソアラを頼む」
「お、おい……大丈夫なのか? 体も、魔力も」
「問題ない。何処の奴等かわからんが、俺の事を助けてくれる奴等がいるからな……!」
モンドにソアラを預け、俺は『神の目』に相対する。先程駆けつけてくれた衛兵たちも、既に武器を構えて『神の目』を取り囲む。
「あれが……『神の目』、ですか。書物で見た特徴など、微塵も残っていませんね」
「そこのあんた……兵長さん」
「はい、なんでしょうか? 出来れば冒険者の方は避難していただきたいのですが……」
俺と面識のない兵士長は、表情こそ変わりがないが、露骨に邪魔だと言ってくる。こちらとしてもこんな修羅場、早く避難してチルの看病に戻りたいが……そうもいかない。
あの場所で渡された光は、その力の能力や使い方、注意点と共に、『誰か』と話した記憶の欠片を取り戻したのだ。
記憶の欠片は、忘れさせられていた記憶を紡ぐ。
『ごめんなさい、人の子よ。私達の力及ばず、子どもたちへ伸ばされた魔の手を防ぐことが出来ませんでした。そして、貴方を巻き込んでしまった……まさか運命をねじ曲げ、介入できる程の魂の強度の持ち主がいるとは、思いもしなかったのです』
何か、とてつもなく巨大な気配がそう俺に語りかけてきていた事を思い出した。その後も、いくつかの存在が俺を囲んで何か言い合っていたが、靄がかかった様に思い出す事が出来ない。
だが、記憶の欠片にあった知識。それが語りかけてくる。
あの火災は、『あすなろ園』の子達を狙った犯行であると。
そして、その犯人……『蒼空から堕ちた悪意』の欠片が、いま目の前にいる触手の塊だと。
「すまんが、俺も引けない理由があるんでね。俺の名はグレン。Cランク冒険者だ。あんたの名前を聞かせて貰っても?」
「……イズマと申します。はぁ、Cランクですか。いよいよもって、本当に避難していただきたいのですが……そうも言ってられませんね!」
まだ俺よりもだいぶ若そうな兵士長のイズマは、その年齢で兵士長に抜擢されるだけあって、かなり優秀なのだろう。俺の事を下に見下している、というよりかは本気で心配してくれている口調だ。まぁ、そりゃそうだよな。衛兵をひと飲みしてしまう様な化け物に、Cランクなんてぶつけても餌が一つ増えるだけだ。
なので、俺は実際に力を見せて、参戦を認めてもらうことにした。
「行くぜッ! 熊纒ッ!!」
「ッ! 勝手に前にでないでください!」
後ろからイズマの声が聞こえていたが、いまは少し無視だ無視。
受け継がれた光。言霊術と呼ばれるその力は、脳で考えて処理を行う魔術と違い、実際に言葉にしてはじめて力を発揮する。へその下あたりから湧き上がる魔力は、俺の体全体を包み込み、その姿を顕現させる。
頭部からすっぽりと被ったような熊の毛皮は、俺の腕や脚にも纒わりついて、まるで俺という人間の形をした熊の様な存在へと変えてしまう。
熊の様な? 否ッ! いまの俺は、熊だ! 熊そのものだッ!
「熊の力が漲るぜッ!!」
迫り来る無数の触手を、俺は左に右にとステップで避けつつ、時には拳をもって打ち払う。その際に、俺の拳には魔力で形作られた獣の爪が備わっており、払われた触手は千切れとんで地面でバタバタともがいている。
次々と触手を払い落とし、俺は『神の目』へと肉薄する。近くまでいけば、触手で囲まれていたその全貌が見えてきた。
中央でたたずむフールの目に光はない。だらりと弛緩した舌が飛び出し、瞳は濁った色で虚空を見つめている。しかし、その額にある『神の目』は、先程貫かれた傷をそのままにギョロギョロと忙しく動いている。触手はフールだったものの全身から吹き出るように伸びており、先程食われた衛兵は一部の触手によってフールと一体化させられていた。予想はしていたが、衛兵は既に死んでいた。首や四肢が壊れた人形の様に、あちらこちらへと向いてはいけない方向に向いていた。
俺の姿を捉えた『神の目』は、触手の勢いと数をさらに増やして、俺を穿とうと必死になる。だが、触手自体がそこまで堅くない……わけではないな。衛兵の武器弾いてるし。熊纒によって産み出された爪の力が、触手をなんなく切り裂くほどに鋭いのだ。
しかし、フールに腕を生やしたり、魔術盾を張ったりと、色々と頑張っていた『神の目』にしては、先程から触手を振り回すことしかしていない。
こちらの油断を誘っているのかと、よくよく観察していると……どうやら、先程魔剣ルプス・マギナによって貫いた傷から、魔力が漏れ出ているのが見えた。魔力を溜め込む事が出来ないが故に、触手で人を喰って魔力を補充するという手段しかないというわけか?
ならば、いまこそが好機ッ!!
一気に決めてやろうと、『神の目』に向かって駆け出す。
が、それを見た『神の目』はなりふり構わずといった様に、大量の触手をこちらへ向けてきた。あまりの量に捌ききれないと判断した俺は、バックステップでそれらを避け、『神の目』と距離を取る。避けた触手は石畳を砕いて地面に刺さり、その動きを止めた。
「イズマさんよ、俺が戦えるのわかっただろ? 頼む、協力して欲しい」
「いまのを見せられたら、頷くしかありませんね。というよりも、私たちでは少しばかり厳しいようです。あまりああ言った類いとの戦闘が得意な部署ではありませんので」
「そんなのもあるのか? とりあえず、俺はなんとか『神の目』に爪の一撃を食らわせる。ただ、近づけば近づくほどに、触手の勢いが強くなる。数秒で良いから押さえて欲しい」
「承知した。隊形変化ッ! グレン殿を中央に、2ー3ー3!」
イズマが号令をかけると、彼の部下の衛兵達が素早く隊形を形作る。
前方に左右二人の前衛、俺を挟む様にもう二人の前衛。そして、後方にイズマを中心に横並びで三名が立つ。
「前衛4名が活路を開きます。後方は前衛への支援魔術と、火力による支援を行います。その間にグレンさんは、『神の目』を」
「了解ッ! 頼んだッ!!」
イズマ隊と俺は『神の目』へ殺到する。これで、終わらせてやる。
そろそろ、てめぇの顔も見飽きたぜ!




