第三十八話 Cランクのおっさん、気づく
「お、おいソアラ! もう離れ、うわっぷ」
「グレンさん、グレンさんグレンさん、グレンさん! ん~!!」
もう本当に無理。動けんと横になっている俺に、ソアラは抱きついてきたかと思うと頬に唇を何度も当ててきた。普段のソアラでは考えられない大胆な行動に、俺も目を白黒させるしか出来ない。
そんな俺たちの事をモンドたちも生暖かい視線を送ってくるし、正直いたたまれねえ……。というか、街の連中も歓声を上げながら近づいてきているし、マジで退いてくれぇ!!
「おい、ソアラ! ちょ、マジで、おま、退け!! いまはマジでやめてくれ!」
本気のトーンでそんな事を言う俺を、まるで大切な玩具を取り上げられた大型犬の如く悲しそうに見つめるソアラ。だが、こればかりはダメだ。今回の事で、衛兵が二名死んでいるのだ。ソアラも俺も無事に生き延びられた事は嬉しく思う。しかし、そこに死人が出た限り、馬鹿みたいに浮かれる気になんてなれない。
「あー……まぁ、お前が無事で、本当に良かったよ。でも、いまはちょっと控えてくれ、な?」
「うん……ごめんなさい。グレンさんが、生きててくれた事が嬉しくって……」
「あぁ。お互い、よく生きられたもんだわ。まぁ、これでマーサさんに怒られなくて済みそうだな」
なんとか体を起こし、そう言って苦笑いを浮かべた。ソアラも俺が起き上がるのを手伝ってくれた辺りで、駆け寄ってきた住人たちに取り囲まれてしまった。
「やるなぁ! おっさん!」
「冒険者ってのは、凄いもんなんだねぇ。これでCランクなんだってねぇ」
「いやいや、俺もCだけどあれだけ動くとか無理だぞ? グレンさんはベテランとあって、やはり魔力の使い方が上手いんだわ。流石だぜ」
「衛兵さんたちも、本当にありがとうねぇ!」
「……亡くなった衛兵さんの遺体、踏まないよう気をつけろよ」
わいのわいのと騒ぐ住人達。しばらくして、住人達を退けつつ、他の詰め所からも駆けつけた応援の衛兵がやって来た。
「さぁ、皆解散してくれ! すまんが、この一帯は検分もあるため、立ち入り禁止にさせていただく! 店を構えていた者は、後日何処の詰め所でもいい。営業許可証と共に申請してくれれば本日分の保証がでるので、忘れないように。いいな!」
兵士長の腕章があるが俺は知らない衛兵が、他の衛兵と共に住人達を次々と散らしていく。サースフライも広いので、俺が立ち寄らない場所や門の衛兵は正直面識がない。
地面に安置されていた衛兵の亡骸も、丁重に袋に詰められてサースフライの紋章が入った旗で包まれ、丁重に運ばれていく。
衛兵になるのに、彼らはとてつもなく自己研鑽を詰み、なってからも常に街を守るために常人では耐えられないほどの努力を重ねてきた。そんな若者たちが、戦いの中で散ってしまった事を、俺は一人の大人として心苦しく思うし、同時に最期まで職務を全うした事に敬意を払いたい。
腕を動かすのさえ厳しいが、敬礼をもって見送らせてもらった。座ったままで、申し訳ないが。
「そら、グレン。そろそろ迎えの馬車が来るぞ。治療院行きのな」
「まーたあそこに行くのか……まぁ、今回はモンドもいるだろうし、暇はせんだろう。たまには話し相手になってくれよ」
「何をバカな事を言うか。私はまだこのまま、ここの検分や片付けに従事する。馬車にはお前と、付き添いでソアラも行くといい。あぁ、すまんがシロッコは乗せていってやってくれ。腕が使い物にならないみたいだからな」
「うへぁ、衛兵って本っ当に大変なんだな……お前さんも、別に無事ってわけじゃねえじゃねえか」
「それが私達の使命だからだ。しかし……本当に、どうしてこんな事になったのかな……」
そう言って衛兵の遺体が乗せられた馬車を見送るモンドの瞳に、涙はない。モンドなりの、意地なのだろう。ただ、若者を先に逝かせてしまった事への哀しみを感じられた。
「『神の目』、か。街に本来であれば入るはずの無い、禁制の魔導倶。何処から来たのだろうな」
「それも含めて、これから徹底的に調べあげる。フールに関しては……死んでしまった以上、追及することは出来ない。だが、裏でフールに『神の目』を渡し、糸を引いていた者がいる。私は、死んでいったタキモトやグーグーに誓って、そいつを必ず捕まえる」
決意の炎をその身に宿し、モンドは力強く言う。兵士長ながら温厚な彼だが、その内に秘めたる正義の心は、誰よりも強い。俺も、なにか協力できることがあれば、なんとかしてやりたいと思う。
そう思い、ふとフールの死体の方に目をやった。近くには駆けつけた衛兵達がおり、拘束具を装着する用意をしている。
だが、そこで俺は何故かざわっと、背筋をなぜられるような感覚に襲われる。
間違いなく、俺の手で魔剣ルプス・マギナが『神の目』を貫き、その手応えも感じたし、貫いた姿も一番間近で見た。
だのに。何故?
「も、モンド……!」
「ん? どうしたグレン」
「ダメだ……あれは、ダメだ! すぐに皆を、フールの周りに居る奴等を逃がすんだッ!!」
「なに? それはいったい……」
まったく根拠の無い俺の発言。しかし、何故か確信はある。
『神の目』は、まだ生きている。
そう感じたと同時に、フールの死体の額部分……『神の目』があった辺りが一気に膨らみ、そこから肉の色をした無数の触手が飛び出した。
「えっ!? なにが、うわぁ!?」
「ば、馬鹿な!? この、こいつぅ!!」
「退避ッ! 退避ーッッ!!」
いきなり動き始めたフール……いや、『神の目』は、辺りの兵士の腕や足に触手をまとわりつかせると、自らに取り込もうと引き寄せ始める。
それに気がついた衛兵たちは各々武器を抜いて対処しようとしたが、不幸にも刃物をとろうとして手を滑らせてしまった衛兵の一人が、そのまま『神の目』に取り込まれてしまった。
悲鳴をあげる暇もなく、辺りに響き渡る肉の咀嚼音と、骨を砕く音。
文字通り、衛兵を喰らった『神の目』は、不定形な触手の塊となって、再び動き始めた。
「くそっ! もう、体も動かんと言うのに!」
「立てッ、グレンッ! 近づいてくるぞッ!」
「足が、足が動かんッ! 魔力欠乏症だッ!! もう俺を捨て置いて、ソアラだけでも逃がしてくれッ!」
「そんな……グレンさん! そんなの嫌よ!」
「我が儘をいうなソアラ! モンド、頼む!」
「嫌ッ! 離してッ!!」
ソアラの腕を掴んで、モンドの方へ投げようと試みたが、それは寸前の所でソアラに避けられ叶わなかった。
そのソアラは、俺へと向けて近づいてくる『神の目』の前に立ち塞がると、両手を広げて仁王立つ。
「グレンさんは……やらせない! もう、これ以上大切な人を、私から奪わないで!」
「だめだ、そあら」
ぐっ、魔力欠乏症がいよいよ滑舌にまで影響を与え始めた。もうすぐ、このまま俺は意識を失ってしまうだろう。その前に、ソアラだけでも……。
なんとかソアラのもとへ向かおうと、俺は腕の力だけで地面を這って進もうとする。が、それも力が入らず叶わない。
ソアラ……!
そあら……。
そあr
………………。
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朝市で『神の目』が動き始める少しだけ前。
『もみの木の小枝』の受付では、マーサが宿泊客の冒険者から不思議な事を尋ねられていた。
「なぁ、おかみさん。なんか、この宿に魔導倶とかあるのかい? こう、魔力を大量に消費するやつ」
「いやだねぇ、そんな高価なものないよ。あるとしたら、旦那が置いていってくれた特製の魔力焜炉だけど、あれは魔石をこの間買い換えたばかりだからね。問題ないはずだよ?」
「そうかい? いやぁ、なんかさっきから少し息苦しさを感じてね。これ、時々ダンジョンとかで魔導倶が近くにあると感じる現象に似ているんだけど……なんでかなぁ?」
冒険者の男はサースフライの外部から来た冒険者で、ランクもBと凄腕である。いくつもの場所で冒険をし、ダンジョンとよばれる魔物退治も何度か経験している。
そんな冒険者が感じる息苦しさ。それは、この冒険者だけではなかった。
「あ、おかみさん! なにか……おや? 皆さんお集まりで?」
自室で同じく息苦しさを感じた別の冒険者も、その原因を探るべく階段を降りてきた。先ほどから何名もがそうやって受付にくるもので、マーサも困惑するしかない。
「なんだろうねぇ……気味が悪いわ。衛兵さんに知らせにいきたいけど、この子がいるから離れられないんだよう」
「あぁ、チルちゃんでしたっけ? グレンさんのお子さんの。では、俺たちが衛兵の方へ報告に行きますよ。どうせこの後ギルドにも向かいますし」
そう言って冒険者たちは準備を整えて、宿を後にする。
そして、全員が宿を出た瞬間に、急に息苦しさを感じなくなったことで、お互い顔を見合わせて首を傾げた。
そんな冒険者たちを見送りながら、マーサはまだ帰ってこない娘とグレンの事を心配し、いまだ熱でうなされるチルの頭をそっと撫でる。
もし、この時にマーサも魔力を感じることが出来たなら、先ほどの冒険者たちよりも酷く息苦しさを感じただろう。
うなされるチルの周囲。そこには、辺りからかき集められた魔力の渦が、極小の塊となって渦巻いていた。




