第三十五話 Cランクのおっさん、対峙する
フールに羽交い締めにされ、身動きがとれない状態で首筋にナイフを当てられているソアラは、真っ青な顔色でいまにも発狂しそうなくらいに表情が強張っている。
その姿を見た俺は、一瞬で頭に血が上るのを感じたが、ガッと後ろから肩を掴まれたことで、その動きを止められてしまった。
「落ち着けとは言わん。だが、今はまだ突っ込むべきではない。わかるな、グレン」
「モンド……すまん」
「なに。枯れた枯れたと自分で言うが、なかなかどうしてと驚いている。おい! フールとその一味。大人しくその娘を離し、投降しろ。今ならば、命まではとらん。諸々の罪を考慮して……数年は労働懲役となるだろうが、まだやり直せる」
「ふ、ふざけるなぁ! 俺は……俺はそんな生き方なんて、したくねぇんだぁ!!」
目を血走らせ、口角に泡を飛ばしながら叫ぶフールは、とてもではないが正常な思考ができているとは思えない。錯乱している……としても、何があそこまで奴を追い詰めるのか。側にいる仲間の二人も、その異常な様子に若干困惑の色が見える。
「お前が憂さ晴らしをしたい相手は、この俺だろう? ソアラを離せ。俺が代わりにお前に捕まってやる」
「黙れ黙れ黙れぇ!! 俺は誰の指図も受けねぇ! 俺は、俺のやりたいように、好きなように生きていくんだ!! そう神様が俺に言ってくれたんだぁ!!!」
「くっ、話の通じん奴だ。モンド……なにかいい考えはあるか?」
「正直、いまは何を言っても奴を刺激してしまうだけだ。だが、ソアラちゃんもあまり長くはもちそうにないな……」
フールに捕まっているソアラは、いまにも気を失いそうなくらいに顔色が悪い。青を通り越して白くなっている。
それも仕方がないだろう。彼女が幼い頃に、自分の父親と共に強盗に襲われ、あわやその身に凶器が迫ったところを、衛兵に助けられた過去がある。目の前で父を殺され、自分自身も危なかったトラウマは長年、その心を蝕んでいた。
なんとか克服をし、いまでは日常を謳歌しているが、忌まわしき記憶というものは消えてはくれない。
それは俺も十分過ぎるほどに理解しているが故に、今すぐにでも飛び出してソアラを助けてやりたかった。
ソアラが身動きがとれず、俺たちも不用意に突っ込むわけにもいかない。だが、フールのあの異常な様子は、このまま放っておくにはあまりにも危険だ。どうすればいいか。
手が出せない俺達をよそに、フール達を囲う人垣に動きがあった。
フールたちの背後にいる人間たちが、俺たちに何か合図を送ってきたのだ。どうやら、背後からフールたちに不意打ちを仕掛け、そのタイミングで俺たちが突撃するという流れに持っていきたいらしい。
それはモンドも気がついた様子だが、それでは街の住人たちに危害が加わる可能性がある。衛兵としては承服しかねるといった様子だ。
しかし、事態は一刻を争う。狂気に飲まれたフールが、どの様な動きをするのか見えないからだ。
少しの間迷った様子のモンドであったが、先に街の住人の方が動き出してしまった。
この人、本当に生きてる人間か?というくらいに、しわしわでよぼよぼでちんちくりんのお婆さんが、ふらふらっと人垣からフールの背後へと近づいていく。
よりにもとって、なんでこんな婆さんが!?
そう思った俺たちが焦って動きだそうとすると、婆さんはさきほどまでのよぼよぼとした歩きからはまったく想像が出来ないほどに素早い動きで跳躍をし、俺よりも身長の高いフールの頭の上から、背後に隠し持っていた巨大な何かを叩きつけた。
「サースフライ名物を召し上がれ!!」
「あがぁ!?」
鳴り響く破裂音。
飛び散る橙色の飛沫。
あぁ~、サースフライ名物。オバケカボチャの新鮮な果肉の弾ける音ぉ。
それを皮切りに、一斉に動き始めた。
俺たちは直ぐに身体強化を張り巡らせ、フールたちへと殺到する。カボチャブレイクをくらいたたらを踏むフールにモンドが突っ込むと、その体は自動車に跳ねられたダミー人形の様に錐揉みしながら吹っ飛んでいった。
その隙に俺はソアラを確保し、後ろへと下がる。その間にも街の住人は他二人の野郎に対し、それぞれが手に持っていた物を次々とぶん投げ、その雪崩の様な攻撃に怯んだ二人を他の衛兵たちが直ぐに捕まえてしまった。
「大丈夫か! ソアラ!」
抱き締めたソアラの様子を見る限り、目立った外傷などはみられない。だが、その体は小刻みに震え、表情もいまだ青白いままだ。
引き離して近くに手繰り寄せた時は、若干呆然としていたが、少しして俺の顔を見上げると言葉を発しようとするが、それが上手くいかないのか口だけがパクパクと動いている。
その姿が、昔の幼いソアラを思い出させて、俺の胸にぎゅっと痛みが走る。
「いまは、何も話さなくていい。もう大丈夫だ、ソアラ。お家に、帰ろう。マーサさんが待ってる」
俺の言葉に、ソアラはようやく状況に対する理解が追い付いてきたようで、安堵の表情に涙を浮かべる。
なんとか、無事ソアラを救えた。
俺も安堵の息を吐き出した。その時であった。
「この野郎ぉぉぉおおおぉぉぉぉぉっっっ!!!」
聞く者の心を萎縮させるような咆哮と共に、それは獣の様に突っ込んできた。
モンドに弾き飛ばされ、衛兵たちに確保されていたフール。驚くべきことに奴は、数人の衛兵の捕縛を逃れ、俺に向かって駆け寄ってきたのだ。
そして、フールのその変わり果てた姿に、俺はぎょっと目を見開く。
「人間やめてるなんて聞いてねぇぞ!! ぐああぁ!?」
俺は咄嗟にソアラを突き放し、突っ込んでくるフールを往なそうと構えた。しかし、それは異形の姿となったフールによって、簡単に崩されてしまった。
「通信進化でもしたのかよてめぇ……人間は腕が二本しかねぇんだぞ? わかってんのか?」
体当たりで吹き飛ばされた俺は、なんとか地面を転がって受け身をとり体勢を立て直す。
改めて見たフールの姿は、まさに異形としか言えないものだった。
ただでさえ体格の良かったその体は、先程よりも1.5倍ほどに膨らみ、脇下辺りから本来生えていないはずの腕が一対生えていた。額には第三の目っぽい物が開き、ギョロギョロと辺りを見回している。
そんな風に変わり果てたフールは、さきほどのお返しだとばかりに、辺りの人間に危害を加えようと襲いかかる。だが、それを阻止せんとモンド含む衛兵たちが抑えにかかるが……。
「やべぇ……あいつだけなんか無双シリーズの住人みたいになっちまった」
衛兵は、冒険者でいえば最低でもBランク以上の実力を有する。街を守る衛兵が、そんじょそこらの冒険者以下とあっては、街を守れないからだ。なので、そこら辺りを警邏している、冴えないモブみたいな新人の衛兵でも、俺くらいであれば圧勝するほどの実力がある。
モンドに至っては、対人であればAランクであっても互角以上に渡り合える。だが、それほどの男たちが、いま目の前でフールによって蹴散らされているのだ。
衛兵の一人がシミターを抜き放ち、フールの脇下から生える右腕を切り落としにかかる。それと同時に反対側からも違う衛兵が棒で目にも止まらぬ素早い突きを放ち、首を狙う。さらにその衛兵の背後から魔術使いの衛兵が土の魔術で生み出した石礫を数発同時に飛ばし、モンドもフールの背後へと回り込んでふくらはぎを切ろうと直剣を屈んで振るう。
連携のとれた同時攻撃。通常の犯罪者であれば、まさにオーバーキルだ。
だが、フールはそれを全て防いで見せた。
シミターを振るった衛兵は、もう一本の右腕によって上段から腕を弾き落とされ、そのまま狙っていた脇下の右腕に隙だらけとなった顔面を殴られて、血飛沫をあげながら吹き飛ぶ。
棒使いの衛兵は左側二本の腕に棒を掴まれ、そのまま持ち上げられて振り回されてしまい、魔術使いの放った石礫を全身に受け、血まみれになった。そして、その勢いのまま下段に振り下ろされた衛兵は、憐れモンドの放った斬撃の盾とされてしまい、真っ二つになり事切れた。
だが、その程度で怯むモンドではない。衛兵ガードで流された剣を、体を回転させた勢いのままに再び振り下ろしてみせた。
俺であれば……いや、この街のBランク程度であれば、『あれ? いつの間に剣を振ったんだ?』と、言って真っ二つになるくらいの、見事な剣の筋。
しかし、フールの第三の目が淡く紫色に光ると、ゴンッという鈍い音と共に、モンドの剣はフールの手前の空中で弾かれてしまった。
「魔術盾なんてもんまであんのかよ……まじの化け物じゃねえか」
俺の呟きが聞こえたからか、それともモンドたちが蹴散らされてしまったのを見たからか。先程まで沸き立っていた人々の熱は一瞬で氷点下まで下がり、込み上げてきた恐怖に突き動かされ、皆次々に逃げ惑う。
その様子を愉悦とばかりに、ニタァと笑いながら眺めるフール。
そして、俺と衛兵。フールの仲間二人。この場にそれだけを残し、人々は遠くへと離れていった。




