第三十四話 Cランクのおっさん、全力疾走する
「あらら? えらく珍しい人がいるじゃねえか」
二階の部屋から降りていくと、宿の受付のところで衛兵のモンドと出くわした。普段は詰め所か門でしか会わないので、非常に珍しい話だ。
「おはようさん、グレン。ん? チルちゃん、どうしたんだ?」
「あぁ、昨日雨の中で水遊びしすぎたのか、熱が出ちゃったみたいでな。流石にもう寒いからダメだな。そんなわけで、今日は俺も休みにしようと思うが、粥かなにか頼めないかと降りてきたんだ」
「おぉ、そうかそうか……うん、うん。グレンも、親としての自覚が出てきたようで、私は嬉しい限りだ」
モンドの目には光るものが……。いや、まぁ、この人本当に俺とチルのこと、本気で心配してくれてたからなぁ。けど、なんかそう言われると、ちょっと恥ずかしいと言うか。そんな自覚なんて俺にあんのかな?とも思ってしまう。よくわからんね。
「んで、なんでモンドがここに? 泊まりに来たわけじゃねえだろ?」
「無論。私は家族の待つ家に帰ることこそが幸せだからな。今日はグレンに用があったんだ。お前、以前他所から来た冒険者と揉めたろう?」
「他所の冒険者……? あぁ、あいつらか!」
「こら、二人とも。チルちゃんの体調が悪いんだろ? 話はあっちでしな。チルちゃんはこっちで預かるから。お粥、食べさせとくね」
「あぁ、すんませんマーサさん。ありがとうございます。チル、ちょっと待っててくれな」
「あぃ……」
俺の腕の中で少ししんどそうに顔を赤くするチルを優しく受けとると、マーサさんは食堂の調理場の奥へと引っ込んでいた。粥を作ってくれるそうな。俺とモンドも食堂の方へ移動し、話の続きをすることにした。
「すまんな、直ぐにすまそう」
「まぁ、マーサさんに任せてたら大丈夫さ。それで? 俺とその冒険者がなにかあったのか?」
以前、冒険者ギルドでサースフライの冒険者と揉め事を起こしていた、他所の街から来た冒険者との間に入った俺は、そのままオルセンさんという暴力装置もといお仕置きだべぇをぶつけた。そして俺はそのままチルと共に屁をすかし逃げた。
随分厳しく絞られたと聞いたが、逆恨みでなにかしようとしてたのかな?
「ここ最近、この辺りで妙に不審な男が見かけられると通報があってな。巡回を強化していたらこの宿を見張るやつがいたのだ。取っ捕まえて少し詰め所でお話を聞いてみたら、どうもお前と最近揉めて、仕事を干された事で恨みを晴らそうと計画していたらしい」
「えぇえ……? いや、確かに揉めたっちゃあ揉めたが、それはそいつらがギルドで迷惑をかけてたから、注意したくらいだぞ。まぁ、オルセンさんぶつけたけど」
「あぁ、事情は色々聞いた。ギルドの方にもな。それ自体は別にグレンに問題ないと判断した。まぁだが、それで恨みを買ってしまったというわけだ。その他にも、同じ様にうろうろしていた奴等を締め上げれば……まぁ、出るわ出るわ。街で結構色々とやってくれてたわ」
治安の良いサースフライであっても、犯罪というものは中々無くならない。前世の日本であっても、毎日どこかで犯罪ってのは起こってたし、それはもう仕方がない話だ。
特に冒険者しか出来ない、けれどそれを続ける様な根性なしは、犯罪者に身を落とす事は良くある話だが。まぁ、それもモンドたち衛兵のお陰で、こうやって未然に防いでくれてるので、治安はこの世界でもかなり良いと思う。
んで、その他所から来た冒険者……フールくんというそうだが、その一味はこそこそと窃盗、暴行、恐喝などなど、大きな事件にならない程度に、それでも糞みたいな行いをしていたそうな。まぁ、他所から来た勘違い冒険者若者あるあるではある。頻繁ではないが、こういう事は起こる。
今回はそれに俺が巻き込まれたってわけだ。まぁ、例の件も、普段の俺なら『おー、バカがまた来たぞ』と、酒場で眺めていたと思う。けれど、なんか今回は屁のせいで俺が渦中に入ってしまった。そう、すべては屁のせいだ。おのれ、肛門括約筋め……。
「けど、もう捕まったんでしょう? なら、安心だな! 勝ったな、風呂入ってくるガハハ!」
「こんな朝っぱらから風呂にいくのか? まぁ、朝の方が綺麗なお湯を使えるだろうが……いや、そうではない。問題は、一味のリーダーであるフールと、その側近の奴が二人が見つからない。私たちが捕まえようと駆けつけたときには宿はもぬけの殻だった」
「げぇ、マジで? そんなの、怖くて外に出られねえな。しばらくやーすもっと」
ここ最近は収穫祭に向けてのお仕事でガンガン働いていたので、あと少しばかり働けばそのまま冬を迎えても安泰なレベルに財政は整った。まぁ、こっからは貯蓄の為の仕事だったし、チルも体調が悪いことだししばらく休もう。
「そうだな、お前ならなんとかしそうだが、まぁ無理はしないに限る。宿に乗り込んでくるとは思わんが、身の回りに気をつけてくれ。私たちも出来るだけ早く捕まえられるよう、人を増やして探してみる」
「いつもご苦労様ですよ、本当。おっと、時間を結構くっちまいましたね。マーサさん、チルの面倒見てくれてありがとうございます」
調理場の方にいるマーサさんに奥に声をかけると、困った顔をしたマーサさんだけが出てきた。
「グレンさん、少し話が聞こえてたんだけど……」
「ごめんな、マーサさん。迷惑かかりそうなら、そいつらが捕まるまで、別の宿に移動するからさ」
「なにを水くさいことを言ってんだい! グレンさんはそんな事を考えなくていいんだよ。チルちゃんもいることだし、ゆっくりとしておくれ。なぁに、サースフライの女は強いんだよ。そんな冒険者なんて、叩き出してやるんだから!」
「マーサさん……ありがとうございます」
「まぁ、それはいいんだけどね。ちょっと心配なのが、ソアラのことだよ」
「ソアラ? そういえば、今朝は見てないですね」
いつもであれば食堂の手伝いをしているソアラが今日はいない。例の俺の話から観光地になっていたのも、最近では少し落ち着いてきて、朝の食堂もいつもの様子なので今日はいないんだなーくらいに思っていた。
「少し足りない食材があって、朝市に買いに行ってもらってるんだよ。ほら、昨日雨が降ったでしょう? 夕方買いに行けなかったから、少し前に買い出しに行って貰ったんだけど……帰りが、遅すぎるんだよぉ」
「……買い物帰りに何処かに寄って、ってのはソアラらしくないな。モンドさん、こりゃあ」
「あぁ、やばいな。俺は直ぐに朝市の方に向かう。お前さんは途中の詰め所で、他の連中を呼んできてくれ」
「わかった! すまん、マーサさん! チルをお願いします!!」
俺が朝市に駆けつけるよりも、モンドさんが向かった方が早いし、もしフールくんとやらがいても解決してくれるだろう。それよりも応援を呼びにいく方が大事だ。適材適所、これ大事。
俺とモンドは直ぐに食堂から飛び出し、朝市がやっている方へ駆け出す。突然飛び出して来た衛兵のおっさんとくたびれたおっさんに驚いた道行く人は、目を丸くする。すまんね、この世界じゃあサイレンも赤色灯もないから、驚くよなぁ。
一番近い詰め所は朝市の入り口手前にある。そこまではモンドの後ろをついて走っていく。
街の中で魔術を使ってはいけないという決まりはないが、むやみやたらに人を驚かせてはいけないというものがある。なので、身体強化を使って街中を走るのは、あまりよろしくない。身体強化を使って街中を走れば、何事かと人々の意識を必要以上に引いてしまい、最悪事故にも繋がるからだ。
しかし、いまは緊急時。流石に緊急時には身体強化を使ってもおとがめはないが、それでも衛兵と一緒となれば他の人からも『あぁ、なにかあったんだな。道を空けよう』と協力もしてもらえる。
そうして、朝っぱらから全力疾走するはめになってしまったが、いまは『少し走ると脇腹が痛くなる』『走ると息があがって吐きそうになる』などという、弱音は全部飲み込む。普段は抑え気味の身体強化も、フル稼働で全身に張り巡らせる。
いまは、否。いまこそが、頑張り時だろう。なにもなければそれで良し。しばらく魔力欠乏症でぐでんぐでんになるだけだ。
そうして、モンドの速さに追いつく様に駆けていると、朝市の入り口とその手前にある衛兵の詰め所が見えてきた。俺とモンドは視線を交わすと、無言で頷いて双手に別れる。
だが、その足は朝市の方から聞こえてきた悲鳴に、一瞬止まってしまった。
「ソアラ!!」
俺は、気がつけば朝市の方に向けて駆け出していた。
頭ではわかっている。俺よりもモンドが向かうのが適任だと。
だが、俺の心は、頭で考えるよりも、体を突き動かしてしまったのだ。
悲鳴によって朝市で行き交う人々も困惑している。それらを縫うように、時に人とぶつかりそうになりながら走っていくと、人垣が出来ているのが見えた。
その人垣を押し退けて最前列に到着するとそこには、あの日見たよそ者冒険者たちと、そのリーダーであるフール。
そして、その手に握られたナイフを首筋に近づけつつ羽交い締めをされた、ソアラの姿があった。




