第二十六話 Cランクのおっさん、親になる
※予約投稿設定を間違えており、25話と26話の順番が逆になっておりました。申し訳ございません
その日、帰り道は妙に静かだった。
いつも通りに俺の手を握って歩くチルが、いつも通りにはしゃいでいないからだ。
普段であれば、何がそんなに嬉しいのかあっちに行ったりこっちに行ったりと、本当に糸の切れた凧の様にぴゅーっとどっかに行こうとしちまう。だから握っている手を引いて、チルの暴走を止めるのが俺の役目なんだが……。
こう、調子が狂っちまう。そりゃあ、あんまりふらふらとされるのも困るが、いつもの調子じゃないってのも、落ち着かねえ。
だが、その原因がわからないだとか、俺のせいじゃねえとは、流石に責任という言葉から逃げ続けてきた俺でも、口には出来ないし、しちゃいけないのはわかってる。
チルを迎えたのは、確かに話の流れ的な部分が大きい。だが、最終的に受け入れたのは、俺だ。
本当に嫌なら、それこそシスターに土下座でもなんでもして預かってもらうなり、マーサさんに頼むって選択だってあったんだ。それをしなかったのは……俺の、過去に……前世の最期にあるのは、俺自身気がついている。
俺は、前世では子ども向け玩具メーカーに勤めていた。別に子どもが好きだからだとか、玩具が好きだからってわけではなく、まぁうまくいかない就活に苦労した結果、コネみたいなもんで入社した。
だが、働き始めればそれなりに楽しく、たまに保育園や幼稚園なんかに営業に行った際、子どもと遊ぶのも……嫌いじゃなかった。いや、ある種、通常業務の息抜き的に、好きだった。
そして、ある日訪れた児童養護施設が、俺の……いや、俺たちの人生を変えてしまった。
いまでも、思い出せる。小さいながらも、白く綺麗な施設で生活する子ども達。名前も、顔も思い出せるその子達と、俺は最期を共にした。
何度も訪問し、子ども達ともよく遊ぶ仲になっていたその施設で、大規模火災が発生したのだ。たまたま訪問していた俺は、避難する中で逃げ遅れた12人の子ども達を見つけ、どうにか助けようと最後まで足掻いたが……奇跡は起こることはなかった。まぁ、簡単に起きないから奇跡なんだがな。
次々と力尽きていく子ども達の姿は、いまでも鮮明に思い出せる。だから、俺はその記憶が嫌いで、思い出したくなくて、子どもを避けるようになった。
この世に生を受けたとき、俺は本当に絶望した。なぜ、俺はこの記憶を持って生まれてしまったのかと。焔に焼かれた彼らを救うことが出来なかった、その罰なのかと。
そう思えば思うほど、生きることが辛くなった。そうして、俺は真面目に生きる気力をなくし、けれども前世からの倫理観ゆえに悪党になることもできず、中途半端にいまを生きているのだ。
チルを受け入れたのは、過去に対する贖罪の気持ちであるのは、誤魔化しようのない事実だ。
本当であればそんな憐憫の気持ちで、親になんてなっちゃいけない。結局は、また中途半端な事をしてしまった。
だからこそ、そんな中途半端な関係だからこそ、チルが俺の事を『おじちゃん』と呼ぶことを止めなかったし、チルの気持ちに気がつかない振りをしていた。
だが、流石に一ヶ月以上生活を共にしていれば、それがまだ小さい子どもであれば、行動の節々に態度が現れ、その本心にも気がつくものだ。
チルが求めているのは、父親や母親といった存在だと。
物思いに更けていると、俺の手をクッと小さな手が引いたことで、意識が引き戻される。見れば、チルは不安そうに眉を下げ、俺の事を見上げていた。
「おじ、ちゃん?」
「…………ん、あ、あぁ。どうした、チル?」
「……ううん。なんか、グレンおじちゃんが、苦ししょうだったから……」
「そ、そんなことはないぞ! ったく、俺はいつでも元気なグレンさんだ!」
空元気だってのは、チルにも伝わっちまってるだろうが、それを認めてやるわけにはいかねえ。子どもに心配されるなんざ、大人として恥ずかしいってもんだ。
だから、その何か言いたげな瞳はやめてくれ、チル。そんな男を見て見ぬふりができるのも、いい女になる条件だぜ。
その後も、宿に戻るまでチルは静かだった。だが、宿に戻り夕食になる頃にはいつもの調子を取り戻していた。
「わぁい! 今日もご飯がおいしいでしゅねぇ~!」
「ふふ、たくさんお食べ。おかわりもあるよ」
「ほんとうでしゅか? わぁい!」
マーサさんの出してくれる飯をもりもりと食べるチルを見て、俺はどこか安堵してフッと息を吐き出す。なんだかんだ言って、チルはまだ子どもだ。いまは色々と問題にもぶつかるだろうけど、それも時間が解決してくれるだろう。
そんな事を考えて、俺も今日は疲れたなとエールを頼んで喉を潤した。
夜も更けてきて、チルが頭をふらふらと揺らし始めたので、俺は切り上げて部屋に戻ろうとした。それに気がついたソアラがチルを抱きかかえ、チルもソアラに抱きついてしまった。
「すまんな、ソアラ。重くないか?」
「ふふ、大丈夫よ。普段、宿の手伝いでたくさんの洗濯物抱えたりしてるから」
「そうか……なぁ、ソアラ」
「んー? なぁに?」
「その……いや、なんでもない」
一瞬、俺はソアラに『俺はチルの父親になってやれるだろうか』と聞こうとした。だが、それはソアラに父親がいない事を思いだし、するべきではない問いとして飲み込んだ。
「……あのね、グレンさん」
「んあ? なんだ」
「チルちゃん、とっても幸せそうよね」
「そりゃあ、こんだけ腹一杯食って、ソアラに抱っこされて寝れたら、幸せだろうぜ」
「ふふ、そうじゃないの。あのね、あたしってお父さんがいないじゃない?」
「……まぁ、そうだな」
さっき飲み込んだ理由を言われ、俺は言葉に詰まってしまった。まさか、ソアラも心を読む異能力が……?
「あのね、別にいまさらお父さんがいないと寂しい……なんて、思わないこともないけど、あたしはもう乗り越えてきたわ。その、隣にグレンさんもいたし」
「俺は親父じゃないがな。たまたま暇だったから、相手してやっただけだ」
「ふふ、それでもよ。いま思うと、あの時は辛かったんだなーってわかるもの。こうやって過去をちゃんと見られるのも、お母さんやグレンさん……他にも沢山の人に助けてもらえたからね」
あの時のソアラは、いまの穏やかな雰囲気とは違い、静かではあったけれどそれはなんというか、存在そのものが消えてしまいそうな雰囲気だった。
言葉を発することもできなくなり、生きているのか死んでいるのか。一応、生活は出来ていたから生きてはいたが、それだけの存在と化していた。そんなソアラの姿は、正直痛ましくて見ていられなかった。
……あの時、俺は何を思ったんだったか。可哀想だ、とは思った。全てに絶望しているっつうか、なんかその姿が、この世に転生した時の俺の姿に重なって見えた。
だから、親父さんが居なくなったと聞いて、代わりは無理だが話し相手や遊び相手くらいはと、声をかけた気もする。クリフも協力してくれたっけな。
「あの頃は、お母さんもあたしをどうすればいいのか、本当に困っていたそうよ。そんなあたしを、グレンさんは根気強く、話しかけたり色々な物を見せてくれた。だから、いまはもう大丈夫になったの」
「あれは……意地みたいなもんだ。ぶすっと無口なガキを見たら……絶対笑わせてやろうって、半分意地になってたんだ」
「そうなのね。でも、それに救われたのよ。だから……」
「ありがとうな、ソアラ。もう、大丈夫だ」
「そう……よかったわ」
ソアラは、静かにチルの頭を撫でながら微笑む。これ以上、ソアラに答えを教えて貰わなくても大丈夫だ。
はぁ……俺も、まだまだ完璧無欠な男にはほど遠いってもんだ。
答えは、簡単だとはいえない。が、答え自体は俺のなかにある。俺の、気持ちだ。
俺は、前世という過去と、亡くなったあの子らの死に向き合う事は、たぶんまだ出来ないし、一生無理かもしれない。それだけの大きなトラウマだからだ。だが、それでも、いま目の前にいるチルにしてやれることはある。
翌朝。
「おっはようございま~? あれぇ? グレンおじちゃんの方が早起きしゃんでしゅね!?」
「おはよう、チル」
いつもはチルの方が先に起きて、俺をたたき起こすのが日常である。が、今日は俺の方が早起きだった。というか、寝てねえ。
「チル、少し話がある」
「ほょ? なんでしゅかねぇ……ましゃか! ごはんを買うお金がなくなったんでしゅか!?」
「アホか! ガキがそんなこと気にすんな! それに、まだまだ余裕はあるわい。そうじゃなくてな……お前、昨日教会で友達から、俺のこと言われて気にしてただろう?」
「…………あい」
「チルはどうしたい? 俺の事を親父……お、お父さんと呼びたいのか、それともおじちゃんのままでいいのか」
「おとうしゃん……おじちゃん……」
俺からの問いに、ポツリと呟きながら考え込むチル。
俺も一晩考え、悩んだ。俺は正直、人の親になんて成れないであろうろくでなしだ。この世界に来て、前世の最期の記憶に絶望し、まともに生きるのが辛くなって逃げ出した、根性なしだ。
だが、そんな俺をもしも、チルが親父と呼ぶなら、呼んでくれるなら。俺も、変わろう。おじちゃんと呼ぶのなら、俺はチルのおじちゃんとして、チルが大きくなるまで面倒を見よう。
とにかく、もう逃げるのはやめだ。
しばらくの沈黙のあと、チルは意を決して口を開いた。
「チルは……チルは、グレンおとうしゃんって、よびたいでしゅ……」
「…………そうか。なら、俺は今日からチルの親父だ。誰がなんと言おうと、お前の親父になってやる」
「ほ、ほんとうでしゅか!」
チルは勢いよく顔をあげると、俺の胸に飛び込んできた。受け止めた俺は、胸に微かな湿り気と、チルの震えを感じた。
小さくも、温かなぬくもりは、確かにチルが生きている証拠であり、俺がこれから守るべきものだと、そう強く思わせるものであった。




