第十九話 Cランクのおっさん、怪しむ
それは、もう幾度となく視てきた光景だ。
だから、それが夢の中の光景であり、もうどうすることも出来ない、過去であることも頭では理解している。
だが。
だからと言って。
その光景が耐えられるものかと言えば、はっきりと違うと言える。
煌々と赤く燃える焔の中で、行き場を失くしただただ泣きじゃくる小さな命。黒煙が、肺を焼き嬲る熱が、次々と命を刈り取っていく光景を、ただただ見守る……否、見捨てることしか出来ない。
これは、置いてくるしか出来なかった、後悔だ。
ひとつ、またひとつと、命が消えていく。
そうして苦悶の表情を浮かべて横たわる亡骸を、ひとりの男がなんとか焔から苦そうと、抱えようとする。
しかし、ここまでの道のりで崩れてきた瓦礫により、男の腕と足はもはや動かすことも儘ならぬ怪我を負っていた。もはや出来ることは、少しでも焔に焼かれないように祈ることしかない。男は、集めた子どもたちを守るように覆い被さり、そこで力尽きた。
その十三の影が焔の渦のなかに消えていくのを、どうすることも出来ず、ただ眺めることしかできなかった『もう一人の男』は、静かに瞼を閉じた。
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「おはようございまーしゅ!!」
「……んぁ? あぁ、おはようさん」
チルの元気すぎる声にたたき起こされ、俺はちらっとカーテンの隙間から外を見る。まだ外の明るさ的に起きるにはちょっと早いな……二度寝をきめるべく、ベッドの中で寝返りをうつ。
そうして瞼を何度か瞬かせ、すーっと閉じようとすると、
「ふっ!!」
「ぎゃあぁ!!」
「あいたー!?」
チルがいきなり瞼を掴んできて俺の目に息を吹き掛けてきた。予想外の痛みに思わずチルの頭にチョップを食らわせてしまったが、俺は悪くねえ!
「こら、チル。目はやめろ、目は。本当に洒落にならんから」
「あーい……」
「ったく……チッ! 本当に目が覚めちまったじゃねえか」
流石に眼球ダイレクトアタックは目が覚める。と、そんな中で窓の外から朝の始まりを知らせる鐘の音が聞こえてきた。朝の鐘は、時期によってまちまちだが、前世で言うところの朝六時位を指す。この世界はまだ正確な時間と言うものが定義されていないが、太陽と月のいちやらなんやらで大まかに時間を決めているらしい。
街によって違うが、ここサースフライでは朝の六時くらい、昼十二時くらい、夜の六時くらいに鐘がなる。他にも、緊急事態や伝令の鐘もあるが、それはあまり聞く機会もない。昔、ボルティモア大森林から生き物が氾濫し、ちょっとした災害のが起こった時に聞いたくらいか。
「まぁ、起きちまったもんはしゃあない。飯でも食って、ギルドに顔出すか」
「おー! オルセンのじっちゃんに会いにいくんでしゅね?」
「……本当は眉目麗しいギルド嬢たちとの会話に花を咲かせたいが、なんか最近俺がいくと必ずオルセンさんに呼ばれるんだよなぁ」
最初は俺の勘違いかと思ったが、あまりにも高確率でオルセンさんの前しか空きがない。この間クリフを行かせようとしたら、『お前はあっちに行っとれ』とエール代の銅貨数枚を投げ渡され、そのまますーっと酒場に消えていった。あいつは本当にそろそろちゃんとした方がいい。このままじゃ、引退後浮浪者になるぞ。
それにしても、オルセンさんだ。なんか爺デレルートへのフラグでも踏んだのかと思うくらいだ。まぁ、言いたいこともわかるけど。
最近は事あるごとに、俺に冒険者の引退を促してくる。森の司教以降、それが顕著になってきた。
冒険者として、只人ではあげることの出来ない成果をあげた。ならば、もう満足だろう、と。
それは、確かにと思う事もある。冒険者になったからには、普通に生きていては出来ない活躍がしたいと思ったことは何度もあるし、それが叶ったのも事実だ。
だが、俺はハッキリ言って欲深い。しかも、それは若干……いや、かなり変な風にねじ曲がった承認欲求になっていると、自分でも感じる事がある。まぁ、ざっくばらんに言っちまえば、大人に成りきれない野郎の夢ってやつだろう。
とはいえ、変に人生歴でいえば七十年くらいあるので、人生に諦めも肝心という気持ちもある。
……うーん、なんというか、前世もいたな。困ったちゃんの老人。あれに似ていると自覚し、背中に嫌な汗が流れる。
「……うん、これはもう気にしないでおこう。今日どうにもならないことは、明日の俺に託そう。よし、飯いくぞ、飯!」
「あーい!!」
そうして、俺とチルは食堂でもりもり朝飯を食い、元気よく冒険者ギルドへと向かう。
ギルドの入り口で何人かの冒険者とすれ違い、顔見知りに挨拶をしながら中へと入ると、やはりと言った具合にオルセンさんがカウンターで待っていた。
だが、その表情は何故か暗い。
「オルセンのじっちゃん、元気ないね」
「……あぁ。だがな、チル。ああいうときはな、いつも以上に警戒が必要なんだぜ」
「そ、そうなんでしゅか……?」
チルに小声で教えてやると、ゴクリと唾を飲み込んでオルセンさんを見つめる。
俺にはわかる。あれは、あくまでも擬態だ。いつもは俺に冒険者引退を勧めてくるが、俺はそれをさらっと回避して依頼を受けていく。ならば、押してダメなら引いてみろ。あれはそういうスタンスだろう。
ここで俺がオルセンさんを心配しようもんなら、『儂ももう歳だ。いつ事務長を引退するかわからん。どこかに、冒険者の勝手がわかり、事務能力もある、責任者を任せてもいいくらいの歳の男はおらんもんかのう(チラッチラッ』なんて言ってくるに違えねぇ。俺はそういうのに詳しいんだ!
「あ、おはようございますグレンさん、チルちゃん。今日はオルセンさんが受けて欲しい御依頼があると言っていたので、そのままカウンターへお進みください」
「あ、はい。おはようございます、ルーシアさん」
「おはようございまーしゅ!」
ギルドの受付嬢の中でも、嫁にしたい受付嬢No.1(冒険者調べ)に十年連続受賞を成し遂げているルーシアさんにそう言われ、俺は真っ直ぐにオルセンさんの待つカウンターへと進む。
ちなみに、ルーシアさんは既婚者で子どもも二人いる。そんな人をそんなランクの対象にするなと言いたいが、朗らかな笑顔に安らぎを与える声。そして溢れる母性に脳を焼かれた冒険者は少なくないのだ。
かのAランクの巨星ロンドグレさんをして、『彼女は私の母になってくれるかも知れない女性だった』と発言し、周囲の女性はおろか男性にも引かれていた。
普段はアホばかりの冒険者の軽口にも、あらあらと流してくれるルーシアさんも、あの時ばかりは地面でカピカピに乾いた犬の糞を見るような目をしていたのを覚えている。あれでAランクなのだから、冒険者はわからんもんだ。いや、そういえばシスター・アンナも最終ランクはAだったか。人の道を外れた者しかなれないとか縛りがあるのか?
「おぉ、グレン。よく来たな、待ってたぞ。チルもおはよう」
「おはよう、オルセンのじっちゃん! お仕事ちょーだい!」
「おはようございます、オルセンさん。なんか、ルーシアさんからこっちに行くようにって言われたんだけど」
「うむ。今日はちと、厄介な案件でのう。お前さんに頼むのが一番話が早いと言うか……」
いつもは『これがお前に渡せる依頼だ。これを選ぶかギルド職員になるか、さぁ選べ!』とハッキリ言ってくるのに、今日は妙に歯切れが悪い。
と、そこでカウンターの上に置かれた依頼票の内容を読んで、俺は目を見開いた。
「教会の、手伝い?」
あの酒カス婆さん、シスター・アンナが依頼主であり、依頼内容は『二週間の教会の業務補助』と書かれていた。




