第十六話 Cランクのおっさん、打つべし
睨みあう森の司教とスケイルグリズリーonチル。お互いに魔力を持つ必殺の爪と牙を持つ故に、動く事が出来ない様子だ。そんな二頭の後ろで、俺はエミーから軽く経緯を説明され、やはり理解が及ばなかった。
「えっと、じゃあ何かい? チルは熊と話せて、あんたに助けを求めて、あんたは小熊を助けて、親熊がいま俺たちを助けてくれてるってのかい?」
「まさにその通りです」
「はっはっは! クリフ、やっぱ俺たちもう死んでるっぽいなこれ。それか、実はここ数日風邪で寝込んでるとか」
「バカ言え。風邪引いた時に酒飲んで見た夢でも、もうちょっとまともなもん見るぞ」
まず初っぱなのチルが熊と話せるのあたりでもう躓いた。やっぱ無理だわ、俺の低スペックCPUじゃあ処理しきれん。だが、まぁとにかく今が好機だってのはなんとなくわかった。熊がでばってくれてる隙に、俺たちは逃げればいいんだな?
「よーし、熊には尊い犠牲になってもらおうか」
「助けてもらった恩人……恩熊に向かっていうことがそれか。お前、なかなかの人でなしだな」
「そう言いながら、真っ先に帰る準備して入り口に走ろうとしてる奴の台詞かよ、クリフ」
「止めるな、グレン。俺はまだ生きねばならんのだ」
「その気持ちは俺もわかるぜ。とりあえずだ……おい、チル! そいつで足止めできんのか!?」
熊の頭に掴まっているチルに声をかけると、チラッとこっちを向いてなんだか変な表情を見せた。眉は下がってるのに、妙に眉間に皺を寄せて……目はなんつうか、座ってやがる。なんだありゃ? どんな感情だ。
「グレン……ありゃぁ、なんつうかよぉ。『こいつ、せっかく助けにきたのに、ありがとうの一言もないのか?』って顔してないか?」
「あぁ? そんな事あいつが思うわけ……いや、そう言われればなんかそんな気もしてきた」
「いえ、あれは多分、『これだけ戦力があるのに、逃げようとするなんて、とんだ臆病でしゅね』って顔じゃないですかね?」
「…………エミー、君けっこう毒吐くね?」
真顔でそう呟くエミーに、俺はなんとも言えない気持ちになる。が、二人の言い分もなんとなくだが、どちらも間違っていない様にも思える。実際、あの熊はあからさまに強いと思う。ウェル達が尻尾を巻いて逃げたのも、全然間違いじゃない。ならば倒さずとも、いっそのこと逃げに徹するより、熊を中心に時間稼ぎをして戦力が到着するのを待つのがいいかもしれない。
「仕方ねぇ……チル、街に帰ったら好きな菓子を二つ……いや、三つ買ってやる。だから、援軍が来るまで熊と一緒に、その猿と戦ってくれるか?」
「おまかせあれでしゅ! とぉ!!」
「……ほぁ?」
熊の頭から跳びたったチルは、そのままくるりと体を翻すと肩車の様に俺の頭に掴まった。そして、両手を開いて構えると、にょきっと手の爪が伸び、それを俺のこめかみに突き立てた。
「ぎゃああぁあああ!? 痛い痛い痛い!」
「おぉ、グレンが死んでしまった。迷わず成仏してくれ」
『死んでねえ! って、うぉお!?』
その時、不思議な事が起こった。
いや、マジで不思議な事だ。チルに爪を刺された時から、俺の視界は『俺』の目線ではなくなり、司教と対峙する熊のものに変わっていたのだ。それは視線だけに限らず、手足の感覚や、息づかいまでも……俺自身が熊になったような感覚だ。
『これが、俺?』
「あぁん? なんだ、俺酔っぱっちまったか? グレンの声が熊から聞こえるぞ! がっはっはっは! もう一杯!!」
『ここで呑むな呑むな。いや、マジでこれ俺だ。俺がグレンだ』
「……グレンよぉ。人間やめちまうなんて聞いてねぇよぉ」
『やめたくてやめたんじゃないんだがな!? あ、俺とチルの体を頼んだ。これ、俺本体動けないや』
「おう、任せろ。最悪チルちゃんだけ剥がして逃げてやるよ」
『いい友達を持ったもんだぜ。てめぇ、あとで覚えてろよ? まぁ、気を取り直して……オラァ! っと、あらららら!?』
俺は漲る力に、確信を得た。このスケイルグリズリーは、文字通り化け物級に強い。ただのスケイルグリズリーと森の司教であれば、そんなもの勝負にもならない。だが、どんなわけかこのスケイルグリズリーは魔力を扱う事が出来る。しかも、感覚的にわかるのは、『俺』自身の持つ属性魔術も、この熊の体で使う事が出来そうだ。
これならば、森の司教に対しても対等以上に戦うことができる。俺は早速、全身に身体強化の魔術を込め、司教へと飛び掛かった。
だが、熊のスペックに対し俺の思考が追いついていなかった為に、勢い余って司教を飛び越して背後にあった大きな木に激突してしまった。しかし、それに対して熊の体は無傷であり、メキメキと音を立てて大木はへし折れた。
『いてて……跳びすぎちまった。だが、少し慣れたぜ』
「キ、キキィ!!」
『そう言うなって。ほら、新しいオモチャになってやるからよう、俺と遊ぼうじゃないか』
ふっ、なんとなくだが言いたいことはわかるぜ。意味、わかんねえよな。俺もわからん。ただ、ひとつだけわかるのは。
『いまの俺たちは最強ってやつだ!!』
爪に魔力を巡らせ、司教の顔面を抉るように打つべし、打つべし!
『はい、ワンツー、ワンツー! ストレート! リズムにあわせてワンツー!! はい、ここで、回し蹴りぃ!!』
「キョオオォオォォ!!」
『おわぁ!? やっべ、調子乗りすぎた!! 回避ぃ!!』
さっきまでの怨みを晴らさんと、爪によるジャブフックストレートのコンビネーションに、回し蹴りをお見舞いしてやろうと思ったが、ただではやられまいと司教も反撃に出てきた。ちょっとした丸太くらいに太い腕を左右からブンブンと振り回し、まるで駄々をこねる子どもの様な攻撃だ。だが、魔力の乗ったその一撃は、決して軽々しく食らっていいものではない。
まぁ、熊のフィジカルを得て、人間の技術を合わせた今の俺たち相手に、そんな攻撃は通じんがな!
『ほらほら、足元がお留守だぜ!』
「キョォ!?」
『そいでもって、そぉい!!』
司教の振り回す腕をしゃがみ回避してからの足払い。よろけた司教の後ろに滑り込んで胴に腕を回し、しっかりと掴む
『いくぜっ!! 必殺!!』
「グェエエ!! キャアアァオ!!」
『禁断の背後からの鯖折!!』
身体強化を含む熊の膂力が司教の背骨と肋を一気に締め上げる。その瞬間、生命あるものの体からは鳴ってはいけない破壊音が鳴り響く。折れた肋は内臓を傷つけ、司教の口からはおびただしい血液が吐き出される。
だが、まだこれで終わりじゃねえ。これで、最期だ!!
『こいつでトドメだ!! うおおぉおぉ! ジャーマンスープレック』
司教の体を持ち上げ、そのままの勢いで背後へとブリッジ。決めろ、必殺のフィニッシュホールド!!
グキリッ!
『はぅあっ!?』
背中から鳴り響く鈍い音と共に、司教を抱えたまま崩れ落ちるスケイルグリズリー。どうやらそこで意識が繋がらなくなったのか、俺は元の体からその光景を見た。
「……やはり、熊の体の構造だと無理があったか……格ゲーのあいつみたいには出来んな」
すまん、熊よ。まじでごめん。後でポーション分けてあげるから許して。
「おっ? 戻ったかグレン」
「あぁ。とりあえず、あれにトドメを差そう」
スケイルグリズリーに上から倒れ込まれた司教は、鯖折りで致命的なダメージを受けたこともあり身動きがとれず、ただ手足をジタバタとさせてもがいていた。こうなってしまえば、もはやこいつに出来ることなど何もない。いかに強力な魔物とて、魔力が練られないならばただの獣だ。
「すまんな。恨みは……ちょっとはあるが、仕方がないと諦めてくれ。御免」
俺は折れていない右手でショートソードを拾い上げると、なけなしの魔力を込めて司教の首筋を斬る。最期の時は妙に悟ったように大人しくなったあたり、やはり知能が高かったのかもしれない。
「はぁぁぁ……しんどかった~。ちょっと休憩、うわぁ!?」
流石にもう一歩も動けんと、その場に座りこんだ俺のもとに小さな塊がいくつもまとわりついてきた。それは、チルと三匹の小熊だった。突然の小熊の襲来に驚いていると、いつの間にか俺の背後には、黄色がかった鱗の雌のスケイルグリズリーの姿があった。




