第十三話 Cランクのおっさん、飛ぶ
チルの食べかすであろう菓子屑と、学者のエミーが落としたであろうペン。それが同じ場所に落ちているなんて偶然、あったとしてもかなりの低確率だ。それよりは二人が合流し、まだ森をさ迷っていると考える方が、まだあり得るだろう。
それは俺以外の三人も同じ考えなようで、早速ウェルが菓子屑を対象に探索の魔術を行使する。先程と違い生き物ではない上に菓子屑という小さい物が対象のため、探索の範囲はかなり広い。
「見えました! ここからしばらく、菓子屑が続いています。見えるよう魔力で残滓を光らせているので、追いましょう」
「助かった。それにしても、流石はBランクだな。範囲も応用性も段違いだ」
「だな。俺たちなんて光らせようとしたらニジリピカリゴケくらいにしか光らんぜ」
菓子屑の道標を追いながら、俺たちは森の奥へと進んでいく。入り口方向へ行ってくれと願ったが、残念ながら二人は奥へ奥へと進んだみたいだ。ちなみに、ニジリピカリゴケは洞窟などの暗い場所に生える苔の一種で、本当に真っ暗であればぼんやり光るかなぁ?くらいの発光する性質をもつ前世の蛍光塗料のソフビ人形の方が百倍光るわ。
「……見ろ。足跡も続いているぞ」
「あぁ、この大きさはたぶんあの時に見た雄の方だろう。だが、なんでだ? 足跡の上に菓子屑がある……わざわざ、二人は追いかけていったのか?」
「それはないだろう。偶然、二人が進んだ先に熊がいたんじゃねえか?」
普通に考えればクリフの言う通りだ。わざわざ、危険生物の足跡を辿って、二人が奥へと進む理由がない。だが、これだけはっきりと見える足跡に気づかず、進んだとも思えない。エミーとやらは新人の研究員だそうだが、それでも学院を卒業した超エリートだ。しかも、動植物を専攻している。間違えるなんてことはないだろう。
だが、それならば何故だ? この状況だけ考えると、『逃げたスケイルグリズリーの雄を、貧弱な学者とがきんちょが追いかけていった』ということになる。目的が全然わからん。
「まぁ、追いかけていけばわかるさ。行こう!」
「あぁ、そうだな」
とりあえず、まずは二人を見つけることだ。目的は後からわかるだろう。
気を取り直して進んでいくと、チルの溢したであろう菓子屑が途絶えた。恐らく食べきってしまったのだろう。だが、すでにこの場所は森の奥地と呼ばれる場所。正確にはまだまだ奥があるそうだが、いまのところ人間が足を踏み入れている領域では最奥とも呼べる地域だ。
俺もクリフもこんな場所まで来たことはない。基本同じCランクでつるみ、ソロ~2・3人で活動する俺たちはこんな場所には縁がないのだ。森は奥に行けば行くほど、魔物との遭遇率も跳ね上がる。Cランクが遭遇すれば、数日後にはうんこになって森の肥やし一直線だ。
それはBランクの二人も同じだ。いくら優れているとはいえ、まだ冒険者としての経験も、ボルティモア大森林という環境も不馴れだ。万全の力が発揮できなければ、いかに高ランクとて意味はない。否応なしに緊張は高まる。
そのせいもあって、先程から俺たちの歩く速度はぐんっと下がって、かなり遅い。だが、それでいい。
自然とは、慈悲を与えるものだ。それが、人間にとって善いものであれ、悪いものであれ、関係無しに。
「キョオオオォォォォォオオッッッ!!」
「!!?」
突如、耳をつんざくような咆哮と共に、正面右斜め上……樹上が激しく揺れ、木の葉を散らす。森に微かに射し込む光がチラチラと瞬き、生木の折れる湿った破壊音と共に、それは飛び出してきた!!
「くっ! 隊列形成!! アスター! グレンさん!!」
「……!」
「お、おうッ!!」
斥候役で前に出ていたウェルがバックステップで下がり、それと同時に前衛のアスターと中衛の俺が前に躍り出る。剣士であり、バリバリの前衛アスターの動きは迷いがない。飛び出してきた影が木々を縦横無尽に蹴って跳躍してくるのを目だけで追い、近づいてきたそれに向けてロングソードを袈裟斬りに振り下ろす。
俺はその後ろで小盾とショートソードを構えると、全身に魔力を巡らせて意識を両手に向ける。
アスターの放った斬戟は飛びかかってきたソレに当たることは無かったが、それでも避けざるを得ない状況に、勢いを殺すことに成功していた。
一度地面を蹴り、まるで羽を広げたかのように両腕を広げ目の前の木の枝に止まったソレは、大きさで言えば平均的な成人男性より少し小さく(160cmに届かないくらい)、全身を銀色の毛で覆い、酔っぱらった爺さんの様な顔と、どこか教会の偉い人が被る様な帽子に似たコブが頭についている。異様に発達した長い腕を持ち、枝の上からぶら下がる尾は本体の体長と同じくらいある、猿の化け物だった。
ボルティモアに長いこといる俺も初めて見たが、知らないわけではい。むしろ、この辺りで活動している者は、最初に教えられる脅威の御三家のひとつだ。
伝聞でしか知らないその生物の名を、クリフは畏怖の念と共に呟いた
「こいつが……ボルティモアの司教か!」
「なんです、そのとんでもない名前」
「こいつぁボルティモア大森林で出会っちゃいけない魔物の一つさ。いままで遭遇して戻ってきたのは、サースフライで最高の冒険者であるロンドグレさんたちAランクのパーティーだけだ。しかも、その時帰ってこれなかったのが二人いた」
「……勝てますか? グレンさん」
「勝てるかあんなもん! 俺が百人いても無理だわ、うおぉ!?」
司教はニヤリと耳まで裂けんばかりの口を歪めると、枝を蹴り折った勢いで一直線にこちらに飛び込んできた。アスターはそれを身軽にかわし、俺は巻き込まれたら死ぬぅ!とハリウッドジャンプで左横に回避。司教の爪は魔力が込められており、ぶつかった地面が爆ぜて落ち葉と土を大量に巻き上げる。ぎりぎりで避けられたけど、左右の二択外してたら俺ミンチになってたな!?
土と落ち葉にまみれながら、ゆっくりと起き上がる司教。その顔には先ほどと同様の嫌らしく、見るものに不快感を与える笑みが貼り付いていた。
「こいつ、遊んでつもりか……?」
「でしょうね。さっきの一撃でわかりました。こいつは、俺たちじゃどうしようもない」
「だな。しかし、逃げようにも……」
隙がない。
一見して余裕な態度というか、舐めプな感じでゆっくりと動いている司教だが、その瞳は四人を正確に捉えている。
『せっかくのオモチャを逃がしてたまるか』。そう言っているのが聞こえるような、ねばつく執着心を伴った視線だ。
「……俺がなんとか食い止める。ウェル達は先に逃げろ」
「いや、だが……」
「いいから先に行けっ!!」
物静かなアスターの激昂。それは、己の命を賭してでも、俺たちを逃がそうとする覚悟なのだろう。だが、なぁ。
「逃げるなら、なぁ?」
俺はクリフに視線を送る。
「老い先短い俺たちより、前途のある若者ってな」
クリフはアスターの肩に手を置くと、ぐいっと後ろへ引っ張った。前へ出ようとしたところで引っ張られ、たたらを踏んでよろけるアスターに、俺達はニヤリと笑いかける。
「俺たちが走るより、お前さんたちが走る方がはえぇ。だから、ちょっくら兵士でも呼んできてくれよ」
「ほーら、先輩冒険者からのパシりは聞かないと駄目だぞ。なぁ、グレン」
「まったくだ。領都のお上品なぼっちゃんたちは、そのあたりの礼儀がなってなくていけねえやなぁ」
「……あんたたち、何を言っているのかわかってるのか? 死ぬぞ」
まぁ、十中八九死ぬんじゃねえかな。知らんけど。
だけどな、おじさんってやつは。
「おじさんってやつは、若いもんのまえじゃあカッコつけたがるもんなんだ。さぁ、待たせたな猿公。俺たちが相手だ」
「いいからさっさと行けって。ほら、ウェル。こいつ連れていってくれ」
クリフがシッシッと手を振り、腰のベルトに指していた杖を取り出して構える。
「いや、まだ構えてなかったんかい」
「いやぁ、面目ねぇ。左右間違えて、焼き串取り出しちまってたぜ、がッハッハッハ」
「なにわろてんねん」
「~~~ッ!! 俺たちが戻るまで、し、死ぬんじゃねえぞ、グレンさん、クリフさん!!」
「なぁに、倒してしまってもいいんだろ?」
俺のフラグ全開の台詞に微妙な表情を浮かべるウェルとアスターだったが、直ぐに切り替えて走り去ろうと足を動かす。それに気づいた司教が二人に向かい飛びかかろうとするが、それをクリフが牽制するように小さな炎の塊をくりだし、足止めする。
「お? ちゃんと出た。三ヶ月ぶりだったから、出るか不安だったんだ」
「お前、もうちょっとちゃんとした方がいいぞ? まじで」
ボルティモア大森林の三強の一角、司教。その化け物と、Cランクのおっさん二人の死闘がいま。




