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時パスタ

以前から温めていたネタで、小説処女作となります。

江戸時代の考証とグルメも満載しています。

面白く読み進めて貰えるように工夫しました。

    夢見る男

 「そんなことはどうでもいいから働け」

また親父の怒鳴り声でテンションが下がる。

民間企業に勤める傍ら国家公務員試験を受験し、みごと合格を勝ち取ったのに、今回も採用されなかった翔太は、勤め先も辞めて今や浪人生活の身。

「大学院まで出させてやったのに」が、親父の口癖で今日も小言を言われる始末。

二十六歳、彼女いない歴二十六年。

初めて出来た女友達も1日で振られてしまう始末。

ちょっと変わっていると言われるが本人は至って真面目だ。

高校生になった時から、欠かさず献血に通い日赤から表彰状も貰っている。

(江戸時代に行って、蕎麦を食ってみたいと言っただけで、なんで怒られなきゃいけないわけ? 単なる願望だろうが。親父だって、好きな女がいるスナックに通っている癖に、よく言うぜ)

頭の中では文句を言いつつ、言い争いになるのも嫌だから自分の部屋に戻った。

翔太の父は、いわゆる街中華の店を自営している。

店独自のメニューもいくつか考案しており客の評判は良い。

たまにまかない飯だと言って、親父が中華麺を使ってパスタのような物を作って食べさせてくれるが、これがなかなかいける。

翔太が、江戸時代に行って蕎麦を食ってみたいと思ったのは、子供の頃に観たテレビの時代劇で、主人公の武士が江戸の街の蕎麦屋で一杯やっているシーンがもとで、その時から江戸の蕎麦を食いたいという思いがあった。

当時江戸には、屋台も含めると三千軒以上もの蕎麦屋があったと言われている。

その頃は既に蕎麦も充実していて、蕎麦切りはもとより、天ぷら蕎麦やオカメ、卵とじ蕎麦まであったらしい。

値段もほぼ現代と同じくらいで、当時のお金で十六文ほど、現在の価値だと五百円くらいで屋台のかけや盛り蕎麦は食べられたとの文献が残っている。

翔太がわざわざ江戸時代の蕎麦が食いたいと思ったのには、単に食いしん坊というよりはこだわりがあった。

当時のそば粉は当然国産だし、それも新蕎麦が取れてすぐの香りが残るやつがうまい。

つけ汁だって、醤油も手作りだし、出汁も良い鰹ブシから取っているに決まっている。不味いわけがないだろう。

蕎麦は盛り、日本酒はぬる燗で決まりだな。

少し汁を付けて、あまり噛まずにツツーっとすする。

酒のアテに煮しめか何かが付いていて、これも地の物野菜や手作り豆腐とかで不味いはずがない。

これを摘みながら、また酒を猪口で一杯、そして蕎麦をまた一口すする。

酒も江戸周辺の酒蔵からの搾りたてだから、なにも新鮮なのは野菜や魚だけじゃないってのがわかる。

そんな自分が江戸時代の蕎麦屋で、一杯やっている姿を想像して唾を飲み込むのだった。

はたしてこれが職にも就かずにゴロゴロして父親に怒鳴られる自分だと気付くと、情けなくもなるが、まあなるようにしかならないと高を括っている翔太であった。

     

       時の穴

 陽だまりの温もりの中、雀のさえずりに翔太は目覚めた。

(あれ? なんだ?)

(ここは… どこなんだろう?)

畳の匂いがして、薄っぺらな布団で寝ている自分に気づいた。

(ここは一体?)

身につけていたのは何とも薄汚れた感じの浴衣だった。

たしか昨夜は、大学時代の同期と飲んでいて、かなり酔いが回ってしまっていたな。

そして、その後の記憶がない。

(ここは一体、どこなんだろうか?)


「あーら、やっとお目覚めかい?」

紺の地味な着物を着た、髪を結った二十歳を少し過ぎたくらいの女に、くりやのようなところから声をかけられた。

小股が切れ上がった、小柄な和風美人という感じで自分好みの女がそこに立っていた。

(一体誰なんだ?)

「あんた昨夜酔っ払って、うちの店の前で寝ちまってたんだよ。覚えてないのかい?」

「声をかけても、うんともすんとも言わなくて、仕方ないからうちに連れてきたんだよ」

「本当に何にも覚えてないのかい?」

「あんたが着ていた変な着物はそっちに置いといたからね」

突然知らない女性にそんなことを言われて戸惑ってしまった。

「えっ、そうなんですか! ご迷惑をおかけしました」

「酔っていて何にも覚えてないもので、すみません」

「それで、ここはどちらなんでしょうか?」

「どちらってここはあたいの家だよ」

「場所は、神楽坂を入った横丁の長屋だけど」

「神楽坂?」

(確かに昨夜はその辺りの居酒屋で飲んでいたはずだ)

そうだ、電話をしてみようと考え、翔太は携帯電話を探すが見つからない。

どこかに落としてしまったんだろうか?

「あのう、すみませんが、自分は携帯電話を持ってなかったですか?」

「えっ? けいたいでんわ? 何だいそれは?」

「あんたが持っていたのは、そっちの着物と一緒に置いてあるけど、なんか黒い板のような物と皮の財布みたいな物だけだったよ」

翔太は、隅に置いてあった黒いスマホを手に取り、スイッチを入れてみたが繋がらない。

そもそもアンテナが立っていないのだ。

(やはり何かが変だ、おかしい) 

 この部屋の中だって、殺風景だし家具と呼べるような物も殆どない。 それに長屋とか言っていたけど、今どき長屋って)

「すみません、今は何年ですか?」

「何年って? なにがだい?」

「いや、明治とか、昭和とか…」

「ああ、元号かい?それなら安政二年だけど」

(安政? 安政の大獄ってのがあったな、確か、でもまさかな)

それじゃ江戸時代の末期だぜ。

「あのう、さっきあなたが言った店と言うのは何の店のことですか?」

「蕎麦だよ、蕎麦屋をやってんだようちは」

「気づいたらあんたが妙な格好をして、うちの店の前の木陰で倒れていたんだよ」

その時 ガラガラと引き戸を開ける音がして、五歳くらいの小さな女の子が入ってきた。

「おっかさん ただいま」

「ああ、うめかい、おかえり。ありがとよ」。

うめと呼ばれたおかっぱ頭の可愛い女の子が、おっかさんと呼んだ目の前の女に何やらお碗に入った物を渡した。

「この子は娘のうめ」

「私の名前はゆき」

「お前さんの名前は何ていうんだい?」

「自分は、えーと翔太です」

「翔太さんかい、あんた一体どこから来たのさ?」

「それに妙な恰好をしていたしさ」

「この辺りの人じゃないんだよね?」

「髪だっておかしな塩梅だし」

「家はどこなんだい?」

「家は、えーと、うちは埼玉、です」

「サイタマ? どこだいそこは?」

「えっ、あいや、北の方だけど。川越ってわかりますか?」

「川越って川越街道のかい? 行ったことはないけど聞いたことはあるよ、北武蔵だろ?」

「そんなに遠くから歩いて来たのかい? ここまで」

「いや、電車で来ましたけど」

「でんしゃ? なんだいそれは?」

「おっかさん、 ご飯にしようよ」

娘のうめが話の中に入り、翔太は訳がわからないままに起き上がった。

「顔洗ってきなよ、家を出て左に行くと井戸があるからさ」 

翔太は何か全てが変だと思いながらも木戸を開けて外に出てみた。

初夏の陽射しが眩しかったが、翔太はゆっくりと目蓋を上げてみた。

土煙が立つ中、朧げに見えてきた景色、そこは、舗装されていない狭い道、そして本当に長屋が続いていた。

木と障子で出来た時代劇に観た通りの長屋の風情がそのままリアルに目の前に広がっていたのだった。

(こんなことって・・・)

翔太は自分の目を疑い、その頬を叩いた。

夢じゃない、まぎれもない現実の世界だ。

(これはひょっとしたらタイムスリップってやつなのか?) 

しかし目に映る景色は自分の伺い知ることのないものだった。

(これが現実だとしたら自分はどうなってしまうのだろうか!)

(もう元の時代に戻れなくなるのだろうか?)

翔太は何とも言われぬ恐怖感に襲われた。

(パラレルワールドという世界に入ってしまったのかもしれないぞ?)

よろけながらも横丁の先に見えた井戸まで歩いて行き、汲んだ冷たい水で顔を洗ってみた。

(今のこの目に写る世界、これが現実なんだろうか?)

朝日は既にかなり高い位置にまで登っていた。

両側は平屋続きの長屋で、目覚めた家もその中の一軒であった。

出てきた家までよろよろと戻り、木戸を開けて中に入った。

うめから手渡されたものを手に取ったゆきと名乗った女は翔太に聞いた。

「何にもないけど朝ごはん食べていくでしょう?」

「えっ、それは、良いんですか?」

「遠慮するほどのものはないから安心して」

ゆきは、うめが買ってきた豆腐を包丁で賽の目にして鍋に入れた。

その横で、目刺しだろうか、鰯を焼く匂いがしてかまどからも煙が立ち込めている。

「味噌汁はお代わりあるからね」

ゆきという名の女が、翔太と娘のうめの茶碗に盛ったご飯を渡しながら話かけてきた。

「はい、これもどうぞ。何にもないけどね」

焼いた目刺し二尾も翔太に渡した。

ご飯は白米の大盛りで、渡された茶碗を持って翔太はそれを食べ始めた。

味噌汁は、豆腐とねぎが具として入っており、一口啜った翔太は懐かしい味と香りに包まれた。

「ウマイ! これ美味いです!」 

「そうかい? そりゃ良かったよ」

「こんなものしかないんだけどさ」

無農薬は間違いないから、野菜でも米でも豆腐でも不味いわけがない。

「この味噌汁の味噌は手作りなんですか?」

「味噌は買ってきたもんだよ。そこの通りの向こう側に店があるのさ」

「この辺りには、毎朝豆腐屋が来るし、魚や野菜も売りに来るんだよ」

「米屋も醤油屋もあるから暮らしやすいのさ」

「あんたほんとにどこから来たんだい?そんなこと聞くなんて変な人だよ」

「あ、いや、すみません、ところで旦那さんとかは? いらっしゃらないのですか?」

「旦那かい? 居たんだけどさ、この子が三つになった年に、ふいと何処かにいっちまって、そのままいなくなっちまったんだよ」

「そうなんですね、余計なことを聞いてしまってごめんなさい」

「別に謝らなくてもいいさ、もう忘れてしまおうと思ってるんだよ」

「あ、でもそういや、うちの旦那も最初出会った時に、変な人だなあと思ったんだよ」

「なんだかあんたに似ていて、変なことをいっぱい聞かれたし」

「突然出会って、夫婦になって子供も授かったってのに、また突然居なくなっちまった。ほんとにおかしな人だったよ」

「その旦那さんは、どこの人だったんですか? 江戸ですか?」

「それがさ、生まれは江戸じゃなくて、どこか遠くから来たって言ってたよ。」

「着ている物もあんたと同じような変な恰好の着物だったんだよ」

「でもどうしてそんなこと聞くんだい?」

「あ、いやなんとなく興味を持ったというか、深い意味はないんです」

「喋ってないで早く食べておくれよ。商売の準備をしなきゃいけないんだからさ」

翔太は急かされながらも味わい深く江戸庶民の朝ごはんをいただいた。

どうやら夢ではなくて、何がどうなったのかはわからないけれど、まさに現実のようである。

考えてはみても翔太には到底理解を超えていて、まだ現実味がないのであった。

さて、これからどうしたものだろうか、全く途方に暮れる翔太だった。


     令和八年

令和の時代になった翌年には世界的に新型のウィルスが流行り、三年間で感染者が世界中に広がった。

不思議なことに、あっちの世界に行ってしまった時が令和二年で、六年間向こうにいたはずなんだけど、ワシがこっちの世界に再び戻ってきたのは、ちょうど令和になった年の夏だった。

何故だかその理由はわからない。

だからワシには、翌年に新型ウィルスが猛威を奮って世界中の都市がロックダウンされたり、大勢での会食や人が集まるイベントが制限されるようになることも分かっていた。

でもそこは、少し前とは違っている世界だ。

(そうだ、何かが少しずつ違っている)

どこかで時間のズレみたいなものが起こってしまったのかもしれない。

これがいわゆるパラレルワールドってやつなのかどうかは自分にはわからないけれど、またここで生きて行くしかないということだけは理解できたのだった。

脱サラして始めた中華料理屋も、向こうの世界から戻ってきた今も変わらずにあったし、食べるものとか着る物、住居は自分が育ってきた世界と変わらない。

家族とも問題なく再会して、何も変わらずに暮らせてはいる。

ただ江戸で一緒に暮らした女と、その女との間にできたた娘が今でも不憫でならない。

一度はあの時代でもう生きて行くのだと腹を括った身としては、突然居なくなった夫や父親をどう思うのだろうか、ずっとそのことが心残りであった。

この世界に戻ってきて数年が経ち、やっと少しずつだが自分が翻弄されてきた異次元の出来事を冷静に見つめてその謎解きを考えることができるまでになってきた。

どうせ誰も信じてはくれないだろうが、向うで暮らした六年間はまるで夢のようだった。


      嘉永二年

「ゆき、江戸には蕎麦の店も屋台も随分と増えて、商売もなかなか上手くいかなくなってきちまったよなあ」

「それで、考えたんだけどよ、ちぃっと違う品も屋台で出してみねえかい?」

「違うものって何を出すんだい?」

「蕎麦粉だけじゃなくてよ、うどん粉は仕入れられるのかい?」

「そりゃうどんも出す店があるんだからうどん粉も仕入れられるさ」

(この時代、うどん粉になる中力粉は、石臼で挽いた全粒粉のはず。だとしたら、少し黒いくらいのコシのある麺が打てるはずだ)

「なあ、ゆき、西洋の食いもんでな、パスタってやつを作ろうかと思うんだけどよ」

「パスタ? 何だいそりゃ? 聞いたこともないねぇ」

「一度作ってみるからよ、おまえはうどん粉を仕入れてくれ。あと菜種油と鷹の爪とニンニクも一緒に頼む」

「天ぷらでもやるのかい? 油は高いんだよ」

(そうだ、フライパンがいるな! そんなものはないから、それに代わる物が必要だな。焙烙じゃあ熱伝導が悪いからパスタには使えないし)

「あと、お前どこかで平べったい鉄の鍋を探してきてくれないか?」

「そうだな、これくらい一尺くらいの幅のやつで、周りの囲いがこれくらいの低いやつが欲しいんだけどよ」

「それに長い取っ手も付いたやつが」

 男は、そこにあった紙に硯の筆を取って、簡単な絵を描いてゆきに手渡した。

「それなら金はかかるけどさ、この先の鍛冶屋に頼めば作ってもらえるんじゃないかい?」

「それでいこう!」

 男は思わず膝を打った。


晩夏のはずだが、いつもの年より残暑が厳しい。

夕立でもあったのだろうか、それとも水打ちされているからなのか、神楽坂に出している屋台の周りは夕方でもあり蒸し暑いというほどでもなかった。

屋台屋根の両側には、朝顔の絵が描かれた涼し気な風鈴が吊るされており、時おり綺麗な音色を奏でている。

ゆきと暮らした数年は、あの時代を生きていくために必死だった。

あの時知り合ったゆきと夫婦になったのも自然な成り行きだったと言える。

今の時代に戻れることを諦めかけて、あの時代を生きていくしかないと無理にでも納得しようと努力していた。

うめが産まれて、親子三人が暮らしていくためには働いて稼がなくてはならなかったが、何分その時代に馴染めないワシが稼ぎを得る仕事は簡単には見つからなかった。

たまたまゆきが生業にしていた屋台の蕎麦屋の稼ぎをもっと大きくできないかと考えた

結果、蕎麦以外の品書きを増やせば良いと思いついたのだった。

自分も好きで作っていた麺類、ラーメンとかできないものかと考えてみた。

この時代でも作れそうな物

(そうだ! パスタなんてのはこの時代にはなかった筈だし、いけるかもしれないぞ)

「ゆき、お前パスタって食い物知っているかい?」

「なんだいそれは?聞いたこともないねぇ」

「パスタってのはなあ、西洋の食い物で、小麦粉で作る麺を茹でて炒めたり、いろんな野菜とか貝とか入れて味付けしたやつだよ」

「それはうどんの仲間なのかい?」

「いや、うどんとも違うんだけどよ、作ってみるから食ってみてくれ」

「鉄の平鍋が出来たら、ついでににんにくと油と鷹の爪も仕入れてきてくれ」


       時パスタ

「まずは、この鍋を七輪で温めたら菜種油をたっぷり入れて鉄鍋を温める」

「お前さん、油は貴重なんだからそんなに入れないでおくれよう」

「いや、少ない油じゃ上手くできねえし、美味くもならねえんだよ」

 そこに薄切りにしたニンニクと鷹の爪を入れて素早く炒める。

 ジュワーっという音と、良い香りが辺りに漂った。

固めに打ったうどん粉は、横のかまどで短時間で茹で上げて、湯切りしたらすぐに平鍋に投入する。

全粒粉とはいえ中力粉だから時間が大事だ。

茹ですぎると柔らかくなりすぎる。

パパッと炒めたら、さっと海塩で味付けをして、アサツキを振りかければ出来上がり。

「さあ、ゆき、出来たから味見してみてくれ」

平皿に盛ったパスタをゆきに差し出した。

「どうだい?ゆき、味は?」

ゆきは、渡された皿を持ち、立ったまま箸でパスタとやらを食べ始めた。

「う~ん、今まで食べたこともない不思議な味だよ、でも美味しいじゃないか」

「いけるんじゃないかいこれ!」

「これがパスタって言うやつなのかい?」

「これはよ、パスタでもペペロンチーノってやつさ」

「ペペロ・・・?」

「どうだ? 鷹の爪が効いててうめえだろ?」

「これによ、アサリを入れてもいいんだぜ。そうしたらボンゴレってやつになる」

「あんたこんなのどこで覚えてきたんだい? 江戸では聞いたこともないよ」

「ピリッとしてて、美味しくて珍しいから江戸っ子には流行るかもしれないよ」

「でも油も小麦粉も高いし、これ一体いくらで売るつもりなんだい?」

「そうよなあ、まあかけ蕎麦一杯が十六文で売ってるんだから、これなら三十文ってところかな?」

「それで、これに浅利を入れたやつなら四十文、てとこか。あとよ、これに卵を入れてもいいんだぜ、そいつは卵も高いから五十文くらい貰ってもいいかな?」

「あんた、そんな値段で売れるのかい?」

「なあに、新しもの好きの江戸っ子なら間違いなく売れるさあ」

今でいうペペロンチーノにボンゴレ、そしてカルボナーラもどき(これは牛乳が手に入らないため卵入り贅沢パスタってとこかな?)

その日から、二人作業にて何度も何度も練習して、その茹で加減や炒め具合、味付けなんかを工夫していったのだった。

長屋の住人にも只で振舞って評価してもらい、これならいけると自信を得た段階で品書きに加えた。


      西洋麺

【美味 西洋麺 三種】

屋台の脇に幟を立てた。

「大将、この西洋麺ってのは何だい?」

 早速今日一番の客が来た。

「へえ。こいつは旦那、西洋の食いもので、ぜひ食ってみてくんなせえ」

「三種ってのは、三つあるのかい?」

「そうなんでさあ、ちいとピリっとしてるやつと、そいつに浅利が入って炒めたやつ、そして卵を入れた贅沢なやつの三つでさあ」

「どれをいきましょうか?」

「じゃあ、初めてだしそのピリッとしたやつってのををもらおうか」

「へい、ペペロンチーノいっちょう!」

 ゆきが、七輪の上の鉄の平鍋に油を多めに垂らして、ニンニクを炒め始めると同時に、男は竈の大鍋で全粒粉で打った固めのパスタを茹で始めた。

 昨夜から、中力粉をうどんに打ち、足で踏んで踏んでコシを強くしてから一晩寝かせた麺である。

(デュアルセモリナとまではいかないが自信はある)

 茹で時間はおよそ一分半、すかさず笊で上げたらすぐ水分を切る。

「ゆき、茹で上がったからいくぞ!」

「あいよ、こっちもちょうど良い加減だよ」

 麺を入れる直前に鷹の爪を放り込んでいる。

 あとは、ササっと炒めてそこにミネラルたっぷりの海塩で味付けをする。

 最後にアサツキをパラパラっと振りかけて出来上がりだ!

辺りに香ばしい匂いが立ち込めた。

「へい、お待ちどうさま」

平皿に麺が光って美味そうに見える。

「ほー、汁はねえんだな、どれどれ、匂いがたまんねえな」

「あ、旦那、食うのは箸でもいいんだけど、そっちの木でできた先の割れたやつ、フォークって言うんだけど、それでもクルクルって巻いて食えるからさ、試してみなよ」

「どれどれ、こうかい?」

「こりゃ面白いじゃねーか」

「うん! 初めて食う味だ!」

「初めてだけどよ、ピリッとしてニンニクが効いててうめえよ!」

「麺がなんとも、うどんでも素麺でもねえ、初めての噛み応えでいけるぜ! 香りも良いしよ」

「ありがとうごぜえやす」

「ぜひこの西洋麺を蕎麦に飽きてきた江戸のみんなに食べてもらいてえんでさ」


そして、蕎麦に加えたこの西洋麺が、新しもの好きな江戸で評判を呼ぶまでにそう時間はかからなかった。

その後、商売は繁盛して、ついに屋台から店を構えるまでになったのだった。


      パラレルワールド

「というわけさ」

突然いなくなったという、ゆきの旦那さんの考案した西洋麺なるものの話を聞きながら、翔太はゆきの店まで一緒に歩いてきた。

「早速そのピリっと辛い麺を作ってあげるから食べてみなさいよ」

ゆきの話で翔太は、それまでの経緯が大体理解出来てきた。

この時代じゃまだオリーブ油はなかった。ニンニクと唐辛子を入れて炒めるパスタといえばペペロンチーノだ。

(一体その旦那さんという男は、どこから来たのだろうか? ひょっとして自分と同じ未来からやってきた人間なんだろうか?)

そんなことを考えている間に、良い香りがして、目の前にその西洋辛味麺とやらが載った皿が置かれた。

「さどうぞ、食べてみて」

「ではいただきます」

オリーブオイルではないが、良い小麦粉の香りと噛んだ時のコシ、そして味もなかなかのものだった。

ニンニクと鷹の爪で味を調えたそれは、ピリっとした辛味と旨味が凝縮して、まさにペペロンチーノに近い味で美味かった。

「ウマイ! そしてこんな食べ物があるなんて物凄く感動しました!」

「ゆきさんの旦那様は天才ですね!」

「そうかい?、そりゃあ良かったよ。最近じゃお武家様とか異国の外国人まで食べに来てくれることもあるんだよ」

 ゆきは、満更でもない様子で微笑んだ。

「異国の人が店に来た時には、旦那がペペロン何とかとか訳の分からない言葉を出して説明しようとしていたよ、あたしはびっくりしたんだけれどね」

「おかげで商売繁盛で忙しくなって、今じゃ手伝い人を雇いたいほどなんだよ」

ペペロンチーノはイタリア語、ピリピリはポルトガル語で両方とも唐辛子のことだ

(とすると、居なくなったという旦那さんはひょっとして異国の人か?)

「ゆきさん、そこの品書きにある(西洋浅利麺 盆是)っていうやつは、こいつにアサリが入っているんですか?」

「うん、ちょっと作り方も違うんだけどさ、どんなのかというと・・・」


 その時、翔太は昔親父が作ってくれたことのあるまかないご飯を思い出した。

 ラーメンの麺で作ったアサリを入れたボンゴレもどきのやつだ。

(そうだ! あの時携帯で写真を撮ったんだったなぁ)

 そこでまだ電池が少しだけ残っていたスマホを着物の袖から取り出した翔太は、その中のアルバムを検索して、その時の写真を探し出してゆきに見せた。

「その盆是ってやつは、こんな感じのやつでしたか?」

その瞬間、ゆきの顔が驚きで青ざめた。

「何だい! こ、こ、これは!」

「い、いたに、板に絵が出てきたよ!」

 そこには、皿に盛ったアサリの麺料理を前に翔太の父親が映し出されていた。

そして、その絵が動いて、喋ったのだ。

「なあ翔太、これは和風ボンゴーレだよ、どうだ? うめえか?」

 動画の中の男は微笑んで語り掛けていた。


「い、板が、板の絵が動いて、喋ったよ!」

 ゆきは、気が動転している様子で言葉も切れ切れに呟いたのだった。


「それに、こ、この人!」

「この人は、うちの旦那じゃないか!」

「あんたー、 今どこにいるんだいー!」


箱の中の旦那の笑顔に、ずっと呼びかけ続けるゆきだった。



短編として完結させましたが、シリーズ化して続きも書くつもりです。


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