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ショートストーリー 花嫁御寮

作者: 遠部右喬

 半べその少年が山中の獣道を歩いている。初夏の日差しはうっそうと茂る樹々に遮られ、少年を焼くことは無いが、随分と歩き回ったのか、その額からは幾筋もの汗が流れている。


 少年が転入先のクラスメイト達に「明日、山で遊ぼう」と誘われ、一も二も無く頷いたのは昨日の土曜の事だ。山と言っても、高さのある場所ではない。樹々に覆われているが、危険な獣も棲んでいない。山頂まで行って帰って来ても、子供の足でも三時間も掛からないだろう。それでも、都会から越して来た山に不慣れな少年を気遣い、クラスメイト達は山奥には足を運ばなかった。少年も彼等から離れず、初めての木登りや草橇に歓声を上げていた。

 暫く皆と駆け回っていた少年が、紅潮した顔で座り込む。すっかり上がった息を整えていると、


 カーン。

 シャンシャン、シャン。

 ヒョオォォ。


 流れて来る不思議な音色に、少年が辺りを見回す。他の子供達は誰も気付いていないようで、それぞれ楽しそうに駆け回っている。好奇心に駆られた少年は立ち上がり、音の方へと歩き出した。




 ふと、少年が立ち止まる。

 いつの間にか、周りには人っ子一人居ない。皆の所へ戻ろうにも、何処へ向かえばいいかも分からない。楽しかった気分は欠片も残って居なかった。涙の滲む目を擦り、辺りを見回すと、上へと伸びる長い石段が樹々の間から覗いているのに気付く。他に当てもない。少年はそちらに足を向けた。


 辿り着いた石段を、息を切らして上る。やがて目の前に鳥居が見えてきた。少年が安堵の息を吐く。鳥居があるなら、この先には神社があるのかもしれない。誰か居るかもしれないから、その人に帰り道を聞けばいい。


 鳥居の先、左手側には手水舎が、正面には小さいながらも煌びやかな拝殿が見える。拝殿前で、少年は途方に暮れた。静かだ。人の気配どころか、鳥の声すら聞こえてこない。

 ――どうしよう。誰も居ないのかな。

 少年の喉が詰まり、瞳に涙が盛り上がる。


 カーン、シャンシャン、ヒョオー。


 再び聞こえてきた楽の音。少年の沈んでいた瞳に光が宿る。細い、微かな音に耳を澄ますと拝殿裏の右手寄り、樹々の間から聞こえてきているようだった。

 少年が、ゆっくりと大きくなる音に誘われるようにそこに足を踏み入れかけた時。


「そこの子供、もっと下がるです!」


 背後からの声に肩を竦ませた少年が振り返ると、大幣(おおぬさ)を手にした衣冠姿の小柄な老人が仁王立ちしている。

 ――変なおじいさん。けどきっと、神社の人……だよね。


「あの……笛の音とかがしたから……僕、道が分からなくて……」


 老人は戸惑う少年の言葉を無視し、


「花嫁のお通りであるです。足元を見るです。榊が植わってます」


 少年には榊が何かは分からなかったが、すぐ目の先、神棚などで見たことのある葉を付けた木が一列に植わっているのに気付く。まるで、こっちとあっちを分けてるみたいだ……少年が考えていると、老人が、


「よく見るです。榊に花が咲いてます。これは、花嫁が通る合図です。花嫁の通り道を汚すことは許されないです!」


 その言葉通り、こんもりと茂る榊のあちらこちらの枝先に、小さな白い花が群れている。老人が少年を追い払うようにしっしっと大幣を振り、紙垂をわさわさと揺らす。


 カーン。カーン。

 シャンッ、シャン。

 ヒョオオ、ピィィー。


 思いの外の大きさで楽の音が響き、森の右手から巫女行列が現れた。

 揃いの白衣に緋袴を纏った巫女達の先頭が、米を撒く。大小の笛や鉦、鈴を手にした巫女達が(がく)を奏で、その後を、それぞれに銚子や杯、(きぬ)など携えた巫女が続く。

 榊の向こうの行列は少年の前を通り過ぎ、拝殿奥の本殿を目指す。


 やがて、静々と。


 巫女に手を引かれて歩く花嫁が現れた。平額から長袴に至るまで全てが真っ白な十二単を纏い、伏せた顔に、唯一の色である紅を引いた唇。少年が感嘆を漏らす。


「わ……」


 花嫁が歩みが止め、つ……と顔を上げ、少年を見た。見開かれた少年の瞳に白い顔が映る。


「綺麗……」


 息と共に漏れた少年の言葉に、花嫁から微笑みが零れた。


「これ、子供。姫様のお姿を拝見しようとは失礼である。もっと下がるです!」


 老人がキーキーと大幣を振り回す。

 花嫁が、己の手を引く巫女の耳に口を寄せた。頷いた巫女が老人を手招きし、何やら囁く。ふんふんと頷いていた老人がちらりと少年を見遣り、顔を顰めると、


「……姫様がお許しになった。お前、もっと近くで見てもいいです……」


 少年の目が輝く。道に迷っていることなどすっかり忘れたように、一歩、二歩、花嫁行列に吸い寄せられ、


「ああっ!」


 老人が叫ぶ先で、少年は榊の花を越え、花嫁行列の後に続いていた。




 ふらふらと花嫁行列の最後尾を歩いていた少年が我に返る。いつの間にか、立派な広間の前まで付いて来てしまっていた。広間の前方には沢山の花や丸鏡の設えられ、その前で花嫁が佇んでいる。

 ――そうだ。僕、迷子だったんだ。どうしよう、誰かに道を聞かないと。

 意を決した少年が広間の両脇に控える捧げものを手にした巫女の一人に近付き、


「あの……」

「我が婚礼に、招いた覚えのないものが居る」


 少年の声に低く通る声が被った。振り向いた少年を、袍を纏った男が見下ろしている。男のあまりにも冷たく整った顔に、少年が強張る。

 固まってしまった少年をそのままに、男は広間を進み、花嫁の隣に並ぶと改めて少年に目を向けた。


「直答を許す。何者か。何故この場に居る」

「ごめんなさい。僕、友達を探してて……そしたら花嫁さん? が、凄く綺麗で……気がついたら、付いてきちゃった……」

「まだ幼子とは言え姫の美しさに惹かれたか。仕方があるまい」


 思いの外優し気な声に、少年は安堵する。同時に、何とか堪えていた涙が零れ出した。男が少年をあやすように、

 

「妻を迎えるめでたき時、涙雨は我も望まぬ。子よ、何を嘆く。この場に行き合わせたも縁である。願いあれば、一つだけ叶えてやろう」

「……家に、皆の所に帰りたい……」

「なんと。現世(うつしよ)に戻れると思うておったか」


 こちらに踏み入れたが最後、戻ること能わず……言葉はよく分からないながらも、込められた意味は伝わったのだろう。少年がしゃっくりをあげる。


「出来ぬでもないが、(ことわり)を曲げるのは悩ましい。願いを叶えると言うたものの、ただ帰すわけにもいかぬ……むう……」


 困ったように美しい眉を寄せる男の耳に、花嫁が顔を寄せる。やがて、男がふむ、と唸り、


「姫はお前が気に入ったそうだ……いいだろう。ならば、我が妻の言葉に乗るとしよう。現世に帰して欲しいならば、此処で目にしたこと誰にも語らぬと誓えるか」

「……うん……」


 少年が頷くと、男が脇に侍る巫女の一人を手招いた。巫女は、手にしていた笊に掛けられていた白布を除ける。

笊に敷かれた懐紙の上に、白く長い芋虫が蠢いている。男が芋虫を摘まみ上げ、


「ならば、これを飲め」


 男の指先で糸を吐く虫に、少年は吐き気を覚える。だが、それを飲めば、家に帰れるらしい。


「我への誓い、ゆめ忘るるな」


 少年が泣きながら口を開く。男の手がその顎をそっと捉え、小さな口に虫を滑り込ませた。




 気付くと、少年はクラスメイトの一人の後ろに立っていた。


「あっ、居た! どこ行ってたんだよ!」


 おーい、居たぞー、とクラスメイトが大きく声を上げると、他の子供達も集まって来た。


「一人でどっか行ったら駄目じゃん!」

「そうだよ、危ないよ」


 口々に少年を心配する言葉に、


「ごめんね。あの、なんか音が聞こえたから、つい……」

「音?」

「俺ら、何も聞こえなかったけど……何の音?」


 やはり楽の音は少年以外には聞こえていなかったらしく、皆、首を傾げる。


「……言ったら、駄目なのかも……」


 言い淀む少年に、


「なあ、何か聞こえたって、それ、本当なの?」


 一人が挙げた言葉に、他の子供達も疑わし気な顔になる。


「勝手にどっか行って怒られそうだから、言い訳しようとしてるとか?」

「え、嘘吐いてるってこと?」

「俺らすげえ心配したんだぞ」


 少年が叫ぶ。


「嘘なんてついてない! 笛とか鈴の音がしたんだ! 僕、それを追いかけて……それで、神社に」


 慌てて口を噤む少年に、クラスメイトが呆れたように、


「神社? この山、神社なんて無いけど?」


 少年が息を呑んだ。


『我への誓い、ゆめ忘るるな』


 少年の視界が歪んだ。




「姫よ、我が妻よ。貴女の言葉通りになった。賭けは貴女の勝ちだ」


 手の上で糸を吐き始めたばかりの芋虫に、男が苦笑した。


「まだこんなに短いではないか。誓いを全うしておれば現世に暮らせたものを……我は、お前が語らぬ方に賭けたのだぞ」


 差し出された芋虫を受け取った花嫁が口元を綻ばせ、掌の上で糸を吐き続けるそれの背を真っ白な指でそっと撫でる。

 愛し気に虫を愛でる花嫁の手元を男が覗き込む。


「続きは、姫の為に吐くがいい。いずれ衣を彩る糸と成ろう」


 男と花嫁は目を見交わし、楽しそうに微笑んだ。


 

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