7話
ついに旅立ちの日が来た。
辺境伯家に借りた馬車と、馬たち。運搬用のに馬車に必要な物資を積み込み、移動用の箱馬車に乗り込む。
旅程は、王都へ行く前にシャッセからの難民村に寄っていくことになった。シャッセに聖女である私の居場所がバレないよう、目元はヴェールで隠しての行動となる。ヴェールをしていてもおかしくないように、服装はちょっと高貴な婦人というような感じだ。
着慣れなくて動くのも大変。
馬車がゴトゴトと動くたびに、お尻も痛くなってしまう。
私がもぞもぞとしていると、ユリアンさんが上着を脱いで、座席の上に敷いてくれた。
「気休め程度ですが、少しでも腰が楽になれば」
「あ、ありがとうございます」
体の傷が治る聖女といえども、痛みとは無縁ではいられない。腰とお尻へのダメージが少しでも軽減すればいいのだけど。
そんな、穏やかな道中を切り裂くように、鋭い声が上がった。
「と、盗賊だ!」
さっとユリアンさんの表情が変わった。
腰に下げた剣に手をかけながら、箱馬車からひらりと飛び降りる。
「フィオラ様は馬車の中にいてください。弓なども飛んでくるかもしれませんから、決して窓から顔を出さないように」
そう指示され、私は恐怖に身を固くしながら窓から離れた。
どうしよう。どうしよう。様子がわからないのが怖い。窓板は固く閉じられたまま、外から怒号だけが聞こえてくる。
時折男のうめくような声や、「くそ、やられた!」と叫ぶ声なども聞こえてきて、気が気じゃない。どちらが優勢なのかもわからず、何人いるかもわからない。
私は聖女なのに、何もできない。
情けなくて、顔を俯けた。久しぶりに心からの涙が出てきそうだ。
そうだ。
涙。
涙があれば、皆怪我していてもすぐに治る。
そう思うのに、泣こうと意識した瞬間に涙は引っ込んでしまった。
玉ねぎだ。玉ねぎがあればなんとかなるはず。この箱馬車の中にはない。あるのは前方に止まっているはずの荷馬車の中。
外に出たら、弓を射かけられるかもしれない。剣で切り付けられるかもしれない。
でも、聖女の体は勝手に回復するのだ。ただ、痛くて怖いだけ。死にはしない。
私は覚悟を決めた。
荷馬車に移動しよう。そして玉ねぎを刻んで、皆を助けるのだ。
そうっと、怒号が聞こえてくるのとは逆側の扉から馬車を降りる。
けれど、囲まれていた。こちら側にも盗賊がいる。
「おい、女だ! 女がいるぞ!」
「女は生かして捕えろ! 高く売れるし、楽しめるぞ!」
そう叫ぶ声が聞こえる。
怖い。気持ち悪い。でも、やらなきゃ。私を助けてくれたユリアンさんが、魔物討伐部隊の皆が、怪我なく安全であるように。それが私が今聖女である意味だと思えた。
「フィオラ様! なぜ!」
「私は怪我しても大丈夫です! だからみんなのために玉ねぎを! 玉ねぎをください!」
荷馬車の御者を担ってくれていた魔物討伐隊員の人が、はっとした顔でこちらを振り向く。
荷台の箱をあけ、玉ねぎを取り出してこちらへ投げてくれた。
「怪我は全員すぐに治します! だから安心してください!」
「うおおお! フィオラ様がついているぞ、全員気張れ!」
味方の士気が、ぐん、と上がったような気配があった。
箱馬車の中で、急いで玉ねぎをみじん切りにする。ちょっと勿体無いけど食べることまでは考えない。緊急事態だもの。
ポロポロと溢れてきた涙を、革袋の水筒の中へと回収した。水で薄まるけれど、むしろ使いやすくなっていい。
「怪我人はこちらへ、回復させます!」
怪我をして動きが鈍ったこちらの人員を、片っ端から回復していく。
無制限に回復し体力も全快する私達と、怪我をすればしただけ戦力が削れていく盗賊。
勝敗はすぐに決まった。
「助かりました。聖女様。おかげさまで怪我人一人いません」
「いえ、私にできることなんてこれくらいですから。むしろお守りいただいてありがとうございます」
お互いにぺこりと頭を下げて、笑い合う。
「それにしても……」
ユリアンさんが表情を真剣なものへ変えて、盗賊たちの成れの果てを見やった。
「ただの盗賊にしては、強すぎますね。鍬や鋤ではなく剣を持っているとは」
「普通の盗賊じゃないんですか?」
「通常の盗賊は食い詰めた農民がなることが多いのです。あるいは戦場を失った傭兵崩れでしょうか。それにしては、彼らのうちの何人かはやけに連携も取れており訓練されている上、生かして捕えようとしたら自害されました。もしかしたら盗賊に紛れたシャッセからの刺客かもしれません」
びくり、と体が震えた。
ガクガクと膝がわらい、立っていられなくなる。
「すみません! フィオラ様。軽率でした、あなたにシャッセの話をするなど」
「だ、大丈夫です、ユリアンさん。聞いておかないといけないことですから」
「いえ、ですがまだきちんと調査をしたわけではありません。どうか、今の話は忘れてください」
ユリアンさんはそう言って、ゆっくりと背中を撫でてくれる。浅く速くなっていた呼吸がゆっくりになって、ようやく落ち着いた頃に、私たちはまた箱馬車に乗り込んだ。
誤って別作品のエピソードを投稿してしまいました。
お詫びに本日はもう1話更新します。