17話
密偵さん達が旅立ってから、二月が経過した。
その間私は、ひたすら玉ねぎをみじん切りにして、涙を貯めに貯めた。
聖女関連の告発を行えば、シャッセはリヒトに戦争を仕掛けようとするだろう、というのがギルベルト殿下の予想だった。
しかしシャッセとリヒトの国境は魔の大森林を挟んでいる。唯一直接領土が接している西端は、魔物によって滅びたロゲンブロートの街があるのだ。
そこを越えて進軍するには、聖女の涙によって瘴気を浄化しながらでなければ進めない。しかしシャッセに聖女はいない。
その隙を突いて、第三王子とそれを支援するリヒトの勢力がシャッセへ進軍する、という手筈となっていた。
私自身がパン屋の娘だったからわかるのだけれど、庶民というのは政治的な細かいことなど基本的によくわからない。
だから、革命軍の兵士の大半がシャッセではなくリヒトの籍であることも、ほとんど認識されることはないだろう。悲劇の聖女が居て、それを救った騎士が「自国の」王子ギルベルト殿下と手を携えて立ち上がる。落とし所が自国の王子でさえあればあとはどうでもいい。とにかく魔物被害から救われて生活が楽になるならそれでいい。
一般庶民の考える革命というのは、大体そんな感じだ。
実際、革命軍の進軍は、ギルベルト殿下の想定よりもはるかにスムーズだった。
魔物と瘴気に侵食されて滅びたロゲンブロートの地を、私の涙で浄化しながら進軍していったわけだが、その結果として、ロゲンブロートを救済した救世主としてギルベルト殿下は迎えられたのである。
革命軍に全く無抵抗の民衆と、派遣されたはいいもののやる気ゼロのシャッセ王国軍。シャッセ王国軍の兵士の大半は、そのばで革命軍に寝返ってしまったという。
戦いらしい戦いにもならない有様だった。
私は現在、フォークナスの辺境砦に戻っている。迂闊にシャッセに戻れば捕らえられる危険があるけれど、だからと言って革命軍への涙の補給も疎かにはできない。
だから、フォークナスの辺境砦で待機しつつ、涙の補給線をそこから伸ばしていくという形になっている。何より、家族の安否も確かめたいのだ。それに関しては革命軍に依頼してあって、判明次第こちらへ連絡してもらう手筈となっていた。
「フィオラ様、軍はシャッセ王都プレツェの目前まで迫ったと伝令が参っています。ほとんど民衆の抵抗もなく、陥落も間近と」
「そうでしたか、争いが激しくならなかったのなら、何よりです」
「まあ、王侯貴族の抵抗は激しそうですけどね。それに魔物被害を受けた民衆の怒りがとにかく凄まじくて、片っ端から公開処刑を求める声を抑え込むのが大変なようです。不正に関与していない者まで処罰して仕舞えば、譲位後の政務も回りませんから」
「不正に関与していなかった人はちゃんと守って欲しいですね。ギルベルト殿下なら大丈夫そうですけど」
ユリアンさんはあえて話題には出さなかったのだろうけど、家族に関する知らせはなかったようだった。直接会えなくても、せめて安否だけでもわかれば、と思うのだけれど。
それからの日々は、着々と革命が進んでいく知らせを受けながら、家族の安否の知らせを心待ちにする毎日だった。
そんなある日のこと。
「どういうことだ!」
ユリアンさんの怒声が聞こえてきた。今まで聞いた事がないような、厳しい声だ。
「ど、どうしたんですか? ユリアンさん」
「あ、ああ。フィオラ様。すみません大声を上げたりして」
「あんたが、聖女か」
いつもの伝令兵さんの隣には、頑固そうなお爺さんがいた。服は着古しているけれど手入れをされていて、いかにも職人さんって感じだ。
「その、この方が聖女様のご家族の行方を知っていると」
「行方は知らん。ただ途中までの経緯を知っているだけだ」
「本当ですか? どんなに些細な情報でもいいのです! 教えてください!」
「フィオラ様、それは……」
私が勢い込んで言うと、ユリアンさんはなぜか眉を顰めて、止めたそうな、複雑な顔をした。
「アキレギアは聖女を輩出した家として有名だった。多額の報奨金をもらっているから、やっかんでいる者もいた。そんな時に起きた魔物の襲撃だ」
お爺さんは、暗い顔でそう話し出す。
嫌な予感が、止まらない。
「ロゲンブロートの難民村では、アキレギアの娘がちゃんと働かなかったせいで魔物が溢れたのだと、逃げてきたアキレギアの家族に石を投げて追い出した。そっから先はどこに行ったか知らねぇ。聖女の真実がわかって、聖女がアキレギアの家族を探してるって言う話も聞いたが、みんな口を閉ざして黙り込んでやがった。だが俺は知らせるべきだと思った。だからここまで来たんだ」
「フィオラ様がどれほど苦しんできたかも知らず、涙の不正利用の責任をフィオラ様の家族に転嫁して追い出すとは……」
「俺たちゃそんなことは知らなかった。涙が足りないせいで魔物被害への不満も溜まっていた。あいつらはそう考えて、自分らの罪を黙って保身を計ってんだ。だがまあ、言い訳にはなるまいよ。報奨金に対する妬み嫉みだって原因にあっただろうしな」
お爺さんはそう言って、不機嫌そうに黙り込んだ。
「そんな理由でフィオラ様のご家族を追い出し、そんな理由でご家族の行方を黙っていたのですか」
「そうだ」
「あんた達は、一体どれだけフィオラ様を搾取すれば気が済むんだッ!」
「待ってください! この人はわざわざ話に来てくれた人です!」
憤るユリアンさんを、私は止める。
私だって、怒りがないわけではない。私はそんな人達のために、聖女として立つことを決めたのか、と。私の家族を追い出し、涙の不足を私とその家族への恨みに変換するような人達のために、革命という時代の荒波に身を投じる覚悟を決めたわけじゃないのに。
全てが虚しくなる。
私を痛めつけてきたシャッセへ戻る恐怖心だって、本当はいまだに強くある。それでも魔物被害を抑え込み、魔物の大暴走を防ぐためにと立ち上がったのだ。
それを、その答えがこれなのか、と思わずにはいられない。
けれども、この人は他の人達が隠蔽を図る中、わざわざフォークナスの砦まで事情を説明しにきてくれたのだ。この人が私の家族を追い出すのに賛同したのかどうなのかはわからないし、少なくとも責める相手を間違えてはいけないと思う。そういうことをしたら、魔物被害を私の家族に責任転嫁した人と、同じになってしまうから。




