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1話

 聖女の力に目覚めた時、聖女の涙が至高の秘薬になると知っていたら、神殿に名乗り出たりなどしなかった。

 私は、三年前まで何の変哲もないパン屋の娘だった。家族全員で毎日沢山のパンを焼いて、たまに弟と喧嘩することもあるけれど仲良しで、——幸せだった。


 ボロボロに剥がされた爪を見ながらため息をつく。

 庶民の間では、聖女は強い癒しと浄化の力を持ち、魔物に対抗できる人類の希望の星で、神殿に聖女として認定されれば外には出られない代わりに優雅で贅沢な暮らしができると信じられていた。家族にも多額の謝礼金が給付され、何不自由ない生活が保障される。

 だから、聖女の力に目覚めた女の子はこぞって神殿に向かうのだ……騙されているとも知らずに。


 聖女は自由自在に力を操れるわけではない。その涙が強い浄化と癒しの力を持つだけで、泣けなければ役に立たない。そして、人に涙を流させる最も効率的な手段は、苦痛を与えることだった。

 最悪なことに、聖女は自分の肉体だけはどれだけ損壊されても自動的に回復できる。

 拷問されるのに向いた肉体。そして拷問によって得られる莫大な利益。

 なぜ、神はこんな試練を聖女に与えるのかと、神を恨んだ。


 神殿に聖女として認定されてからは地獄だった。


 高い塔の最上階に幽閉され、背後は断崖絶壁とその奥に広がる大森林。前方は聖騎士の詰所。部屋の外に出られるのは、地下で『涙の採取』をされる時だけ。

 三年で涙も枯れ果てた。もはや何をされても泣くこともなく『何も感じない、何も思わない真っ白な精神世界』に閉じこもって過ごしている時間の方が長い。私はきっと、壊れてしまったんだろう。


 そんな私に、最近の神官たちは思うように涙が取れずイライラしている様だった。

 不満が溜まっていたからだろうか、見張りの聖騎士達は、私が聞いているとも知らずに愚痴をこぼし始めた。


 「最近、涙が足りないせいで魔物が溢れてきているらしい」

 「聖女の故郷も魔物に襲撃されて滅んだらしいな。聖女様ももっと素直に泣けばいいのにな」

 「神官のトイフェル様も大概手ひどく聖女を痛めつけているらしいがな。最近は聖女様が泣き叫ぶこともめっきり減ったらしい」

 「気丈なこった。辱めてやれば泣くんじゃないか? はは」

 「ばっかお前、それで聖女様の力が失われたらどうするんだよ」

 「もったいねーな、美人なのに」

 「涙はお貴族様達の若返りに使われる分の余りしか魔物対策に確保できないんだから、その上聖女様の力が失われようものならとんでもないだろ」

 

 あまりにひどい会話に、言葉を失う。

 若返り? 私の涙は、若返りのために使われていたの?


 例えどんなにこの国が憎くとも、故郷を、家族を守るために聖女の務めに耐え抜いてきたのに。

 

 ……それなのに、故郷が魔物に襲われた? 貴族の若返りのために涙を無駄遣いされて?


 私の目の前は真っ暗になった。絶望が、じわじわと心を侵食していく。

 怒りと、絶望と、悲しみでぐちゃぐちゃになった心のまま、いつの間にか私は意識を失っていた。


 ◆


 目が覚めると、森の中にいた。

 遠くでは、私が閉じ込められていたあの尖塔が燃えている。

 訳のわからぬ状況に私は混乱した。

 突然監禁状態から解放されるなんて、まさか、神の采配だとでもいうのだろうか。


 こんな奇跡を起こすくらいなら、最初からあんな地獄など赦さないでいて欲しかったのに。

 でも、体に染みついた恐怖が、痛みが、勝手に自分の体を動かしていく。

 あの塔から逃げよう、逃げようと、足は木の根に取られながらも止まることなく動いていた。


 足の裏が切れても走り続けていたが、ここは深い森の中。当然のように魔物も現れる。


 牙の端からだらだらと涎を垂らして、グルルと唸る魔物を前に、私は恐怖した。

 聖女の体は再生するのだ。こんな飢えた獣に襲われたら、延々食われ続けることになる。楽に死ねない体を恨んだ。


 私が、逃げることさえ諦めてへたり込んだその時。ひゅ、と脇の茂みから弓矢が飛んでくる。


 魔物は怯み、逃げていった。

 それを、新たに現れた男達が追う。

 リーダー格らしき男が、しゃがみ込んでいる私に手を差し伸べてきた。


 「お嬢さん、大丈夫ですか! ……ん? その瞳はまさか」


 まずい。瞳を見られた。空色の瞳は、聖女のみに顕現するものだ。聖女の証である瞳を見られてしまい、私は恐怖に竦んだ。また連れ戻されるのか。またあの生活に引きずり戻されて、若返りなんていうくだらない理由のために涙を採取されるのか。故郷はもう滅んだというのに。 

 

 ……けれど。

 

 「ああ! よかった。あなたは隣国の聖女様ですか? 私達はオーバスト国の国境魔物討伐部隊です。怪我人がいるのです。少し涙を分けていただきたく」


 そんなこと言われても、枯れ果てた涙が急に出てくるわけではない。拷問でもされるのかと、恐怖で身動きできずに固まっていると、ス、と騎士は手を差し出した。


 その大きな手のひらの上には、同じく大きな玉ねぎが乗っていた。


 「この玉ねぎを、みじん切りにしていただきたく」

 

 「……は?」

 

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