第10話 デッドの匂い
「——おっし、行くか」
体感では一時間。しかし現実では一分にも満たないお祈りの時間だ。
同時にロッティもお祈りが終わっており、俺の声に従って、教会から出て行く。
「ロッティ。お前には俺の家が誰かに荒らされないかの用心棒を頼むよ」
「えっ……」
「ちゃんと帰ってくるから……な?」
「うーん……」
ロッティはまだ依頼についてきたいようで、顔をしかめる。
でも、俺は絶対に連れて行きたくない。本当に死ぬ可能性だってある。冒険者になった日から、こいつとはそれなりに仲良くしてきた。俺だってそんな相手を死なせるようなことはしたくない。
なら、何かお願いをして、物理的に行けないようにすればいいのだ。
「ほらよ。俺んちの鍵渡しておくから」
ロッティにぽんと鍵を投げ渡す。
「はっ!? か、鍵っ!? 鍵って……どどど、どういうことよ!」
こいつ……変な勘違いしてるな。
「家の用心棒つったって、外にいてもしょうがないだろ。家の中にいていいから、俺が戻るまで守ってくれ」
「あ……そういうことね。でも、中にいて、良いのよね?」
「そうだ。何日で戻ってくるとかはわからないが、留守を頼む」
「…………わかった。必ず、戻ってきなさいよね」
「おう。任せとけ」
と、歩き出したは良いが、今気づいたことがある。
鍵は一つしかねえ。というか依頼は三日後に出発だし。ロッティも知ってるはずだ。
「やっぱ鍵返して。家に入れねえ」
「はぁ!? もうこれは私のもの!」
「あげたんじゃねえ! 何勘違いしてんだメスガキ!」
「メスガキ!? じゃ、じゃあ二時間だけ貸して! ならいいでしょ?」
「あ? ……別に二時間なら良いけど」
こいつ、何考えてんだ?
想像もできないが、二時間だけ鍵を貸してもやれることは限られているだろう。
その後、俺は時間を潰し、二時間後にロッティと合流。鍵を返してもらって、今日は別れた。
◇ ◇ ◇
そうして三日後、ついに闇の組織『ネレウスの海』のアジトへ向かう日。
俺は家を出て、街の中心でロッティに鍵を渡す。
「じゃあ、家を頼むよ」
「うん。本当に気をつけてね。絶対帰ってきてね」
「あいよ」
眉を寄せて心配そうな顔をするロッティ。その表情はどこかヒロインのようにも見えて。
彼女と別れを告げると、俺は街の西側の門へと向かう。
そこには一台の馬車が用意してあり、『豊穣の剣』のメンバーが近くに立っていた。
「うい〜」
俺が適当な挨拶をする。
「来たか。よろしく頼むよ」
「デッドよろしく〜」
「ちゃんと時間通りに来るんだね。よろしくね」
「デッドさん、よろしくお願いしますね〜」
それぞれに挨拶を返してくれた。
時間を気にしたのは緑髪のユルファだ。俺が遅れて来ると思ったらしい。
教師が学校に遅れると授業ができないからな。といっても、いつもギリギリだったが。
それでも遅刻はしなかった。
アジトへは一日半かかるらしい。ということは、少なからず行き帰りで最低でも二度のキャンプが行えるということになる。完成品ではないが、試作品の調味料も持ってきたし、いくつか試せる機会もあるだろう。
馬車に乗り込むと、荷物を下ろし地べたに座る。さすがは金級。普通の馬車とは違い、絨毯のようなものが敷いてあり、ケツが痛くない。
御者のおっちゃんが俺たちが乗り込むのを確認してから、馬車を出し、依頼地へと出発した。
◇ ◇ ◇
デッドが依頼のために街を出た。
私は彼からもらった鍵を手に取る。そして、ポケットに入れていたもう一つの鍵を取り出した。
実は三日前、私は鍵を借りた二時間で、合鍵を作りに行っていた。
デッドはそのことに全く気づいていない様子だった。
デッドが街を出たあとでも良かったが、なぜかあの時の私はおかしくて、あんな行動をとってしまった。
「本当に開いた……」
デッドの家に向かい、鍵を差し込みドアノブを回すとガチャリとドアが開いた。
もう調味料作りが最終段階なのか、それほどスパイスの匂いはせず、なんというか、男の人の匂いがした。
デッドの家は木造でかなり古い。銅級で稼げるお金でも買えるようなボロ屋だ。
それでも一人で住みたかったらしく、今ではここが気に入っているらしい。
私は毎日ハンネとメイリスと一緒だ。だから寂しくないし、会話も楽しい。
女子寮では他の冒険者とも会話する機会も多いから賑やかだ。
デッドはこんな広めの家に一人で寂しくないのだろうか。
デッドはどこか同い年とは思えない部分が多い。大人びているというか。私を子供扱いすることも多い。
ほら、この本棚に並んでいる本の種類だってそうだ。考古学者が読むような歴史の本だって置いてある。こんなの勉強して、何の役に立つのだろうか。本当に不思議だ。
「あ……」
奥の部屋まで入っていくと、そこにはデッドがいつも寝ているベッドが置かれてあった。
それを見て、私はなぜかそわそわしてしまう。
「ちょっとなら、良いよね?」
ゆっくりとベッドに腰を下ろすと、ギシ……と木のフレームが軋む音が鳴り、柔らかいとは言えないマットが上に敷かれていた。
そこにかけられた白のシーツ、さっきまで寝ていましたよ、と受け取れる中途半端にズレている羽毛布団。そして、白いカバーがかけられた枕。
私はうつ伏せ状態でデッドの枕へと顔を埋めた。
「デッドの匂い……」
女の子とは全然違う、男の人の匂い。色々なことに無頓着にも見えるデッドだけど、毎日ちゃんと水浴びをしているらしく、髪だって洗髪料を使っているらしい。
特に冒険者の男はそういう点でちゃんと毎日洗わない人が多いらしいが、デッドは違った。
だからこの枕も、彼の洗髪料の匂いなのか、少しだけ良い匂いがした。
このベッドにいると、彼の匂いに全身が包まれているような感覚になる。なんだか、変な気分になってしまう……。
私はいつの間にか自然と右手が自分の下半身へと伸びていた。
「デッド……デッド……っ」
彼の枕とベッドシーツの匂いを嗅ぎながら、私は自分を慰めた。
…………
…………
「————っ!? ヤバっ!?」
気づいた時には、服は着ておらず下着もほぼ脱げた状態。そして、シーツがびしょ濡れになっていた。
「あぁ……私、なんてことを……っ」
我に戻り、自分がどれだけ恥ずかしいことをしていたのか、やっと理解する。
上から見下ろす白いシーツについたシミ。デッドの匂いと自分の匂いが混じり、不可思議な匂いがそこには発生していた。
「と、とにかく、洗わないとっ」
私は、シーツを持ってお風呂場に向かった。
そんな時だった。
「シャル〜、遊びに来たよ〜っ」
「お邪魔します……」
ハンネとメイリスの声だった。今日からデッドが帰ってくるまで、この家にいることをパーティメンバーの彼女たちには話していた。
鍵はかけてなかったので、ガチャリとドアが開いてしまった。
「あ…………」
今の私は下着姿で、そしてシミがついたシーツを手に持っていた。
「いや、これは違うの。な、何もしてないよ? ただ、暑かったから……ね?」
「シャル……」
「私にはわかってたよ。シャルがとっても変態だって」
「あぁ……あぁ…………」
もう、何をどうしていたのか、彼女たちにはお見通しだったらしい。
みるみるうちに自分の顔が熱くなっていくのを感じる。
そして——、
「違うの〜〜〜〜っ!!」
その恥ずかしさを叫ぶことでしか、今の感情を発散することができなかった。




