白の皇帝・黒の皇帝 ~side白の皇帝 世界創世期編~ 言葉が通じない
「――いやぁあああッ、離してッ」
――こわい……ッ。
怖い、怖い、怖い。
怖い、怖い、怖い……ッ。
怖いッ、怖いッ、怖いッ。
「いやぁあああッ!」
もう喉がつぶれてもかまわない。
この先、声を失って、大好きな歌を歌うことができなくなってもいい。
「彼」にのしかかられて、あの怖いもので身体を苛められる恐怖と苦痛、それから解放されるのであれば……誰かがここから救ってくれるのであれば、声など失ってもかまわなかった。
白き少年は、拒絶と恐怖を絶叫させる。
「誰かぁッ! 助けてッ! いやぁあああッ!」
――お願いッ。
――お願いだからッ!
誰か、俺を助けてッ。
怖いのはもう、嫌ッ。
痛いのはもう、嫌ッ。
この神さまは俺の命を救ってくれた優しい神さまなのに、どうして俺に酷いことばかりするの……?
□ □
竜化と、人化。
それを頻繁にくり返しているせいか、「彼」の理性や知性は人化を遂げて久しい他の「竜の五神」たちとはどこか異なり、人化であっても竜化のときの本能――本来の性のほうが強く勝ってしまい、自分でも感情をうまくコントロールすることがときには困難だった。
厄介なのが、ある種、自分なりの正しさというものが確立していて、他者からすればそれは、暴君、非情、ともとれるようなのだが、自分ではどうしてそう思われるのかがよくわからない。
――自分では正しいことをしているはずなのに……。
――尊大に振舞っているつもりはない。
――無碍にも、無下にも扱っているつもりなど、毛頭ない。
なのに、どうして……。
好きだと思えて、愛しさでいっぱいになって、ただそばにいてほしいだけなのに、笑っていてほしいだけなのに、どうしてこの気持ちが伝わらないのだろうか。
「――好きだ、愛している」
この言葉は相手に対して最上級の「愛」を伝える言葉だと教えてもらい、互いの身体を繋げる性行為は、相手に永遠の忠誠と愛を誓う最上級の求愛であると教えてもらった。
だから、自分が「あの子」に対してそれを行うのは、何の非でもなく、非道でもない。
なのに、「あの子」は泣いてそれを嫌がる。
叫んで、暴れて、自分が向ける最上級の愛を全身で拒絶する。
――なぜ、だ?
愛しくて、愛しくてたまらないのに、どうして「あの子」は泣いて怯えて、こんなにも自分を拒絶するのだろうか?
「愛している、愛しているんだッ」
そばにいてほしいだけなのに。
自分を見ても怯えないで、笑顔を見せてほしいだけなのに。
自分とおなじ気持ちになってもらいたいだけなのに……。
□ □
「竜の五神」であり、《火》族の族長でもある《火》神の寝宮は、広大な居宮の奥のほうに位置する。着くには長い回廊をいくつも渡らないとならない。
先ほどまでわずかな黄金色と橙色が残っていた西の空も、もうすっかり東の空から伸びてきた藍色に染まり、世界は夜を迎えた。
空には星が見えて、月が昇っているのが目につく。
空気は静寂、《火》神は寝宮でひとり、「あの子」の到着を待っていた。
――今夜こそ、「あの子」にこの気持ちを理解してもらいたい。
いつだって、心の底から「愛している」と伝えている。
いつだって、傷つけないよう優しく抱いている……はずだ。
早くこの気持ちを伝えたい。
だから早く、「あの子」がこの寝宮に着かないだろうか。
考えれば考えるほど、気持ちがそわそわとして落ち着かない。
寝宮の扉前で立って待つのはどうだろうか。それでは慎みがないと思われるだろうか。
そして、早く「あの子」の名前が知りたい。
「あの子」が持つ本当の名前で、この愛を伝えたい。
――でも、「あの子」のことをどう呼べばいいのか、わからない。
彼とは種族が異なるし、ましてや出会うまで、彼のような種族をこちらでは見たことがない。
一見すると互いにそれほど形態が異なるわけでもなかったが、唯一耳に特徴があって、自分たち竜族の先端が尖った耳と比べると、彼の耳はかなりの長さがあって、先端にかけて細く尖っている。
それ以外、隔たりがあるとすれば、自分たちと彼とでは身長差がかなりあって、彼はかなり痩身で小柄だ。抱き上げてしまえばその身は軽く、胸がくすぐられるようで、逆に切ないほど締めつけられて、どうしたら湧き立つ感情が抑えられるのかわからなくなってしまう。
――いつからそのような気持ちになったのかは……。
きっと、初めて彼を目にしたときからだろう。
彼は最初、ずいぶんと長旅に彷徨っていたのか、それとも災害に巻き込まれて身ひとつで逃げてきたのか、灼熱の砂漠のなか半死半生……いや、ほとんど息絶え絶えの状態のところを見つけ、保護した。
生命の残り火としては、ぎりぎりのタイミングだった。
ほとんど意識は戻らず、何も口にせず、自分たち竜族とは異なるため介抱の術がわからずかなり苦戦したが、《火》神はそれでもあきらめずに献身的な介護を務めた。
そしてようやく容態が安定したとき、互いに何をしゃべっているのか言語がまったく通じず苦労したが、手ぶりや素ぶりで多少は伝わり、彼にとっては何もかもが初めて尽くしだったのか、きょとん、としたときの大きな瞳が愛しく、彼にとっては不思議なものだったのか、それを見ておどろいたり、思わず楽しそうに笑う表情のすべてが愛しくてたまらなかった。
言葉が通じなくても、こうして一緒にいられるのなら……。
自分なりに精いっぱい優しく微笑んで、頭を撫でてやると、彼はとても嬉しそうに笑ってくれた。
その笑顔は《火》神にとって、この世のすべてになった。
だから、
――帰る場所がないのなら、ここにいればいい。
――ここにいてほしい。きみを終生愛し、大切にしたい。
《火》神がそれを思う気持ちは日ごと強まり、ついには求愛をはじめたのだが……。
□ □
――世界は最初、一匹の竜の咆哮から誕生した。
竜の名は、世界の《祖》であり、竜族の《祖》である――《原始》。
彼は世界を誕生させるに至る強大な自然エネルギーを持っていたが、これをひとりで維持するにはあまりにも困難だと判断し、それを《空》、《水》、《風》、《火》、《地》の五つの自然元素へと分けた。
そして、最初にそれを司った竜に「神」の号を与え、「竜の五神」として絶対的な権威を与えて、ともに世界創世を成すため尽力せよと伝えた。
――いまはその、世界創世期。
一匹の頂点と、自然元素それぞれの司を領域とする五匹の竜が、数多な生命が誕生し、幸いに満ち溢れ、久遠永久に反映する世界を目指し、創世の日々を送っている。
――そんななか。
世界創世期からはるか後世、あまりにも果てにある「久遠の明日」より、ひょんなことからこの時代に迷い込んでしまったひとりの少年がいる。
――少年の名は、白の皇帝。
彼は、世界創世期の務めを果たした竜族が自然に回帰した後の世界に誕生したハイエルフ族の少年で、年のころはヒトの感覚でいえば一三かそこら。
ハイエルフ族は竜族の末裔とも言われ、彼らより授かった自然を護り、恵みに感謝し、引き継ぐ世界の調和を護り、静寂なる世界を護る一族だという。
白の皇帝はそのハイエルフ族や、妖精や精霊、神獣たちが住まう世界を統治し、世界最高峰に座する立場でもあったが、伝説に語り継がれていた竜族に興味を持ち、もし会えたら……と好奇心と冒険心にくすぐられ、ひとりこっそりと旅に出たのが最後の記憶だったという。
――でも、これを知る竜族は、現時点ではいない。
《火》神をはじめとする「竜の五神」たちはまだ、彼が話す言葉を理解することができず、彼もまたおなじだった。
なので《火》神は、空の色とも水の色ともとれる水色の長い髪を持ち、不思議なほど白い肌を持つ痩身の少年を「白き少年」と呼び、彼を寵愛しはじめたが……。
――言葉が通じなくとも、きっと想いが伝われば……。
その考えこそがそもそもの間違いだったことを、この時点では気づく由もなかった。
□ □
いつまでも寝宮のさらに奥、寝所に少年の姿がなかなか現れないので、《火》神は彼の身に何かがあったのでは、と心配すると同時に、会いたいと思う気持ちが強くあらわれて業を煮やし、寝宮内にある最初の扉を目指して歩いていた。
こちらの宮は、《火》族族長である《火》神が寝るに不自由がないように整えられた後、族長の一切合財の世話をするためだけに存在する《火》族の雌たち――女官は、族長の声がかからないかぎり一切立ち入れない。
先ほどまで、こちらに渡る回廊付近で女官たちの気配はした。
女官たちの一日最後の役目は、《火》神のもとに彼を丁重に案内し、寝宮に届けること。
そしていま寝宮付近に、その気配はない。
かわりに扉付近に彼の気配がするので、到着はしているのだろう。
――だが姿を見せないのは、やはり自分に怯えているからだろうか……。
会いたくてたまらないのに、自分を見ればすっかり恐怖に青ざめて震えが止まらず、泣いて叫ぶばかりの彼を見るのかと思うと、会うのが辛い。
けれども《火》神にとってはもう、彼がそばにいなければ気がおかしくなるほど愛しくてたまらない。
だから、今夜こそ、今夜こそ。
言葉が通じぬ少年に、それでも精いっぱいの「愛」を伝えて、すこしでも理解してもらえれば……と《火》神は思い、その理解を夢見て歩くが、それはすぐに打ち砕かれてしまう。
「――なかなか来ないから、心配した」
少年の姿が目に入るなり《火》神は、ほっ、としたが、最低限の夜着だけを着せられた痩身の少年は、白い肌をことさら青ざめさせて、まばらに長く伸びている水色の髪をどこか艶めかしく背に垂らしながら、そんな自分の身体を恐怖から守ろうとぎゅっと抱き、うずくまりながら震えていた。
声をかけると、びくり、とその白い身体が震え、わずかに顔を上げたその隙間からこちらを捉えた瞳が恐怖に見開く。
瞳はここに来るまで散々泣いていたのか、見るほうが辛いほど涙で濡れている。
「こ、来ないで……」
少年は全身で竦みあがり、震える声で何かを言って、《火》神が一歩近づくたびにどうにかして距離を取ろうと座りこんだまま後ずさりしてしまう。
言葉が通じなくとも、この態度を見ればさすがの《火》神もどれだけ彼が自分に怯えているのか一目瞭然だ。
――どうして、見るだけで怯えるんだ……ッ。
自分はそんなにも醜い姿をしているのだろうか。
自分はそんなにも嫌われるほどのことをしているのだろうか。
理解されない怒りなのか、報われない心痛なのか。
《火》神の口端は歪むが、それでも怖がっているだけなら怖くはないと伝えればいいと思い、《火》神は少年の前で静かに跪く。
「怖がらないでくれ……、きみに酷いことをしようなんて思っていない」
ただ、愛したいだけなのだ。
そばにいたいのだ。
そばにいてほしいのだ。
「頼む、怖がらないでくれ……」
言って、《火》神はゆっくりと腕を伸ばし、少年の涙と怯えで震えている頬に触れるが、それだけで自分に怯える少年は意識を失いそうなほど瞳を恐怖の色に染めている。
「や……触らないで……」
少年が震える唇をどうにか動かして、精いっぱい何かを伝えようと訴えてくる。
だが何を言っているのか、《火》神には理解できない。
彼の頬に触れた自分の手のひらに、彼がどれほど自分に怯えているのか直に震えが伝わると、こちらもどうしたらいいのか切なくなってしまう。
「白き少年……頼む、頼むから……」
怖がらないでくれ。
きみを思う気持ちに何ひとつ偽りはない。
信じてほしい。
けれども彼は、この手を振り払おうと必死になって頭を振り、《火》神を拒絶する。あとどれだけ涙を流せば止まるのだろうか。少年の瞳からあふれるそれは一向に止む気配がない。
「頼む、怖がらないでくれ……」
《火》神は懇願するように吐き、それでも拒絶以外の態度を見せない少年に落胆し、同時に愛情のすべてを表現しながら肌を重ねれば、ひょっとしたら想いは伝わるだろうか――そう思い、泣いて嫌がる少年を造作もなく抱き上げてしまう。
早く寝所に連れて行って、寝台に横たえて、震える身体を労わるように撫でてやりたい。とにかく落ち着かせて、涙を拭ってやって、それから……。
それほどまで愛しいというのに、少年は抱き上げただけで気が動転したように泣き叫ぶ。それはもう絶叫に近かった。
《火》神はその拒絶に耐え、落ち着かせようと優しく身体を撫でるが、少年の態度は一向に改まらない。とにかく逃げたくて、逃げたくてたまらないという心情が直に伝わり、《火》神を際限なく苦しめた。
――せめて、言葉が通じれば……。
《火》神は心底思う。
せめて言葉が通じれば、自分は彼に暴力を振るっているわけではないと伝えることができるのに。――それを理解してもらえると思うのに……。
「ああ、白き少年……」
愛しくて、愛しくてたまらない。
想うだけで全身が熱く猛ってくる。
あとどれだけこの情熱を彼に与えれば、彼は想いを理解してくれるだろうか?
《火》神はゆっくりと、愛しい少年の唇に自分のそれを近づけた――。