76話 不条理に抗え2
俺が怒りのまま手を振り上げると、サリーは剣を抜いて真っ直ぐにナターシャへと飛んでいく。
ガキンッと重い金属のぶつかる音。ナターシャへの攻撃は、控えていたメイド二人によって防がれた。凛とした長身のメイドは刀身の長い刀、赤毛の小さなメイドは騎兵が持つような巨大な槍を手にしている。
「ありがとう、ソラナ、ロップル」
サリーは二人に弾き飛ばされ、地面に片手をついた。ソラナとロップルはナターシャを庇うように立ち塞がり、武具の切っ先をサリーに向ける。
さっきまで手ぶらだったメイドが持つ武器は、ナターシャが瞬時に錬成したものだ。
「積極的な男は嫌いじゃないけど、妹と同伴ってのはちょっとね」
ナターシャは口元に手を添え嗜虐的に笑う。
「――なんでだよ? なんでサリーを殺した! サリーが一体、何をしたっていうんだ!」
「あぁ、そんなこと」
人の心など持ち合わせていないかのように、ナターシャは顔をしかめる。
「ダレスに出会ったからよ。覚えてる? 私がネクロマンスしたスケルトンを、あなたが操ろうとしたこと」
世界の不条理を全身で受け止めたあの日を、忘れるわけがない。親友のガインが燃やされ、ナターシャが亡骸を持っていこうとした。
だがガインは、俺の叫びに応えて抗おうとした。結局、ナターシャに連れて行かれてしまったが。
「初めは生意気な奴ってムキになったけど、ダレスのネクロマンサーとしての才能は素晴らしいものだったわ。だから、私が目覚めさせてあげたの。大切な人の死に触れると、ネクロマンサーはさらに強く輝くのよ」
「そんなことで、サリーを殺したのか……」
苦痛に歪む俺の顔を見て、ナターシャは嬉しそうに口角を上げる。
「そうよ! サリーちゃんがレーゲの病にかかったなんて嘘。私が呪いをかけたのよ」
ナターシャは両手で頬を包み込み、うっとりと赤く染まった空を見上げる。まるで自分だけの世界に入り込んだように、夢中で言葉を紡いだ。
「ダレスと出会った日の深夜。貧民街の男を捕まえてちょっと金をちらつかせたら、あなたの情報をなんでも教えてくれたわ。――大切な妹がいるってこともね」
そして高ぶった感情が溢れ出すように、甘い息を吐き出す。
「サリーちゃんに呪いをかけた後は簡単。無駄とは知らず、懸命にレーゲの病を治す薬を探し回るあなたを尾行して。頃合いを見て私が登場」
言いながらナターシャは両手を広げ、屋敷の前から子供のように前方へジャンプ。ドレス風のローブから女性らしい大腿部が顔を出すと、着地と同時に布の中へと消えていく。
「薬を見せた時の、あなたの驚いた顔。こっちは笑いをこらえるのに必死だったんだから。あぁ、今思い出しても傑作。そのまま簡単に私の言いなりになるんだから」
ナターシャは腹を抱えた後、指先で目尻を軽く拭った。
「そうそう。サリーちゃんの声が聞こえないのも、私の呪いのせいだから。すぐに全部バラされても興ざめだしね」
あぁ、そうだ。こいつは出会った時からこうだった。人としての大切な物が欠落している。けど俺には、ナターシャを頼るしか選択肢がなかった。自分にはサリーを救う力がないから。
全てを知った上であの日に戻っても、きっと俺はナターシャを頼ろうとするだろう。もしかしたら、騙していることすら嘘なんじゃないかと自分に言い聞かせて。それほどまでに昔の俺は弱い。
けど今は違うはずだ。
俺は目を閉じ、初めてサリーをネクロマンスした感覚を呼び覚ます。
ナターシャのメイド、ソラナとロップルの武器は、ナターシャがネクロマンスされた相手に合わせて魔力で作り上げたものだ。無意識ではあったが、サリーの武器も最初は同じ要領で俺が作った。
サリーに向けて手を伸ばし、指を折る。この胸で燃え盛る憎悪を魔力に変えて。
「あらあら」
挑発するようなナターシャの笑い声。
サリーが左手に大剣を持ち替えると、空いた右手に禍々しいほどに黒く、その上を血の流れのように赤い線の通った大剣が現れた。それはまるで、俺の中の感情を具現化させたような姿をしていた。
「ナターシャ、これで全部終わらせよう」
サリーは右手の大剣をナターシャに突きつける。体温を奪う夕風が、サリーの髪をふわりとなでた。
「終わりじゃないわ、これから始まるのよ。まぁ、ご指名に応えて相手してあげる」
両手を広げたナターシャの足下に、大きな黒い靄が広がっていく。そしてニヤリと口角を歪め、囁くように唱える。
「おいで、アドニス」
靄から浮かび上がるように這い出る黒い影。頭部からゆっくりと、漆黒の鎧兜を身にまとう騎士が姿を現す。いつかの荒野で、ナターシャが呼び出した死者だ。
その全身は二階建ての屋敷の半分程もあり、まだネクロマンサーとして未熟な俺でさえ、恐怖で震えそうになるほどの魔力を感じさせた。
アドニスはサリーに対抗するように、巨大な剣を俺に向ける。
反射的に後退しようとする足を、俺は歯を食いしばって止めた。これが最後なんだ。自分に言い聞かせ、巨大な騎士を前にするサリーの背中に意識を重ねる。
自分たちを包む不条理を跳ね除けるように、俺は大きく腕を振る。
サリーは恐れることなく、アドニスに向かって飛び込んでいった。




