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貧民街のネクロマンサー 〜妹達との幸せな生活を夢見て〜  作者: ひとえ


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40話 冒険者のカタチ


 やっとの思いで辿り着いた地面は、水分を多く含んだ砂地だった。


 歩くたびにちゃぷちゃぷと靴の中の水が跳ねる。この感触は言い表し難い気持ち悪さがあるが、それ以上に、絶体絶命の局面を切り抜けられたという安心感が俺を包みこんでいる。


 俺とキサラは大きくため息を付いた。その横でサリーは、さっきまで浸かっていた真っ青な地底湖を眺めている。


「さすがにちょっと休もっか」


 キサラはリュックを降ろして結んだ髪を解く。軽く水をはね、頬にまとわりつきながら垂れる髪。いつも元気で明るいキサラから妖艶(ようえん)な雰囲気が漂う。

 そのままシャツの裾をギュッと絞ると、わずかに持ち上がった生地の隙間から、白い肌が薄っすら顔を覗かせた。捻れた生地から滴り落ちる水の雫が、引き締まった腹部の表面スレスレを通過していく。

 俺は何故か見てはいけないものを見ている気持ちになり、意味もなく頭をかきながら視線を洞窟の入口に向けた。


「大丈夫なのか? その…… 魔物とかは。それに、みんなに無事を伝えないと」


「どっちも大丈夫なはずだよ。魔物の方は特にね」


 言いながらキサラは、盛り上がった岩の上に腰を下ろすと、革のブーツを脱いで中に溜まった水を捨てた。

 俺もキサラの真似をするように、地面に座って靴の水を捨てる。まとまって落ちた水滴は、砂の斜面をするすると滑って地底湖と混ざった。


「ボスを倒したら、ダンジョンの魔物は動かなくなっちゃうの。魔力切れって感じで。だから魔物に襲われる心配はないよ」


「そうなのか」


「そうそう。だからメロたちも大丈夫なはず」


「あっ……」


 キサラに言われ、俺は大きな罪悪感に襲われた。ボス部屋の崩落で分断され、自分の心配しかしていなかったが、そもそも俺たちのパーティーの攻撃役はサリーしかいないのだ。

 変則的ではあるがメロも攻撃魔法を使えるけれど、どの相手にも有効とは限らない。あいつらだって、もし魔物に襲われるようなことがあったら全滅もあり得るだろう。

 自分も恐い思いをしたはずのに、キサラは俺と違って仲間のことを考えているのだ。


「キサラは偉いな」


「ほほーう。ダレスもようやくキサラちゃんの凄さに気づいたようだね」


 脚を組んで頬杖を付き、キサラはふざけるような口調で言う。


「前から思ってるよ、キサラは凄いって。こう見えて尊敬してたりするんだぜ」


「ちょっと、ちょっと。そんなに本気っぽく言わないでよ、照れるじゃん」


「本気も本気だよ。それに感謝もしてる」


「何それ。あーもう、調子狂うな」


 キサラは俺から目線を外し、手でパタパタと顔を仰ぐ。髪の隙間から見える耳の先端は少し赤みがかっていた。キサラの反応を見て、俺は力の抜けた笑みをこぼす。


「あと、私たちが無事だとみんなに伝わってるってのはね」


 仕切り直すようにキサラは立ち上がる。大きなリュックを背負うと「冷たっ」と反射的に声を漏らした。


「水の音よ」


「水の音? かなり静かだけど」


 地底湖の水面は、岩壁から放たれる無数の光を吸収して青く輝いている。視覚的には訴えかけているものはあるが、波一つ立っていない湖面は静寂そのものだ。


「よく耳を澄ましてみて」


 言われるままに、俺は口を閉ざして聴覚に意識を集中させる。聞こえてきたのは―― 


「確かに、水の跳ねるような音がする。何かが落ちてきたような……」


「そう。まだボス部屋の崩落は続いてる」


 話の本筋が見えず、俺は腕を組みながら首を傾ける。


「わたしたちがボス部屋から落ちた時、大きな岩も一緒だったでしょ。結構な高さだったし、岩が地底湖にぶつかった音はかなりのものだったと思う」


 キサラは顔の前で指を立て、天井を指した。


「きっと、みんなにもこの音は届いてる。で、ボス部屋の下には水があって、一定の空間が広がっているって事に気付くはず」


「水の上に落ちたのなら、生きている可能性があるってことか」


「そういうこと」


 キサラはニヤリと微笑み、天井を指していた指を俺に向ける。


「あとはダンジョンの特性を知っているかどうかね」


「さっき言ってた、ダンジョンの部屋は必ず何処かの部屋に繋がってるやつだな」


「覚えがいいね、ダレス。キサラ先生は感心しております」


「いつから先生になったんだよ」


 俺は怪訝な視線をキサラに向けながら、靴を履き直す。キサラは俺の反応を見て、クスクスと嬉しそうに笑った。


「まぁそこも大丈夫でしょ。向こうにはゴールドランクのフレンがいるしダンジョンにも慣れてるはず。きっと今頃、わたしたちのこと探してるよ」


 キサラは両手の指を絡めて大きく伸びをした。

 俺は立ち上がって、ローブに付着した砂を手で払う。靴の中に溜まった水を捨てたはずなのに、足底から伝ってくる不快な感触はあまり変わってはいなかった。


「じゃあ、長い事じっとしてもいられないな」


「そうだね。まだ完全に助かったわけでもないし」


 俺は心の中でサリーに呼びかける。

 サリーは俺の声に即座に応え、砂の斜面を駆け上がっていった。光沢のある黒いドレスからは、水滴がポトポトと落ちている。今更ではあるが、サリーは風邪を引いたりすることはないのだろうか。


「魔物は大丈夫だと思うけど、一応サリーちゃん先頭で進もっか」


 俺たちは地底湖に通じていた広い洞窟を進む。

 ここもボス部屋までの通路と同じように、光の粒が俺たちを囲うように輝いている。そのおかげで、足下が見えないなんてことはなかった。

 キサラの言っていたように、魔物の姿はどこにも見当たらない。俺の隣で歩くキサラの横顔は、どこか安心したような気配を含んでいる。



 冒険者というものに子どもの頃は憧れを持っていた。少しばかり危険は伴うものだと理解してはいたものの、実際のところ、旅を始めて十日もしない内に命の危機に陥っている。

 今回は何とかなりそうではあるが、ボス部屋の崩落した先が地底湖だったなんて、ただ運が良かっただけと言わざるを得ない。

 まして、俺よりも経験の長いパーティメンバーは、幾つも死線を潜り抜けてきたに違い無いだろう。


 貧民街に生まれて何も持ってない俺なんかは、こうして命を懸けないと安定した収入は得られない。

 けれど、他のみんなはそうではないだろう。安全を担保された職を手にすることだって出来たのではと考えてしまう。フレンなんか良いところの家の出身ぽいし。

 わざわざ自身の身を危険に晒してまで、冒険者を続ける理由はどこにあるのだろう。


 俺は頭の中で考えを巡らせながら、無意識にキサラの事を見つめていた。


「そう言えばキサラ」


「んー。どしたの?」


「どうして冒険者になろうと思ったんだ? やっぱりお金のためか?」


「いきなりだね。キサラちゃんの秘密を知りたいのかい?」


 キサラはリュックの下で手を組み、ニヤニヤと俺の顔を覗き込む。こいつ調子に乗ろうとしてやがる。


「やっぱりそこまで興味無かったわ」


「えー、そんな直ぐに引き下がらないでよ」


「ちょっと、歩きにくいって」


 キサラはすがるような瞳で俺の右腕を掴み、ブンブンと動かす。手のひらから伝わる熱はほんのり温かい。

 なんだろう。かまってくれるのがそんなに嬉しいのだろうか。


「わ、わかったから。キサラちゃんが冒険者になろうとした理由を教えてください」


「ふっ、ふっ、ふっ。そこまで言われたら仕方ないな」


 キサラは腕を離すと、顎をさすりながら声に含みを持たせた。


「まぁ、お金ってのも間違いではないけど…… 世界を知りたいってのが一番かな」


 キサラは柔らかな眼差しを俺に向ける。予想外の返答に俺は目を瞬かせた。


「その反応は心外だねー。これでもわたし、ロマンチストなんだよ」


「すまん、ちょっと意外だなと思って」


「別にいいですけどー」


 キサラはプイッと俺の反対を向く。水分を含んだ髪は、重たそうに弧を描きながら広がった。

 俺は距離を詰めながらもう一度謝ると、キサラは「冗談だってば」といたずらっぽく笑った。そして深く息を吐き出す。


「わたしはね、小さい時は孤児だったの。貧しい生活はきつかったし、大変な事も多かった。けど、一番辛かったのは、このままここで一生を終えるのかなって考えてしまうことだったな」


「そうだったのか……」


 キサラは両手を後頭部に回し、物憂げに天を仰ぐ。岩肌の天井から瞬く光の粒が、キサラの瞳を蒼白に染めた。


「でもわたしは運が良くてね、わたしを養子に取ってくれる人が現れたの。劇的に生活が良くなったわけじゃないけど、その日から見える景色に色がしっかり付いたような気がして。当たり前に見てた空ですら、こんなに綺麗なんだって思えるようになったんだ」


 キサラは開いた右手を高く突き出し、ぐっと握りしめた。そのまま閉じた手を、優しく胸元に下ろす。


「俺も…… 俺も孤児だったんだ。少しの間だけど孤児院にもいて」


「えっ!? ダレスもなの! だったらパーティ組む前からわたしたち仲間じゃん」


 俺の告白をかき消すように、キサラは目を輝かせながら弾むように言う。

 思わず一歩引いてしまった俺に、キサラは「いぇーい」と右手を掲げた。しぶしぶ右手を上げると、キサラはスパーンと俺の手を叩く。洞窟の奥まで響き渡る小気味の良い音。手のひらはじんじんと痛みを持つ。けれど、この痛みは嫌ではなかった。


 俺は自分の事を話すのはあまり好きではない。生い立ちの事であれば尚更だ。でもキサラには、自分が孤児であった事を伏せて置くのはフェアじゃないと思った。

 

「じゃあ、ダレスもわかるでしょ。世界を知りたいってわたしの気持ち。だから必死に勉強して地導士になった。きっとこの世には、わたしたちのまだ知らない素敵なもので溢れてる」


「俺もそうだったらいいなとは思えるようになった。けど、キサラみたいに確信が持てるわけじゃないんだ」


 俺は足を止め、頭をかきながら無理に笑顔を作った。十歩ほど先を行くサリーも、俺と同じタイミングで立ち止まる。

 キサラは俺のとって付けたような笑顔を直ぐに見破ったようで、真剣な眼差しを向けてきた。俺は息を呑み、静かに口を開く。


「ずっと貧しい生活をしてきて、大切な人がいなくなって、命の価値は平等じゃないってことを痛いほど知ってしまったんだ。そんな不条理がこの世の真理だとも思ってる。だから、この世界がキサラの言う綺麗なものだと、まだはっきり思えないんだ」


「あったなー、わたしにもそんな時期が」


 キサラは俺の曇った内面を軽く吹き飛ばすように、しししと笑った。しかし、瞳の奥には確かな理解の色が宿っている。キサラは俺を指差すと、そのまま自分の頬にその指を添える。


「じゃあ、わたしと出会わなくてよかったと思ってる?」


「それは――」


「わたしはダレスに会えてよかったと思ってるよ」


 いつになく真面目な口調でキサラは言う。また冗談を言ってるのかと俺は少し様子を伺った。だがキサラの瞳が揺らぐことなく、真っすぐ俺の両目を捉えていた。


「理由はどうであれ、わたしたちが出会えたのは、お互いが広い世界へ一歩を踏み出したから。今まで生きてきた場所が絶望に満ちていてたとしても、外の世界までその色に染めちゃいけないんだよ」


 キサラは表情を緩め、白い歯を見せながらニカリと笑う。


「わたしたちが出会えたこの世界は、きっと美しいはず」


 キサラの明るい声が胸の奥にまで響いていく。

 俺は何かを伝えようと自然に口を開いたのだが、こみ上げてきた言葉を飲み込んでしまう。アシュードとも似たような話をしたなと、俺は逃げるようにあの夜のことを思い返していた。


 世界を知りたいという気持ちは確実に芽生えているのに、心の奥ではまだ信じきれてはいないのだろう。

 それほどまでに、自分が経験してきたこの世界は黒く(すさ)んだものだった。


 唇をぎゅっと引き結んだ俺を見て、キサラは優しく俺に微笑みかける。


「もー、ダレスは仕方ないな。キサラちゃんが世界は綺麗ってのを教えてあげるよ。ってか一緒に見て回ろう」


 言いながらキサラは俺に手を差し伸べる。眩しいほどの笑顔と、か細い女の子の手。キサラの勢いに戸惑いながらも、俺は右手をそっと差し出た。


「っ……!」


 俺は前方へ崩れかけた体勢を何とか踏み止める。キサラは俺の手でなく、前腕を掴んで引っ張り上げたのだ。


「さぁ、行くったら行くよ! わたしたちの冒険はこれからなんだから」


「なんだよそれ」


 キサラは一歩一歩、歩みを進める。俺は足を取られないように注意しつつ、キサラの後に続いた。


 貧民街にいた頃の自分なら、強引なキサラの手を払っていたのかもしれない。けど今は違う。彼女の情熱を拒否するほど俺の心は凍りついてはいない。


 ただがむしゃらに前へと突き進むキサラの背中を眺めながら、俺は無意識に笑みをこぼした。


 いつか何の迷いもなく、キサラの隣を歩ける日が来るのだろうか。


 

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