34話 魔術師の業
「わたしは、攻撃魔法を諦めきれないんです」
メロは俯いたまま、静かに口を開いた。
太陽に向かって伸びる麦の穂先が、そよ風を受けて一斉に頭を垂れる。
「だいたいの魔術師は、魔術学校で魔法を習うんです。もちろんわたしもその一人で、入学当時は十年に一度の逸材と言われたんですよ」
少し照れたように微笑みながらも、淡々とメロは回想を続けた。
「今の攻撃魔法も、授業が始まって一日もしないうちに扱えるようになりました。先生も、クラスのみんなも、もの凄く褒めてくれて。だけど――」
メロは目を閉じ、力なく首を横に振る。
「それが私の限界でした。十日もすればみんなに追い抜かれて、進級しても後輩に追い抜かれて。いつまでも小さな火の玉しか出せないわたしに、学校中の人間が、同情するような目を向けてきましたっけ」
「メロ、お前……」
「あっ! そんな悲しい顔しないでください。ダレスは仲間なんですから、今のは笑うところですよ。まぁ、アシュードはわたしのことをバカにしすぎですけどね」
先程まで憔悴しきっていたのに、一転して屈託のない笑顔を見せるメロ。幼い見た目とは裏腹に、芯の座った心の強さが伝わってくる。
「誰しも向き不向きがあるのは分かってるんです。今まで何度も説教されましたし。わたしは攻撃魔法が使えない、デバフ特化の魔術師。自分だけじゃ何もできない人間……」
言いながらメロは自嘲的に笑う。
「キサラは自分が戦えないことを申し訳ないと言っていましたが、わたし自身も思うところはあります」
「そんなことないだろう。メロもキサラもパーティには欠かせない」
魔法が使えない俺からすれば、デバフでも使えるだけで凄いことなんだが。だけど、メロの悩みはもっと深いところにあるように思う。替えの利かない何かがあるのだろう。
思い出すのは、王都でフレンに言われたサリーを看取れという言葉。絶対に諦めるつもりはなかったのに、あの時の俺は心が折れてフレンの助言を飲み込んだのだ。
けれどメロは、誰に何を言われても攻撃魔法を諦めていない。俺にはできなかったことだ。
アシュードの夢の件もあったし、メロの心の内を知ることは、きっと自分の世界を広げることにも繋がると思った。何より仲間が困っているのを放っておけない。
俺はメロの真意を知るために一歩踏み込む。
「なんでそこまで攻撃魔法にこだわるんだ? 背負ってるものとか、何か込み入った理由があるんだろ? 俺に協力できることがあるなら教えてほしい」
「こだわる理由って……」
メロは頬をポリポリとかきながら俺の顔を覗き込み―― 眩いほどに目を輝かせた。
「そんなの、かっこいいからに決まってるじゃないですか!!」
「え?」
疲労の溜まった脚でフラフラと俺に近づきながら、鼻息を荒くしてメロは語る。
「ダレスも読んだことありますよね? おとぎ話や冒険譚に出てくる魔術師は、みんな攻撃魔法を使います。天高く伸びる火柱、竜を貫く雷、全てを飲み込む激流!」
「お、おう」
ちょっ、ちょっと近いですよメロさん。
「そんな魔術師に憧れて、わたしは魔術学校の門を叩いたんですから。デバフだけ使う魔術師なんて、お話に出てきませんからね」
口をとがらせながらメロは言う。さっきまでのしんみりした表情は何だったんだ。俺の心配を返してくれ。
「そんな理由だったのかよ」
「そんなとはなんですか! 私にとっては大事なことなんですよ」
眉間にしわを寄せるメロだが、微塵も恐さを感じない。頭をなでてやりたいとすら思う。
「でもな、メロ」
「なんですか? 攻撃魔法のかっこよさが分からないなら、もう話すことはありませんよ」
メロは腕を組んでプイッとそっぽ向く。ここまで連れて来といて、それはあんまりじゃないか。
「デバフでも、魔法が使えるってのはすごいことだと思うよ。誰にでもできることじゃない」
「陰湿魔術師って言われたことないから、そう思えるんですよ。わたしが、どれだけ苦い経験をしてきたか」
それ、アシュード以外にも言ってるやついるんだ……
「いやいや、陰湿なんてとんでもない。俺はかっこいいと思うぞ」
「ほ、ほーう…… わたしの魔法がかっこいいと……?」
平静を装っているつもりかもしれないが、右の頬だけニヤけてるぞ。分かりやすいヤツめ。
「そうだよ。ただ、使う魔法に得意不得意があるだけだ。得意な部分で苦手なところを補えたりしないのか?」
「うーん……」
完全に納得はできないようで、メロは難しい顔をしながら暫し沈黙。
「その辺は追い追い考えることにします」
こいつ、思考することを止めたぞ。
「ですが」
メロは後退りし、両腕を広げて一回転。紺色のローブをばさりとなびかせ、こちらへ向き直る。
「わたしの魔法を肯定してくれたのはダレスが初めてです。少しだけ、自分の見方が変わった気がします」
「それならよかったよ」
僅かながらでも胸の荷が下りたようで、メロは無邪気に笑えるようになっていた。
「ただ、特訓はまだ止めませんよ。燃え盛る業火で魔物を焼き尽くすまでは―― きゃっ」
さっきの喜びの舞を最後に、メロの体力は限界を迎えていたようで。意気揚々と踏み出した足は、小さな体を支えることなく崩れ落ちていく。
「危ないメロ!」
咄嗟に腕を伸ばし、倒れ込むメロを抱える。が、俺の足にも自分の体と少女を保持する力は残っていなかった。俺は、メロを押し倒す形で、青々と生えた雑草の上にバサッと倒れ込んだ。つばの広い帽子が宙に舞い、メロの髪が無造作に広がる。
「すまない、俺はもう限界みたいだ」
絡まる脚に、柔らかい感触を感じる腹部。顔同士は何とか前腕を地面に着いて接触を免れたが、メロの吐息が優しく頬に触れている。
「限界って…… こんなところでやめてください……」
なぜか赤面して目線を逸らすメロ。心なしか、うっとりとした瞳。いやいや、そういう意味じゃ…… あれ?
――ここじゃなかったらいいのか?
メロは期待と若干の恐怖が混ざった視線を俺に戻す。上目遣いの潤んだ瞳。とてつもない破壊力だ、妹一筋の俺が揺らぎかけているだと……
俺は溜まった唾を静かに飲む。メロは口を噤んだままだ。
風車の回る音が意識から遠のき、お互いの吐息が鮮明に聞こえるようになる。混じりそうで混じり合わない二人の呼吸音。
周囲に作られた麦の壁が、世界から俺たちを隔離していく。そう認識しかけた時、背後から刺すような視線を感じた。
「そこのお二人さん、一体なーにをしているんですか?」
「キ、キサラ! これにはわけが――」
振り向くと、土手の上から呆れた目で俺たちを見つめるキサラがいた。
「うわぁ!?」
「ちょっと、ダレス!?」
無理な体勢をとったせいで、支えにしていた腕に力が入らなくなる。
怯えるメロは、ギリギリのところで落ちてくる俺の頭部をかわした。土と汗の混ざった匂いが俺の嗅覚を刺激する。
「わけも何も、休憩ってこういうこと? 明るいうちからお盛んですねー。でも大丈夫! アシュードとフレンには黙っといてあげるから」
「「だから違うってば!」」
ニヤニヤしながら現場を離れようとするキサラ。
こいつ、楽しんでやがる。
誤解しているキサラを何とか呼び止め、俺とメロは彼女とサリーの手を借りて宿へと向かった。道中の質問攻めに恐怖を覚えながら。




