24話 お茶会からの晩餐会
「な…… なんだ……!? これ!?」
目の前に広がる鮮やかな光景。色取り取りの野菜に果物、煌めくスープ、芳ばしい香りを漂わせるパンに、あと、名前は知らないけど美味そうな料理が、ところ狭しと細長いダイニングテーブルに並べられている。
ナターシャの「笑い過ぎてお腹が空いたわ」との発言により、俺たちは広間に移動して少し早めの夕食をとることになった。何が笑い過ぎてだよ、なんて苛立っていた気持ちが、ご馳走を前にすると嘘のようにかき消されていく。食欲に勝るものなんて、この世にそうないだろう。
「こんなの食っていいのかよ! しかも、に…… 肉がある…… 肉なんて母さんとみんなで食べたとき以来だぞ」
テーブルの片隅に、ドンッと置かれた肉の塊。あれは、鶏肉……? それも丸々一羽だと…… 身の引き締まりを感じる隆起した足。全体にソースがかかっているのか、飴色に焼かれた表面がシャンデリアの灯りに照らされ、淡い輝きを放つ。スラッとした長身のメイド、ソラナは、その食べることに罪悪感すら覚えそうな肉塊にナイフを入れた。
こんがり焼けた皮を裂き、抵抗感を受けることなくナイフは一筋の道を作る。その跡をたどるように、艷やかな油を含んだ肉汁が、とめどなく溢れ出していく。俺はその光景を目に焼き付け、生物としての本能に従い出てくる唾液を、ゆっくりと飲み込んだ。
切り分けた肉を皿に乗せ、メイドたちが運ぶ。
「お、お兄ちゃん…… さっき食べたクッキーがお腹の中から出ていってくれない……」
目の前に置かれた至高の食物を前に、左隣で座るリゼは、後悔を全面に出すように顔を歪ませた。
「リゼ! なんとか頑張るんだ! ここで食べれなきゃ、一生、肉を前に撤退した自分を恨むことになる」
「……うん、わたし…… 頑張るよ……」
お腹をさするリゼの目尻に薄っすら涙が光る。すまないリゼ、お兄ちゃんには励ますことしかできない。無力な兄を許してくれ。
「そうだ、サリーは? っ……! どうしたサリー!?」
俺の右隣に座るサリー。サリーは、次々と切り分けれていく肉を冷たい瞳で一点に見つめたまま、ドバドバよだれを垂らしていた。
「もう、あなたたち、静かに食事もできないの?」
丁寧にナイフとフォークを使いながら、冷笑するナターシャ。
「こんなご馳走を前に落ち着いていられるか。いや、その前に本当にありがとうございます! ……で、サリーにまだ肉が運ばれてないんだけど……」
チラチラとサリーの様子を伺いながら、厚かましくもナターシャに訴えかける。
「サリーちゃんは食べれないわよ」
「えっ……?」
グラスに注がれたぶどう酒を飲みながらナターシャは言う。俺の声と同じタイミングで、サリーは肉から視点を動かしナターシャの顔を見た。ちなみに、よだれは垂らしたままである。
「死んでるんだから当たり前でしょ。消化器官は動いてないし、無理やり食べてもお腹の中で腐るだけよ」
そして俺を見つめるサリー。表情は動かないが、言いたいことはわかるぞ。
「でも、こんなに食べたそうにしてるのに…… 何とかならないのか?」
「簡単よ、あなたがしっかり食べなさい」
積まれた肉をナイフで切るナターシャ。
「ネクロマンスされた死者は、術者の魔力を糧にする。魔力は食べて、寝て回復するものだから、あなたが食べた物は、実質サリーちゃんが食べたことにもなるでしょ?」
「そういうものか? なんか納得いかないけど」
言いながらナターシャは、品のある手さばきでありながらも、目の前に置かれた料理をとどまることなく口の中へ放り込んでいく。皿が空になればメイドが次の料理を運び、ペロリと平らげてはまた次を運んでいる。あの細身の体にどうやって納めているのか不思議でならない。
「食べないなら私が食べるわよ」
「わかったよ、食べるって」
サリーの目に心を痛めながらも、丸々した肉をフォークで一突き。豪快にかぶりつく。 ……!?
香ばしい皮を食い破ると、ジューシーな身が肉汁とともに口いっぱいに広がった。噛めば噛むほどにほろほろと繊維がほぐれ、その一つ一つが強い旨味を引き連れてくる。美味すぎる…… こんな食べ物がこの世にあるのか?
俺の姿を見て覚悟を決めたのか、リゼも大きな口で肉を頬張る。
「美味しいよ……」
「なに? あなたたち…… 泣いてるの?」
「いいだろ! こんなに美味いもん食べたことないんだよ」
「そんなみっともない格好しないでほしいわ」
涙を流す二人。その隣でよだれを流すサリー。うん、今だけは許してくれ。
そんな中、欲望に満ちた声が頭に広がってくる。
『食べたい、食べたい、食べたい、食べたい』
肉の盛られた皿を俺の席に置く、メイドのネルン。幼くも整った顔立ち。小さな口からどばぁーと溢れ出す…… よだれ。
「もう、ネルンったら。あなたもなの?」
片眉をひそめ、やれやれと両手を広げるナターシャ。
いやいや、このご馳走を前に正常な反応だと思うぞ。ネルンの気持ちは痛いほどよくわかる。
ナターシャは「ほんと、ネクロマンサーも大変だわ」と愚痴をこぼした。
「――ちょっといいかナターシャ。少し気になっていたことがあって」
俺は食事の手を止め、一つ息を吐きだす。ご馳走を前に忘れそうになっていたが、冒険者と聞いてからずっと胸に引っかかっていた話を切り出した。
「これから冒険者としてやっていくってことは、ネクロマンサーの力を、誰かの前で使う可能性があるってことだろ。レスティーの話を聞いて、ネクロマンサーってバレるのはリスクが高いことは理解できたし、何か対策があればと思うんだが?」
「もう対策はしてあるわよ。さっき渡した冒険者証をよく見なさい」
鶏肉を口に収めながらも、上品に話すナターシャ。見惚れるほどに丁寧な所作であるが、食べる量だけは常軌を逸している。
俺は言われるまま、ローブの中にしまっていた冒険者証を取り出す。
「人形師……?」
銀色のプレート、名前の下に小さく掘られた文字。冒険者証を渡された時に、この見慣れない単語に気付くことはなかった。俺が文字に弱いせいかもしれないが。
「冒険者の登録には何かしらの専門職の記載が必要でね。表向きには人形師として活動してもらうわ」
荒く掘られた文字を、俺は指先でそっとなぞった。
「人形師は文字通り、人形を操る能力に長けた人の総称よ。ほとんどは金持ちの娯楽として、人形劇なんかで生計を立てる人が多いけど、戦闘に特化した人形師もいるわ。あなたの場合、後者になるわね」
「おいおい、ちょっと待ってくれ。俺は人形なんて操れないし、そもそも人形がないだろ」
「隣にいるじゃない、かわいいお人形さんが」
ナターシャは、俺の隣でちょこんと座るサリーに目をやる。幼さの残る出で立ちに変化のない表情。フリフリのドレスを着た姿が、高級感のあるイスと合わさり、ここだけ別世界のような空間が作られている。確かに人形と言われれば信じてしまいそうだ。 ――よだれだけ気になるが……
「本気で言ってるのか?」
「本気も何も、それしか方法がないでしょ。戦い方に関してはネクロマンサーとよく似ているわ」
「むう……」
変わらぬペースで食事を再開するナターシャ。反論する隙なんてないし、そもそも冒険者証を作ってきてくれたんだ。あんまりウダウダ言うのも筋近いだろう。
「わかったよ、なんとか誤魔化しながらやってみる。――それと、もう一つ」
「次は何?」
食い気味にナターシャは言う。
「お前の師匠、レスティーの亡骸はどこにあるんだ?」
口に運ぼうとしたフォークがピタリと止まる。
「レスティーは聖王国アストロイアで処刑されたんだよな? だったら、亡骸も敵国から回収しないとネクロマンスできないし…… って、ここまで計画してるならさすがに用意できてるか……」
ナターシャに睨まれ言葉尻を濁した形になったが、いつものキレのある返しが来ない。
ナターシャはそっとテーブルに手を置く。
「――どこにもないのよ、亡骸が」
「……えっ?」
「めぼしいところはかなり探したんだけどね。まぁ、敵国に侵入して目立つような調査はできないから、見落としはあるのかもしれないけど」
ぶどう酒を傾け、波打つ深い赤をナターシャは考え込むように覗く。
「私に、レスティーの声が聞こえないわけないのに……」
死者の声。ネクロマンサーだけに聞こえる魂の叫び。例外としてサリーからは感じることができないが、死者は皆、一貫して強い感情を放っている。
初めて声を聞いたとき、俺は立っていることさえできなかった。それほどまでに強く、そして悲しい胸の内。
命を張ってまで救いたかった師匠の声が、弟子に届かないことはないだろう。この件は、何か特別な理由があるように俺は感じた。
「じゃあ、冒険者としての鍛錬のついでに俺が探し出してやるよ。これで全ての条件が整うだろ?」
「馬鹿ね、私でも見つけられてないのよ」
真剣な眼差しを向けるナターシャに、俺はフォークを突き立てニヤリと笑う。
「こんなに美味い飯を食わせてもらったんだ、食事分の仕事はさせてくれよ」
ナターシャは軽く口を開いて呆れたような顔をしたが、その表情はすぐに、くだけた笑みへと上書きされていく。
「――まぁ、ほんの少しだけなら期待しといてあげる」
「任せとけよ」
完全な否定で終わらなかったナターシャの言葉。僅かながらに、彼女からの信頼を得れたのではないかと、俺は小さく胸を躍らせていた。
「そうと決まればしっかり食わないとな。ネルン、肉のおかわりを貰えるか?」
『もうお肉はありません』
「またまた。あの量の肉がすぐになくなるわけないだろ」
『もうお肉はありません』
「いやいや、そんなわけ……」
最悪の事態が頭によぎる。しかし、その現実を受け入れまいと反射的に疑いの言葉を発してしまう。同時に、流れてくる嫌な汗。
一つ呼吸を置き、ゆっくりとテーブルの端へ視線を動かす。
「……なっ、ない……」
肉の塊が存在していたはずの場所に、ぽっかりと空いた空間。そこでソラナが手際よく後片付けをしている。
ぶんぶんと首を振ってテーブルを見渡すも、目当てのご馳走は見つからない。そして、ナターシャと目が合う。
彼女は、このテーブルに存在している最期の一切れをフォークで突き刺し、見せつけるようにして口に含んだ。小さな口で咀嚼を繰り返すたびに頬を緩ませ、うっとりとした目で俺を見る。
「ナターシャ、お前! それが人のやることかぁぁ!!」
勢いのままテーブルに手をつき立ち上がる。やっぱこいつ嫌いだ。
「これぐらいでまた泣いてるの? ほんと子供ね」
「うるせぇよ。俺、まだ一切れしか食べてないのに……」
言いながらナターシャは、二つ折りした白い布でそっと口元を拭く。
「じゃあ、一つだけ約束してあげる」
「なんだよ」
ナターシャは腕を組みながら、ニヤッと悪そうな笑顔をみせる。
「レスティーを見つけられたら、あなたのお友達、ガインっていったかしら? その子を返してあげるわ」




