22話 楽しいお茶会
「冒険者」というものを、俺はよく知っているわけではない。
知っていることと言えば、村を襲う魔物を討伐したり、毒の沼地にしか咲かない、万病に効く薬草を採取したり、危険をかえりみず自分の力で生計を立てる人達だということ。誰しも子供時代に憧れを持つ職業だし、その時に得た知識しか俺は知らない。
だけど、子供の頃の俺でも分かっていたこと。冒険者とは俺のような凡人ではなく、選ばれた人間だけがなれるものだと思っていた。
だが、目の前でふんぞり返って紅茶を嗜むこの女が言うに、俺はその冒険者にならないといけないらしい。
「あぁ、言い方を間違えたわ。冒険者になりなさいじゃなくて。あなた、もう冒険者になっているわ」
「なって…… いる……?」
無意識に俺はソファーから身を乗り出す。
ナターシャはローブの袖から手の平ほどの大きさのプレートを取り出し、机の上に放り投げた。ガシャンと鋭く響く金属音。銀色に輝く板には「ダレス・ハーパー」と、俺の名前が書かれている。「冒険者になっている」という言葉の衝撃が、俺の脳をグラグラと揺らす。
「冒険者ギルドに、あなたの名前で登録依頼を出しておいたの。そのプレートが冒険者の証。なくさないでね」
「えーっ! お兄ちゃん、冒険者になったの!?」
ナターシャの隣で座るリゼが目を輝かせ、プレートと俺の顔を交互に見る。お兄ちゃんもびっくりだよ。
「ちょっと待ってくれ、全く話が掴めないぞ」
「だから、今から順を追って説明するわ」
ため息混じりにカップを机に置くナターシャ。
俺の隣に座るサリーは無反応で、ただ足をプラプラと上下させている。
「私との契約を忘れたわけじゃないと思うけど」
「ああ、それは覚えてる。お前の師匠を復活させるんだよな?」
「そうよ。最強、最悪のネクロマンサー、レスティー・アグナリア。彼女を復活…… ネクロマンスするには、恐らく膨大な魔力が必要になる。悔しいけど、私だけじゃ力が足りないと思うわ」
ナターシャは親指の爪を噛んで眉をひそめた。
「お前がネクロマンスできないなんて、どんな奴なんだよ」
俺は目を細めて大きく息を吐きだす。「最悪の」という言葉が引っ掛かりはするが、今は頭の片隅に置いておくことにする。
「だからあなたの力が必要なんだけど。ネクロマンサーとして、あなたはまだ使い物にならないザコだから特訓が必要なのよ」
「それで冒険者?」
「そういうこと」
ナターシャは満足そうに指をパチンと鳴らした。それとザコを強調して言うんじゃない。男の子のハートは傷つきやすいんだぞ。
「魔力を底上げするには実戦が一番なのよ。私は忙しいから相手してあげられないし、魔物討伐の依頼を集中的にこなして経験を積みなさい。それに――」
『ナターシャ様』
「あら、ありがとうソラナ」
華やかで、ほのかにフルーツの香りが漂う。
空のカップに紅茶を注ぐ、スラッとした長身のメイド。ナターシャが見出した死者の一人。
脳に直接響く張りのある声に、凛とした所作。薄っすらうなじが見える横顔に、俺は思わずドキッとしてしまう。
「そうそう、城のクソジジイ共からもらったクッキーがあったでしょ。あれも出してちょうだい」
『そうおっしゃると思って、すでに用意しておりますナターシャ様!』
「さすがね、ロップル」
皿いっぱいに盛られた焼き菓子が、机の上に置かれる。食欲をそそる香ばしい焼き色。
リゼが「わぁー、お菓子だ!」と机に手をつき立ち上がると、ロップルと呼ばれた背の低い赤毛のメイドは、誇らしそうに鼻の下を指でこすった。メイドの表情に動きはないので、憶測でしかないが…… なんだか部屋がにぎやかになってきた。
「好きなだけ食べなさい」
「やったー!」
焼き菓子を手に取り、幸せそうに頬張るリゼ。見ているこちらも心が温まる。
「話の途中だったわね」
ナターシャはそっと紅茶を手にとり、背もたれに体を預ける。長い髪を耳の奥へと押しやると、艶のある毛先がするすると流れた。
「なにより、冒険者になって依頼をこなせば、魔力の向上だけでなくお金も手に入るわ。あなたにとっては願ってもないことでしょ」
「それは…… 本当に理想的だな」
ナターシャの提案に俺は深く頷いた。
俺にしっかりとした稼ぎがあれば、妹たちに辛い思いをさせることはない。なんなら、妹たちと幸せな生活を願っていた俺にとっては夢のような話だ。
かわいい服を着て、大好きな焼き菓子を食べるリゼ。目の前にある、幸せに満ちた笑顔を俺は護っていきたい。
「じゃあ、そういうことでいいわね」
「ナターシャ」
ナターシャは軽く目を見開き、紅茶を口にしようとした手を止める。
「教えてくれないか? お前の師匠、レスティーのこと。冒険者として行動するなら、お前の目的のために知っておいて損はないかと思って」
目を伏せ一つ呼吸を入れたあと、ゆっくりとナターシャは紅茶をすする。
最強で最悪。そこまで言われた人間のことを俺はまだ名前と、ネクロマンサーってことしか知らない。未熟な俺でも情報を共有しておけば、少しはナターシャの手助けができるんじゃないかと思った。彼女の力になりたいという、胸の内から出た混ざりけのない言葉。
同時に、こんな事をためらいなく言えてしまう自分がいることに驚きもした。
「まぁ、あなたの言う通りね。いつか話そうとは思っていたことではあるし」
紅茶の中身を覗く瞳を、長いまつげが薄く隠す。
ナターシャは小さく息を吐き、話を続けた。




