14話 共犯者
「……何があったんですか?」
「お…… お兄ちゃん……!」
目を真っ赤に腫らして駆け寄るリゼ。俺の胸に頭を埋め、溢れ出す感情をそのまま吐き出す。だが、今の俺に悲しむ妹を抱きしめる余裕はなく。俺の眼差しはただ真っ直ぐ、マリエラ先生を貫いていた。
「ダレス…… ごめんなさい…… ごめんなさい……」
両手で口を覆うマリエラ先生。流れ落ちる涙は勢いを増していく。
これほどまでに、弱々しいマリエラ先生を見るのは初めてだった。
ベッドで目を閉じたままのサリーはまるで人形のようで。ただ、全身に広がった菱形の赤い模様がすべてを物語っていた。
「マリエラ先生、答えてもらえますか?」
服にしがみついたままのリゼを引きずるようにして、俺はマリエラ先生に詰め寄る。
「……ったの……… 売ったのよ…… 薬を」
背筋に一筋の冷たいものが走ると同時、心が、頭の中がぐしゃぐしゃになっていく。
「どうして……」
「仕方なかったのよ!」
戸惑いと絶望から漏れた言葉は、乱暴な声でかき消された。
「薬で病気が治ったとしても、体力が元に戻るわけじゃない。元気になる為には栄養のある食事が必要なの。 今の孤児院には、食べられずに苦しんでいる子がたくさんいる」
険しい顔でマリエラ先生は訴えかける。そこにいつもの優しい表情はなく、まるで何かが憑依したかのようだった。
「病気が治っても食べられずに死んでしまうのなら、その薬でみんなを助けないと…… ねぇダレス、私は間違ってないでしょ……?」
マリエラ先生はゆっくりとした足取りで近づき、荒れた手で俺の両肩を掴んだ。鈍い痛みが両腕まで伝わる。俺はその手を振りほどかない。
「……みんなを助けたい気持ちはわかります。でも、サリーは俺達の大事な家族なんです……」
マリエラ先生の目から力が抜け、少しずつ腕の痛みが和らいでいく。そのまま先生は蹲るようにして両膝をついた。
「私は…… なんてことを……」
埃が溜まった床を一点に見つめ、先生は、ぼそぼそと謝罪の言葉を並べだした。度重なる激務と心理的負担で、精神は限界に近いのだろう。
俺は何も言わず、佇むマリエラ先生の隣を歩き、サリーの頬をそっと撫でた。
……ああ、この感触だ。
外気に溶け込んでいく体温を感じ取り、母さんや、今まで死んでいった貧民街の人達のことを思い出す。
今までの経験がサリーの死を俺に実感させるのだ。
頬から細い首筋へ、目を背けたくなるような赤い模様の肌をなぞる。
「サリー…… ごめんなぁ……」
こぼれ落ちる涙がサリーの頬を伝う。俺と共鳴するように、隣でわんわん泣き出すリゼ。
俺の服を強く引っ張る小さな手に、泣いてはいられないと目を擦る。胸でリゼを受け止めると、咽び泣く声は籠もった音となり部屋中に広がった。
「ダレス…… 私を憲兵に引き渡して」
「マリエラ先生、何を……」
「私は罪を犯した! 大切な子どもの命を見放した! そんな人間が、孤児院に居ていいわけがない……」
唇を噛み締めながら、目を赤くする先生。俺に向けられた瞳の奥には、救いを求めているような脆さがあって――
「そんなのだめですよ」
自分でも恐ろしいほど冷たい声が出た。先生は俺の言葉に戸惑いの表情を浮かべる。
「マリエラ先生と俺は共犯者なんですから……」
二人の間に流れる沈黙。リゼの泣き声だけが二人を包み込む。
「薬を手に入れてもどうにもならないことは分かってました。今の孤児院は病気でなくても、十分な食事を与えられずに倒れる子どもがたくさんいる。そんな状態で病気が治っても、サリーの命は長く続かない」
「そう…… わかっていたのに――」
端の破れたレースのカーテンがふわっと広がり、サリーの髪をそっと揺らす。
幼さの残るサリーの顔を見ると、また涙が込み上げてくる。この涙はきっと悲しみによるものではない。
「薬を手に入れることに必死になって、もがいて、肝心なところから目を逸らそうとしていたんです。本当に助けたいなら、俺が薬を飲ませるべきだった……」
こんな事を言って何になるのか、自分は悪くないってサリーに訴えたいのか、俺は何を言って……
「最後の最後で俺は逃げたんです。マリエラ先生ならなんとかしてくれるかもって…… そんなのきっと無理だってわかってるのに薬を渡した」
「だから…… 俺もサリーを見放したんです……」
「違うわダレス! あなたは……」
「やめてください」
今まで大切な人を失って、ずっと後悔を重ねてきた。なのに、自分の手で同じことを繰り返した。
慰めの言葉なんていらない、自分のことを誰も責めなくても、俺は自分を一生許さない。
そしてもう二度と、大切な人を失うわけにはいかない。
「俺はもう家族を見捨てないから……」
何があっても、他の誰かがどうなっても……
泣きじゃくるリゼを抱き寄せると、二つ結びの髪がさらりと肩から滑り落ちる。サリーと似た華奢な体。
「だからマリエラ先生も逃げないで。サリーの命と引き換えに繋いだ命を、最後まで守ってください」
マリエラ先生は、溢れ出しそうな感情を抑えるように口を両手で覆い、静かに頷く。先生の目には、いつもの優しい色が戻っていた。
「……そんなのだめだよ」
胸を押す小さな痛み。両手を突き出し、俺の手から離れたリゼは、座り込むマリエラ先生の方を向く。少し見上げるようにして、目を見開く先生。無造作に広がるロングスカートには、汚れとシワが目立っている。
「マリエラ先生が薬を奪ったから、お姉ちゃんは死んじゃったんでしょ……」
一歩一歩近づくリゼに、マリエラ先生の顔色は沈んでいく。
「なんで…… なんで、お姉ちゃんを殺したの! お姉ちゃんを返してよ!」
「やめろリゼ!」
「離してよ! お兄ちゃんもおかしいよ! こんな奴許したら駄目だよ……!」
後ろからリゼを抱きしめ、マリエラ先生から引き離す。乱暴に動かす細い腕から、リゼの気持ちが痛いほど伝わってくる。
「みんな辛いんだ…… わかってくれ……」
「……じゃあ誰が悪いの?」
「っ……!」
「教えてよ、お兄ちゃん! 誰が悪いの? 薬があったのになんでお姉ちゃんは死んじゃったの? なんでなの……!」
リゼの悲痛な訴えに俺は何も答えられず、ただ抱きしめることしかできなかった。
返す言葉が出てこなかった自分は、やはりまだ子供なんだろうか――
◇◇
涙が枯れ果てたのか、ぐしゃぐしゃになった顔を袖で拭うと、リゼは落ち着きを取り戻した。たが、俺の服の裾を握ったまま離れようとはしない。
おとなしい割に、本来はよく笑う性格のリゼだが、ここしばらく笑顔を見れていないことが気がかりだ。
「サリーは連れていきます」
両手でサリーを抱きかかえる。力の抜けた体は、見た目以上に重量を感じた。
こんな抱っこの仕方をされればサリーは怒るんだろうなと、頭に浮かんだ妄想を俺は直ぐにかき消す。
「待ってダレス、どこへ行くの?」
「共同墓地まで…… 俺がけじめをつけないと」
「私も行くわ」
ゆっくりと歩みを進める俺を、マリエラ先生は扉の前に立って引き止める。
決意に満ちた目。先生の心は持ち直したようだ。
「すみません、マリエラ先生…… 今は家族だけで見送りたいんです」
俺の顔をじっと見つめると、マリエラ先生は一つ息をつき、道を譲った。
「わかったわ。私はみんなの面倒を見ないとね」
「ありがとうございます」
「リゼのことお願いね……」
耳元で呟いた後、背中をポンと叩き、先生は俺達を優しい笑顔で見送ってくれた。
「おーい、ダレスー!」
賑やかな一階の広場。無邪気な笑顔で近づいてくるのは悪ガキトリオの二人。
「ロイにベン。元気そうで良かった」
サリーを見ると、二人は少し心配そうな表情を浮かべたが、直ぐに明るさを取り戻す。
「先生達がいっぱいご飯作ってくれてるんだ! こんなにいい匂いしてるの凄いでしょ!」
目を輝かせるロイに笑顔で返す。俺は上手く笑えているのだろうか……
「ダ、ダレス!」
隣でベンは頭を掻きながら、何か言いたげにもじもじしている。
「どうした? ベン」
「……昨日はごめんなさい。ダレスの言ったこと、本当だった」
ロイはベンの肩に手を回し、拳で腹をつつく。恥ずかしそうにしながらもベンはニコッと笑った。
「ご飯がいっぱい食べれるから、オリバーも直ぐに良くなるって先生が言ってたんだ! ダレスの言った通りだよ!」
「バーカ、俺もオリバーは元気になるって知ってたし」
「昨日泣いてたくせに嘘つくなよ」
目の前でじゃれ合いを始める二人。これだけの食料と医薬品があれば、栄養失調で倒れていたオリバーは調子を取り戻すだろう。
何の確証もない、二人を慰めるために言ったことが現実になった。サリーの命が、オリバーを救うのだ――
「きっとサリーも元気になるよ!」
「ああ…… そうだな」
純粋無垢な言葉は右から左へ抜けていく。心ない適当な返事を聞いても、二人は眩しいほどの笑顔で。
子ども達が憎いわけではない、かと言って「サリーのお陰だぞ」なんて伝える必要もない。きっとサリーも、そんな恩着せがましいこと望んでいないはずだ。
足元で何も言わないリゼも、きっと俺と同じ気持ちなのだろう。
ただ――
食堂へ駆け出すロイとベンを横目に外へ出る。
今は、幸せの匂いがするこの場所から早く抜け出したかった。




