10話 初めての経験
「さぁ、着いたわよ」
「ここか? 周りに何もないぞ」
王都を出た骨の馬車は草原を抜け、荒野でその足を止めた。辺り一面を囲んでいた緑が嘘のように消え、ゴツゴツした岩と荒れた大地が、地平線の向こうまで続いている。
「いいから降りて、ほら駆け足」
「わかったよ……」
窓が鈍い音を立て変形し、地表を繋ぐ階段となった。言われるがまま、骨で作られた一段一段を腰に手を当て下りる。意外にも乗り心地が良かった馬車だが、さすがに腰に響いたようだ。
「それで、ここはどこなんだ?」
「ラキ草原よ」
「草原って…… 草なんてほとんどないぞ」
もう一度辺りを見渡すが、ひび割れた地面から申し訳無さそうに伸びる枯れ草が数カ所あるだけで、生命を感じる植物は見当たらない。それと、所々にボコボコと地表に出来た穴。あれはいったい何なんだ?
「五年前に私たちの住むモルジス王国と、聖王国アストロイアの戦争があってね、それ以来この有り様よ」
俺のことを急かした割に、ゆっくりとナターシャは階段を下る。痛いほどの日差しが全身に降り注いでいるが、彼女は涼しい顔で周囲を観察した。
「誰もいないわね。じゃあ早速始めましょうか」
地に降り立ったナターシャが手をかざす。
「――おいで」
目を閉じささやくと、大地が新たな割れ目を作り、這い上がるようにしてスケルトンが一体、また一体と表れた。数は三十以上…… いや四十、まだ増えるのか。
立ち上がると、それぞれが剣や槍、杖といった武器を構え、指示を待つように脆そうな足で直立している。
「戦場こそ私達ネクロマンサーの聖域よ、ダレスも死者の鼓動を感じるでしょ」
「何を言って……」
悪い笑みを浮かべながら、ナターシャはすーっと音も無く距離を詰めてくる。
「いきなりなんだよ!?」
一瞬のうちに背後を取られ、左腕で胸をぐっと抑え込まれた。ローブの抱擁感の後に華奢な体が接するのを感じる。
狼狽えて力の入る俺の右手の甲に、ナターシャは手を重ねた。
「どお? 死者の声が聞こえる? お友達とはいえ、私の制御下にあったスケルトンを動かしたんだもの。あなたなら、感じるわよね?」
「っ……!」
耳元でとろけるような声を出し、ナターシャは重ねた手の指を縫うようにねっとりと絡めてくる。
絹のような黒髪がさらっと俺の首筋に触れた。
「さぁ、手をかざして。初めは私が手伝ってあげるから、死者の声をよく聞いて―― 支配するの」
されるがまま絡み合った右手を伸ばし、目を閉じる。死人の声を聞くなんて芸当聞いたこともないが、何故かできないとは思わなかった。
ひたすらに耳へ意識を向ける。荒野を抜ける乾いた風、岩壁から崩れ落ちる石、彼方から微かに鳥の声。
さっきまでのうだる暑さが、嘘のように感じなくなり、聴覚…… よりも第六感に近い何かが目覚めようとしているのがわかる。
真っ暗な視界の中に、無数の小さな光が見えてきた。
――いや、見えるよりも感じるが正しいか。
鼓膜に残っていた風の音が消える。小さな光を掴むように頭の中で手を伸ばした。
その時だった。
「うっ……!!」
頭の中で無数の悲鳴が反響する。憎しみ、恐怖、絶望。人が持つ負の感情が、とどまることなく脳に流れ込んでくる。
頭が割れそうな程の痛みと吐き気に目を見開く。思わず左手で口を覆い、地面に蹲ろうとしたが、背後にいるナターシャがそれを拒んだ。
「ダレス! あなたにもちゃんと聞こえたみたいね。みんないい声で鳴いてるでしょ。まだまだこれからよ」
「何を……」
胸を締め付けられ、無理矢理に体を起こされた。下を向く右手を力強く掴まれ、腕は地面と水平を保つ。
線のように細い体からは想像もつかない程の腕力。これもスキルというやつなのか。
「さぁどうしたの? 薬が欲しいんじゃないの? 楽しいのはまだまだこれからなのに」
薬という単語が、めちゃくちゃにされた頭の中で光を放った。
そうだ、薬のためなら、サリーを助けるためなら何でもやるんだろ。
脳内で広がる悲鳴を押しのけ、自分を必死に鼓舞する。
「そうよダレス! さぁ目を閉じて。どの子にしようかしら…… 迷うわー、あぁ、この子なんていいかも――」
瞼の裏で光の粒の一つが輝きを増し、目の前に迫ってくる。
乱雑に声が響くなか、一際大きな叫びが頭の中で轟く。 『恐い、苦しい、助けて……』恐怖の感情が色濃く渦巻き、自分の中に流れてくる。
死者の声に同調するように、じわっと冷や汗が流れ息が詰まった。
「あなたが呑まれてどうするの。支配しなきゃ。相手の声を握りつぶすように、こっちに来いと伝えるの」
ナターシャはまた手を強く掴み、俺に怯む隙を与えない。意識が朦朧とする中、無理やり喉奥をこじ開ける。
「……来い!」
俺の声に反応を示し、恐怖の声はより大きく頭の中で広がりをみせる。目を開けると大地を割ってスケルトンが顔を覗かせたが、体半分だけ地表に出たところで力尽きたように動かなくなってしまった。
「はぁ…… はぁ…… うっ……!」
胸を縛るナターシャの手が緩み、地面に蹲る。頭が破裂しそうなほど膨らんだ死者の声を吐き出すように、地面に向かって嘔吐した。
空っぽの腹から次々に胃液が漏れ出す。限界を超えてなお、走り続けたような全身の疲労感。
地に着いた両手からはヒリヒリと太陽の熱を感じる。
「期待外れだったかしら…… でも、コツは掴んだでしょ。ちゃんとしたスケルトンを呼び出せるまで薬は渡さないし、帰さないからね」
雑に手を振りながら言葉を吐き捨て、ナターシャは馬車の方へと向かっていく。
乱れた呼吸を整えるのに精一杯で、反論することはできなかった。
ネクロマンサーとしての洗礼を浴びた俺を、武器を構えるスケルトン達が、音も立てずにじっと見つめている。




