戦艦<ヤマト>を撃沈せよ・⑨
ドイツ軍にビックリドッキリメカ数あれど、こんなメカは他には無いという<ミステル>が登場。
こいつはよくある「計画だけの存在」とか「試作機が数機完成」とか<連邦の白い奴>みたいな物ではなくて、実際に使用された、れっきとした実戦兵器なんですよ。
まあ出撃記録はあるけど戦場に与えた効果はあんまりなかったようですが。
さて、そんなメカですが、和美の世界に登場したからには活躍してもらいますよぉ。
●インド洋アラビア海ラッカジブ諸島北東海域。ラッカジブ海上空一〇メートル:1948年4月20日0910(現地時間)
スコールを抜け視界が開けた瞬間に、とてつもない風景が目に飛び込んで来た。
前方には航跡を引く巡洋艦に駆逐艦、そしてその列の向こうに山のような鋼鉄の城。
「<ヤマト>だ! 編隊へ攻撃開始を命令!」
「了解!」
さすがに三回目ともなれば見間違いようが無い。誘導機は仕事を完遂してくれたのだ。
後席のガーデルマン少佐は勢いよく答えた後に悶絶しながら信号銃を手に取った。
日本艦隊の輪形陣を真横から奇襲する形となった攻撃隊であるが、ルーデル大佐も操縦桿を握るユンカース一八七<スツーカ>には高度を取る余裕が無かった。おそらく直前でスコールをくぐったせいだ。晴天が続いていたなら、もうちょっと遠くで発見が出来て余裕があったはずだ。が、これでは街角で出合い頭にぶつかる交通事故と同じだ。
しかし、まだ確認はしていないが上空には直掩機が飛んでいるはずだし、なにより敵に対空砲火の準備を与える隙となってしまう。こうなったら、少々乱暴だがこのまま突っ込んで攻撃をするしかない。
「通り魔戦法だ!」(注257)
東部戦線でも上空を敵戦闘機が徘徊している時などに使った戦法だ。低空飛行で敵の司令部や対空砲陣地などに近づき、そのまま爆弾を放り込むやり方だ。
だが高度を取る時間で敵に余裕を与えるよりはいいはずだ。ルーデルの即断即決は信号弾と隊内無線ですぐに攻撃隊全機へと伝えられた。
編隊も進撃していた時のまま、ルーデル機を先頭に左右に傘形陣形を取ったままだ。
敵を発見してそのまま突っ込むなんて、敢闘精神溢れるルーデルらしい乱暴なやり方であった。だが、その判断は間違ってはいなかった。
なにせ爆撃隊に与えられた役割は、敵の対空砲火の制圧である。<ヤマト>本体の対空砲は昨日の攻撃で相当ダメージを負っている事は間違いない。となると目標は周囲にいる輪形陣を形成する護衛艦と、いまだ<ヤマト>に残る対空機関砲であるからだ。
それぐらいならばすれ違いざまに爆弾を落として行く事で制圧は容易くなるはずだ。
まるで急降下爆撃機で行う雷撃のような物だ。(注258)
「いくぞ!」
ルーデルはスロットルをぶち込んで<スツーカ>を加速させた。
上空から見ると、二段ある傘形陣形の一段目がグイッと加速したように見えたはずだ。爆撃隊が露払いをして、二段目の雷撃隊が<ヤマト>を仕留める。本当は四方八方から包囲しての雷撃が理想だが、その時間すら惜しかった。
(これなら「カノーネンフォーゲル」の方が良かったか?)
両翼の下に対戦車砲を吊るす<U五>ならば、この戦法で最大の戦果を挙げることができただろう。だが肝心の<U五>は本国から三セットしか持ってこなかったし、その内の一セットはルーデル自らが着艦という名の墜落で壊してしまった。
もう一セットは昨日の攻撃で撃墜された僚機と共に海の底であるし、無事なのは一セットしか残っていなかった。
集団戦法が基本の攻撃隊にあって、一機だけ<U五>を装備するというのも巡航速度や航続性能から言って好ましくなく、割とあっさりとルーデルは諦めていたのだが、まさかこういう状況になるとは思っても見なかった。
(今日、再出撃するときには考えよう)
もちろん彼は、たとえ一機になったとしても目標が沈まない限り出撃を続けるつもりであった。
ルーデルは操縦席内に設置された大きな舵輪のようなハンドルを動かしていた。これで各翼にあるタブが調整でき、海面効果でバランスが変わった機体の制御がやりやすくなるのだ。
高空を往くのとは違い、海面付近では、海面と翼の間に挟まれて空気の層ができる。これがあるといつまでも揚力が減らずに着陸(艦)ができない現象が起きる。バルーニングという厄介な現象だが、こう長い間飛び続ける時は助けになる。ハクチョウなどの大型の鳥が飛び立つ時に、低空飛行で速度を稼いでから高度を上げるのと同じ理屈だ。
この海面効果を最大限に生かしながら、爆撃隊は最大速度に向けて加速を続けた。
これが海面への突入速度など制限がある航空魚雷を抱えている雷撃機ならば減速する場面だが、<スツーカ>が抱えているのは爆弾である。
すでに空母の弾薬庫には対艦用の一トン爆弾は残っていなかったので、攻撃隊の<スツーカ>は陸用の五〇〇キロ爆弾を二個ずつ吊るしていた。
よって信管は着発信管である。それは徹甲爆弾と違って命中即爆発を意味した。低空飛行で爆撃する場合、投下の瞬間に最大速度を出していないと、自分が落とした爆弾の爆発に巻き込まれてしまう恐れがあった。
それに敵の防御砲火に対しても、速度はできるだけ出ていた方が当たりにくくて良い。なにせ手に持つ拳銃の弾すら届く高度で突っ込んで行くのだ。
また別の理由として、両翼に吊った増槽も切り離せないでいた。空気抵抗を減らして加速するには邪魔な装備であるが、この高度で切り離すと海面で跳ね返り、同じ編隊を組む僚機への衝突が考えられるからだ。
「こうして見るとなかなかだな」
日本艦隊の輪形陣を見据えてルーデルは感心した声を漏らした。
ルーデルから見て中心にいる<ヤマト>は全速で左へ進んでいた。左舷は昨日の攻撃であまり命中弾が無かった側だ。よって<ヤマト>からの対空砲火が濃密にあっても不思議では無いが、やはり奇襲が利いたのか弾幕はまだそんなに厚くはなかった。
それでも砲側で独立して判断したのか、二段ある対空砲群の下段に位置する三基の内、左端の対空砲が射撃を開始していた。
(俺の目標はアイツだな)
鋭い眼光で目標を定めたルーデルは、それでも視野を狭めることなく、周囲の確認を怠らなかった。
東部戦線での戦いがスターリンの死去で落ち着いた頃、ドイツ空軍ではある問題に注目していた。
もう性能が陳腐化していた<旧式スツーカ>で出撃を繰り返すルーデルは、何度も被撃墜記録を残していた。だが一度たりとも戦闘機に撃墜されたことが無かったのだ。その全てが対空砲火によるものだった。
もし彼の乗機に対して特別な装備を施して戦闘機からの攻撃を避けていたとしたら、同じ物を全ドイツ空軍機に施せば無敵の空軍となれると思われた。
空軍情報部の調査隊がルーデルに面会し、彼の乗機にどんな改良が行われたのか質問する場が設けられた。
それに対する彼の答えはこうだった。
「戦車の装甲をブチ抜けるように対戦車砲をつけてもらった」
もともと陳腐化した性能の機体にそんな物をつけたらさらに鈍重化する。そんな機体で敵戦闘機に狙われて生き残れるはずが無いと調査員が言うと、彼はシレッと言った。
「そんなに不思議なことかな? 私にはこれという秘訣は無かったのだが」
あまりにも英雄の所業が凄すぎて、一般人の参考にならない一例であった。
だが、周囲の確認を怠らないというのは、基本中の基本。ルーデルが超人とはいえ、どんなときも周囲の確認を怠らなかったのは、敵戦闘機に撃墜されなかった秘訣のひとつだった。(注259)
中央の<ヤマト>の周囲には、半ダースほどの護衛艦が遊弋していた。
輪を作る護衛艦の中で<ヤマト>の真正面で露払いをしているのは、前から連装砲塔が二つ、艦橋、対空砲が片舷にひとつ、後檣の後ろに連装砲が一つという配置の巡洋艦であった。
ドイツ海軍情報部が日本海軍艦艇の情報を収集するにあたって、C級巡洋艦と分類した艦艇であった。日本海軍での呼称はアガノ級軽巡洋艦である。
雷撃戦を主任務とする水雷戦隊の旗艦を務めるために建造された艦である。前期艦は砲塔が合計三つだが、五隻目から建造された後期艦は連装砲が一基追加されていた。
いま視界に入っているのは砲塔が少ない前期艦だ。
そいつに率いられている駆逐艦たちは、昨日ルーデルが一隻撃破したA級駆逐艦であった。他の輪形陣から融通したのか、それとも一隻欠けてこの数なのかは、ルーデルに判断できなかった。
ただ<ヤマト>を後方から追うように、前後甲板に二つずつ連装砲塔を持った駆逐艦が存在した。こいつはヤマト級戦艦一隻に対して必ず二隻ずつペアで随伴しているB級駆逐艦と思われた。たしか日本海軍での名前はアキヅキ級というものだったはずだ。
対空戦闘に特化した駆逐艦で、建造当初は航空母艦の直衛艦として活躍した級別だ。
今ではその役目を、大型化して五式対空砲を搭載した超B級駆逐艦と言って間違いない後期建造型に譲っていた。
六隻建造されたB級駆逐艦は、七隻建造されたヤマト級戦艦のお守りとして二隻ずつが割り当てられて運用されていた。足りない分はもちろん後期建造型が充てられており、連合艦隊総旗艦専用の戦艦として建造された<エチゴ>に対しては一個駆逐隊(四隻)が護衛としてついていた。
そのB級駆逐艦と同じ艦が、なぜか一隻だけ<ヤマト>と護衛艦が作る輪の間を、逆行するように右を向いて航行していた。
よく見ればルーデルの左舷方向<ヤマト>が進む先には、昨日は見かけなかった後期C級巡洋艦(改アガノ級)やD級巡洋艦(改オオヨド級)などが航行していた。(注261)その先に四角い艦体を見つけて、すぐに謎が解けた。
日本艦隊は空母を中心にした輪形陣と、輸送船団を中心にした輪形陣の間に、<ヤマト>を中心にした輪形陣を置いていた。
どうやら巡航速度が違うこれら三つの輪形陣で速度調整するため合同した時間に、ルーデルが率いる攻撃隊は突っ込んでしまったようだ。
ということは昨日よりも多い護衛艦と直掩機がここには居る事になる。困難が増したことになるが、そんな程度で怯えるルーデルではなかった。
「あいつを喰うぞ!」
ルーデルは逆行するB級駆逐艦を睨みつけて、後席のガーデルマンへ宣言するように言った。
「よし」
ガーデルマンは後ろ上空を確認しながら答えた。彼だけでなく攻撃隊全般に幸運な事に、直掩機の姿は視界に入らなかった。
「来るぞ!」
だがルーデルはいつもの調子で対空警戒を告げる言葉を口にした。
「ルーデル、なんだって…」
そう言いかけたガーデルマンの頭上を、白色をした影が通り過ぎた。ルーデルが主翼に固定装備されている二〇ミリ機関砲を撃っているのか、ズズズという振動が座席越しに骨折した肋骨に響いて来た。
「敵機!」
今更ながらガーデルマンは警報を発した。電波状態は悪いが編隊各機には伝わったであろう。
この時、日本側の直掩隊は難しい選択を迫られていた。
普通ならば後方から追いすがって射撃するのが、空中戦で相手を撃墜するのに容易い方法だ。これならば学校を出たばかりの新人でも敵機を撃墜する事ができる。
しかしドイツ機動部隊の攻撃隊はスコールの下から現れたので、高度を取っていた直掩隊からの発見が遅れた。
いまさら後方に回り込んで追撃に入っても、撃墜するまでにドイツ側の攻撃は終わっている事だろう。
後方がダメなら、高度差を利用して上から射撃を浴びせる方法がある。
だが、これも相手が低空飛行を維持しているので無理があった。いや射撃自体はできる。しかし戦闘機の機関銃や機関砲は機軸に対して固定されている。つまり射撃をするには海面へ向かって突っ込んで行かなければならなくなるのだ。
もちろん引き起こしが少しでも遅れれば海へ飛び込んで自爆してしまう。これはとても操縦士にストレスを与え、かつ安全率も命中率ももっとも悪い方法だった。
残った選択肢はコレだけであった。(注261)
高高度から急降下して速度を稼ぎ、すでに弾幕射撃を始めた味方の輪形陣内側から、ドイツ攻撃隊に向かって正面から射撃するのだ。
すれ違いざまに弾丸を浴びせることができれば、命中すると双方の合成速力で威力も倍増であるし、撃墜は確実であった。
ただ機体が破壊されるのは、それが味方の弾であろうと敵の弾丸であろうと、当たれば同じである。弾幕射撃の弾が味方だからと言って避けてくれることは無いのだ。
さらに言えば敵機との正面衝突の危険もあった。
もう少し遠くで見つけることが出来ていたなら、まだ他にも打てる手があったろうが、全てが遅かったのだ。
それに対抗してドイツ側攻撃隊に加わっていた護衛隊の戦闘機も動きを見せていた。雷撃隊、爆撃隊を追い越して、ルーデルの前で自らの機体を盾として使うことにしたのだ。
「くそ」
ルーデルの目の前で、装備した機関銃や機関砲を乱射しながら、双方の戦闘機が正面衝突して爆発した。
「無茶しやがって」
もちろん脱出する暇などあるはずもない。大空に散華した操縦士に黙祷を捧げる前に、次の戦闘機が迫っていた。
いや戦闘機ではない。太い胴体に軽い逆ガル翼。ルーデルが操縦桿を握る<スツーカ>をコピーしたような姿は<アンモーツ>とドイツ側が符牒をつけた五式艦上攻撃機B七A<リュウセイカイ>であった。
(急降下爆撃機がなんでこんなところに)
ルーデルはそう考えるよりも先に、操縦桿についている主翼の二〇ミリ機関砲のトリガーを引いていた。少し遅れて向こうの主翼にも発砲している炎が見られたが、間一髪のタイミングであった。
ルーデルが撃った弾丸を喰らって、その<アンモーツ>は、クルリと横転するようにして白色の腹を上に海面へと突入した。
風防を掠った機関砲弾がビーンという音を残して飛び去った。
直掩隊決死の突撃は無駄では無かった。敵が真正面から乱射して突っ込んでくる恐怖に、熟練は耐えられたが、新米にそれだけ肝が据わった行動を求めるのは無理という物であった。
ある機はうかつにも高度を上げて対空砲火の火線に囚われ、ある機は操縦桿を誤って海面へと激突した。
だが一番多かったのは、ラダーペダルを踏んで左右へと舵を切った機だった。
その結果、攻撃隊の約半数が、先頭を行くルーデルから落伍した。
彼らは<ヤマト>への突入を諦め、ちょうど視界へと入って来た四角い艦影…、空母へと目標を変更した。
だがルーデルにはどうしようもできなかった。攻撃をやり直すには高度を取って好射点を求めなければならないが、現状それを行う事は即ち被撃墜を意味するからだ。
乱暴ではあるが半分になった攻撃隊を率いてこのまま行くしか無かった。
ルーデルの前方には、海面へ突入した<アンモーツ>が残した薄い煙しか残っていなかった。もう邪魔者は空にはいない。後は<ヤマト>と逆行するB級駆逐艦だけであった。
「つっこむ!」
すでにスロットルレバーは限界まで前進していたが、さらにルーデルは速度を求めて押し込んだ。もちろん彼の気分以外に効果は無かった。
「高度をさらに下げろ!」
マイクを通信機に切り替えてルーデルは叫んだ。輪形陣を組んだ日本艦隊はあるだけの火力で航空機が近づけないようにするための壁…、弾幕を張り始めていた。
編隊の先頭を行くルーデル機を目掛けて前後左右から赤や黄の火線が、網目のように重なっていた。
昨日の対戦車砲での攻撃時と同じように、敵艦の舷側よりも低い高度ならば、そんな濃密な対空砲火の弾幕の中でも生き残ることが出来るはずだった。
気圧で現高度を計測する高度計はすでに役立たずになっていた。あとは積み重ねた経験が物をいう時間だ。
ルーデル機の針路に、横から邪魔をするように鋭くとがった鋼鉄の舳先が入って来た。こちらも決死であるが、向こうも同じである。騎士に忠実な従者のごとく、一五〇メートル近い艦体自体を主人である<ヤマト>の盾として使うつもりなのだ。
(よし、半分をあいつにぶつけ、残りを<ヤマト>に当ててやる)
ルーデルはそう判断した。いつもならば一トン爆弾を一つしか吊るしていないが、いまは弾薬不足のために半分の重さの五〇〇キロ爆弾を二つ持ってきていた。それが幸いして二回に分けて攻撃ができそうだ。左手にある爆弾投下レバーを半分引けば一発目が、全部引けば二発同時か、残った二発目が落ちるようになっているはずだ。
左側から針路の邪魔をするように入って来る駆逐艦の、前部甲板が見えて来た。背負い式に配置された一番、二番連装砲塔がこちらを向いて、まるで大きい機関砲のように連射を浴びせかけてくる。
だが低空に入り込んだルーデル機に直撃させることは難しいようだ。周辺で爆発が続くが、深刻な被害をまだ受けてはいない。爆発で舵が揺らされ、弾片が機体に激しく当たるが、それ以上のことはない。
ルーデルは後方を確認するついでに僚機の様子を確認した。
攻撃隊の半分は素直に彼へとついてきていた。爆撃隊は落伍した者の穴を埋めるように傘形陣形を作り直し、後方に置いて来た形の雷撃隊は、雷撃条件を満たすために速度と高度を落としていた。
落伍した攻撃隊の半分は、傘形陣形を新たに組んで、左手遠方に見える空母へと突撃を敢行していた。
決死どころか必死で戦っている護衛隊も輪形陣に突入しており、勇敢な日本直掩機と弾幕の中で空中戦を繰り広げていた。ひとつ間違えれば海面へ突入するこの高度で格闘戦など、勇気を通り越して無謀であった。
今も敵機の後方へ回り込もうとしたタンク一五二T<テレーザ>が、機体を傾けたついでに主翼の端で切り裂くようにして、海面に白い筋を残した。
「見事な物だ」
まるで海鳥が海面近くにいる魚を狙っているかのような、優雅で美しい機動であった。愛称でいつも略されている<麗しの>という形容詞のままだ。
その瞬間だけ見とれたルーデルは、すぐさま前方に意識を戻した。ルーデルが目標と定めたB級駆逐艦は、すでに艦橋までが<スツーカ>の針路に食い込んできていた。
「いまだ!」
すれ違う時はあっという間だ。ルーデルは東部戦線で培った勘で投下レバーを半分だけ引いた。
ルーデルの操る<スツーカ>から離れた五○○キロ爆弾は、重力の導かれるままに落下した。
「ついでだ!」
昨日の攻撃を思い出していたルーデルは、両翼にぶら下げて来た増槽も切り離した。そちらは中身が空なので、クルクルと回転しながらあさっての方向へと落ちていった。
荷物を半分降ろした<スツーカ>は、物理法則に則って浮き上がろうとする。その力を利用してルーデルは目標であったB級駆逐艦を飛び越えた。
一瞬だけだが股の間にある下面視界を確保する窓に駆逐艦が見えた。
すぐさま低空飛行へと戻しながら、ガーデルマンに訊ねた。
「どうだ?」
命中確認は後席の仕事である。投下から命中までそんなに時間は無いはずだ。
ルーデルが狙ったB級駆逐艦の艦橋脇に、真っ白な水柱が立った。水滴がスコールのように甲板を洗い、含まれていた弾片が鋭利な刃物となって乗組員を襲うが、それまでだった。
艦体に穴が開けば浸水するなど深刻なダメージとなるが、今のルーデルの爆撃は、どう贔屓目に判定しても、至近弾以上の物ではなかった。
「だめだ。外れた」
ガーデルマンは敵の艦橋へ向けて機関銃をぶっぱなしながら答えた。
「練習では失敗したが、本番はこれからだ」
ルーデルはすぐに気を取り直した。<ヤマト>まではすぐそこだ、もう間には何も無い。心情的に手を伸ばせば届くような距離しか残されていなかった。
二本、三本とルーデルが飛び越したB級駆逐艦の脇に水柱が立った。どうやら僚機も攻撃に失敗したようだ。これが徹甲爆弾ならば、直撃しなくとも水中弾となって相手の艦腹を食い破ることができるのだろうが、陸用の破砕爆弾ではそんな真似はできなかった。
「水平爆撃用の照準器も用意した方が良いかな?」
命中率の悪さにルーデルは嘆き節だ。
「そいつを積む前に、新しい機体が必要になりますよ」
ガーデルマンが変な慰め方をした。
結局、爆撃隊が最初に攻撃したB級駆逐艦には直撃弾は無かった。海中で爆発した圧力で舵かスクリューを痛めることができたかもしれないが、見た目には変わった様子はなかった。
輪形陣の最も内側はとても静かであった。もちろん<ヤマト>は航空機を近寄らせまいと弾幕を張っているが、昨日の戦いで負った傷でそんなに激しい射撃では無かった。輪形陣を組んでいる護衛艦たちは、次に突っ込んでくる雷撃隊の方へ射撃を集中しているのか、それとも内側へ射撃すると外れた弾が<ヤマト>へ飛び込むことになるので控えているのか、そう大した射撃では無かった。
みるみるうちに<ヤマト>の艦影が大きくなってくる。速度計は時速五五〇キロを差していた。ただ低空飛行だとこの数値は当てにならない。地上や海面に近いと気圧の関係で空気が濃いので、速度を計測するピトー管により多くの空気分子を取り込んでしまうのだ。
逆に巡航高度では地上よりも気圧が低い。そのため航空機の邪魔をする空気分子の数が少ない。つまり航空機最大の障害である空気抵抗が少ないため、計器は五五〇キロを示していても、地上から見るとそれ以上の速度が出るのである。
ルーデルを撃墜しようと放たれる機関砲弾が自爆し、弾片が撒き散らされる。それを受けたのか風防にピシリとヒビが入り、機体外板を叩く音がする。
だが時間にして一〇秒ほどで<ヤマト>に到達する。ルーデルは先ほどの失敗を鑑みて、まず操縦桿を引いて機首に上へ向かせた。
高度が上がる前に投下レバーを引き切った。水平から落とされるのではなく、少し上へ向けて放り出されたような軌道を描き、ルーデルの一撃は<ヤマト>の上部構造物へと突っ込んだ。
超弩級戦艦といえども全ての部分が重装甲化されているわけではない。そんな事をしたら港を出る前に沈んでしまう。防御甲板で守られるのは敵の攻撃を受けたら誘爆の恐れがある弾薬庫と、そこをやられたら動けなくなる機関部だけだ。それより上にある部分で強固に造られているのは、主砲塔や前檣楼の基部にある司令塔ぐらいである。
艦体中央部、煙突の基部に突っ込んだルーデルの爆弾は、昨日の攻撃で破壊されていた左舷中央部にある対空砲の残骸に衝突した衝撃で弾頭の信管を作動させた。
爆発は飛び込んだ勢いのままに前方へ破壊を撒き散らし、対空砲の残骸をさらに破壊するだけでなく、斜めに立っている煙突の横腹に穴を開けた。
「どうだ!」
今度は確実に手ごたえを感じていたルーデルは、自信たっぷりにガーデルマンに声をかけた。
「命中! 命中したぞ…」
叫んだはいいが自分の負った傷に響いて言葉が尻つぼみとなった。
目の端に浮かべた涙で視界が曇ったが、さらに後檣楼付近でも大きな爆発が起こった。
どうやらルーデルの右を飛んでいた僚機が攻撃に成功したようだ。
二発の命中弾がもたらした破壊で、周囲に弾片やら<ヤマト>自身の破片やらが飛び散った。それらは鋭利な刃物となって乗組員たちに襲い掛かり、ある者は血だまりに倒れ、ある者は腸を撒き散らした。
対空砲や対空機関砲を操る射撃員たちがバタバタと倒れたことで、一時的にだが左舷の弾幕が薄くなった。
そこをついて鈍重なフォッケウルフ一六七<アイバトス>が魚雷の射点へとついた。しかも<ヤマト>は攻撃を避けるために面舵に針路を切っていた。それがかえって直掩機によって分散させられた雷撃隊の正面に艦腹を晒すことになっていた。
速度も高度も、そして目標に対する角度も用意された物のように最適であった。
本来ならば包囲して雷撃するはずだった四個小隊一二機が魚雷を投下した。海面に水しぶきを残して鋼鉄の魚たちが泳ぎ始めた。
それでも再度変針して<ヤマト>は魚雷をかわそうとした。それを見越して一二本の魚雷は扇形に発射されており、どちらへ舵を切っても命中するように仕組んでいた。
魚雷は見事に<ヤマト>左舷中央部に突き刺さった。
魚雷の命中と聞いてズバンと高く上がる水柱を想像する者が多いが、相手が大型軍艦に限るとそうはならない。爆発の圧力を受け止めるためのバルジが舷側に設けられているので、水面まで爆圧があまり拡散しないのだ。さらに輸送船のように低い乾舷でもない。海面から最上甲板までの高さがすでに一〇メートルもあるのだ。
バーンという爆発で丸い水飛沫が上がり、水飛沫の頂点あたりが舷縁を少し超える程度に、パチャッと海水が甲板を洗うといった感じだ。
「命中! 命中したぞ」
少しでも対空砲火を黙らせようと後部旋回機関銃で<ヤマト>を掃射していたガーデルマンが、魚雷命中の瞬間も目撃していた。
「そいつはいい。いい話しだ」
再び低空へ<スツーカ>を持って行きながらルーデルは嗤った。どんな時も周囲に目を配るのが癖になっている彼は、高空から侵入して来る飛行機雲の列を視界に入れていた。
(これでアイツが命中すれば、撃沈できるはず)
信用していなかった『秘密兵器』だが、ここは活躍を期待する場面であった。
●インド洋アラビア海ラッカジブ諸島北東海域。日本艦隊上空一万五〇〇〇メートル:1948年4月20日0930(現地時間)
ルーデルが率いた攻撃隊が去ろうとする同じ時刻、日本艦隊上空に奇妙な航空機が飛んできた。なにせジェット爆撃機の上にジェット戦闘機が乗っているという、常識では考えられない姿なのだ。
航空戦艦<フォン・リヒトホーフェン>を発進した<ミステル四>がその正体である。
「ぐあっはっはっは」
自分では豪快だと思っている笑い方を<ミステルフィア>総指揮官のヴァイス・プファンクーハン大尉が、指揮官機であるユンカース二八七Aの航法士席で高らかに上げた。
ただ寄る年波か、もしくは過去の戦傷のせいか、右の前歯に隙間があるため、なんとも空気が抜けた笑い声だったが。
プファンクーハン隊長と長い付き合いの操縦士は何も言わない。まだ若い通信士は、周辺で繰り広げられている味方の護衛隊と、日本の直掩機の空中戦に気を取られていて反応しなかった。
「さすがスツーカ大佐。見事に<ヤマト>へ命中弾を浴びせたようだ」
「損害は軽微に見えますが」
操縦士は周囲の空中戦を気にしながら<ヤマト>艦影を確認した。高度一万五〇〇〇メートルから見おろす巨大戦艦は、模型よりも小さく見えた。
うっすらと煙が一条上がっており、<ヤマト>は洋上に止まっているようにも見えた。
「おそらく急降下爆撃の半分が命中、魚雷は両舷にしこたま食らって、動けなくなっておるに違いない」
「そうですかね?」
操縦士は首を傾げた。攻撃隊が攻撃するところを見ていたわけではないので、プファンクーハン隊長がなぜ言い切れるのか不思議だったのだ。
「我が方の戦力は?」
プファンクーハン隊長は操縦士から通信士に話し相手を変えた。
「途中でエンジンの不調のために抜けると連絡があったのが五機のはずですが、視界に入っているのは五機だけです」
通信士は後方を向いているので一本の棒のように列を作って後をついてくる<ミステルフィア>の様子が良く見えるのだ。レシプロエンジンより難物なジェットエンジンが不調になるということは、当たり前の事であった。技術が熟成しているはずのレシプロエンジンでさえ、完璧に整備したのに数基は不調になるのに、生まれたばかりの新技術であるジェットエンジンならば、不調になる方が当たり前と言っても過言ではない。
事実、勇んで<フォン・リヒトホーフェン>を飛び立った一二機で構成される第二次攻撃隊は、すでに半分に数を減らしていた。
飛んで来る間に迎撃されたわけではない。ジェットエンジンの不調でついて来られなくなったのだ。(注262)
なにせ高速のジェット戦闘機とジェット爆撃機の組み合わせである。一機の<ミステルフィア>にジェットエンジンが合計八基だ。それだけ確率的に故障する機体数が増えやすくなる。
しかしジェットエンジンは何にも代えられない恩恵を齎していた。後方から追いすがる敵機は全くいない。こちらは発艦直後の推力がまだ出ない状態であるならレシプロ機も追いつけるが、時間のかかる加速を終えた後だ。
こんな姿だが対気速度は時速七五〇キロを超えていた。今までの常識を遥かに超える速度である。
もうレシプロ戦闘機が追いつける速度ではない。逆に言えば出撃した<ミステルフィア>の数が減っているのは、全てエンジン不調が原因と言って間違いなかった。
内、突入機であるユンカース二八七A側の不調が三機、<カイヤン>自身の不調が二機である。突入機が不調な場合は、切り離して投棄してしまえば問題は無い。航続力の関係で、そのままジェット対応の改修をしてある空母<ドクトル・エッケナー>へと飛んで、そこの戦闘機隊の指揮下に入ることが予め決められていた。
問題は<カイヤン>のエンジンが不調な時である。可能ならば不調なエンジンを停止させ、合体したまま空母<ドクトル・エッケナー>まで飛行、邪魔にならない位置で突入機を切り離した後は、無動力滑空で海面近くまでおりて脱出し、ヘリコプターによる救助を待つことになる。エンジン不調の機体で爆薬を抱えて飛ぶという胃が痛くなるような飛行の後の海水浴だ。しかも救助が遅れる可能性だってある。
しかし彼らだって軍人である。ある程度の危険は許容して貰わないとならない。
心の中には途中脱落した<ミステルフィア>の操縦士を慮る言葉が浮かんでいたが、プファンクーハン隊長は表情筋ひとつ動かさなかった。
「よし。編隊各機に攻撃開始を命令。二番機を定位置に」
見た目は上機嫌でプファンクーハン隊長が通信士に命じた。通信士は機関銃の遠隔装置から、通信機へと手を移し、隊内無線で呼びかけた。
だが、すごい空電で通信がまったくできなかった。攻撃隊と同じである。日本艦隊から発せられる電波が強すぎて、近距離通信に影響が出ているようだ。
通信士から電波状況の報告を聞くと、プファンクーハン隊長は顎を突き出し憤った。
「小癪な東洋人め」
彼ぐらいの老齢になると、もっと差別的な言葉を口にしてもおかしくは無かったが、敵に礼を失わないのがプファンクーハン流であった。
「操縦士、翼を振れ。それで分かるじゃろ」
プファンクーハン隊長の指示で隊長機の翼が振られた。空電で無線が使えないことが分かっているのか、二番機が隊長機の下へとやってきた。
「発射ぁ!」
目を見開いてプファンクーハン隊長が怒鳴り声を上げた。まさかその音声が高速で進撃するジェット機の間を通じたとは思えないが、聞こえていたと思われるタイミングで二番機がユンカース二八七Aを切り離した。
爆散した櫓の柱が周囲に飛び散る。そして重い荷物を捨てた<カイヤン>は、苦役から解放されたとばかりに翼を翻した。航続時間は<ドクトル・エッケナー>に帰還する程度しか残されていないはずだ。
プファンクーハン隊長は突入機であるユンカース二八七Aを操るコントロールボックスを膝の上に抱え、操縦士に追いかけるように指示をした。
これが自由落下式の<フリッツX>ならば、速度を落としていかないと、目標を飛び越してしまい視界から外すことで誘導ができなくなるところだ。しかし誘導機、突入機ともにジェット機であることから、双方が最大速度を出したままの突入が可能となった。
「いくぞ!」
気合の入った声をプファンクーハン隊長が上げる。もともとの速度に加えて降下していくので、重力の助けも加わり、ドンドンと突入機の速度は上がっていく。高高度で誘導している隊長機が置いて行かれるほどだ。
海面で停止していると思えた<ヤマト>は、爆撃機が突入して来るのを察知したのだろう、艦首を右に回し始めた。どうやら機関や舵など航海に必要な物は、まだ元気なようである。
「逃がさんぞ!」
そうプファンクーハン隊長が言った途端、突入機の進路を塞ぐように、白と灰に塗り分けられたレシプロ機が飛び込んで来た。
あれは日本軍の戦闘機だ。N一K・A<シデンカイ>なのかJ三K・A<ジンプウ>なのかは見分けがつかないが、ドイツ軍で<ゲオルグ>と呼んでいる機体に間違いない。
速度が速くて追いつけはしないが、先回りしていた戦闘機ならば迎撃の機会が、すれ違う瞬間だけ訪れる。その瞬間に直掩隊の<ゲオルグ>はかけたのだ。
四機の<ゲオルグ>が装備している三〇ミリ機関砲が火を噴く。だが、それはあまりにも正面すぎた。
数発の三〇ミリ機関砲弾を食らった突入機の弾頭が爆発すると、成形炸薬弾頭だったため、正面方向にメタルジェットが噴出した。その空中に生まれ出た火山のような噴火に<ゲオルグ>の一機が巻き込まれ、空中爆発を起こした。
「くうっ。戦闘機は何をしておる!」
プファンクーハン隊長が周りを見回すと、空母航空団で採用されている明るい褐灰色を上面色に採用した斑紋点迷彩の機体はほとんど残っていなかった。周囲を飛んでいるのは上面を煤色に、下面を明灰白色に塗った日本海軍機だらけであった。
もちろん空中戦で負けて撃墜された機体もあるだろうが、そのほとんどが航続力の限界がきての撤退である。
「急がねばならんな」
後についてくる<ミステルフィア>に振り返りながらプファンクーハン隊長は言った。すると、その視界に花火のような物が飛び込んで来た。
「なんじゃあ?」
花火は最後尾の<ミステルフィア>に近づくと、直前で複数の火の玉に分裂した。火の玉を弾頭に食らった最後尾の<ミステルフィア>が大爆発を起こした。
その爆発炎を背景に、三角形をした煤色のジェット機が駆け抜けた。二日前に基地機による攻撃を迎撃した空対空ロケットによる攻撃だった。
日本軍の新兵器を目にしてプファンクーハン隊長は焦った。さすがに一撃で<ミステルフィア>を撃墜できる兵器が存在するとは思ってもみなかったのである。
対空砲の砲弾が少し下に花を咲かせていた。もう少し高度を取った方が安全だろうが、プファンクーハン隊長は指示をせず、編隊を旋回に入れた。いったん<ヤマト>上空をやり過ごし、反対側から再度挑戦するつもりだ。
高高度を飛ぶジェット機特有の大きな旋回を終え、再び視界に<ヤマト>が入って来る。周囲には日本艦隊の直掩機が飛んでいるが、さすがジェットを使った高速爆撃機である。攻めあぐねているのが手に取るように分かった。
こう見れば、先ほどの新兵器以外は恐れる物は何も無いようだ。
「次! 三号機!」
「三号機はエンジン不調で脱落しています。次に若い番号で後続するのは六号機です」
通信士が遠隔銃塔を操作しながらこたえた。通信機が使用不能となれば、彼は後方銃手としての役割に専念ということになる。日本の制式艦上ジェット戦闘機<カタナ>ならばこの高度で空中戦を仕掛けてくる可能性がまだ残っていた。
「六号機!」
プファンクーハン隊長の大声に操縦士が翼を揺らし、六号機が隊長機の真下の発射位置へとついた。遠隔装置が突入機と同調しているか少し舵を動かして確認すると、プファンクーハン隊長は血走らせた目で怒鳴り声を上げた。
「発射ぁ!」
これまた無線が通じていないのに、まるで声が届いたかのようなタイミングで突入機が分離された。
「警報!」
気持ちよく怒鳴ったプファンクーハン隊長の邪魔をするように後方銃手役に徹している通信士が声を上げた。
どうやら<ヤマト>を狙って回り込んでいる内に<カタナ>が同じ高度まで上がってきたようだ。いくらジェット機とはいえ合体状態の<ミステルフィア>では空中戦をするのは無理だ。
バッと後方からの光に振り返ると、また一機<ミステルフィア>が爆散するところだった。
もう後についてきている<ミステルフィア>は一機だけである。
「あれは何号機だ?」
「八号機になります」
「発射位置へ」
やはり無線が通じないので操縦士が翼を振って呼び寄せた。
「二機同時に誘導なんてできるのですか?」
さすがに操縦士がプファンクーハン隊長に訊ねた。
「わからん。だが、このままでは犬死だ。やってみよう」
手元の誘導装置を動かすと、まだ合体状態である八号機の突入機の舵が動き、すでに<ヤマト>へ飛んで行った六号機の突入機が進路を揺らしたのが同時だった。
「おお、できそうだぞ。八号機発射ぁ!」
だが八号機の操縦士は分離をしない。どうやらいつでも発射できるように準備しておくようにと指示されたと思ったようだ。
「なにをしておる! 八号機発射ぁ!」
さすがにプファンクーハン隊長の大声も、この高速で飛ぶジェット機同士の間では伝わらないようだ。
「…」
仕方が無いなというように小さな溜息をついた操縦士は、ふたたび翼を振って合図を送った。それで八号機の操縦士に意志が伝わったようで、八号機は分離した。
「よーし! こんどこそ撃沈だ!」
二機同時に同じ位置にいるわけではないが、途中までは同じように飛ばして大丈夫であろう。発射に時差があったので、六号機を突入させた後に八号機の態勢を立て直してから突入軌道へと乗せることができるはずだ。
思いついた小細工を、命のかかった戦場でいきなり試すなんていう豪胆さこそ、プファンクーハン隊長の真骨頂であった。
六号機が素直に<ヤマト>への突入軌道へと乗る。原型の高速爆撃機として全速力を出しており、さらに高高度からの降下であるから、もしかすると音速に達しているのかもしれない。次々に撃ち上げられる日本側の対空砲はすべて後ろに置き去りだ。
「よし! 今度こそ!」
「警報!」
再び通信士が叫んだ。操縦士がユンカース二八七Aを傾けた。
「こりゃ! 狙いが外れるだろうが!」
プファンクーハン隊長が誘導装置から目を離さずに文句を言ったが、操縦士は構わず上下左右に機体を揺らした。
「揺らすなと言って…」
プファンクーハン隊長の言葉が途中で途切れたのも無理もない。誘導装置の視界をよぎる影があるのだ。まるで真夏の湖畔でカモ猟をしている時に、スコープの前をよぎる羽虫のようだ。
だがこの高度に羽虫がいないことは分かっていた。誘導装置から目を離すわけにはいかないが、どうやら隊長機と突入機との間に割り込む存在…、つまり日本側の直掩機が彼の乗るユンカース二八七Aに纏わりついているのだ。
機尾にある遠隔銃座が火を噴く音が遠くに聞こえる。機体に着弾があるのか、棒でドラム缶を叩くような音がする。一瞬だけだがチューンという高周波が操縦室のガラスで減衰した音がする。もうヘッドホンをしているはずの耳に入って来る音だけでも、魔女の窯をひっくり返したような大騒ぎだ。
だが我慢しただけあった。プファンクーハン隊長の誘導に従い、突入機のユンカース二八七Aは<ヤマト>艦首からまっすぐと突っ込む位置へと来た。
「よし!」
命中を確信したプファンクーハン隊長が声を上げるのと同時に、隊長機であるユンカース二八七Aが、ガクッと姿勢を崩した。
右に大きく傾くと、急速に高度を失いつつ勝手に旋回を始めていた。
「おい!」
最後の瞬間を見ることができずに、プファンクーハン隊長は誘導装置から目を離した。文句を言おうと隣の操縦士を振り返る。彼は歯を食いしばるようにして操縦輪へ力を入れているところだった。
「どうした?」
「だいぶやられました」
短い間に隊長機は様変わりしていた。風防にはヒビが入り、主翼には炎が纏わりついていた。
「高度を維持できません」
なんとか水平を保とうと四苦八苦しているのが手に取るように分かった。銃砲撃を機体に受け、操縦索などにもダメージがあって舵が利かないようである。
「どうなっとる」
プファンクーハン隊長は改めて周囲を見回した。煤色の三角形という印象の<カタナ>が二機も周囲を飛び回り、通信士は遠隔銃座で撃ち返していた。
「主翼の消火を」
両手を操縦輪から離せない操縦士に代わって、プファンクーハン隊長が計器盤にある消火装置のスイッチを入れた。
幸い火はすぐに消えてくれた。レシプロ機のガソリンと違ってジェット機はケロシンなので一旦火が点くとなかなか消えない物だが、ここは隊長の日頃の行いが良かったという事にしておこう。
「も、もう退避してよろしいですか?」
操縦士が珍しく弱音を吐いた。
「ちょっと待っておれ」
もしかしたらこの空で長かった己の軍歴も終わりかと、妙に冷めた感情が湧いて来たプファンクーハン隊長は、飛んで行った六号機を探した。
ちょうど<ヤマト>へ艦首方向から突っ込む瞬間であった。<ヤマト>前甲板に火の玉が上がるのをプファンクーハン隊長は確認した。
突入機の弾頭は二メートル近い直径を持った成形炸薬弾である。製造した技術者は前方三キロメートルに何があっても灼き尽くすと豪語していたが、まあ半分以上眉唾であった。
成形炸薬弾は理論値だと直径の一二倍の装甲を貫通することができるが、現実的な数字ではない。実際にどんなに理想的な環境下においても八倍がいいところで、現実的な数字は五倍といったところだ。そこからプファンクーハン隊長は<ミステルフィア>の突入機が持つ弾頭は、装甲貫通厚を七メートルと試算していた。
どんな巨大戦艦でも最上甲板から七メートル貫通すれば弾薬庫、もしくは機関室に至ることができる。弾頭から噴き出すメタルジェットや、周囲から剥離する装甲板の破片などで、それらが深刻な被害を受けることは確実である。
「よし命中だ!」
一発で轟沈したかまで確認したいが、機体の状況がそれを許してくれそうも無かった。(注263)
「退避してよし」
プファンクーハン隊長の言葉に待っていましたとばかりに操縦士は舵を切った。
旋回した先に別の<カタナ>が回り込んでくる。やはり逃がすつもりはないようだ。
「よろしい! ならば最期まで戦ってやるぞ。このヴァイス・プファンクーハンがな!」
威勢のいいことを言ってはいるが、空中戦となると彼にできることは少ない。回避運動は操縦士の役割だし、反撃する武器は機尾の遠隔銃塔しか無いのだ。
彼ができることと言ったら、周囲を見回して戦況を分析し、回避方向と反撃すべき敵を指示する事、つまり口で部下たちを叱咤激励することであった。
「ほら、右に来る! 左を忘れるでない! 上だ! 下だ! 回り込んできおった!」
気のせいか操縦士と通信士の顔が同じ表情になった気がした。
と、一機の<ゲオルグ>が正面に立ちふさがるように旋回して来た。高速で戦闘機を振り切るのがユンカース二八七Aの設計コンセプトであった。それによって前方に敵戦闘機が回り込むことはあり得ないとされて、前方固定機銃などの武装はされていなかった。しかし今は度重なる被弾で足が鈍っているのだから、想定外の戦いになっているのも当たり前の話しだ。
(くっ、ここまでか)
プファンクーハン隊長が覚悟を決めた。こちらの風防からキロ単位の空間を挟んで向こうの風防。その中で照準器を覗きこむ操縦士の殺気までが感じられる瞬間だ。
目を閉じまいと必死になってプファンクーハン隊長は瞼へ力を入れた。
赤い火線がザーッと襲い掛かった。
横殴りに赤い火花に包まれたその<ゲオルグ>は、エンジンカウリングから煙を噴き出すと、ガクリと高度を落としていった。
「?」
覚悟を決めていただけに拍子抜けしたプファンクーハン隊長が口を開けていると、視界を大きな影が下から上へとよぎった。
「六号機です」
心底安心した声を操縦士が漏らした。
「馬鹿者め!」
首を巡らせて上空に飛び去る六号機を追いながらプファンクーハン隊長は罵倒する言葉を発していた。
「燃料のことが頭に無いのか、あいつは!」
隊長機であるユンカース二八七Aを守るように一機の<カイヤン>が翼を翻していた。ジェット戦闘機の思わぬ登場に、周囲にいた直掩機たちが離れていく。無理に追い討ちをするなと命令されているのだろう。
周囲からあらかた敵機が引き上げたと見たのか、助けてくれた<カイヤン>は、隊長機の横に並んだ。
向こうの操縦席で手を振っているのが見えた。
護衛がいなくなる隊長機の心配をして残ってくれたのだろう。口では文句を言っていたプファンクーハン隊長を含めて三人で手を振り返した。
最後に翼を振って別れの挨拶とし、プファンクーハン隊長の乗るユンカース二八七Aはボンベイのある北へ、守ってくれた<カイヤン>は機動部隊が居るはずの西へと飛んだ。
●インド洋アラビア海ラッカジブ諸島北西海域。ドイツ機動部隊から先行する空母<ドクトル・エッケナー>:1948年4月20日0940(現地時間)
日本機動部隊の攻撃を受けた空母<ドクトル・エッケナー>は、ガックリと速度を落として航行していた。
被害状況は艦長であるモルド・ヴォルフ大佐のところに届いており、凡そ艦内の状況が把握できるようになってきた。
中央部から後部にかけて受けた爆撃により、格納庫は前部を除いて全滅。その前部にだってろくな機体が残されていなかった。
どう考えても空母としての戦闘能力は失われたと言って間違いなかった。
では水上戦闘艦としてはどうだろう。対空砲も平射すれば駆逐艦ぐらいは近寄せないほどの威力がある。
だが残念だがそれも無理だろう。魚雷が飛び込んだと思われる左舷機関室は全滅しており、浸水が続いていた。応急員たちが排水ポンプで海水を抜き、隔壁を資材で補強はしているが、押し寄せる水圧に、一区画ごとの攻防が続いていた。
右舷機関区にも浸水が一時広がった。が、こちらは力を合わせた機関員と応急員の努力が実って、とりあえず踵ほどの深さで浸水が止まっているようだ。
艦橋で前を見据えていたヴォルフ艦長は、厳しい顔をして水平線を見ていた。自慢の口髭に勢いが無いのは、火災の煙の成分が先端に纏わりついたせいだけでは無いだろう。
「艦長」
なにやら伝声管で連絡していた航海長が彼を呼んだ。
「なにかね」
「まだ動力があるうちが、艦の針路を変更できる時間です」
格納庫の火災は続いており、その真下にあたる罐室は異常な高温になっているそうだ。このままでは主罐室を放棄するか、または主罐の運転を止めなければならなくなるだろう。
そうすると艦の動力源たる高圧蒸気が得られなくなる。そうなれば今奇跡的に左舷機関室が復活してもタービンを回す蒸気が供給されなくなり<ドクトル・エッケナー>は海に浮かぶただの箱となる。
何時間かかるか分からないが、鎮火後に取る針路に艦首を向けておいた方が良いかもしれない。そして、その向きによって艦長の腹の内が分かるという物だ。
いまは勇ましく進撃していた時のままに、日本艦隊へ突撃する東の方角を向いている。このままであったら艦長は乗組員ごと満身創痍の<ドクトル・エッケナー>で敵艦隊へ突撃を企んでいる事になる。もちろん、その先は言わずものがなだ。なにせ向こうには水上打撃戦では無類の強さを誇る戦艦すらあるのだから。
まあ「一矢報いる」と考えたくなる気持ちも分からないでも無いが、航海長だって人の子だ。死ぬのなら子供や孫に囲まれた穏やかな自宅のベッドの上の方がいいはずだ。
これが西に転舵となると機動部隊本隊へ向かう事になる。そうすれば味方の艦からの援助も受けられ、運が良ければ<ドクトル・エッケナー>を沈めずに本国まで回航できるかもしれない。
北であったら、三つあるという日本艦隊の輪形陣をすり抜けられるとは思えないが、大ドイツがインド亜大陸で手に入れた数少ない拠点であるゴアやボンベイへ向かう事になる。
その地で修理は不可能であろうが、重傷者を陸上の病院へ移すなどの処置ができるだろう。輸送船団が無事に到着できたのなら、空になったそれらに乗って後送してもらえるかもしれない。
南という手もある。とりあえず脅威である日本艦隊の攻撃を避けて広大なインド洋に紛れることができる。情報はろくに入っていないが、陸軍のコマンド部隊と海軍の潜水艦艦隊が合同で占領した、なんとかという島へ逃げ込めるかもしれない。(注264)
いずれにしろ日本機動部隊の攻撃が脅威ではあるが、艦長が<ドクトル・エッケナー>の取るべき未来をどう考えているのか探る指針となるはずだ。
「…」
厳しい顔をヴォルフ艦長が口を開いた瞬間であった。
「敵機!」
艦橋脇のスポンソンにある対空監視用の双眼鏡に取りついていた見張員の一人が裏返った声を発した。
「〇時の方向、約一〇〇機」
「機関全速」
すかさずヴォルフ艦長は下命した。
「どうやら我々は、まず生き残る事から考えなければならないようだぞ」
飛来したのは再び日本海軍で制式採用されている艦上戦闘機J三K・A<ジンプウ>こと<(メヒティヒ)ゲオルグ」>と、艦上攻撃機B七A<リュウセイカイ>こと<アンモーツ>の群れであった。
さっそく燃料がまだ残っているこちらのメッサーシュミット二六二F<カイヤン>やドルニエ三三五C<プファイル>そしてメッサーシュミット一五五<バジリカ>が飛び掛かっていく。だが数の差は歴然としており、多勢に無勢で敵の進撃を止めることは出来そうにも無かった。
おおよそ三分の二の数が艦隊の上空までやってくる。どうやら攻撃隊を率いている隊長は、海上で火災の煙を上げている<ドクトル・エッケナー>は与しやすい相手と捉えたようだ。対空戦闘の号令がかかって対空砲を撃ち上げる<ドクトル・エッケナー>の真上を通り過ぎて、さらに東方にいるはずの機動部隊本隊へと向かって行く。これでは<ドクトル・エッケナー>が先行した意味が無かった事になる。
砲身が赤く灼熱するほど撃ち上げる対空砲火を邪魔と思ったのか、一群の<アンモーツ>だけが上空に留まった。先ほどの経験と合わせて考えると、どうやらこの二〇機ほどは<ドクトル・エッケナー>の相手をしてくれるようである。
ブリッジウイングに通ずる窓から顔を出して上空を確認していたヴォルフ艦長は、正確に相手の意図を読み取っていた。
「来るぞ。取舵一〇度のところ」
老犬が主人に命令され利かなくなった体を動かそうとするかのようにブルブルと<ドクトル・エッケナー>が振動した。
上空の<アンモーツ>は二つに分かれた。片方は上空で待機しており、もう片方が海面近くへと下りてくる。どうやら一〇機に満たない機数で雷撃を成功させるつもりのようだ。
これがまだ<ドクトル・エッケナー>が被弾する前の元気な状態であったらヴォルフ艦長が憤慨するところであったが、いまは逆に有難いと感じるほどだ。
言うまでも無い事だが、同時に攻撃される機数が少なければ少ないほど命中弾は少なくなる。いまは追加でダメージを負いたくない時であるから、相手が少なければ少ないほど良かった。
高度を低く取った<アンモーツ>が左右に分かれた。三機ずつで両舷からの挟み撃ちを狙っているものだということが分かった。
「舵中央。両舷一杯」
艦長の号令に従おうと<ドクトル・エッケナー>が全身を震わせる。しかし左舷機関室が全滅している状態では出力も半減だ。今出せる最大速力も二〇ノット(時速三七キロ)が良いところであろう。
左右の<アンモーツ>が姿勢を安定させ、上空に居る同じ数の<アンモーツ>が一列に並んだ。
(来る!)
その瞬間を確信したヴォルフ艦長が怒鳴り声を上げた。
「両舷半速! 取舵一杯!」
それまで無理をして全速前進をしていた<ドクトル・エッケナー>が、ガクッと速度を落として左旋回に入った。その挙動を読み切れなかったらしい雷撃隊の<アンモーツ>がそのまま航空魚雷を投下、そして上空から爆撃隊の<アンモーツ>が突っ込んで来た。
急に減速して舵を切ったことにより、波の力でさらにブレーキがかかった。<ドクトル・エッケナー>の乗組員たちは列車の急ブレーキと同じように、何かに掴まっていないと前へ放り出されそうになった。
排水量三万トンの巨体が、クルリと艦首を左に向けた。左右の真横から迫る白い魚雷の航跡に対して最小の投影面積を向ける事となった。
「舵中央!」
このまま左に舵を取り続けると、せっかく魚雷と平行になった艦体が行き過ぎて、艦腹を晒すことになりかねない。舵の効きが良いままにしようと、速度の命令は出さずにおいた。
左右から方角が変わって前後から白い筋が<ドクトル・エッケナー>へと迫った。運が悪いとこれでも被雷するが、どうやらそこまで地獄の悪魔は意地悪では無かったようである。
真っすぐに進み始めた<ドクトル・エッケナー>の左右を挟むようにして、複数の魚雷は行き違った。回避成功である。
ホッと艦橋内に詰める乗組員がする間もなく、上空から放たれた爆弾が落下して来た。
しかし最初の攻撃をしてきた連中よりは練度が低い連中だったようで、これも<ドクトル・エッケナー>の左右に白い水柱を上げるのみであった。
「うまくいきましたな」
航海長が艦長の操艦術に感想を述べようとした時、最後の一発が前甲板へと命中した。
飛行甲板を貫通し、真下のカタパルト機械室を掻き混ぜ、格納庫へと突入した。ただ弾道が斜めだったのか、防御甲板へと届くことは無く、格納庫の右舷側の壁にめり込んだところで炸裂した。
艦橋の目の前で起こった爆発で、舷窓に填められたガラスがビリビリと鳴った。
すぐさま中央部付近で消火活動にあたっていた甲板員が、向きを変えて前甲板に新しくできた弾痕へと水をかけ始める。
この攻撃で完全に<ドクトル・エッケナー>の飛行甲板は破壊された。カタパルトが無事なら発艦だけでもできたかもしれないが、それも完全に破壊された。
飛行甲板はすべて波打ち、せめて平らならば発着できたはずのフィーゼラー一五六C<シュトルヒ>すらも使用不能となった。
唯一左舷前方に無事な区画が残っているため各種のヘリコプターならば発着ができるかもしれなかったが、<ドクトル・エッケナー>は空母としての能力を失ったことは確実だった。
●インド洋アラビア海ラッカジブ諸島北西海域。ドイツ機動部隊:1948年4月20日0948(現地時間)
ドイツ海軍機動部隊旗艦<ウルリヒ・フォン・フッテン>の艦橋では、一人だけ白い第二種軍装を身に纏った機動部隊司令長官のハイデンハイム中将が、薄く広がる雲が広がる空を憂鬱そうに見上げた。
インド洋で見る雲は地上で見る雲と違って、白い表面に細かい点がたくさん浮いていた。
いや模様ではない。細かい点の一つ一つが夏に湧く蚊柱のようにウヨウヨと動いているのが分かる。
だがインド洋の真ん中に蚊柱というのはおかしい。それもそうだ。あれらは二二〇〇馬力を絞り出す空冷星型一八気筒のエンジンを積んだ航空機の群れなのである。
「見事なものだ」
旗艦上空を遊弋していた直掩機が翼を翻して群れへ向かって切り込んでいく。その姿は頼もしくあったが、残念ながら数が少なかった。
「我が空軍の精鋭です。やってくれますとも」
いつの間にか背後に近寄っていたのは空軍のフィッケル少尉であった。彼は空母航空団司令のルーデル大佐の副官である。本来ならば空軍指揮下の航空団と海軍指揮下の艦隊との連絡役である。しかしこの艦では臨時の航空参謀として、ハイデンハイム司令の参謀団に加わっていた。
「いや…」
肩を竦めたハイデンハイム司令は自嘲するように言った。
「…日本軍の編隊の方だよ。あんな集団をどう統率しているのか、不思議なほどだ」
直掩機に突っ込まれてパッと散ったと見えるが、なかなかどうして、統制の取れた編隊を維持し続けているように見えた。
「我々だって、あのぐらい」
自らも操縦桿を握る事もあるフィッケル少尉は自信たっぷりに言った。
「だが、ここにはアレほどの数は揃っていまい?」
こちらの機動部隊にはドイツ海軍最新鋭の航空母艦が三隻に、航空戦艦一隻が参加していた。だが全てを合わせても、アレほどの数を揃えられるとは思えなかった。
「そうですか?」
眉を顰めたフィッケル少尉は、ハイデンハイム司令の横に並ぶようにして、同じ舷窓から空を見上げた。
「我が方にもあのぐらいの数は揃えていますよ」
「そうであるか?」
不思議そうにハイデンハイム司令が訊き返した。もちろん機動部隊の司令長官として、搭載している航空機を閲兵したことがある。しかし、いまいち迫力で負けているような気がした。
「戦時と平時では入る気合が違いますから」
地上や艦上から魅せるために編隊飛行する航空隊と、相手を殺すために進軍して来る攻撃隊では、たしかに見え方が違って当たり前であろう。
だが、いつまでも見ているわけにはいかない。彼には彼の仕事があった。
「通信参謀、艦隊に通達を。回避運動自由。全兵器使用自由」
「了解しました。回避運動自由。全兵器使用自由」
復唱し速足で艦橋から出て通信室へ行こうと通信参謀が振り返った時であった。艦橋中央で従兵に手伝ってもらいながら防弾服へ腕を通していた<ウルリヒ・フォン・フッテン>艦長、アイムホルン大佐が裏返った声を上げた。
「新たな目標を探知だと?」
どうやら<ウルリヒ・フォン・フッテン>に装備された対空捜索レーダーからの報告が上がったようだ。
「はい」
背筋を伸ばして航海科の将校が報告した。なにせ相手が悪人顔にアイパッチをしたアイムホルン艦長である。凄まれてビビらない方が難しいのだ。
「方位二・一・〇。南南西の方角です」
「どうしたのかね」
ただならぬ雰囲気にハイデンハイム司令が問いただした。
「はっ」
防弾服を整えてからアイムホルン艦長は報告した。
「<ウルリヒ・フォン・フッテン>のレーダーに、接近しつつある敵攻撃隊とは別の反応があります。方位は二・一・〇。右舷四時の方向です」
「右舷四時?」
ハイデンハイム司令に付き添うように近寄っていたフィッケル少尉が首を捻った。
「ラッカジブ諸島ともモルジブ諸島とも方位が違う…」
何度も睨みつけていたせいか、インド洋の海図は目を閉じるだけで浮かんでくるようになっていた。いま艦隊は東に向かって航行しており、なんの邪魔が入らなければいずれインド亜大陸に衝突するコースである。間にはラッカジブ諸島が入るが、ここはドイツ側が抑えているはずだ。
ラッカジブ諸島の南方にはモルジブ諸島がある。ここにインド軍と日本軍が共同して基地を建設したことは把握していたが、現在の艦隊の向きからして方位としては一時から二時の間といったところだ。
右舷四時と言われても、ずーっと先に南極大陸があるだけのはずだ。
「少なくとも友軍では無いな」
ハイデンハイム司令は通信参謀に頷きかけた。接近しつつある反応が、敵だろうがなんだろうが、日本軍の攻撃隊が接近している今は命令の変更は無いはずだ。
「各艦に伝達してまいります」
通信参謀が廊室へと消えると同時に、ハイデンハイム司令とアイムホルン艦長は顔を見合わせた。
「正体不明というのは、なんとも気持ち悪い物ですなあ」
ポリポリとヘルメットの上から頭を掻いたアイムホルン艦長は、そのまま艦橋脇の張り出しへと出ようと足を向けた。屋根の下である艦橋では対空戦闘の指揮が執りづらいからである。
目を閉じて眉を顰めて一心不乱に考え事をしているフィッケル少尉の前を横切ろうとした時だった。
「わかった!」
「びっくりしたなあ」
急に大声を上げられてアイムホルン艦長は首を竦めた。
「何が分かったのかね?」
ハイデンハイム司令は、この若い将校が何を言い出すのか楽しみといった表情であった。
「たしか先月の海軍情報にこうありましたよね? 『日本艦隊はショウカク級空母一ないし二及び艦級不明の空母複数を主力とす』と。それに潜水艦は三列の輸送船団を報告していたのに、昨日攻撃したルーデル大佐は二列の輸送船団しか見ていない」
「つまり、どういうことだね?」
「我々はショウカク級と<ヤマト>に気を取られて、もうひとつ重要な情報を読み落としていたということです」
「重要な情報?」
「そう。日本艦隊は、もう一つ居るはずです。そうでないと数が合わない」
「もうひとつ? しかし我々の南方を進んでドコに…」
そこまで言ってハイデンハイム司令は口を開けて硬直した。
インド亜大陸最南端のコモリン岬からほぼ真っすぐ西へ線を引けば、彼らが出港したソコトラ島である。この地域のドイツ海軍主力である彼ら機動部隊がココにいるということは、今ソコトラ島には、わずかな根拠地隊しか残っていないことになる。そこへ太平洋で鳴らした機動部隊が襲い掛かったら、ひとたまりもないであろう。
「つまり日本軍は、二つの機動部隊を、このインド洋に送り込んできているという事かな?」
部下に対しては超然とした態度を取れと幼い頃から教えられてきた古い軍人の家系だからこそ、ハイデンハイム司令は取り乱さずに済んでいた。
「二つとは限りません。彼らの持つ空母の数を考慮に入れれば、機動部隊を六つは編成できます。アメリカ大陸が静かな今は、すべての空母がこちらへ向けられていても不思議ではありません」(注265)
普通、二倍の戦力差ならば、司令官はいかに自軍の損害を抑えるか考えるものだという。三倍ならば、戦わずに逃げる(言葉が悪ければ『撤退する』とか『転進する』)ことを考えるそうだ。
それなのに一対六では、話しにすらならなかった。
「どうしますか?」
アイムホルン艦長が途方に暮れたような顔で訊いた。
「何も変わらない」
ハイデンハイム司令は予定されていたスケジュールをこなすように言った。
「我々は敵を撃ち倒すためにここまで来たのだ」
●インド洋アラビア海ラッカジブ諸島北西海域。ドイツ機動部隊:1948年4月20日1000(現地時間)
この時、ドイツ機動部隊は雁行陣形で東方へ向けて進撃していた。
先頭を行くのは旗艦<ウルリヒ・フォン・フッテン>である。日本海軍の「指揮官先頭」の伝統を見習ったわけではない。空母<ドクトル・エッケナー>を本隊より先行させて敵の攻撃を誘引したのと同じ理由だ。
超弩級戦艦ならば艦船の中でも抗堪性が高いので、後方へ続く空母の盾としての役割を旗艦自ら請け負ったのだ。
その斜め左に続航するのは赤い艦体が特徴の航空戦艦<フォン・リヒトホーフェン>である。黒く塗られた飛行甲板に移動式の銃座を配置し、全身がハリネズミのようになっていた。
もし味方の艦上機が被害を受けて不時着を求めても、移動式の銃座であるから、すぐに飛行甲板は使用可能になる予定である。
赤い塗粧は戦場では目立ち、これまた空母よりは高い抗堪性で、二枚目の盾として機能する事が期待された。
赤い航空戦艦の左後ろに続くのは、青味の強い迷彩を施した空母<ペーター・シュトラッサー>であった。
彼女は機動部隊の空軍側の旗艦として直掩隊の各戦闘機に色々な指示を出し続けていた。それまでは操縦士の判断で迎撃する相手を決めていたが、それだと輪形陣の反対側に隙が出来てしまったりした。そういった穴を、対空レーダーを使用して誘導する事により、なるべく塞ぐように空母から指揮される事になっていた。
殿を務めるのは、空母<エーリッヒ・レーヴェンハルト>であった。だが彼女は舳先を東には向けず、北西方向へと向けていた。
なにも一隻のみで逃走を図ったのではない。ちょうど彼女に搭載している第一海上戦闘航空団第七飛行中隊に所属しているタンク一五二T<テレーザ>が任されている直掩任務の交代時間が来ており、その発着にため最適な向かい風を求めて舵を切った後だったのだ。
長い主翼の<テレーザ>を収容しながら、彼女は艦隊から離れる針路を取ったことになる。この敵攻撃隊に囲まれた中で単独行動は、普通ならば死を意味する事と同じであった。しかし彼女にとって幸運なことに、向かっている先にはスコールを降らす厚い雲があった。
あの下に逃げ込めれば、いまだに照準に目視が必要な艦上機部隊は攻撃ができなくなると思われた。
こういった態勢でドイツ機動部隊は日本機動部隊の攻撃隊を出迎える事となった。
上空では味方の戦闘機が奮戦していた。
各空母に搭載されていた<テレーザ>だけでなく、搭載された機上レーダーの性能がアテにされたドルニエ三三五C<プファイル>も、敵攻撃隊へと斬り込んでいく。その二機種だけではない。世界初の実用ジェット戦闘機から派生したメッサーシュミット二六二F<カイヤン>とメッサーシュミット一五五<バジリカ>も空戦に参加していた。(注266)
本隊各艦はまだ知らなかったが、彼らを搭載していた<ドクトル・エッケナー>は飛行甲板に重大な損傷を受け、空母としての機能を失っていた。
よって無事に帰還するには他の空母に収容してもらうしか方法が無かったのだ。
ただそれが期待できるのはレシプロ機の<バジリカ>までであった。ジェット機の<カイヤン>は着艦速度が速すぎるので、対応した新型の制動索を装備していない空母には降りることはできないのであった。
彼らは燃料切れまでは飛び続けることができるが、いざそうなったら各艦の近くへ不時着水して拾ってもらわなければならなくなる。
それも平和な海であっても事故などで脱出が遅れ、機体と共に沈む可能性が残されていた。長い空戦を続けて体力を失った操縦士には不時着水は「死」と同じ意味であった。
そうして直掩隊には四機種が参加して機動部隊上空に傘を作ろうと努力はした。だが日本側は性能で劣っても数が多かった。多勢に無勢とはよく言った物である。何機かの日本機が煙と炎を引いて海面へと堕ちていったが、全体に影響は無いように見られた。
「撃ち方はじめ!」
艦橋脇のスポンソンで防弾服に身を固めた<ウルリヒ・フォン・フッテン>艦長のアイムホルン大佐が大号令を発した。
すでに機動部隊指揮官のハイデンハイム司令からは射撃自由の許可は出ていた。
戦艦<ウルリヒ・フォン・フッテン>の主兵装は艦の前後に二基ずつ装備された四八・三センチ連装砲であるが、航空機相手には無用の長物であった。
なにせ動きの速い航空機を狙えるように軽快に旋回できるようにできてはいない。その代わり決戦距離で同じ口径の砲弾を喰らっても、けっして抜かれない重装甲を見に纏っていた。
艦の上部構造物脇に左右三基ずつ配置された一五センチ連装副砲(実径は149ミリ)も、敵の空襲にはあまり役には立ちそうもなかった。辛うじて雷撃機が迫った時にだけ阻止砲火として期待できる程度である。
やはり航空機に対抗するには対空砲であった。
六五口径一〇・五センチ連装対空砲八基が艦の全体へバランスよく配置されていた。死角は無いのでレーダーとアナログコンピュータを組み合わせた射撃装置に指揮されたこれらは、効果的に対空砲弾を撃ち上げるはずであった。
また対空砲が撃ち漏らした敵機があったとしても、連装八基も装備した三七ミリ機関砲と、四連装四基、単装一二挺、合計二八門装備した二〇ミリ機関砲が出迎えることになっていた。
これだけの数を空に向けて放てば、いかなる航空機も攻撃を断念せざる得ないものと思われた。
「両舷全速」
スポンソンから窓越しにアイムホルン艦長が号令をかけた。
「両舷全速」
艦橋の後方壁際の中央部分に立つ航海長が復唱し、その左前に立っている速力通信機に取りついている航海科の将校が、機関室に繋がるレバーを前に押し込んだ。
テレグラフが作動したことを示す鐘の音がチンチンと鳴って、防御甲板奥に存在する機関室へ艦長の命令が伝えられた。
「戦闘」
続けて発せられた艦長命令を、艦内電話に取りついていた伝令が、艦橋トップにある主砲射撃所にいる砲術長へ伝えた。そこから折り返し、各砲の指揮所へ「適時撃ち方始め」が伝えられる。
最上甲板に建つビルのような上部構造物。その各所に装備された半球状の本体に測距儀を差して金網のようなレーダーアンテナをつけた射撃装置が旋回し、目標を求めた。
地球の自転から対空砲から放たれる弾速、敵機の速度や角度などの要目を計算機へとぶち込み、命中させるために必要な旋回角と俯仰角を求める。そのデータを受け取った各砲は、長い砲身を振り上げて射撃態勢に入った。
すでに砲術長から射撃許可は出ている。だが一向に対空砲も対空機関砲も火を噴かなかった。
頭の上を日本軍の攻撃隊が通り過ぎていく。彼らの狙いはあくまでも空母なのであった。機動部隊同士の決戦では基本中の基本である。敵の空母を潰した側が勝者となれる。ドイツ側は総統の勅命という足かせがあったおかげで<ヤマト>撃沈に拘り、対機動部隊戦術を誤っていた。
赤い<フォン・リヒトホーフェン>すら飛び越して、攻撃隊は空母を目指した。そして幸か不幸か、この時に日本側の攻撃範囲にいたドイツ空母は<ペーター・シュトラッサー>だけであった。
彼女は猛烈な勢いで対空砲火を撃ち上げていた。右舷にあるアイランド前後には<ウルリヒ・フォン・フッテン>にも装備されている一〇・五センチ連装対空砲が二基ずつ装備されており、飛行甲板をグルリと巡るスポンソンには三七ミリ機関砲と二〇ミリ機関砲が装備されていた。
さらに格納庫の右舷前方と左舷後方に向けてケースメート式に一五センチ単装砲が装備されていたのは、やはり天候の悪い北海での運用が予定されていたからである。霧が立ち込めやすい同海域では、不意の遭遇戦が惹起する可能性があったのだ。だが水上見張りレーダーが発達した現在は、その使用は局限される物と思われた。例えば単艦で通商破壊戦を挑もうとしたとき、全ての敵輸送船を航空機によって攻撃するのは効率的ではないという考えだ。ある程度は艦砲の活躍が見込まれたのだ。
ただ、やはり使用する可能性はとても低い物と思われていたので、ジェット機対応の改装の際に撤去する装備の筆頭であった。その余剰重量で性能が改良された新式カタパルトを装備する事にしたのだ。だが既述の通り、この改装が今回の戦役に間に合ったのは<ドクトル・エッケナー>のみで、残りの二隻は建造時の姿のままであった。
これでもマシな方である。原型の<グラーフ・ツェッペリン>は一五センチ砲を一六門も装備していたのだから。(注267)
普通の空母よりも青色が強めに塗粧された艦橋に、自信満々で仁王立ちしている男がいた。ドイツ海軍制式軍装である防暑服に防弾ベストを纏い、ヘルメットの重みで首が肩にめり込んでいるように見えるのは、彼が生来のいかり肩だからだ。
彼が<ペーター・シュトラッサー>艦長のボラン・マイヤー大佐であった。
空軍の航空団司令部を乗せているせいかマイヤー艦長は、一発の爆弾魚雷も喰らわない気概で艦橋に立っていた。
空母<ドクトル・エッケナー>のヴォルフ艦長のようにブリッジウイングに出ることは無く、スポンソンに通じる舷窓から首だけを出して上空を確認しつつ、マイヤー艦長は指揮を執っていた。
「両舷原速」
原速とは一番燃費の良い速度の事である。どんなことにも経済的な民間船と違って、艦隊を組む軍艦は、なるべく性能が揃っている方が指揮をしやすい。ドイツ海軍では艦艇を建造するにあたって、一番経済的な速度を一九ノット(約時速三五・二キロ)としていた。
一個機動部隊の攻撃隊全てに包囲されていると言っても大げさではない。その中にあって速度を落とすのは勇気のいる行為であった。常識では速度が速ければ速いほど敵弾は避けやすいはずだからだ。
しかし欧州戦争時にUボートの艦長を務めていたマイヤー艦長には自信があった。
これも当たり前すぎる話なのだが、船は速度が速いより遅い方が舵の効きが良いのである。(注268)一例を挙げるなら、駐車場で車を所定の位置へ停めようとする時、全速力で行うドライバーはいないという事だ。(いやスタントドライバーが自らの腕前を披露する時など、いくつかの例外はあるが)
普通ならば狭い駐車区域へ入れる時は、徐行をして確実に枠内へと停めようとするはずだ。
マイヤー艦長の理論では艦船でも同じだという事だ。雨霰と降る敵弾の隙間を縫うように操艦するのに、なにより舵の効きを優先したのだ。
「敵機直上!」
見張員が対空双眼鏡に取りついたまま叫ぶように報告する。
「面舵。面舵。面舵…」
まるで鍋を掻きまわす魔女が呪文を唱えているかのように、マイヤー艦長は面舵を下令しつつ、腕を大きく回していた。
上空に侵入して来た日本海軍の制式攻撃機B七A<リュウセイカイ>…、ドイツ軍が<アンモーツ>と符牒をつけた機体が一列に並び、キラリと陽光を反射させた。急降下爆撃に移る瞬間に、風防が鏡の役目をしたのだろう。
その光を確認した見張員が絶叫した。
「つっこんできます!」
マイヤー艦長は艦橋内へ振り返ると、大声で怒鳴った。
「面舵一杯!」
すでに右へ右へと針路を取っていた<ペーター・シュトラッサー>は、素直に右へと回頭した。それを待っていたかのように左舷至近に複数の水柱が立ち上がった。回避成功である。
しかし安心するのは早い。まだまだ敵機は控えているのである。
「舵中央、両舷全速!」
今度は最大出力を求める。面舵一杯に舵を切ると、水の抵抗で<ペーター・シュトラッサー>はほぼ海上で停止した状態となる。そこからいち早く脱出しなければならないからだ。
「左舷雷撃機」
「取舵一〇度のところ」
見張員の新たな報告に、艦橋へ別の号令がかかった。振り返ると反対の舷窓から航海長が頭を外に出し、上空の様子を確認していた。彼が見ているのは高空に居る爆撃隊ではなく、低空に降りて来た雷撃隊の方であった。
「敵機、魚雷投下!」
見張員の報告通り、雷撃隊の<アンモーツ>たちが腹に抱えて来た航空魚雷を投下していた。やはりドイツ軍の雷撃とは高度も速度も段違いであった。
「敵機直上!」
「両舷原速」
別の見張員から報告がありマイヤー艦長の号令がかかった。航海長は訂正をしなかった。
「面舵、面舵、面舵…」
また、何かの儀式のように顔を外に出したまま腕を回して面舵と口にし始める。航海長の指示で最初は左を向いていた<ペーター・シュトラッサー>が、再び右へと回頭を始めた。
航海長の「調整」が良かったのか、白い雷跡が<ペーター・シュトラッサー>の左右を通り過ぎていく。もちろん爆発を起こす物などひとつも無い。
新たな<アンモーツ>の編隊が上空を占位する。しかし同じ事の繰り返しであった。
「つっこんできます!」
「面舵一杯!」
マイヤー艦長がまた艦橋内に振り返って大音声で命じる。操舵員は艦長の下令よりも見張員の絶叫を聞いた瞬間に舵輪を回し始めていた。
ドドドと迫力のある音が艦橋まで響いてくる。しかし命中弾はやはりない。全て至近弾であった。
「舵中央、両舷全速!」
回避に成功すれば直進して再び運動エネルギーを取り戻す作業だ。
「右舷雷撃機!」
「取舵」
航海長が間に挟むように別の命令をする。それをマイヤー艦長は聞いていないのか、それとも全幅の信頼を寄せているのか、特に訂正はしなかった。
「敵機魚雷投下!」
再び低空に降りて来た<アンモーツ>が航空魚雷を投下する。しかし艦長が訂正を入れなかったおかげで<ペーター・シュトラッサー>は左を向いており、雷跡と艦体が交わることは無かった。
「敵機、上空に侵入してきます」
三度目の見張員からの報告に、マイヤー艦長はまた上を見上げた。
「両舷原速!」
再び避けやすいように速度を落とす。そしてずれたヘルメットの位置を左手で修正しながら、また右腕を回し始めた。
「面舵、面舵、面舵…」
操舵員は何か言いたそうに航海長を見た。窓から振り返っていた航海長は黙って頷いてみせた。日本軍だって馬鹿ではないだろう。右へばかり避ける<ペーター・シュトラッサー>の未来位置を予測して投弾してくることは予想できた。
「…面舵、面舵…」
大ドイツにだって「Aller Guten Dinge Sind Drei」(三度目の正直)という言葉はあった。(注269)
不安そうな操舵員が何か言おうと口を開いたところで、マイヤー艦長は艦橋に振り返って大声を上げた。
「面舵一杯!」
反射的に操舵員は舵輪を限界角度まで回していた。
またドドドという爆発音が続く。今までの二回の爆撃よりも近かったらしく、一枚の舷窓に填められたガラスへ弾片が当たってヒビが入った。
「舵中央! 両舷全速!」
再び運動エネルギーを取り戻すための命令が下された。
舷窓から外へ顔を出していたマイヤー艦長が、何か見つけたのか乗り出さんばかりに上半身を舷窓の縁へと預けた。
どうやら被害の状況を見ようと乗り出していたようだ。いちおう防御甲板の下に設けられた応急指揮所に詰めている副長からは何の報告も無かった。それは至近弾以上の損害を受けていないことを意味した。
「なっとらん」
だが憤慨した様子でマイヤー艦長は上半身を艦橋へ戻すと、壁にかけられている厚紙製のメガホンを指差した。
「アレを寄越せ」
「ヤー」
近くにいた水兵が何事だろうと、金具で固定されていたメガホンを手に取った。狭い運河の通航や港での接岸作業時に、甲板にいる作業員への号令に使われるための常備品のはずである。(注270)
メガホンを受け取ったマイヤー艦長は、スポンソンへ出ると筒先を艦の後方へと向けた。
「貴様らたるんどるぞ! もっと腰を据えて撃て! 全然当たっておらんじゃないか!」
どうやらふがいない対空砲火を撃ち上げた機関砲群に不満があったようだ。
艦長直々に叱咤されて、射撃員たちが背筋を伸ばした。
「艦長」
艦橋内に戻った航海長が<ペーター・シュトラッサー>の艦位を確認しつつ、艦長に話しかけた。
「なんだね!」
口にメガホンをつけたままスポンソンから艦長が訊いた。近くにいた水兵が、あまりの大声に仰け反った。それを見て慌ててメガホンを外して言葉を繰り返した。
同じ艦橋内ならば、普通に話しかけるだけでじゅうぶんに命令が通じるはずである。
「なんだね?」
「旗艦と離れてしまいました。追いつくなら今かと」
「舵を任せていいかね?」
「ヤー」
航海長は羅針盤と旗艦の位置とを見比べて号令をかけた。
「左舷十時方向。取舵。針路〇・九・〇へ」
「取舵」
舵輪が回され艦首が巡る。まだ針路が安定する前に航海長が号令をかけた。
「舵戻せ」
「もどせ」
操舵員が舵を中央へと戻した。
「当て舵。右一〇度のところ」
「当て舵」
大型艦船は舵を戻したところで簡単に旋回をやめてはくれない。当て舵と言って反対へちょっと舵を切ってやらないと、艦首を真っすぐと行きたい方向へは向けてくれないのだ。
航海長の当て舵で見事に<ペーター・シュトラッサー>は、旗艦<ウルリヒ・フォン・フッテン>を追い始めた。
上空にはまだ白と灰の塗り分けをした日本機がいっぱい飛んでいた。だが爆撃も雷撃も見事に回避してみせた<ペーター・シュトラッサー>を攻めあぐねているのか、対空砲火の射程にすら入って来なかった。
「上空、敵機」
見張員が戸惑っているような声で報告した。まだスポンソンに出ていたマイヤー艦長は上空を振り仰いだ。
たしかに<ペーター・シュトラッサー>上空に敵機が侵入しつつあったが、たったの三機である。<アンモーツ>と思われる三機は航空魚雷と思われる白くて細長い物体を吊り下げていた。だが雷撃機ならば低空へと下りて来るはずである。しかし、あれらはそれどころかどんどんと高度を上げて行くばかりだ。
「なんだ?」
さすがにマイヤー艦長も呆けたように見上げるばかりである。対空砲もあんな高さまでは届きはしない。艦上に居る者すべてが見上げる事しかできなかった。
と、見ている前で、中央の一機のお尻から白い煙が噴き出した。事故か故障で火でも噴いたのかと思ったが、そうではないようだ。
艦から見上げている乗組員からも分かるぐらいにみるみると速度が上がっていた。
マイヤー艦長はそれを見たことがある。空母<ドクトル・エッケナー>に搭載されたメッサーシュミット二六二F<カイヤン>が発進する時に使用する離艦補助推進ロケットの煙によく似ていた。
どうやら上昇力が足りなかったらしく、強引に外付けのロケットエンジンの力を借りている様である。(注271)
「あの高さから急降下爆撃か?」
たしかに爆撃は高度が高ければ高いほど威力が上がる。重力に引かれて落ちるうちに音速すら突破できるであろう。
ただ射的などをしたことがある者なら分かるだろうが、的へうまく当てるならば、なるべく近づいた方がいいのだ。
急降下爆撃では、その中間を取って六〇〇〇メートルぐらいから急降下を始めて三〇〇メートルぐらいで爆弾を投下する。途中でエアブレーキを開くのは、機体が限界速度を超えて空中分解をしないようにするためだ。これで機体の方は守られるが、爆弾の威力は減衰してしまう。だから急降下爆撃より水平爆撃の方が威力は高くなる。
「二五パーセントか…」
空母艦長として太平洋の戦いを学んでいたマイヤー艦長は呟いた。英国の超弩級戦艦<プリンス・オブ・ウェールズ>を攻撃した日本の基地攻撃隊は、水平爆撃で驚異的な命中率を記録した。三パーセントも当たれば世界平均と言っていい水平爆撃の世界で、八発中二発命中という驚異的な数字だ。世界平均からすれば一〇倍の数値だ。
これが紙の上での計算だけならば全弾命中させることもできるが、実際の戦場では風が吹き、潮が流れている。それにより攻撃側も被攻撃側も計算できない動きをするし、また落下していく爆弾も途中で不規則に軌道を変化させるのだ。
「まさかな…」
そうマイヤー艦長が呟いた時だった。<ペーター・シュトラッサー>の真上まで来た<アンモーツ>が、腹に吊っていた魚雷のような物を投下した。
「両舷原速」
攻撃があるなら回避するのみだ。一発のみの爆撃とはいえ、敵弾が迫っていた。
「面舵、面舵、面舵…」
マイヤー艦長はスポンソンで上空を見上げながら腕を回し始めた。操舵員が先ほどまでの回避術と同じように舵輪を面舵へと回した。
投下された爆弾は四つの翼を開いて弾道を安定させていた。みるみる速度が上がって迫って来るのが分かる。おそらくもう音速近くまで速度は上がっているのではないだろうか。この高度だと、まだ命中するかどうか分からないので警戒を怠ることはできなかった。
おおよそ高度二〇〇〇メートルあたりで、お尻が魚雷のスクリューのようにポンと開いた。それがエアブレーキとして作用したのだろう。加速はそれ以上しなくなったが、弾頭が円を描くように揺れ始めた。
あんなに揺れたら当たる物も当たらないだろうと安心すらできそうだ。
だが、そんな感想とは別に、その見慣れない爆弾は真っすぐ<ペーター・シュトラッサー>に、しかもアイランドに向かって落ちてきていた。
「面舵一杯!」
たまらずマイヤー艦長は艦橋内へ向けて怒鳴った。すでに同じ回避術に慣れていた操舵員は、艦長の顔が向いた時には舵輪を回しきっていた。
グーッと右へ旋回して避けようする<ペーター・シュトラッサー>へ、新型の爆弾が落下して来た。
「ちくしょう。誘導されている!」
空軍が試作を重ねている様々な誘導兵器の事は耳に入っていた。あれらは巨人機で運用される物だと聞いていたが、どうやら日本海軍は艦上機で運用できる誘導爆弾の開発に成功したらしい。(注272)
艦長の叫びで空の見えない部署の乗組員も、これから何が起きるのかを察する事ができた。
爆弾はアイランドと一体化された煙突へと飛び込んだ。煙路をまっすぐ駆け下りた爆弾は、防御甲板の位置に巡らされている装甲格子に喰い込むと、そこで信管を作動させた。
これが普通の弾頭ならば爆圧のみが主罐を襲っただろうが、命中した爆弾は成形炸薬弾であった。メタルジェットとなったライナーが格子の間を抜け、高圧蒸気を発生させるために運転中だった主罐を襲った。
瞬時に煙突真下に位置した四基の主罐が、空気を入れすぎた風船のように破裂した。罐室には金属が溶ける温度の火炎が荒れ狂い、罐員で生き残れた者はいなかった。
爆発の威力は隔壁を破裂させ、隣の主罐をも巻き込んだ。こうして合計一二基ある主罐のうち半分の六基がたちまちのうちに使用不能となった。
隔壁と艦底と四方を閉ざされている罐室で起きた爆発の威力は、残った方向である上部へと向かった。
逆流するように煙突を駆け上がった爆炎は、周辺の施設を破壊しながら最上部のキャップから噴き出した。
しかも普段ならば一二基分の罐の煙を吐き出すのにじゅうぶんな断面積を持つ煙突であったが、爆発の火煙を噴き出すのには容量が足りなかった。
外へ抜けることができなかった爆圧は、あるものは煙路を逆流し、あるものは艦内の吸排気システムへと押し寄せた。
各船室に取り付けられた排気口から火炎が蛇の舌のように噴き出した。
その頃には爆発の衝撃で、艦内で立っていられた者は誰もいなかった。トランポリンのように上下に揺れた床に足を取られて、転ぶだけでなく壁や機器にぶつかって怪我をする者も多かった。
「消火を!」
艦橋を含む上部構造物のアチコチも燃え上がっていた。格納庫と主罐室は防御甲板で隔てられていた。が、煙路を逆流した火炎が格納庫へと噴き出していた。そこへ置かれていた航空機も弾薬も燃料も、整備員さえも燃え上がっていた。
排水量三万トンの空母<ペーター・シュトラッサー>は、たった一発の爆弾で満身創痍となってしまった。
あらゆる舷窓や空気取り入れ口などの開口部から火煙が噴き出し、轟々と燃え上がっていた。
日本軍機も、もうこれ以上攻撃の必要は無いと判断したのか、小さな群れごとに集まり始めた。どうやら引き上げてくれるようだ。
これでドイツ機動部隊の空母が二隻脱落。そらあドイツが誘導兵器を使用するなら、帝国海軍だって誘導兵器を使ったっていいわけです。使用したのは「ケ号吸着爆弾」のつもり。この新兵器は実際に帝国❝陸軍❞が開発していた兵器であります。この世界では陛下の仲裁によって陸海軍が仲直りしているという設定なので登場は不自然では無いと思うのですが。
もちろん乱射して敵艦隊全滅でもよかったのですが、そこは貧乏性な日本軍。使用は控えめにさせていただきました。