表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦艦<ヤマト>を撃沈せよ  作者: 池田 和美
7/13

戦艦<ヤマト>を撃沈せよ・⑦

 ルーデル閣下による二回の攻撃に見事に耐える戦艦<ヤマト>!

 そうでしょうそうでしょう。我らが<ヤマト>が航空攻撃程度で沈むわけがない(史実に目を瞑りながら)

 この程度で沈む艦なら、惑星間弾道弾の攻撃で蒸発していたに違いない!(それ、別の<ヤマト>)

 戦闘は一日で終わるわけも無く、そして空だけで繰り広げられるだけではありません。どうなる帝国海軍。どうなる戦艦<ヤマト>



●インド洋アラビア海ラッカジブ諸島北西海域。ドイツ機動部隊本隊:1948年4月19日1650(現地時間)



 今日最後の攻撃を行った攻撃隊を収容したドイツ機動部隊は、昨夜と同じように針路を北へと取った。理由は同じで日本海軍の軽艦艇による夜襲を避けるためであった。

 整備員に助け出されるようにしてユンカース一八七C<スツーカ>のコクピットから空母<ペーター・シュトラッサー>の飛行甲板へ下りたルーデル大佐は、早速パイロットたちに作戦会議室への集合をかけた。

 目標である<ヤマト>撃沈は叶わなかったが、今日の攻撃はこれ以上無理である。どの艦上機も酷使され、修理が必要となっていた。

 特に日本艦隊の輪形陣へ突入した<スツーカ>もフォッケウルフ一六七<アイバトス>も穴だらけであった。

 普通の対空砲火ならばこんな被害は考えられない。だが確信を持ってルーデルは原因を推測できた。

近接信管(マギー・ジッヘル)か?」

「おそらく」

 忙しいはずの整備長がじきじきに格納庫から飛行甲板まで顔を出して被害報告をしてくれた。作戦会議室まで整備員の肩を借りて移動していたルーデルは、一向に良くならない天候を気にしながら、木甲板の上で彼の話しを聞くことにした。

 今までの対空砲は、敵の航空機に向けて砲弾を撃ち出すだけの、いわば高い仰角がかけられるだけの大砲や機関砲であった。だが、それでは三次元的に動ける航空機に命中することは難しく、砲弾には時限信管を取り付け、直撃しない場合でも発射地点からある程度の空間で砲弾が自爆し、その爆圧や破片で航空機に損害を与えるようになっていた。

 だが動く敵機に対して大体の空間でしか自爆させられず、効果はとても低い物であった。目標にされて突っ込んでくるならば、相手の見かけ上の大きさで距離が凡そ推察できるので効果が「期待」できる程度の物だった。

 だが、これが近接信管ともなると話しが違ってくる。砲弾自らにレーダーを積んでいるような物だ。直撃しなくても目標からある程度の距離に近づいた段階で確実に信管が作動し、砲弾が自爆する。これならば敵機に損害を確実に与えることができる。

 先の欧州戦争でも使用されたが、本来は激しい日本機動部隊の空襲に対抗するために連合軍が開発した新兵器であった。

 もちろん製法など詳しいデータはいまだ連合軍の極秘事項であり、ドイツ軍でもまだ機関砲の砲弾に取り付けられるほど小型化が進んではいなかった。かろうじて対空砲の砲弾に採用されて、各艦船の弾薬庫に用意はされていた。だが一発当たりの値段が相当な物であるので、ここぞという時まで温存される傾向にあるようだ。

 それを日本艦隊は気前よくバンバン撃ちまくったことになる。日本には安く製造できる方法があるのか、それともルーデルたちドイツ空母航空団と戦う事が「ここぞという時」と判断されたのか、どう捉えるか迷うところであった。

「まあ、好敵手と取られていると思って間違いないでしょう」

 整備長が苦笑のような物を浮かべて言った。

「それと爆弾ですが…」

 次に報告されたのは、ルーデルが行った二回目の攻撃時の時に起こった<スツーカ>の不思議な挙動についてであった。

「どうやら対空砲の弾片を投下装置に喰らったようです。あれだと急降下する前に爆弾は落ちてしまったのではないでしょうか」

「ああ。部下からも、そう報告があった」

 自分の機体の腹など搭乗員からは見えない位置である。二回目の攻撃時についてきて生き残った部下からルーデルの<スツーカ>があの時どうなっていたかの話しは聞けていた。

 対空砲の至近弾を食らった時に爆弾は半分外れかけ、続いて敵機との衝突を避けた時に虚しく海面へと落ちたと報告されていた。(注216)

 それでも敵に突撃する航空団司令の勇姿に部下たちは勇気づけられたそうだ。

 まあ戦線後方の戦闘指揮所でふんぞり返って命令だけ出す他の上官とは明らかに違うのがルーデルの良いところ(ついでに悪いところでも)あった。

「それで。どれだけ明日は使えそうか?」

「他の空母は分かりませんがね」

 油まみれになったままの手で頭を掻きながら整備長は整備や修理が完了できそうな機体を報告した。

「<スツーカ>と<テレーザ>が半分、<アイバトス>が三分の二ってトコですかね」

 今日の攻撃が急降下爆撃主体で行われた事を証明するような数字であった。雷撃任務もこなすフォッケウルフ一六七<アイバトス>の数が多いのは索敵任務で攻撃に参加していない機が多かったからであろう。それでも全機無事ではないのは、索敵任務だって命がけという事だ。

 単独で飛んで行った先に敵艦隊の直掩機が待ち構えていたら、空中戦が不得意な<アイバトス>の運命がどうなるか素人でも推察がつくというものだ。

「おそらく他の空母も似たような感じじゃないですかね。あ~っと<プファイル>はアテにしない方がいいかと。ただでさえ数が少ないのに、今日だけで半分は帰ってきていません」

「では直掩任務に回した方がより賢明か」

 戦闘機のことは分からないと(うそぶ)くルーデルであったが、機材の調整も彼の権限の内だ。数少ないドルニエ三三五C<プファイル>をどう使うかは彼の裁量にかかっていた。

「となると…」

 風が吹き抜ける飛行甲板からルーデルは旗艦の方向を睨みつけるように見た。同じ方向に赤い艦体をした<フォン・リヒトホーフェン>が波を切り裂くように進んでいた。

 その飛行甲板上に灰色をした塊のように見える空軍の『秘密兵器』が並んでいた。

 どうやらルーデルが好むと好まざると関係なしに、明日はあの『秘密兵器』を使用しなければならないようだ。

「あれ。役に立つのかな?」

 地上部隊の頃からの長い付き合いである整備長に訊ねると、彼は黙って肩を竦めた。



●インド洋アラビア海ラッカジブ諸島北東海域。ラッカジブ海:1948年4月19日1703(現地時間)



 一日中、ドイツ機動部隊の空襲を受けた日本艦隊であるが、堂々とした進軍は止まることは無かった。ただ、翌日も続くだろう空襲に備えて針路は一時的に南南東に向けられていた。

 いまだ戦闘力を失っていない艦隊は、大きく分けて三つのグループに分かれていた。

 第一は、今のところ世界最強を自認する空母機動部隊である。航空機の離発着のために空母自体の足が速いため、それを取り巻く護衛艦たちも高速艦で固められていた。

 全体の中央にいるのは全ドイツ軍の目標となっている<ヤマト>を主力とする水上戦闘部隊であった。戦艦としてけっして鈍足ではない<ヤマト>であるが、最高速度四〇ノット(約時速七四キロ)を超える空母部隊ほどの速力は出なかった。よって彼女を輪形陣で取り囲む護衛艦たちも、水上艦同士の戦いならば実力が期待できる(つわもの)たちで固められていた。

 そして第三のグループは陸上部隊を載せた輸送船団と、それを守る護衛艦で形成されていた。

 輸送船は、官民の違いなく主に航行能力で選ばれた船であった。しかし、当たり前の事だが国内で使用される貨客船などに比べて速度は出るものの、軍艦ほどの派手な性能を持つものは一隻として無かった。船団を組む以上、なるべく同じ性能を持っている事がより好ましいが、海軍の特務船やら日本郵船の所属船やら雑多な船の集まりであった。よって速度もバラバラで、あるものは全速でも九ノット(約時速一七キロ)が限界であり、またあるものは空母並みの二七ノット(時速五〇キロ)を出せるものもいた。

 敵であるドイツ海軍が潜水艦戦を得意としている以上、なるべく高速で移動した方が、輸送船が襲撃される可能性が低くなる。だから船団の速度は高速船にあわせ…、られるわけもない。九ノットしか出ない船はどう頑張ったって九ノットしか出ないのだ。

 よって船団の速力は一番遅い船に合わせられることになっている。

 しかも潜水艦による襲撃を警戒し、之字運動(ののじうんどう)と呼ばれるジグザグを繰り返す航法で進んでいるのだから、より遅くなるのだった。

 A点からB点まで真っすぐ進むのならば、出せる速力の九ノットで移動できるが、之字運動をすると余分に左右に舵を切ってジグザグに進むことになるので、より遅く到着する事になる。だいたい地図上での見かけの速力は、平均で実際の速力の三分の二ほどになってしまう。

 もちろん最高速度が四〇ノットを超える空母機動部隊と連携を取っているとはいえ、速力があまりにも違いすぎた。

 よって日本艦隊は三つの輪形陣の内、より高速な部隊であるほど、余分にジグザグな航路を取って全体の足並みを揃えていた。(注217)

 午後早くに空母部隊はドイツ軍の根拠地となったゴアを空襲可能圏内に収めるところまで前進したが、何もせずに南下してきたのもそういった足並みの問題からであった。

 その鈍足で、軍艦の乗組員からは何かと足手まといと思われている輸送船団に、実は招かざる客が紛れ込んでいた。

 もちろん海上に堂々と姿を晒して航行していれば、輸送船を十重二十重に囲む護衛艦にたちまち捕捉され、彼らの装備している対空砲兼用の主砲に穴だらけにされてしまうだろう。

 そうではなく黒い艦体は水面下にあった。

「先行する輸送船。舵が変わります。右に一〇度」

 出港以来、潜航中は席から離れようとしないソナー員が、被っているヘッドホンへ両手を当てながら報告した。

「面舵一〇度のところ」

 すかさず発令所に詰めていた艦長のミヒャエル・ボック大尉はすかさず転舵を命令した。発令所にある席に座って舵輪を握っている操舵手が、船のコンパスを睨みながら右へと舵を切った。

「面舵一〇度、ようそろ」

「針路固定されます」

「舵、戻せ」

 ソナー員の報告のままにボック艦長が操舵員に命令した。が、出来の良い彼の部下はソナー員の報告と同時に舵を戻していた。

「舵中央」

 進路が安定すると同時に発令所へ副長を兼任している先任将校が顔を出した。

「感づかれましたか?」

「いや、時間からして之字運動の変針だろう」

 ボック艦長は発令所の壁にある時計を確認した。ちなみに日本海軍が二〇種類ほど設定した之字運動はドイツ海軍の情報部の努力の結果、どのようなタイミングでどのように変針するか全て解析されていた。それどころか各艦の艦長あてに分かりやすいようにハンドブックが配られているほどであった。いま追尾している船団の之字運動もその例に漏れておらず情報部が「七番のB」と分析した運動と全く同じであった。(注218)

「交代の時間か?」

「まだ一五分ほどありますが」

 ボック艦長が指揮する潜水艦<U・二五六三>が日本艦隊に紛れ込んで、もう四日目の夕方になる。ボック艦長は乗組員の疲労が蓄積しないように、艦内の態勢を通常時に近い二交代制にしていた。

 四日間も発見されていない事には、もちろんカラクリがある。当初<U・二五六三>はコロンボ沖で日本艦隊が出現する網を張っている狼群(ヴォルフ・パック)の一隻であった。

 そして待ちかねていた通り港から大艦隊が出現した。

 日本側も無防備で出港してきたわけでは無かった。それまで執拗な対潜掃討が繰り返され、<U・二五六三>も何度か危ない目に遭った。

 しかし幸運にも<U・二五六三>は、日本艦隊の輪形陣の中へと潜り込むことに成功した。どうやら同じインド洋を縄張りにするモンスーン戦隊に所属する別のUボートが発見されたようだ。日本艦隊はそちらのUボートを制圧するために、爆雷やら銃砲撃やらを撃ち込んだ。そのせいで海面も海中もかき回され、反対側から艦隊に近づいていた<U・二五六三>のスクリュー音は探知されなかったようだ。

 残念ながらボック艦長は、狙われたUボートがどうなったかは把握していなかった。圧壊音や爆発音などは<U・二五六三>のソナーに捉えられていないので、無事に避退する事ができたと信じる事しかできなかった。

 普通ならば輪形陣の内部に潜水艦が入り込んだらやることは一つだ。その夜にでも、一隻か二隻の獲物に魚雷をぶち込んで逃げ出すのが定石のはずだ。

 だがボック艦長は安易に攻撃を開始しなかった。なにせ大ドイツ本土のベルナウにある潜水艦隊司令部からは、耳が痛くなるほどに「目標は<ヤマト>だ」と聞かされていたからだ。

 よって必殺の瞬間が来るまで、ボック艦長は日本艦隊に尾いて行くことにしたのだ。

 それは今までの潜水艦ならば絶対に無理な話であった。なにせ水中速力が出せて七・六ノット(約時速一四キロ)で、しかもこれは瞬間最大の値であって、この速度でいつまでも航行できるわけではなかった。

 潜水艦の動力は電池に貯め込んだ電力しかないのだ。水中で酸素を取り込むことができないので、既存のどのエンジンも動かすことができないからだ。酸素が無いので電池で動くモーターが頼りだった。

 だが<U・二五六三>を含むXXⅠ型潜水艦では話しが違った。

 水中に居ながら空気を得る方法…、シュノーケルを装備し、さらに艦体自体も水中運動に適したラインに成形されていた。

 そういった新機軸の設計に寄り、XXⅠ型潜水艦では水中速力が一七・五ノット(約時速三二・四キロ)まで出せるようになっていた。

 四日間も見つからないで潜航し続けられるのも、新方式のシュノーケルのおかげである。

 さすがにシュノーケル使用時は、水中で受ける抵抗が大きいので六ノット(約時速一一キロ)まで落ちてしまうが、電池へ充電が終わってすかさず潜れば、全力を出さずとも輸送船に追いつける速度だ。

 もちろんシュノーケルだって万能ではない。海面から出さないと空気を吸う事が出来ないという事は、水上艦の乗組員に目撃される可能性があるということだ。

 だがボック艦長は、輸送船の航跡の中に<U・二五六三>を置くことで発見を免れていた。

 護衛艦に守られている輸送船では、真面目に周囲を見張りしていないだろうという読みだ。それより潜水艦の襲撃を避ける之字運動に慣れていない船員が多い事から、そちらへ気を取られてまともに海面を見ていないはずだ、と。

 今のところ、このボック艦長の読みは当たっているようだ。三つある輪形陣の内、最後尾の物に潜り込み、二列縦隊で進む輸送船の後ろについて潜航している<U・二五六三>が、シュノーケル航行をしていても日本側が発見した様子はなかった。

 しかも航跡の中だとアクティブ・ソナーも通りづらく、抜き打ちで周囲を護衛艦が警戒行動をした時も発見を逃れていた。(流石にその時はシュノーケル航行ができなかったが)

 唯一の欠点は、シュノーケルが波を被るたびに、一方弁が閉じて気圧が高まり、内耳から不快感が沸き上がる事だ。これが定期的に起こるのでもだいぶストレスになるが、不定期に起こるから余計に負担となる。

 しかしそれも、これだけ安全な場所から抜け出す理由にはならなかった。

 潜航中の潜水艦には外を知る方法はあまりない。ほぼ一〇〇パーセントソナーによる聴覚だよりと言う事になる。まあ見つからないよう夜間に潜望鏡を上げて星の位置を確認するぐらいはしたが。(注219)

 四日間もほぼ聴音だけで行動していても、データを積み重ねて行けば段々と見えてくる事もある。

 ドイツ機動部隊の空襲を受けた日本艦隊であるが、被害は軽微であるようだ。戦艦<ヤマト>を沈めることに拘った攻撃隊は、三つある輪形陣の内、中央の物しか攻撃しなかった。

 着弾の瞬間にインド洋全体に轟くような爆音が鳴り響いたが、それ以上に目立った損害を受けていないように思われた。

 途中、駆逐艦が一隻だけ落伍したが、おそらく<ヤマト>を逸れた爆弾か魚雷を受けて損傷したのであろう。(注220)

 そして彼らの不思議な習性も掴んでいた。

 どうやら他の輪形陣に所属する駆逐艦が、順番にこの三番目の輪形陣へと訪れるようなのだ。

 一隻だけというのは稀で、必ず三から四隻という単位でやってくる。やってきて決まった輸送船の後ろについて、しばらく縦走するのだ。

 この不思議な習性も、決死の覚悟で海面から上げた潜望鏡が謎を明かしてくれた。

 海面ギリギリで波を被る視界に映った風景は、なんと油槽船から駆逐艦へ洋上給油している風景であった。

 これこそが日本艦隊の軽艦艇が根拠地から遠い海上で作戦できる秘密であった。

 しかもドイツ海軍ならば漂泊して行うところを、続航しながらである。ドイツ海軍でも数少ない腕利きの駆逐艦艦長と油槽船船長のペアならば航行しながら洋上給油ができるかもしれないが、彼らは当たり前のようにこなしているのである。しかも碌な人員が配置されていないであろう輸送船の護衛艦まで平然とそれをこなしていた。

 さらに言うならドイツ海軍ではお互いが横並びの、いわゆる「並走」して洋上給油を行うが、日本海軍は縦に並んでの洋上給油であった。

 彼らの船乗りとしての熟練度がどれだけ高いのか証明するような出来事であった。

「そろそろかな?」

 ボック艦長はそこに付け入る隙があると考えていた。

「そろそろ?」

 コンビを組んでまだ一年ほどしか経っていないが、自分の艦長が飛んでも無い事を言い出す事には慣れっこになっていた副長は、それでも背中の当たりに嫌な予感を感じながら訊き返した。

「ソナー。そろそろ日本艦隊の洋上給油が終わる頃じゃないか?」

「あ~、そうかもしれませんね」

 ソナー員は、まるでラジオを聞き流している学生のような態度で言った。ボック艦長にはそれがとても頼もしく見えた。しゃかりきになって器材に取りついている兵の姿も好ましいが、死地を死地と捉えず通常任務の延長線として向き合っているような気がして安心するのだ。もちろん緊張は大事だが、そればかりでは兵たちの体がもたないだろう。

「その駆逐艦の艦種を聞き分けてくれ」

 それが今夜のメニューを当てろとばかりの軽い調子でボック艦長は命じた。だがいつもと違ってボック艦長に本気の眼光を感じたソナー員は、姿勢を正して器材に向き合った。

「推測しかできませんが、それでいいですね?」

「ああ、かまわん」

 ソナー員のダメ押しにボック艦長は大きく頷いた。

「なにを考えていらっしゃるのです?」

 副長は不安のあまり黙っている事ができなかった。司令塔に詰めている乗組員たちも同じ意見だったらしく、手元を見ていなければならない配置の者以外は、全員がボック艦長を見ていた。

「我々の獲物へと案内してくれる先導役を探すのさ」

「先導役?」

 不思議そうに訊き返す副長には返事をせず、ボック艦長はソナー員の返事を待った。

 より集中するためかソナー員は目を閉じて、目の前にあるハンドルを回して索敵方向を調整していた。

 もちろん輸送船の航跡に隠れているので限界はある。パッシブ・ソナーが拾う音の大部分が<U・二五六三>を守ってくれている輸送船のスクリュー音だ。

 だが四日間の積み重ねで、少しは航跡の泡の向こうが窺えるようにはなっていた。

 ソナー員が周囲の様子に耳をそばだてている間に、ボック艦長は艦のコンディションを確認した。呼吸用の空気もタンクに一杯、電池への充電も一杯であった。

「左舷遠くにD級護衛艦。これは輪形陣の外側の艦…。右舷二時方向…。これは隣の列の輸送船…」

 ブツブツと呟きながらクルクルとソナー員は銀色のハンドルを回していった。

「これは? 二軸…、高周波。高速用のスクリュー? …艦長。おそらく右舷四時方向遠方に、A級駆逐艦が複数。今までこの輪形陣にいなかったやつです」

「それだな」

 ニヤリと笑ったボック艦長は副長を振り返った。

 ドイツ海軍がA級駆逐艦と類別しているのは、カゲロウ級駆逐艦のことであった。連装砲を前甲板に一基、後甲板に二基備えている駆逐艦だ。そして艦中央部には四連装魚雷発射管を二基持つ雷撃戦用の高速駆逐艦であった。

 だが高速駆逐艦であっても、空母の護衛艦とは考えづらい駆逐艦でもあった。A級駆逐艦に搭載している連装砲は、対空射撃もいちおう可能ということになってはいるが、基本は平射用の砲…、つまり敵機では無く敵艦を撃つための砲なのだ。

 空母には直衛艦として専用に設計建造されたB級駆逐艦をあてるはずである。B級駆逐艦は太平洋の戦いで活躍したアキヅキ級駆逐艦の事であり、前期艦と後期艦に分かれる。後期艦は、その前期艦を拡大改良した大型の駆逐艦であった。

「よし。海上はそろそろ夕方のはずだ。晴れていれば夕焼けが見られる事だろう」

 ボック艦長は発令所のパイプが走る天井を見上げて言った。夕方の時間帯は人が物を見分けづらい時間帯であることに、洋の東西は無いはずだ。

「一丁、見物といくか。潜望鏡よーい」

「どちらにします?」

 艦長の号令に副長が訊き返した。潜水艦には昼間用と夜間用の二種類の潜望鏡がある。そのどちらにするかの選択を訊いているのだ。昼間用は太陽光があるので遠くまで見られるように望遠レンズに、夜間用は星明かりでも海上の様子が分かるように広角レンズになっているのだ。

「昼…、いや夜間用にしよう」

「夜間用潜望鏡」

 副長がすかさず命令を付け足した。

「潜望鏡用意よし」

 油圧装置担当の水兵が、小気味が良いほどの受け答えをしてくれる。

「潜望鏡上げ」

「潜望鏡上げます」

 発令所の床から音を立てずに潜望鏡がせりあがって来る。ボック艦長は被っていた制帽をクルリと後ろ向きにすると、接眼鏡へ取りついた。

「上げ止め!」

 覗いてすぐに失敗を注意するような鋭い声を立てる。いくら敵が警戒していない航跡の中だろうと、ボーッと潜望鏡を立てていい場所ではないからだ。

 ボック艦長の視界の半分は、まだ海中にあるような状態だった。

「ちぇ。曇ってやがる」などと呑気なボヤキとも取れる言葉を口にしながら、ボック艦長は手元のハンドルを握って、体重をかけるようにして潜望鏡を押した。

 ボック艦長の体と一緒に潜望鏡が反時計回りに回り出した。

「潜望鏡下げ!」

 クルリと一周させただけでボック艦長は潜望鏡の格納を命じた。

 床へと沈んでいく潜望鏡から離れると、目を閉じたまま海図台の方へと歩み寄って来る。おそらく今見た風景を、固いパンを咀嚼するように頭の中で分析しているのだろう。

「正面二〇〇に輸送船。こいつは世話になっているやつだ」

 そこは心得ている副長。海図台に置いた石板の中央に<U・二五六三>を示す木の葉のようなマークを、艦長の言葉通りに前方にあたる場所には輸送船を示すマークを、チョークで描きこんだ。

「九時方向一五〇〇にD級護衛艦。こいつはずっと並走している俺たちに気が付かないマヌケなやつだ」

 どうやらソナー員の耳は確かなようである。副長は石板の左端に護衛艦を示す木の葉を足すと、距離を書きこんだ。

「後方六時方向八〇〇に同じD級護衛艦」

 ボック艦長の言葉にサッと発令所内が緊張した。その護衛艦の位置は四日間で初めて聞かされる物だったからだ。いくら優れたソナーでも、自分の後方までは聴音可能域に含んでいなかった。なぜなら自分のスクリューが回る音で他の音がかき消されてしまうからだ。

 六時方向つまり背後にいるという事は、こちらに気が付いて沈めようと近づいて来たのかもしれなかった。

「こいつは左舷方向へと移動中。どうやら隣のマヌケと場所を交代するつもりのようだ」

 ボック艦長の言葉に安堵の溜息が溢れた。副長も自身を安心させようと何度も頷きながら、石板へ木の葉を描き足し、さらに矢印で左方向へ移動中を示した。

「四時方向一〇○○に油槽船と一緒に駆逐艦。おそらくA級が一隻。艦種不明がもう一隻。たぶん洋上給油を終えて片付け中」

 副長が三つの木の葉を描き足した。

「二時方向三六〇に輸送船。こいつは隣の列だな。そんなところだ」

 ボック艦長は目を開くと、副長が書いた動静図を覗き込んだ。もちろん輪形陣を形成する艦はこれだけではないはずだが、近くに存在する敵艦さえ分かれば特に問題は無いはずだ。

「このA級駆逐艦について行く」

 ボック艦長の指が右斜め後ろのマークの上に置かれた。

「危なくないですか?」

 副長の確認にボック艦長は苦笑のような物を浮かべた。

「そりゃあ危ないさ。でも俺たちはこの巣穴で時間を潰すために、はるばる大西洋から来たのではないのだぜ」

「まあ、そうですか」

 自分の職責を思い出した副官は大きく頷いた。

「それでは諸君」

 まるで舞台劇の俳優のようにボック艦長は振る舞った。

「残念だが安寧の時は終わりだ。総員配置に就け」

 これが水上艦ならば壁にかかっているブザーが鳴って、総員戦闘配置の号令を知らせるのだろうが<U・二五六三>は潜航中の潜水艦なのだった。まるで伝言ゲームのように艦内へ口伝てに総員戦闘配置が伝えられて行き、足音を殺した乗組員たちが右往左往するように艦内を走り回った。

「発射管室よし」

「機関室よし」

「電池異常なし」

「発令所よし」

 連合軍との戦いで大西洋や地中海で暴れまくった前の型であるⅦC型潜水艦と比べて約二倍の大きさがあるXXⅠ型潜水艦であるが、それでも全長は一〇〇メートルもない艦だ。全部署に人員が配置されるのだってあっという間だ。

「よし、シュノーケル航行止め。潜航、深度三〇。電池並列、機関強速」

 ボック艦長の号令に従い<U・二五六三>は海の狼としての姿を取り戻したように機敏に反応した。

「吊り合いタンク、注水」

 各バラストタンクを管理するベント員が大きなレバーを入れて前部吊り合いタンクから空気を抜いた。床がはっきりと分かるように前へと傾き<U・二五六三>は潜望鏡深度から下へと深度を取った。

 それでも頭の上で輸送船のスクリューが回っているのである。輪形陣外側でソナーに耳を傾けている護衛艦からは、まだ探知はされないはずだ。

「深度一五、二〇、二五…」

 操舵員が進んでいく深度計の針を読み上げる。

「吊り合い(タンク)シュラーク」

 副長の号令で水深三〇メートルに達する前に吊り合いタンクへ空気が送り込まれた。

 それに合わせて操舵員も縦舵を操る舵輪を水平へと戻した。

 床の傾きが徐々に直っていく。部下の完璧な操船技術に満足したのか、ボック艦長は大きく頷いた。

「けっこう」

 いまや真上あたりで海水をかき混ぜる音がする以外は、いつもと同じ戦闘準備ができた発令所であった。

 今までの惰性で<U・二五六三>は沈み続け、深度計の針がぴったり三〇のところを指して止まった。

「速度そのまま、針路を右舷一時へ」

「右舷一時了解」

 操舵員は握る舵輪を右へと回した。

「針路一時に入ります」

「舵、戻せ」

「艦体が輸送船の航跡から出ます」

 いくらか真剣な顔つきになったソナー員が報告を上げる。

「ピンガーはあるか?」

 アクティブ・ソナーの高周音が潜水艦の艦体を叩けば、ソナー員以外の者でも分かるはずだ。それをわざわざ訊いたという事は、輪形陣の外側に位置する護衛艦の様子を訊ねているのだ。

「ありません…、ですが、今までついていた輸送船が舵を左に切ります」

「感づかれましたか?」

 副長の不安そうな言葉に、ボック艦長は壁の時計を指差した。

「変針の時間だ。定刻通りだ」

 二列の輸送船団は之字運動の決められた時間が来たので、船列を左に…、取舵に切ったようだ。このおかげで<U・二五六三>は左列から右列への移動時間が短縮された。左列の輸送船が取舵で離れていく代わりに、右列の輸送船が同じ舵で近づいて来るという寸法だ。

 四日間も聞こえていたスクリュー音が遠ざかり、前方に別の音が聞こえ始めていた。

 後方で洋上給油任務に就いている油槽船を除いて、右列の最後尾にあたる輸送船が近づいて来たのだ。

「新たなる目標、右舷二時の方向より接近。針路左舷十時方向」

 輸送船はたっぷりと腹に収めた物資のせいで足が遅くなっている。その速くない足で<U・二五六三>の針路を右から左へと横切ろうとしていた。

 これだけの深度を取っていれば、相手が戦艦でも衝突の恐れはない。ボック艦長は変針も変速も指示を出さずに、そのまま<U・二五六三>を直進させた。

「ここいらかな?」

 頭の中で海面と海中の様子を整理しているのか、眉を顰めたボック艦長の額に汗が浮き始めていた。

「針路、深度そのまま。無音潜航に切り替え」

「針路、深度よし」

「無音航行に切り替えます」

 この<U・二五六三>を含むXXⅠ型潜水艦には、三つの推進装置が装備されていた。一つ目は主機関たるディーゼル機関だ。シュノーケルを使用すれば、たとえ潜航中でも行動の自由は大きい。その次に、今まで使用していた電気モーターである。潜航中に使用するのは主にコレだ。シュノーケルを使用しなくても電池の残り容量がある限り、海中での自由を約束してくれた。そして三つめは同じくスクリューを回す動力であるが、無音潜航に使用するシングル整流子モーターを二基搭載していた。この無音潜航用のモーターだけでも六ノット(約時速一一キロ)は出せるようになっており、敵艦船に見つかった時などはコレを使用して抜き足差し足で逃げ出せることになっていた。

 もちろん凄い速度で動き回れるという事では無いが、発見されないことが潜水艦の最大の強みなのだから、こいつの存在価値は高かった。

 主モーターが止まり、艦内に静けさがやってきた。こうなると相手のソナーに聞きつけられないと分かっていても、乗組員同士の会話も囁き声のようになってしまう。

 無音潜航に切り替えた<U・二五六三>であるが、海中の一点に停止したわけではない。今まで強速で推進して来た惰性もあるし、また潜望鏡深度から潜って来た高低差もあるからだ。簡単に地上での例を挙げると、ペダルを漕ぎながら坂道を下って来た自転車と同じだ。平らな地面に至ってペダルを止めても、自転車は進み続けることが容易に想像できると思う。

 もちろん海中という事で水の抵抗があって、いつしか行き足は止まる。が、流線型をした艦体は最大限に惰性距離を稼いでくれるはずだ。

 頭の上をスクリュー音が右から左へと通過していく。右列の輸送船を無事にくぐり抜けたようだ。

 そのまま特にボック艦長は指示を出さない。新たな号令がかからないという事で、現状維持のまま<U・二五六三>は海中を直進し続けた。

「新たな音源」

 ソナー員が銀色のハンドルを回しながら警告を発した。

「右舷四時方向。高周波、二軸。おそらく駆逐艦です。向かってくる!」

 さすがの事態にソナー員は血走った眼でボック艦長を振り返った。真っすぐ向かってくるという事は、爆雷による対潜制圧態勢と考えておかしくないからだ。

「あわてるな」

 しかしボック艦長は少しもうろたえたりしていなかった。

「向こうのピンガーは感知したのか?」

「いえ…」

 さすがにこの距離でアクティブ・ソナーを打たれれば、ソナー員以外の耳にも外板をハンマーで叩いたようなカーンという音で感じ取れるはずだ。

「左十度へ変針」

「取舵、針路左十時。ようそろ」

 操舵員が、今度は左へと舵輪を回した。

「左十時に入ります」

「舵戻せ」

 副長の号令で操舵員が舵輪を戻した。

「よし、ここから大変だぞ。電池直列、速力最大!」

「電池直列!」

「機関全力!」

 今まで静かだった艦内に、自らの力強いスクリュー音が響いて来た。それと同時に駆逐艦の高いスクリュー音が背後からやってきて、頭の上で段々と速度を落とし始めた。

 海上と海中で、同じ針路を取った駆逐艦と潜水艦の追いかけっこだ。

 だが、やはり海上の駆逐艦の方が若干速いようだ。少しずつ頭の上から前へと音がずれ始めていた。

「追いつけませんな」

 副長が発令所の天井を見上げながら悔しそうに言った。なにせ水中速力が一七・五ノット出せるXXⅠ型潜水艦でも、本気になった駆逐艦には追いつけないのだ。

 海軍情報部が作成した日本海軍艦艇各艦の推測した要目によると、日本海軍A級駆逐艦は全速で三五ノット(時速六四・八キロ)も出るのだ。

 ただし今は輪形陣の中だからか<U・二五六三>があっという間に引き離されるほどの速度差は無い。おそらく本来所属する輪形陣へ向かって速力を上げている程度で、二〇ノット(時速三七キロ)ほどで航行しているようだ。

 これならば水中で全力を出している<U・二五六三>でも、なんとか尾いて行くことはできそうだ。

 先頭の駆逐艦に置いて行かれたが、すぐに二隻目の駆逐艦が背後から迫っていた。相変わらずアクティブ・ソナーを使用している気配は無い。まあ、この速度だとアクティブ・ソナーでも自艦の出す音で精度が悪くなるので、当たり前の事でもあった。同じようにパッシブ・ソナーも、波を掻き分ける音や機関音で役立たずになっているはずだ。

 同じことは<U・二五六三>でも言えるが、こちらは道案内についていく立場なので、まだ不便は無かった。頭の上から聞こえる音に合わせて操艦すればいいのだから。

 それに、この洋上給油を終わらせたと思われる駆逐艦隊は、真っすぐと自分の持ち場へ向かっているようで、左右へ余分な舵を切ることはしていなかった。

「そろそろ電池(容量)が半分になります」

 機関部の様々な情報が集まるメーター類を覗き込んでいた副長が心配げな声を出した。さすがにこんなに長い時間、水中で全力を出したのは<U・二五六三>が造船所で完成し、海軍に引き渡される前に行われる公試以来のはずだ。

 二隻目の駆逐艦にも置いて行かれ、三隻目の駆逐艦が頭の上に来ていた。

「ちょっと借りるよ」

 ボック艦長はそれでも新たな号令をかけずに、航海科の水兵に声をかけていた。彼が海図台の上に置いていた計算尺を取り上げる。どうやら頭の中だけでは計算が追いつかなくなったようだ。

「そろそろかな?」

 ボック艦長は首を傾げてみせた。熟考に熟考を重ねている割には明るい笑顔であった。

 三隻目のスクリュー音が前へと移動し、四隻目のスクリュー音が背後から迫っていた。日本海軍の編制として、駆逐艦は四隻で組むことが多いから、この列の最後尾という事になる。まあ、しばらくは四隻の駆逐艦の航跡で音波が乱された海域が続くはずだから、猶予はあるはずだ。

 その余裕がある内に、ボック艦長は次の号令をかけた。

「よし、機関停止。深度五〇。面舵一杯」

「機関停止」

 一番反応が早かったのは機関部だった。やはり目に見えて減っていく電池の残量が気になっていたのだろう。

「深度五〇アイ」

 操舵員が横舵の舵輪を前へと押し、縦舵の舵輪を右へと回した。速度が速いのでバラストタンクなどの注排水をしなくても艦の重さだけで沈んで行けるはずだ。

 ボック艦長はコンパスを眺めているだけで新たな命令を発しない。副長以下の乗組員たちが不安に思っている中<U・二五六三>は海中で螺旋を描くようにして、より深い位置へと潜って行った。

「深度五〇」

 横舵の舵輪を操舵員が戻す。それでもまだ<U・二五六三>は、あれだけ全速力を出した後なので歩みを止めないようだ。その証拠に右へ切りっぱなしの縦舵に従って回頭を続けている事がコンパスで分かるからだ。

 ボック艦長が新たな命令を出さないので<U・二五六三>は大きな円を描いて同じ場所へ戻って来てしまった。

「よし、針路固定」

「舵戻せ」

「ようそろ」

 縦舵が戻され<U・二五六三>はポツンと一隻だけで海中に取り残されたように漂っていた。

「無音潜航はじめ」

「ようそろ。無音潜航」

 スクリューが再び遠慮がちに動き出した。しばらく聞こえていなかった機械音に乗組員たちは安心感を得た。

「ソナー。そろそろ別の音源を捉えられると思うが?」

「まだ駆逐艦の航跡の影響が残っていますが、やってみます」

 再びソナー員が両手でヘッドホンを掴むような仕草を取って聴覚に集中した。発令所の全員が唾を呑み込むのすら遠慮して、彼の報告を待った。

「先ほどまでの駆逐艦どもは、針路を左に取ったようです。あと右舷遠くに新たな音源があります。四軸? 高周波? 大型駆逐艦?」

「四軸の駆逐艦なんて存在しますかね?」

 副長は日本海軍艦艇を識別する表を取り出した。そこには黒塗りで輪郭をはっきりさせた日本海軍に所属する各艦艇の外観と、推定される要目が記されているはずだ。

「駆逐艦じゃない」

 ボック艦長は断言した。

「駆逐艦たちを率いる小型巡洋艦だろう」

 日本海軍が駆逐艦を主力とする水雷戦隊の旗艦として軽巡洋艦を配備している事はすでに把握している事実であった。

「こいつですか?」

 副長があるページを開いて見せた。そこにはドイツ海軍の物とは違うシルエットをした軽巡洋艦が描かれていた。

「C級巡洋艦か。たしかにこいつが一番あやしいな」

 ドイツ海軍がC級巡洋艦と分類しているのは日本海軍で言うところのアガノ級軽巡洋艦のことであった。前期の四隻は六五〇〇トンクラスの小型巡洋艦として建造された。だが水雷戦隊旗艦として軽快であることに拘り過ぎて小さすぎたのか、後期の八隻は八五〇〇トンの少し大きな巡洋艦として建造された。

 その両方ともがスクリューが四つで、巡洋艦と駆逐艦の中間のような性格の艦であった。(注221)

 同じような巡洋艦はドイツ海軍も建造していた。ケルン級偵察巡洋艦と名付けられた小型巡洋艦がC級巡洋艦に要目も似ていた。使用目的も水雷戦隊の旗艦任務から、艦隊に近づく軽艦艇を追い払う護衛任務と、似てはいた。

 全部で一〇隻建造されたC級巡洋艦の内、二隻が機動部隊の護衛についてインド洋に来ているはずだ。

 水雷戦隊旗艦という事は防空任務が主の機動部隊では無く、水上打撃戦が主の戦艦部隊のお供であることが多かった。ちなみに直衛艦を集めた空母の護衛部隊ではD級巡洋艦と分類した対空能力が高い軽巡洋艦が駆逐艦隊の旗艦を務めることが多い事も情報部は掴んでいた。(注222)

「よし、そいつがコッチの輪形陣で護衛艦の親玉だろう。そいつへ向かおう」

「正気ですか?」

 これまではぼんやりとして警戒が薄い輸送船団であるから潜り込めたのだろうが、今度は神経をハリネズミのように尖らせている実戦部隊へと近づこうというのだ。最悪、近づく段階で発見される可能性だってある。もちろん日本海軍が見つけた潜水艦をただ見逃すとは思えなかった。

「正気も正気さ。ソナー。相手の位置や針路を推定しろ」

「了解、艦長」

 そう言っているうちに駆逐艦の航跡による影響も薄くなってきたのだろう。ソナー員の報告も具体的になってきた。

「先ほどの目標、やはり巡洋艦のよう。右舷三時方向。距離一〇〇〇。舵は切っていないようで、凡そ二〇ノットでまっすぐこちらへ向かってきます」

「発見されていないですよね?」

 副長が確認するようにボック艦長を振り返った。

「ピンガーは聞こえないし、耳を澄ますには速度が出ているのではないか?」

 相手の都合なんて分かるはずが無いが、ボック艦長は今ある情報から推測してみせた。

「スクリュー音近づきます」

 ソナー員の声が高くなっていく。やはり彼にとっても水上艦に向かってこられるというのはいい気分ではないようだ。

「針路右三時へ。機関そのまま」

「機関そのまま」

「面舵」

 艦長の号令に従って乗組員たちが動く。その操作に忠実に<U・二五六三>は、その場で右へ艦首を向けた。

 海中で姿勢を安定させるだけの推力で<U・二五六三>はC級巡洋艦に相対した。

「距離八〇〇」

 ソナー員がさらに声を高めた。だが、やはり近づいてくる巡洋艦からアクティブ・ソナーの発するピンガーは聞こえてこない。潜水艦がいないと思って油断しているのか、それとも高速で移動中は襲撃されないだろうと高をくくっているのかのどちらかであろう。

「日本海軍の輪形陣では…」

 そんな緊張感の高まる発令所で、ボック艦長は講義を始めるように口を開いた。

「護衛隊の旗艦が先頭を取り、残りの駆逐艦が外周を作ることが多い」

「つまり?」

 ボック艦長が言いたいことが何となく見えて来た副長は、それでも彼に訊き返した。自分のためでもあるし、また発令所のみんなに説明してもらいたかったからだ。

「距離五〇〇」

 ソナー員の報告が重なった。

「こいつの後ろには、大物が控えているってことさ」

「まあそうでしょうけど」

 まだ納得いかない顔の副長は首を捻っていた。

「でも、なぜ、こいつは三時方向なんてトコから現れたのでしょうかね」

「俺が知るものか」

 ボック艦長は楽しそうに言い切り、それから副長にウインクをしてみせた。

「おおかた輸送船と足並みを揃えるために、行き過ぎた分を戻って来たってところだろう」

「まあ、それが一番有り得る話ですかね」

「距離二〇〇!」

 そのソナー員の言葉を待っていたかのようにボック艦長が動いた。

「潜望鏡深度へ浮上」

「潜望鏡深度アイ」

「待ってください艦長」

 操舵員やベント員がそれぞれ任されている操作に取り掛かろうとした時、ソナー員が止めに入った。その切羽詰まった声に発令所の全員が動作を止めた。

「巡洋艦の後ろに何かいます」

「ほほう。なんだ? 当ててみせろ」

 自分の命令が事実上解除されたことを楽しんでいる調子でボック艦長はソナー員に訊いた。

「ゆっくりと回るスクリュー音。四軸。排水効果音。大きい。大きい。大きい!」

 顔色を変えてソナー員はボック艦長を振り返った。

「距離はどのくらいだ?」

「おおよそ二〇〇〇」

 ソナー員の報告にボック艦長がニッと笑ってみせた。

「そいつが俺たちの目標だ」

 笑顔のままでボック艦長は発令所を見回した。

「そいつに魚雷をぶち込むために四日間も我慢したのだ。気を引き締めろ」

 これが水上艦ならば全員で「勝利のために(ジークハイル)!」とでも声を上げていただろうが、自らの配置の特性を把握している者たちなので、揃ってうなずいてみせた。

「潜望鏡深度へ浮上」

 改めてボック艦長が号令をかけ<U・二五六三>は海面に向けて上昇を開始した。

「吊り合い(タンク)シュラーク」

「深度四五、四〇、三五…」

「吊り合い注水」

 浮力が強すぎて海面から飛び出さないように、早めに釣り合いタンクへの注水が行われた。

 その頃になると<U・二五六三>は再びスクリュー音に包まれていた。頭の上をC級巡洋艦が通り過ぎ、その航跡に入ったからだ。

「潜望鏡深度です」

 副長は二回深度計を確認した。

「よし。ちゃんと獲物かどうか見てやろう。潜望鏡上げ」

 さすがに腰が抜けるほど副長は驚いた。

「敵艦隊のド真ん中ですよ」

「だが(めくら)撃ちというわけにもいくまい?」

 ボック艦長に訊き返されて、それもそうかと思いなおす副長。だが、その行為が無謀である事には変わりなかった。

「ボルトを準備しておけ」

 いざという時に炭化カルシウムを詰めた筒を放出し、これが海水と反応してアセチレンガスの泡を盛大に吐き出し、敵のソナーを欺瞞するという装置がUボートには積まれていた。副長は先んじて、その準備をさせたのだ。

 油圧で発令所の床から潜望鏡の基部がせりあがって来る。同じように対物レンズを持った先端は海面から姿を現したはずだ。

 ボック艦長は接眼鏡に取りつくと「うひゃ」と声を上げてすぐに飛びのいた。

「潜望鏡下げ、急げ」

 ボック艦長の真面目な声に操作員が慌てて潜望鏡の格納作業に入った。

「緊急潜航。深度三〇。無音潜航止め。機関、電池並列、原速」

 矢継ぎ早に命令を下していく。その態度で発令所の全員が目標との衝突回避に動いているのだと理解できた。

「間違いなく<ヤマト>だぞ。視界いっぱいに見えやがった」(注223)

 前に向かって傾く床に足を取られないように、海図台に掴まりながらボック艦長は言った。

「そいつは景気がいいようで」

 反対側から海図台に掴まる副長も、先ほどまで眉間に皺を寄せていた表情を解いてこたえた。

「深度三〇です」

 操舵員が目の前にある深度計を確認して報告した。

「機関、無音潜航に切り替え」

 まず残りが少なくなってきたはずの電池をケチらなければならない。ボック艦長は機関部に減速を命じた。

 その頃になると発令所の中に「ごんごんごん」と巨大な生物の心拍のような音が響き始めていた。

 間違いなく巨大戦艦の駆動音である。けっして高速で海水をかき混ぜているわけではなく、力強く一〇万トン近い艦体を推進する音が響いているのだ。

「目標、ほぼ真上です」

 ソナー員でなくとも分かることが報告された。

「舵変わります。おそらく面舵」

「ばれましたか?」

 急速潜航で海水の出し入れをしたり、空気を吹いたりで音が相当漏れたはずである。相手が対潜任務の駆逐艦ならば確実に居場所が特定されてしまったであろう。

「大丈夫だろ? 相手は戦艦だぞ」

 図体がでかくて小回りが利かない戦艦で対潜制圧など聞いた事も無い。よって戦艦には対潜水艦用の武装は積まれていないはずだ。(注224)

「おそらく輸送船団との距離が近づいたから、反対に舵を切っただけだ」

 怪物の心拍音のような物に別の音が混じり始めた。どうやら四つある巨大なスクリューで海水が搔き回されたことで生まれた航跡が近づいてきたようだ。

「向こうが横を向いて腹を見せてくれることは大いに結構」

 このまま目標と擦れ違い、安全距離で回頭して艦尾から魚雷を撃ち込もうとしても、どうも狙いづらい。やはり横向きになってくれた方が的として大きく見えるからだ。

 さらに言うならXXⅠ型潜水艦である<U・二五六三>には後方を狙える魚雷発射管は無かった。大西洋の戦いで活躍したⅦ型やⅨ型には後ろに魚雷を発射できる艦尾魚雷発射管が装備されていたが、XXⅠ型潜水艦には装備されていなかった。

 最近建造が始まったXXⅠB型と名付けられた新型潜水艦には、艦首発射管室の両舷から斜め後ろに向いた片舷三門ずつの後方攻撃用の発射管を備えるらしい。しかし現場で戦っているボック艦長に言わせると、役に立つのか怪しい装備のようだ。(注225)

「一番から四番に<鷦鷯(ツァーウンケーニッヒ)>を装填しろ。五番に<ジークムンデ>六番には<ジークムント>だ」

 艦首に六本ある発射管の全てに準備をさせた。XXⅠ型潜水艦には魚雷を二三本積み込むことができるが、全てが<ツァーウンケーニッヒ>と呼ばれる誘導魚雷では無かった。いまだに誘導魚雷は秘密兵器扱いで生産数も少ないのだ。それなのに四本も準備するなんて大盤振る舞いもいいところだ。まあ、相手が<ヤマト>ならば、その価値があるのだが。(注226)

「よし喰っちまおう」

 まるで夕食を始めるかのようにボック艦長は言った。

「攻撃深度へ浮上。面舵で艦首(あたま)を真後ろへ。機関微速。発射と同時に深度六〇へ」

「…艦長も苦労人のようで」

「わかるか?」

 ボック艦長が発射後に水深六〇を命令したことで、副長は彼の戦歴が伊達でないことを知った。開発当初の誘導魚雷は信頼性がまるでなく、発射した潜水艦自身を追いかける事もあったのだ。それを防ぐには発射後は深度を六〇以上とし、無音潜航にしなければならなかった。もちろん最近に生産される誘導魚雷にはそんな心配は無用のはずであったが。

 ボック艦長の命令に従い<U・二五六三>は攻撃深度に浮上しつつ回頭を始めた。

「艦長。新たな音源」

 せっかくの攻撃態勢に水を差すかのようにソナー員が警告を発した。

「左舷八時方向に高周波、二軸。おそらく駆逐艦。こいつはA級じゃありません」

「?」

 副長が眉を顰めたが、ボック艦長は何でも無い事のようにこたえた。

「おそらくヤマト級一隻に対して二隻配備されているB級駆逐艦だろう」

 ヤマト級戦艦には、騎士に従う近侍のように二隻のB級駆逐艦が貼りついている事は知れ渡っていた。主砲による水上打撃戦の間に敵の航空機の邪魔が入らないように打ち払うために、いつも両舷に貼りついて行動しているはずだ。(注227)

「こちらに向かってきます」

 ソナー員の報告に、ボック艦長は彼を振り返った。その報告は間違いだろうと言いたげな顔をしている。なにせ現在の<U・二五六三>は、いまだ巨大戦艦が掻き混ぜた海中にいるのだ。どんな手段をとっても水上艦からは発見されないはずの位置だ。

 しかし中心の戦艦を守るように輪を描いているはずの艦列を維持するならば、いま<U・二五六三>がいる位置へ向かって来るこの運動は理屈に当てはまらない。

「回頭はまだか?」

「もう少しで終わります」

 操舵員がコンパスを見て答えた直後に、艦体をハンマーで叩くようなカーンという音が聞こえて来た。一回だけでなく、何回も連続していた。

 いまだ航跡の泡でろくな反射波が出ていないにも限らず、そのB級駆逐艦が発するアクティブ・ソナーのピンガーは的確に<U・二五六三>を捉えていた。

「ちくしょう。なぜバレた?」(注228)

「どうしますか?」

 副長が血相を変えた顔でボック艦長に訊いた。攻撃を中止して深海へ逃げるか、攻撃続行なのか。攻撃続行ならばそれなりの反撃を覚悟しなければならない。

「ここは冒険をする時だ」

 ボック艦長の決断は早かった。

「攻撃深度です!」

「回頭終了!」

 ベント員と操舵員が報告を上げた。

「よし<ニーベルング>作動」

 ボック艦長は魚雷照準用のアクティブ・ソナーの使用を命じた。この新式装備は海の中に潜ったままでも目標の正確な位置と速度を教えてくれる優れ物だった。

 ピコーンと自身のアクティブ・ソナーが発するパルスが発令所に詰めている乗組員の耳に届いた。<ニーベルング>と名付けられたこの装置は数回のパルス発振で敵味方の情勢をブラウン管に分かりやすく表示してくれる、Uボート乗りにとって夢のような器械であった。ただ、自身が音波を発するという事は、同時に被発見のリスクも背負うことになる。

「左舷後方のB級駆逐艦。速度を落としました」

 これは良くない兆候である。前方に敵性潜水艦を発見した駆逐艦が、その詳細を得るために減速する事はままあるからだ。

「諸元来ました」

 ブラウン管を食いつくようにして覗き込んでいたソナー員が報告を上げた。

「正面大型艦。距離三五〇。一八ノットで針路一時方向へ回頭中」

「諸元を発射管室へ送れ。開角は〇で連続発射だ」

「魚雷諸元調定終了!」

「発射準備よし!」

 発令所の全員がボック艦長を見た。だが彼は演台で熱くなった聴衆に落ち着けと微笑む政治家のように両手を床に向けて振った。

「安全距離が取れていない。いま発射しても不発に終わる。もう少し待て」

「しかし」

 冷や汗を掻いた副長が反論を述べようとする。こうしている間にも左舷にいる駆逐艦からはピンガーを浴びせられているのだ。おそらく向こうの攻撃態勢も整っているはずだ。

「<ニーベルング>はなんて言っている?」

「距離、離れます。速度、変わらず。現在、距離三八〇!」

 誘導魚雷は発射された後に、安全距離を進む時間を使ってセンサーなどの準備が整うようになっている。理由は自分を発射した潜水艦を狙わないための工夫であった。その安全距離の最低距離は四〇〇メートルであった。

「三九〇!」

 ジリジリとブラウン管に表示されている目盛りを睨みつけるソナー員。あまりのストレスに歯ぎしりをしていた。

「四〇〇! 安全距離です!」

「一番から四番、発射はじめ!」

 艦首方向からズボンと水中で何かが破裂するような音が四回続いた。

 それを待っていたボック艦長はすぐに号令を発した。

「<ニーベルング>の発振止め! 面舵一杯! 針路右二時の方向!」

 深度に関する号令は無かった。どうやら予定していた深度変更は取り消しのようである。魚雷を発射し終えた<U・二五六三>は微速前進のまま駆逐艦から離れる方向に艦首を振った。

「左舷駆逐艦、針路変更。面舵を取って左舷をこちらに向けます!」

 ソナー員がパッシブ・ソナーから得た情報を伝える。ボック艦長も額に汗を掻き始めていた。

「ちくしょう攻撃態勢だな」

 昔の爆雷攻撃しかできなかった時代ならば、攻撃対象である潜水艦の真上へと突っ込んで来るが、対潜ロケット兵器が発達した昨今は、適度な距離を置いて艦腹を見せることが多くなっていた。そうすると前甲板と後甲板それぞれに装備された対潜ロケット兵器を同時に使用できるからだ。

「針路、二時に入ります!」

 操舵員の報告に矢継ぎ早にボック艦長は命令を付け足した。

「舵、そのまま。五番、六番発射始め! 発射後、深度六〇に沈降、無音潜航」

「五番、六番発射始めます」

 発令所の攻撃部門に就いている水兵が五番と六番発射管の発射操作をした。再びズボンという音が、今度は二回した。

「ソナー、防御態勢」

「防御態勢取ります」

 それまでヘッドホンを離さなかったソナー員が、耳から外してコンソールへと置いた。さらに両手で耳を塞ぐことまでする。手すきの乗組員も、彼を見習うように耳を塞いだ。



 暗い雲に閉ざされた海面にアキヅキ級駆逐艦がほぼ停止していた。もし晴れていれば夕焼けの残照ぐらいは残っているはずの時間であるが、厚い雲が全てを覆い隠していた。

 よって時計では夕方と言える時間なのに、すっかりあたりは暗く、夜のとばりがおりていた。

 艦隊は灯火管制下にあるため、舷灯等はいっさい消されている。そのために段々と暮れゆく海面と駆逐艦の境目が分からなくなってきた。

 艦底に装備した聴音器に反応があったのだろう、甲板では水兵たちが暗い中を、それこそ手探りで動き回っていた。

 もし万が一、煙草の火程度の明かりでも敵潜水艦の潜望鏡に捉えられたら死を意味するから、水兵たちも決死だ。

 アキヅキ級駆逐艦に装備されている前後二基ずつの連装対空砲が、敵の概略位置へ旋回する。もちろん普通の砲弾では意味を成さないが、駆逐艦の主砲にはある一定数以上の対潜弾が支給されているのだ。もし万が一にも浮上して来るとか、浅い深度に浮かんできた場合には役に立つはずであった。

 しかし、もちろんそれは二線級の兵器である。本格的な攻撃には艦橋前へ舞台のように設けられたフラット上に装備された対潜ロケットや、後部から発射または投下する爆雷が主力のはずだ。

 今までであったら。

 このアキヅキ級駆逐艦は、そのどれでもなく艦中央に装備している四連装魚雷発射管を旋回させていた。

 そこに装填されているのは「対潜爆雷」と名付けられた新兵器であった。流線型をした長胴をし、後部にスクリューと舵を持ち、先頭にTNT火薬を詰め込んだ弾頭を装備していた。一見して長魚雷に見えるが、対潜兵器である以上は自走する「爆雷」なのであった。

 普段なら長魚雷が装填されている四連装発射管の一番右の発射管から、その「爆雷」は圧搾空気の力で発射された。(注229)

 弾頭直後に置かれた誘導装置には、事前に探知した目標のスクリュー音が覚え込ませてある。海中を四〇ノット以上で突き進むこの「爆雷」に狙われて、生き残れる潜水艦はいないと考えられていた。

 輪形陣の主人たる超弩級戦艦が残した航跡へ、真っすぐと「爆雷」は進んでいった。

 そして海面が白く沸き上がるように持ち上がった。



 水中で爆発が起きたが<U・二五六三>は防護態勢を取っていたので実質の被害はほとんど無かった。爆発は駆逐艦による攻撃ではない。六番発射管に装填されていた<ジークムント>と名付けられた物のせいだ。こいつは海中で自爆する事で、周囲のソナーを一時的に使い物にしなくする効果があるのだ。

「現在の針路は?」

 爆発を耳では無く体全体で受けた振動で感じたボック艦長が操舵員に訊ねた。

「針路〇・六・〇」

「よし針路固定。無音潜航」

 使用した<ジークムント>のせいで敵味方共にソナーの役立たずになった。だが深度を取ってその騒音で搔き乱された海水の下まで潜れば再び聞こえてくる音があるはずだ。

 ソナー員は至近で爆発が起きたために飛んでしまったヒューズを交換し、それから席に着いてヘッドホンを耳にかけた。

「どうだ?」

 物理的に壊れてしまったら、もう<U・二五六三>が潜航中に周囲を知る手段は無くなる。

「聞こえます。大丈夫です」

 ボック艦長を安心させるためか、ソナー員は微笑んでこたえた。

「後方の駆逐艦が速度を変えています。おそらく針路四時方向、離れて行きます」

 その報告の途端に、どこか遠くで小さな爆発が起きた。爆発音は海中を伝播し<U・二五六三>の外壁を通過して乗組員たちの耳に届いたのだ。

「やった命中だ」

 発令所に詰めている若い魚雷員が嬉しそうな声を上げた。

「違うな」

 だがボック艦長は冷静だった。

「いまの爆発、当艦の左舷十時方向。爆発は単独で一回」

 ソナー員の報告に副長は残念そうな顔をした。

「ええと目標は八時方向のはずですよね」

 何回も舵を切っているので自分がどちらを向いているのか分かりづらくなっていた。

「そうだ。それと六〇度も方角が違う。おそらく<ジークムンデ>に敵の対潜魚雷が食いついたのだ」

 先ほど五番発射管から放った物は<ジークムンデ>と名付けられた欺瞞装置である。こいつは六ノットでXXⅠ型潜水艦が逃げているような音を出してくれる。あのB級駆逐艦はうまくこいつを勘違いしてくれて攻撃したようだ。

「こちらの発射魚雷の様子は分かるか?」

「目標の大型艦、面舵を取りつつ減速を続けているようです。魚雷は四本とも行き過ぎたものと思われます」

 ドイツ潜水艦の誘導魚雷は航跡を辿って目標に追いつくようになっている。ただ航跡を追いかけるようにはなっておらず、浅い角度で交差するような走る方をする。これはデコイと呼ばれる曳航式の囮に引っかからないためだ。敵の航跡と交わってから、しばらく直進して針路を変えて誘導魚雷は進む。そして再び航跡と交わる。つまり自動的にジグザグに進むのだ。その繰り返しで航跡を辿って敵艦へと接近し、最後は斜め後ろから喰いつくように設計されていた。

 だが航跡を段々と曲げて行き、最後に円として閉じられてしまうと、燃料が続くまでその場をグルグル回ることになる。どうやらその特性を日本海軍は掴んでいたようだ。(注230)

「試合終了ですか」

 副長は発令所の天井を見上げて言った。電池の残量もないし、敵の輪形陣の真ん中である。今は逃げ出して次の機会を待つべきだろう。

「なにを言っている」

 ボック艦長は励ますように言った。

「魚雷はまだたっぷりあるし、電池だってまた充電すればいい。あと二回は揉めてみせるぞ」

「はあ」

 副長はボック艦長の敢闘精神に溜息しか出なかった。

「それに<U・二五五九>のエドガー艦長にまだカードの貸しがある。十倍にして取り立ててやるつもりだから、諦めはせんよ」


 その後<U・二五五九>を指揮するエドガー艦長がカードの貸しを返したという記録は無い。



●インド洋アラビア海ラッカジブ諸島北西海域。ドイツ機動部隊から先行する空母<ドクトル・エッケナー>:1948年4月20日0420(現地時間)



 空母<ドクトル・エッケナー>の飛行甲板に、次々とフォッケウルフ一六七<アイバトス>が並べられていく。整備員たちは真っ暗な中で手元の懐中電灯だけで発艦準備を整えていった。

 一方、艦内にある空軍用の食堂は、こんな早朝だというのに人がごった返していた。正規の朝食には早すぎる時間だが、これから日本艦隊を探すために飛び立つ索敵機の搭乗員たちの腹を満たすためだ。

 その誰もが、昨日の経験からこれが危険な任務と再認識しており、表面上は明るく過ごしている者でさえ、これが最期の食事になることを覚悟しているようであった。

 飯が終われば出撃である。食器を片付けた者からアイランドにある作戦会議室へと足を向け、まず廊下にある黒板を覗き込んだ。

 そこに書かれているのは搭乗割と言って、何号機にどの組が乗り込むのかが掲示してあるのだ。隊長が任務に不適合と判断した者は予備の欄へ名前が書き出される事になる。そこへ名を書き連ねるという事はもちろん<アイバトス>搭乗員として不名誉な事であった。

 だが今回の予備欄はいつもより多くの名前が並んでいた。

 昨日の戦いの激しさから、隊長の親心がより一層働いて…、というのが理由の五割である。残りの五割は、それだけ機材の都合がつかなかったのだ。

 索敵に飛び立ったが帰って来ることがなかった機体や、<ドクトル・エッケナー>まで辿り着いたが着艦できずに海上へ不時着水して搭乗員だけフォッケ・アハゲリス二二三C<ゼー・シュランガー>に救助され機体は放棄したもの、着艦に成功してもあまりにも損害が大きくて使用不能になった機体など、理由は様々だが、機体よりも搭乗員の方が多かったからだ。

 自分の名前がどこにあるのか探すために搭乗員たちは狭い通路で団子となった。

 もちろん三人組で息を揃えて動かす<アイバトス>であるから、操縦士が負傷した組や、通信士が機上戦死した組などは、欠員同士を補う形で新たな組み合わせが発表されていたりもした。

 昨日の索敵任務で散々な目に遭ったゲルハルト・リッパート軍曹も、自分の名前を探している一人であった。

 上から順番に欄を確認して行き、そして最下部の予備の欄まで行き着いた。

 がっくりと首を落として通路を戻るように歩くと、離れたところで腕組みをして待っていた二人の前で止まった。

「うちの組は予備でした」

「だから、そう言ったでしょ」

 教えられる前から答えを知っていた風で口を開いたのはヴァルター・トラウトロフト軍曹である。この組では操縦士を担当していた。

 彼はどこかオカルトめいたところがあって、こういう名前が貼り出される時も見ないでどこに自分の名前があるのか当てることがあるぐらいだ。

 今回も搭乗割が書かれている黒板に近づく前から「ウチの組は予備だ」と口に出していた。

「ちくしょう」

 鉄の床で地団駄を踏んでいるのはマックス・シュリクティング軍曹。三人の中で先任なので、階級は同じだが彼が三人組のリーダーということになっている。

「まあ、あれだ」

 励ますようにトラウトロフトは言った。

「本業の雷撃任務の時に出番があるかもしれない」

 そうなのである。<アイバトス>にとって索敵任務は余技にすぎない。搭乗員も航空魚雷を吊るして敵艦隊へ肉薄し、雷撃するために訓練を重ねて来た者たちだ。

 もちろん、そちらの方がより生還率の低い任務であることは三人とも理解していた。

 自分の搭乗割を確認した搭乗員たちが、ぞろぞろと作戦会議室へと入って行く。索敵任務を割り当てられなかったシュリクティングたちは食堂その他へ行ってタバコを吹かしていたりしても怒られる事は無いが、万が一と言う事もあるので室内へと足を向けた。

 いちおう無謀と思われる任務の拒否権を兵は持っている。索敵任務のどこかに無謀があると指摘して拒否する組が存在した場合、その組の代わりに仕事が回ってくるかもしれなかった。

 アイランドにある作戦会議室には、扇形の線が複数書き込まれた航空地図が貼りだされていた。一本一本の線が、索敵機が飛ぶ予定の航路である。

 今日の夜明けは〇六一七だ。昨日すでに攻撃した敵艦隊がそう遠い海域へ移動はしていないと思われるから、夜明けの二時間前に飛び立って索敵すれば、再発見は可能であろう。そのための作戦会議である。

 第一海上爆撃航空団第三飛行隊第七飛行中隊の中隊長自ら説明に立ち、おそらく日本艦隊が存在すると思われる海域を示した。

 作戦会議には戦闘機乗りのはずのライル・フィッシャー少佐も同席した。彼はルーデル大佐から<ドクトル・エッケナー>の飛行長を任されていたのだ。

 天候は昨日よりも回復しており、薄雲が高空にあるだけ。これだと敵のレーダーや視認から身を隠す術が限られるから、より一層生還率が下がるかもしれない。

 敵の直掩機に奇襲された場合は、モールス信号の「R」(「・ ― ・」)を打電する事が再確認された。それだけならば墜落する前に発信できるはずだ。そして事前に飛ぶ航路が分かっていることから、発信さえすれば大体の敵の位置もそれで推察できるという寸法だ。同じ撃墜されて戦死するなら、最期のご奉公を大ドイツに残せるということだ。(注231)

 だが、そんな配慮が必要無いように帰ってくることが一番なことに代わりはない。

 中隊長とフィッシャー少佐で譲り合うような雰囲気を醸した後に、結局中隊長が前に出た。彼は右手を挙げながら宣言するように言った。

「必ず帰ってこい! 勝利のために(ジークハイル)!」

「勝利のために!」

 部下たちが敬礼しながらいつもの言葉を唱和した。

 そのまま搭乗員たちは足音高く飛行甲板へと雪崩をうって出た。そこには<アイバトス>が七機並べられていた。昨日の半分しか並んでないので一抹の寂しさがあった。

 すでに離艦を失敗した時のための救助用に<ゼー・シュランガー>が<ドクトル・エッケナー>に並んで浮かぶようにホバリングしていた。いや<ドクトル・エッケナー>は<アイバトス>の発艦に備えて全速力で風上に向かっているはずだから、並んで飛んでいるのは事実だがホバリングでは無いはずだ。

「しっかり頑張れよ!」

 シュリクティング以下、予備とされた搭乗員たちも飛行甲板の脇で見送りに加わっていた。

 カタパルト員が艦首の方向を指し、まず一番機が発進した。



 昨日と違って、四割減の七機の<アイバトス>が東の空へ旅立って行った。

「みんな無事に帰って来いよ」

 最後の機体が機尾(おしり)に灯している尾灯が消えていくのを見ながら、シュリクティングは感慨深そうに言った。これで<ドクトル・エッケナー>にある<アイバトス>は全部のはずだから、彼らには仕事が無くなったことになる。同僚には悪いが、機体が無事に帰って来て、搭乗員が負傷などで飛べなくなったら、仕事が回って来るかもしれない。

 飛行甲板には直掩機任務が割り当てられたメッサーシュミット一五五<バジリカ>が並べられ、エンジンの暖機が始められた。

「…」

 ふと隣に居るトラウトロフトを見て、シュリクティングはギョッとした。なんと彼が異常なほど汗を掻いているのだ。

「どうした?」

「嫌な予感がする。とびっきりの奴だ」

「や、やめて下さいよ」

 リッパートが小刻みに震え出した。

「トラウトロフトの『とびっきり』は、本当に死にかけるほど酷いのだから。前もバルト海の真ん中でエンジンが止まって、死ぬかと思ったじゃないですか」

 それは本国で訓練中のことだった。バルト海で編隊攻撃の訓練をしている最中にトラウトロフトが同じことを口にしたのだ。

 元々オカルトめいたところがあると思っていたが、本当に最悪の事態が起こった。操縦を誤った新人が隊長機と接触して空中分解を起こし、バラまかれた破片を食らって編隊全機が不時着するという大惨事を起こしたのだ。

 その時三人が乗っていた<アイバトス>は、新人の機体の尾翼をプロペラで砕いてカウリングに吸い込み、エンジンが動かなくなったのだ。

 結果、バルト海の真ん中へと不時着水することになった。機体は海没し、用意されていた非常用のゴムボートで三人は一夜を過ごすことになった。

 あの後、海軍の掃海艇に拾われなかったと思うと、あまりいい気分では無かった。

 突っ込んだ新人の組と、隊長機の操縦士が帰らぬ人となった。他にも海上で干上がって死ぬような思いをした結果、転属願を出した同僚も居たぐらいだ。

「おお、ここに居たか」

 その悪い予感を実現するためか、三人を呼びに来た者がいた。格納庫の主である整備長だ。

「少佐が、三人に話しがあると」

「少佐?」

 彼らの中隊長は、たったいま<アイバトス>で発進していったばかりだ。そして現在、艦に残っている空軍少佐と言えば二人いた。一人はユンカース一八七C<スツーカ>で編制される急降下爆撃隊の第一海上急降下爆撃航空団第二飛行隊第五飛行中隊の中隊長だ。

 だが<ドクトル・エッケナー>には同じ第二飛行隊全体を指揮する中佐が座乗しているから、それを飛び越して彼ら三人に用事があるとは思えなかった。

 となると残るは第一六七実験航空団第五飛行隊第一三飛行中隊のライル・フィッシャー少佐となる。先ほどの<アイバトス>部隊の見送りにも居た。

 彼は<ドクトル・エッケナー>に積まれた艦上機全体の指揮を任されていた。中佐がいるのに、それを飛び越して彼が指揮権を有しているのには<ドクトル・エッケナー>の特殊な事情がある。<ドクトル・エッケナー>には機動部隊本隊から前進して敵の空襲を誘致する役割が与えられていた。だが、ただ敵の標的になるつもりは無い。少なからず敵の航空隊に打撃を与えることが求められていた。その任務では、艦に装備された各種対空砲もそうだが、やはり戦闘機隊が重視された。

 事実<ドクトル・エッケナー>には大ドイツ初のジェット艦上戦闘機であるメッサーシュミット二六二F<カイヤン>と、次世代の艦上戦闘機として開発が進められてきた<バジリカ>が一個中隊ずつ載せられていた。現状、海上での大ドイツ最強の戦闘機部隊である。

 二つの中隊を先任と言う事でフィッシャー少佐が指揮を執り、また同じ規模の航空機を率いていて、防空が主任務という、様々な要因が重なって彼は<ドクトル・エッケナー>において臨時の飛行長という役職も任されているのだった。

 それに血の気の多いスツーカ隊の中佐は、航空団司令のルーデル大佐を見習うように、昨日だって自分も敵艦隊に向けて出撃したほど闘魂の塊だ。自分が留守にする予定の巣箱を任せるのに、いまさら階級の一つや二つのことを口にはしなかった。最悪、自分が留守番をやることになったら、出撃することが出来ないという事になるし、特に反対はしなかった。

 三人は整備長に連れられて作戦会議室へと戻った。

 そこから、すれ違いに別の組の<アイバトス>乗りが出てきた。廊室で気まずそうに三人と目を合わさずに船室の方へと下りて行った。

 部屋では整備長の言葉通り臨時の飛行長であるフィッシャー少佐、それに昨日の索敵任務で戦闘機に撃たれて右腕を三角巾で吊っている少尉が待っていた。

 彼は<アイバトス>を装備する第一海上爆撃航空団第三飛行隊第七飛行中隊で中隊長の副官をしている男であった。

「お呼びでしょうか?」

 三人の中で最先任である事からシュリクティングは軽く二人に敬礼して訊ねた。

「わざわざ済まない軍曹」

 答礼をしたフィッシャー少佐は、それが何でもない事のように言った。

「格納庫に一機だけ<アイバトス>がある。整備長たちが徹夜で直してくれた機体だ」

 少佐の視線が三人を連れて来た整備長へ向けられた。整備長はこたえるように整備帽をちょこっと持ち上げてみせた。

「そいつで三人に、こなしてもらいたい任務がある」

「任務とは?」

「索敵機が敵艦隊を発見したら、すぐに現場へ飛んで行って、誘導電波を出す任務だ」

 任務内容を訊いた三人は絶句して顔を見合わせた。索敵機が敵を発見しても攻撃隊ですぐに攻撃とはいかない。空母から攻撃隊が全機発進するのに三〇分ぐらいかかるし、艦隊上空で編隊を組まなければならないからだ。

 大雑把に一時間後に敵艦隊に向けて出発できるとみて間違いない。もちろん、その間にも敵艦隊は動いているし、こちらも動き続けているのだ。

 そこで確実に敵を捉えようとするなら、索敵機の他に触接する役の航空機を差し向けなければならない。

 理屈は分かるのだが、敵艦隊の上空で誘導電波を出し続けるというのは、腹を空かせたライオンの檻へ、全身旨そうな匂いがするソースを塗りたくって裸で突撃するのと大して変わらない事だ。

 なにせ敵機が撃墜してこようとするのは当たり前だ。堕とさなければ攻撃隊がやってくるのだから。しかも目標は、自分はココに居ると誘導電波を出しているのだ。撃墜する側がその電波を辿ってはいけないなんていうルールが戦場にあるわけがない。

 決死の覚悟で任務に就くというのは何度も経験しているが、これは死を決するのを通り越して必死の任務であった。

「もちろん諸君らには、この任務を拒否する権利がある」

 フィッシャー少佐は平板な声のまま告げた。

(あ~、なるほど)

 さっき出て行った三人組の様子がおかしかったことの理由が察せられた。

(自分たちが断ったから次善の組である俺たちに話しが行って、気まずい思いをしていたのか)

 三人の中でリーダー役のシュリクティングは、他の二人と顔を見合わせた。

 誰かがやらなければならない仕事だという事は分かっていた。おそらく予備の搭乗員全員が断ったら、片腕の副官が自分で飛ぼうとするだろう。五体満足な人間さえ遂行が難しい任務に、こんな怪我人が行っても敵に堕とされるだけであろう。

「一分間だけ時間を下さい」

 シュリクティングは他の二人へ回れ右をした。

「リッパート、どうしたい」

 昨日の索敵任務で戦闘機に追われ、体を硬直させるほどになっていたリッパートにまず訊いた。

「自分は…」

 シュリクティングとトラウトロフトの顔色を窺うように見返して来た。

「一緒にバルハラの館で酒を酌み交わす約束をした仲じゃないですか」

「トラウトロフトは?」

「この任務を受けない方が、より悪い予感がする」

 首筋に玉のような汗を掻いたトラウトロフトは言った。

「どうせ悪いことが起きるなら、艦の上で右往左往するより、空の上で華々しく戦いたい」

「よし、きまりだ」

 シュリクティングはフィッシャー少佐を振り返った。

「この任務、自分たちで引き受けます」



●インド洋アラビア海ラッカジブ諸島北西海域。ドイツ機動部隊:1948年4月20日0555(現地時間)



 夜明けまでまだ時間があった。そんな暗いうちに起き出したルーデル大佐は、まず日課である一杯の牛乳を口にした。

 新鮮な物の入手は航海中の艦に求める事は無理という事で、不味さはドイツ軍一という噂の脱脂粉乳(注232)を溶かした物である。それを嫌な顔を一つせずに飲み干した彼は、情勢に変化があったのかどうか確かめるために、本来の持ち場である航空団司令部が収まっている船室へと足を向けた。

 もちろん昨日の怪我が一晩で治るほど超人ではない。痛む足を引き摺りつつ、回復した体力で隔壁ごとにある水密扉をくぐっていった。

 司令部の手前に、とても狭い部屋がある。空軍の通信機を持ち込んだ、航空団指揮用の通信室だ。そこがいま、何やら騒がしかった。

 人ひとりが座るスペースしかない部屋である。人間が消費している体積よりも、通信機材の量の方が圧倒的に多いぐらいだ。冬でも扇風機を回しっぱなしにしているはずなのに汗を掻くほどの温度になる。真空管が発する熱のせいだ。南洋のここではもっと凄いことになる。そのせいで部屋の扉は常時開けっ放しとなっており、いまそこに数人の空軍関係者が通路を塞ぐようにして群れていた。

「おはよう」

 当然、ルーデルは朝の挨拶をした。群れていた将校も兵士も、薄暗い廊室に立つ飛行服を着た男の正体が最初分からなかったようだ。とても訝し気な顔をしていた。だが、慌てて背筋を伸ばすと、天井にぶつけないようにだいぶ前に傾けた敬礼と挨拶が返って来た。

「おはようございます」

「おはよう」

 もう一度ルーデルは繰り返して答礼した。

「何かあったね?」

 確認するように彼は訊いた。

 いつもは通信兵が伝令として控えているだけの空間である。将校まで野次馬のように首を突っ込んでいるのは、異常事態発生と見て間違いないだろう。

「あっ」

 ヘッドホンを被って器材のダイヤルを調整していた通信員が慌てて立ち上がろうとした。通信員は上着を脱いでタンクトップ姿だ。そうでもないと室内に長時間居続ける事ができないからだ。

「いや、大丈夫だ。任務を遂行したまえ」

 いまは礼儀作法よりも、彼の仕事がこれからの運命を左右するかもしれない時間だった。これが任官直後の若い少尉などなら、無理にでも敬礼させるのだろうが、東部戦線で経験を積んだルーデルには、物事には順序があることをじゅうぶん理解していた。

「なにがあった?」

 計器の揺れる針に意識を戻した通信員ではなく、その場に居た最先任の将校へ訊ねた。

「<(グリュン)>が正体不明の電波を捉えたようです」

「電波か」

 電波とだけ言われても困る。それがレーダーの物なのか、それとも何かの通信なのか判断は難しいのだ。だが先行している<グリュン>こと空母<ドクトル・エッケナー>に危険が迫っている事には間違いない。昨日からこの海域は戦場なのである。不審な電波は敵の物と捉えて間違いはないのだ。

「<グリュン>のフィッシャー少佐は、<プファイル>を発進させたようです」

 なるべく弱い電波を使って行われる隊内通信も、味方ならばあらかじめ周波数も電波特性も分かっているので、離れていても捉えることができるはずだ。

 本国では駆逐機部隊をはじめとして色々な基地で使用されている<プファイル>であるが、艦上機の元になったのはB六型という夜間戦闘機型である。

 よって雲が多い夜間でも飛び立って、装備したFuG二二〇リヒテンシュタイン・レーダーを使用して敵を捜索することができた。

「正しい判断だ」

 戦闘機の事は専門外だと普段は(うそぶ)いているルーデルは大きく頷いた。彼は通信員の肩を叩くと注文をつけた。

「向こうの隊内通信をスピーカに出すことはできるかい?」

「技術的に可能ではあります。しかし…」

 ちょっと渋い顔をして見せるので、ルーデルは笑顔で言った。

「参考にするだけだ。雑音が入っていても構わない」

「了解いたしました」

 通信員が機材のスイッチを切り替え、そしてスピーカの向きを調節してから、傍受している音声を流し始めた。

「汽車よりベルリン…、察知されず」

「ベルリンより…、どうか?」

「こちら給仕。客席には<マート>…」

 人の言葉よりも空電の方が多い音声である。それでもしばらく我慢して聞いていると、段々と状況が分かって来た。

 どうやら先行している<ドクトル・エッケナー>に敵の索敵機が接近してきたようだ。さかんに<マート>とドイツ側が符牒をつけた日本の偵察機を追っていた。

 機上レーダーだけでは性能が足りないからか、ついには<ドクトル・エッケナー>の対空レーダーも使用を開始しているようだ。

 本来ならば日本艦隊に発見されないように電波管制下にあるはずの<ドクトル・エッケナー>であるが、敵の索敵機が現れたという事は居場所がバレたと考えて間違いない。発見されてしまっては、電波管制を続ける意義は薄れたのだから、ここは確実に敵機を捉えるためにレーダーの使用制限をやめるのが合理的判断と言えた。

 ドイツ情報部が<マート>と符牒をつけたのは、日本海軍が一九四四年に採用した艦上偵察機C六N<サイウン>の事である。無武装で偵察に特化した機体で、最近就役が始まったとされる<サイウンカイ>と呼ばれる改良型は七〇〇キロを超える速度を出せるとみられていた。

 残念な事に<サイウン>と、その改良型の<サイウンカイ>では機体形状がとても似ているために、飛んでいる状態ではそのどちらであるかの見分けはできなかった。よって符牒は同じ<マート>という名前を使用していた。

 もちろん艦上偵察機という事は、日本の空母から発進したことは間違いない。これで<ドクトル・エッケナー>は敵機動部隊に補足されたと言って過言では無いはずだ。

 上空に浮かぶ雲の中に隠れている<マート>探し求める<プファイル>であるが、まだ見つからないようだ。代わりに空電の中に「ピーピピピピー」と電鍵を叩く音が混じるようになった。

「これは、敵の信号かな?」

 ルーデルの質問に、先任将校が「おそらく」と、だいぶ歯切れの悪い答えを返した。

「内容は解読できるかな?」

「さあ」

 これは通信員である。ヘッドホンを被ったままの彼は、小首を傾げながらノートすら広げられないような小さなテーブルでメモを取り始めた。

「少なくとも自分の知っているパターンではありません。奴らめ、作戦直前に暗号を変えたな」

 小癪な真似をするなと言っているようであった。その肩をポンと叩いたルーデルは、振り向いた彼に言った。

「君の耳が、この艦隊の運命を左右するかもしれないのだ。冷静に任務を続けてくれたまえ。…、あー、敬礼はしなくてよし」

総統万歳(ハイル・ヒトラー)!」

 せめて言葉だけでもと思ったのか、通信員は敬礼の時に交わすセリフを口にした。

「誰か艦橋へ行って、当直将校にこの事を連絡してきてくれたまえ」

 廊室でしゃっちょこばっている将兵に向けて声をかけると、通信科の徽章をつけた一人が挙手をした。

「それでは自分が」

「よし。君に任せよう。そして海軍側でも何か掴んでいないか、しっかり聞いてくるように」

「了解いたしました。勝利のために」

 挙げた手を敬礼に変えて通信員は廊室を艦橋へ向かうラッタルがある方向へと小走りに走って行った。

「さて、我々としては待つことしかできなさそうだね」

 一同を見回したルーデルは、本来の目的地へ足を向けた。

「私は司令部に顔を出してから朝食にするとしよう。何か重大な変化が起きたら、遠慮なく知らせてくれたまえ」

 司令部は隣だから三歩も踏み出せば到着である。

勝利のために(ジークハイル)!」

 上官を見つけた部下たちが敬礼をしてくる。それに対して答礼しながらテーブルの上に広げられた作戦図に両手をついた。

 そこにはソコトラ島を出港してから現在に至るまでのドイツ機動部隊の航路と、昨日こちらの攻撃が成功した日本機動部隊の位置、そして予想される現在位置がマーキングされていた。

(決戦は今日になるな)

 どんな新人でも、軍人として訓練されていれば一目瞭然であった。いや本業は従軍記者であるはずのニールマンのような現場慣れした素人でも分かるだろう事を再確認する。

 もちろんやる気満々の彼は、すでに飛行服を着用して出撃準備は万端だ。飛行甲板の方でも整備員たちが<ペーター・シュトラッサー>の搭載機を並べてエンジンのウォーミングアップを開始しているはずである。

 すでに先行している<ドクトル・エッケナー>が捕捉されたという事は、こちら側の索敵機も、そろそろ敵機動部隊上空に差し掛かるはずである。

 だが航空団司令部にはとくに目新しい情報は届いていなかった。逆にルーデルがいま通信室の前で得た<ドクトル・エッケナー>が敵索敵機に触接されたようだという情報を教えたほどだ。

 司令部詰めの将校と朝の挨拶ついでの雑談を交わしている内に、通信室の前から走らせた艦橋への伝令が帰って来た。海軍側も<ドクトル・エッケナー>の状況は把握しており、ハイデンハイム司令は日本機動部隊の空襲があることに覚悟を決めたようであった。昨日のように一方的に殴り続けるというわけにはいなかいようだ。

 目新しい情報が入らないならば、日課の続きをするまでだ。上級将校用の食堂で朝食を摂ると、食後の牛乳を飲み干して、ルーデルは飛行甲板へと上がった。

 まだ朝と言うには早い時間である。陽は出ていないが、空はだいぶ明るくなっていた。

 天候の方は昨日に比べて回復していた。雲の量も高さも、対艦攻撃を図るにじゅうぶんな余裕があるようだ。一面の雲という印象は変わらないが、そこにポコッポコッと青空が円形に見える空間は増えていた。降雨の方もほとんどないが、たまに水平線に、灰色の円筒形をした気象現象が海面と黒い雲を繋いでいるのが観測できた。あれは南洋特有のスコールで、遠くから見ているとその大きさが実感できないが、直径は優に一〇〇〇メートルはある雨で出来た柱だ。

 波の方はだいぶ静かになっており、地上勤務とは違い揺れる艦を苦手とするルーデルの部下たちも、今日はまともな顔になっていた。

「おはようルーデル」

 長い間の相棒であり友人でもあるガーデルマン少佐も飛行甲板に現れた。いくら親しくても航空団司令と軍医であるから、ちゃんと敬礼を交わした。

「おはようガーデルマン。今日も忙しくなるぞ」

 ルーデルの予告にガーデルマンが少し眉を顰めた。やはり痛めた胸が気になるのだろうか。

「我々は勝利できるだろうか」

「わからん」

 ルーデルはあけすけに言った。

「自分にできる最善を尽くすのみだ」

 それから二人で「大ドイツ体操」で軽く汗を流した。体操に参加する有志は他にもいて、手すきの整備員なども混じって体をほぐした。(注233)なにせ航海中の艦艇では運動不足になりがちである。朝に体操を行う事は体調管理にも役に立つし、精神にも良い作用があった。

 昨日の戦傷でアチコチ痛いので、体操中はちょっとぎこちない動きとなってしまった。ガーデルマンとお互いの様子を見て笑いあった。

 日課である体操を終え、再度空の様子を確認したルーデルは、晴れやかな顔で船内へと戻った。そのまま痛む足を空軍将校用の食堂へと向けた。

 ルーデルの習慣を知り尽くしている従兵は、すでに体操後の飲料を用意していた。

 コップ一杯の脱脂粉乳を飲み干していると、伝令が食堂に駈け込んで来た。ルーデルを見つけるとあわただしく敬礼をする。

「なにかあったね?」

 確認する彼に汗を掻いた伝令が挨拶もそこそこに報告した。

「通信員が、発信者不明の不審な電波が近くで発信されるのを捉えました」

「来たな」

 ニヤリと笑ったルーデルは、急いで司令部に戻った。

 司令部の中は先ほどと違って大騒ぎになっていた。ルーデルが戻ってきたことにも気がつかずに、隊内無線の受話器を握りしめている将校がいるぐらいだ。

 部下たちが半ばパニックを起こしていたおかげか、逆にルーデルの頭の中は冷静を保つことができた。

「報告を!」

 大声を上げると、それだけで将兵たちが静まった。頼りになる上官の登場に、彼らの精神もまた冷静さを取り戻したようだ。

 あわてて敬礼をしようとする全員に対し、その必要は無いと伝え、代わりに再度報告を求めた。

 さすがルーデルが率いているだけあって、優秀な部下が揃っていた。

 大体は先ほど<ドクトル・エッケナー>で起きた出来事と同じであった。日本軍の海上捜索レーダーの物と思われる電波を艦隊各艦が傍受していた。

 艦橋では戦闘ラッパが鳴らされて、艦の乗組員は対空戦闘の準備を進めていた。

 この時間を担当する空軍の当直将校は<エーリッヒ・レーヴェンハルト>に搭載されている<プファイル>を発進させ、電波の発信源を探らせていた。

「よい判断だ」

 部下の行った判断を褒めたルーデルは、さてこれからどうすると考えた。まだ敵機動部隊は発見できていないので、味方各空母の飛行甲板には、燃料を満載し爆弾や魚雷など敵に叩きつけるはずの危険物を搭載した艦上機で溢れていた。この段階で敵の空襲を受けたら、誘爆を起こして大きな損害を受ける事は間違いなしである。

 かと言って、まだ敵空母を発見していないのに攻撃隊を発進させるのにも問題がある。無限に空を飛ぶことができる飛行機ならばそれでも良いが、各機が搭載している燃料には限りがある。いざ敵空母、そして一番の目標である<ヤマト>を見つけた時に、燃料不足ではシャレにならない。

「はやく見つけてくれよ」

 いつの間にか司令部に顔を出していたガーデルマンが、壁の時計を見つめて言った。相棒が来た事に気がつかないなんて、ルーデル自身にも焦りの心があったようである。

 反省を込めて近くの将校に優しい声をかけた。

「今日の日の出はいつだったかな?」

 気象担当の将校は背筋をのばして答えてくれた。

「本日の夜明けは〇六一七時であります」

 それは、いま時計が差している時間であった。




 け、けっして映画「沈黙の艦隊」を見たからってわけじゃ、ないからね(謎のツンデレ)

 いやあ深海で戦うから画面が暗かったのは残念ですが、最近の日本映画では頑張っていた方でしたよ「沈黙の艦隊」

 和美は連載時にリアルで次回どうなるんだろうとワクワクして読んでいた思い出がありますね。もちろん単行本も全巻購入済み。あの世界を映像で見られる日が来るなんてね。

 まあ、そういうわけで(どういうわけだ?)潜水艦と水上艦の戦いを、もうちょっとマシになるよう書いてみました。

 あとは翌日の決戦のための準備ですかね。果たしてドイツ空母航空団の運命は如何に!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ