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戦艦<ヤマト>を撃沈せよ  作者: 池田 和美
5/13

戦艦<ヤマト>を撃沈せよ・⑤

 さて陸上、海中、大空と戦いが繰り広げられてきました。ここでやっとルーデル閣下の出撃です!

 と言いたいところですが、まずその前に、いきなり会敵するんじゃあ芸が無い。ちゃんと索敵、触接して攻撃隊を呼び寄せないとね。

 大ジャンプの前にバネを溜める段階ですが、お楽しみください。



●インド洋アラビア海中央部。ドイツ機動部隊:1948年4月18日1230(現地時間)



「どうやら、こちらの先制点で折り返しを迎えたというところですかね」

 ボンベイの基地からもたらされた電報に目を通した軍曹が、自分の好きなスポーツに例えていた。

 いまガーデルマン少佐が握っている黄色い通信用紙には、在ボンベイ基地の敵艦隊攻撃部隊からの報告が書きこまれていた。

 それによると出撃した全一二機の内、途中故障で二機が引き返し、一〇機にてショウカク級を中心とする輪形陣への攻撃に成功し、敵空母へ<フリッツX>が一発命中、一発が至近弾になったとある。

 目撃した操縦士によると、命中弾を受けたショウカク級はすぐさま黒煙を上げ、ほぼ爆沈と言ってよいほどの時間で沈んだそうだ。

「いいニュース(ナハリヒト)だ」

 にこやかにルーデル大佐は言った。最大の頭痛の種である日本正規空母の内、片方の撃沈でこの戦いが始まるなら大歓迎といったところだ。

「ただ、うん」

 ちょっと表情を曇らせた。

「ウチで沈めたかったなあ」

「贅沢を言いすぎだ、ルーデル」

 さすがに欲張りだとガーデルマンが眉を顰めると、まるでギムナジウムで悪戯に成功した少年のような笑顔に切り替えた。

「どっちだと思う? ガーデルマン」

「というと?」

 何を言っているのだろうと、今度は話の筋が見えなかったガーデルマンが眉を顰めた。

「ショウカク級は<ショウカク>と<ズイカク>の二隻ある。その内、沈んだのはどっちだという話しさ」

 ルーデルの立てた二本の指を見比べながら、当然の質問をガーデルマンはした。

「なにか変わるのか?」

「いや。同型艦だけあって戦力的には同じ二隻だ。だが、どちらを沈めたのか気になるじゃないか」

「そうだなあ…」

 いちおう考える振りをしたが、正直に答えることにした。

「見当もつかないよ」

 それに対してルーデルは自信たっぷりに言い切った。

「俺は<ショウカク>だと思っているぞ」

「…根拠は?」

 あまりの自信に、ガーデルマンは興味深そうに訊いた。それに対するルーデルの答えは簡潔であった。

「簡単な話しだ。<ズイカク>より<ショウカク>の方が、運が悪い」

「は?」

 ガーデルマンは目を丸くした。いちおう彼は医師の端くれであるから、科学的思考を是としていた。それなのに運が悪いだの言われても困惑するばかりだ。

 もちろん彼だって東部戦線で戦った勇士であるから、敵の機銃掃射の中で立っていても傷一つ負わなかった者や、今まで三桁に上る敵機を葬って来た撃墜王がまさかトイレで滑っただけで頭を打って死ぬとは思わなかった等、運が左右する出来事には何度も出くわして来た。

「<ショウカク>は進水式の日に大雨になってから、なにかと運が悪かったようだ。太平洋の戦いにおいても、<ズイカク>は不思議と無傷で、<ショウカク>ばっかりに弾が当たったのだそうだ。今回もきっとそうだろうさ」

「あー」

 どうやらルーデルなりに半ば冗談のつもりで口にしているようだ。だが敵との戦いを控えて緊張している身としては全然笑えなかった。

「で? どうする」

 気持ちを切り替えてガーデルマンは訊いた。今から機動部隊からも攻撃隊を出すべきか否か。微妙な問題であった。

 まず時刻が遅かった。今から飛び立って基地機が補足した地点まで飛んで攻撃はできよう。だがそこから帰るとなると、おそらく日没を迎えることになる。夜間の着艦訓練は、いちおう定められた回数を部下に訓練を課していたが、あまり成績は良い方では無かった。なにせ、ただでさえ空母への着艦は「コントロールされた墜落」と表現されるほど難しい物だからだ。

 ルーデルなどの熟練勢はまだしも、若手の何人が無事にこなせるか未知数と言っていいだろう。

 陸軍が奇襲占領に成功した島へ向かわせるというのも手だが、攻撃隊全ての燃料弾薬は用意されていないはずだ。当てにしない方が賢明であろう。

 また、段々と悪化している天候も不安材料の一つだった。

 夜間戦闘機などを除いて、ほとんどの航空機は目視で飛ぶ。これだけ密に雲が重なると、敵の発見どころか、攻撃を空振りさせて味方空母に帰ろうとしても迷子になり、最期は海へと消える機が出るのではないだろうか。もちろんそんなものは犬死だ。

 第三の問題として、発見した敵艦隊には、どうやら<ヤマト>が含まれていないようなのだ。もちろん敵の機動部隊に痛撃を与えて撤退させることができれば、これから先こちらが取れる選択肢が増えてプラスにはなるだろう。だが、あくまで彼らの獲物は<ヤマト>なのだ。

「そうだなあ」

 腕組みをしてルーデルは壁面に掲げられた時計を見た。一つの文字盤で現地時間と大ドイツの時間が読み取れるようになっていた。

 彼自身は今にも飛行甲板を飛び立ちたいという雰囲気だ。ガーデルマンには分かっていた。

 だが、プイッと背中を向けたルーデルはあっさりと言った。

「今日の攻撃は諦めよう。ハイデンハイム司令に意見具申してこよう」


 艦橋の舷窓から見ると、斜め後ろに位置する航空戦艦<フォン・リヒトホーフェン>は、大きな波を切り裂くようにインド洋を進んでいた。

 波の頂点に向けて艦首を上げ、切り裂くと谷間に向けて下を向く。排水量の大きな<ウルリヒ・フォン・フッテン>では、あまりピッチングが起きていないが、あれでは艦上機の運用に支障が出るのではないだろうか。飛行甲板には空軍の『秘密兵器』がシートを被せられた状態で並べられていたが、いざという時に使用できるのか心配になった。

 潜水艦で海軍将校としての道を踏み出し、海軍の拡張戦略に従って水上艦畑に出世街道へ駒を進めたハイデンハイム司令は、当然飛行機に関しては素人である。分からない物をそのままにしておくのも気分が悪いが、いま艦隊は電波管制下なので、通信すら控えなければならない状態だ。艦隊司令の不安程度の通信など、もちろん控えるべきだ。

 本来ならば直接ルーデル大佐に艦隊司令部へ顔を出してもらって、詳しく話を聞きたいところだが、この悪天候で連絡機が事故を起こさないとも限らない。ここは航空参謀代理として航空団から派遣されているヘルムート・フィッケル少尉に確認するしか無いだろう。

「少尉」

 窓際から離れたハイデンハイム司令は、艦橋を一瞥すると、目的の人物を見つけて手招きをした。

「なんでありましょうか」

 彼が旗艦である<ウルリヒ・フォン・フッテン>に乗組んでから、半年近い時間が流れているはずである。それなのに呼びつけると新兵のように緊張するのは、やはり所属する軍が違うので、万が一失礼な事が無いようにと心を砕いているからだろうか。

 そんな彼を安心させるように微笑みかけてから、ハイデンハイム司令は口を開いた。

「航空団から出撃要請が無いようだが?」

「はっ」

 海軍では一日に一回敬礼を交わせば、後になっての敬礼は省略してもいいことになっている。なぜなら狭い艦内で上官に顔を突き合わせるだけで敬礼をしていたら、そちらばかりが忙しくなって何も仕事がこなせなくなるからだ。だが空軍は違って、上官と話す度に敬礼をしなければならなくなる。ハイデンハイム司令は、ここは海軍の艦艇上であるから海軍式で敬礼は構わないとフィッケルに告げてあったが、彼は空軍式を止める気配はなかった。

 彼が海軍式を勧めたのには、もう一つの問題もある。海軍式は脇を締めて縦に右手を瞳の前に上げる、いわゆる場所を取らない方式の敬礼だ。もちろん、これも狭い艦内であることが理由だ。

 一九四四年七月から空軍が採用しているナチス式敬礼をしようとすると、斜め上に手を挙げるため、最悪の場合天井に手がぶつけかねなかった。

 幸い<ウルリヒ・フォン・フッテン>の艦橋は大きな空間を保有しており、少尉の腕がどこかへぶつかることはなかった。

 敬礼されたからには答礼しなければならない。フィッケルに軽い調子で答礼したハイデンハイム司令は、質問の続きをした。

「今日の攻撃は諦めるということかな?」

「は。おそらく大佐は、この悪天候では攻撃隊を出撃させても敵艦隊の捕捉は難しいと考えたのでしょう。やはり<ヤマト>を確実に見つけてからの攻撃になると思われます」

 正確に上官の思考を汲んでいる様子である。ただ単純に優秀な部下を持っているルーデルのことが羨ましくなった。

「そうか…」

 そこでハイデンハイム司令の表情が曇った。

 艦隊はまっすぐと日本艦隊が存在すると思われる海域に向かって、艦隊速度で突き進んでいた。現在の艦隊速度は各艦の燃費が一番良い巡航速度である一九ノット(約時速三五・二キロ)であった。日本側の巡航速度(注178)は知らないが、もし同じ速度で進んでいるとしたら、真夜中ごろに二つの艦隊は出会うことになる計算だ。そうなったら軽艦艇がいないこちらが圧倒的に不利であった。暗夜での襲撃活動ほど駆逐艦が活躍できる場面は無いからだ。

「私は一旦、相手との距離を取ろうと思うのだが」

「艦隊運用について小官は見識を持ち合わせておりませんが、閣下の判断は間違いない物だと思います」

「よろしいでしょうか?」

 二人の会話に、横から四角い顔が入って来た。<ウルリヒ・フォン・フッテン>艦長のアイムホルン大佐である。

「なにかな?」

「お話の途中にすいません。<ブラウ>から信号です」

 顔を窓の方向へ向けると、赤い<フォン・リヒトホーフェン>の背景のように見える<ペーター・シュトラッサー>の信号灯が最後の明滅を終えるところだった。

「<ブラウ>より信号」

 艦橋スポンソンで灯火信号を読み取っていた信号員が声を上げた。

「『本日の攻撃予定無し。ルーデル』以上です」

 通信は簡素に分かりやすくが基本であるが、このルーデルからの信号は手順を略しすぎの感がある。普通は誰に宛てたかとか、作戦について意見具申ありとか、一文が足りないのは間違いない。ただ東部戦線で生き残って来た彼らしいと言えばそんな通信文であった。

「よし。艦隊針路を真北に取って、敵との間合いを図ろう。レーダーがあるとはいえ、奇襲されるのは嫌なものだからな」

 文明の利器たるレーダーも万能ではない。雲が濃ければ航空機と見分けがつかなくなるし、波が高ければ小型の艦船を見落とすことだってある。

 使える艦艇の数という絶対的な手駒の数が違うのだから、ここは安全策を取る事について反対する者は誰も居なかった。

「参謀長」

 ハイデンハイム司令は別の上級将校へ声をかけた。艦隊司令の彼が艦橋に上がっているのだから、艦隊司令部を構成する参謀は全てその場に揃っていた。いないのは航空団を指揮下に置いているルーデルだけだ。

「は」

 参謀長は短く返事をして輪に加わった。

「艦隊の針路をしばらく西へ取り、じゅうぶん彼らと離れることができたと判断してから、いったん北へ針路を取ろう」

「そうですな」

 彼も元は潜水艦乗りだったはずだ。そして優秀なスタッフしか彼の参謀団に加わることはできなかった。もちろん彼も、こちらが数的劣勢にあることはじゅうぶんに理解しており、敵に近づきすぎる危険をしっかりと認識していた。

「ただ、明日の夜明け前には敵艦隊への攻撃位置にはついていたいな」

 チラリとフィッケルに確認して来る。どのくらいの間合いが丁度いいのか訊ねているのだ。

「おそらく一五〇海里(約二七八キロメートル)ほどが最適では無いかと思われます」

「そうか…」

 ハイデンハイム司令は押し黙った。参謀長も黙ったまま彼の言葉を待っていた。おそらく二人の頭の中では複雑な計算が行われているのだろう。敵味方の速度が変わらなかった場合、どう針路を取るべきか…。

「参謀長。二〇三〇頃に二・七・〇へ変針というのはどうだろうか」

「そうですねえ」

 参謀長は自分の頭の中でしていた計算と突き合わせて最適解を出そうとしている様だった。

「自分の計算だと、もうちょっと早めの変針の方が確実だと思われますが…。そのぐらいでしょう」



●インド洋アラビア海ラッカジブ諸島北西海域。ドイツ機動部隊:1948年4月18日(現地時間)1545



 ドイツ機動部隊は夕方に艦隊の陣形を変更した。

 具体的に言うと五隻の中から空母<ドクトル・エッケナー>だけを先行させることにしたのだ。

 ただでさえ少ない数の機動部隊から、さらに空母を一隻前進させるのには理由があった。

 輸送船団と機動部隊との関係と同じである。先行させた<ドクトル・エッケナー>に敵の機動部隊の攻撃を誘引して、本目標である<ヤマト>上空を空っぽにするのである。

 命令を下したハイデンハイム司令が艦橋の窓から見ていると、信号を受けた<ドクトル・エッケナー>が進路を変えて単身進み始めたのが見て取れた。いままで艦隊速力にあわせていた足を、全力運転に切り替えたのか艦首に白波が立つのが見えた。

 このまま機動部隊本隊から距離にして七五海里(一三八・九キロ)先に進出し、敵が保有しているはずの残り航空母艦二隻分の攻撃を受け止める役目をするのだ。いや基地航空隊の奮戦を称えて、軽空母は正規空母ほどの戦力ではないはずだから、一・五隻分と言うべきか。

 もちろん、ただノンビリとしていたら、太平洋でアメリカ機動部隊と血で血を洗う戦いに勝利した日本機動部隊にやられてしまう。

 だがハイデンハイム司令が自信をもって単艦にて<ドクトル・エッケナー>を行動させるには理由があった。彼女は四隻の空母の中で唯一ジェット機に対応した改装を終えているのだった。

 よって搭載されている機体もそれ相応に強力な物が揃っていた。

 まず目玉は大ドイツが誇るジェット戦闘機、メッサーシュミット二六二である。世界最初の実用化されたジェット戦闘機であり、先の欧州戦争でも最後の最後に活躍する機会が巡って来た機体である。

 ジェットの威力はすさまじかった。超長距離を飛んで都市爆撃を画策する戦略爆撃機や、教会の鐘楼よりも低い高度で侵入して来る高速爆撃機など、全てを叩き落し欧州の空から連合軍の航空機を全て排除する事に成功した

 空母に搭載するにあたって、着艦フックなどの装備が施され、信頼性の低かったジェットエンジンも改良されたタイプに交換された。型式もメッサーシュミット二六二Fとなっていた。

 陸上型であるA型が<(シュバルベ)>と呼ばれていたため、艦上型はそれにちなんで<海燕(カイヤン)>と愛称がつけられた。(注179)

 まだ<カイヤン>は先行試作が始まったばかりのバリバリの新型機である。

 すでに陸上基地を使用する空軍の方には、第二世代とも言える試作機がチョボチョボと現れ始めてはいた。

 しかし機体の不調が起きて飛べなくなっても空軍機は陸の上を飛んでいる事が多い。つまり不時着なりパラシュートで脱出なりしても、ヒッチハイクでもして基地に帰ってくることができる。

 だが艦上機はそうは行かない。調子が悪くなって不時着するのは海、パラシュート脱出した先も海である。海ではヒッチハイクとはいかないだろう。搭乗員に海水浴を強要することになる。もちろん味方の救助が遅れれば助からないため、なにより信頼性が重視された。

 よって空軍で使用実績を積んでまともな機体になったメッサーシュミット二六二がようやく空母に積まれるようになったというわけだ。

 もちろん艦上機型のF型に改修したからと言って万能になったわけではない。空母側も改修が必要だった。

 格納庫と飛行甲板を結ぶ昇降機(エレベーター)の積載荷重を強化することはもちろん、燃料系統もジェットエンジンはケロシンを使用し、レシプロエンジンはガソリンと違う物なので、余分に一系統増やさなければならなかった。そして重く失速速度が高いジェット機が着実に飛行甲板で止まれるように、着艦ケーブルや、非常用の布製バリケードも質の高い物が要求された。

 中でも一番重要なのは、発艦の時に使用する射出機(カタパルト)の改良であった。

 しかし科学の進んだ大ドイツと言っても、空母のカタパルトの開発はあまり進んでいなかった。

 戦艦や巡洋艦に搭載する火薬式の物と違って、空母のカタパルトは空気圧で艦上機を撃ち出す仕組みとなっていた。これは戦後判明するのだが、大ドイツのカタパルトはエアボンベ周辺の設計に誤りがあり、連続射出に制限が掛かっていた。(注180)

 頑丈に作ってあるとはいえ、艦上機は砲弾では無いのだ。機体にかけて良い加速度に適した装備を開発しなければならない。

 カタパルトに関して日本の空母も装備しているが、同じような問題が発生しているという噂は聞こえてこなかった。色々と情報機関が軍事技術を盗もうと日夜努力を重ねているが、日本側の防諜態勢は厳しく、はかばかしい成果を挙げてはいなかった。(注181)

 連合軍の空母もカタパルトを装備しているが、コチラはより性能の良い物が開発段階に入ったようだ。情報部によると日本の旧式な物よりも、コチラの方が先に情報が手に入りそうらしい。(注182)

 どちらにせよインド洋を往く現在の大海艦隊所属の諸空母が装備しているのは、性能の悪いドイツ製の圧縮空気式カタパルトであった。機体が重く、初期加速にカタパルトが必要なジェット機のために改修された<ドクトル・エッケナー>に装備された物もそれなりの性能ではあるが、いまだ満足の行く物では無かった。

 それを補助するために、苦肉の策として発艦に際して使い捨てのロケットを使用する事になっているが、それに詰められている薬液は毒性が強くて取扱いに注意が必要だった。

 そのようにしてまで狭い空母上で苦労を重ね、ジェット機を運用する意味は大きかった。もし空中戦となれば雲霞の如く押し寄せて来る敵攻撃部隊を追い払う能力は十分にあると試算されていた。敵の最新鋭戦闘機と渡り合っても被撃墜率(キルレシオ)は四対一と見積もられていた。つまりそれは<カイヤン>一機失う間に敵の戦闘機を四機撃墜できるという意味だ。

 もちろんいいことばかりではない。ジェット機はレシプロ機と比べて航続力が弱いという大きな欠点がある。ただでさえ航続力が短いドイツ機の中でもジェット機は顕著で、空中にいられる時間は三〇分程度しか無かった。

 ここぞというときに空母を発艦し、威力を発揮してくれなければ宝の持ち腐れである。

 そこら辺の匙加減はメッサーシュミット二六二F<カイヤン>を装備している第一六七実験航空団第五飛行隊第一三飛行中隊を指揮するライル・フィッシャー少佐の手腕にかかっていた。

 自らも欧州戦争でスーパーマリン<スピットファイア>ばかりを八〇機も撃墜した記録を持つ撃墜王であった。七九機目を撃墜した時は機銃が弾切れを起こしていたので、相手の胴を主翼で切断して撃墜し、自らも不時着した経験を持つ。その勇猛さから騎士鉄十字勲章を受章していた。

 だが、空中戦では勇猛果敢なフィッシャー少佐も、機を下りるとまるで人が違ったように寡黙で、直属の部下ですらうかつに近づけない程の雰囲気を持つ男だった。

 感情を出すことも滅多にせず、その鷹の目のように鋭い眼差しで部下たちを、言葉少なくだが厳しく指導する男だった。

 そんな彼を下端の口が悪い整備員なんかは「座席の上に置かれる新しい部品」とまで言っていた。確かにいかなる時も論理的にあろうとする彼の姿勢は、まるで機械と会話しているのではないかと相手に錯覚させるほどであった。

 だが忘れてはいけない。彼は欧州戦争で、一機も僚機を失った事は無かった。僚機が敵機に襲われれば助けに駆けつけ、また無理だと思われる作戦は避ける傾向にあった。

 地上での冷たい態度で誤解している者が多かったが、決して部下や同僚にまで機械であれと望む人間では無かった。彼が部下に求めているのは、機械のような精密に任務達成を成し得る技量であり、けっして機械そのものであれとまでは思っていなかった。

 そういったことを重々承知で航空団司令のルーデル大佐は空母<ドクトル・エッケナー>の航空隊を彼に一任していた。

 先行して進む<ドクトル・エッケナー>とは、電波管制などで連絡を取れない状態になるのが当たり前だと考えたルーデルは、他に彼女へ搭載されている艦上機の全ての指揮権を彼に委ねていた。

 空母<ドクトル・エッケナー>に積まれた他の戦力は以下の通りだった。

 まず同じ戦闘機として第一六七実験航空団第一六飛行中隊のメッサーシュミット一五五<バジリカ>があった。(注183)

 この機は、欧州戦争時に開発された艦上戦闘機メッサーシュミット一〇九Tの後継機であった。長いスパンを持つ主翼の途中にラジエターがついているのが特徴のレシプロ機である。そのせいで片翼だけを上から見ると、まるで十字架のような形をしていた。それがきっかけで<大聖堂(バジリカ)>と呼ばれるようになったのだ。(注184)

 本国ではその翼面荷重の低さから、高高度戦闘機として領空を侵犯して来る所属不明機の追跡任務にも使えるのではないかと、試験されている戦闘機でもある。

 設計はメッサーシュミット社で行われたが、試作機製作以降はジェット機の生産に忙しい同社に代わって、ブローム・ウント・フォス社により行われている。ちなみにブローム・ウント・フォス社は、機動部隊旗艦である<ウルリヒ・フォン・フッテン>を建造した造船会社の航空機部門である。

 ただ生産の遅れから、現在の制式艦上戦闘機ではない。次期制式艦上戦闘機として試験が続けられている<カイヤン>が失敗した時のための保険として生産開発が続けられている機体であった。

 空中戦に期待を持てる機体は他にも<ドクトル・エッケナー>に積まれていた。

 第一海上駆逐航空団第一飛行隊第一飛行中隊第三小隊に所属するドルニエ三三五C<(プファイル)>である。(注185)

 爆撃機の老舗であるドルニエが開発した駆逐機というのは、ちょっと不安になる要素であるが、実機に乗ればそんなものは吹き飛ぶような高性能機である。

 機体の前後にレシプロエンジンを搭載した双発機で、その大きな搭載量を機上レーダーに当てており、全天候戦闘爆撃機と言っても過言ではない機体だ。

 陸上基地で夜間戦闘機として配備されている機体を艦上機にふさわしい改修をした機であるので、サブタイプがC型となっているが、攻撃力など陸上型に遅れるところなど一切なかった。

 戦闘機としては以上だが<ドクトル・エッケナー>には鉾として攻撃隊となる機体も積まれていた。

 第一海上急降下爆撃航空団第二飛行隊本部小隊と同第五飛行中隊に所属するユンカース一八七C<スツーカ>と、第一海上爆撃航空団第三飛行隊第七飛行中隊に所属するフォッケウルフ一六七<アイバトス>である。

 さすがに<ドクトル・エッケナー>の搭載能力を艦上戦闘機へ多く割り当てているので、全てを合わせても三〇機に満たない数しか無いが、敵に一矢を報いるぐらいの攻撃隊は編成できるはずである。

 またヘリコプターであるフォッケ・アハゲリス二二三C<ゼー・シュランガー>と、色々な雑用に使用するためにフィーゼラー一五六C<シュトルヒ>も搭載されていた。

 航空母艦の搭載機のほとんどが空軍で使用されている機体を艦上機に改修した物であったが<シュトルヒ>だけは、その低速度能力が素晴らしすぎて、特に改修されずに搭載されていた。

 なにせ空母が全速力を出すと、着陸態勢にある<シュトルヒ>が追いつけなくなるぐらいなのだ。

 陸上基地で離陸するのに必要な滑走距離は向かい風の場合五〇メートルで足りる、着陸で二〇メートルである。

 改グラーフ・ツェッペリン級の飛行甲板の長さが二四二メートルであるから、離着艦に一切の支援が必要ない。それどころか飛行甲板の最大幅が三〇メートルあるので、理屈だけで言うならば(もちろん風向きなどの諸条件が関係する)<シュトルヒ>は飛行甲板へ横方向に着艦できることになる。

 以上が<ドクトル・エッケナー>に用意された戦力である。他にも艦体に装備された対空砲や対空機銃などもあるが、原型の<グラーフ・ツェッペリン>に比べたら三分の一も装備されていなかった。まあ航空母艦の割に<グラーフ・ツェッペリン>が重装備だったということもあるが(一五センチ砲一六基に一〇・五センチ対空砲連装六基、そして数々の対空機関砲であり、それだけで巡洋艦並みであった)必要最低限の防空体制は取れるようにはなっていた。

 これら心強い搭載機を持った<ドクトル・エッケナー>は対空母戦では最高の盾となると考えられていた。もし<ヤマト>に遭遇するチャンスが巡ってきても、攻撃隊も編成できる数がある。問題は軽艦艇や潜水艦による夜襲であるが、それは<シュトルヒ>などで厳重な哨戒を行って警戒すればよい。いざ軽艦艇に見つかっても<ドクトル・エッケナー>は空母だけあって船足はそこら辺の巡洋艦より速いのだ。

 ハイデンハイム司令が単艦で前進させたのには、以上のような裏付けがあったからなのだ。


 ドイツ機動部隊はこの陣形で二〇〇〇まで変針を行わずに南進を続けた。暗くなった雲間に閃光のような物を確認した後に、針路を西、そして真夜中に北へと変針した。この閃光は現在では積乱雲内に発生した雷の物という説が一般的だ。

 戦後、独日双方の記録を調べた歴史家たちは驚くことになる。この時、日本艦隊も闇夜の接近戦を嫌って、艦隊針路の変更を繰り返していた。この日に両艦隊が最接近した時は、わずか七〇海里しかなかったはずというのが歴史家たちの定説である。お互いの艦載レーダーの捜索範囲を考えるとギリギリの距離だ。

もしこの雲間の閃光が無ければ夜戦が生起する可能性があったと思われる。そうなれば、この後の戦いの様子もだいぶ変わってしまった事だろう。(注186)



●インド洋アラビア海ラッカジブ諸島北西海域。ドイツ機動部隊から先行する空母<ドクトル・エッケナー>:1948年4月19日0300(現地時間)



 空母<ドクトル・エッケナー>の飛行甲板に、次々とフォッケウルフ一六七<アイバトス>が並べられていく。整備員たちは真っ暗な中で手元の懐中電灯だけで発艦準備を整えていった。アイランドにある作戦会議室には、扇形の線が複数書き込まれた航空地図が貼りだされていた。

 今日の夜明けは〇六一六だが、彼らは三時間も早い時刻に飛び立って前路を索敵する事になっていた。そのための作戦会議である。

 第一海上爆撃航空団第三飛行隊第七飛行中隊の中隊長自ら説明に立ち、おそらく日本艦隊が存在すると思われる海域を示した。

 後方にいる機動部隊主力も索敵機を出す予定だが、中隊長は自分たちだけで発見することに自信を持っていた。

 一番発見の可能性が高い航路を自分が進み、二番機と三番機が両脇の扇形を担当する。索敵だけで中隊の保有する全ての<アイバトス>を出してしまうため、敵空母を撃沈するのに有効と思われる雷撃隊が<ドクトル・エッケナー>には居なくなることになるが、攻撃の主体は後方の機動部隊本隊だ。攻撃力低下を気にすることなく、まず敵の発見に全力を尽くせばよい。

 専門的なブリーフィングを終えた搭乗員たちが、一斉に敬礼をして総統を称える言葉を口にした。

 それに対し戦闘機乗りで、このブリーフィングには立ち会っても意味が無いはずのフィッシャー少佐が答礼した。

 彼は死地へと向かう部下が出撃するのに、関係無いからと寝ていられる人物では無かった。

 フィッシャー少佐の口から予想される天候、特に風向きに関しての注意が重ねられる。横風によって本来の哨戒線を外れたら、敵を見つけたとしても場所を間違って報告してしまうかもしれないからだ。

 他の基本的な諸注意を中隊長と同じように繰り返した後、フィッシャー少佐が短く訓示した。

「無理をするな。必ず帰ってこい」

 作戦会議室から飛行甲板へと出ると、辺りは真っ暗だ。その暗闇の中に整然と<アイバトス>が二列に並べられていた。

 まず暗闇の中を、万が一離艦に失敗した時のために救助用としてフォッケ・アハリゲス二二三C<ゼー・シュランガー>が飛び立って行った。

 艦の周囲をまるで夜間の遊覧飛行のように飛んでいるフィーゼラー一五六C<シュトルヒ>は、もしかしたら海面下に潜んでいるかもしれない敵の潜水艦を警戒するためのものだ。

 小さな機体の下に樽のような航空爆雷を吊るしていた。それは実戦機にあるまじきことに、ただロープで爆雷についている金具を縛っているだけであった。

 爆弾や爆雷の搭載装置どころか、爆撃照準器すら積んでいない機体である。暗闇の中で浮上している敵潜水艦、もしくはその潜望鏡が海面を割って進む白波を見つけたら、パイロットが手に持ったナイフでロープを切って爆雷を投下するという、原始的かつ確実な方法を採用しているのだ。(注187)

 潜水艦を警戒するのには意味がある。いま飛行甲板に並べられた<アイバトス>は、機体各部にある航空灯を点灯しており、暗夜の中でキラキラと光るクリスマスツリーのように目立つ存在なのだ。

 そして搭載機を発進させるためには、空母は風上に向かって全力で直進しなければならない。もちろん必要だからそういう行動を取るのだが、何十分後だろうがどこにいるのか予想を立てやすいということになる。つまり魚雷に対して、これ以上の状態は無いほどに無防備となるのだ。

 そんな危険を冒すならば点けなければいいはずだが、もちろん理由がある。<ドクトル・エッケナー>を発艦後は消灯する予定であるが、明るいブリーフィングルームから出て来て、瞳孔が収縮していた搭乗員たちが出撃するにあたって様々な準備する助けが必要であった。

 一機の<アイバトス>あたりに三人の搭乗員がおり、暗い中で作業を続けていたため目が慣れている整備員が搭乗を手伝ってくれた。(注188)

 エンジンのある前方から、操縦士、偵察員、後方銃手の順に着席する。この内、偵察員が航法を担当し、後方銃手が通信員を兼務する。

 轟々と音を立てているエンジンはBMW八〇一空冷星型エンジンである。同じ系統のエンジンは、設計元になったフィッケウルフ一九〇<ビュルガー>も採用している。メッサーシュミット二六四B<ヨトゥン>や、ユンカース三九〇C<スルト>等の巨人機にも採用されているが、こいつは過給機のタイプがどれとも違うのでJ型と名付けられたタイプだ。

 エンジンカウリングから機体、そこから操縦室の風防に繋がるラインは<ビュルガー>に似ていた。そこから三つの座席が並び最後は一三ミリ機関銃が装備された手動旋回銃座で終わる。後席の機銃はもう一挺あって七・九二ミリ機関銃が、機体の下から飛び出すように下方旋回式に搭載されていた。装備されている場所と、敵戦闘機に対しての効果が期待できない事から「蜂の針(ビーニンステッシュ)」と綽名がつけられた装備だ。

 武装はもう一つあった。二〇ミリ機関砲が右翼の付け根に一門だけ前向きに埋め込まれていた。こいつはプロペラの旋回半径内にあるものだから、原型と同じく同調装置がついていた。

 内翼は新規設計ではあるが設計陣が同じであるため、どことなく<ビュルガー>に線形が似ていた。外翼なんかはまるっきり<ビュルガー>の物の流用だ。

 部品を既存の機体に揃える事で、生産性の向上に役立てているのだ。同じように尾翼は増積されているが、機体後半も丸ごと<ビュルガー>の流用である。

 これで雷撃任務ならば胴体下に航空魚雷が懸吊される。敵との距離が遠ければ両翼の下に三〇〇リットル増槽を装備できる。水平爆撃任務ならば最大二トンの各種爆弾を胴体下に懸吊でき、近距離ならば両翼下にそれぞれ二五〇キロまでの爆装を追加できた。

 だが索敵任務の現在は、胴体下に魚雷のような長大な増槽を吊るしていた。

 先頭の二機だけが翼をピンと張っているが、後ろの僚機は主翼の中ほどから上へと跳ね上げている。何も無い空母の飛行甲板といえども、空間は無限ではない。よって発進順が来るまでは翼を折り畳んだままにするのだ。

 隊長機でもある一番機が、飛行甲板前部にあるカタパルトと接続された。

 誘導員が小さく灯る懐中電灯を回している。操縦士はブレーキを一杯に踏んで、エンジン出力を全開にした。

 空母が全力で風上へと向かう。飛行甲板の上では強風が吹き荒れていた。

 この状態ならば、いくら全備重量が重い<アイバトス>といえども、飛行甲板の全部を使わせてもらえれば、カタパルトなしに飛び立つことが出来るように設計されていた。

 だが今は発進予定がある全ての機体が飛行甲板に上げられていた。後ろに部下たちが並んでいる一番機と飛行甲板前端までの距離は絶望的なほど短かった。カタパルトを使用しないと飛び立つことは無理だった。

 操縦士席の計器盤右側にある三灯式の信号装置が黄色から青色へと切り替わった。(注189)それを確認したと同時に操縦士はブレーキを外した。艦のカタパルト員は<アイバトス>に合わせて空気弁を解放したはずだ。

 航空灯を灯した一番機が、ヨタヨタと甲板を進み、まるで「よっこらしょ」と言っているように飛行甲板の前端から車輪を浮かせた。

 カタパルトを使いエンジンを全開にしてもなお揚力が足りないのか、飛行甲板から一旦沈み込むような飛び方となる。失った高度の代わりに得た速度を揚力に追加して、一番機は出撃に立ち会っているフィッシャー少佐から見てヨロヨロという印象で、日の出前の暗い空へと飛び立って行った。



●インド洋アラビア海ラッカジブ諸島東方。ラッカジブ海上空六〇〇〇メートル:1948年4月19日0610(現地時間)



 雲の中をフォッケウルフ一六七<アイバトス>が単独で飛行していた。三時間ほど前に空母<ドクトル・エッケナー>から飛び立った索敵任務の機体である。

 彼らは一番発見が期待される索敵線の一つ外側を飛ぶ二番機であった。

「どうだ?」

 操縦桿を握る操縦士のヴァルター・トラウトロフト軍曹が、縦に並んで座っている同僚に訊ねた。

「もうちょっと真っすぐ飛んでくれ」

 心ここにあらずといった声で、真ん中に座る偵察員であるマックス・シュリクティング軍曹が、手元の機械を弄りながらこたえた。機上の三人は揃って軍曹と同じ階級であるが、彼が最先任なので機長ということになっていた。

「そら、真っすぐ飛ぶのは良いけども…」

 トラウトロフトが言葉を濁したので、シュリクティングは掛かりきりだった機械から顔を上げた。

「どうした?」

「なんか、この先の空気が悪いというか…」

 トリオを組んで長くなるが、いつも非科学的な事を言う出す奴という事は分かっていた。そしてトラウトロフトの第六感は、意外と当たる物だという事も知っていた。宿舎から出かけようとして呼び止められ、青空だというのに傘を持たされた事が何度もある。そして、その的中率は、ほぼ一〇〇パーセントであった。

「空気が悪い?」

 もうちょっと具体的に教えて欲しいと、彼の言葉を繰り返してみた。

「う~ん。この雲の向こうにゃ、敵の戦闘機が待ち伏せしているような気がするんだよな」

 今は雲の中を飛んでいるので目視されない。同じように解析度の低い索敵用レーダーにも彼らの機体は映し出される事は無いだろう。

 つまり彼らは薮に潜んだ狐である。猟犬に追い立てられて藪から飛び出したら、猟師の銃でズドンというわけだ。

「逆探の方はどうだ?」

 シュリクティングは後ろにいるはずの通信員ゲルハルト・リッパート軍曹に訊いた。

「もうバンバン電波が飛び交っている。全部、日本軍のものだ」

 送受信機が装備された機内の席からインターホンを通じて答えがあった。レーダーに掛かりきりだったので、日本軍の電波を傍受する仕事を彼に任せていたのである。

「ただ、どれも捜索用の電波みたいだ。危ない照準用の電波はまだ当てられてない」

 射撃をするには大雑把すぎるデータしか得られない捜索用のレーダーならば、まだ我慢できた。これが射撃用のレーダーを当てられたら、すぐに逃げ出さないと撃墜されてしまう。シュリクティングは…、いや三人ともインド洋(こんなところ)で死にたくは無かった。

「レーダーの方は?」

「だめだ」

 シュリクティングは、ずっと調子の悪い機上レーダーの調整に掛かりきりだった。

 このFuG二〇〇ホーヘントヴィール・レーダーは、海上捜索用に開発されたレーダーであった。

 こんな雲の中からでも海面に居る艦艇を見つける事が出来る有難い装置である。だが今は、置かれている棚から引っぺがして、風防から外へ投げ捨てたい気分であった。

 もともと本国で訓練に使用しても、まともに作動するのが六割ほどの確率であった。酷いと離陸の揺れだけで故障してしまう。本当は、もっと大きな機体へ搭載するように開発されたレーダーを無理に小型化した弊害である。

 今日も空母<ドクトル・エッケナー>を飛び立った辺りでは調子が良かったが、敵艦隊に近づいたと思われた途端、うんともすんとも言わなくなってしまった。

 発信器が故障かと思いきや、電波自体は出ている様子である。自分が出した電波をすぐに受信する自己診断をしてみると、たしかに電波は発振されているようだ。だが普通に使用しようとすると、受信機に反応が無くなるのだ。

(これは、アレか?)

 再び機械の調整に取り掛かりながらシュリクティングは思った。

(夜間戦闘機部隊じゃ、敵が妨害電波を出して、機上レーダーが使えなくなることがあるっていう。あれと同じじゃないか?)

 なにせ相手は飛行機より容積がある艦船だ。<アイバトス>よりは広いとはいえ夜間戦闘機や重爆撃機の狭い空間に詰めるのならば、船にだってそういった機材は詰めるだろう。いや、もっと性能の良い物が積まれていてもおかしくはなかった。

「どうだ?」

「諦めた方がいいかもしれんな」

 再度のトラウトロフトの確認に、シュリクティングは腹をくくった。

 すでに日の出まで一〇分を切っているはずだから、雲から出れば海面の様子は肉眼で確認できるはずだ。もちろん、こちらから見ることが出来るという事は、向こうからもこちらは丸見えということでもある。

「雲の下に出て、肉眼で海面を確認する」

「うひゃ」

 後ろのリッパートが悲鳴のような物を上げた。だが、どんなに命の危険があろうとも、このまま帰投したのでは「雲の中を遊覧飛行していました」ていどの報告しかできない。それでは怒られるだけで済まない失態だ。

「う~ん。戦闘機に追われたら、逃げ帰って良い?」

 先に確認せねばなるまいとトラウトロフトが訊いて来た。

「もちろんだ」

 シュリクティングは大きく頷いた。後方を確認するために計器盤へ取り付けられているバックミラー越しに、トラウトロフトが笑ったのが分かった。

「ちょっと待ってくれ。下で銃を構えるまで、時間をくれ」

 最後尾にある銃手の席は高さが変えられるようになっている。一番高くすれば後上方を撃つ銃座に、低くすれば機体の中に装備された通信機を操作できるようになる。そしてシートベルトを外して床に寝そべれば、機体の後ろ下方に向けられた七・九二ミリ機関銃を扱える下方銃座となる。ただ、そこから狙える範囲は絶望的に狭いのであったが。

 しかし海面を観察するには最適の場所であるはずだ。

「いいか?」

 操縦士であるトラウトロフトがふたりに確認する。

「いいぞ」これはリッパート。

「やってくれ」これはシュリクティングの返事であった。

「よし」

 トラウトロフトも腹をくくった声を出し、雲海から機体をはみ出させるように、操縦桿を押し込んだ。

「!」

 ふたりよりも先に下方視界が優れるリッパートが驚きの声を上げた。

「日本艦隊の真上だ!」

「なに」

 機長のシュリクティングがリクエストする前に、トラウトロフトが機体を傾けて、海面を観察しやすいようにしてくれた。

 雲の合間から見える海面には大きな影と、小さな影が並んで、白い航跡を引いているのが見えた。まだ夜明けから間もないので、横から光が当たって海面へ長い影が伸びているのが分かった。

「リッパート! <グリュン>へ打電だ!『我、敵艦隊見ユ! 敵艦隊ハ<重巡二、駆逐艦四>ト認ム』時刻と場所をつけ加えるのを忘れるなよ!」

「了解」

 寝そべっていた態勢から席へとリッパートが戻って、暗号表を開いて石板にチョークでシュリクティングの言葉を暗号へと組み始めた。(注190)

 と、グラリと機体が揺れた。

「おい、いま忙しいんだから、揺らさないでくれ!」

「こっちも忙しくなりそうだ」

 トラウトロフトの言い方が気になったので、リッパートは顔を上げた。雲を背景にして、煤色をした物体がキラリと光るのが目に入った。訓練された目で見れば、ソレが日本の艦上戦闘機だという事が分かった。

「う、うひゃ」

「貴様は先に暗号を組め。アレはオレたちで何とかする!」

 機長であるシュリクティングが勇ましいことを言ったが、彼に出来る事は周囲を見回して、接近して来る敵機の方角を操縦士であるトラウトロフトに伝える事しかできなかった。



●インド洋アラビア海ラッカジブ諸島北西海域。ドイツ機動部隊:1948年4月19日0615(現地時間)



「発見! 発見です!」

 通信参謀が戦艦<ウルリヒ・フォン・フッテン>の艦橋へ駈け込んで来た。

 上官たるものいつも超然とした態度を部下へ示すべし。そう自分と同じ職業軍人だった父親から教わっていたハイデンハイム司令は、それが晩餐会のメニューが発表された程度の態度で通信用紙を受け取った。


 宛:大海艦隊機動部隊

 発:索敵機二号機

「我、敵艦隊発見。空母二、重巡四。HNP二二。速力二〇。針路三・〇・〇」


 電文後半の数字は、海図上の地点を示す座標である。

 電文を握りしめたままハイデンハイム司令は、海図台へと速足で近づいた。太陽が水平線に顔を出し始めているので海図台を覆っていた暗幕は畳まれており、当番である航海科の将校が、艦隊の現在位置を書き込む仕事を続けていた。

「仕事の邪魔をしてすまんね」

 ハイデンハイム司令は、声をかけて彼から大きな三角定規を借りて、海図の上に当てた。

 艦隊の現在位置と、電文が示す概略位置を結ぶように整える。方角は、ほぼ真東であった。

「司令」

 冷静な声が背後からかけられた。<ウルリヒ・フォン・フッテン>艦長のアイムホルン大佐であった。

「<ブラウ>の信号灯が点滅しております」

 航空団司令部が乗っている空母<ペーター・シュトラッサー>が信号を送って来るっていうことは、内容が分からなくてもすぐに推察できた。

 同じ電文を<ペーター・シュトラッサー>も受信していて不思議ではない。そして敢闘精神の塊のようなルーデル大佐のことである。すぐさま全力攻撃の必要性を訴えているのであろう。

「<ブラウ>に返信。使用可能な戦力を投入して、敵艦隊を撃滅せよ」

「ハッ。全力攻撃を航空団司令に要請いたします」

 ルーデルの所属は空軍であるから、海軍である機動部隊司令部からは「命令」することはできない。だが「要請」することはできた。まあ、彼ならば「命令」とあっても、それが理にかなっていれば笑って済ませそうであるが。

 通信灯がある信号甲板への出入り口で、ハイデンハイム司令の言葉を信号員へ伝えようとした通信参謀と、たったいま<ペーター・シュトラッサー>からの信号を受け取って報告に上がろうとした信号員が鉢合わせをしていた。


 艦長に挨拶するために艦橋へ上がっていたルーデルは、同じアイランドにある作戦会議室へと下りて来た。

「よし、いくぞ諸君」

 すでに室内は、ハイデンハイム司令の返信を待たずにルーデルが部下を鼓舞した後で、興奮に包まれていた。「命令」や「要請」なんか彼には必要なかったのである。必要なのは「敵」と「スツーカ」であった。

「電文には空母二隻とある。おそらく近くには<ヤマト>もいるはずだ。たとえ空母が居たとしても、我々は<ヤマト>を沈める。目標は<ヤマト>。攻撃隊は<ヤマト>に掛かりきりになるから、戦闘機は忙しくなるぞ。手が空いたら…、つまり<ヤマト>を海底へ送り込んだ後は、ついでに空母を沈めてやろう。わかったかね?」

 いざという時に迷いが生じないように、部下に向かって目標は<ヤマト>だと断言する。一番いけないのは、どちらも目標とお茶を濁す事だ。(注191)

 それに対して作戦会議室に集まっていた搭乗員たちが、大きな声を上げてこたえた。それは意味のある音声ではない。狼の遠吠えよりも意味の無い気勢であった。

 部下たちの気合を満足そうに見回したルーデルは、とてもいい笑顔で腕を上げた。

勝利のために(ジークハイル)!」

「勝利のために!」

「それでは、仕事に取り掛かろうか」

 手袋を引っ張って指が奥まで入るようにしながら、飛行甲板へと赴く。もちろん彼の後には勇士たちが続いた。

 ルーデルは自分用に用意されたユンカース一八七C<スツーカ>へと歩み寄った。後ろを相棒のガーデルマン少佐がもちろん着いてくる。

 すでに整備員によって暖機は済まされ、その間に消費した燃料を注ぎ足しているのが見えた。

 二人が乗り込もうとしている<スツーカ>は特別な塗装が施されていた。航空団司令を意味する矢羽根マークと直線が組みあって、前に向けて大きな矢印が書いてあるように見えるのだ。翼には目立つ黄色い矢羽根が描かれていた。

 もちろん意味がある。攻撃隊はバラバラに進撃しても、敵艦隊の上空で待ち構えているはずの直掩隊に各個撃破されてしまう。それを防ぐために、隊長機を基準にして編隊を組んで進軍するのだ。よって隊長機は編隊の目印となるように目立つ塗装が施されているのだ。(注192)

 特別なのは塗装だけではなかった。

 他の<スツーカ>は、機体の下に一トン爆弾を懸吊し、両翼に三〇〇リットル増槽を装備していた。敵との距離が近ければ、翼の下にも増槽の代わりに合計で二五〇キロまでの爆装ができるところだが、今回は航続距離に余裕を持たせる意味で増槽装備にしてあった。

 ところが航空団司令用の塗装が施されたルーデルの機体には、爆弾が装備されていなかった。本来なら爆弾が懸吊される胴体下には、他の機体が翼下に吊るしている物と同じ増槽が装備されていた。

 攻撃兵装が無いじゃないかと思うなかれ、逆に主翼下には凶悪な装備が準備されていた。

 航空機に搭載するには不格好と言えるほどの太さをした砲身の先には制退器、そして流線型のカバーに覆われた機関部。地上部隊では対戦車砲として二線級部隊に配備されている物と基本は同じである。さすがに手動の装填機構というわけにはいかず、電気の力で自動的に砲弾が装填されるように改良されていた。

 低空飛行で戦車を襲撃するために開発された<U五>装備という武装セットである。前線基地で扱えるようにパッケージ化された支給品であった。急降下爆撃よりも敵に近づくことになるため、操縦席周りに追加する装甲板まで用意されたこの装備をルーデルは選択していた。

 同じ装備はルーデルだけではない。彼が直率する司令部本部小隊の三機は、揃ってこの「大砲鳥(カノーネンフォーゲル)」と呼ばれる仕様になっていた。

 相手が戦車ならば、一回の出撃で攻撃できるのは、搭載した爆弾を分けて投下したとしても、せいぜい二回か三回が限度である。だが、この装備ならば装填してある砲弾二四発を撃ち切るまで何度も繰り返して地上を掃討することができた。

 ルーデルがこの装備を選択したのには、もちろん訳がある。彼の部下たちの急降下爆撃の腕前を信じていないわけでは無いが、爆弾による<ヤマト>への攻撃は、魚雷攻撃などの露払いの意味があった。

 それは上空から徹甲爆弾や破砕爆弾を甲板に叩きつけ、対空火器を操作する敵将兵を殺傷する事を意味していた。対空火器さえ黙らせてしまえば、重い魚雷を抱えて鈍重になっているフォッケウルフ一六七<アイバトス>でも、容易に<ヤマト>へ接近、雷撃できるはずだからだ。

 雷撃ならば、いかなる戦艦でも撃沈が可能だと考えていた。

 その作戦で行こうというのに、この<U五>を選択したのには、もちろん意味があった。


 まず対地攻撃機に大口径機関砲を搭載するというのは、目新しい装備ではないことから説明しなければならない。

 かつての東部戦線では弾丸よりも目標の方が多いぐらいの戦況であった。これが全て重戦車ならば大ドイツの勝利も危うかったかもしれないが、そのほとんどが歩兵部隊であった。

 だが歩兵部隊に対して、当時の戦術爆撃機であるユンカース八九<旧式(アルター・)スツーカ>の初期型が装備していた武器は、たった一個の二五〇キロ爆弾であった。これは、あまり効果が無かった。

 もちろん爆心地にいる者は跡形もなく吹き飛ぶが、相手の損害はせいぜい一〇人がいいところである。これだけでは消費する燃料や、爆弾の値段、そして操縦士や整備士がかける労力の割には戦果が見合わなかった。

 そこでまず考えられたのが「如雨露(ギースカンネ)」と綽名がつけられたWB八一ガンポッドであった。大きさは二五〇キロ爆弾と同じで<アルター・スツーカ>に懸吊できる装備だ。

 その流線型のポッド一つあたりには、六挺の七・九二ミリ機関銃と大量の弾薬が詰められていた。それだけ詰め込んでいるのに爆弾より軽いため、両翼の他に胴体下へも吊り下げて襲撃する事ができた。

 街道を移動する敵の車列に対し、この「ギースカンネ」は絶大な威力を発揮した。この頃になると改良された<アルター・スツーカ>自身の主翼にも、前方に向けて二〇ミリ機関砲も装備していたので、全部あわせると、機関砲の射線が二つに機関銃の射線が一八である。

 低空飛行で接近し、車列を総なめする様に掃射する「ギースカンネ」は、ソビエト軍歩兵部隊の悪夢となった。

 だが無敵に思えた「ギースカンネ」も、装甲車相手にはあまり効果が無かった。ソビエト軍の装甲車両は二〇ミリ機関砲に耐えられるように装甲を纏っていたからである。

 そこで考えられたのが<アルター・スツーカ>に三〇ミリ機関砲を装備する事であった。三〇ミリ機関砲ならば、相手があのドイツ機甲部隊を苦しめたT三四中戦車でも、車体の装甲を抜くことが出来たからである。

 G型と分類された三〇ミリ機関砲装備型は、すぐに部隊へと配備された。だが当時、すでに「スツーカ・エース」と名を馳せていたルーデルは満足しなかった。

 三〇ミリ機関砲でT三四をやっつけるには、五発以上を車体に当てなければならない。その上に鎮座する砲塔部分に当たっても、さすがに戦車で装甲が一番厚い部分なので、(はじ)かれてしまうのだ。

 そこで彼が強く求めたのが、三〇ミリ機関砲よりももっと強い武器、戦車の砲塔すら撃ち抜ける装備の搭載であった。そして東部戦線の英雄である彼の意見は受け入れられ、<アルター・スツーカ>の主翼下に三七ミリ対戦車砲を装備する対戦車攻撃専門の攻撃機が誕生したのである。

 新たな翼を与えられたルーデルはそれ以降、更なる活躍をすることとなる。一例を挙げると、とある街道を進撃するソビエト機甲部隊の運命を、一人の砲兵観測員が記録していた。それによると一二台ものT三四があっという間に空飛ぶ対戦車砲の餌食になったという。

 そしてユンカース八九の後継機であるユンカース一八九C<(ネオ)・スツーカ>にも、この装備は継承される事となった。

 空力的に洗練され、さらにエンジン出力が増加している<スツーカ>には、三七ミリ対戦車砲の上を行く、五〇ミリ対戦車砲が装備できるようになったのだ。(注193)


 五〇ミリ対戦車砲ならば波風を防ぐ程度の覆いしかない<ヤマト>の対空砲座を黙らせることができるはずだ。こいつで<ヤマト>甲板を掃討してやろうというのである。

 整備員に尻を押してもらって、ルーデルは機上の人となった。攻撃部隊は<スツーカ>だけで構成されておらず、様々な機体が空に上がる。そのため飛行甲板狭しと並べられた攻撃隊の最前列に駐機している彼の機体から空母の先端までは、ほとんど距離が無かった。

 タキシングをして少し前に出ると、カタパルトに甲板員が接続してくれる。後は計器盤に設けられた信号灯が変わるのを待つだけだ。

 飛行甲板に立つ整備員が全力運転を意味する合図、腕を勢いよくグルグル回すジェスチャーをしていた。それに応援されたように、液冷エンジンのユモ二一三の回転数を上げていく。

 機上信号灯が青に変わると同時に、ルーデルはブレーキを外し、カタパルト操作員が前甲板に埋め込まれたカタパルトのシリンダーへ圧搾空気を送り込んだ。

 尻を蹴飛ばされた勢いで、ルーデルが操縦桿を握る<スツーカ>は、まだ雲の多い空へと飛び立った。

 衝撃がまだ体に残っている内に<スツーカ>の脚を仕舞うレバーを操作する。<アルター・スツーカ>は固定脚だったため、この動作を自分に覚えさせるのに、結構時間がかかったものだ。

 だいぶ直進したが、すぐに艦隊上空へ舞い戻るように上昇旋回に機体を入れた。彼の機体を目印に攻撃隊の各機が集まってくるはずだ。

 海面には機動部隊の各艦が搭載機を発進させている様子が見えた。

 まず彼が飛び立った<ペーター・シュトラッサー>が視界に入った。さすがインド洋にあわせて塗粧を変えただけあって、海面にあって視認しづらい姿をしていた。

 司令部小隊の<スツーカ>を射出した後は、航続力に一番余裕のある<アイバトス>の発進を始めていた。

 その<ペーター・シュトラッサー>とは艦首を別の方向に向けて<エーリッヒ・レーヴェンハルト>が波を切り裂くように全速力を出していた。同じ艦隊を組んでいても、海は場所によって風向きが変わるので、空母ごとに発進に適した方角が変わるのだ。

 ドイツ海軍が制定している通常の迷彩を施している姿は、なるほど<(バイス)>と兵たちが綽名をつけるわけだと、今更ながら納得する。

 その<エーリッヒ・レーヴェンハルト>からも魚雷を抱えた<アイバトス>が飛び立ち始めていた。<アイバトス>の後ろには、ルーデルが操る<スツーカ>と同じ機体が並んでいる。もちろん装備は一トン爆弾に増槽だ。

 さらに後ろには主翼の長い艦上戦闘機が控えていた。

 現在、ドイツ空軍が艦上戦闘機として制式採用しているタンク一五二Tだ。<アイバトス>と同じようにフォッケウルフ一九〇<ビュルガー>から発展した戦闘機である。設計したタンク博士の功績を称えて、博士のイニシャルを付与する事になった機体だ。(注194)

 元は「最強のレシプロ戦闘機」として開発された機体だ。最高速度は時速八○○キロ後半を叩き出し、武装も三〇ミリモーターカノン一門に、二〇ミリ機関砲が二門と重装備だ。特に三〇ミリモーターカノンは機軸の中心から発射される機関砲であるから、命中率がすこぶる良かった。

 本国でも二線級の部隊ではまだまだ現役の戦闘機である。一線級で無いのは時代がジェット戦闘機を必要としているからに他ならない。

 どんな高高度から敵の戦略爆撃機が領空へ侵犯しようと、それを阻止するために駆けあがる事が出来る長いスパンの主翼を持つH型と、低空での運動性能を重視した切り詰めた主翼のC型がある。このうち空母に積まれているのは、短距離離着陸に有利な長いスパンの主翼を持つH型を改修したT型である。

 基本はH型と何も変わらない。ただ機体を補強して着艦フックを取り付けたT〇型は、あまりにも場所を取りすぎるので、すぐに主翼を折り畳めるT一型へと改良された。

 T一型は主翼や機体がさらに補強された分、機体重量が重くなっているはずだが、公式には空軍型と同じスペックであると発表されていた。

 自分は<スツーカ>の操縦桿ばかり握っているルーデルであるが、戦闘機パイロットに確認したところ、たしかに空軍型と海軍型では、正式発表とは裏腹に性能が違うそうである。だが彼らが言うには「瞬きの労力」程度の差しかないそうだ。

 大ドイツでは空軍でも海軍でもそうだが、必要な装備が発生したら、まず既存の装備の改良(ゾフォルト・プログラムと呼ぶ)(注195)と、新規に一から作る本命の二本立てで計画する事が多い。実際、艦上戦闘機が必要となって最初に既存のメッサーシュミット一〇九Eを改造して、ドイツ初の艦上戦闘機であるメッサーシュミット一〇九Tを生み出した。

 だが戦闘機とは開発競争が激しい分野でもある。本命のメッサーシュミット一五五<バジリカ>の開発は技術革新に引きずられるように遅れ、現場はいつまでもメッサーシュミット一〇九Tのままというわけにはいかなくなった。その穴埋めのためにタンク一五二Hからタンク一五二Tが開発された。

 元になった<ビュルガー>が空冷エンジンBMW八〇一を搭載した前期量産型と言えるA型から、液冷エンジンJUMO二一三Aを搭載した戦闘機型であるD型が開発された時、操縦士たちは親しみをこめて<長鼻の(ラングナーゼン・)ドーラ>と新しい愛称をつけた。

 そこから設計者のタンク博士の名を頂くことになったさらなる改良型には特に新しい愛称がつかなかったが(普通に「タンク」と呼んでいたようだ)艦上機であるT型になったところで<麗しの(シューン・)テレーザ>という愛称がつけられた。

 ちなみに<ドーラ>の由来は、空冷に比べて長くなった液冷型の機首を長い鼻に見立ててだが、ドイツ空軍総司令官ゲーリング元帥の奥方を揶揄した物でもあるらしい。もちろん現場の将兵はそんな事を口にすれば雷が落ちる事は分かり切っているので、揃って口を(つぐ)んでいたようだ。

 そしてD型が<ドーラ>ということで、T型も同じ頭文字の女性名である<テレーザ>と名付けられたようだ。これに「麗しの」という形容詞がつくのは、あの有名なベートーヴェンのピアノ曲「エリーゼのために」を送られた相手の本名だからという説が濃厚だ。

 いまは<テレーザ>が主力艦上戦闘機であるが、近い将来に交代が予定されていた。それがジェットのメッサーシュミット二六二F<カイヤン>となるのか、同じメッサーシュミットでもレシプロ機のメッサーシュミット一五五<バジリカ>となるのかは、神のみぞ知るというやつだ。(注196)

 飛行甲板を眺めている内に<エーリッヒ・レーヴェンハルト>を飛び越えた。このまま真っすぐ飛んでいると艦隊の後方へ行き過ぎてしまうので、緩い半径で旋回へと入れた。

 機首が再び艦隊の方向を向くと、先に赤い艦体が見えて来た。

 大ドイツが産んだ海上の奇形児たる航空戦艦<フォン・リヒトホーフェン>である。大き目のアイランドの前には大型巡洋艦の主砲にも採用された事のある二八・三センチ三連装砲塔が背負い式に二基装備され、後ろには同じように一五センチ連装砲塔が装備されている。他にも対空砲や対空機関砲で針山のようだ。

 ルーデルはなぜハイデンハイム司令は<フォン・リヒトホーフェン>の塗粧を変更しなかったのか、こうして決戦を前にして興奮状態で見おろしてみて分かった気がした。

 本国にあったうちは艦名の由来となった男、第一次世界大戦の撃墜王であるマンフレート・フォン・リヒトホーフェン騎兵大尉の有名な二つ名である「赤色の男爵(レッド・バロン)」にちなんで赤色の塗粧が為されるのは納得がいった。

 だが赤は戦場では目立ちすぎる色である。こうして日本軍との戦いに投入される前に、せめて<エーリッヒ・レーヴェンハルト>と同じようなドイツ海軍の平均的な塗粧に塗り替えるべきだった。

 そう思っても空軍将校であるルーデルには航空戦艦の色を変更させる権限は無かった。強い「意見」や「懸念」を伝えることはできても、それは実行力を伴わないものであった。

 しかし、今見おろしてハイデンハイム司令の考えがやっと理解できた。

 興奮している人間の目にもっとも()まりやすいのは赤色である。こうして機動部隊を見おろしても、一番目立つ艦であった。

 これならば艦上機を一機でも多く積むために防御力が犠牲になっている空母よりも、敵攻撃隊の注目を集める事は間違いなしだ。原型の<グラーフ・ツェッペリン>から対空火器や装甲が減らしてある空母に対し、<フォン・リヒトホーフェン>は航空戦艦と名乗っているだけあって、それらが充実していること間違いなしだ。

 それだけ敵の航空攻撃に対して抗堪性(こうたんせい)が高いことを意味する。脆弱な空母に攻撃が集まるよりも理にかなった考えである。

 その赤い艦体に合うように飛行甲板は黒い迷彩が施されていた。しかし、今は黒い甲板の上にいくつもの灰色の山ができていた。

 艦隊がソコトラ島の泊地に着いてから本国から送られてきた『秘密兵器』である。

 今回の戦いでドイツ空軍の『秘密兵器』として用意されたそれらは大きすぎた。格納庫に入れるどころか、飛行甲板へ一直線に並べることすらできずに、ジグザグに並べられていた。

 そんな物に飛行甲板を占拠されていたため<フォン・リヒトホーフェン>の航空設備は、ほぼ使用不可能と言ってもよかった。

 しかし前部エレベーターからカタパルトにかけての空間は空けてあり、格納庫に収めてある艦上機の発進だけはできるように配慮されていた。

 いまも数機の<テレーザ>がカタパルトに接続され、発進するところであった。

 なお『秘密兵器』の方は、ハイデンハイム司令からの全力攻撃要請にも関わらず、灰色のシートが被されたままであった。

 なにせルーデルから見ればあれらは『秘密兵器』というより『珍兵器』と分類すべき代物だったからだ。

 信用がまったく置けないので、大事な決戦に使用するのはなるべく避けたかったのだ。

 今でも使わなくて済むならばこのままシートを被せた状態で返却したいという思いである。

 あの大荷物のせいで<フォン・リヒトホーフェン>への着艦は無理である。戦いが終わって帰還した機体は、他の空母に分散して収容せねばならないだろう。

「ルーデル」

 空母を眺めていたら後席のガーデルマンに名前を呼ばれた。それで我に返ったルーデルは、エンジンの出力を絞った。

 追加装甲に空気抵抗の大きい対戦車砲を積んでいる「カノーネンフォーゲル」は、飛行性能が悪くなっている。いつもの調子で飛んでいたら、真っ先に燃料切れを起こしてしまうだろう。

 編隊を組んだ後は、少々無理をして巡航しなければならないので、なるべく燃料の残量には気を払った方がいいはずだ。

 最後に機動部隊の先頭を往く<ウルリヒ・フォン・フッテン>へと辿り着いた。戦艦である<ウルリヒ・フォン・フッテン>も、艦中央にある「舞台」を展開して艦載機であるフィットナー二八二A<コリブリ>を発進させようとしていた。

 司令塔の後ろにある前煙突と後煙突の間が航空艤装のスペースとなっていた。水上機を載せていた時代は、艦軸に対して真横方向へ固定されたカタパルトで撃ち出していた。風向きなどから少々無理のある配置であったが、主砲爆風の影響を受けにくいという利点が認められての配置であった。

 だが艦載機が垂直上昇も出来るヘリコプターになったことで様変わりした。「舞台」と綽名がつけられた左右可動式の発着甲板に普段は係止しておき、必要になれば舷側までその甲板を左右舷のどちらかへせり出させて発進させれば良い。そうすれば艦の前進によって生まれる合成風力も役に立てることが出来た。

 また燃料の補給程度で再び飛び立つならば、第四主砲塔より後ろの後部甲板に一旦着艦することもできた。

 単座ヘリコプターである<コリブリ>をこのタイミングで発進させる意味は簡単に分かった。それぞれの空母が発艦作業で忙殺されている今、敵の潜水艦に対して機動部隊は無防備と言って良い状態だ。それを少しでも改善するために、ハイデンハイム司令は<ウルリヒ・フォン・フッテン>の艦載機に発進を命じたのであろう。

 ルーデルは、本当ならば上空で旋回待機しなければいけないところ、一回だけ<ウルリヒ・フォン・フッテン>の艦橋の高さを飛んで、翼を振って挨拶をした。


 約一時間後、機動部隊上空で見事な編隊を組んだ攻撃隊は、索敵機が教えてくれた方角、東南東に向けて進撃を開始した。



●インド洋アラビア海ラッカジブ諸島北西海域。アラビア海上空七〇〇〇メートル:1948年4月19日0820(現地時間)



 ルーデル大佐が率いる第一次攻撃隊はインド洋の空を進軍していた。

 隊長機を先頭に恐れることなく真っすぐと目指すは敵艦隊…、と言いたいところだが、実はルーデルが操縦桿を握るユンカース一八七C<スツーカ>は、編隊の先頭では無かった。

 ルーデルが率いる爆撃隊より前に、攻撃隊全体の護衛役を任されている第一海上駆逐航空団第一飛行隊第一飛行中隊所属のドルニエ三三五C<プファイル>四機が飛んでいた。

 元となった駆逐機の<プファイル>には機上レーダーが装備されており、それにより攻撃隊に接近する日本の戦闘機をいち早く発見しようとしているのである。

 ただ<プファイル>が搭載しているネプツーン・レーダーは中心線から左右に五〇度ずつ、上下にも五〇度ずつしか捜索範囲が無い。いくらレーダーとはいえ三六〇度を絶えず監視できる物は開発されていなかった。(注197)

 ではこちらを迎撃するために接近して来る敵をどう警戒するのか。

 例を挙げるとしよう。

 あなたが学校の校庭に落とし物をしたとしよう。拾いに行こうとしたがすでに陽が落ちて周囲は真っ暗になってしまったとする。あなたは懐中電灯を家から持ち出して、そのドコに落としたか分からない落とし物を探すことになった。

 おそらく、あなたは懐中電灯を右に左に振って電球に照らされる面積を少しでも増やそうとするのではないだろうか。

 この場合も同じである。空母から飛び立った四機の<プファイル>は、直進するのではなく上下左右に機体を蛇行させながら飛んでいた。こうすれば真っすぐ飛ぶよりもレーダーで確認できる空間が広くなるからだ。

「ルーデル」

 無線機に耳を澄ませていたはずのガーデルマンが声を上げた。

「?」

 特に敵機を感知したという騒ぎは起きていないようである。不思議に思ったルーデルは、計器を一通り確認した後、後席の相棒に振り返った。

「どうした?」

 彼の質問に、ニッと笑ったガーデルマンは、自分の顔の横で、指で下を指差す動作をしてみせた。

「?」

 どうやら下方を確認しろという合図のようだ。ルーデルは操縦桿の下、自分の両足の間にある下方視界窓を覗き込み、雲の切れ間から海面を確認した。

 紺色の海面に一本の白い筋がある。もちろん巡航高度から見おろしているのだから、海面に糸が浮いている等の景色が見えているわけでは無い。白い筋は間違いなく航跡である。

 その白い筋の先に緑色をした札のような物が置いてあった。

 すわ日本空母かと目を凝らせば、前甲板に白い円が描かれており、その中に大ドイツの国章(ハーケンクロイツ)が書き込まれていた。

 いつも仮想敵を演じてくれる<グリュン>こと空母<ドクトル・エッケナー>である。ルーデルは意識していなかったが、どうやら進軍進路と彼女の航路が交わったようだ。

 血気盛んな若手が乗っている<スツーカ>などは機体を揺らしていた。どうやら前甲板の国章が目に入っていないようだ。

 海面の<ドクトル・エッケナー>を見ていると、数機のフォッケウルフ一六七<アイバトス>が纏わりつくように飛んでいた。

 すわ同士討ちかと心配になったが<ドクトル・エッケナー>の艦尾から近づいて行き、脚を出すとそのまま滑り込むように飛行甲板へと着艦していた。

 どうやら<ドクトル・エッケナー>は、敵艦隊を探すために飛ばしていた索敵機の回収をしている真最中のようだ。

「味方に突っ込まないように、編隊へ注意を」

 操縦のために両手が塞がっているルーデルの代わりに、ガーデルマンに隊内通信を任せる。いちおう彼だって遊覧席に座っている客ではなく、この目印の無い海の上で迷子にならないように航法をしてくれているはずだが、ルーデルよりは手すきのはずだ。

 わざと日本空母に似せた色に塗粧してある<ドクトル・エッケナー>に、味方機が纏わりついているのを見て、誤解から攻撃を始めないように注意が飛ばされた。

「下方、八時の方向」

 ルーデル直率の<スツーカ>二番機が翼を揺らしながら合図を送ってきた。無線機から聞こえて来た言葉通りの方角に視線を送れば、五機ほどのメッサーシュミット一五五<バジリカ>に守られるようにして、一五機あまりの<スツーカ>が上昇してくるところだった。

 どうやら<ドクトル・エッケナー>の飛行機を全て任せたライル・フィッシャー少佐が、同艦に乗っている第一海上急降下爆撃航空団第二飛行隊本部小隊と同第五飛行中隊に所属する<スツーカ>を送り出してくれたようだ。

 戦力が増えるのはありがたいことだがルーデルは心配になった。敵の空襲時には仕事が無い<スツーカ>ならいざしらず、貴重な艦上戦闘機を送ってくれたのだ。

 フィッシャー少佐だって手駒は多い方が良いに決まっている。だが、その苦しい台所事情からわざわざ戦闘機を分派してくれたのだ。彼の好意は有難く受け取っておこう。

 機体に第一海上急降下爆撃航空団第二飛行隊本部小隊のマーキングをした<スツーカ>が、ルーデル機の横まで上がってきて、盛んに翼を振っていた。攻撃隊に加わるのがよっぽど嬉しいようだ。

 ルーデルがそれに答えて翼を振ると<ドクトル・エッケナー>隊は、攻撃隊の右下辺りに編隊を落ち着かせた。



●インド洋アラビア海ラッカジブ諸島北西海域。ドイツ機動部隊から先行する空母<ドクトル・エッケナー>:1948年4月19日0905(現地時間)



 フラップを全開にしてプロペラピッチを起こし、そして脚を下ろした。忘れてはいけないのが着艦フックである。これを空母<ドクトル・エッケナー>の飛行甲板を横断するように張ってある着艦索を引っかけると、浮いていた機体が叩きつけられるような感じで下へと落ちた。

 乱暴な着艦に耐えられるように強化された主脚が、なんとか衝撃を吸収し、ついでのように尾輪が甲板へとおりた。

「及第点以下だぞ」

 索敵二号機の機長であるマックス・シュリクティング軍曹が、操縦士を務めたヴァルター・トラウトロフト軍曹へ文句を言った。

「これ以上は無理だ。逆に褒めて欲しいほどだ」

 そう言い返すトラウトロフトの一言も、もっともであった。エンジンカウルから潤滑油が噴き出し、操縦席の風防は真っ黒に染められたようになっていた。

 前方視界がほぼ塞がれた状態で母艦まで帰って来られたのだから、感謝されこそはすれ、非難されることは無いだろう。

「ギギギギギ」

 いまだに後部座席の一三ミリ機関銃にしがみつくように構えたままのゲルハルト・リッパート軍曹が歯ぎしりをしていた。

「大丈夫か? ケガはないか?」

「はひーはひー」

 荒い息で目を見開いたままで振り返った。精神状態は限界ぎりぎりのようだが、肉体的には大丈夫のようだ。

「ふう」

 スライド式のキャノピーを開いてトラウトロフトは操縦席から体を抜いた。そこで力尽きたのか、操縦席の縁に腰を掛けて周囲を見回す。

「よく帰って来られたな、俺たち」

「ああ、まったくだ」

 忌々し気に飛行帽を脱ぐと、シュリクティングも偵察席から体を抜くために、両方の腕を機内につっぱった。

「あ、あれ?」

 今の今まで気がつかなかったが、彼も体が細かく震えていた。どうやら自覚していなかっただけで、消耗は激しいようだ。

「おかえりなさい!」

 整備員たちが機体に駆け寄って明るい声をかけてくれた。

 複数人で機体を飛行甲板の前の方へと押してくれる。制動索があるあたりをすぐに空けないと、次に着艦しようと待っている他の機体の邪魔になるからだ。

 ゆるゆると前進するに従って、アイランドが後方へと流れていく。他に対象物が無いため、人が押す程度の速度では、動いている実感が湧かないのだ。

 フォッケウルフ一六七<アイバトス>の主翼には、踏んで良い場所をわざわざ違う色で塗り分けてある。それ以外の所を踏むと、体重で踏み抜く可能性があるからだ。操縦席の縁に腰かけていたトラウトロフトは、足元の黒く塗られた通行帯を気にしながら、中央の席で腰が抜けているシュリクティングの頭を守っていたキャノピーを開いた。

「そら」

「おう」

 差し出された逞しい腕に手伝ってもらいながら、シュリクティングも機体から体を抜くようにして左主翼の上へと出た。

「大丈夫か?」

 二人して後部銃座を覗くと、リッパートは左手を使って、機銃のグリップから右手の指を一本ずつ剥がすようにしているところだった。

「ケガは無いか?」

「ああ、ああ」

 何度も頷いてから、やっと恐怖が貼りついた顔に笑顔が戻って来た。

「帰って来られたんだな、俺たち」

「ああ。神さまと、トラウトロフトの腕前と、我らが勇敢な銃手どのに感謝だ」

 シュリクティングが笑顔を返してやった。

「それにしても、だいぶやられたもんだ」

 呆れたようにトラウトロフトが、自分たちが乗っていたフォッケウルフ一六七<アイバトス>を、主翼の上から見回した。

 至る所に穴が開き、ささくれだったように外板が捲れ上がっていた。全部、日本の戦闘機に撃たれた弾痕だ。機首のカウリングからは、まるで出血している獣のように、まだ潤滑油を噴き出していた。

 敵発見の打電をした後、索敵二号機は敵の直掩隊と思われる艦上戦闘機に追い回された。相手は最新のジェット戦闘機だったり、二線級のレシプロ戦闘機だったり、千差万別だったが、企んでいる事は一つだけであった。索敵二号機の撃墜である。

 それを、普段から勘が鋭いトラウトロフトの回避術と、無いよりはマシ程度のリッパートの反撃によって掻い潜って逃げ帰って来たのだ。

 雲がまったくない快晴であったら絶対に助からなかったであろう。だが幸いな事に、雲高は高かったが量も結構あったために、雲から雲へ渡り歩くように身を隠して逃げ回ることができたのである。

 ガタガタと震えながらリッパートも、風防を開いて座席に立ち上がった。

「だいぶやられたな」

 下方から落ち着いた声で話しかけられ、三人揃って振り返ると、そこには整備長が腰に手を当てて笑っていた。

「まったく、生きた心地がしなかったって奴ですよ」

 相手の方が階級も年齢も上である。操縦士の中には、何を勘違いしているのか、地上員をまるで奴隷の様に扱う者も居たが、少なくともこの三人の中でそんな者はいなかった。

 まあ、そんな奴は戦場上空で「原因不明の機体の不調」って奴で永久に基地に帰って来られなくなるものと相場が決まっていた。

「直せますかね」

 一通り周囲を見回す。主翼といい尾翼といい穴だらけである。無事なのは三人が座る機体中央部だけだったと言って過言ではない。着艦までプロペラを回し続けてくれた空冷エンジンには、いまは飛行甲板を引き摺られてきたホースから消火剤がかけられ、後部胴体は場所によっては向こう側が見通せるぐらいだ。

「さあてなあ」

 さすがにこれだけ壊れると、<ドクトル・エッケナー>艦内にある予備の部品を全て集めても無理そうであった。良くて他の軽微な損傷の同型機への部品供給元になるか、もしくは海中へ投棄処分だろう。

「連絡がつかなくなった連中も居る。それに比べたら、貴様たちは上出来だ」

 遠回しだが、どうやら整備長は三人の帰還を喜んでくれているようだ。言われて見回せば、前部甲板に駐機してあるのは、自分たちの他にたったの三機だけである。

「隊長は…」

「魚雷を抱えてまた飛んで行った。まったく忙しい奴だ」

 どうやら自分の隊が発見した敵艦隊へ味方攻撃隊を誘導するために、燃料の補給もそこそこに再出撃したようだ。

「まあ、お前さんたちの機は…」

 整備長は穴の開いた垂直尾翼へ視線をやった。

「直せるなら直してやる」

「ありがとうございます」

 他の整備員が用意してくれた踏み台を利用して、まずシュリクティングが主翼から降りた。トラウトロフトはリッパートが機体の縁を乗り越えるのを手伝ってやった。

「で? 感想を直に訊きたいのだが。本物の敵空母をその目で見て、どうだった?」

「敵空母?」

 キョトンとしたシュリクティングは、主翼上にまだ居る二人を振り返った。

「見たのではないのか? 日本の空母を?」

「いえ…。自分たちが見たのは巡洋艦と駆逐艦ですが?」

「はあ?」

 さすがに整備長の顔色が変わった。

「貴様たちから空母二隻、重巡四隻発見の無電があったから、航空団は攻撃隊を発進させたのだぞ?」

「いえ、自分たちは重巡二隻、駆逐艦四隻と…」

 言い争うように整備長とシュリクティングが言葉を交わしている間に、リッパートは上半身を機内へと突っ込んで、自分が使用した石板と暗号表を取り出した。その二つを持って、慌てて飛行甲板へと足を下ろした。

「ほら整備長。これが自分の組んだ暗号です」

 なにせ石板の内容は自分で書いた物である。紙にペンで書いた物よりは消えやすいと言えるが、袖などで擦らない限りチョークの文字は消えるわけが無かった。

「ちょい待てよ」

 難しい顔をした整備長は、近くで索敵二号機の後始末をしていた若い整備員一人に命じて、アイランドにある空軍通信室へと伝令に走らせた。

 そして三人は知ることになる。索敵二号機に積まれていた暗号表は古い物で、それに基づいて組んだ暗号は、作成者の意に反して違う文章になることを。

 普通ならば新しい乱数表が組み合わされることで、古い暗号表で文章を組んだとしても、意味の無い文字の羅列になるはずだ。が、神のイタズラか「重巡二隻、駆逐艦四隻」と組んだ暗号が新しい暗号表で受信すると「空母二隻、重巡四隻」と読めてしまう文になってしまうのだった。

 暗号表が更新されていなかった原因は単純で、担当の整備員が交換する事を忘れていたのである。そして通信士として自分の暗号表が最新の物か確認を怠ったリッパートにも責任はあった。

 もちろん文面が違えば、付与した座標だって違う物になっているはずだ。(注198)

「まずいぞ」

 整備長は唸るように言った。

「スツーカ大佐は、貴様たちの情報で出撃したのだ。そこがあさっての場所となると、攻撃隊は…」

「はやく引き返すように打電を!」

「いや、それは無理だ」

 ドイツ空母には二種類の通信体系が存在した。一つはもちろん艦艇同士の通信を担当する海軍の通信体系。そしてもう一つは、ゲーリング空軍元帥の政治的介入によって空母に搭載する艦上機部隊は空軍の所属とされたことで設けられた空軍の通信体系である。

 アイランドにある通信室から若い整備員に攫われるように連れて来られた通信士は、左腕の腕時計を確認した。

「なぜだ?」

 惚けたことを口にしたら殴り飛ばすといった迫力で整備長が訊ねた。

「もう攻撃隊は座標に示された場所に到着している頃だからだ」

 その場に居た全員が天を仰いだ。

「願わくば、スツーカ大佐の幸運が続きますように」

 いつも非科学的な事を言い出すトラウトロフトが、まるで祈るような言葉を口にした。



 嵐の前の静けさ。そのタイミングで起きる大事件。果たしてルーデル閣下の運命や如何に。ここでCMです!

 じゃなくて(汗)

 実際に細かいミスっていう物は平時でもたくさん転がっている物で、それが積みあがって大事件になったりします。今回もそう言う事です。

 あ、あとシュリクティング軍曹をリーダーとする三人組もドイツ側の視点として登場してもらいました。彼らの事もよろしくお願いします。

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