戦艦<ヤマト>を撃沈せよ・④
それでは陸海空の戦いの内、空の戦いを描いて行こうと思います。でも華々しい戦闘機による空中戦では無くて、というところが和美のオヘソが曲がっている証拠でもあります。
負けた側の悔し涙なのか「あの試作機が量産されていたら」とか「この計画が実行されていたら」なんていう話しはいっぱいあります。そこから厳選してアレとアレを…。
●インド洋アラビア海カラチ沖800キロ:1948年4月18日0000(現地時間)
何もかもが真っ暗な中で、かろうじて水平線と空の境目だけは見ることができた。その境目が、丘や山があるようにギザギザに上下している箇所があった。
インド洋だけ水平線に凸凹がある…、わけがない。あれは灯火管制で闇に紛れている艦艇である。
だいぶ遠くに離れ、墨色にしか見えなくなった艦影の一番盛り上がった場所で、光の明滅が始まった。
はっきりとしたリズムで光るそれは訓練された者には何を意味するのか分かっていた。信号灯による灯火信号である。
「分艦隊より信号。『貴隊ノ武運ヲ祈ル』以上」
艦橋脇にある張り出し、見張り台の双眼鏡に取りついていた水兵が光の明滅を読み取った。
『サイクロン作戦』は計画通りに進んでいた。船足の遅い輸送船団を機動部隊が後ろから追いかける形で出港、こうして無事に海上合同ができたところで、軽艦艇を分艦隊として輸送船団に貼り付ける。かわりに旗艦を含む大型艦五隻と、輸送船団とそれを護衛する軽艦艇はここでお別れなのだ。
名残惜しそうに双眼鏡で分艦隊を見ていたハイデンハイム司令は、控えていた通信参謀を振り向かずに命令した。
「分艦隊へ灯火信号。『貴隊ノ航海ノ安全ヲ祈ル』以上だ」
「分艦隊へ信号。『貴隊ノ航海ノ安全ヲ祈ル』了解しました」
復唱した通信参謀は、厳重な電波管制下でも有効に使える信号灯を操作する信号員へ命令するために、信号甲板へと下りて行った。
こちらも敵潜水艦に発見されないように灯火管制をしているので、真っ暗闇を下りていくことになる。
「無事に着くといいですなあ」
かろうじて星明かりが入り込む旗艦<ウルリヒ・フォン・フッテン>の艦橋で、四角い影としか認識できない艦長のアイムホルン大佐は、双眼鏡で離れていく船団を、まだ見ていた。
「ああ、まったくだ」
独り言のように呟いたアイムホルン艦長に、ハイデンハイム司令は頷くのだった。
二日前に出港してからボンベイへの増援部隊を運ぶ艦隊は、ここまではほとんど予定通りに航海できていた。途中、昼間には日本空軍の長距離攻撃機であるG八N<レンザンカイ>…、四発の空冷エンジンを持ったこの大型機を、ドイツ側は<リタ>と符牒をつけていた…(注159)の空襲を受けたが、幸い命中弾は無かった。だが夜になって忍び寄って来た潜水艦の襲撃を受けてタンカーが一隻大破炎上し、断腸の思いで自沈処分を命じたぐらいである。幸い人的被害は無かった。
だが戦車を始めとする装甲車両の燃料となるガソリンを多量に失ったのは、痛いというだけでは済まなかった。
いくらドイツ空軍でも、ケロシンを燃料にするジェット機だけを運用しているわけでは無い。まだまだガソリンを燃料にしているレシプロエンジンの飛行機だって多いのだ。
もちろん陸軍と空軍の取り分は事前に取り決めがされているが、ガソリンは潤沢にあればあるほどいいに決まっている。
そして長い航続距離が求められる対潜哨戒機は、いまだレシプロエンジンである。
一隻のタンカーの喪失がすぐに燃料不足に直結するわけではないが、幸先が悪い事には変わりはなかった。
タンカーを襲撃した潜水艦には結局逃げられたようだ。報告では、潜望鏡すら出さずに攻撃してきた様子である。それほど日本海軍のソナー技術が優れているとは思わないが、大西洋の戦いとは別の次元ではあるようだ。
「司令」
信号甲板へ行っていた通信参謀が帰って来た。照明の点いていない艦橋でも、星明かりを反射しやすい白色の第二種軍装を着たハイデンハイム司令は目立つ存在なのだ。
「なにかな」
彼の言葉にただの呼びかけ以上のものを感じ取ったハイデンハイム司令は振り返った。防暑服の相手は真っ暗な人影にしか見えない。ただ司令の第二種軍装が目立つのと同じ理屈で、等身大の影の中で白目だけが異様に浮いて見えるのだった。
「潜水艦隊からの警報です」
右手が差し出された。どうやら電報用紙を持参したようだ。受け取ったハイデンハイム司令は、壁面にある小さな電球の下に持って行った。黒いカバーをかけられた電球の下に通信文を差し出し、スイッチを入れる。弱々しく照らす光で紙面が確認できた。
渡された電報用紙には、受信した通信士の動揺を示すような踊った字が書き記されていた。
「『ころんぼ港ニ在留シテイタ敵艦隊ト輸送船団ハ、昨日出港シタ模様。あらびあ海付近ニテ行動中ノ全軍ハ警戒サレタシ』です」
暗い中でハイデンハイム司令が読み間違いないようにと配慮してか、通信参謀は暗記していたらしい電文の内容を口にした。
「それでは敵の規模がわかりませんな」
横から聞いていたアイムホルン艦長が口を挟んできた。
「たしか最後に確認されたのは…」
「戦艦は一隻だが、空母は五隻以上だったはずだ」
「軽艦艇に至っては、我々と比べる事自体バカげていますな」
日本海軍の巡洋艦以下の軽艦艇は、前の戦争で太平洋を所狭しと暴れまわった。航続力でいつも苦労しているドイツ海軍に、その秘訣を教えて欲しかった。
もちろん今回も、向こうはゴアやボンベイなどの要衝に対して行う作戦行動の間、航続力は問題にはならないのだろう。羨ましいことだ。
「まあ敵艦隊の規模については、潜水艦に文句は言えないだろう」
納得するというより自分に言い聞かせるようにハイデンハイム司令は言った。灯火管制下なので電球のスイッチをすぐに切った。
「潜望鏡で視認できる距離まで近づいたとなると、今ごろその潜水艦は、少なくとも生きた心地がしていないだろうからね」
もう一つの可能性については口にせずに、ハイデンハイム司令はウインクすらしてみせた。星明かりを反射していた白目が閉じられたので、周囲の将兵たちは彼の仕草を理解した。
そして、かつて大西洋で潜水艦乗りだった彼である。敵に発見された潜水艦の惨めさは骨身にしみていた。
「それでは作戦通りですか?」
艦橋の後部にある海図台の方にアイムホルン艦長の声が移動していく。
「もちろんそうだ。今更変更する理由はない」
彼に続いてハイデンハイム司令も海図台へと近づいた。
海図台は外へ灯りが漏れないように暗幕で覆われた区画に置いてあった。二人の上官が現れたことで、航海を担当する水兵が直立不動になって敬意をしめした。
暗幕の中には弱々しい赤い電球が灯っている。その赤い光の中で広げられた新品の海図へは、今までの航路が書き込まれていた。しゃっちょこばっている彼へ「借りるよ」と声をかけて、アイムホルン艦長が海図台の上に出しっぱなしになっている大きな分度器を取り上げた。艦隊の推定現在位置と、コロンボ港を差し渡すように置き、ディバイダーをまるで歩かせるようにして動かして大雑把な距離を測った。
「一番早くて明日。遅くとも明後日には接触しますな」
もちろん針路を変更すれば、すれ違うだけという芸当も出来るが、相手も空母を持っている以上、その広大な哨戒半径の外側を掠めてコロンボ港に近づくのは無理であろう。
敵の索敵機に見つかれば、もちろん空襲を受けることになる。だが先にこちらが発見できれば、奇襲できる可能性だってある。その逆の可能性はあえて脳髄から排除した。
「まず敵を見つけることからしなければならん」
ハイデンハイム司令は当たり前の事を口にした。
「そいつは飛行機の役目ですな」
Uボートであてもなく敵の輸送船を待ち続けるよりは確実な方法である。
「明日か…」
ハイデンハイム司令は艦長が海図に差し渡した分度器の先を見つめていた。
●インド洋アラビア海ラッカジブ諸島南方。ラッカジブ海上空一万五〇〇〇メートル:1948年4月18日0615(現地時間)
インド洋の空は曇っている状態だった。全てが灰色に塗りつぶされているわけでは無く、粒状になった雲が密集して浮いているという感じである。
この高度まで上がると地球が丸いという事が水平線で嫌というほど分からせられる。そろそろ日の出なので左手からの暖色系の光が、雲の頂部を染め始めていた。
そんな空を一機の巨人機が飛んでいた。メッサーシュミット二六四B<霜の巨人>である。(注160)この北欧神話由来の呼称を持つ巨人機は、レシプロエンジンであるBMW八〇一を六基も持っていた。元は大西洋を越えて合衆国を大陸間爆撃で焼き払うために開発された超大型爆撃機であった。
同じ目的で開発されたタンク四〇〇、ユンカース三九〇Cと制式採用を争った機体である。この内、一番開発が遅れたタンク四〇〇は試作機が完成する前に開発が中止されたため、メッサーシュミット二六四Bと、ユンカース三九〇Cとの一騎打ちで最終選考を迎えた。
結果は爆撃機の老舗であるユンカース三九〇Cの勝利であった。欧州での戦争が一九四四年で終結してからは、空軍の戦略爆撃の主力となって現在も第一線に配備されている。
制式採用に当たって敵の都市を業火に沈める任務を帯びたユンカース三九〇Cは<炎の巨人>と名付けられた。
対して不合格となったメッサーシュミット二六四Bであるが、そのままお蔵入りとはならなかった。
それまで長距離洋上哨戒任務に就いていたフォッケウルフ二〇〇C<公陀児>の性能が陳腐化していたので、その更新のために量産される事になった。
ユンカース三九〇Cが<スルト>と名付けられたので、こちらが<ヨトゥン>と名付けられたのだ。
いま飛んでいるこの機も、量産目的通り長距離哨戒を主任務とする部隊に配置されていた。
占領したボンベイからアーメダバードに攻めたドイツ機甲師団の動きに呼応して、この海域の日本軍も活発に活動を開始していた。海では潜水艦狩りが厳しくなり、帰還するUボートの数が日増しに減っていた。空ではこの機のような長距離哨戒機が音信不通のまま行方不明になることが多かった。
この機体は、成層圏を悠々と飛ぶことを目的に造られていた。成層圏を飛べば空気が薄いので、余分な抵抗が減って速度も出るし、余分な揺れも発生しない。なによりも航続距離が稼げるという、ドイツ空軍の飛行機にとって何よりの恩恵を受けられるのだ。
だが、現在この機は高度一五〇〇〇メートルという、対流圏と成層圏の境目を飛行していた。低緯度地方では成層圏が始まる高度が高いので、機体に積んだ海上捜索レーダーの性能が一番発揮できる高度のギリギリ下限である。
なぜそんな微妙な高度を選んだかというと、この機の機長が慎重な性格であったからに他ならない。
たしかに<ヨトゥン>の性能が発揮される成層圏を飛行することに魅力はあった。何よりも永遠の蒼空を飛ぶことは操縦輪を握る彼自身も好きであった。
だが好みと現実は往々にして乖離している物だ。<ヨトゥン>のような巨人機にとって、曇ることが無い青空というのは、飛ぶには適していたが戦争に不向きな場所であった。なにせ障害物が全くないのだから、飛んでいればレーダーどころか肉眼にすら発見されやすいことになる。
そして日本軍にも、この永遠の蒼空を飛べる戦闘機があることを重々彼は知っていた。
これが欧州戦争の時代ならば、空母の艦載機でこの高度まで上がれる機体は数えるほどしかなかったが、そんな常識はもう通じなかった。
今は空母からでもジェット機が飛び立つ時代である。そしてそれらは空中戦を主任務にした機体、つまり戦闘機であることが多かった。
もちろん<ヨトゥン>にも防御武装はついているし、乗員を守る装甲も施してある。しかし空を飛ぶ物の限界として、そのどちらも陸を行く重戦車ほどではない。
音速にそろそろ届きそうな速度を出せるジェット戦闘機に襲われたら、いくら六発機の巨人機でも、撃墜されてしまう確率は非常に高いのだ。
元々、こんな鈍重な機体で哨戒するような比較的平和な空域ではないのだ。本来ならば戦闘機にカメラを積んだような身軽な小型機の方が、たとえ襲われたとしても逃げて帰って来られるはずだ。
だが、ここにもドイツ機の航続力の問題が現れていた。戦闘機を改造したような戦術偵察機が無いわけでは無いが、基地のあるボンベイからこの海域まで飛んでこられないのだ。
そういった小型機でも運用できるように奇襲部隊が占領したラッカジブ諸島のカバラティ島飛行場は、一昨日空襲を受けて使用不能になっていた。
現地人を徴用して復旧に当たらせているらしいが、敵の制空権範囲内になった基地に偵察機を向かわせたところで、結果は火を見るよりも明らかだ。
よって航続力に余裕にある巨人機の出番となった。
コロンボ方面への哨戒が必要なのは、乗組員全員が知ってはいた。それがとても重要である事を知っているのと、それを自分が命がけでやらなければならない任務になるという事は、できれば別の事柄であって欲しかった。
乗組員を指揮する立場の機長は、祖国と総統に対する忠誠と義務感で自らを奮い立たせていたが、自分の部下の中に、納得して任務に就いている者が何人いるのかまでは把握していなかった。
そんな心配をしながら、機長は対流圏ギリギリの高度に機体を置いていた。彼は自分の操る機体の鈍重さを知り尽くしており、何かあったら雲へ飛び込んで身が隠せるというのが、この高度を選んだ理由であった。
「機長」
轟々と響く六発のレシプロエンジンの音で会話が不便にならないように、全員が喉から直接声を拾うタイプのマイクと、ヘッドホンをつけていた。
普段は肌に貼りついて気持ちの良い物ではないマイクが、役に立つときがきた。
「発信源不明電波を捉えました」
機長に呼びかけたのは周囲に飛び交う様々な電波を監視している逆探を担当する士官であった。
「なに?」
離陸以来同じような景色が続いて、若干眠気を催していた機長の脳髄は、張り手を喰らったかのように覚醒した。
「種類は?」
「日本軍の艦載対空捜索レーダーの物によく似ています」
「見つかったのか?」
「射撃用のレーダーで追尾されている様子はありません。定期的にこちらへ向けて発振中」
「つまり、まだ見つかっていないという事か…」
これはこういうことだ。レーダーという物は、自分で電波を発振し、何か物体が存在すれば電波が反射して返って来る。その返って来た電波を解析して、レーダーはスコープに物体が存在すると表示するようになっている。だが電波は大気中だと減衰し、返って来る頃にはとても弱い信号となっている。受信機には増幅器がつけられているが、万能というわけではない。つまり、あるていど強い反射が無いと、そこに物体が実際に存在してもレーダーでは「見えない」ことになる。相手との距離や、材質によってもその電波の反射量(幅射量)が変化する。
だが、ただ周囲の電波を拾っている逆探には、そういう事は関係ない。どんな微弱な電波でも、アンテナに入れば味方の物だろうが敵の物だろうが分かる。味方の物はもちろん言わずものがな、味方の物でない電波も平時から民間の船舶や飛行機に電波受信器を載せており、その特徴などを情報収集しているので、分かるようになっていた。
この作用によって、レーダーよりも逆探の方が、探知距離が長いのであった。
さらに目標の距離や速度を精査する射撃用のレーダーで追跡されていないという事が、まだ日本軍にこちらが発見されていない事の裏付けともなっていた。
まさか戦闘態勢にある軍隊が、所属不明の飛行機を探知して、のんびりと眺めているわけがないからだ。もちろん高高度を飛ぶ軍用機に対して反撃能力が薄い地上部隊などなら、その可能性はあったが。
「方角は?」
「もうちょっと直線飛行を続けて下さい」
最初に受信した時の方角と、しばらく直線で飛んだ時の方角の変化で、おおよその三角形を地図の上で作ってみれば、電波の発信源がどこなのか大体の距離までも予測できる。
「方位一・七・五。距離三五海里」
「よし、レーダー士。レーダーの発振を切れ。ただし電源は落とすなよ」
機長は<ヨトゥン>を緩い降下に入れながら乗組員へ命じた。向こうの電波が捉えられたという事は、逆に言えばこちらの電波も見つかる可能性が高かった。
電源を落としてしまうとせっかく温まった真空管が冷えてしまうので、電波の発振だけを切るのだ。
逆探担当の士官からは次々と報告が上がり始めた。ただ電波だけでは相手の正体が分からない。もしかしたらドイツ軍を引っかけるために、レーダーだけ載せた漁船を日本軍がインド洋にばらまいているという可能性だってあるわけだ。最後は結局、乗組員の肉眼で確認しなければならない。
機長の握る操縦輪に命じられるまま<ヨトゥン>は、雲塊がひしめき合う対流圏最上部へと下りた。途端に、対流圏の名前の通り太陽に温められた空気のせいで機体が揺さぶられ、グラグラと揺れて乗り心地が悪くなった。
「警報!」
ヘッドホンから悲鳴のような声が飛び出て来た。声の質から、おそらく機体上部の遠隔式銃塔を担当している上部銃手のはずだ。
「不明機視認! 数二。後方七時の方向!」
「見つかったか?」
機長の確認に、遠隔機銃が旋回する音が返事となった。
「距離三〇〇〇。二時の方向へ通り過ぎるようです」
どうやら<ヨトゥン>の上面に施してある黒緑色、暗緑色で塗り分けた標準的な迷彩が役に立ったようである。周囲の暗い雲に機体が紛れたようだ。(注161)
厚い雲は電波も反射してくれるので<ヨトゥン>のような巨人機でも、敵から身を隠す役に立ってくれるはずだ。
幸運にもまだ発見されていないようだと自信がついた機長は、もっと近づいてみることにした。
「全員、周囲の警戒を怠るな。偵察員はカメラの準備を忘れるなよ」
もっと厚い雲を求めて高度を下げながら乗組員へ注意を重ねる。
「もう、いつ敵機が襲ってきてもおかしくないからな。そうしたら最大速度で逃げるからな」
現場指揮官である彼が「逃げる」なんていう言葉は使わない方が良いのかもしれないが、飛行機ならば操縦輪を握る彼が逃げようと舵を切らないかぎり、部下たちは逃亡することすらできないのだ。いや、仲間を裏切って一人だけパラシュート降下するという手が無い事は無いが、それだと陸地まで泳がなければならなくなる。そんなことをしても現在位置を考えると助かる確率は非常に低いと言えるのだが。
「あっ!」
横に座る副操縦士の体がピクリと撥ねた。だが彼を笑う事は機長にもできなかった。なにせ機長自身も同じ反応をしていたからだ。
雲の切れ間から海の様子が目に入った。波高が大きくなっている海面に、四つほどの白い筋が描かれているのが見えたのだ。
「通信士! 基地へ打電だ!『我、敵空母見ユ! 当該海域ニハ他ニモ敵艦艇ガ存在スル模様』時刻と場所を忘れるなよ!」
●インド洋アラビア海中央部。ドイツ機動部隊:1948年4月18日0715(現地時間)
「大佐」
空母<ペーター・シュトラッサー>艦内に設けられた機動部隊航空団司令部へ、空軍所属の通信士が電信用紙を手に駈け込んで来た。
「発見! 発見です」
通信士の慌てた様子で、司令部内の全員が驚いた顔をしていた。自分が飛び込んだことにより驚かせてしまった事を自認した通信士は、慌てて体裁を整えるようにルーデル大佐へ向けて敬礼をした。
「ボンベイの基地部隊からの緊急電です」
差し出された黄色い紙を、通信士の手から奪い取るように受け取ったルーデルは、サッと文面を確認した。
発:在ボンベイ海上哨戒部隊
宛:大海艦隊インド洋機動部隊
一、 基地哨戒機ニヨリ、当方南方五〇〇海里地点ニ日本艦隊ヲ発見。
二、 日本艦隊ニハ空母ヲ含ム。
三、 敵勢力ハ貴隊ヘノ攻撃ヲ目論ンデイルト思ワレル。十分ニ注意サレタシ。
四、 コノ敵ニ対シ、当方攻撃準備中。
一読して内容を把握したルーデルは深く頷いた。ルーデルよりの答礼が無いために、律儀にも敬礼しっぱなしだった通信士は、それで許されたと思ったのか、上げていた右手をおろした。
「どうだ?」
ルーデルの横にガーデルマン少佐がやってきた。ルーデルは電文を届けてくれた司令部付の通信士に労いの言葉をかけながら、通信用紙だけを彼へと突き出すようにして渡した。
ガーデルマンが難しい顔をして電文を確認する。ルーデルが乱暴に扱ったので紙面には皺が出来ていて、読みづらくなっていた。丁寧にひっぱって皺を無くそうと努力してみる。
こちらの艦隊からの距離や方位は電文に書かれていないことは想定済みだ。艦隊は敵から自らの居場所を秘匿するために、そう頻繁に陸上と現在位置に関しての通信をやり取りしていない。
航空団に所属する他の将校も集まり、ガーデルマンが握る紙面を確認した。
「どうする?」
ガーデルマンが確認するように訊いた。
「もちろん、見逃すつもりはない」
敢闘精神が高いルーデルの答えは分かっていた。なにしろ彼は朝から飛行服を身に着けているぐらいだ。
大きなテーブルに広げられたアラビア海の海図に歩み寄って、電文にあった敵艦隊の位置を確認した。
もちろんガーデルマンを含め他の将校も目をランランに輝かしていた。
ただしボンベイから南に五〇〇海里(九二六キロメートル)というのは遠すぎた。現在機動部隊がいる場所からだと、片道ならば武装した艦上機でも飛んでいける距離だが、帰って来るだけの燃料が無くなってしまう。武装をしなければ飛んで行って帰って来られるが、それに意味はあまり無さそうだ。
中継地点として小さな島が集まったラッカジブ諸島の飛行場を占領したと陸軍と潜水艦隊から電文は届いていたが、なにせ補給品が心許ない。弾薬は機銃弾のみ、爆弾や魚雷の予備はまだ運びこまれていないはずだ。
燃料に関しては、外洋でUボートを支援するための補給用潜水艦ⅩⅣ型、通称<乳牛>が派遣されているはずだった。
普段は重油が詰め込まれる補給用燃料タンクを洗浄して、航空機用ガソリンを積んだ補給用潜水艦ⅩⅣ型<U・四九一>が港におり、そこから補給用のホースが飛行機まで伸ばされる予定だ。(注162)
「むむむ」
ルーデルは唸り声を上げた。空母に居る間は艦上機の性能は保証されるが、ろくに整備員のいない島にソレを求めるのは無理であろう。それに貴重な戦力を分派する事は、戦略の基本である戦力分散の愚を犯すことになりかねなかった。
やはり空母機動部隊というのは、航空機の集中運用によって最大の打撃力を発揮する物なのだから。
「むーん」
ルーデルは悔しそうに唸るが、ここは基地にいる爆撃機隊に獲物を譲るしか無いようだ。
ドイツ空軍は、貧弱な海上戦力を補うために、重爆撃機から投下する対艦誘導爆弾を開発していた。地中海方面では敵の輸送船相手に戦果を多少挙げたようである。軍艦相手にどういった作用があるか未知数であるが、今回はそれに期待してみるしかないようだ。
それに忘れてはいけない。ルーデルの獲物は空母ではなく<ヤマト>なのだということを。
「簡単に沈められてくれるなよ」
せっかく大ドイツ本国を出立し、地中海を抜け紅海を南下してやって来たのだ。戦う前に獲物を全て失う事は、ルーデルの矜持が許さなかった。
●インド西岸都市ボンベイ近郊。ドイツ空軍大型機基地:1948年4月18日0720(現地時間)
ルーデル大佐の思惑とは無関係に、占領後ドイツ工兵隊の手で滑走路が延長されたボンベイの空軍基地には、轟々とした音が響き渡っていた。
いまの風向きから飛び立ちやすい滑走路西端から誘導路にかけて、長い主翼で六つのプロペラを回している巨人機が一ダースほど並んでいた。
巨人機と言っても全て同じ機体ではない。大きく分けて二種類の重爆撃機で部隊が構成されていた。
先頭から三分の二までを、左右の翼に六発ものエンジンを並べた巨人機が並んでいた。ただし洋上で日本空母を発見したメッサーシュミット二六四B<ヨトゥン>ではない。
この機体はユンカース三九〇C<スルト>である。<ヨトゥン>と同じく大西洋横断爆撃機として計画設計された機体同士であるから、同じ基地で運用するのに不便ではない。<ヨトゥン>の方は魚雷のように丸まった機首をしているのに対して<スルト>の方は操縦席の所で段のある機首となっている。また<ヨトゥン>は高翼機であったが<スルト>は低翼機であった。他にも防御武装の配置などに違いは見られるが、一番分かりやすいのは機首であった。
あとはお尻の双尾翼だったり、装備している空冷星型エンジンだったり、似ている個所もたくさん存在していた。
大きな<スルト>の腹の中には、ドイツ空軍が対艦戦の切り札として開発した誘導徹甲爆弾<フリッツX>が収められていた。
これこそがドイツ空軍の切り札であった。
一・五トン爆弾にラインメタル・ボルジッヒ社が生産している無線誘導装置を取り付けたものである。特徴的なX翼を発射母機の爆撃手が操って目標に突入させる、手動指令照準線一致誘導方式を採用…、つまり巨大なラジコンである。
高度六〇〇〇メートルから投下して命中誤差六〇センチということになっているが、もちろんこれは優秀な爆撃手が誘導した場合だ。下手が誘導したらあさっての方向へと飛んで行ってしまう。言うまでも無い事だが実戦機に搭乗している爆撃手で、そんなとんでもなく悪い成績を残している者はいない。
この最新式兵器を<スルト>は、最大二発搭載する事ができた。いま誘導路に並んでいる機体にも同じく二発ずつ装備されていた。
最新式の兵器であるからか、コレを抱えた<スルト>は四機しか並んでいなかった。これらは尾翼の部隊マークを見れば分かるが、第一〇〇爆撃航空団に所属する機体であった。
インド進攻作戦に合わせてドイツ空軍が新設した第七航空艦隊が指揮下に置いている部隊ではない。本来ならば第一〇〇爆撃航空団は、第一航空艦隊に所属して大ドイツ本土にある基地で、いつ始まると知れない連合軍からの戦略爆撃に対抗する部隊なのだ。もし欧州を連合軍の爆撃機が侵したら<スルト>の名の通り、即座に飛び立って新大陸を報復爆撃にて焼き払うのが主任務だ。
ただ今回の戦争において、ドイツ海軍が日本艦隊の北上を阻止できなかった場合の保険が必要として、ドイツ空軍は準備を怠らなかった。
部隊から抽出された機は、重爆撃機の大きな搭載力を利用して、重い対艦攻撃装備を積んで訓練を重ねてきた精鋭たちばかりだ。もちろん目標は艦船だけでなく精密な照準が必要な地上の戦略拠点も含まれていた。
地上の整備員も含めて、これら抽出した戦力をボンベイの基地に配置していたのだ。
ただ航続距離と敵を発見した位置の関係で、保険の方が先に使用される事になっただけである。
同じことは誘導路の列後半に並んでいる巨人機にも言えた。
後ろに並んでいるのは洋上で日本空母を発見した<ヨトゥン>と同じ機体であった。
ただしこれらも第七航空艦隊指揮下の哨戒機部隊の物ではない。こちらは第三〇爆撃航空団から抽出された戦力であった。
第三〇爆撃航空団は、第五航空艦隊に所属して北欧各所にある基地を根拠地とし、北大西洋を渡ってくると予想される連合軍艦隊を警戒する部隊なのだ。
対艦攻撃部隊としては第一〇○爆撃航空団よりも先輩である。欧州戦争でソビエト連邦へ向かうレンドリースされた物資を積んだ輸送船団相手に、相当活躍して来た部隊だからだ。アフリカ戦線に危機が訪れた時、ノルウェーから欧州を縦断してカサブランカへ応援に駆け付けたバウムバッハ少佐(当時)の偉業で、全大ドイツに勇猛果敢な重爆撃機部隊と知られている者たちである。(注163)
並んでいる<ヨトゥン>の全てが腹側に持つ爆撃倉の扉は外されており、大きなX翼が特徴の<フリッツX>が二発ずつ剥き出しで懸吊されていた。
同じ大西洋横断爆撃機として計画された両機体であるが、こうした細かなところに違いがあった。これは両機体の胴体に設けられた爆弾倉のサイズの違いというより、戦闘機のメーカーとして発展したメッサーシュミット社と、爆撃機の老舗であるユンカース社の設計思想の差であろう。
戦闘機メーカーであるメッサーシュミット社では速度性能に拘り、胴体を限界まで細くした。逆にユンカース社では配備先での使いやすさに拘り、胴体は無理に細くする事をしなかった。
ただ<スルト>の設計は、元をたどれば一九三〇年代初期に計画されたウラル爆撃機計画で開発され、予算不足で計画が放棄された結果、旅客機として陽の目を見ることになったユンカース九〇である。
旅客機のユンカース九〇を拡大強化して軍用機としたユンカース二九〇を間に挟み、アメリカ爆撃機計画のためにさらなる拡大強化したのがユンカース三九〇C<スルト>であった。
出自が出自であるから枯れた技術を用いているので、なにより信頼性が高かった。制式重爆撃機として選出されたのは、その信頼性からであった。
だが科学技術は第二次世界大戦を挟んで大いに発達した。枯れた技術でなしに、最新式で挑戦的な技術を投入した機体も設計生産された。それがメッサーシュミット二四六B<ヨトゥン>であった。
よって六発のエンジンを持つ巨人機として概略は似てはいるが、足並みを揃えられるほどまで性能が同じではない。
今回も速度性能の差で<スルト>が先に飛び立ち<ヨトゥン>が後から追いかける形となる。そうやって離陸時間を調整する事によって、目標上空には同時に到着する手はずになっていた。
そんな二種類の機体であるが、誘導路の先頭に並ぶ四機の<スルト>は、他の八機と別の物を吊り下げていた。
爆弾倉の扉を<ヨトゥン>と同じように取り外し、まるで急降下爆撃に使用するようなブランコを取り付け、そこへ魚雷のような細長い物が一つずつ吊るしてあった。
他の機体が持つ<フリッツX>とは別の誘導爆弾と思いきやそうではない。空力学的に洗練された胴体や、そこから左右に伸びたテーパー付きの直線主翼は、ドイツ空軍に所属する戦闘機の特徴である斑紋点迷彩が施されていた。
定位置には国籍マークもしっかり書き込まれていた。
どちらにしろ<フリッツX>よりも空気抵抗や重量の面で<スルト>に負担をかけるような装備である。よって一番先に離陸しないと、他の機体に追いつけなくなるのは間違いない。
管制塔から信号弾が撃ち上げられた。出撃せよの合図だ。
それを見た地上の誘導員が、キングサイズベッドほどある緑色の旗を大きく振り始めた。
離陸は、その不思議な物体を抱えた機から始まった。
三〇〇〇メートルにも及ぶ長大な滑走路の全てを使い切り、最初の一機がヨタヨタと飛び上がった。
時間をかけて最初の四機が飛び立ち、わずかに時間差を置いてから次の四機が、それからだいぶ経ってから最後の四機が飛び立っていった。
●インド洋アラビア海ラッカジブ諸島南方。ラッカジブ海上空二万メートル:1948年4月18日0900(現地時間)
ボンベイのドイツ空軍基地で編成された基地攻撃隊は、装備の違う三種類の機体ごとに飛行場上空で再集合した。離陸した順番に再集合を終えた部隊ごとに舵を一・八・〇へ…、つまり真南へと機首を向けて旅立っていく。
基地攻撃隊の総指揮官は先任順ということで<フリッツX>を抱えているユンカース三九〇C<スルト>を装備している第一〇〇爆撃航空団所属の機長であるノア・オルフ中尉ということになっていた。
まだ若い将校である。東部戦線で活躍する急降下爆撃隊に憧れて…、つまり現機動部隊航空団司令のルーデル大佐に憧れて操縦士になった青年である。
しかし彼が操縦桿を握る頃には戦争は一段落しており、急降下爆撃隊の操縦士になるには狭き門を通らなければならなかった。
そうしてフルイにかけられて落とされた結果が、戦略爆撃機部隊というわけである。
だが、彼はそこで腐らずに切磋琢磨した。そのおかげで次世代の精密攻撃兵器である<フリッツX>を扱う選抜部隊へと駒を進ませることが出来た。
ルーデルが相棒と二人で戦ったのなら、自分は一〇人余りいるこのチームで戦う。そう決心してここまでやって来た。
中尉であるから普段は航空団の団長とか凄い肩書を持っているのではなく、巨人機とは言え、たった三機を従える小隊長である。
それを最先任だからという理由で、日本艦隊攻撃に必要な戦力と選抜された九機を従えるということになり、さらに同業他社と言うべき第三〇爆撃航空団から抽出された四機まで預かることになってしまった。その内、一機はエンジンが故障して修理が間に合わなかったため、今回は留守番となった。
元から考えれば大出世である。率いている戦力からすると中隊長(大尉)クラスだ。まあ給料の方は現状維持なので、責任だけ押し付けられたという感も拭えなかったが。
そんな臨時に出世した彼であるが、しかし日本艦隊から発見されないように厳重に電波管制を敷いている現在、自分の機体と直接の部下である三機以外の八機が、ドコでナニをやっているのかまで把握できないでいた。
まあたとえ機首を真西に向けて逃亡を謀っても、こんな重爆撃機である。安全に着陸できる滑走路は限られていた。そして味方基地に着陸すれば作戦拒否もしくは敵前逃亡という事で最悪銃殺刑である。東側へ逃走して日本軍基地へ着陸降伏という可能性はあるが、まず迎撃機に襲われるのが先であろう。生き残れる可能性は低いはずだ。
いちおう念を押しておくが、彼は対艦部隊に配属された人員で、敵艦隊を攻撃する事を恐れる者はいないと信じていた。
それにしても今日のインド洋は雲が多かった。そのためオルフ機長には別の心配が生まれていた。
たしかに<フリッツX>は素晴らしい兵器だ。彼の部隊では、訓練による命中率は九〇パーセントを超え、ほぼ一〇〇パーセントと言って過言では無かった。
標的を外れた数発は、あとで残骸を調査したところ<フリッツX>自体の機械的トラブルが原因だという事もわかっていた。
そして命中さえすれば<フリッツX>の本体である一・五トン徹甲爆弾は恐ろしい威力を発揮するはずだ。
地上に建設された弾薬庫を模した標的を使い<フリッツX>の威力を測った試験では、ベトンの天井を貫通し内部を徹底的に破壊したと評価が上がっていた。
これが戦艦の弾薬庫ならば確実に誘爆を起こし、最新式の戦艦でも爆沈確実と海軍の専門家ですら太鼓判の威力であった。ちなみに戦艦<ウルリヒ・フォン・フッテン>の主砲弾の重量は一三五〇キロで、ほぼ同じ重さである。
しかも突入時の最終速度は、六〇〇〇メートルから投下して時速一○○〇キロを超える。ほぼ音速であるから突っ込んでくる<フリッツX>を迎撃できる対空砲も事実上ない。弾幕を張れば偶然弾頭に当たって誘爆させることも可能かもしれないが、計算上無視できる割合であった。
この臨時に混成された対艦部隊に敵う艦隊は居ない物と思えた。それなのにオルフ機長の不安が拭えないのは、この雲である。
ここまでの説明で各機が抱えた<フリッツX>の素晴らしい性能は分かってくれたと思うが、結局は「当たれば凄い」の一言に尽きる。そして訓練を重ねた爆撃手の練度は、彼が望むレベルまで上がっていた。
だが、それも敵を「視認」できたら、という条件がつく。なにせ爆撃手がリモコンの操縦桿を握って、目で見て誘導する兵器なのだ。相手が見えなければ威力がどうこう言う前に、攻撃自体を諦めなければならない。その内、科学技術が進歩すればレーダーを使用して相手を見ずに当てられるような誘導爆弾も生産されようが、現状無い物は無いのである。ある物を工夫して使っていかなければならなかった。
彼は自分が率いる四機を、二万メートルの成層圏へと上昇させていた。この高度ならば永遠の蒼空である。ただし、やはり雲のせいでろくに海面は確認できなかった。
攻撃するには六〇○○メートルまで下がらないといけない。攻撃下限の四五〇〇メートル上空から見た戦艦というのは、二〇センチぐらいにしかならない。六〇〇〇メートルからだともっと小さく見える。それに当てるのだから爆撃手の腕前がどんな物か分かるであろう。
「むう」
小隊長機の機長でもある彼は握り慣れた操縦輪に手をかけたまま声を出してしまった。
永遠の青空を背景に、前方に四つの点が確認できたからだ。
同じ物が見えていたのだろう、ほぼ同時にヘッドホンが繋がった。
「機長。前方に四つの機影あり」
声色からして、一番視界が良い上部銃座についている上部銃手だと思われた。
「そうか」
オルフ機長の返事は喉に巻いたマイクが拾い上げた。機長席にも前方を見るレーダーの画面はあるが、それは敵を警戒するための物ではなく、積乱雲の塊を警戒する気象レーダーの物だ。図体がでかいので少々の乱気流ならば突破できるが、雷などを受けると機上の機器類に故障が生じやすいので、なるべくだったら避けて飛べるようにと装備された物だ。よって航空機のような小さくて高速で動く物体を捉えるのはこちらでは無理である。
そして重要な事だが、電波管制状態にある今は、電源は入れてあったが電波の発振は止めている事だった。
「敵味方識別装置に反応があります。これは第三二八実験航空団の物です」
すぐに電波関係を担当するレーダー士から報告が入った。
「了解」
電波管制の今は、短い暗号電波を相手に当て、自動的に返事が返って来る敵味方識別装置の使用も危険ではあったが、背に腹は代えられない。敵ならば逃げるか戦わなければならないのだ。幸いあれは彼が預かることになった臨時の部下の四機だ。同じ第一航空艦隊に所属し、編隊飛行に当たっては第一〇〇爆撃航空団の指揮下に入ることとされている部隊だ。
先に離陸して先行していた部隊に追いついたということだ。
(ということは…)
「機長、後方より接近する機影あり」
彼の思考が纏まる前に部下から報告が上がった。声色から尾部銃座を担当している銃手だということが分かった。
爆撃機は後ろから接近される事を嫌う。戦闘機が攻撃しようとするときに、大抵はそうやって近づいてくるからだ。
「敵味方識別装置に反応があります」
機体各所にある二〇ミリ機関砲を装備した遠隔銃塔が動く音に対して、焦ったようにレーダー士官から報告が上がった。
「第三〇爆撃航空団の信号です」
「後方より三機。六発機。間違いないようです」
「三機?」
今回、第三〇爆撃航空団のメッサーシュミット二四六B<ヨトゥン>は、四機が作戦に参加するはずであった。誘導路に並んでいる時も確かに四機いたはずだ。
「三機です。間違いありません」
後方銃手の目を信じないわけでは無いが、どうやら何かの理由で一機欠けたようだ。
(機体のトラブルかな?)
ここまで飛んで来るのに敵機の妨害を受けるどころか、姿形すら見かけていなかった。とすると、一番ありうるのは機体のトラブルで基地に引き返したという事だろう。
(まあ、仕方がないか)
総指揮官は自分の機体を見回しながら頷いた。この機体や<ヨトゥン>に積んでいる空冷星型エンジンは、戦闘機であるフォッケウルフ一九〇<ビュルガー>にも使用されていた。そしてこのエンジン稼働率は、本国の最も整備されている部隊でも九〇パーセントを超える事は少なかった。<ビュルガー>を装備している航空団全体(予備機を含めると二〇〇機前後)で二機程度は飛べない勘定である。
つまり…。
「機長」
並列複座に座る副操縦士が風防の外を指差した。
その指し示す先には彼の列機である二番機がいた。席から身を乗り出すようにして見ると、二番機の左主翼に装備されたエンジンの内、真ん中の物から黒い煙が噴き出ていた。
見る間にカウリングの隙間や排気管からも、どす黒い煙が噴き出て、青空に一本の筋を書いていく。
「二番機より通信」
日本艦隊に発見されないように電波管制態勢を敷いていたが、緊急事態となれば別である。いちおう囁き声のように弱い電波に絞っての通信のはずだ。
「エンジン火災発生。高度と速度が維持できないため、戦列からの離脱許可を求めています」
「機長より通信士へ。離脱を許可すると伝えろ」
単なる故障でも大変なのにエンジン火災とは運が悪かった。本来の性能が出せない部下を無理やり連れて行っても、二階級特進者を増やすだけだ。戦争は今日で終わりではなく、明日以降も続くのだ。ここは素直に基地へ帰ってもらって、明日以降に全力を出してもらえばよい。
ただでさえ図体がでかく鈍重な<スルト>だというのに、二番機の機長は翼を振りながら編隊から脱落していった。
作戦機が故障で脱落したと言っても、総指揮官を任されている彼は地上の整備員を責める気持ちは少しも湧いてこなかった。
なにせ気候から補給品の充足まで、整備環境は本国に比べるまでも無い。大げさな事を言えば、たった一本のネジが本国で生産され、貨物列車に乗せられて地中海の港まで運ばれ、そこからさらに貨物船でスエズ運河から紅海を抜け、アラビア海を渡って来て陸揚げされ、基地までトラックで運んでこられるまで一機丸ごと飛べない事態だって考えられるのだ。
六発機が一二機いれば、エンジンの数は七二基である。あとは単純な計算問題だ。七二基の内、二基のエンジンが故障したとして、前線基地で整備しているのだからじゅうぶんに許容範囲内の成績であると言えた。
空中で二機減らした基地攻撃隊は、三つの編隊同士を緩く近づけながら南へと進んでいく。まだ一〇機あると言うべきか、もう一〇機しか無いというべきか。積んでいる<フリッツX>の数で言ったら一二発だ。ドイツ空軍は二発以上の命中で大型艦を撃沈できるという試算を出していたから、最低でも六隻の空母や戦艦を沈めることができるはずだ。
「そろそろのはずです」
離陸以来コンパスと航空地図相手に睨めっこしていたはずの航法士の声がヘッドホンから聞こえて来た。
言われて下を見おろすが、雲が何重にも重なって海面すら確認はできなかった。
「警報!」
ヘッドホンに声が入った。すわ敵の迎撃機かと身体を強張らせる。もちろんこんな巨人機であるから、敵の戦闘機に絡まれたら碌な事にならないのは周知の事実だ。
「発信源不明電波を捉えました」
警報を発したのは、周囲に飛び交う様々な電波を監視している逆探も担当しているレーダー士官であった。
「なに? どんな電波だ?」
「日本軍の機上警戒レーダーの物によく似ています」
「見つかったのか?」
「さあ」
なんとも歯切れの悪い答えが返って来た。日本軍が軍用機にレーダーを搭載している情報は掴んでいたが、それがどの程度まで進んでいるのかは未知数なところがあった。
ただ他の船舶などから向けられる照準用レーダーなどという物騒な電波はキャッチできていないらしい。ということは姿を確認できなかったが、この<スルト>のような日本側の大型機とすれ違っただけなのかもしれない。搭載重量に余裕がある大型機は(電波管制などをしていなければ)後方警戒レーダーを使用しているものだからだ。(注164)
「よし、散開して下りて捜索攻撃に移る」
固まっていても見つけられないのならば、ここで編隊を解いて、敵を見つけた機体だけでも<フリッツX>を食らわせてやるという判断だ。通信士がオルフ機長の命令を、先ほどと同じく囁き声のような弱い電波で編隊各機へと伝える。
巨人機らしく、半径の大きなカーブを描きながらオルフ機長は高度を下げていった。編隊各機もまるで渡り鳥を見習うように、総指揮官である彼の機体を先頭に三角形を描く傘形陣形になりながら段々と機体同士の間隔を広げていった。
成層圏から対流圏へ下りると、不快な揺れを感じるようになった。雲の切れ端が主翼の先に切り裂かれ、二つになって後方へと流れて行った。
一枚の雲を抜けると、次の雲があるといった具合だ。何階層もあるビルを階段で下っている気分になって来た。
高度を下げながらも、どこかに海面が見える雲の隙間が無いか目を凝らしていると、突然ヘッドホンに悲鳴のような声が入った。
「敵機直上!」
「なにっ!」
見上げると永遠の蒼空を背景にして三角形の翼をした機体がクルリと引っくり返るところだった。一機だけではない、確実に三機以上は居ると見えた。
「対空戦闘! 通信士、第三二八実験航空団に出撃を命じろ!」
オルフ機長が言い終わる前に<フリッツX>を抱えた六機を庇うように、四機の<スルト>が傘のように上へと被さってきた。身を挺してこちらを庇ってくれるつもりだ。
「敵機の種類は?」
彼我の相対的な位置だけではなく、編隊の各機の状態を窓から確認しつつ、他の乗員へと質問する。操縦席よりも見晴らしの良い上部銃座に配置されている銃手から返事があった。
「日本海軍の<カタナ>です! ジェット!」
ドイツ軍は欧州戦争の終わりが見え始めた頃から日本軍に対する諜報活動を強化した。
その中には、もちろん日本軍がどのような軍用機を使用しているのかも含まれていた。
諜報活動によって得た情報は、現場の兵に分かりやすいように分類整理され、色々な教育に生かされていた。
重爆撃機の銃手として必要な物に、敵機を見分ける能力がある。もちろん鈍重な爆撃機にとって戦闘機の全てが脅威である。しかし例えば相手が第一次世界大戦で使っていたような複葉機ならば、いくら戦闘機でもさすがにこの<スルト>を撃墜する事は困難であろう。
逆に今、銃座から報告があった<カタナ>は最悪の相手であった。
それは日本海軍が最後に開発に成功した局地戦闘機から発達した、ジェット戦闘機の符牒であった。
六式局地戦闘機…、日本側呼称はJ七W一<シンデン>、連合軍の情報機関が名付けた符牒は見たままの<烏賊>であった。
自家用車も作れない二流国として、日本側の軍用機情報を無視して来たレベルで把握していなかったドイツ諜報機関は、連合軍の符牒をそのまま流用する傾向があり、同じく<烏賊>と呼称することにした。
その局地戦闘機から発達した六式艦上戦闘機J七W二・A<シンデンカイ>は、日本初の艦上ジェット戦闘機として連合艦隊の航空部隊に配備されていた。
なお<シンデンカイ>というのが日本側の正式な呼称であるが、当時の現役艦上戦闘機である四式艦上戦闘機N一K五・A<シデンカイ>と呼称が紛らわしいという事で機体名を公募したところ、日本刀を意味する<カタナ>に決まったという逸話がある。もともとは試作第一号機だけにつけられた愛称であったが、いつの間にか部隊に浸透し、今では<カタナ>という呼称の方が<シンデンカイ>より多く使われていた。
もちろんドイツ情報機関は日本海軍の新鋭機に対しても諜報活動を行っており、呼びやすい名前だったので符牒を<カタナ>のままとした。
空を舞う<カタナ>はドイツ空軍のジェット機に比べて、とても小さく見えた。なにせ太平洋の戦いで有名になった零式艦上戦闘機A六M…(連合軍だけでなくドイツ軍でも同じく<ジーク>と符牒した)、…その<ジーク>の機体サイズと、ほとんど同じなのだ。
ドイツの技術者は、新発明であるターボジェットエンジンが完成した時に、このエンジンは従来のレシプロエンジンに比べて半分の推力しか出せないと計算した。このままでは使い物にならないため、一工夫が必要だった。答えは簡単であった。一つで半分なら、倍の二つにすればいいだけだ。
その結果、一つの機体に二つのエンジンを搭載した、いわゆる双発機であるメッサーシュミット二六二<燕>を開発した。
日本の技術者も同じ問題に直面したはずである。その時にした判断は、ドイツの技術者とはまるで正反対の物だったようだ。推力が半分ならば、機体も半分の大きさにすればいい、と。
装備品など重量が増えていく一方の軍用機である。一昔前ならば想像もつかなかったような機上レーダーなど新発明の装備ばかり増えていくのだ。そのせいでどの用途の軍用機も進化の方向性は大型化であった。それはまるで遥か古代に地上に存在した恐竜を習っているかのようだ。
それなのに機体サイズを昔の制式機と同じに戻すなんて、どれだけ日本の技術者が努力したのかは想像がつかなかった。
三〇ミリ機関砲を装備した尖った機首。三角形の主翼。そして唐突に終わるようにして装備されているジェットエンジンの排気口。背中から後方にかけて伸ばされたブームは、後ろから矢が刺さったようにも見える。最後を締めるのは一二〇度ごとに設けられた三枚の尾翼である。(注165)
もちろん<カタナ>は普通のジェット戦闘機同士の空戦でも、ドイツ空軍の物に負けない性能を持っている。ましてやレシプロエンジン六発の巨人機では逃げることもできない。
巨人機である<スルト>の機体各所に装備した遠隔操作式の銃塔が駆動音をさせて上空を睨む。各銃塔には二〇ミリ機関砲が二門ずつ装備されている。それが背面、尾部、両側面、機首下部で合計一〇門もの重装備だ。
同じ計画で設計された<ヨトゥン>はそれより少し劣って、機尾の銃塔だけは同じであるが、他は一三ミリ機銃を装備していた。(注166)
防御武装はそれだけだ。ジェット機にとって一〇機ていどの編隊など、ノンビリ飛んでいるカモと同じであろう。
「慌てることは無い」
機長としての責任感で、余裕ぶって機内に居る乗組員へ語り掛けた。内心は膝の震えが機体の挙動に現れないか心配していた。
「よく引き付けて撃つのだ。遠くだと当たらないからな」
(まあ、こちらの弾が当たる頃には、向こうの弾も当たるのだけどな)
当たり前のことを考えてしまうが、おくびにも出さなかった。同じ重さのボールがあるとして、上へ投げあげるより、下へ投げおろす方が簡単である。もちろんそれは重力があるからだ。物理現象に関してはボールでも機関砲の砲弾でも同じである。
このままでは真っすぐ飛んでいるだけならば、座り込んだカモ以下の獲物である。しかしオルフ機長に腹を見せて飛んでいた第三二八実験航空団に所属する四機の<スルト>に変化があった。
この四機は、六発機という鈍重な飛行機を装備しているはずなのに、空中戦が任務の戦闘飛行隊扱いの部隊に所属していた。それは平均的な爆撃機塗装である緑二色に塗られた他の六機と違い、戦闘機で一般的な斑紋点模様が特徴的な塗装が施されていることからも間違いなかった。
事実、機体上部に装備された銃塔は、爆撃機タイプでは一基だが、倍の二基を装備していた。しかも二〇ミリ機関砲用ではなく、三〇ミリ機関砲用の大きな物である。
大西洋を渡ってアメリカ本土を爆撃する計画に当たって、当然飛び上がって来る敵の迎撃機にどう対応するかが問題となった。護衛機が無ければ重爆撃機は敵戦闘機のエサにしかならないのは、英国上空の戦いではっきりしていた。そこで考え出された苦肉の策がコレだ。
戦略爆撃任務の<スルト>を運用する部隊に、工場改修キット<U一二>として供給された装備である。前線のすぐ後ろに置かれる整備基地で改造できるようにと用意された<U一二>を組み込むと、<スルト>は重爆撃機ではなく、長距離援護機として運用できることとなる。(注167)
内容は機体上部に増設できる銃塔やら、機体各部についている二〇ミリ機関砲を、三〇ミリ機関砲への交換など多岐にわたる。それだけではない機上の空対空レーダーのセットも<U一二>に入っており、暗夜の戦闘となっても、敵の夜間戦闘機に後れを取らないようになっていた。
さらに第三二八実験航空団の各機には新兵器が用意されていた。
自機の上空で、敵戦闘機からの傘になってくれている第三二八実験航空団を見上げていたオルフ機長の目の前で、各機が爆弾倉に抱えている金具を止めていた磁石をオフにした。
すると巨大な空中ブランコであるように、第三二八実験航空団の各機が抱えていた魚雷に翼がついたような物体が、前方に向けて振り出された。
振り出された物体は、その勢いのままに前へと飛び出した。普通ならば重力に従って滑空していくはずのそれらは高度を維持していた。
テーパーのついた主翼に、振り出されるまで<スルト>の爆弾倉に隠されていた高い位置の尾翼。同じように爆弾倉に隠されていた機体上面にはレイザーバック型の操縦席があり、乗り込んでいる操縦士の姿が見えた。
一見プロペラの無い機体にグライダーのような錯覚を得るかもしれない。しかし振り出された勢いを利用して胴体の両脇に抱えた筒の後ろから火を噴くと、それらは上昇していった。
機体の名前はメッサーシュミット三二八<小判鮫>、世界でも珍しい重爆撃機に空戦空域まで連れて行ってもらう方式を採用している小型のジェット戦闘機であった。(注168)
メッサーシュミット社がP一〇七九として設計した、名前通りのコバンザメ戦闘機である。量産はジェット機開発に忙しいメッサーシュミット社に代わって滑空機を主力に生産していたヤコブ・シュバイアー滑空社に任された。
これならば、いくら航続距離が短いドイツ機といえども、大西洋を渡った先で重爆撃機を守ることができると考えられていた。
二基のアルグス〇一四パルスジェットエンジンを持ち、機首に二〇ミリ機関砲を二門持つ。最高時速は八〇〇キロを超える戦闘機であった。
動力源がパルスジェットエンジン二基と少々頼りないが、母機に用意された燃料タンクから再度給油が可能かつ、構造が簡単なため機上でもある程度整備ができることが選定の理由である。(注169)
四機の<シッフサイター>は、赤い炎を引きつつ急降下して来る<カタナ>に機首を向けた。
さすがに上から被さられると空中戦では不利だが、彼らは戦いに勝つのが目的ではない。自分の母機を含む編隊への攻撃を諦めさせることができればいいのである。
よって射程外なのは理解しているが、威嚇のために、早めに射撃を開始した。
撃たれた方の<カタナ>は、射線を軽々とかわすと、機体を安定させて機軸をこちらに向けた。
「!」
将校として部下にみっともない姿を晒さないように日ごろから自戒しているオルフ機長であったが、次に起きた出来事で呻き声を上げてしまった。
上空から逆落としに突っ込んでくる<カタナ>の翼が煙を噴いたのだ。こちらの防御火線のどれかが当たったのかと思ったが、そうではない。煙は戦闘機を上回る速度で編隊へと突っ込んできたのだ。
「ちくしょう! ロケットだ!」
同じような兵器をドイツ空軍でも採用していた。空対空ロケットR四Mである。ヒトラー総統が「陸では重戦車が活躍する時代になったというのに、空では今でも第一次大戦と同じ様に機関銃で撃ち合いをしているのか」と空軍関係者に指導して開発させた最新兵器である。
その威力は絶大で、地中海方面からドイツ本土へ侵入し戦略爆撃を行おうと画策していた連合軍の重爆撃機編隊を、たった四機の<シュバルベ>から発射したR四Mの一撃で全滅させたほどだった。
ただR四Mは一回に二四発もの数を発射して攻撃するが、日本軍の物は違うようだ。一機の両翼から一発ずつしか発射されていない。凄い速度で向かって来るが、アレならばいくら鈍重な重爆撃機でも冷静に弾道を読んで避けることができそうだ。
実際にオルフ機長はそうしようとした。また護衛役の第三二八実験航空団各機は、逆にロケットと攻撃任務の他機との間に入って、自らの機体を盾にしようと動いていた。
「うおっ!」
だが簡単に避けられると思っていたドイツ軍機の目の前で、そのロケット弾は爆発した。最初はこちらの撃った防御兵器の弾が当たって誘爆したのかと思ったが、そうではなかった。
爆発したロケット弾から円錐状に火花が噴き出した。火の玉となった火花が当たった機体は大きな損害を受けた。主翼にある燃料タンクを撃ち抜かれた機は燃え上がり、機首にある操縦席に当たった機は操縦士が全滅して制御不能となり、そして腹に抱えた<フリッツX>に喰らった機は敵に叩きつけるはずだった弾頭が爆発して後には炎と煙しか残さなかった。
「なんだアレは」
あんな兵器があることをオルフ機長は聞かされていなかった。隣の副操縦士に振り返るが、彼も見上げたまま口を開けて硬直していた。
どうやら実戦投入初の新兵器のようである。(注170)
ただオルフ機長にとって幸いだったのは、その新兵器は<カタナ>に二発ずつしか搭載されていないようなのだ。黄色い火線に見える三〇機関砲を撃ちながら、片手で数えられるほどの<カタナ>は、ドイツ側の編隊を上から下へと通過していった。
その小さくなっていく機尾に慌てて尾部銃塔が追い撃ちをかけるが、少し機体を揺らしただけでかわされてしまった。
「損害は?」
上に傘となってくれていた第三二八実験航空団は、一機は翼を燃え上がらせて降下していき、もう一機は機首にある操縦席の辺りを敵の新兵器に破壊されて、フラフラと高度を下げていた。
機長席から窓越しに周囲を確認する。彼の機は隊長機として傘形陣形の先頭にいたので、他の機体が視界に入らなかった。
機体各所から異常なしの報告がある。どうやら自分たちは敵の第一撃に見舞われる事は無かったようだ。いや第三二八実験航空団が身を挺して守ってくれたおかげだ。
敵機と擦れ違いに上空へのぼっていた<シッフサイター>が、翼を翻して急降下へと移った。書類上の最高速度は<カタナ>とそう変わらないはずなので、空中戦においてとりわけ不利な相手ではないはずだ。しかも母機が無事ならば帰還し、燃料弾薬の補給までできる事になっているから、絶えず燃料切れの心配がつきまとうジェット機にあって、心理的な余裕すらあるはずだ。あくまで母機が無事ならば、であるが。
「三番機がダメです」
どうやら機窓から周囲を見ていた通信士から報告が入った。
「あと第三〇爆撃航空団の隊長機が見当たりません」
一瞬だけ逃亡したのかと勘繰ったが、こちらだって敵の戦闘機から逃げられるものなら逃げている。この場合は敵前逃亡よりも撃墜されたと考える方が自然であろう。
「機長」
今度は下方視界が優れる爆撃手からだ。彼は敵機が出現した今は機首下方の遠隔銃塔を操る銃座にいるはずだ。
「左舷九時方向あたり」
彼は下士官から叩き上げた男で、普段から寡黙で必要以外の事を口にしない事をオルフ機長は知っていた。だが隊長機の爆撃手を任されるだけあって、腕前は確かだ。
言われた方向の、さらに爆撃手からの報告ということを加味して、下方を見てみる。機長である彼は操縦室の左側に座っているから、左舷を視界に入れる事は容易かった。
そこにはわずかであるが雲が無い空間が存在し、インド洋を眺めることができた。
こちらが海を見ることが出来るという事は、海面からも発見される可能性が高いが、そこしか隙間が無いのならば向かうしか無かった。
「レーダー士、電波管制解除。レーダーで敵艦隊を探せ。通信士、味方各機にも電波管制解除を伝えろ」
「了解」
もう敵戦闘機に見つかったのである。電波管制を続ける意味は無い。遠慮なく海上捜索レーダーを発振する事ができる。
「うを」
どうやらレーダーのスイッチを入れた途端に反応があった様で、レーダー士官の驚きの声がヘッドホンに入った。
「凄いぞ。カルル手伝ってくれ、一人じゃ手が足らん」
「おうよ」
レーダー士官が背中合わせで座っているはずの通信士の名前を呼んで応援を求めた。
「一、二、三…、たくさん。数えきれません! 敵艦隊の直上です!」
レーダー士官が喜んでいるような悲鳴を上げた。
「逆探に反応!」
怒鳴らなくても喉に直接貼り付けるマイクは音声を拾ってくれるのだが、通信士まで荒い声を上げた。
「日本海軍のレーダーと思われる電波を多数感知!」
どうやらこちらがレーダーを使用したので、向こうも自分が不利にならないように電波管制を解除したようだ。
「一番大きな反応を知らせろ」
反応があって興奮している二人には悪いが、オルフ機長は冷静に部下の報告を分析していた。この雲だらけの天候を考えると、数えきれない敵という反応の半分以上は、雲からの乱反射であろうことは容易に想像がついた。
それでも鋼鉄の塊である軍艦と、水蒸気の塊の雲では見え方が違うはずだ。反応は水蒸気の塊より、鋼鉄の塊の方が確実に強いはずだ。
「機方位〇・一・〇」
「よし、そいつに向かおう」
コンパスが示す真方位は真北を基準の〇・〇・〇とし、あとは三・五・九までの数字で方位を示す。これに対して機方位というのは現在機首が向いている方向を基準の〇・○・○として方位を示して、後は同じだ。機方位〇・一・〇ならば少し右に進路を振るだけで向かえるはずだ。
機長席に備わっているコンパスを確認して、自機の針路を調整する。
「敵機が戻ってきます!」
後方銃手と思われる声がヘッドホンに飛び込んで来た。敵艦隊の発見に浮かれて忘れていたが、そういえば彼の編隊は<カタナ>に襲われていたのである。
「護衛機はどうした」
成層圏から下り続けているため操縦輪を押し込んだままオルフ機長は誰とはなしに訊ねた。
「見当たりません」
今度は上部銃手が答えた。
まあ捜索攻撃に移った時点で編隊は、バラけて敵を個々に探し始めているのである。広く散開しているならば味方が視界に入らないのも当然であろう。もちろん雲が重なって視界が良くないこともある。
「機長」
隣の副操縦士が計器を指差した。
「高度に留意」
「?」
見れば対地高度計が攻撃高度である六○○〇メートルに近づいていた。昔の機体ならば気圧差を耳で感じ取ることもできただろうが、成層圏を進軍するべく開発された<スルト>の機内は、当然与圧されていた。
「水平飛行にうつ…」
「お隣から報告です」
オルフ機長が自分自身に水平飛行の命令を出している途中で、通信士が割り込んで来た。
「なんだ」
「『我、敵空母発見』…。敵空母発見です!」
通信士の報告に、オルフ機長は(そりゃあそうだろ)という感想しか湧かなかった。なにせ日本空母から飛び立つ艦上戦闘機である<カタナ>に襲われているのだ。空母が居なければ、アレはドコから飛んできたという話しになるではないか。
機内に爆音が響いた。機体各所にある銃塔が火を噴いたのだ。襲ってくる<カタナ>を撃墜できないまでも、近づかせなければコチラの勝ちだ。
「右に回るぞ」
「後ろ、どうだ?」
「左のは見えなくなった」
「上! 上!」
銃手たちは声を掛け合って、敵に対する弾幕が途切れないように努力していた。
「機長! 下げて!」
上部銃手の悲鳴に考えるより先に手が動いた。ガクッと高度を下げると、バンバンと機体に連続する衝撃があった。
ジェットの轟音が右から左へと飛び去るのが聞こえた。
「被害状況は?」
「天測ドーム付近に二発。貫通していません」
どうやら沈ませるように機体を操ったのが幸いしたようだ。たしかに三〇ミリ機関砲は砲口を向けられたら恐ろしい兵器ではあるが、断面が円形である<スルト>に掠るように当たったため、被弾経始が最大となって損害は最小限で済んだようだ。
それより恐ろしいのは敵機が機関砲を乱射しないタイプの操縦士を乗せていることだ。概して経験の浅い操縦士…、新米は無駄に弾丸をバラ撒くものだが、熟練はその逆である。そして言うまでも無いがヒヨッコよりもベテランと戦う方が手ごわい。
「また、お隣からです」
被害の報告に胸を撫でおろしていると、通信士の報告が入った。
「『敵ハしょうかく級ヲ中心ニシタ輪形陣。我コレヨリ突撃ス』…。敵はショウカク級です!」
「なんてこった」
ついボヤキのような物が口から出た。まあジェット戦闘機である<カタナ>が襲ってきていることからも、下に正規空母がいることは間違いなかった。飛行甲板が狭く支援設備も多く積めない軽空母ではジェット機の運用は無理なのである。
「こちらからも基地へ敵空母攻撃を発信しろ」
万が一、情報が伝わらなかったらと考えて通信士に命じておいた。
「機長! 前から来ます!」
上部銃手が悲鳴のような声を上げた。風防から前を見れば、先ほど機体の上部を撃った<カタナ>が前へ回り込もうとしていた。
「なんとかしろ」
銃手にはそう命じておき、機長でもある彼は次の手を考えていた。おそらくあの<カタナ>は、次の攻撃で彼自身が座る操縦室を狙ってくるのは間違いない。もちろん防弾板は設計段階で張り巡らしてあるが、気休めなのも分かっていた。
三〇ミリ機関砲が直接人体に当たったら、その人間は死体が残らない程の威力なのである。地上で三〇ミリ機関砲と言えば、偵察用戦車の装備なのだ。さすがに重戦車を相手にするには難しいが、兵員輸送用の装甲車ならば簡単に撃破できる破壊力がある。
もちろん空を飛ぶ航空機に重戦車並みの装甲が張り巡らせられるわけがない。そんなことをしたら重くて飛べなくなってしまう。(注171)
しかも今はお互いが向き合って突っ込んでくる状況である。ただでさえ威力のある機関砲に相対速度が加わるのだ。相対速度だけで言うならお互いが音速で近づいているような物だ。
(だとすれば…)
緩い旋回からピタッと<カタナ>の軌道が安定した。空の上だと相対物が無いので実感しにくいが、お互いがキロ単位で離れた位置にいるというのに、その<カタナ>の操縦士が向けて来る害意…、つまり殺気のような物を感じ取ることができた。
(機体を安定させたということは、撃って来る!)
オルフ機長が覚悟したように<カタナ>の鼻面にある三〇ミリ機関砲の砲口が火を噴いた。先ほどよりも白く見える火線が目の前から迫って来る。
しかし彼が自分の眼球に向かって放たれたと思われたその火線は、機体に到着する前に下へずれ、彼が操る<スルト>に一発も当たらなかった。
偶然ではない。こちらがどちらかに回避するか<カタナ>の操縦士は先を読んで下を選択して予想される空間に機関砲を撃ちこみ、オルフ機長もそこまで敵の攻撃を読んで、操縦輪を揺らぎもさせなかったのだ。
前から戦闘機が突っ込んでくるという局面で、どちらにも避けないという選択はなかなかしづらいものであった。
機体上部の銃塔が音を立て、機内に空薬莢がバラ撒かれる音が続いた。こちらの反撃を、これまた憎らしいほど華麗な軌道で<カタナ>は避けて、左へと舵を切った。
と、ザーッと降り出すスコールのように赤い火線が上から落ちて来た。
「?」
それに続いて見慣れた斑紋点迷彩をした戦闘機が、落ちるようにして上から現れた。総指揮官の機が襲われていると知った<シッフサイター>が助けに来てくれたのだ。
(後は<シッフサイター>に任せればいいだろう)
「機長」
ホッとする間もなく、機首銃手を務める爆撃手から声がかかった。
「右前方、一時」
言われた方向を見ると、一機の<ヨトゥン>が雲を背景に飛んでいるのが見えた。そして腹から黒い何かを落とした。向こうは爆弾倉の扉が外さないと<フリッツX>を搭載できないから、投下するのまで丸見えだった。
「同じ方向、海面に注意」
そう言われても機長席からは死角になる方向だ。横の副操縦士が風防越しに確認してくれた。
「機長、敵艦隊です。同方向に輪形陣」
「どれ」
オルフ機長は操縦輪を右に回した。少しだけ彼が操る<スルト>が傾いた。そのおかげで海面を観察する事ができた。
二重三重に等間隔に並んだ点が、ビロードの絨毯のような海面に並んでいた。その中心には一枚の札のような四角い影があった。
正しく日本機動部隊である。
「よし、爆撃手。攻撃開始だ」
機体をそちらに向けるよう操縦輪を操りながら命令を下す。目は計器盤の高度計を確認していた。
「了解」
命令を受けた爆撃手は、それまで担当していた機首の遠隔銃塔を操る銃座から離れた。ここまで来ると仕事が無くなるレーダー士官と交代する。
飛行帽の顎紐を締め直した爆撃手は、床下にある爆撃照準用の区画へと降りた。ここは機体からはみ出しているゴンドラとなっており、前方から下方にかけての視界は広く取られていた。ただ空力抵抗を最低限にするために高さはあまりなく、爆撃照準器を覗く者は床に寝そべるようにして配置に就かなければならなかった。(注172)
胸元までの防弾ガラスの空間に寝そべると、自分の背中に翼が生えて飛んでいる気分になれる。
その狭い空間のドン詰まり。風防ガラスの支柱に置かれているのはラインメタル・ボルジッヒ社製の誘導装置だ。
狭い塹壕を匍匐前進する要領で誘導装置まで行くと、多めの雲というあまり好ましい気象条件ではないことが実感された。
だが狙えない程では無かった。彼が爆撃機に乗組んできて食べて来た飯の回数を考えれば、当てる自信しか湧いてこなかった。
被りっぱなしの飛行帽のヘッドホンを、誘導装置に付属している端子と接続する。
「機長。爆撃手準備よし」
「了解。そちらの指示に従う」
「それでは訓練通りに」
爆撃手は、うつぶせに寝そべった状態で、気をつけの姿勢をした。そこの右手に当たる位置にあるレバーに手をかけた。複数あるうち、先端に翼のように板がついているレバーを探り当てた。
「爆弾倉開放」
ゴンドラ後部にある爆弾倉の扉が、モーターの力で開いて行く。その音が直接振動となって彼を包み込んだ。
「目標、輪形陣中央、ショウカク級…。で、いいのですね?」
いちおう将校は飛び立つ前のブリーフィングで、主目標は<ヤマト>だと指定されていた。爆撃手である彼も、もちろんそれに参加して知っていた。
「こちらからは<ヤマト>は確認できない。そちらからはできるか?」
最後の念押しとばかりにオルフ機長が訊いて来た。
輪形陣を描いているのは全て駆逐艦に見えるし、他に目標となりそうな艦船は見当たらなかった。だが機長の判断は間違ってはいないだろう。敵空母を沈めることができれば、敵の防空網は弱体化して、味方が<ヤマト>を沈めやすくなる。また運よく基地へ帰ることができたなら、再出撃する時に敵機が一機でも少ない方が良いに決まっている。
「了解。目標、輪形陣中央のショウカク級」
手探りで右手の位置にある爆弾倉開閉レバー横にある投下レバーに手をかける。先端に球がついているレバーは一本だけだ。こいつだ。二発同時に投下する時には、二回レバーを入り切りすればいいが、それだと片方は、誘導装置の能力がひとつだけしか誘導できないため、ただの滑空爆弾となる。まあ滑空爆弾としてでも彼は敵艦にぶつける自信はあったが、それだと高度と速度を変えてもらわなければならない。ここは順当に一発ずつ投下して、最初の奴が命中後に二発目を投下するのがいいだろう。
突然、右手の方から照明を当てられたような気がして、眼球だけを向けた。
右前方を行く<ヨトゥン>に、<カタナ>が纏わりついていた。先ほどまでこちらを攻撃していた機と同じかどうかは判断できなかった。
ジェット機に後方を取られた<ヨトゥン>は、<カタナ>にやられ放題だった。どうやら爆撃手を照らした明かりは、その<ヨトゥン>の尾部銃塔が破壊された時に起きた爆発のようである。
小さな炎が残骸となった銃塔に纏わりついていた。
次から次に<ヨトゥン>の表面に弾ける物がある。あれは全て<カタナ>が撃ち込んでいる三〇ミリ機関砲の砲弾であろう。向こうの機内がどうなっているのか、想像もしたくなかった。
意識の半分で照準器を覗きこむ。海の上に浮かんだ灰色の札に見える敵空母は、たやすく照準器のレチクルに捉えることができた。(注173)
「投下!」
機長であるノア・オルフ中尉に聞こえるように大声を上げる。ここからが大変だ。対艦攻撃と聞いて普通の人はエンジンを全開にして突っ込んでいく勇ましい姿を想像するかもしれない。しかし彼が操る<フリッツX>を使った攻撃ではそうは行かない。投下時は速度があればあるほど<フリッツX>の前進速度に貢献するのでフルスロットルで構わないが、そのまま飛び続けることは無理なのだ。逆にスロットルを閉じて、減速して行かなくてはならない。着弾の瞬間に目標の真上にいるのが理想だ。そうでないと<フリッツX>を肉眼で誘導している爆撃手の視界から目標が見えなくなってしまうからだ。
そのため少しでも機速の減少に役立つように、爆弾倉の扉は開けっ放しとした。
もちろん、敵艦隊の上で減速するなんてキチガイ沙汰である。ただでさえ鈍重な六発の巨人機なのだ。演習で使用する標的の方が小さい分まだ当てるのに難しいぐらいだ。
輪形陣を構成する駆逐艦からの対空砲火が始まった。さすがに六○○〇メートルまで届く火砲の数は少なかったが、いくつかは確実に届いていた。
この対空砲火は日本海軍が防空専用に建造したというアキヅキ級駆逐艦…、ドイツ軍ではB級駆逐艦と符牒をつけた艦からの物だろう。
日本の空母一隻に対して二隻が必ず貼りついて守っているはずだ。
当初建造された前期型六隻に続いて拡大改良された後期型だと、主砲は一二・七センチ対空砲だから、一五〇〇〇メートルにいたって安心できない。前期型の一〇センチ対空砲だって一四〇〇〇メートル上空に砲弾を送り込む能力があると情報部の資料にあった。
ただ直線で飛んでいたら不味いとオルフ機長は判断したのだろう、機体を蛇行させるように飛ばし始めた。それでもギリギリ誘導装置の範囲を外さないような曲線を描いているのは、これは訓練の賜物である。
まるで特急列車に乗っていて、線路の継ぎ目で大きく揺れたように、機体全体が揺さぶられた。ガシャンと何か金属製の物が潰されるような音。視界を球形の爆煙が塞ぐが、すぐに晴れて同じ風景が目に入る。
敵の対空砲火の中を進むというのは生きた心地がしなかった。
海面に置かれた灰色の札が、少しずつ大きくなってくる。爆撃手の彼は自ら操る<フリッツX>の針路を安定させた。
と、彼の集中力を乱すように、視界の右端から黒い点が侵入して来る。最初は虫でも飛んでいるのかと錯覚したが、高度六〇〇〇メートルから見おろす世界に虫が見えるわけが無かった。
アレは他の機が誘導する別の<フリッツX>だ。
長い経験から少しだけ視線を外しても大丈夫だろうと判断した爆撃手は、姿勢はそのままに目だけ動かして右前方に居たはずの友軍機を視界に入れた。
さすがに対空砲火が始まってからは、味方撃ちの恐れがあるので<カタナ>の姿は無かった。しかし、そこに浮かんでいたのは胴体といい翼といい、火だるまになった<ヨトゥン>だった。
見る間に左主翼が付け根で折れて、空中分解を起こして部品を撒き散らしながら落下を始める。バラ撒かれる通信機や機銃、薬莢などの中に人型をした物があった気がしたが、彼は無視する事にした。
いま大事なのは、彼が誘導している<フリッツX>である。その次に、いま堕とされた友軍機が誘導していた<フリッツX>の行く先だった。
誘導電波を失った<フリッツX>は、最期の指令のままに落下を続けていた。狙われているショウカク級の艦長は冷静に判断しており、舵を右へ…、面舵に針路を変えて最初の攻撃をかわそうとしていた。
こちらにとって好都合である。長方形をした札が段々と右に回っていくと、長辺をこちらに横へ向ける形になる。爆撃手にとって狙いやすい形だ。
(よし、もらった)
命中を確信した彼は、友軍機の置き土産に感謝しながら、改めて誘導装置を覗き込んだ。彼が余所見をしている内に、誘導装置の視界から外れかかっていたが、すぐに修正ができた。
一発目の<フリッツX>は、惜しくもショウカク級を飛び越して左舷ギリギリに着弾した。
ズバンと水柱が上がり、三万トン近いはずの艦体が揺れたのが確認できた。
爆発を至近で受けて<フリッツX>の破片や爆圧を受けたのだろう。上空から見て消し忘れのタバコ程度に見える煙が一条上がり始めた。
(いける!)
爆撃手は誘導装置についている小さなレバーを前に押し込んだ。それまで上を飛び越すような弾道を取っていた彼が誘導する<フリッツX>が急降下を始める。最終段階でさらに加速されて、威力が上がったはずだ。
空母の側面についている対空砲が弾幕を一所懸命張っているのが見えるが、もう遅い。
彼が誘導した<フリッツX>は、目標にしていたショウカク級のド真ん中に命中した。
海面から閃光が広がり、時計で測れないようなわずかな時差の後、爆炎が沸き上がり、球形をした黒い煙が上空に盛り上がるように湧き立った。煙はすぐに形を変えて、まるで海底火山の噴火のような複数の色が混じった煙柱となった。
(ん?)
そこで訓練された爆撃手である彼は違和感に気がついた。
いくら破壊力抜群の<フリッツX>でも、相手に与えた損害が大きすぎるように感じたのだ。これは空母などの軍艦を攻撃したという感じではない。地中海方面で実戦に参加した時に沈めた大型輸送船を殺ったときの手ごたえに近かった。
(もしかして…)
だいぶ煙に隠されたショウカク級と思われた日本空母を観察する。相手を認めたと思った瞬間に、煙を飛び越して後方へと視界の外へ消えた。
(こいつ、ショウカク級じゃないのか?)
長年培った己のカンを信じて、彼は喉に巻いたマイクのスイッチを入れた。
「機長!」
ヘッドホンから返事が聞こえない。それどころか妙に静かで音がしなかった。もしかしたら乗組員同士で言葉が交わせる内線が壊れたのかもしれなかった。
爆撃手である彼は右手をのばした位置にあるレバーに手をかけた。もう一発の<フリッツX>を後で発射するにしろ、逃げるにしろ、空気抵抗になる爆弾倉の扉は一旦閉めた方が良いはずだ。
レバーを前進させると唸り出すはずのモーター音が聞こえなかった。
(故障か?)
これだけ対空砲火の中を飛んだのである。開閉装置のどこかに弾片を受けて故障する事はじゅうぶんに有り得た。
いちおう自分が握っているレバーが爆弾倉の扉の物であるか、触覚で判断する。大丈夫だ間違ってはいない、レバーの先に板がついたような形状は爆弾倉開閉用の物だ。
故障は致し方ないとして、敵をショウカク級と誤認したままなのは不味い。この後に作戦を考える友軍は、予想していた敵勢力よりも大きな物と戦わなくてはならなくなるからだ。
機長に意見しようと、爆撃手はゴンドラを這い戻り、機内へと体を起こした。
「なんだ…、こりゃ」
何もかもが燃えていた。機内の装備品だけでない、床にも壁にも火がついていた。
自分がゴンドラへ下りる前に着いていた機首遠隔銃塔の銃座には、誰も座っていなかった。足元に燃えている布と何かの肉の塊が、交代したレーダー士官の成れの果てであろうか。
銃座の目立つ位置に三〇ミリ機関砲弾が貫通したと思われる穴が開いて、機内からドンドン空気が漏れていた。
キーンという耳鳴りは、与圧が破れて空気が漏れているせいだと思いたかった。
(機長は?)
操縦席に向かおうと前進する。背中合わせに座席があるレーダー席と通信席も全ての物に火がついていた。
通信文を書き写す電報用紙、暗号表、通信機。そして席に座って俯せになっている通信士の服や髪にも火が燃え移っていた。
「しっかりしろカルル」
名前を呼んで肩を引くと、力なく上半身が上を向いた。通信士の顔の半分は失われていて、彼の鳶色をした眼球が力なく爆撃手を見かえした。
「くっ」
爆撃機に搭乗していると、機上戦死に出会う確率は多い。そもそも単座機では機上戦死したら操縦する者がいなくなって墜落するから当たり前であるが。
爆撃手は悲しみを振り切って、操縦室への扉に向かった。最低でも機長に報告し、味方へ誤報が届かないように手配しなければならない。
軽合金製の扉を開くと、操縦室にも炎は回っていた。
航空地図や機器の操作マニュアルなどの紙製の物はもちろん、座席についたまま副操縦士までもが松明のように燃え上がっていた。
「機長!」
爆撃手はオルフ機長へ声をかけた。
全てが燃え上がっている操縦室にあって、奇跡的と言って良いほどオルフ機長は無傷で操縦輪を握りしめているように見えた。カッと見開いた双眸は前方を睨みつけ、ペダルに置かれた足も微動だにしていなかった。
「機長?」
しかし彼の呼びかけにオルフ機長は反応を返さなかった。
よく見ると頭部から大量の出血が上半身を赤く染め、その水分で周囲の炎を寄せ付けていないことがわかった。
爆撃手は直属の上官たるノア・オルフ中尉へと敬礼をした。
「機長、報告します。敵空母一隻撃沈確実」
もちろん返事は無かった。
「自分もすぐ、そちらに参ります」
長く炎の尾を引いた<スルト>は、ゆっくりと海面へ向けて堕ちて行った。(注174)
●インド洋アラビア海ラッカジブ諸島南方。ラッカジブ海上空二万メートル:1948年4月18日0930(現地時間)
永遠の蒼空に空冷エンジンを長い主翼に六基も並べた巨人機が飛んでいた。
機体に施された塗装は普通の緑二色の爆撃機に為される迷彩ではなく、戦闘機などに施される斑紋点迷彩であった。
そのおかげで、このユンカース三九〇C<スルト>が第三二八実験航空団に所属する機体だと一目で分かった。
「どうだ?」
機長が内線に繋がっているノドのマイクを通し、尾部銃手に訊ねた。彼が着いている後方銃座ならば後方視界が広いので、追って来る敵や、生き残っている味方などを、発見できる可能性が高いからだ。
「我が機の他に生き残りは…」
言葉が途中で止まった。
「どうした?」
すわ敵かと機長はスロットルに手をかけた。生き残っている味方がいる場合を想定して全力では飛んでいなかったのだ。敵のジェット戦闘機が追いかけて来たなら逃げるのに苦労するだろうが、ジェットエンジンは燃費が悪いのは周知の事実だ。空母から離れていく敵を追い撃ちする時間的余裕はそんなに無いはずだ。
それでも一撃か二撃か食らう覚悟をしていると、尾部銃手の明るい声が飛び込んで来た。
「味方です! <シッフサイター>が二機!」
「よし、回収する」
即断即決であった。母機である<スルト>は、おそらく彼の機しか生き残っていなかったが、せめて操縦士だけでも回収してやらなければ。もうそれは義務でもなんでもなく、戦友に対する友情を超えた何かであった。
出撃させた時間が分かっており、そして航続時間もだいたい分かるようにデータは揃っていた。安全な本土上空で訓練した経験から、残された時間はそんなに無いはずだ。
先ほど思っていたのと逆に、機長はスロットルを緩める方向に動かした。あまり機速を落とすと高度を維持できなくなるが、メッサーシュミット三二八<シッフサイター>の残り燃料を考えたら、あまり高速を出すわけにはいかなかった。
「三号機と四号機です」
機体各所に書き込まれたマークや数字を読み取った尾部銃手が報告を上げて来る。その内、四号機はこの機から出撃した<シッフサイター>である。
「四号機はだいぶやられています」
機長として肉眼で確認したいが、彼が操縦席を離れるわけにはいかなかった。
(損害の大きい方を先に回収し、機体を投棄して二機目を回収するか)
「それでは四号機に信号を…」
尾部銃座の下部には信号灯が装備されており、機体回収時に灯火信号で合図ができるようになっていた。
「三号機が先に潜り込んできます」
「なに?」
四機の<スルト>から発進した<シッフサイター>は、一号機が編隊長機であった。四機で普通の戦闘機と同じシュバルムという編隊を組んで戦ったはずだ。これはスペイン内戦に参加したドイツ空軍のエース、メルダース大佐(一九四一年没)(注175)が考案した戦法で、二機で最小単位のロッテ編隊を組んで空中戦に挑む物である。ロッテ編隊二つで四機編隊のシュバルムとなる。
つまり四号機は三号機の僚機として補佐する立場で、搭乗している操縦士も階級が一番低かった。
こんなみんなが死にかけた戦場では、階級を優先させるよりも、もっと大切な物があるはずだ。銃手から見て損傷が酷い四号機を差し置いて、階級が上だからと先に回収されようと行動するなんて、もともと四号機の母機だけあって、機長は腹から怒りがこみ上げてきた。
「むう」
怒りを抑えきれなかった機長は呻き声を漏らすと、気を取り直して通信士を呼び出した。
「通信士。<シッフサイター>三号機から連絡は?」
「二機ともありません」
これは半ば予想された答えだった。敵艦隊から避退するにあたり、彼の<スルト>は電波管制をしていた。味方も全滅した今、余分な敵を引き付けるような真似はしたくなかった。そして誘導波なども照射していない事から<シッフサイター>の操縦士たちも、こちらの思惑を汲んでいるのだろう。
突然、二人の会話に尾部銃手の声が割り込んで来た。
「三号機の操縦席が真っ赤です! ケガをしている!」
「なに?」
外から見て分かるぐらいの出血だとしたら、重傷を負っている事になる。もしかして四号機の操縦士はそれを知って先を譲ったのではないだろうか。
「回収に入る。進路固定」
「ブランコを下ろします」(注176)
下部銃手の声が入った。ゴンドラ最後部に位置する下部銃座には<シッフサイター>を掴む腕を操作する機器が設置されていた。
重爆撃機であるくせに戦闘航空団扱いの第三二八実験航空団に所属する<スルト>には<シッフサイター>の母機となるべき色々な装備が追加されていた。その中でも最も特徴的な物が、爆弾倉扉を外して装備した<シッフサイター>との接続装置だ。
まるで踏板が湾曲した梯子のような接続装置を下ろすと、ガツンと空気抵抗を受けて操縦が重くなる。それを何とかするのが機長の仕事だ。
「こちらから凧を出して回収します」
「おう」
機上整備士の報告を上の空に、機長は暴れ出す操縦輪を抑え込んでいた。母機である<スルト>と、<シッフサイター>の空中ドッキングには二種類の方法がある。ひとつは<シッフサイター>側で操縦して接続装置に飛び込んでくる方法。もうひとつは<スルト>側からアプローチするやり方だ。この内、凧を使うのは後者である。
凧はある程度、機上から操作できるようになっており、それを行うのは<シッフサイター>の運用責任者の機上整備士の職域だった。
「ああ、やってくれ」
反対するも何も<シッフサイター>を回収する経験や技術は部下の方が深く理解している。機長である彼は、ただ母機を真っすぐ飛ばすだけだ。
接続装置の根元についている巨大なウインチが動き出した。これは梯子のように見える接続装置の昇降にも使用するが、下りた状態からさらにワイヤーを繰り出すと、梯子状の縦パイプの中をワイヤーが通してあり、最下段についていた小さな凧が繰り出されるようになっていた。
繰り出された凧は風に煽られながらも操縦室以外には異常が見られない三号機へと近づいて行く。操縦士には、まだ意識があるのだろう。レイザーバック型になっている機体の背中に内蔵されている回収金具を展開した。
突然の横風などの無粋な邪魔は入らなかった。国内で訓練している時は条件が悪いと二割ほどの確率で回収に失敗するが、無事に凧は<シッフサイター>の背中に届き、凧が持っていた金具と<シッフサイター>側の金具がガッチリと組みあった。
もちろん風任せの偶然ではない。下部銃座に凧を操る装置が設置されており、一時的に銃手に席を譲ってもらった機上整備士が操作したのだ。
機上整備士は目視で金具が噛み合った事を確認すると、ウインチの巻き上げボタンを押し込んだ。
巨大なウインチがワイヤーを巻き取り、少々強引に<シッフサイター>を接続装置へとドッキングさせた。ワイヤーを巻き取り続ければ、梯子状の接続装置も<スルト>の腹へと持ち上がり、爆弾倉にピッタリとくっついた。
すぐに席を立ち、本来の銃手と交代し、機体の上半分が収められた爆弾倉へと走った。
おそらく<カタナ>と撃ち合った時に三〇ミリ機関砲の弾片を受けたのだろう。風防の左側が損傷していた。
爆弾倉へ駆け込んだ機上整備士や、彼の部下である機上整備員が<シッフサイター>の操縦席に取りつくと、キャノピーを強引に開けて中を覗き込んだ。
狭い戦闘機の操縦席を真っ赤に染めて操縦士が力なくガックリと座っていた。意識が無いように見えるのは、回収されて安心したからだろうか。
みんなの手が突っ込まれ、シートベルトを外すと、操縦士なら誰でも着ている飛行服のパラシュートハーネスを掴んで引き摺り出した。ちょっと乱暴だったが、整備用にわずかに残された爆弾倉の床へと彼を横たえた。
風防の損傷から想像できたように、操縦士も左半身に大怪我を負っていた。と言ってもココは作戦中の機内である。医者も看護師もいないし、専門の医療設備も無い。あるのは、たった一個の救急箱だけだ。
「うおっ」
自分の手袋についた赤い血に機上整備員が及び腰になる。それとは逆に機上整備士は、床にのびている操縦士をぶん殴りながら、上着を力任せに開いた。
「うぐぐ」
乱暴な扱いに操縦士の意識が戻って来たようだ。機上整備士は構わず怒鳴りつけるような大声を上げた。
「しっかりしろ! キズは浅いぞ!」
日本軍の三〇ミリ機関砲の弾片は鋭利な刃物となって、左肩からまっすぐ下に彼の体を切り裂いたようだ。だが出血は酷いが傷は内臓どころか筋肉にも達していないようだ。
突然、カッと目を見開くと、操縦士は自分を介抱してくれている機上整備士に掴みかかった。胸倉を掴むと、叫び声を上げた。
「ほ、報告! 敵空母の撃沈を確認! 自分はこの目で、隊長機の<フリッツX>が命中するのを確認しました!」
それだけ怒鳴ると白目を剥いて脱力してしまった。
「し、死んだのですか?」
及び腰になったままの機上整備員が訊ねると、操縦士の顔に着いた血痕を拭ってやりながら機上整備士は言った。
「出血多量で気絶しただけだ」(注177)
彼は救急箱から一本しか入っていない生理食塩水の瓶を取り出した。医学の知識はないが、応急手当の講習ぐらいは受けていた。この一本で彼が助かるのかどうかすら分からなかったが、何もしないよりはましであろう。
「どうだ? 生きていたか?」
機体前方から声がかけられ振り返ると、与圧されている通信室と爆弾倉を隔てているドアが開かれて、機上機関士が顔だけこちらに出していた。
「生きていました。運ぶのを手伝ってください」
おそらく操縦輪から手を離せない機長が、伝令として寄越したであろう機上機関士に声をかける。二人がかりで操縦士を余圧されている区画へと引っ張っていく。その間に、機上整備士の命令を受けた機上整備員の操作によって、回収したばかりの<シッフサイター>が無人のまま空中ブランコの要領で放り出された。機体の方には風防以外に異常は見られないが、投棄しないと四号機を回収する事は出来ないのだ。
重傷者を通信室の床へ横たえたところで<スルト>がガツンと揺れた。おそらく残り燃料が少なくなった<シッフサイター>四号機が、三号機を捨てたばかりの接続装置に飛び込んで来たのだろう。
搭載されたウインチの作動音が続くところから、乱暴ながらも再接続には成功したと思われた。
「自分は<シッフサイター>の面倒を見なきゃなりません」
「分かった。任せろ」
負傷した彼と一緒に運んだ救急箱の蓋が開かれた。幸い機上機関士も将校である。彼も応急処置の講習を受けているはずだから、手当の真似事ぐらいはできるはずである。
四号機の方は、操縦士は無事であったが、機体の方が穴だらけで再使用に耐えられないことは、一目瞭然だった。
せっかく回収した二機とも投棄した<スルト>は、針路を〇・〇・〇に取ると、エンジンを全開にして基地へと急いだ。
誘導兵器による攻撃もなかなか大変だったようで、当時の記録を読むと、行間から現場の叫びみたいな物が見え隠れしている様にも思えます。特に<フリッツX>は初陣で戦艦<ローマ>の撃沈に、なまじっか成功してしまったために、連合軍が対抗手段を設けても使い続けさせられるという結果に。
いや相手が輸送船などだったら現在でも有効な兵器だと思いますけどね。




