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戦艦<ヤマト>を撃沈せよ  作者: 池田 和美
3/13

戦艦<ヤマト>を撃沈せよ・➂

 ドイツ側主人公のルーデル閣下の口から、なぜ<ヤマト>を沈めなければならないのかが説明されていきます。ついでに世界情勢も、もう少し説明してもらいましょう。

 こういう設定を重ねていく段階は面倒なものですが、見せ場のためにガマンガマンであります。

 でも、それだけじゃあツマラないので、陸海空の内、海中の戦いを付け足しておきます。



●ソコトラ島泊地。空母<エーリッヒ・レーヴェンハルト>作戦会議室:1948年3月10日1300(現地時間)



気を付け(アハトウング)!」

 ルーデル大佐が作戦会議室に入ると同時に号令がかかり、待機していた全員がナチス式の敬礼で出迎えた。(注112)

勝利のために(ジーク・ハイル)

「楽にしてくれたまえ」

 演壇に立った彼は答礼を小さく済ませて、室内を見回した。

 着席した搭乗員は、皆若く、精力に満ち溢れていた。

(いい面構えだ)

 若さの満ちたブリーフィングルームに満足感を得たルーデルからは、自然と笑みがこぼれた。

 しかし事情を知らないものが室内を見回すと、席の配置が不思議であった。部屋の右側と左側で人数がだいぶ違うのだ。彼が立った演壇から見て右側の方が圧倒的に多かった。

 これは右側には雷撃機であるフォッケウルフ一六七<アイバトス>を扱うドイツ空軍第一海上爆撃航空団の第二飛行隊の内、本部小隊と二個中隊が座っているからだ。

 反対の左側には急降下爆撃機であるユンカース一八七C<スツーカ>を扱うドイツ空軍第一海上急降下航空団の第一飛行隊第三中隊が座っていた。

 元の数が違う上に<アイバトス>は三座、つまり三人乗りであるから、複座の<スツーカ>より人数が多いのは当たり前である。

 だが、ドイツ空軍の編制を知っている者ならば、少し変な光景でもあった。一つの航空団は同じ機種の航空機で編制される。つまり本来ならば<スツーカ>乗りのルーデルが、他機種を装備している飛行隊の指揮を執る事は無いはずである。

 これにはまずドイツ海軍の機動部隊が置かれた状況を説明しなければならない。



 他国。特に太平洋で激闘を繰り広げた日本や合衆国などの海軍機動部隊が装備する航空機(艦上機)(注113)は、海軍の指揮下にある。しかしルーデルを始めとしたドイツ海軍の空母に乗組んだ彼ら搭乗員は、ドイツ「空軍」の所属であった。

 話しは単純かつ政治的で、空を飛ぶ物は全て自分の指揮下に置きたかったドイツ空軍総司令官ヘルマン・ヴィルヘルム・ゲーリング元帥が、ドイツ海軍航空隊の創設を邪魔したからであった。

 空母を建造しても肝心の艦上機が無ければ張り子の虎である。よりヒトラーに近かったゲーリングに、海軍の提督たちが政治的手腕で勝てるわけもなかった。結果、大ドイツでは航空母艦自体は海軍が、それに載せる艦上機は空軍の所属とされたのである。

 だが、まあちょっと苦しいが、海軍航空隊の先進国である日本や合衆国などは「空地分離」と言って、艦上機部隊と艦隊を分けて編制するようになっていたから、あながち間違っているとは言えないのかもしれない。

 空地分離とは、それまで各空母に所属していた艦上機を、機動部隊全体の航空機部隊と考えて、別の組織とすることだ。

 なぜそのような事をするかというと、艦上機の厳しい現実というやつである。

 一度の海戦で、空母を飛び立った艦上機が無傷で帰ってくることなどありえない。敵艦隊の上空では直掩隊の戦闘機が待ち構えているし、主目標である相手艦隊、特に空母を中心とした輪形陣の対空砲火の激しさと言ったら火で積み上げたレンガ壁のような物である。

 最悪の場合は海戦終了後、空母は無傷だが、一機も艦上機が帰還しない事だってあり得た。これでは、せっかく海戦に勝利しても、格納庫が空っぽな空母だけが生き残る事となり、次の戦いでは役立たずとなる。

 艦上機が空母に付属する編制ならば、新たな機材を集め、それを操る搭乗員たちの練度が上がるまで、無為に後方で時間を過ごさなければならない。

 これでは事実上、空母が一隻撃沈されたのと同じになってしまう。

 そこで考えられたのが「空地分離」という編制であった。簡単に言うと、地上の航空基地などで編制された航空隊が、海戦の度に空母へ「出張」する体勢だ。

 これならば空母へ搭載する以上の規模で航空隊を編制しておけば、たとえ一度の海戦で空母の格納庫が空っぽになったとしても、航空隊が全滅したことにならない。極端なことを言ってしまえば、二倍以上の艦上機を用意しておけば(かつ空母さえ無事なら)連続して次の海戦へ参加する事が可能となる。

 ルーデルが本来指揮下に置かないはずの雷撃機部隊をも指揮下に置いているのは、そういう事情からであった。

 このドイツ海軍機動部隊に搭載された空母航空団に所属する艦上機全機はルーデルが指揮を執るが、ドイツ本土にある基地へ残して来た約半分の飛行隊は、第一海上爆撃航空団の司令官が面倒を見ているはずである。

 他にもこの機動部隊には制空権を確保するために第一海上戦闘航空団などが加わっていたが「空中戦は分からん」と、ルーデルは戦闘機部隊の最先任である第一六七実験航空団第五飛行隊第一四飛行中隊のフィッシャー少佐に丸投げしていた。(注114)

 そうは言ってもルーデル自身は欧州戦争の東部戦線にて九機もの敵機を撃墜した撃墜王(エース)なのであるが。(国によって認定条件は違うが、ドイツ空軍では五機撃墜でエースの称号を名乗ることができ、一〇機撃墜で「大口径砲(ユーバーカノーネ)」と呼ばれた)



 先ほど号令をかけた第一海上爆撃航空団第二飛行隊の飛行隊長が、再び声を上げた。

「これより航空団司令より、今回の演習の評価が下される」

 座っている誰もが自信に満ち溢れている表情だった。なにせ空母<ドクトル・エッケナー>に対して演習の判定官は、魚雷六、爆弾一〇の命中を認定していたのだ。これが実戦ならば<ドクトル・エッケナー>は間違いなく撃沈されているはずだ。

「だめだな。だめだめだ」

 しかしルーデルは難しい表情で断言した。作戦会議室の扉のところで、相棒のガーデルマン少佐が何か言いたそうに表情を歪めていた。

 それは室内で自信たっぷりに「お褒めの言葉」を待っていた搭乗員たちも同じであった。

「君たちの攻撃は確かに素晴らしかった」

 何か言い返される前にルーデルは先手を打った。

「しかし、今回の敵は対空砲火を撃ち上げてもこなかったし、また防空任務の戦闘機もいなかった。私も艦上機乗りとしての経歴は浅いが、これだけは言える。この程度の腕前では、東部戦線で生き残ることは無理だな」

 意外な評価に落ち込んだ雰囲気に喝を入れるように、ハキハキとした発音でルーデルは言った。

「おそらく雷撃機の半数は撃墜されているだろう。つまり命中魚雷は三本だな。潜水艦用の魚雷ならば撃沈するに足る命中数だが、我々の扱う航空魚雷では威力が足りん。よくて大破。下手をすると相手の戦闘航海に影響を与えることすらできないな」

 ルーデルによる雷撃の評価修正に、室内の右半分が沈んだ。

「だが、それもスツーカ隊のせいだ」

 厳しい目が室内の左側へ向けられた。ルーデルの直接の部下たちの背筋が伸びた。

「君たちは、雷撃隊よりも先に戦場についているべきだった」

 ルーデルの指摘に何か言いたげな様子の搭乗員たち。無理もない。彼らの操る<スツーカ>と、雷撃機隊が使用する<アイバトス>では巡航速度が違いすぎるのだ。

 これは仕方のない事だと言えた。<スツーカ>はその名の通り純粋に急降下爆撃機として開発された。急降下爆撃に必要な物は速度ではない。開発に当たって一番重要視されたのは急降下爆撃時に必要となる操縦性だったのである。

 対して<アイバトス>は、同社の生産する戦闘機であるフォッケウルフ一九〇<ビュルガー>から発展して開発された機体である。生産性を考え戦闘機である<ビュルガー>と、機体を構成する部品の四割ほどが同じ物を使用していた。そして元が戦闘機であるから、いくら三座の雷撃機に進化したといえども巡航速度は高めに設定されていた。

 さらに今回は、雷撃機隊は重い航空魚雷を下げて飛んだが、彼ら急降下爆撃隊は空荷で飛んでいた。単純に荷物を持っていない方は速度が出てしまう。

 つまり諸条件が原因で巡航速度が揃わなかったことが、訓練海域への到着時間がずれた理由なのだ。だからと言って許される事には限度があった。お互いの機材の事を考えて配慮をしあわなければ揃う物も揃わないのだ。

「明かりを」

 ルーデルは演壇に添えられた指揮棒を取り上げながら、いまだ出入口の所に立っているガーデルマンに命じた。彼もルーデルがそう言って来ることを予想していたのか、一動作で室内の明かりを消した。

 小さな舷窓に暗幕が引かれれば、室内は真っ暗になる。なにも肝試しをしようと言うのではない。先ほどまでルーデルが立っていた演壇後ろの壁に、部屋の奥から明かりが投げかけられた。

 ただの照明ではない。白く塗られた壁をスクリーンとして、映像が浮かび上がっていた。

「諸君の目標は、これだ」

 暗闇から指揮棒の先だけが現れ、投射されている映像を指し示した。

「日本海軍が建造した<ヤマト>。これを沈めてもらう」

 白い壁面には、少々波の高い海面を進む巨大戦艦が映し出されていた。大ドイツの物とは違う方向性ではあるが、機能美を感じさせるデザインである。

「はい」

 搭乗員の一人が手を挙げた。

「どうぞ」

 まるで教師が生徒にするように発言を許可した。

「我々の主敵は空母ではないのですか?」

「確かにそうだ」

 暗闇の中からルーデルも賛成の声を上げた。

「だが、今回ばかりは様子が違う。総統大本営(ヴォルフスシャンツェ)もOKL(空軍総司令部)(注115)も<ヤマト>を最優先目標にせよと言って来た。よって叩ければ日本機動部隊も叩くが、それは副目標と考えて問題ない」

 戦略目標がはっきりしないと作戦行動に齟齬が生じる場合が多いので、ルーデルはわざと断言するように語気を強めた。

「りょ、了解しました」

 東部戦線の英雄に気後れしたのか、質問者の語尾は宙に消えた。

(少々やりすぎたか)

 ルーデルは素早く部屋の入口へと視線を走らせた。そこの壁に寄りかかっているはずのガーデルマンが、暗さの中でより一層濃い闇となって、相変わらず立っているのが確認できた。

 壁面に映し出された<ヤマト>の画像の明るさを反射していた目玉だけが、穏やかに閉じられたのが見えた。

 ルーデルは即座に反省し、口調を改めた。

「ヤマト(クラッセ)が建造され始めたのは、我が海軍の<ビスマルク>と同じ時期だ。同型艦は七隻で、艦級名(ナーマシッフ)となっていることから分かるように<ヤマト>は一番艦だ」

 画像は一九四五年に行われた大観艦式に切り替わった。そこには同じ姿をした戦艦が七隻舳先を並べていた。

「主武装は四〇センチ砲。それを三つの砲塔に納めており、前部のココとココそれと後部のココにある。防御力も<ビスマルク>と同等と考えられる。ただしそれも最近の事で、最初の内は設計に問題があったようだ。三番艦<シナノ>から装甲の厚みに変更が加えられたという情報もあるし、それでも防御力が不足したのか、六番艦<キイ>からは主砲の門数を減らして軽量化を図り、その重量までも防御力に当てたとされる」

 画面の七隻並んでいる戦艦の内、一番奥の戦艦が画面一杯に表示された。確かにその艦は連装砲塔を装備していた。横に並んだ艦は三連装砲のようだから、防御力を上げるために主砲の数を減らしたというのは間違いないようだ。

「これらの改良は、順次前の物に遡って適用されていると考えてもおかしくないだろう」

 画面は戦艦の三面図に切り替わった。

「この図では三連装副砲が書かれているが、最近行った改装で陸揚げし、今では対空砲が増備されている。次の映像を」(注116)

 ルーデルのリクエストに応じて映像が切り替わった。半球形をした砲塔のような図面である。

「急降下爆撃隊の目標は、コイツだ」

 ピシリと音を立てて指揮棒が図面を差した。

五式対空砲(モデール・フェンフ・フラック)(注117)。口径は一二・七センチ、野戦では使われない大きさの対空砲だ。ベルリンにある高射砲塔を見たことがある者も多いと思うが、あそこに据え付けられている連装砲と、ほぼ同じだ。これを急降下爆撃で叩く」

「装甲は?」

 当然の質問が搭乗者から発せられた。

「戦車よりペラペラだ。なにせ波風を防ぐほどの厚みしかない。徹甲爆弾ではなく破砕爆弾で充分破壊できる」

「どうして日本人はそんな薄い装甲にしたのでしょうか?」

 次の疑問にルーデルは大きく頷いた。

「いい質問だ。そして答えは簡単だ。厚い装甲を纏った砲塔だと軽快性が失われ、次から次へと目標が変わる対空砲としての役割を保つことができなくなるからだ。これは我が方の軍艦でも同じで、主砲塔ならいざ知らず、副砲や対空砲にはそんなに厚い装甲は巡らせていない」

「我が方の練度ならば、急降下爆撃だけで撃沈できるのではないですか?」

 この驕りともとれる部下の発言を、ルーデルは叱ることはしなかった。

「映像を一つ前に戻してくれたまえ」

 三面図に戻った画面を確認して静かな言葉で教え諭すように語った。

「例えば、この煙突に爆弾を放り込めば簡単にやっつけることが出来るようにみえる」

 ルーデルの持つ指揮棒が傾斜している煙突を差していた。煙突へ爆弾を放り込む事が簡単にできるという前提には誰も意義を申し立てしなかった。

「だが、君は戦艦の煙突の中を覗いた事はあるかね?」

「いえ、ないです」

 正直に答えた若い士官に頷きかけて、ルーデルは教えを垂れた。

「罐から出る煙が通る道を、専門的には煙路と言うらしい。我が方の戦艦の煙路には、鉄格子(レストン・ギッター)と呼ばれる防御機構が備わっていた。これは細く帯状にした装甲板で編んだ籠のような物だ。籠だから排出される煙は通るが、上空から飛来する爆弾を、防御区画直前で防ぐだけの強度もある。こちらの戦艦がそうなら<ヤマト>にもそれが装備されていると考える方が自然だろう」(注118)

「なるほど…」

 納得いった声を思わず漏らしたといった感じの返事であった。

「よって確実に沈めるならば魚雷で叩くしかない。だが雷撃機には対空砲は天敵である。なにせ魚雷を抱えた雷撃機は動きが鈍いから、対空砲の良い的になる」

 ルーデルの言葉に、軽いブーイングのような溜息が漏れた。確認しなくても部屋の右側から発せられた物だと分かった。

「対空砲は片舷で六基、左右で一二基だ。一個中隊の急降下爆撃を喰らわせれば沈黙させることができようが、他にもまだまだあるぞ」(注119)

 指揮棒の先が円を描くように三面図を撫でた。

「各所に四〇ミリ機関砲が装備されている。こいつはスウェーデンのボフォース社製品の粗悪(トーテ)物真似(コピー)だが、これだけ量があると笑い飛ばすわけにはいかないな」

 舷側へ二段に並べられた対空砲の周りだけでなく、前後艦橋、さらに前後甲板の上にも短い円筒形をした砲座が設けられていた。

「さらに、我が方で言う<フェーン>も、ココに装備されているようだ」

 指揮棒が艦尾の航空設備付近で止まった。<フェーン>とは、欧州戦争時に度重なった連合軍による本土爆撃に対抗して、ヘンシェル社が開発した地対空ロケット砲である。

 すでにドイツ陸軍の対空砲部隊が装備している対空ミサイルと違って誘導装置は無いが、一度に多数の小型ロケット弾を発射して弾幕を張ることで、低空侵入してくる爆撃機の撃墜を試みていた。

 カレー地方や生産設備等の重要拠点に配備された<フェーン>は、レーダーに映らない低高度で侵入して来る英国空軍のデ・ハビランド<モスキート>などに効果を上げた。

「これも我々の物のコピーですか?」

 半ば馬鹿にしたような声での質問に、ルーデルは面白くなさそうに答えた。

「いや、彼らの独自技術だ。性能はおそらく<フェーン>とそう変わらないだろう。だが我々に脅威である事には変わらない」

 強敵相手に気後れする事は兵士としてやってはいけない事だが、必要以上に見くびることも同じレベルで行ってはいけないとルーデルは考えていた。そうでないと戦術的判断を狂わせ、最適な行動の妨げとなるからだ。

「映像を前に戻してくれたまえ」

 ルーデルのリクエストに、七隻の同型艦が並んだ写真に映像が戻された。

「御覧の通りヤマト級は非常に似通った姿をしている。同型艦が並んでいると、日本の軍人でも間違えることがあるそうだ」

「識別点はあるのでしょうか?」

 不安げな声は部屋の左側からだった。急降下爆撃は、いったん襲撃行動を取ってしまうと、おいそれと目標を変えられないのだ。突っ込んだはいいが目標ではありませんでしたではシャレにならない。

「映像を旗のものに変えてくれたまえ」

 ルーデルのリクエストに応えるのに、しばらく時間がかかった。映像を投射しているスタッフの方で探している雰囲気があった。

 画面に映し出されたのはイラストで描かれた各国海軍の軍艦旗であった。もちろんドイツ海軍の物も混じっていた。

「いまさら諸君には説明しなくても分かっているとは思うが…」とルーデルは前置きした。さすがに各国の国章やそれに準ずる旗章は、士官学校で覚えさせられ、常識として頭に入れてあるはずだ。

「日本の国章である日章旗がこれ。そして日本海軍籍にある艦船が掲げる軍艦旗がこれ」

 指揮棒の先が日の丸と、一六条旭日旗を指し示した。

「彼らは対空識別のために、艦艇の第二砲塔へ大きくこれらを描いている」(注120)

 割り込む形で別の写真が壁へ投影された。どうやって手に入れた物なのか、艦橋から前方の水平線を写したものだ。画面には海面だけでなく、その艦艇の前甲板まで写り込んでいた。

 さすがにヤマト級の物ではなかった。なにせ艦橋の前には四つも砲塔が並んでいるのだ。

 尖った錨甲板に続いて最上甲板で前を向いている第一砲塔、それより一段高い第二砲塔。そして後方であるこちらを向いた第三と第四砲塔は、また最上甲板に置かれていた。

 その一段高い位置に置かれた連装砲塔の天蓋が白く四角く塗られており、そこへ赤い丸が描かれていた。

「情報によると<ヤマト>は、同型艦と違って唯一、コチラ…」指揮棒の先が軍艦旗の方を指し示した。

「第二砲塔に軍艦旗を描いているらしい。よって上空からならば一目瞭然という事になる」

「横からは無いのですか?」

 右側から不安な声で質問が発せられた。

「真横からだと難しいかもしれない。映像を最初の物に」

 再び荒波を砕いて進む戦艦の白黒写真に切り替わった。

「ここの…、分かるだろうか」

 指揮棒が飛沫で煙る前艦橋の辺りを示した。

「ここにあるラッタルに踊り場が無いのが<ヤマト>で、あれば他の六隻だ」(注121)

 部屋にいた全員が身を乗り出したが、見分けがつきそうもなかった。ラッタルがあるのかどうかも見る事が出来そうにない。写真ですらこうなのだから錯綜する戦場での識別は無理であるだろうことが、容易に想像がついた。

 再び溜息のような音が室内に溢れた。

「まあ上空の味方機が誘導するという事にしておこう。雷撃機が襲撃できるという事は、戦闘機も急降下爆撃機も上にいるはずだからな」

 ルーデルの言葉が信用できないのは、先ほど彼自身が下した部下の演習結果を思い出せば分かる話だ。同時もしくは先行して襲撃するはずの急降下爆撃隊が後からくる可能性だってあるのだ。

 部屋の雰囲気が落ち着くのを待ってから、ルーデルは口を開いた。

「今回の勉強会は、このぐらいにしておこうか。何か他に質問がある者は?」

「はい」

 一番に質問した搭乗員が再び手を挙げていた。

「どうぞ」

「大佐は、航空機の攻撃だけで戦艦を沈めることができると、お考えですか?」

「ほほう」

 ルーデルからの合図で部屋の照明が灯された。明るくなって瞳孔が痛みを訴えている中で、ルーデルは一堂を見回した。

「前の戦争で沈んだ戦艦は全部で二五隻。この内、戦闘航海中に航空機で沈められた戦艦は四隻しかありません。その内、一隻は大佐が沈めたと聞きましたが」(注122)

「まあ、あれは例外じゃないかな」

 自分の戦績を半ば神聖視されてルーデルが照れたような声を漏らした。彼は東部戦線初期において、ソビエト海軍の戦艦<マラート>を一トン爆弾で攻撃し、見事前部弾薬庫へ命中させた事がある。弾薬庫が誘爆した<マラート>は艦体を切断し、浅い海へ大破着底した。

「第一<マラート>は、古い戦艦だ。参考になるかどうか」

 ソビエト海軍が所有していた戦艦<マラート>は、その完成が第一次世界大戦前という古い物だった。よって速力も遅い物だったし、攻撃力だってしれた物だ。そして防御力に至っては上から降って来る弾に対する防御…、水平防御がほとんど考えられていない時代の戦艦だ。第二急降下爆撃航空団からの一トン爆弾二発(片方がルーデルの放った爆弾である)で沈んだのは、ある意味当たり前であった。

「確かに戦闘航海中に航空機による攻撃で沈んだ戦艦は四隻。いま挙げた<マラート>を除くと、イタリア海軍の<ローマ>、そして英国海軍の<プリンス・オブ・ウェールズ>と<レパルス>だ」

 空母航空団を率いることになったルーデルは、前の戦争で起きた海戦を研究していた。

「まあ<マラート>に関しては、先ほど言った通り容易く沈められたのは、単純に古かったからだ。同盟国イタリアの<ローマ>は、航空機による攻撃というよりも新兵器によるところが大きいのではないかな」

 イタリア海軍の新鋭戦艦<ローマ>は、大英帝国が地中海の出入り口に持っていたジブラルタル基地を攻略中に、合衆国陸軍航空隊がノースアメリカンB二五<ミッチェル>爆撃機から投下した新兵器、<AZON>と呼ばれる誘導爆弾により撃沈された。

 同じような兵器はドイツ空軍も開発済みだ。六〇〇〇メートル以上という高高度から投下され、無線誘導されるこれらの新時代の兵器は、重力による加速で最終速度が音速付近となる。爆撃機に積む大型爆弾が(重量は一・五トン以上となる)その速度で命中するのだから、戦艦の主砲が直撃した程の威力になると目されていた。

 もちろん空母に離着艦しなければならない艦上機へは、主に質量の問題から搭載はまだ研究中であった。空母で取り扱う以上、重量に制限がある艦上機には、重い武装を施すことができない。同じ機体でも地上基地ならば好きなだけ滑走して離陸すればいいが、空母の狭い甲板では無理だ。揚力を得て浮き上がる前に海へ落ちてしまう。

 爆弾自身の質量に頼れない運動エネルギーは、ロケット推進で補うことも考えられていた。軍需企業であるヘンシェル社が幾つかの試作品を製造しているが、いまだに部隊配備できるほどの性能を示した物は無かった。

「後の二隻。英国の<レパルス>と<プリンス・オブ・ウェールズ>の内<レパルス>は防御力が低い巡洋戦艦だから参考にならないだろう。なるとしたら<プリンス・オブ・ウェールズ>だ」

 太平洋での戦いが始まった二日後に生起した『マレー沖海戦』で、英国の主力艦二隻は、日本海軍の基地航空隊に撃沈された。

「<プリンス・オブ・ウェールズ>は我が方の<ビスマルク>に対抗して建造された戦艦だ。彼女がどれだけの損害で沈んだか知っているかね?」

 ルーデルの問いかけに、質問した若い搭乗員は喉を詰まらせた様に答えられなかった。

「攻撃した側の日本海軍と、撃沈された英国海軍側では意見の食い違いが見られるようだが、水平爆撃で二発、魚雷は七本だそうだ」

「七本…」

 今日の判定で命中とされたのが、急降下爆撃が一〇発、魚雷が六本である。ルーデルはそこから魚雷三本を引いていた。<プリンス・オブ・ウェールズ>を撃沈した数には足りない。急降下爆撃の方は逆に一〇発と多いが慰めにはならない。急降下爆撃は、残念ながら水平爆撃より命中率はいいが、投下高度が低くなるので威力はそれほど無いとされていた。

 これは、同じ高度からの爆撃でも、水平爆撃ならば爆弾は自由落下していくだけだが、急降下爆撃だと飛行機が途中までついていくことになる。機体の空中分解を防ぐためにエアブレーキなどを使用するために、目標に命中するまでの運動エネルギーが失われるためだ。

「水平爆撃で二発命中というと、三〇発ぐらい投下したのですか」

 いちおう雷撃機である<アイバトス>は、雷撃だけでなく水平爆撃も任務とされていた。だが命中率の低さから地上の飛行場や港、拠点に集結している敵陸上部隊に対する攻撃手段とされていた。

「八発中二発だそうだ。二五パーセントだな」

「まさか」

 室内がざわついた。水平爆撃の命中率は戦艦の公算射撃と同じレベル(おおよそ三パーセント)が最低ラインで、その倍(六パーセント)も当てることができれば上出来とされていたから当然である。しかも相手は戦闘航海中の戦艦である。止まっているだけでなく回避運動もするし、撃墜しようと対空砲火も撃ち上げていたはずだ。(注123)

「そういう連中が敵だという事を忘れずに行動して欲しい。もちろん、我が方だけでなく連合軍も持っていたのだから、日本だって誘導爆弾を使ってくるかもしれない。その時の命中率は考えたくもないがね」

 最後は茶化すように軽い調子で言ったつもりだったが、室内はまるで葬式のように静かになってしまった。

 聞かれないように小さな溜息をついたルーデルは、司会を務めていた第一海上爆撃航空団第二飛行隊の飛行隊長へ目で促した。

「それでは、これにて勉強会を終了する。全員起立。司令官へ敬礼」

 揃ったナチス式の手を挙げる敬礼へ答礼し、ルーデルは作戦会議室を後にした。

 部屋の水密扉のところで、相棒のガーデルマンが待っていた。

「やりすぎたかな?」

 ルーデルが反省する言葉を口にするのを聞いて、彼は肩を竦めた。

「お呼びだそうだ」

 答える代わりに彼は小さな紙片を差し出した。どうやらルーデルが話している間に通信士が持ってきたようだ。それは艦隊内での通信に使用する電文用紙であった。

 それによると艦隊司令がルーデルを旗艦に招聘していた。

「行くぞ、ガーデルマン」

 いつもの調子で語りかけ、ルーデルは先に立って部屋を出た。



●ソコトラ島泊地上空:1948年3月10日1325(現地時間)



 空母<エーリッヒ・レーヴェンハルト>の作戦会議室(ブリーフィング・ルーム)艦橋構造物(アイランド)内部に設けられていた。廊室を抜ければすぐに飛行甲板である。

 そこに本国でも滅多に見られない機体が準備されていた。

 鋼管骨組みの機体には、普通ついている主翼が無い。代わりに両側に張り出しているのはトラス構造をした「腕」であった。それぞれに大きなローターが載っており、ゆるゆると回っていた。

 機体の名前はフォッケ・アハゲリス二二三C。世界初の実用化された軍用ヘリコプターと言って過言ではない。乗員二名の他に完全武装の兵員を五名乗せるほどの搭載力があった。

 本国でも山岳師団の一部しか運用していない貴重な機種である。それをルーデル大佐の航空団は一個中隊分、一二機も確保していた。(注124)

 もちろん遊覧飛行に使用するためではない。垂直離着陸ができる航空機は貴重である。たとえ狭い甲板でも航空機の運用ができるようになるのは、艦隊にとって利点しかない。対潜警戒、前路哨戒、艦艇同士の指揮連絡、弾着観測に軽輸送。数え上げればきりがない。

 巡洋艦などのより狭い甲板しか利用できない艦船には、単座でより小型のフレットナー二八二A<蜂鳥(コリブリ)>(注125)が搭載されたが、もう少し余裕がある空母には、このフォッケ・アハゲリス二二三Cが搭載された。いちおう艦載型として着艦フックなどを装備し、大きなローターが折り畳むことができるようになっているが、実質山岳師団で使用している<(ドラッヘ)>と呼ばれるA型と変わらない。C型と呼ばれる艦載型は、陸上型の愛称からの連想で<海龍(ゼー・シュランガー)>と呼ばれていた。

 ルーデルは機体中央にある開けっ放しの扉から乗り込むと、荷物室にあるベンチシートではなく、角張った涙滴形とでも言うべきガラス張りのコクピットへと乗り込んだ。

 並列複座の副操縦士席には当たり前のような顔をしてガーデルマン少佐が着いた。

 スロットルを開いてルーデルは<ゼー・シュランガー>を宙へと舞い上がらせた。

 泊地には艦艇が一杯だった。

 その中でも目立つのが、濃淡三色の灰色で迷彩塗粧された巨大戦艦である。(注126)

 巷でも有名な「Z計画」のために設計されたH級戦艦が、予期せぬ欧州戦争開戦で建造が中止になった後、設計変更をしてより強大な黒鉄の城として生まれ変わった姿だ。

 計画名は四二年度に改設計されたH型ということで「H四二級戦艦」とされた艦級だ。一番艦が竣工後は、その名前を取ってウルリヒ・フォン・フッテン級と呼ばれるドイツ海軍最新鋭の超弩級戦艦であった。(注127)

 ルーデルが操縦桿を握って向かっているのは、その一番艦<ウルリヒ・フォン・フッテン>であった。

 その時、トンと軽く肩を叩かれた。

 どうやら泊地の景色に感動したガーデルマンが「いい眺めだ」と言ったようだ。だが頭の上で回る並列ローターのせいでまったく声は聞こえなかった。

 確かに凄い風景だった。

 元はフランス領のこの島にドイツ海軍は大集結していた。戦艦はいま向かっている<ウルリヒ・フォン・フッテン>一隻とちょっと寂しかったが、空母の方は正規空母が三隻に、巡洋戦艦と空母の合いの子のような航空戦艦が一隻、合計四隻が錨泊していた。

 他にも軽巡洋艦に駆逐艦。ドイツ海軍の代名詞になっているUボートもたくさんいた。

 そのどの種類よりも多いのが、大ドイツだけでなく勢力下に置いたフランスやイングランドでも大量生産させた輸送船であった。

 あれらにはゴアやボンベイに向かう陸軍の増援部隊が積まれているのだ。

 四隻の空母は特徴的な塗粧が成されていた。(注128)

 いまルーデルたちが飛び立った空母<エーリッヒ・レーヴェンハルト>は、訓練目標とした<ドクトル・エッケナー>と同型艦である。ただし艦体の塗粧は他の空母と違って、標準的な濃淡三色の灰色の迷彩とされていた。他の空母が特徴的な塗粧の中、ごく普通の色なので<エーリッヒ・レーヴェンハルト>は<(バイス)>と綽名がつけられた。

 舳先を並べて停泊しているのが、これまた同型艦の<ペーター・シュトラッサー>である。彼女はインド洋の海水に合わせた迷彩を試験するという名目で、青い色が目立つ迷彩にと塗粧されていた。もちろん綽名は<(ブラウ)>である。

 戦艦<ウルリヒ・フォン・フッテン>を挟んで、沖側に二隻の空母が錨泊している。その内<ウルリヒ・フォン・フッテン>に近い空母は、特徴的な姿をしていた。

 飛行甲板から張り出すので島のように見えるからアイランドと呼ばれる艦橋構造物が、他の空母よりも大きいのだ。それだけではないアイランド前方には三連装主砲塔が背負い式に備えられ、後方に向けても連装砲塔が複数設けられていた。

 これが航空戦艦<フォン・リヒトホーフェン>である。拡張忙しいドイツ海軍が、O級大型巡洋艦の一部を改装して生み出した、戦艦と空母の合いの子とでも言うべき艦であった。

<フォン・リヒトホーフェン>の艦体は、その名前の由来になった人物にあやかり全面を赤色に塗粧していた。綽名は考えるもなく<(ロート)>であった。

 そして一番沖に泊まっているのは、紅海入り口にて練習目標にした<グリュン>こと<ドクトル・エッケナー>であった。一番沖にいるのはルーデル航空団の練習相手として出番が多いからである。

 以上、四隻の空母がそれぞれ色に関した綽名をつけられたので、旗艦である戦艦<ウルリヒ・フォン・フッテン>もまた色に関する綽名がつけられることになった。候補はたくさん上がったが、いつの間にか<(シュバルツ)>に落ち着いていた。(注129)

 軽く機体を前傾させた<ゼー・シュランガー>が、明るいアデン湾の空を舞う。

 しかし操縦桿を握るルーデルの心は、あまり晴れやかでは無かった。

 思いは艦隊が、海軍本拠地のヴィルヘルムスハーフェンを出港する一週間ほど前に遡っていた。



 ルーデルはヒトラー総統に招かれてオーバーザルツベルクのベルクホーフ荘を訪れた。国の指導者が戦場の英雄を招いたというより、友人が友人に招かれたという感覚であった。(注130)

 ルーデルはヒトラーと私的に交流のあったのだ。まあ今回の招聘の目的は、彼が前線に出ると聞いて激励のためだろうから、あまり違いはなかったかもしれないが。

 だが山荘でルーデルが見たヒトラーは、見晴らしのよい部屋に置いた広めのベッドから起き上がれない程の病状を示す姿をしていた。

 町では総統が病に臥せっていると、もっぱらの噂であった。熱情的に演説する総統の姿を国民は直接見ることを望んでいたが、ここ数年は公式の場所に姿を現すことが無くなっていたからだ。

 しかし、ここまで酷い状態だと国防軍の軍人であるルーデルにも知らされていなかった。

 細かく震える体を起こし、それでも笑顔でルーデルを迎えたヒトラー。二人の交友はルーデルが宝剣付柏葉騎士鉄十字章をヒトラーから直接受賞した、欧州戦争が終結した年から始まった。

 物おじせずにハッキリと、歯に衣を着せずにクッキリと、遠慮なく発言する東部戦線の英雄をヒトラーは気に入り、何かにつけて自身が一年のほとんどを過ごすベルクホーフ荘に招いていた。

 特にヒトラーがルーデルから何度も聞きたがったのは、第二装甲軍により陥落寸前のモスクワから脱出しようと走り出した最後の装甲列車<パリジスカヤ・コムンナ号>を撃破する話だ。

 なにせその攻撃が欧州戦争を決定づけたと言って過言ではない。<パリジスカヤ・コムンナ号>の中央に増結された一等車には、ギリギリまで首都を離れることを拒否していたソビエト連邦共産党中央委員会書記長のヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリンが座乗していたのである。

 ルーデルからの爆撃を受けた<パリジスカヤ・コムンナ号>は大破、脱線転覆した。その後モスクワを占領した地上軍の兵士が<パリジスカヤ・コムンナ号>の残骸を捜索して、まるで皇帝のような豪華な椅子に座ったまま息絶えている彼の亡骸を発見した。

 ソビエト連邦最高指導者の死は大きな事件だった。それをきっかけに連合国からソビエト連邦へのレンドリースによる物資援助は打ち切られることになった。物資が乏しくなった赤軍は後退し、首都モスクワを含む西部ロシアは、大ドイツの指導を受けるロシア国会社会主義共和国へと再編された。(注131)

 スターリン以外の生き残った共産党指導部は、ゲオルギー・マレンコフを閣僚会議議長として指名し、戦争を継続させた。

 が、最初に遷都したゴーリキーは、翌春に陥落。ずるずると赤軍は後退を続け、今ではウラル山脈を盾とした西シベリア低地のオムスクが首都である。

 かつてはトナカイを放牧する遊牧民が季節に従って移動する平和な土地だったが、今では欧州戦争が終結した後でも小規模な戦闘が散発する、世界でもっとも不安定な地域となっていた。

 ルーデルを含む急降下爆撃隊は、それらの継続された戦闘でも数々の戦果を挙げたのだ。

 中でもルーデルの挙げたスコアは他の追随を許さないほどに優れた物であり、第四〇装甲軍団のフェルディナント・シェルナー大将(当時)からは「一人で一個師団の価値がある」と称賛されたほどだ。

 欧州戦争の終結に従い、ルーデルには宝剣付柏葉騎士鉄十字章が授けられることになった。そして授賞式後のパーティで個人的に会話したのが、彼とヒトラーとの交友の振り出しであった。

 だがいま目の前にいる彼には、当時の面影は残っていなかった。病魔に侵されて憔悴しきった表情のヒトラーは、ルーデルに対して泣いて見せたのだ。(注132)

「もう余が長くない事は分かっている」

 ひとしきり泣いた後に、ヒトラーは言った。

「余が倒れた後の大ドイツの行く末が気になって仕方がない。国民は幸せに暮らせるだろうか。厄災が国土を侵さないだろうか」

 こんな姿になってまで国民のことを思う指導者の姿に感動すら覚えたルーデルは、励ましの言葉をかけた。

「お体の方はすぐ良くなりますよ。国の方は、私ができる範囲で守って見せます」

 病状の方は誰からも説明を受けていなかったので、口から出まかせである。だが戦うことで国を守れるのならば、そうすることが軍人の本懐であった。

「頼みがある」

 病人にしては異常なほどの握力でルーデルの軍服を握りしめたヒトラーは、まるで熱で浮かされたように言った。

「<ヤマト>を沈めてくれ」

「は?」

 この時までにルーデルは空母航空団司令として多忙な日々を送っていた。部隊の編制もそうだが慣れない艦上生活や、伝統を盾に空軍の要求を呑もうとしない海軍との折衝、優秀な搭乗員を他部隊からスカウトしたりもした。

 そしてドイツ海軍には空母の運用実績が無い事を痛感し、主敵となるはずの他国の空母は研究した。だが戦艦は研究不足であった。それよりも空母の護衛をしてくれる巡洋艦や駆逐艦の方がまだデータが頭に入っていた。

日本(ヤーパン)戦艦(シュラッフシッフ)<ヤマト>だ」

 ヒトラーは時々、神がかりと言うべき姿を周囲に見せることがあった。この時も話している相手であるルーデルではなく、どこか遠くに目の焦点を合わせていた。まるで人では無い何かと会話するように捲し立てた。

「あれを沈めないと、大ドイツは世界の指導国としての地位を失うことになる。再び国民に貧困が襲いかかり、札束を積み上げても珈琲(カフィ)が飲めない時代がやってきてしまう」

「やまと、ですか?」

 太平洋での少ない例を除き、戦艦には戦艦で、空母には空母にあたるというのが常識であった。それなのに戦艦の撃沈を空母航空団司令として機動部隊を指揮するルーデルに頼むのは、少し異常と言っても過言ではなかった。

「そうだ<ヤマト>だ。アレは大ドイツに…、いや全世界に災いをもたらす呪われた艦だ。全力で事に当たってもらいたい」

 まるで狂人がするように、ヒトラーはルーデルにしがみついていた。

 助けを求めてルーデルはヒトラーから視線を逸らした。かつての小柄ながらも堂々としていた指導者の凋落が見ていられなかったというのもある。

 ベッドの脇に置かれた椅子に一人の女性が座っていた。ルーデルはほとんど初対面であったが、彼女が色々と噂のあるエヴァ・アンナ・パウラ・ブラウンと察しがついた。(注133)

 彼女は困ったような表情のまま、黙って頷いた。

「小官の力が及ぶ限り、<ヤマト>撃沈に尽力します」

「ありがとう、ありがとう。これで大ドイツは救われる」

 ふたたび泣き出したヒトラーに、ベッド脇から立ち上がった女性が寄り添った。

「さ、大佐が戸惑ってらっしゃいますよ。お体にも障ります。横になって下さいまし」

 衰えた病人とは考えられない程の握力から解放されたルーデルは、そばに置かれていた椅子を引き寄せた。ヒトラーはまるで幼子が母親にそうされるように、再びベッドへ横たえられた。

 それから二人は、昔を懐かしむような話しをした。ベッドの脇に寄せた椅子からルーデルは、東部前線での武勇伝を面白おかしく脚色して口にし、友人はそれをまるで老人の様に微笑んで聞いていた。

 そうやって小一時間は過ごしただろうか。友人は話しを聞いているだけで疲れ果て、脇に控えた女性がそれとなく楽しい時間の終わりを示唆した。

 最後に見た彼は、おだやかな日差しの中で眠りに入るところだった。

「大佐」

 陽射しの明るい寝室を辞して、乱れた軍服のそこかしこを引っ張って皺を消していたルーデルに、一人の親衛隊少佐(シュツルムバンフューラー)が話しかけてきた。

 ヒトラーの個人副官としていつも傍についているオットー・ギュンシュ親衛隊少佐だった。

「大佐。総統の体のことは内密に」

「分かっているとも」

 さすがに分別のある大人ならば分かる問題であった。大ドイツは現在アフガニスタン進攻を国際的に非難されている立場である。こんな時に総統が重病なんていう情報が漏洩したら、新大陸へと引っ込んだ連合国が再び策動を始める事は明白であった。

「しかし私にはなぜ総統が<ヤマト>なる戦艦に拘るのか分からない」

 ルーデルの正直な感想に、同意しますと言いたげにギュンシュ親衛隊少佐は表情を変えた。

「たしかに、なぜ総統がたかだか一隻の戦艦を怖がるか分かりませんがね」

 と口では言いつつ、ギュンシュは紙の束を押し付けてきた。どうやら新聞の切り抜きを貼り付けたスクラップブックのようだ。

 そこには一九四五年にドイツはチューリンゲン州ワイマール市で起きた謎の大爆発事故に関する記事ばかりが貼り付けられていた。

 別の表紙を持ったスクラップブックには「テネシアン」という聞いた事も無いような英字新聞の記事が貼ってあった。それによると合衆国のオークリッジとかいう田舎町で、大爆発を含む大火災が起き、死傷者が千人単位で出たらしいと、歯切れの悪い調子で大災害を伝えていた。記事添えられた数字が日付だとするとワイマールの事故にとても近い物であった。(注134)

「?」

 意味が分からず彼に切り抜きを見せた親衛隊少佐の顔を見上げると(彼は身長が二メートル近くあるのだ)剽軽に肩を竦め、唇をちょっと歪めて笑っているようだ。どうやらこれだけで察してくれという事なのだろう。紙の束を回収すると、慇懃無礼にルーデルを送り出した。

「?」

 話しが分からぬままベルクホーフ荘を後にしたルーデルは、麓にあるベルヒデスガーデンホフホテルへと下った。ホテルでは、オーバーザルツベルクまで付き合ってくれた友人のニールマンが、サロンで暇をつぶしていた。

 エルンスト=アウグスト・ニールマンとは、英雄と呼ばれるようになったルーデルを取材するために、従軍記者の彼が前線へとやってきた以来の仲だ。

 しかも「取材のためだ」と言いながら平気な顔をして爆撃機へ乗り込んでくるような、面白い男であった。

 ルーデルもガーデルマンの代わりに彼を後部座席に乗せて飛んだことがある。もちろん遊覧飛行などではなく、戦闘機が遊弋する敵機甲師団への爆撃行でのことである。

 その時も戦闘機に襲われたので、後部座席は大忙しだったはずだ。

 それ以来、彼もルーデルの友人録に名を連ねていた。

 ニールマンとは、もちろん帰りの列車も一緒だった。ドレスデンからベルリンへの直行急行である<ヘンシェル・ヴェーグマン・ツーク>に乗ろうと(注135)、まずは在来線の一等車へと腰を落ち着かせた。

 分からない事は知っている者に訊ねることが近道だ。彼は従軍記者を自称しているだけに、様々な情報に詳しかった。

「ニールマン。聞きたいことがある」

「おや?」

 地元のタブロイド誌に目を通していたニールマンが意外そうな顔をした。

「いつもは教わる立場だけど、教えるのも面白いかもな。いったいなんだい?」

 雑誌を放り捨てる勢いでソファへと投げ出したニールマンが、ルーデルの方へと乗り出した。

「ワイマールの大災害って、いったい何だったのだろうか」

「おいおい」

 慌てたようにニールマンは周囲を見回した。幸い二人が乗ったのは個室(コンパートメント)で他に耳は無かった。国内の不穏分子を探している秘密国家警察(ゲハイメ・シュターツポリツァイ)(世間で言うところのゲシュタポ)が盗聴器を仕掛けている可能性もあったが、走行中の雑音の中ならばある程度は安全であろう。

 ワイマールが突然の大爆発で都市が丸ごと消滅したのは謎とされていた。それに関する確かな情報はまったく不明どころか、ゲシュタポが余計な流言飛語が出回らないように目を光らせていた。噂では、その件で逮捕された者は行方不明になるとか。

「ま、大丈夫か」

 もう一度だけ周囲を見回したニールマンは、世間話をする様子で話し始めた。

「どうせ次の停車駅までは、まだまだあるしな」

 暇つぶしに丁度いいという調子でニールマンは話し始めた。

「知っての通りワイマールは大爆発で失われた。被害者は二〇万人とも言われているが、親衛隊が仕切ったので、被害の実態はわかっちゃいない。今でも爆心地に近づくどころか、遠くから写真を撮ることすら許されていない」

 大部分のドイツ国民は、そこまで知っていた。ここから核心とばかりに彼は自分の唇を嘗めた。

「被害者の中には強烈な熱線に灼かれたような火傷をした者が多かったそうだ。噂の中には放射線検知器に反応があったともいう」

「つまり?」

 それの意味するところが分からずルーデルの眉は顰められた。

「空想科学小説を嗜む連中は、宇宙から飛来した隕石の大きい奴じゃないかって話しをしている」

「いんせき?」

「大佐も流れ星は見た事あるだろ? あれが地面まで落っこちてきたのが隕石だ。普通はそこら辺の石と同じ大きさぐらいだが、たまに大きいのが落ちて来るらしい」

 ルーデルは自分の仕事を思い出した。急降下爆撃において爆弾が信管の不良などで不発だとしても、当たり所によっては戦車一台を大破させることができる。それは爆弾の化学エネルギーでなく、運動エネルギーで破壊されるのだ。運動エネルギーは投下高度が高ければ高いほど威力は強くなる。(それに反比例して命中率が悪くなる)まして空の上、宇宙からならば相当な威力であろうことが想像できた。

「あいつらの説によると、Sボートぐらいの大きさをした岩の塊が、地球の北極方向から接近して、地球と月、そして太陽の引力で三つに分裂。戦車ぐらいの大きさに分かれた塊が、それぞれ北半球に落下したらしい」

「三つ?」

 ルーデルが見せてもらった新聞の切り抜きはワイマールと、合衆国の片田舎の二つだけであった。

「一つは合衆国、もう一つは日本。そして最後の塊が、ワイマールに落ちたっていうのだ」

「日本にも落ちたのか」

「まあ陸の上じゃなくて、オホーツクとかいう漁師すらいない海だったから被害はなかったらしいが」

 言外に運が良かったのだなという意味をこめるニールマン。(注136)

「放射線検知器に反応があったのも、熱い宇宙からの飛来物だって証拠らしいぞ」(注137)

「そんな話があったのか」

 自分が全く知らなかった情報に触れて、ルーデルが感心した声を漏らすと、ニールマンは意地悪そうな表情で笑った。隕石だったら秘密にすることは無いだろうと顔に書いてあった。

「空想科学小説を嗜む連中の言い分ではな、そうなっている」

 もっと別の情報があると言いたげな様子であった。

「考えてみなよ、大佐。大ドイツに合衆国、そして日本。世界を指導する立場の三ヶ国を狙ったように隕石が落っこちるなんて偶然、どれだけの低い確率だよ。それよりもサハラ砂漠や海に落ちる方の確率が高いだろ」

「じゃあ…」

「オレはニューヨークのトゥルーマガジンの説を取るね。『落ちてきたのは隕石などではない。あれはレチクル座星人が乗って来た宇宙船…、UFOだったのだ!』」

「は?」

 猫だましをくらったようにキョトンとしているルーデルに、ニールマンはウインクを送って来た。

「つまり、真相は闇の中ってやつさ」

 放り投げたタブロイド誌へ手を伸ばしながらニールマンは肩を竦めた。これ以上深入りすると、秩序警察(グリュン・ポリツァイ)やゲシュタポから目をつけられて、あまり面白くない目に遭うだろうと言いたげであった。

 ルーデルがいくら戦場の英雄であろうと、国家風紀を乱す者と認定されたら、自由に町中を歩くことも出来なくなるだろう。特にゲシュタポのヤクザなやり口に賛同する気は無いが、ヨーロッパ全土を手に入れた大ドイツには、なによりも秩序が必要な事をルーデルは理解していた。それには少々強引な手を使う必要性も理解できた。あとは面白くない目に遭わないように自己防衛していく他はないだろう。

(それに…)

 これは、いちおう民間人に当たるニールマンには言えない事だが、戦友同士の横の繋がりという奴で、どうやら最近各国は「新型爆弾」を開発したらしいという噂が耳に入っていた。嘘か本当か、そいつは一発で大都市が消し飛ぶほどの巨大な爆弾のようだ。その各国というグループの中に大ドイツも含まれていればよいのだが。

 もし含まれておらず、日本が今回の戦役にその新型爆弾を持ち出すとしたら…。



●ソコトラ島泊地。戦艦<ウルリヒ・フォン・フッテン>:1948年3月10日1340(現地時間)



 操縦桿を操るルーデル大佐の視界に、黄土色に塗られた甲板が迫って来ていた。

 朧気ながら<ヤマト>を沈めなければならない理由が見えてきた気がするが、今は横に置いて、ルーデルはフォッケ・アハゲリス二二三C<ゼー・シュランガー>の<ウルリヒ・フォン・フッテン>へのファイナルアプローチに集中することにした。

 後部第四砲塔の上に水兵が一人立っており、両手に持ったピンポンのラケットのような信号札で、ルーデルの操る機体の傾きを教えてくれていた。

 シートから尻へ、滑走路に<スツーカ>を降ろすよりも優しい振動が伝わってきて<ゼー・シュランガー>の主脚が甲板に触れたことを知らせた。

 すぐさま甲板員がやってきて機体下の固定フックへワイヤーをかける。その作業をキャノピー越しに見ながら、ルーデルはスロットルをアイドリング以下へと絞った。

 エンジンを止めないままでいると、荷物室の方から飛行服に身を包んだ若者がコクピットへとやってきた。

「素晴らしい着艦でした、大佐」

「君の仕事を奪ってしまってすまなかったね」

 彼はこの機体の操縦士である。だが飛ぶ物に乗る時には可能な限り自分で操縦桿を握る癖のあるルーデルに席を譲って、機内の荷物室で待機していたのだ。

 艦隊旗艦に用事があるルーデルとガーデルマン少佐が下りた後、機体を<エーリッヒ・レーヴェンハルト>へ回送する役目が彼にはあった。

 ちなみにルーデルを始めとする空母航空団の首脳部は、この<ウルリヒ・フォン・フッテン>ではなく、<ペーター・シュトラッサー>に司令部を置いていた。海軍の艦隊司令部と同じ艦に座乗するのが一見便利に思えるが、空軍の航空団司令部だってそれなりの人数になる。いくらドイツ海軍最大の戦艦だとはいえ、艦内の容積には限りがある。それに出航前に入念な打ち合わせをしておけば、作戦中に艦隊側と話すことはあまりない。

 という尤もらしい理由を上げてはいるが、要はルーデルが航空機に乗りたいだけなのである。戦艦だと一人乗り用の小さなヘリコプターしか搭載していないので、気軽に借りることが難しいのだ。その点、空母には色々な種類の飛行機が搭載されていた。ルーデルのこの我儘は東部戦線の頃からであるから、空軍の将兵は慣れっこであった。

 ただ海軍側は空軍側の責任者が艦隊司令部に居ない事に不安を感じていた。よって<ウルリヒ・フォン・フッテン>にはルーデルの副官(とはツーカー)であるヘルムート・フィッケル少尉を航空団司令代理兼艦隊航空参謀として乗り込ませていた。

 ルーデルにとって雑事であるアレやコレやを押し付けられて、フィッケルは毎夜毎夜<ウルリヒ・フォン・フッテン>の与えられた船室で忍んで泣いているというのは、もっぱらの噂だ。

 ルーデルはガーデルマンと一緒に、本来この機体の担当である操縦士と副操縦士と席を交代し、機体中央部の扉から甲板へと下りた。

「やあ」

 機体の周辺で作業する者に混じって、半袖半ズボンという防暑服姿の上級将校が二人を出迎えた。(注138)

「艦隊司令はお待ちかねだよ」

ドイツ国防空軍(ルフトヴァッフェ)ルーデル大佐と他一名。乗艦を希望します」

 ナチス式の敬礼をして申告すると、出迎えの上級将校は海軍式の答礼をして大きく頷いた。

「乗艦を許可します。ようこそ<ウルリヒ・フォン・フッテン>へ」

 途端に脇に控えていた当番兵が号笛を「ピーヒュー」と甲高く鳴らした。(注139)

「まさか艦長自ら出迎えて下さるとは」

「航空団司令がやって来るというのに出迎える手間を惜しむほど、私は無礼であるつもりではないですよ」

 ルーデルと握手を交わしながら<ウルリヒ・フォン・フッテン>艦長ヴェンツェル・アイムホルン大佐は微笑んだ。

 元はUボート乗りで、大西洋で英国海軍相手に奮戦し、その時に負った傷で右眼にアイパッチをしている男だ。戦いとなれば勇猛果敢な男だが、普段は柔和な性格で、誰とでも仲良くなれる性格をしていた。

 まあ長い海上生活で鍛えられた四角(ゴツ)い体にアイパッチという見た目から、水兵の間では「海賊船長(ピハーティカピティン)」と綽名をつけられているのだが、本人の耳に入っているかどうかは不明である。

「こちらへどうぞ」

 階級では同じ大佐であるが、所属が空軍と海軍とまったく違うため、アイムホルン艦長の言葉遣いはルーデルに対して丁寧な物だった。

 先に立って歩き出す幅広の背中について甲板を踏み出そうとすると、所定の手順を終えたらしい<ゼー・シュランガー>が、三人の背後からエンジンの出力を上げて飛び立った。

 ローターの風切音に振り返り、空母へと帰っていく<ゼー・シュランガー>を見送ったルーデルは、ここ一ヶ月ばかり相棒に聞きたいことがあったのに聞きそびれていたことを思い出した。

 幸い周囲には兵の姿も無く、アイムホルン艦長も先に歩いて行ってしまっていた。

「そういえばガーデルマン」

「なんだい?」

「私の姉が住んでいる町での話しなのだが」と前置きしたルーデルは、水密扉の所で待っているアイムホルン艦長の方へと踏み出しながら、相棒の本来の職業に関する質問をした。

「若くてやる気に満ちた青年…、まあ歳は離れているが私の友人だ…、彼が親衛隊に志願しようとしたらしいのだ。しかし入隊検査にて『とある病気』が発覚してはじかれたらしい」

「ほほう。その病気とは?」

「私に病名は分からないのだ。その病気が分かるまでは快活な青年だったのだが、最近は身体の動きがぎこちなく、左腕の筋肉が強張り、身体が言う事を訊いてくれないようだった」

「私の専門は循環器なのだが、それなら分かるような気がするぞ。足を引き摺ったり、猫背になったりと、姿勢に顕著な変化が出ていなかったか?」

「うーん」

 ルーデルはしばらく記憶の中の彼を思い出す様子をみせた。

「たしかにそんな気もする」

「それはあれだ。パーキンソン病だ」

「治る病気か?」

「残念ながら不治の病だ。若い男性に発症する例は少ないはずなんだが?」

 ガーデルマンはルーデルを探るように見た。どうやら質問の本当の意味を悟っている様子であった。ちなみにルーデルが宝剣付柏葉騎士鉄十字章を受章する席には、彼も同席していた。(注140)

「最期はベッドから起き上がることもできなくなる。食事も困難になり、物を飲みこむことすら大変になる。そこから息を詰まらせたり、肺炎になったりする患者が多いな」

「そうか」

 ルーデルは友人の先行きが暗い事を知って表情を曇らせた。



 二人は司令官公室へと案内された。普段は上級将校が食堂として使用する部屋だが、今はその大テーブルに大きな海図が広げられていた。

 記号やら矢印やらが書き込まれた海図は、西インド洋はアラビア海の物だった。

 まっすぐとアラビア海を横断している黒い線は、途中で二つに分かれていた。丁度インダス川の真下辺りが分岐点となる。そこから片方の矢印はインド亜大陸西海岸のボンベイへと繋がっているが、もう片方はしばらく東南東へ伸びた後で点線に切り替わり、最後は消えていた。

 描かれていない点線の先を想像して伸ばしていくと、セイロン島の西にある港、コロンボへと到達できる。

 多くの上級将校が難しい顔をしてその海図を睨んでいた。その中にルーデルと同じ空軍の軍服を着た幾人かも混ざっていた。

「来たな、スツーカ大佐」

 とても重みのある男らしい声で話しかけられた。難しい顔をしている集団の中でも一層際立つ長身の男性である。他の者が薄褐色の防暑服を着ている中で、彼だけは白い第二種軍装をしていた。(注141)

「ハンス=ウルデリッヒ・ルーデル。参上しました」

 ナチス式の敬礼をして申告すると、白い軍装の彼は海軍式の敬礼で答礼した。

 がっしりとした顎を持つ大男である。髪の毛どころか眉毛の先まで英気が行き渡ったような壮年の男性で、勢いのある眼光をしていた。

 彼が、この機動部隊司令長官のマンフレート・ハイデンハイム中将なのだった。

「読みたまえ」

 有無を言わさぬ調子で一枚の紙片を差し出した。

「お預かりします」

 ルーデルは断ってから、その電信用紙らしき物を受け取った。


 大海艦隊インド洋部隊行動命令

一、四月中旬、日本軍ハ貴官担当戦域ニオイテ大規模ナ作戦行動ヲ発起セルモノノゴトシ。作戦目標ハ「ぼんべい」ト思ワレル。全力ヲ持ッテコレヲ阻止セヨ。

二、日本艦隊ハしょうかく級空母一ナイシ二及ビ艦級不明ノ空母複数ヲ主力トス。

三、日本艦隊ノ中ニ「新型砲弾」ヲ搭載シタやまと級戦艦ガ含マレテイルト推測サレル。

四、艦隊ハナルベク保全サレル事。


「ショウカク級は厄介ですな」

 ルーデルは裏道に水たまりが出来ていた程度の感じで難色を示した。

 それは太平洋の戦いを勝ち抜いた帝国海軍の主力空母である。

 有名な<アカギ>や<カガ>といった元は戦艦として建造され、条約によって空母へ改造された艦とは違い、一から空母として建造された正規空母だ。

 艦上機の発達についていけなくなり退役した<アカギ><カガ>とは違い、いまだに第一線で活躍している古兵(ふるつわもの)である。(注142)

 最古参の主力空母という事で、一番やっかいな相手かもしれない。やはり積み上げた経験という物は見くびることができない物だからだ。

「航空団司令に、として訊きたいのだが」

 ハイデンハイム司令が前置きをして訊ねた。

「強い相手かね?」

「ええ」

 あっさりと認めてルーデルは頷いた。ちらりと室内にいるはずの副官のフィッケル少尉の姿を探してしまう。自分の代理として説明していないわけがないが、もしかしたら言葉が足りなかったのだろうか?

「空母を主力とした日本海軍第三艦隊の中核と言って間違いないでしょう」

「ショウカク級が一隻ということはないかね?」

 一縷の望みを得たいのか、ハイデンハイム司令が探るように訊いて来た。

「それはありえませんね」

 機動部隊の航空団を任された時からルーデルは学ぶことを休まなかった。大ドイツにはその手の書籍が足りないと知るや、なりふり構わず合衆国や英国、そして日本からも本や雑誌を取り寄せて、戦史から戦訓、それに論文へと片端から目を通した。

 特に参考になったのは、太平洋の戦いで勝利の原動力となった日本機動部隊、それを実際に率いて戦ったオザワ・ジサブロウ提督が書いた論文であった。(注143)

 その中でオザワ提督は、空母は集中運用することを何度も強調していた。さらに二隻の正規空母に一隻の割合で補助空母をつけて、三隻を最小単位とすることが提唱されていた。

 もちろん二隻の正規空母は敵機動部隊を捕捉して撃滅する攻撃役だ。補助空母の役割は、二隻の正規空母が攻撃に専念できるように、艦隊上空の直掩機や対潜哨戒、前路偵察などを受け持つこととされていた。(注144)

 現在、帝国海軍で空母を主力とする第三艦隊も、この論文と同じように正規空母二隻に補助空母をつけた三隻編制を基本としている。三隻で一個の航空戦隊を編制しており、ルーデルが掴んでいる情報では、第三艦隊は六個もの航空戦隊で編制されているはずだ。

 単純計算で空母艦隊である第三艦隊には一二隻の正規空母と、六隻の補助空母が所属している事になる。もちろん戦争状態となった今は、予備艦として保管されていた空母が現役に復帰している可能性もあるし、情報部が掴んでいない新造艦が完成しているかもしれない。よって使える空母は、もっと増えていてもおかしくは無かった。

 帝国海軍が現在推進中の建艦計画、戦艦、大型巡洋艦、正規空母による八・八・八艦隊計画が計画通り進んでいるならば八隻の正規空母を所有しているはずである。もちろん、その全てが補助空母を伴って第三艦隊に所属しているはずだ。(注145)

 配備されている一二隻と、建造計画との四隻の差は<ヒリュウ>などの中型空母を攻撃役に当てているはずだ。

 ルーデルは簡単に以上のような事をハイデンハイム司令に説明した。

「つまり君は…」

 眉を顰めて厳しい顔つきになった彼は、再確認のために訊いた。

「ショウカク級だけでも二隻。そして、その二隻をサポートする補助空母が最低でも一隻はアラビア海に来ると言いたいのだね?」

「そのとおりです閣下」

 少なくともルーデルの見識と送られてきた電文の情報は一致するようだ。

「勝てるのかね?」

 ハイデンハイム司令の率直な質問に、ルーデルは胸を張った。

「正面からでも勝てます。こちらには空母、航空戦艦合わせて四隻。向こうは主力空母二隻に補助空母一隻。まあ我が軍の空母搭載量は少なめなので、実質艦載機の数は互角でしょう。ならば先に相手を発見した方が有利になります。こちらには基地航空隊の長距離哨戒機も加わってくれる手筈なので、その点にも抜かりはありません」

「ふむ」

 ハイデンハイム司令は、それでもまだ不安そうに顎を撫でていた。

海軍(こちら)の情報部では、現在コロンボには、日本の第二艦隊の半分と、多数の輸送船がいることを掴んでいる。空母はここに書かれているように、大型の物が二、三隻、小型の物が複数あるようだ。空軍(そちら)では何か他の情報は掴んでないかね?」

「同じですな」

 ゆっくりとルーデルは頷いた。

「一〇〇隻余りの輸送船と、機動部隊を二個編成するだけの艦艇が在泊することを知らされております。ただ二個機動部隊と言っても複数の中型空母で構成される方は、インド亜大陸の向こう側…、ベンガル湾で対潜水艦作戦に投入されて補給路確保に使用されるでしょうから、こちらに向かってくるのは一個機動部隊。それもショウカク級で間違いないでしょう」

「そして<ヤマト>か…」

 後ろ手に指を組んだハイデンハイム司令は、難しそうな顔のまま海図へ視線を落とした。

「日本機動部隊は刺し違えても抑え込みます。そうすれば戦艦同士の戦いとなるはずです。その時に我が方は…、<ウルリヒ・フォン・フッテン>は勝てるのでしょうか?」

 今度はルーデルが質問する番だった。もちろん自分の手で<ヤマト>を沈める気満々であったが、悪天候などの条件が重なると艦上機は役に立たないかもしれない。戦艦同士の戦いで勝てるのかどうか訊いておいて損は無いはずだ。

「勝てる」

 脇に控えたアイムホルン艦長が説明したそうな顔をしていたが、司令自らこたえてくれた。

「<ウルリヒ・フォン・フッテン>の主砲は四八・三センチだ。戦艦は自分と同じ主砲を持つ戦艦と戦っても負けないように造られている。<ヤマト>の主砲は四〇センチと聞いている。太平洋の戦いの前に我が方の情報部が『四五・八センチ砲の可能性あり』と判断していたが、最近手に入れた主砲塔の設計図によると、そこには『四〇センチ』と記載があったようだ。だから間違いはないだろう。まあ、たとえ四五・八センチだったとしても<ウルリヒ・フォン・フッテン>方がまだ二・五センチ大きい。一対一ならば負ける事は無い」(注146)

「護衛の艦艇は増やせないのでしょうか?」

 ルーデルも海図へ視線を落としながら訊ねた。

「ソコトラ島根拠地隊に掛け合ってはいるが、たぶん無理だろう。彼らにも駆逐艦は必要だからね」

 現在、ドイツ海軍の拠点となっているソコトラ島は、包囲されていると言っても過言ではない。とは言っても日本海軍の艦艇がグルッと並んで包囲しているのではない。先ほどルーデルが<ゼー・シュランガー>の操縦桿を握りながら見回した通り、青い海には障害物は何も見えなかった。

 しかし相手は海面の下に存在した。

 日本海軍の第六艦隊がその正体である。潜水艦を主力とする彼らは、ドイツ海軍がかつて大西洋で連合軍相手に行ったように、大ドイツの補給線を破壊しようと活動していた。そのために根拠地隊に所属する駆逐艦は毎日大忙しなのだった。(注147)

 もちろんこちらも日本の補給線を破壊しようと潜水艦隊を派遣している。しかし太平洋の戦いにおいて、大量の輸送船を連合軍の潜水艦に沈められた経験を日本海軍は持っていた。その沈められた船の中には、占領したハワイへ占領軍指揮官として着任予定の陸軍大将が座乗した輸送船も含まれていた。しかも一隻ではなく立て続けに三隻も沈められ、さらにその内の二人を救助の甲斐なく戦死させてしまったのだ。恥を掻いたどころの話しではなかった。

 海軍甲事件(注148)と名付けられた失態後の日本海軍は、自らの対潜能力改善に乗り出していた。艦隊からわざわざ補給線を護衛する部隊を抽出し、正面戦力たる連合艦隊と同格の護衛艦隊を創設し、対潜水艦戦の研究をさせた。そして護衛艦艇が足りないと分かるや、海防艦や駆潜艇などの軽艦艇を大量に建造したのだ。

 太平洋の戦いの後半戦は、派手な戦艦同士の撃ち合いや、機動部隊同士の海空戦は鳴りを潜め、彼らと連合軍潜水艦の戦いの方が主力であった。

 その経験で充分に鍛えられた護衛艦隊は、今回の戦いでも十分に機能していた。

 大ドイツ自慢のUボート部隊が意気揚々とベンガル湾方面へと出撃して行ったが、行方不明となる数は少なくなかった。

「それに根拠地隊の駆逐艦が借りられたとしても、彼らでは役立たずになるだろう」

 言いたくはないが正直に告げねばならないという義務感から、ハイデンハイム司令は難しい顔のままだ。

「それは、やはり航続力ですか?」

「そうだ」

 ルーデルの指摘にハイデンハイム司令は頷いた。


 これはこういうことだ。

 ドイツ海軍、いや大ドイツ全ての兵器に言える事だが、航空機にしろ艦艇にしろ車両にしろ、いつも航続距離が短めに設計されているのが作戦の足かせとなっていた。

 これは当たり前の事だと言えた。なにせ狭いヨーロッパ内で戦う事が考えられた軍隊であり、そのための兵器なのだ。しかも当初は防衛戦で使う事が考えられていたのだ。

 防衛線ならば移動は国内のみで、輸送や補給に鉄道網が使えるという見込みで性能が求められたのだ。

 大陸軍国だったフランス共和国を、たった一ヶ月で潰した陸軍の機甲部隊も、街道の途中にある民間のガソリンスタンドで給油しながら進撃した。

 航空機だって後方の基地から飛び立った翌日には、前進する機甲部隊が新しく占領した、より前線に近い基地へと引っ越すことで補って来た。

 艦艇だってバルト海や北海という、比較的狭い海で活動する事が前提で設計された。

 それらは航続力を切り捨てる事により、リソースを素晴らしい最高速度や重武装に当てることができたのだ。

 だが設計者の誰もが、まさか全ヨーロッパを覇権に納め、次はインド亜大陸で戦うなんて想定はしていなかった。

 よって航空機はどれも作戦を行うには、あと一歩だけ飛んでいける距離が短かった。まあその場合は前線基地をさらに前進させればいいのだから、空軍はよかった。

 車両で燃料が足りなくなっても、後から追いついてくるはずの補給部隊を待てばいい。最悪の場合、ヒトは陸棲哺乳類なのだから車両を捨てて徒歩で進撃なり転進なりが出来る。

 問題なのは海軍なのである。航続力が足りません。では前線基地を前進させましょう等と言っても、そこには海しかないのである。補給船による洋上補給ぐらいしか解決策は無いが、一隻の軍艦が消費する油の量を考えると、いまのドイツ海軍には不可能に近い話であった。

(もちろん小型艦艇、とくに潜水艦にはこの方法は有効で、ドイツ海軍は補給専用の潜水艦すら持ってはいたが)

 よって根拠地隊のような、欧州戦争で使い倒されて中古(ポンコツ)になったような艦艇が回される部隊に、まともな航続力がある艦艇があるはずもなかった。

 そして、その問題は現役の艦艇にも存在した。

 まだ大型の戦艦などはいいのだ。彼女たちは単艦もしくは少数の艦隊で、敵の通商路へ進出し、これを妨害する事も考えられた設計となっていた。

 通商路を妨害するには長い航続力は必要であることは、欧州戦争での装甲艦<アドミラル・シェーア>の例を出さずとも分かると思う。(<アドミラル・シェーア>は半年にわたって大西洋~インド洋を単艦で行動し、連合軍の通商路を混乱させた)

 その前例を引き継ぎ<ウルリヒ・フォン・フッテン>や本土で整備中のO級大型巡洋艦には、航続力に優れる大出力ディーゼル機関が搭載されていた。

 三軸あるスクリューのうち、外側の二軸は大出力ディーゼル機関で回される。通常の蒸気タービンに比べて、燃費という面では桁違いの性能を発揮するディーゼル機関だけで巡航速度が出せるようになっており、いざ戦闘など最大速度を発揮しなければならない時は、内側の中央軸を回す蒸気タービンも使用して、列強の戦艦の中で最高クラスの三二ノット(時速五七・六キロ)を出せるようになっていた。

 だが駆逐艦を始めとする軽艦艇はそうはいかないのである。

 たしかに書類に記された要目を読めば、今回の作戦に耐えうる航続力を、最新式の駆逐艦は備えていた。だが、その要目を満たすために技術者たちが選んだのは、高温高圧のボイラーであった。

 低温低圧のボイラーと比べて、確かに同じ量の燃料で出せる速力も航続力も良い数字を出すのが高温高圧ボイラーであった。が、少し考えれば分かるだろうが高温高圧ボイラーという物は故障しやすいのである。例えば同じ部品を使用していたならば、高温高圧にさらされる方がどんな頑丈な部品でも先に故障するだろうと、素人でも思いつく事だった。

 もちろん技術者たちもその危険性を十分に承知していての高温高圧ボイラーの採用だった。信頼性が劣る部分は機関科に配属される水兵たちの努力で克服されるべきだという判断だ。

 そして現在の艦隊を見れば、その方針が招いた結果が分かるという物だ。信頼性に劣る機関を抱えた軽艦艇は、アラビア海を横断するのが精一杯、作戦行動には落伍することが確定である。

 次世代駆逐艦では<ウルリヒ・フォン・フッテン>と同じように、Uボートで発達した小型ディーゼル機関と、従来の蒸気タービン機関の二種類の機関を搭載する方向で計画が進んでいた。が、駆逐艦のような小さい艦体に異種の機関が詰めるのかは未知数であった。(注149)


 軽艦艇の航続力不足という問題に、ハイデンハイム司令が決めた作戦が、この海図の航路であった。

 大ドイツが初めて編制した機動部隊全体で輸送船団を守ることは容易くない。潜水艦は何とか軽艦艇で対抗できる。が、敵の空襲から輸送船団を守るのは、厳しいのが現状だ。

 そこで占領地にある空軍の各基地から上空を援護できる沿岸をなるべく航海し、機動部隊の物とあわせて、大多数の戦闘機という傘を用意した。

 これならば日本側の長距離哨戒機などの妨害は容易く防げると考えられた。

 それでも太平洋の戦いを制した日本機動部隊の存在は脅威である。よって空母と旗艦は輸送船団より遅れて出港し、敵拠点となっているコロンボ方面へ向けて進出する。輸送船団よりも敵に近づくことで、敵機動部隊の攻撃をこちらの機動部隊へ誘引し、結果輸送船団が空襲を受けなくするのだ。

 海図に書かれた先が点線になっている方が、ドイツ機動部隊の予定航路であった。

 しかし軽艦艇を全て輸送船団護衛に回しての進出に不安を感じるのも当たり前と言えた。

 なにせ相手は太平洋の戦いでの最大の海戦『東太平洋海戦』(注150)に勝利した海軍なのだ。

 初日の空母戦の後に生起した夜戦で、アメリカの水上艦艇を叩きのめした駆逐艦部隊を日本海軍は持っているのである。

 あまりの圧倒的な結果に、翌日生起するだろうと考えられていた戦艦同士の海上砲撃戦が行われなかったぐらいだ。

 その勝利の原動力となったのが、欧米の物とは桁違いに優れた魚雷であった。これもまた空母と同じぐらい脅威であった。しかも航続力の関係で、本来なら魚雷を抱えて突っ込んで来る敵の駆逐艦を追っ払ってくれるはずの、こちらの軽艦艇は連れていけないのだ。

 彼らの魚雷が高性能である理由は単純であった。欧米の物よりもサイズが一回り大きいのである。世界標準と言ってもいいほど魚雷のサイズは共通であって、どの国も直径が五三・三センチであった。

 だが日本の魚雷は直径が六一センチであった。これにより欧米の物よりもたくさんの燃料や火薬を積むことができ、前既の大勝利と繋がった。(注151)

「向こうの駆逐艦の相手は、この艦の副砲と<ロート>に期待するとしよう」

 航空戦艦である<ロート>こと<フォン・リヒトホーフェン>には、装甲艦と同じ二八・三センチ三連装砲が装備されていた。<ウルリヒ・フォン・フッテン>の副砲は一五センチ連装砲である。両方とも優秀な艦砲であった。射程も魚雷攻撃に対して十分対応できるだけの長さを持っていた。理論上は魚雷攻撃しようと接近して来る敵の軽艦艇を、発射する前に討ち取れるはずだ。

「そうですか」

 それでも納得できないルーデルは言葉を濁した。おそらく二隻の防御砲火で防げる軽艦艇の突撃は、多くて四隻ほどであろう。五隻目、あるいは六隻目に照準をつけている間に内懐に入られてしまうはずだ。そしてルーデルは日本海軍の軽艦艇がたった六隻という事はないという事実を知っていた。

 彼らは水上戦闘を重視しない機動部隊にさえ、二桁の軽艦艇を所属させていた。しかもいざ<ヤマト>が水上戦闘に向かうとなったら、相当数の軽艦艇を護衛につけるのではないだろうか。

 ドイツ機動部隊にある戦力は限られているのだ。戦艦でもダメ。航空戦艦でも頼りない。そうなったらルーデルは<ヤマト>と同時に軽艦艇をも艦載機で相手しなければならなくなるだろう。

「海戦に日本が『新型砲弾』を使用する可能性は?」

 話題を変えようとルーデルは以前から思っていたことを口にした。もちろん『新型砲弾』というのは、あの日ニールマンに列車の中で示唆された日本軍の新兵器の事だ。一発で大都市を破壊できる爆弾を、どうやら東洋人たちは戦艦の砲弾にしたらしいと、空軍情報部から知らされていた。

 同じ情報は海軍でも掴んでいるはずである。

「それは無いだろう」

 優しく微笑みながらハイデンハイム司令は自分の考えを告げた。

「『新型砲弾』が<ヤマト>に積み込まれたのは確実のようだ。それは親衛隊が日本海軍に潜り込ませた諜報員の調べでハッキリしている。現地の…、あー…、いわゆる協力者に『測定器』を持たせて保管庫の周りを調べさせたら、反応があったとも聞く。だが『新型砲弾』は戦略兵器であるから、戦艦同士の殴り合いに使用する事は極低い確率ではないかな」

 ルーデルはハイデンハイム司令の言葉に一旦は頷いた。親衛隊の情報部が人を潜り込ませて得た情報は、だいぶ回り道をした末に現地指揮官である彼の耳にも入っていたのだ。

「しかしそれも<ヤマト>が無傷であればのこと。もし海戦に負けることが確実となれば、使ってくる可能性も…」

「うーん」

 ハイデンハイム司令は眉を顰めて腕組みをした。

「確かに可能性は残る。だが相手は戦略兵器だ。固定目標ならいざ知らず。三〇ノットで動き回る我々に使用するだろうか?」

 難しい顔をした二人の視線が交差した。しばらく睨みあいの真似事をしていると、司令官公室のざわめきが段々と収まって、耳が痛い程の静寂に包まれた。

 海軍の責任者と、空軍の責任者の睨みあいである。司令部に勤める将官たちが黙って行く末を見守ってしまうのも当たり前だ。

 これが同じ海軍に所属する将官ならばこんな事態は発生しなかったであろう。上官にあからさまに反抗する部下ならば、艦隊司令官の裁量で艦から降ろすことだってできる。だが相手は空軍所属の大佐で、しかも東部戦線の英雄であった。

「ルー…」

 ここは私が出なければと、後ろに控えていたガーデルマンが口を開きかけた瞬間に、ルーデルはニコッと人好きのする笑顔に戻った。

「私は空軍の操縦士ですから、海の上の事はよく分かりません。おそらく司令のおっしゃる通りなのでしょう」

「まあ戦艦の事は任せてくれたまえ」

 ハイデンハイム司令の方も室内の空気に気が付いていたのか、ちょっとおどけたような仕草でこたえてくれた。

「それに…」キラリとハイデンハイム司令が目を光らせた。

「空軍の『秘密兵器』も準備できたのだろう?」

「はい」

 答えたのはいつの間にかルーデルの背後に回っていた彼の副官のフィッケル少尉であった。さきほど探した時には姿を見かけなかったのは、ルーデルの死角に回り込んでいたせいかもしれない。いちおう彼だって優秀なユンカース一八七C<スツーカ>の操縦士である。

「昨日港に集積が終わりまして、今日の午後にも積み込みが可能です」

「そうか。では我々の出港も、もうすぐだな」

「はい」

 頭を下げるフィッケルを見て、ハイデンハイム司令はまたおどけたように言った。

「向こうが『新型砲弾』なら、こちらは『秘密兵器』だ。だろ?」

「その通りです」

 頷き返したルーデルであったが、実は彼自身はその『秘密兵器』の威力に疑いを持っていた。確かに空軍上層部は素晴らしい『秘密兵器』を用意してくれたが、そんな邪道な兵器よりも、やはり正々堂々と正面からぶつかる航空部隊の攻撃力の方が、実例があるだけ信用が置けるのだった。

「では作戦名を発表する」

 ハイデンハイム司令は海図が広げられたテーブルの方へ振り返り宣言した。

「この作戦の名前をサイクロンとしたいのだが、どうかね?」

 ルーデルは異論が無いとばかりに頭を下げた。サイクロンとはもちろん、このインド洋に発生する台風の事である。

「いい名前ではないでしょうか」

「よし。『サイクロン作戦』の発動は、四月中旬を目途とする。各員はそれに向けて大詰めをしてくれたまえ」

 宣言をしたハイデンハイム司令は、部屋で一番の上座に当たる席へと移動した。座ることなくそこで海図を睨みつけ始めた。その姿は、この作戦は成功すると自分に言い聞かせているようにも見えた。

 その姿に寂しさのような頼りなさを感じ取っていると、ルーデルの左右を部下の二人が固めた。あからさまに掴まれたりはしていないが、触れる肩で押されて部屋の端へと誘導される。

「大佐」

 周りを見て、もう海軍側の人間には聞かれない事を確認して、フィッケルが口を開いた。

「やめてくださいよ、海軍と張り合うのは。彼らと一番長く時間を過ごすのは自分なのですからね」

「ははは、悪かったな。ただ疑問に感じた事は全て質問しておかないとね」

 右側で胃の痛そうな顔をしているフィッケルに方を向くと、いつもの人好きのする笑顔を見せるルーデル。

「だが、これではっきりした」

 スッと東部戦線で何度も見せた厳しい顔になってルーデルは言った。

「戦艦に任せる前に、我々で何とかしなければならないことがね」



●インド洋モルジブ諸島東方。セイロン島西コロンボ港:1948年4月15日1330(現地時間)



 海底に黒い物体が沈んでいた。

 見る者が見れば正体はすぐに分かる。潜水艦だ。

 鋼鉄で造られたソレは、だが死んでいるわけでは無かった。

「行ったか?」

 艦内の中心にある発令所の天井を見上げた艦長であるヴォルフ・カーク中佐は、誰ともなしに訊ねた。

「先ほどまで爆雷を投下していた敵艦は、遠ざかりつつあります」

 聴音器に取りついているソナー員が、被っていたヘッドホンの右耳だけ外して振り返った。

「待て。あの一隻の他にはいないのか?」

 カーク艦長が訊ねる前に、ソナー員は手元にあるハンドルをグルグル回して感度の調整をしていた。彼の部下は優秀なのだ。

「探知できません」

 ソナー員の答えに満足を感じるカーク艦長。彼が「いないようです」と答えたら雷の一つも落とすところだった。なにせ相手の出す音を探るのがパッシブ・ソナーの能力だ。もし海上にエンジンすら止めて彼らを待ち伏せしている敵艦がいたとしても、パッシブ・ソナーは何も教えてはくれない。

 こちらから音波を出して敵を探知するアクティブ・ソナーも、この<U・二五六二>(注152)には備わっていたが、使用は論外だった。

 折角隠密性に優れたXXⅠ型潜水艦であるが、ソナーだろうが何だろうが音を出せば、敵に「ここに私が居ます。発見してください」と大声で教えるのと同じ事だからだ。

 もちろん居場所がバレた潜水艦を待っているのは、歓迎の花火ではない。

 欧州戦争時に大西洋で大活躍したドイツの潜水艦「Uボート」であったが、戦争末期は惨めな物だった。体系化された連合軍の対潜戦に、質でも量でも負けて、情けないことに最後は港から出撃すらできない程になっていた。

 欧州戦争最大の敗北と言われる『北大西洋海戦』(注153)を持ち出すまでもなく、戦争自体には勝ったのだが、海軍はボロ負けであったのだ。

 なにせ潜水艦乗りの戦死率が、陸海空三つある国防軍の中でもずば抜けて高かった。出撃したら帰ってこない艦が続出し、水兵の間では、出撃拒否をして軍法会議にかけられて銃殺刑に処される方が、海の中で閉じ込められて撃沈されるよりもマシだと語られる始末であった。

 たしかに同じ死ぬなら銃殺刑の方がマシであろう。潜水艦が沈むという事は、駆逐艦に追い回されて精神を摺りつぶされたあげく、爆雷攻撃を受けて損傷し、海底に向けて沈み始めたら、あとは水圧に潰される運命なのだ。それか浮上する装置が故障して、酸素が切れるまで海底の暗闇の中でただ死ぬのを待つだけの身となる。銃殺刑なら一瞬で済む。(注154)

 そこで全潜水艦の親玉…、もとい総指揮官であったカール・デーニッツ元帥(注155)は、新たな潜水艦の開発を決定した。従来の潜水艦が水中では八ノット(時速一四・四キロ)足らずだった速力を、一気に二倍以上の一七・五ノット(時速三一・五キロ)にした水中高速型潜水艦XXⅠ型である。

 残念ながら欧州戦争には間に合わなかったが、戦時に建造されたXXⅠ型潜水艦は、戦後に次々と竣工し、今ではドイツ海軍の主力潜水艦となっていた。

 いまカーク艦長が指揮する<U・二五六二>もその一隻である。

 従来の物を一気に旧式へと追いやる高性能潜水艦であるXXⅠ型潜水艦であるが、万能というわけではない。たしかに水中速力は従来の潜水艦の二倍だが、無限に航海できるわけでは無いのだ。一定時間が経ったら艦内の電池へ充電しないと動力切れになってしまう。だが、その度に浮上していたら、敵にとって格好の攻撃目標となってしまう。

 そこで、この時代の潜水艦は、艦体を海面下に沈めながら、充電するためのディーゼル機関を動かせるように、シュノーケルを装備していた。

 これならば姿を晒さずに充電のための(ついでに乗組員の呼吸用の)空気を得ることができる。

 少なくとも欧州戦争の間はそうであった。

 だがこのインド洋では、小さな空気取り入れ口しか出さないシュノーケル航行をしていても、発見され撃沈される潜水艦が増えていた。

 そのカラクリはまだ分かっていなかったが、おそらく敵のレーダーがシュノーケルの先のような小さな物すら発見できるほどに高性能になったものと推定された。(注156)

 よって夜間にこっそりと充電するよりも、逆に昼間に浮上して周囲に敵がいない事を目で確認しながら充電した方が安全と言えるまでになってしまった。

 それだって大海原なら問題はないだろうが、こうしてインド独立の手伝いをした見返りとして自由に日本軍が使用できるようになったコロンボ港の軒先といえる海域では、ほぼ不可能と言えた。

 タンクに残った空気の量が頼りないものの、こうしてこの海域に<U・二五六二>が潜伏していられるのは、ひとえにカーク艦長の操船指揮が卓越しており、また彼の望むだけの技量を維持している乗組員の努力によるところが大きかった。

 任務は単純である。日本艦隊がアラビア海へ出て来るかどうかの監視である。そして可能ならば襲撃せよとまで言われていた。

 実はゴアで補給を受けている時に、現地にできた潜水戦隊司令部(モンスーン戦隊と呼ばれた)の出張所でカーク艦長には選択の自由が与えられていた。

 ゴアから出港してコロンボ港を監視する任務が一つ。カーク艦長は敵艦隊に出くわす可能性が高いこちらの任務を選択した。酷い目に遭ってはいるが後悔は無い。自分が考える潜水艦らしい任務と言えるからだ。

 もう一つは、ゴアからここに至るまでの途中にある小さな島、インド領ラッカジブ諸島で中心的な役割をしているカバラティ島へ、陸軍の奇襲(コマンド)部隊を揚陸させる仕事だ。

 航空偵察の結果、どうやらその南の小島にインド軍と日本軍が共同して滑走路を一本造成したようなのだ。(注157)

 そちらの仕事は、コロンボ港沖で哨戒するよりも遥かに容易い仕事に思えた。まずゴアからの距離が三分の一となる。お客さんを乗せなければいけないのが難点だが、上陸させた後は自由に行動が出来るとされた。その周辺で輸送船狩りを楽しんでもいいし、そのままゴアに戻っても良かった。

 その時ゴアに居たUボートの艦長で、経験の浅い者にこちらの任務を受けるようにカーク艦長は勧めた。なにせコロンボ港哨戒からの帰還率が欧州戦争時に迫る勢いだったからだ。

 簡単な任務で実戦を重ね、いずれ自分と同じ腕利きの潜水艦艦長になって欲しいという親心のような物だ。

「しかし、今日はツイてないですな」

 副長を兼任する先任将校がぼやくように言った。

 今日も日課となっている空気の補充をしようと浮上したところを、運悪く港外を警戒していた日本の駆潜艇に見つかってしまったのだ。

 もちろん急速潜航して逃げに入った。勇敢な艦長の中には、武装といったって機関砲程度しかなく大型漁船程度の船体をした駆潜艇ぐらい、艦に備えられた銃砲で返り討ちにする者もいるようだが、カーク艦長は違うタイプだった。

 だいたいここは日本軍がインド洋の最大根拠地としているコロンボ港のすぐ外なのだ。無線で呼べば爆雷を抱えた対潜哨戒機が、文字通りすぐに飛んで来る。たとえ返り討ちに成功しても、その後に潜水艦の天敵である対潜哨戒機に追いまわされるなど、生きた心地がしないであろう。

 もちろんXXⅠ型潜水艦にも対空機銃が装備されているが、相手はその射程圏外からこちらへ爆弾を放り込むことができるのだ。勝ち目は全く無いと言えた。

「きっと、これから運が向いてくるのさ」

 長期航海に備えて真水の使用を極端に減らしているため、髭が生え放題のカーク艦長は慰めるように言った。対する副長の方は綺麗な物だ。四角い立方体のような厳つい顔であるが、彼にはあまり髭が生えないらしい。知らない仲ではない、一緒に大西洋で苦労してきた間柄だ。その長い付き合いでも、カーク艦長には彼に髭が生えていた記憶はトンとなかった。

「艦長」

 ソナー員が切羽詰まった声を出した。これが潜水艦ではなければ大きな声を出していたかもしれないと思えるほどに焦った声だ。

「なんだ? ヤツら、もう戻って来たのか?」

 彼らの操る<U・二五六二>は、昨夜から執拗に警戒する駆潜艇に悩まされていた。ただでさえインド洋の要衝なのである。警戒しすぎるという事は無い場所だが、この二十四時間の動きは執拗を通り越してキチガイと呼べるレベルだった。

「違います、これは…」

 さらに集中するためだろうか、ソナー員が目を閉じて黙り込んでしまう。彼の耳だけが頼りであるカーク艦長は黙って待つしかなかった。

「大型艦の航走音多数! この高周波は駆逐艦? …いずれにしろ大艦隊です!」

 同じ発令所に居るのだから大声は止めて欲しかったが、ソナー員が興奮して声を荒げた。

「大艦隊ねえ」

 カーク艦長は髭ごと顎を撫でた。

 長い間待ち伏せした敵艦隊の登場に、血湧き肉躍るといったところだが、半分以上は迷惑に感じている自分が居た。

 大艦隊となればもちろん襲撃することが大前提だが、まず敵の陣容を知らなければならない。そのためには、せっかく安全地帯である海底の岩棚へと逃げ込んだ<U・二五六二>を浮上させなければならない。しかし敵も無警戒で進んでいることはないだろう。つまり彼にとって新たな難局が訪れたということだ。

 もちろん敢闘精神が有りすぎるほどに無ければ潜水艦の艦長なんていう職業はやっていられない。ただここのところのストレスに、神経が疲れていただけだ。

「噂の<ヤマト>ですかね?」

 副長の歪んだ微笑みが、自分と考えが同じな事を示していた。

「さあてな」

 ともかく自分の獲物がどんな物かを確認しないことには始まらない。そして疲れているからなのか、それとも奇抜なアイデアが浮かんだのか、カーク艦長は腹に力を入れ直して部下たちに命令した。

「よし機関微速、潜望鏡深度まで浮上」

 カーク艦長の命令により<U・二五六二>は海底を離れ、大艦隊と思われる音が進んでくる方向へと舳先を向けた。普通ならばそのまま海中を進撃するのだろうが、姿勢を安定させる最低限だけスクリューの回転を維持し、敵の方が近づいてくるのを待った。

 先ほどまで静かだった艦内に音が響き始めた。

 おそらく駆逐艦の物と思われるスクリューが、海水を掻き回す音が高周波となって海中を伝播し<U・二五六二>の外板で減衰して人の耳に聞こえる音として反響しているのだ。

 訓練されたソナー員でなくても、頭の上を複数の駆逐艦が通過しているのが想像できた。計器を見ていなければならない乗組員以外は、自然と天井を見上げてしまう時間だった。

「これは幸運だぞ」

 カーク艦長がニッと笑って見せた。敵中に一隻だけという事実に冷や汗を掻き始めていた副長が、信じられない物を見るような目で彼へ振り返った。

「どの艦も発信音(ピン)を打っていないぞ」

 言われてみれば、さっきまで纏わりついていた駆潜艇のようにアクティブ・ソナーを発信させている艦が一隻もいなかった。

「油断しているのでしょうか?」

 副長のもっともな意見に首を振るカーク艦長。

「いや、あまりにたくさんの艦が集中しているから、ピンを打つと混信して、どれがなんだか分からなくなるから、それを避けているのさ」

「じゃあ…」

「ああ、そうだ。我々にとってここほど安全な場所はない」

 敵艦隊のド真ん中が安全地帯とは、皮肉にも程が無かった。

「よし、ここは大胆に行こう。潜望鏡用意」

 さすがに副長は腰が抜けるほど驚いた。

「敵艦隊のド真ん中ですよ」

「ド真ん中だからさ」

 ニッと笑って油圧によって床から上げられてくる潜望鏡基部へ、カーク艦長は振り返った。

「まさか艦隊の真ん中で、おっ立てるとは思うまい」

「それはそうですが…」

 言っている間に潜望鏡基部が顔の位置まで上昇してきた。それと比例して潜望鏡の先端は海面へ顔を出したはずである。

 制帽を前後逆に被り直したカーク艦長は、巨大な筒に取り付けられた接眼鏡へと取りつき、折り畳まれていたハンドルを掴んだ。

 全身で押すようにして潜望鏡を右に回し始めた。

「お~、相当な物だぞ。駆逐艦に巡洋艦…」

 ほぼ一周したあたりでカーク艦長は口をつぐんだ。

「砲塔が前に二つ、後ろに一つ。司令塔に傾斜した煙突が一つ…」

「戦艦ですか?」

 慌てて情報部が作成した艦種別表を取り出しながら副長が訊ねた。

「戦艦だな。副長、君も」

 パッと潜望鏡から離れたカーク艦長は、海図台の上に台帳のような艦種別表を広げていた副長と場所を交代した。

「ははあん」

 両目で見られるように二つの接眼鏡があるのに、副長は右眼を閉じて潜望鏡を覗き込んだ。

「たしかに艦長の言われる通り、砲塔、砲塔、司令塔に、傾斜した煙突、砲塔ですな」

 副長が海図台へ戻って来た。すぐにカーク艦長が潜望鏡へと戻った。

「後ろ七時の方向に駆逐艦。左十時に巡洋艦。他にもたくさん居るが、離れているから大丈夫だろう」

 そうカーク艦長が言った途端に<U・二五六二>の外板をトンカチで叩いたような音が後ろから聞こえてきた。

「まず…」

 潜望鏡をもう一度背後へ向けると、後ろの駆逐艦の甲板上を走る水兵たちの姿を確認する事ができた。

「艦長!」

 副長が悲鳴のような声を上げた。今の音はアクティブ・ソナーの物であることは経験からして間違いない。しかも広い海域を居るか居ないか分からない潜水艦を探すための物ではなく、見つけた潜水艦へ何らかの兵器を向けるために、場所を精査するための物だろう。広域に打つピンとは周波数が違うので聞き分けることができるのだ。

 いきなり爆雷なり魚雷なりを照準するピンを打ってきたということは、やはり潜望鏡を視認されたと思って間違いない。日本軍の水兵は見張りを怠っていなかったようだ。

「急そ…」

「まて!」

 副長が艦を操る部署へ向かって急速潜航を命じようとしたが、彼を上回る大声でカーク艦長が止めた。潜望鏡の接眼鏡に取りついたままだったカーク艦長は、操舵員の方へ怒ったような表情を向けた。

「浮上だ! できるだけ早く浮き上がれ! 急速浮上!」

 潜航するために艦のバラストタンクを操作するベント員へ、怒鳴りつけるように命じた。

 カーク艦長の命令で、一斉にバラストタンクから海水を抜くために空気を送るレバーが操作された。一瞬の躊躇も見せなかったのは、彼らがどれだけ自分たちの艦長を信頼しているかの証であった。

「浮上って、艦長…」

 怒鳴り散らす艦長を見て、副長は足が震えだすのを止められなかった。こんな潜水艦一隻で、しかも昼間に敵艦隊のド真ん中へ浮上するなんて、カーク艦長が正気を失ったのかと思ったのだ。

 だがそこは長い軍歴と、彼への付き合いで気を取り直した。

「降伏ですか?」

 敵の目の前で浮上するという事は、降伏するという意味を持つことが多かった。

「馬鹿言うな。<U・二五五九>のエドガーにまだカードの貸しがある。十倍にして取り立ててやるつもりだから、諦めはせんよ」

 司令塔の中に<U・二五六二>から海水が排水される音が満ちてきた。艦首を上に向けて加速しているのが体で感じられるようになってきた。

 軽口を叩いたカーク艦長は、上がったままになっている潜望鏡に取りついた。

「普通は下へ逃げようとするものだろ。だが俺たちは普通じゃないってことさ」

 潜望鏡の向こうの風景がぐっと広がっていく。艦の浮上にあわせて潜望鏡も海面からの高さが上がり、遠くまで見通せるようになったのだ。

「むっ。艦隊の後ろの方に輸送船だ。三列が五段ほど…、一五隻以上、二〇隻未満」

 その視界に煙が入って来るようになった。煙幕かと一瞬思ったが、どうやら敵駆逐艦が対潜ロケットを打ち上げたようだ。(注158)結構離れているように見える駆逐艦の後甲板が、白と黒の煙の塊で覆われていた。

「浮上します!」

 深度計を見ていた操舵員が悲鳴のような声を上げた。これで<U・二五六二>を隠す物は何も無くなったのだ。

 突然、カーク艦長は誰かに掴まれたような気分になった。<U・二五六二>が波頭から飛び出す勢いで海面へ浮上したのが分かった。

 しばしの浮遊感の後に、水平になる。とたんに何かに掴まっていないといられない程の動揺。潜水艦は海中にいる間は波の影響を受けにくいが、浮上したことで<U・二五六二>の艦体へ横波がぶつかったのだ。

 同時にボチャボチャと海面を叩く音が周囲でした。それどころか何かが甲板へぶつかった金属音まで混ざっていた。

「敵の狙いは正確なようだな」

 日本海軍への評価をカーク艦長が口にしたところで、それはやってきた。

 まるでドラム缶に閉じ込められて、ガンガンと外を棒で叩かれているような衝撃。立っている者は何かに掴まっていないと床へ放り出された。

 それどころか通信員は着席していたのに椅子から放り出されたほどだ。

 駆逐艦が放った対潜ロケットが、指定された深度に至って、爆発したのだ。甲板に当たった一発は不発だったのか、それとも海面に着水した衝撃で信管が作動しないように、遅延作動になっていたかのどちらかであろう。

 海中に潜水艦が居たら確実に破壊される攻撃であった。しかし<U・二五六二>はカーク艦長の判断で、海面に居た。

 艦底などは爆発の水圧を受けてまったく無傷ではないだろうが、特に報告が上がってくるような損傷は無いようだ。

「いまだ!」

 艦内をひっくり返す勢いの衝撃を、潜望鏡にしがみついて耐えたカーク艦長は、血を吐き出すような勢いで怒鳴った。

「急速潜航! 面舵一杯! 速力四分の三!」

 矢継ぎ早の命令に応えるだけの練度が乗組員たちにはあった。

「潜望鏡下ろせ!」

 最後に傾いた視界を確認した後、カーク艦長は潜望鏡から海図台の方へと飛び退った。

 油圧の力で潜望鏡が格納されていく。

「凄い音です! 海面に着弾!」

 ソナー員が振り返って大声を上げた。艦内は潜航するためにバラストタンクへ注水する音で満ちており、ちょっとやそっとの声では伝わらなくなっていた。

 間一髪であった。まさか浮上するとは思っていなかった日本艦隊が、慌てて<U・二五六二>に向けて銃砲撃を開始したのだろう。こんな小さな艦一隻では穴だらけになる程の攻撃に違いない。しかし<U・二五六二>はもう潜航を開始しており、砲撃は海面で炸裂し無意味になった。

「ソナーがまったく利きません!」

 ソナー員が悲鳴のような声を上げた。たくさん撃ち込まれた対潜ロケットの爆発で、海中が搔き回されて、パッシブ・ソナーは雑音だらけになったのだ。

 だが、それは敵にも同じことが言えた。

「いいぞお」

 先ほどの対潜ロケットに加えて、今の砲撃と二回も敵の攻撃をかわしたカーク艦長は、ニンマリと笑った。

 これだけ海中や海面で爆発が続けばパッシブ・ソナーどころかアクティブ・ソナーだってしばらくは無効のはずだ。

「速力微速、舵中央。深度七〇」

「速力微速アイ」

「舵中央」

「現在の深度五五、沈降中」

 カーク艦長の命令に、機関、操舵、ベント各乗組員から復唱があった。

 浮上したり潜航したり、先ほどまでの行き足があるから、しばらくはスクリューに頼らなくても<U・二五六二>は惰性で進み続けるため、水中姿勢は安定しているはずだ。

「針路二・〇・〇」

 カーク艦長は潜航した勢いで反転して、彼らを狙って外れた弾が作った雑音の中へ<U・二五六二>を持って行った。

 しばらくここが安全であろうという辺りで息をついた。そこで初めて自分が息を止めて状況を分析していたことに気が付いた。

「艦長。こいつじゃないですかね」

 艦の指揮に余裕ができたと見るや、副長が床から拾い上げた艦種別表のページを指差した。

 そこには黒いシルエットだけで戦艦が複数描かれていた。

「間違いない、ヤマト級だな」

 副長の太い指が差しているシルエットと、先ほど潜望鏡から見えた姿形が一致していた。

「命令は何だったかな?」

「<ヤマト>なら商船よりも優先して撃沈せよ、です」

 出撃前に潜水艦隊司令部からカーク艦長へ電報が届けられていた。

「よし、電池は持ちそうだし、魚雷は一発も使っていない。いったん南に大回りしてから隙を探して、喰うぞ」

 決断したカーク艦長は発令所内を見回した。対潜装備で待ち構えている艦隊への襲撃を聞いたというのに、どの顔も自信たっぷりで彼を振り返っていた。


 その後<U・二五五九>を指揮するエドガー艦長がカードの貸しを返したという記録は無い。




 潜水艦って調べれば調べる程に分からなくなってくる兵器ですよね。実際のところ、どうやって海の真ん中で彼らは戦っていたんでしょうね。映画とかで沈降が止まらなくて震度計の針を恐怖で凍り付いた顔で見ていたりしますが、実際にあんな目に遭いたくは無いなあ。


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